「ヒトは食べられて進化した」ドナ・ハート / ロバート.W.サスマン

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★★ 化学同人

taberarete.jpgいつの頃からか人類の古い古い祖先は結束して狩りをして暮らしていた・・というイメージが形成されてるようです。オトコは棍棒もって狩りに行く。でっかい肉の固まりをもって女房子供の待つ洞窟へ帰還する。はじめ人間ギャートルズです。

でもなあ・・というのが素朴な疑問。狩りに頼って食料を得るってのはかなり効率の悪い手法です。専門家である大型ネコ族だって、成功率はそう高くないらしい。おまけに獲物が豊富にいるシーズンもあれば、枯れシーズンもある。

ま、マンモスなんかがウジャウジャいる時代ならどうか知りませんけどね。(そんなにたくさんいたのか?) あるいは地平線を埋めつくすようにバッファローの大群が疾走するとか。太古、アジア人がベーリング海をわたって新大陸に行き、どんどん南下していく間に、大型獣のほとんどは消滅したと何かで読んだ記憶もあります。食べやすいからっていい気になって獲ってると、すぐいなくなってしまう。あとは飢えるだけ。

そうそう、アメリカンネイティブっていうと、つい映画の影響で裸馬に乗ってバッファロー狩ってるシーンしか思い浮かばないけど、実際には農耕で暮らしていた連中のほうがはるかに多かったようです。ただ農耕タイプのネイティブってのは大人しいですからね。白人からすると、とくに気にする必要もない。映画にもしずらい。少数の獰猛な狩猟タイプだけが開拓者にとってはトラブルメーカーで、関心も高い。

で、この本の著者はこうした「狩猟で暮らした祖先」という概念に反発します。そりゃ数十万年前とか、わりあい最近になってからは狩猟も流行したかもしれない。でもそれまでの間はどうだったんだ。体も小さい。脳味噌もあんまりたくさんは持っていない。ろくな石器もない。火も使っていたとは思えない。チンパンジーの祖先と枝分かれしたばかりのひ弱なご先祖が、どうやって獰猛なネコ族と対抗したんだろう。

つまりは「Man the Hunter」じゃなくてMan the Huntedだったじゃないか。そういうことですね。1文字の違いでイメージが激変する。

というわけで、ページ数の3分の2くらいは、現代でもいかに人間が食われているか、の実証です。アフリカ、インド、インドネシア・・・トラやライオンやハイエナやオオカミやクマやヒョウ、水辺にはワニが待ちかまえているし、巨大な蛇もいる。え?という数の人々が、いまだに食われている。なんというか、かなり気分の悪い報告がえんえんと続きます。

もちろん身長1メートル(だったっけ)のアウストラロピテクスのルーシーだって、黙って食われるのはいやです。そこでルーシーたちの社会生活が生まれ、情報伝達の価値が生まれ、分業がなりたち、みんなで集まって怖い獣から身を守る。見張り役、追い払い役、かなわぬまでも威嚇する役、最後の最後は食われる犠牲役。そうやって、細々と人類の祖先は生きながらえてきた。おしゃべりに磨きをかけ、脳の体積を増やし、体もなるべく大型化にいそしんだ。

で、昼間は大型ネコの食べ残しを泥棒したりもする。夜は怖いから洞窟で固まって震えてすごす。

ま、そういう本です。洞窟の奥に、頭蓋に穴のあいた人骨とヒョウの骨が発見されたとき、「人間が人間を殴って殺した。たまにはヒョウも殺した」と解釈するか「ヒョウが人間を鋭い牙で刺した。そのヒョウもそのうち歳くって死んだ」と解釈するか。ほんと、どっちが本当なんだ?と聞きたいくらいですね。