2004年9月アーカイブ

実業之日本社 ★

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中村彰彦ってのは「いつの日か還る」とか「名君の碑」の人ですね。あまり上手ではない印象でしたが、今回はかなりひどい。

そもそも松平伊豆という人、私はあまりよく知らない。知恵伊豆と言われたとか、島原の乱で指揮をとったとか、大名潰しの原動力であった(たぶん)とか、ま、その程度です。

死ぬときに関係書類をぜんぶ焼却してしまったらしい。それで詳細がわからない。なんで焼却したかというと、秀忠とか家光とかから貰ったものも多く、あとでそのへんを誰かが利用したり誤解したりしちゃいかんから、というのが理由だそうです。たとえば長年官房長官をやってたような人が、死後に持ってる書類をすべて公開されたらそりゃ大騒ぎになる。おおっぴらに言えないようなことも多々あるでしょうし。

そういうわけで、あまり人物の材料がない。結果的にこの本、「チエ伊豆トンチ話集」になってしまいました。家光がワガママ言ったり、誰かが困ったりするとチエ伊豆があらわれて、サッと解決。みんな感心感嘆。一休さんみたいですね。

ひどい本でした。


曇り

思いついて会社の帰り、八重洲のPaulに寄ってバゲット3本購入。だいたい月に1回くらいは寄るんだけど、だんだん客が少なくなっているような気がする。店の前に10人並ん待っているというような光景、最近はまず見ない。飽きられてきたのかな。

長いバゲットを半分に切ってもらって、大きなポリ袋の口を結んで持ち、また中央線に戻る。東京駅って、とにかく人が多いし、それがウロウロ錯綜して歩くんで非常に時間がかかります。通勤客が大半の整然とした流れの駅とは様相が違いますね。

パンは網棚に上げました。車内は蒸していて、不快。ちょっと本を読んでからウトウトして、ひとつ手前の駅で目をさまし、前に立ちふさがっている連中を押し分けて下車。階段を上がっている途中、閃光がひらめいた。思わずアッと声が出た。パンを置き忘れてしまった・・・。

あのバゲット、どうなるんだろうな。駅の連中が喜んで食べてくれるんならいいけど、でも普通は1日くらい置くんだろうな。それから、たぶん捨てる。99パーセント安全とは思っても、そういうパンを食べたりはしないだろうな、きっと。

たかが800円強の忘れ物ですが、帰り道はすっかり落ち込んでしまいました。暗い気持ち。大失敗をしたという感覚。ほんと、アホだなー。

奥さんにはまだ言っていません。秘密。
草思社 ★

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徳川慶喜の孫として育ち榊原家(越後高田藩)に嫁いだ女性の暮らしと生き方。戦争、敗戦、華族解体。それなりに強くたくましく生きていく。

ただ、前作「徳川慶喜家の子ども部屋」に比べるとだいぶ落ちます。内容が個人的すぎるからでしょうか。どうしてもナントカオバサン半生記みたいなふうになってしまう。「徳川慶喜家」の方はなんといっても十五代将軍の後半生そのものに価値がありますからね。老いた慶喜が運動のため革張り廊下を毎日スタスタ往復していたというだけのエピソードでも、重みがある。 

チョロッとですが太宰の「斜陽」についても触れています。「この作家はほんとうの華族はどういうものか、まったくご存じない。おそらく華族に一度もお会いになったことがないだろう」と疑問を呈しています。そりゃそうでしょ。華族ったって下々が思うほど特殊な人種というわけではなく、それなりに逞しかったり強かったり。霞を食べて暮らしているわけじゃないんですから。

そうそう、和服をいう場合、自分たちは「お召し」という言葉を使った。使える下々の者たちは「着物」と言った。だから最近よく聞く「お着物」という言い方がどうも奇妙な感じがして・・という部分、けっこう面白かったです。なるほど。よくテレビなんかで耳にする「今日の妃殿下は藤色の御着物で・・」なんていう表現、違和感を感じるんでしょうね。


新潮社 ★★★

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このところ妻がハマっていて、やたら沢木の話をするもんで、読ませてもらった。

なるほど。

26歳で所持金のすべてをトラベラーズチェックと現金に換えて、これが1900ドル。で、ユーラシア大陸バスの旅に出かける。そのとっかかりが、まず香港。ほんの数日のはずが香港にとりつかれてしまってズルズルと長期滞在となり、マカオではカジノにひっかかって破滅しかかり、でもかろうじて200ドルの損失にまで取り戻し、フェリーのデッキに転がって香港に逃げ帰る。

今月行ってきたばかりの香港の話なんで、リアルで面白かったです。泊まった安宿の黄金宮殿というのはあのへんかな、なんて見当もつく。この時代の青年の感覚。フラストレーション、閉塞感もたぶん理解できます。

1900ドルって、当時はどれくらい金額だったんだろう。沢木26歳の1973年頃なら1ドル300円程度のはずです。すると57万円か。ちょっと調べてみたら昭和51年(1976年)の大卒初任給が9万4000円でした。でもこのへんって、ものすごいインフル期なんですよね。これ以前の資料がなかなか発見できなかったんで責任持てませんが、たぶん3年前の昭和48年なら初任給6万~7万程度じゃないかな。

とすると(ずいぶんいい加減な推測計算ですが)ほぼボーナス込み給与の半年分くらいになりますか。現在の大卒初任給を20万円とすると、ザッと160~190万円。うーん、単に金額にするとたいしたことないみたいですけど、実際の重みは物凄く違いますね。とにかくカツカツで必死で食べてる時代の、年間所得のほぼ半額です。そんな大金、自由に使える青年なんてほとんどいなかった。おしなべて国民すべてが貧しかったんです。

ま、そんなことはともかく。

この文庫の後書き対談で山口文憲(この人の香港ものは以前に読んで感動した記憶あり。もっと若い人かと思っていた)としゃべっていて、二人とも1947年生まれ、26歳で放浪の旅に出ていることが判明。当時の放浪旅はたいてい20歳前後が多いんですが、これだと受け止めるものが一気に多すぎる。カルチャーショック、金、女、すべてが怒濤のようにおしよせ、結果的につぶれてしまう青年が多かった。それに比べると26歳はそれなりのスタンスも出来、世間知もある。核がある。

「それがよかったですよね」と二人が納得しあっている。そりゃ間違いないんだけど、でも26歳というと、もうバカは卒業して固く会社勤めしてるケースがふつうなんです。この年になってからアホをやろうと思いたったというのが沢木、山口。ま、そういうタイプでないと物書き商売で生きていくのは難しいでしょうな。

いい本でした。

追記
思いついて上記 山口文憲の「香港旅の雑学ノ-ト 新潮文庫」を再読。やはり面白い本です。沢木とは違った方向からのアプローチですけどね。


新潮文庫 ★★★

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書棚で発見。こんな本、誰が買ったんだろ・・って、もちろん自分しかありえない。数ページをぱらぱらめくってみたが、なんか読んだような記憶もない。変だなー。

読み進むうちに、ようやく記憶が蘇ってきました。確かに数年前、これは読んでいます。良著とでもいうべき一冊でしょうね。

ただ池澤夏樹って嫌いではないし、魅力もあるんですが、1~2冊読むと疲れる。押さえ込んだメッセージ性とでもいうべきでしょうか。いかにも理系ふうに、著者は主張を冷静にググッと抑えてはいるんだけど、でも中の暑さが皮を通して輻射してくる。放射してくる。その放射が暑い。

というようなグチを別にすれば、好感のもてるフィールドワークふう、ルポルタージュふう、紀行エッセイです。ハワイイ( HAWAIではなく HAWAII )という島嶼の成り立ち、歴史、現在が実によく理解できます。


あははは。また再開してしまった。

まだ始めたばかりで、修道院の地下あたりをウロウロしています。来週あたりにでも、経過報告予定。

では。
実業之日本社 ★★

副題は「土方歳三異聞」。私が借り出したわけではなく、転がっていたので一読。

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この作者、よく知りません。新撰組関係というか、土方関連が多いみたいですね。この本も鳥羽伏見の後の土方と、その土方を付け狙う元隊士と女を絡ませたもので、なんかウジウジしながら股旅物みたいに函館まで行って、土方が死んでおしまい。

元隊士とは芹沢鴨の配下(あるいは同士)の平間重助。結果的に鴨を裏切って逃走し、落ちるところまで落ちてから逆恨みで匕首呑んで土方を付け狙う。女のほうは20歳の頃に年下の土方に孕むまされてしまったという経歴で、これも愛憎こもごもで土方を追う。なんだかわけのわからない筋書きです。

ま、そんなストーリーはどうでもよくて、ようするに江戸・奥州・蝦夷を転々とする新撰組副長土方を描きたかったんでしょうね。ちょっと土方が颯爽としすぎています。

うまいんだか下手なんだか不明の一冊でした。


曇り

日にちはズレてれるけど一応は子供の誕生祝いという名目で、吉祥寺の豆腐懐石レストランへ。

このテのものを食べるのは初めてです。懐石ですから小さな器にコチョコチョと、とにかく豆腐づくしのコース。けっこう美味しいのも事実であり、なんかものたりない感じがするも事実。若い男衆には無理でしょうな。

そうそう、昨日はメガネを作りました。いままでの3分の1くらいの大きさの、いまふうの小さな楕円のフレーム。ま、私はデザインなんてどうでもよくて、とにかくレンズが合ってさえいればいいんですけど。

かけてみたら、ちょっと焦点が近いけど、クッキリ見えます。安心して本が読める。もう少し目が悪くなると、ちょうど焦点距離も合ってくるでしょう。これであと4~5年はもたせる予定です。 
集英社 ★★

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読み終えて表紙を撮影。フォルダに入れようとしたら「上書きしますか?」のメッセージが出た。え?とチェックしたら、今年の1月に同じ表紙画像を(それも同じ soundt.jpgという名称)入れていたことがわかった。

要するに8カ月前、いったん読みかけて挫折していたということのようです。ひどいものだ。なーんにも覚えていない。

で、この本。うーん、古川日出男という人、魅力ある設定で魅力あるストーリーを展開し始めるんだけど、必ず途中からおかしくなる。今回の「サウンドトラック」も二人の子供が孤島で生き延び、片方は音楽を憎悪、片方は身体を動かす=舞うという強迫観念にとりつかれてしまう。

これからどうなるのかなーと思っていると、結局どうにもならない。熱帯化した近未来のトーキョーを舞台にこの二人が勝手にアホをやりつづける。トウタはアンダーグラウンドで生き続け、ヒツジコはカトリックの学園でダンスの巫女となる。そこにアラブの少女(少年)が絡んで、なんだか知らんけどカラスに惚れてしまい。ついでに映画を撮る。古川作品って、映像とか音楽に奇妙なトラウマありますね、いつも。

完全に分裂、混乱してしまった失敗作でしょう。部分部分には面白い味があって、それが古川日出男の魅力ではあるのですが。そういえば「13」も「アラビアの夜の種族」も、みんな失敗作といえなくもないような気がします。
晴れ

久方ぶりに暑い。東側のカーテンを開けたら、あっというまに部屋が30度を越した。

珍しく朝からPCに触ったり、ゴトゴトやっていたらもう11時。PCの熱気で汗が出る。

先程、妻と子が電話をしていて、どうも今日の夕方は一緒にメガネを作りに出かけることになる模様。私一人にまかせておくといい加減に選ぶ(実際、その可能性は大)と思われているらしい。妻子の監視付きでメガネ選定ということになる模様。ま、ありがたい話です。 

文藝春秋 藤沢周平全集巻6 ★★★


kaitennomon.jpgこのところ時間がとれず、本がすすまない。この間、吉村昭の「深海の使者」とかマーガレット アトウッドの「昏き目の暗殺者」も手がけてみたが、どれも読了まで至らなかった。「昏き目・・」は機会があったらまた挑戦の予定。

で、安易にまた藤沢周平。たまたま何かで「二天の窟」について書いてあるのを読んで、興味をひかれて借り出し。とりあえずこの一編と、もう一つ「玄鳥」を読む。どちらも士道もの、決闘ものですね。

二天はもちろん宮本武蔵です。武蔵の晩年ものは各作家がいろいろとりあげてますが、藤沢さんのこれなんかは秀作の方でしょうね。余韻が残ります。老いた武蔵が生涯初めて若い武芸者に遅れをとる。負けた!と自覚する。それで武蔵はどうするか・・。ま、そういう話です。

「玄鳥」も若い平凡な人妻の目を通して見た、冴えない武士のこと。強いけれども間抜け。おっちょこちょい。道場主である父も他の大人たちも見抜いていなかったその男のソコツさを子供たちはとっくに知っていた。これも味の残る佳作です。藤沢さん、やはり短編がいいですね。他にもたくさん収録されている短編集なので、これからチョコチョコ読むつもりです。

晴れ

目の話。

10日ほど前、急に右目に痛みが出、ディスプレーを見ていると眩しくて涙がハラハラ流れるようになってしまった。鏡で見ると白目の下半分ほどが真っ赤になっている。

翌日になってもこれが治らない。ちょうど超忙しい時期で朝から晩までPCを見っぱなし(しかもけっこう神経集中)というタイミングだったのが最悪だった。泣きながら仕事をしていました。

で、土曜日。パソコンから離れられたので少しは回復するかなと思っていたのですが、やはり医院へ行ったほうがいいと妻に勧められ、意を決して地元の眼科医へ。診断の結果は角膜の炎症。ついでに虹彩にも炎症が及んでいるとのことです。すぐ強めの眼帯をかけられてしまいました。まぶたが圧迫されて、けっこう痛い。

片目に眼帯をかけると世の中が不便になりますね。距離カンがなくなり、歩くのも辛い。左目だけで活字を読もうとしても疲れて疲れて、現実的には無理。土曜日いっぱい、ボケーッと過ごしました。時々テレビを見たり、思いついて少し昼寝をしたり、またテレビを眺めたり、眺めていると目が疲れてきて、また眠くなる。自分の生活の99パーセントは視力に頼っているんだなーと思い知らされた半日でした。何かしようとすると、そこには必ず「目で見る」ことが要求されてくる。

翌日曜は眼帯を取りましたが、でもあまり目を使わないようにして1日暮らしました。これで痛みもかなり薄らいだのですが、月曜に出社して目一杯仕事をしたらまた少し逆行した雰囲気。でも翌日から休暇に入るんで仕事がどっさり詰まっている。とにかくやるしかない。この日もけっこう泣きながら過ごしました。

で、火曜からは香港。ホテルでも一応朝晩程度は点眼をしました。点眼を続けながらも、とにかく4日間、いっさいディスプレーを見ない生活です。その代わり喧騒の道路では怪しそうな動きのアンチャンに注意したり、倒れそうになって疾走してくる二階建てバスから身を引いたり、ま、そっちの方では目をしっかり使いましたが。

で、初診からちょうど1週間目の昨日、一応は無罪放免。まだ少し炎症のなごりが残っていると言っていたから仮釈放程度かな。もうしばらく、朝晩には点眼しろとのことでした。

目は大切に。ほんと、大切にしないといけませんね。パソコンとつきあい始めて18年。こりゃ目に悪いなーと思ってはいましたかが、でもあまり気にしないで酷使してきました。そうした酷使の結果が今回の症状でしょうね。もちろんパソコン使うと角膜炎になるというのは理屈に合っていませんが、でも実感としては関連している。数年前から右目が弱っており、何かが起きると必ず右目に来る。酷使した翌日はメヤニが出たり、涙がやたら出たり、前々から前駆症状はあった。

そういう弱った目にたまたま少し傷がついてしまって、だからそれが悪化したんだろうと、私は勝手に思っています。

でもどうしようもないしなー。仕事をしないわけにもいかないし、せいぜいでディスプレーの輝度を落とすくらい。でも輝度を落とすとそれはそれでいろいろ不都合もあったりする。本を読むのを控えるというのもイヤだし。

困ったもんです。

つい先程、一緒に旅行してそのまま実家に里帰り(のようなもんでしょ)していた子供が、香港土産の詰まった紙袋(中身のほとんどは中華菓子のたぐい)をいっぱい下げて帰りました。そのまま千葉まで行って免許更新をして、それから宿舎に帰るんだそうです。本当は宿舎の近くの市にも更運転免許更新センターはあるんですが、なぜか日曜は閉まっている。しかし子供の場合、平日に時間をとるのは無理。どうしても日曜というと、わざわざ1時間半かけて千葉市まで行かないといけない。なんて不便なんだ!とブツブツ言っていました。

子供も来週からはまた仕事です。なんとか睡眠時間確保して、頑張れよ。からだ壊すなよ。
曇り

時季遅れの夏休みで香港へ行ってきました。特に香港が好きだとか、行きたいというわけではないのですが、子供の取れる休暇が短い関係と、それでもなお海外がいい!という二つの理由で、消去法の結果こうなった次第です。

九龍側のホテルに泊まったんだけど、ま、面白かったですね。人が多くてゴッタ返しているのは計算済みだったものの、それにしても雑踏が凄い。地下鉄かなんかの工事で道が狭くなっているし、最近は物騒なインド人グループも徘徊(高級ホテル街の真ん中!)してるとかで、けっこう神経使いました。

食べ物はおいしいです。レストランなんかより、そのへんにいくらでもある麺屋とか粥屋がいいですね。安くて、かなり美味。ただし何回も食べていると飽きてきます。私は何にでも入っているプリプリの海老に食傷。ただし妻子はまだまだ飲茶とか点心とか飽き足りないようですし、特に子供はもっとブランドショッピング(たいして安くはない)したり甘いものを食べたりしたかったらしい。また、いいスーパーを発見したのが旅の後半で、妻にとってはこれが少し残念だったらしい。もっと早く発見できていれば、いろいろ面白くて安いもの(さすがに食品は廉価です)を買い込めたのに。

私? 私は買い物に興味がまったくないので、かなり飽き果てました。乗り物はタクシー、二階建て路面電車、登山ケーブル、フェリー、バスと5階級制覇。地下鉄は使いませんでした。しかしもちろん徒歩が圧倒的に多く、足は棒のようです。帰ってからよくよく見たら親指の先に小さなマメが出来ていました。

一夜明けて今日。先週診てもらった角膜炎(辛かった。赤目で涙ハラハラ・・)の経過を診てもらうため地元の眼科へ。ついでに視力も測定してもらうと、やはり老眼鏡が合わなくなっていました。これじゃ見えませんと呆れられました。3ランクアップでいいとのこと。処方箋をもらったので、近々新しいメガネを買わなければなりません。これで本が読みやすくなるかな。

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