「双調平家物語 (11)」 橋本 治

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★★★ 中央公論新社

やれやれ。ようやく全15巻を読了。斜め読みでもずいぶん時間がかかりました。斜め読み、たぶん、全体の2割か3割くらいしか目を通していないと思います。それでも大変だった。

soujou.jpg以前からこの時代に疑問が二つありました。ひとつはなぜ院政が可能だったのか。もうひとつはなぜ頼朝政権は成立したのかです。

なるほどなるほど。外戚として権威をふるってきた摂関家がついゆだんをして、中宮として送り込んでいない(重視してしなかった)親王が東宮になってしまったんですね。東宮になってからも、 適当な女児がいなかったという事情もあったみたいですが、朝廷には義母とか伯母とかいくらでも摂関家の息のかかった女性がいるんだから、わざわざ養女を設定して中宮を入れる必要なんてないだろ、とタカをくくってしまった。

実質的には白河院ということになるんでしょうか。この人が摂関家の影響力の及ばないかたちで威をふってしまった。おまけに長生きしたし。とどめをさしたのが後白河帝で、こんな今様狂いのトンチキにいちゃんが天皇になるとは誰も予想していなかった。

で、それを謀ったのが信西だというんです。信西、すごい智嚢と腕力と意志の持ち主だったらしい。でも最後は地中にもぐって 殺される。あるいは自死する。どっちだったのかは不明。

ついでですが、平安の御世に「死刑」を復活させたのも合理主義者・信西。なまぬるい平安に、首チョッパの暴力を復活させたんですね。結果的にそれが自分のくびを締めた。

また橋本センセの描く後白河院は決して「賢帝」でもないし「政治力にたけた悪某家」でもない。なんとも天然自然、意志が強くてわがままで、自分の好き勝手だけをする人。生意気な貴族には意地悪をする。慕ってくるやつはアホでも可愛がる。とくにアホな男を寵するのが好きだったらしい。困った人なんですが、でも強い。

とくに楽しみにしていた透き見遊び(庶民を眺めるのがすきだった)を妨害した廷臣を、おんみずから成敗に出張したというエピソード、面白いです。院が武士をひきつれて(これが清盛です)、牛車に乗って御所にのりこみ、逮捕して連れ帰った。すごい行動力。

もうひとつ。頼朝について。もちろん頼朝、なーんも背景をもっていません。源氏の棟梁・義朝の息子(三男くらいでしたっけ)で、右兵衛のナントカに叙せられている。一応サラブレッドではあるんですが、だからどうしたの世界。世の中、平氏のものなんですから、おちぶれた源氏の御曹司なんて、なーんの意味もない。たしか隠遁中、近所の有力者の誰かの娘に忍びいって子供を生ませて、その子供、すぐ消されてしまってますよね。娘の父親があわ食った。ま、当然ですわな。

で、なぜ頼朝の蜂起が成功したのか。まず、中央政府の力が衰えていたらしい。平家が実権握ってるんですが、あんまり機能しなかったのか、それとも地方武家の興隆と従来型の中央集権政治の折り合いが悪くなっていたのか。

地方武士にとってなにより大切なのは「自分の土地・利権の保護」「まともな(ある程度納得できる形の)裁判」「何もしてくれない京の政権に税金払いたくない」という気分。

だから本当は誰でもよかっんです。特に頼朝である必要はなかった。なんならイワシの頭でも、猫の尻尾でもいい。かつぐことのできるオミコシなら、なんでもよかった。

ということで、なんとも微妙ないろいろの末、千葉の有力者が頼朝をかつぐ決心をした。有力者がかついだことで、周囲の有力者も仲間に加わった。加わったことで、関東圏があっというまに頼朝の下に参集した。おまけに成敗に下ってきた平家の討伐軍が信じられないほど弱かった。

そもそも、平氏って、本質的には「もののふ」ではないらしいんですね。半分武士で半分公家。源氏ほど乱暴ではない。下手すると「馬に乗って刀も振るえる公家」ですか。ま、それでも瀬戸内の海賊をいじめたり興福寺を焼く程度には強かったんですが。

結果的に関東を制圧した頼朝ですが、家来の豪族たちは京に攻め上って日本を統一しようという気もなかった。せいぜいでたとえば武蔵のなんとか郷、せまい地域を自分の領にできればそれで十分。西国や九州にはなーんも関心なし。一種のモンロー主義ですね。

だから、後白河からすり寄られた義経は、あっというまに頼朝から勘当された。関東御家人たちの共有する感覚が、たぶん奥州育ちの義経にはなかったんでしょう。そもそも、義経にはまともな家来がいなかった。字を書けたのは弁慶だけ? あとは盗賊あがりとか、狐の子供とか。

などなど。読みとばしではありますが、面白い本でした。