2014年8月アーカイブ

★★★ 英治出版
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読みたいと思っていたポール・セローの本ですが、あいにく図書館には置いてない。かといって買うとなると3000円以上。躊躇していました。

ふと、図書館なら購入希望も出せるんじゃないかと気がつきました。小さな図書館ですが、不思議に特定系統のファンタジーだけが多く揃っている。これもたぶん熱心な人がせっせと希望を出しているからじゃないだろうか。ということで、ダメモト承知で「予約」を申請してみた次第です。でも、ま、無理だろうな。

意外。届きましたよと知らせが来ました。ただし新品ではありません。なんか図書館同士で融通しあうシステムがあるんですね。地の部分に都立図書館という蔵書印が押してありました。中辞典なみの厚さでずっしりと重く、1キロあるといわれても不思議ではない。えーと、696ページだそうです。

これを手にもって読んでいると、非常にくたびれます。負担がかからないように工夫していますが、それでも痛めた肩がまた痛みだした。はい。ここひと月ほど右肩にギックリが来てるんです。

で、途中まで読んだ「ラ・ロシュフーコー公爵傳説」は中断です。こっちは購入本。あわてずゆっくり読めます。まずは借り出し本から優先ですね。実は他にも分厚いのを借りてるんで、急がないといけない。

さて。

60歳を超したポール・セロー親爺が思い立ってアフリカ縦断の旅。若いころ兵士になるのを拒否して平和部隊でウガンダへ行き、しばらく英語を教えていたらしい。やがて例のアミンが台頭してきたので、危険を察して隣国のマラウイへ逃げた。アミン、もう忘れられているかな。ゴリラ並みの巨体で、人食いの噂が絶えなかった恐怖の大統領です。で逃げたセローはマラウイで大学の教員をしていた。

ま、そういう時代があった。郷愁ですかね。誕生日をアフリカで迎えたくなった。できれば若い頃に去ったマラウイの大学でちょっと特別講座を開くとかできたら嬉しいな。そんな気分もあって、エジプトから南下を開始。

ただしこの人の旅は基本的に列車とバスです。飛行機には乗らない。交通網の整備されていないアフリカで列車とバスなので、内心、途中で死ぬことも覚悟していたらしい。可能性はかなりあったでしょうね。実際、オンボロトラックを銃撃されたり、ザンベジ河の流域を丸木船で下ったり、ハイエナのうろつく野外で寝たり、いつのたれ死にしても不思議はない。

ルートとしてはエジプト → スーダン → エチオピア → ケニア → ウガンダ → タンザニア → マラウイ → モザンピーク → ジンバブエ → 南アフリカ かな。たぶんこの道筋です。だいたい大陸の東側をたどった。

アフリカについて何も知らないことに気がつきました。たとえばエチオピアには海がない。あれ?と思いましたが、海岸寄りはエトルリアという国になっている。エチオピアから独立したんですね。えーと、1993年だそうです。海を失ったエチオピアは大打撃。 (※ 訂正 エリトリアです。エトルリアはイタリーだ)

エチオピアではラスタファリアニズムという言葉。これも知りませんでした。ジャマイカで発生した「アフリカ復帰運動」のようなものでしょうか。当時の皇帝ハイレ・セラシエを神・救世主として崇め、ジャマイカから移民してきた。ところが皇帝は殺されてしまうし、なんか訳のわからないことになってしまった。

ケニアではヘミングウェイをさんざん罵っています。大嫌い。アフリカを見ようとしないで、ただ大型の獣を殺すことだけしか考えていない傲慢なマッチョ白人。彼にとっての土民はすべて従順な従僕でしかない。セローは若いころからヘミングウェイを嫌っていたらしい。この本の中でも豪華サファリツアーで訪れる観光客を徹底的におちょくっています。

だいたいポール・セローが毛嫌いしているのは、まず宣教師たち。「モスキート・コースト」でも宣教師は天敵でしたね。宣教師だけでなく使命感をもって「貧しい人たちに奉仕しよう」とキリスト教団体からアフリカに派遣されてきた若い人たちもたくさんいる。たとえばある女の子は飢えた子供たちに食事を与える仕事をしている。親にまかせたら横取りされるから、面倒でも子供に直接食事させるしかない。しかし徒労感。因業なセロー親爺はこうしたピュアな(?)若者との聖書論争も辞さない。え?お前の食ってるものはモーゼが禁止しているぞ、どうするんだ。

もちろん彼らは善意のカタマリです。善意ということなら、どこでもかしこでも見かけるNPOや支援団体の連中も同じ。しかしこうした支援は本当にアフリカの役にたってきたのか。ボロ車しか走っていないアフリカで、ピカピカ光る白いランドクルーザを見かけたらそれは支援団体のクルマに決まっている。こうしたクルマに乗っているのは「支援貴族」。貴族だから、現地人や汚い格好のセローが乗せてくれと頼んでも冷たく拒否する。けっして目をあわさない。たぶん理由は臭いからとか、せびられるからでしょうね。現地民と親しくしたいとはまったく思っていない。

こうした「支援貴族」。たんなる自己満足ではないのか。施しという優越感で目が曇っていないのか。

皮肉なことに、現地の住民も決して支援団体を好いてはいないし、しっかり利用してやろうとは思っている。古着や中古品など西欧からの大量の(善意の)支援物資は、どういうわけか地元の業者が一括して安く買いつけ、あっというまに店に並ぶ。現地民はメイド・イン・チャイナの新品ではなく、そうした古着を買い込んで着る。これを着ていれば、白人のセローでも目立たないし、泥棒に狙われる確率もぐーんと減る。

なぜアフリカは豊かになれないのか。35年前、マラウイの大学で若いセローたちは「あと5年か10年たったらこの国も変わるだろうな」と夢をもっていた。しかし35年後、建物はむしろ荒廃し、図書館の本は盗まれ、職員住宅は荒れ、教員は薄給に苦しんでいる。なぜだ!とセローは怒り狂います。政府の補助が少ないから(要するに横取りされて)建物が痛むのは理解できる。しかしなぜ廊下がゴミだらけなのだ。なぜ庭の草は伸び放題なのか。それを片づけようとか、整理しようとする人間がなぜいないのか。

どこの国の風景だったか、マンゴーの木の話が出てきます。炎暑の平原、さして大きくもない1本のマンゴーの木がポツンと残っていて、その木陰にアフリカの男たちがひしめきあって涼んでいる(男が遊んでいるあいだ、女衆はよそで腰を曲げて作業にいそしんでいる)。でもなぜ1本なのだろう。種を植え木を育てようと思った人間はいないのだろうか。そうすれば何年か後には1本ではなく、マンゴーの涼しい林ができる。

ま、仮に酔狂な男がいて木を植えても、ちょっと伸びたらすぐ燃料として斬られてしまうんでしょうね。それを知っているから、誰も無駄なことはしない。

以前はそこそこ豊かだったのに急速に貧しくなったある国。理由は明白で、流通や経済を支配していたインド人を追い出したからです。中小の製造業、小売り店を経営していたインド人たちが独裁政府の方針変更で強制的に追い出され、アフリカ人が接収する。しかしあっというまにつぶれる。

「オレたち、インド人みたいなことはできないからな」が理由。インド人はいつも「イチ、ニー、サン・・」と勘定して商売している。オレたちがそんなケチくさいことできるか。こうしてかつての商店街はゴーストタウンと化す。

ジンバブエなんかが典型ですね。白人経営の大規模農場が次から次へとアフリカ人に占拠され、経営者が追い出される。あるいは殺される。そして農場を占拠して自分のテリトリーを杭でかこったアフリカ人は、なにもしない。政府が種を支給しない。高く買い取ってくれない。トラクターを貸してくれない。燃料を支給してくれない。援助がない。こうしてかつて外貨を稼いでいた大規模農場は、今ではその日暮らしの零細自作農の寄せ集めになってしまう。零細農家が作っているのは換金作物ではなく、じぶんたちが食べるだけのわずかな作物だけです。余った土地は荒廃したまま。

広大な土地を支配し、数多くのアフリカ人を(たぶん)こき使ってきた農場主が(不法とはいえ)追い出されるのは、ある意味、大きな流れかもしれない。問題はその後。土地を獲得したアフリカ人たちに意欲がない。向上心がない。仕事をしない。土地が荒れるにまかせている。常に「なにかしてくれること」だけ期待している

国際支援がいけない。そうセローは思っています。貧しければ貧しいだけ同情をかえる。膨大な支援金が流れ込む。もちろんその大部分は政府閣僚がポケットにしまいこむ。住民も黙って座っていれば支援物資をもらえる。希望や意欲を持たず「もらう」ことに慣れてしまった人々はもうダメです。彼らが考えているのはなんとかして米国に行けないか。それだけ。米国に行けば楽に暮らせると思い込んでいる。

大きくなった都会はただ荒廃が広がるだけの場所で、いわばスラムの拡大です。むしろ田舎。もちろん何もない貧しい場所で、電気もない、井戸もない、耕作に向いた土地もない。しかし半世紀前に暮らしていたような、かつかつに貧しい生き方ならできる。実際、貧しいアフリカは半世紀前とまったく変わらない様相になっている。ただ違いは、あちこちにトラックの残骸とかプラスチックの残骸が転がっていることだけ。土とホコリと貧弱な木々だけだった土地に、あらたに「残骸」が増えた。それだけの相違。

列車の一等車の窓には貧民たちがむらがって物乞いをします。体の出っ張りほとんどゼロの痩せた少女。食べ物をあげようかと一瞬は迷ったものの、セローは拒否します。その少女は憎しみに満ちた目で、大きな石を何個も窓から列車に放り込みます。死んでしまえ。

いっそ50年前に戻ってもいいじゃないか。そんな考え方もできます。都会は捨てよう。文明がなんだ。電気もプラスチックのバケツも不要。支援団体に電動の汲み上げ井戸を作ってもらっても、やがて故障する。燃料がない。修理できない。結局もとのように手作りロープを使って牛皮のバケツで汲み上げる生活に戻ってしまう。それなら最初から牛皮バケツでいいじゃないか。そこから始めよう。

閣僚や高官たちが自分の子供たち(ほとんどは米国留学)に「アフリカに戻って仕事を続けろ」と言えるような国なら、まだ将来に希望がある。でも自分の子供たちは海外に居させておきながら、他人にだけ「アフリカに尽くしてください」と平気で言い続けていたら、その国に未来はない。

要するに、アフリカ人が自分たちで考え、自分たちで行動しない限り将来はない。これまではずっーと上から目線の押しつけと援助でした。ついでに武器供与なんかもありますね(これが最悪だけど)。こんなことを続けていても未来永劫ダメ。

という具合で、暗いお話です。セロー流に言うとアフリカは「暗黒星」ダーク・スター。でもなにしろセローなんで、滅入ったり、怒ったり、楽しんだり、恐怖におびえたり。ごく稀には快適な列車に乗って美味しい飯を楽しんだり。で満足して旅を終える寸前、一流ホテルで施錠して預けたバッグを盗まれる。実はあちこちで金細工や民芸品を買い溜めていたんです。身につけていた取材ノート以外はすべて消える。

いい本でした。

これで興味をもって調べてみたのが旅のルートとなった各国の貧困度。経産省の2014年資料で、2010年の1人当たりの名目GDPです。いまも大差はないでしょう、きっと。

・エジプト(2,771ドル 中所得国)
・スーダン(1,642ドル 低所得国)
・エチオピア(364ドル 貧困国)
・ケニア(887ドル 貧困国)
・ウガンダ(503ドル 貧困国)
・タンザニア(542ドル 貧困国)
・マラウイ(354ドル 貧困国)
・モザンピーク(473ドル 貧困国)
・ジンバブエ(457ドル 貧困国)
・南アフリカ(7,100ドル 中進国)

中所得国とか低所得国というのは、資料に書かれていたまま。こんな区分けになってるんですね。ちなみに2010年の日本は42,916ドルでした。

Rochefoucauld.jpg涼しくなったので、堀田善衛さんの「ラ・ロシュフーコー公爵傳説」。ちびちび惜しみながら読んでいます。なんとなく既読のような気がしていましたが、まったく記憶なし。

フランス西南部。初代の土着豪族フーコー殿がラ・ロシュ(岩の意)に城砦を築き、付近に勢力を伸ばすあたりから始まって、やがて跡取りがフランソワを襲名するようになる。ちなみに語り手はフランソワ六世です。ラ・ロシュフーコー公爵フランソワ六世。

ずーっと代々フランソワが続いて、カトリックとプロテスタントの泥沼抗争。いまようやくリシュリューが登場したあたりです。三銃士も参戦したラ・ロシェル包囲戦も勝利。このあたりで確かミラディが毒ワインを送ったのかな。そんなエピソードがあったような。

サーッと読めば読めそうですが、夕食前のひととき、なるべくゆっくりページをめくっています。新しいページを繰るたびにパリッとかすかな音がする。至福の時間ですね。

dokuzetsuka.jpg★ 中央公論新社

幕末から明治にかけて生きた不器用な旗本、大谷木醇堂という人のお話。なまじ多少の能力があったのに不運にも(と本人は思い込んでいる)まったく出世できず、ウジウジ文句たれつづけ。嫉妬と偏見に満ちた膨大なメモを残した。実在の人物らしいです。

レンズが歪んでいるだけに人物評はかえって面白い・・・はずなんですが、あまりにも偏っているため、読むのかちょっと辛い。ま、こんな人がいたと知っただけでもヨシとすべきか。



もうひとつ。

「教科書には出てこない江戸時代 将軍・武士たちの実像」山本博文
★ 東京書籍
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山本博文センセのウンチクものですが、こっちもあんまり感心せず。ちょっと内容が陳腐すぎたせいでしょうか。将軍の暮らし/大奥の暮らし/武士の出世/天皇と公家の暮らし・・とあるんですが、あまり楽しめなかったです。

そうそう。江戸時代の「勘定奉行」ってのは、現代人が想像するほどたいした役ではなかった。したがってヘボ作家が書くような、たとえば五千石の旗本が勘定奉行の地位を狙って暗躍・・というような筋書きは不可能。そんな格下の地位を画策するなんてことはありえない・・だそうです。要するに幕府の役職ってのは地位が低くて有能な連中のためのものだった。

wikiで調べてみたら、いわゆる「大身の旗本」ってのは、二千石、三千石クラス以上だったみたいですね。五千石の旗本だったらもう大いばり。ほとんど大名に近い。


関白は小田原攻めを開始。伊達家は抵抗か参陣かで揺れています。だいたい若手は徹底抗戦派、年寄り組は降参派ですね。別の表現をすると主君か御家か、政宗か伊達家かという選択です。

こうしたユラユラ・モヤモヤだけで45分。でもしっかり見応えがありました。役者さんが揃っていないと無理ですね。その前にしっかり書き込まれた脚本が必要か。最上へ相談にいったお東と義光だけの芝居でも10分くらいはあったんじゃないでしょうか。そう簡単に説得されたりはしないんです。

雪深い最上の屋敷内で小さな火鉢を間に原田芳雄と岩下志麻だけの演技、これが兄妹なのか、恋人同士なのかもわからなくなる濃密な空気。まるでこれから道行という雰囲気です。

設定として、あくまで母親は政宗を彼女なりに愛しているという点が素晴らしい。単純に憎みあっているわけじゃないんです。ま、母親としてはどっちかというと次男のほうが素直だし好いてはいるんですが。次男はもちろん可愛い。伊達家は大切。そこへ奸智の兄が蛇のように毒を吹き込む。だんだん修羅の道へ引きずりこまれていく岩下志摩。

dokuganryu2014.jpgたっぷり見せてくれた悲劇の前夜でした。うん、よかったよかった。


それにひきかえ・・

で、軍師官兵衛。うーん。こっちは言うてせんない話なんですが、悪口言いたくなってしまった。

題材はかなり魅力あるものなのに、惜しい。惜しいというより、イラッとしっぱなし。なんでなんだろ。

安国寺恵瓊に嘘をつかせ、隠居した吉川元春の元へズカズカと官兵衛がやってくる。こりゃありえない話です。嘘をついちゃいけない。非礼。元春も用心が足りない。

で、官兵衛が元春を説得(のつもりらしい)する。説得というより大声で恫喝に見えます。おまけに病のせいか元春がヨロッと転んだり。足の弱った主君の傍に近習や小姓はいないのか。そもそも家来はいるのか。

蜂須賀小六が死にます。臨終の床の周囲にはなぜか嫁にやった娘と嫁入り先の姑と官兵衛。長政もいたかな。とにかく黒田関係者が勢ぞろい。小六の奥さん兄弟縁戚子供などなどは何しているんだろう。おけまに秀吉までもが供も連れずに急にのしのしとやってきて、遺骸の上に仁王立ちして横っ面叩き。当時の秀吉はもう関白ですよね。関白殿下が臣下の屋敷へ御成りになるのに、先触れもない。

えーと、大坂城ですか。迷路のような廊下を長政の若い嫁がフラフラ歩いていて、開けっ放しの衣裳部屋(?)に闖入。それとも居室なのかな。侍女の案内なしというはずもないし、しっかりもの(のはずの)長政妻女まで一緒なのに。で、その部屋の主らしい若い女(茶々)にろくな挨拶もしない。

吉川元春が死にます。ここではさすがに身内が何人かいるようですが、なぜか異分子の官兵衛も偉そうに座っている。おまけに元春が息を引き取ると、ろくな挨拶もしないで冷たく立ち去る。

目上の人の前では「身を低くする」という礼儀常識が全体に欠如しているんでしょうか。上から睨みつけて、つばを飛ばして怒鳴ったら決闘でしょう。あるいは臣下の臨終の席に関白殿下が闖入してきたら(ありえないけど)、他の連中はとうぜん恐懼してスペースをつくり、平伏(せめて頭を下げるとかて)するのが自然でしょうね。しかし誰も動かずスペースがないので、秀吉は布団の端を踏みながら近づいていました。布団の上を歩いちゃいけません。

そういう演出をしたからといって経費がかかるわけではなし、単に演出がサボっているだけ。あるいは常識がないのか。敢えてやっているとも思えないし。

同じようなヘンテコリンは朝の連ドラでもしょっちゅうあります。というか最初から最後までヘンテコストーリーだけど、朝ドラはしょせん学芸会。そう思っているから(好かんけど)腹はたたない。

大河ドラマ。せっかくいい役者を使い、けっこうな予算も使っているはずだから、惜しい。「軍師」というなら九州攻めなんて諜報調略、官兵衛の腕の見せ所だと思うんですが、視聴者に見えたのは死にそうな吉川爺さんを挑発恫喝したことだけです。軍師が(恵瓊坊主もそうですが)戦いでもないのに座敷内でやたら鎧を着込んでいるのも不自然でたまりません。ユニフォームなんですかね。

もったいないなあ。

来年の松陰の妹が完全な青春群像ドラマになるのなら、それもよし。あるいはその次の真田丸がコミック味付けの歴史ドラマならそれもまたよし。なんにしろドラマの方針をきちっと定めてほしい。重厚演技なのに中身がカラッポという大河だけは困惑します。最近数年ずーっとそうですが、意味もなく主人公ヨイショ(ただしセリフだけ)という脚本はさすがに閉口です。

ずっーと前に読んで、かなり面白い本だった記憶あり。

先日ダルタニアン物語(二十年後かな)をパラパラ再読していて、修道院に潜り込んだアラミス探しのストーリー中、ロングヴィル夫人にからんで登場する貴人がマルシャック公、つまり若き日の・ロシュフーコー公爵だと知りました。そうだったのか。そこではるか昔の「ラ・ロシュフーコー公爵傳説」のことを思い出した。

Rochefoucauld.jpgというようなややこしい次第で、要するに再読しようかと思った。ところがあいにく図書館に置いてない。

で、そのうち気がむいてアマゾンを検索してみたら在庫がありました。単行本ではなく文庫で957円。
買うしかないですね。クリックして翌々日に到着。まだ1ページも開いていません。もうすこし涼しくなったら読んでみますか。堀田善衛の本は、暑さにだらけて読もうと思っても無理。あるていど背筋を伸ばしてでないと読めません。

いよいよ決戦。奥州の覇者にならんとする政宗は、どうしても目障りな芦名勢を破る必要がある。その決戦、あんまり詳細部分はわかりませんでしたが、ま、芦名の当主がまだ若く、連合軍の結束が堅くなかった。で、裏切りをキッカケにして総崩れ。

破れた芦名が城を逃れる場面で、兵士たちに混じって女中たちも必死で走っていたのは珍しいです。置いていかれたら最後。そりゃ足弱とはいえ命をかけて必死に逃げます。ただ、あんまりドラマでは見ないシーンですね。悲惨になってしまう。

ここにいたるまでのあちこちの戦いでも、たぶん政宗はけっこう「なで斬り」を実行していたと思うのですが、それを強調しすぎると政宗が英雄ではなく鬼になってしまう。かなり省略してるんでしょう。

そうそう。最上の義光アニキが例によって立て膝スタイルで、妹にゴソゴソ入れ知恵してました。こんなんじゃ、秀吉に睨まれるぞ。気をつけろ。お東様も何か心するところがあったような様子ですね。これが毒饅頭(?)につながりそうです。

dokuganryu2014.jpgてなことで政宗はめでたく勝利して、米沢から会津黒川城に入りました。井の中の蛙とはいえ最高のいい気分です。井戸の外がどんな状況か。ちょっと心配で恐いけど、ま、まだ余裕はあるだろ。目をつむっておこうぞとタカをくくってます。

考えてみると伊達政宗、ずーっとタカをくくりっぱなしの前半生ですね。当時の言葉だと「横着」とでもいうんでしょうか。静かにしていたほうがいいと知ってはいても、目の前に機会があるとつい手を出してしまう。今回の惣無事令違反にしても、小田原遅参にしても、上杉や南部との間のゴタゴタにしても、とにかく欲が先に立つ。

それなのに始末もされず、危険な軽業しながらずーっと生き長らえた。生き残るっても英雄の条件ですわな。

追記
仏間(?)にあつまって心配げな米沢の女衆。そこへ勝利の知らせが届いて大喜び。戦闘の背景として、こういうシーンもいいですね。オチャコがどさくさに紛れて吉報の使者(前に縁談のアレではないよね)にとびついたのはサービスで笑えました。


NHKスペシャル。再放送があったので録画。こうした番組、気が重いですが、でも縁があったらやはり見ておかないといけない。

うーむ。ペリリューという島、知りませんでした。ま、もともと大戦についての知識がたいしてあるわけでもない。ポツダム宣言受諾後の千島占守島の戦闘だって、ほんの数年前、浅田次郎の小説を読むまで知りませんでした。やっぱ、ソ連ってのは好かん国です。

親戚にシベリア抑留者はいなかったけど、子供の頃はラジオから流れる舞鶴帰還者情報をよく聞きました。細かいことは理解していませんでしたが、厳粛に聞くべきものという程度の感覚はあった気がします。同じように李承晩ラインでの漁船拿捕関連ニュースなどもよく流れていましたね。

で、今回のペリリュー戦。兵士の狂気とか戦闘の悲惨さ、作戦の無意味さなどはともかく、純粋に知らなかったことが二つ。ひとつは、万歳突撃をしなかったこと。そしてこれを契機にして米軍の戦闘方法が変化したこと。火炎放射器とかナパーム弾なんかを多量に使用する、いわば害虫ローラー駆除方式です。硫黄島や沖縄戦につながった。

ちょっと恥ずかしいですが火炎放射器の射程距離。ずーっと15mとか20m程度と思い込んでいました。そうか、100m先の洞窟に放射できたのか。凶悪、最強。完全に安全地帯から炎の放水・・・じゃなくて放炎。焼き殺される兵士たちが人間ではなく、いっそうゴギブリのように見えてくる。1万人の関東軍精鋭部隊はほぼ全滅し、最後まで戦い続けた兵士は34名(昭和22年まで戦った)。Wikiによると捕虜の数も202名。負傷とか昏倒で捕虜というのもあるはずで、べらぼうに少ないです。

これでもかなり抑えた放映内容なんでしょうね。気分は悪いですが、でも見ておいてよかったです。

★★★ 連合出版
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高島俊男のシリーズ、別巻6。

この人の文章は非常に好きです。叙述が非常に論理的。明晰というんでしょうか。ただし親切すぎるくらい懇切に書くので、こんなに書き込んでいたら進めないだろうと心配するほど。

で、司馬の話は冒頭の数章だけです。儒教文化圏の仕組みとかなんとか、司馬さんのエッセイをとりあげて説明している。ま、たしかに儒教=贈り物文化=収賄文化。これが悪いかどうかというと、なんともいえない。そういう社会の仕組みがあったっていいじゃないか。

ちょっとおかしかったのは、日本においては儒教=儒家が力をもち得なかったということ。儒教儒家が本当に力をもっていたのは戦国とか春秋の時代であって、それ以降はどんどん形骸化している。尻つぼみ。

したがって日本の儒家なんてのは、大昔の外国の形骸の尻尾をあーだこうだ言って飯を食っている連中にすぎない。だから日本の社会システムに浸透することがなかったし、儒家がいくら偉そうにしていても大きな害をなすこともなかった。これにくらべると数は非常に少数だけど国学のほうはいろいろ影響を及ぼして始末が悪い。

で、例によって(筆を控えればいいのに)小学館の姿勢とか河出(新潮社だっかたかな)の翻訳とかを苛めている。これを続けるからお金に縁がないんでしょうね。読む方は面白いけど。

後半は珍しく中国の作家について詳しく書いています。たしかに中国において良心的な作家として生き続けるのは大変なんだろうなあ。


なんとかイーリアスを読了。読了なんて言葉を使うのが不遜なくらいの飛ばし読みです。

chikuma01.jpg意外なことに、アキレウスがヘクトールの遺骸(さんざん引きずりまわしたけど傷はなし)を返し、トロイ側が悲しみながら火葬するところで終わってるんですね。したがってアキレウスの死は描かれないまま終了

ついでに次のオデュッセイアも冒頭を少し読みかけてみましたが、こっちは息子のテレマコスが父オデュッセウスを探す旅から始まっている。いきなりオデュッセウスの章ではないんです。意外でした。

このテレマコスの旅、実はアテナ神がずーっとサポートしている。かなりの依怙贔屓です。ま、オデュッセウスの放浪というのも海神ポセイドンの怒りが原因ですからね。トロイ戦争もオデュッセウスの放浪も、すべての原因は神々にある。

そうそう。トロイ戦で神々がそれぞれ人間に贔屓することは知ってましたが、ちょっとズルしすぎの感あり。怯えている武将にむりやり勇気を吹き込んで(結果的に)殺したり、贔屓が危なくなるとすぐ靄かなんかでかこんで安全地帯へ飛ばしてしまう。フェアーじゃないです。

神様同士の集団直接対決なんかもあったんですね。色気だけで喧嘩には弱いアフロディテがぶっ倒されたり、嫌われものの戦神アレスも傷つけられたり。傷つけられるとすぐゼウスのとこに駆けつけて泣き言をいう。それを聞いてゼウスはけっこう楽しんだり。

困ったもんです。人間たちは神様同士が対戦する壮大なチェスの駒。駒に自由意志はありません。駆り出されて戦って、あっさり死んでいく。ま、そういう趣旨というかテーマのお話なんでしょう、きっと。

本筋に関係ないですが、こうした神様たち、どれぐらいのサイズが本性だったんでしょう。もちん変幻自在でしょしが、だれかが倒れた箇所で「三町にわたって倒れ・・」とかいう表現もあった気がする。すると巨大ウルトラマン・サイズだったのかもしれません。ウルトラマン・サイズのアフロディテが色っぽいかどうかも問題ですが。


追記
再確認してないので自信ありませんが、呉茂一訳の「三町」は土井晩翆訳で「七ペレトラ」のようです。「ペレトラ」をネットで検索したけどヒットなし。古代ギリシャの面積の単位なんでしょうか。


何が移動したの?というタイトルでしたが、要するに延々太平洋まで行って波遊びをした。それから南下し(これは陽動)、急に引き返して猪苗代へ。ま、そいういうことだったみたい。

細かいことですが、はしゃいで海に入った政宗主従、あとできちんと濡れた太刀の手入れをしたかな。「え? 海の水って、錆びるのか・・」と後悔したような気がします。

ま、それはともかく。馬から落ちて落馬(あんまり上手な演技ではなかった)した政宗はフラストレーション溜まりっぱなし。当時のことですから、必ず完治すると決まったわけでもないんでしょうね。複雑骨折だったかもしれないし、無理に動かすと化膿したり。たしか頼朝も死因は落馬でした。

で、仕方なくチマキのヤケ食いしたり、保養リゾート行って猫御前といっしょに温泉でキャーキャー騒いだり。NHKでこういう混浴シーン、あまり見た記憶がないです。転んだ政宗を助けに温泉に飛び込んだ家来が猫の裸身を見てしまって動揺とか、けっこうチープに笑わせてくれました。

dokuganryu2014.jpgそれにしても寺田農の大内定綱、あいかわらずいい味。政宗のドジ落馬でスケジュールが狂って困った様子とか、ちょっと呆れた感じとか、口をゆがめてうーんと唸る。主君が失敗すると家来が苦労する。これはしたり、それにしても馬でしくじられるとは・・

スロットカバーというのかブラケットカバーというのか、筐体裏側の細長い板パーツが3枚ほど足りません。なぜ足りなくなったのかは不明。たぶん10年前ほど、使っていたPCI用のなんかのボードを捨てたら、代わりに塞ぐ用のカバーが発見できず、穴があいてしまうことに気がついた。

仕方ないです。穴にはボール紙を当てて、ガムテープで固定。ま、十分役にはたちます。ただし、かなりみっともないです。

slotcover.jpgスロットカバーなんてあってもなくてもいいんですよね。人によっては「ないと正しい空冷の流れが乱れる」とかも言います。でも逆に考えればあちこちから冷たい空気が流入して、かえっていいんじゃないかとも言える。

PC店に行ったときはちょろっと見るようにしてましたが、これが案外高い。たかが単純形態の板数枚なのに何故か800円とか1000円とか。高すぎる!と却下。どういう基準なのか不明ですが、なんとなく「高い」「安い」の基準が自分のなかにあるらしい。

で、先日薬をもらいにクリニックへ行ったら盆休みでシャッターが閉まっている。あらま。誤算。次の予定までたっぷり時間があるので、仕方なく吉祥寺でわざわざ降りてヨドバシをのぞいてみました。ヨドバシならウロウロするだけで30分や1時間は使えます。で、パーツ売り場を見たら、けっこう厚手のものが6枚で477円。メーカーはainexかな。PA-010という型番です。ま、いいかと購入。

いつという予定もありませんが、こんど筐体を開けたときに付けるつもりです。そういえば、このところ筐体を開けてないなあ。かなりホコリが溜まっているかも。

★★ 出版芸術社
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こんなSF全集が出てたんですね。出版芸術社という版元は知りませんでした。

中身は1980年前後のSF短編集で15~16本を集録。知っているのは新井素子、夢枕獏、高千穂遙、栗本薫、大原まり子などなどかな。田中芳樹、式貴士、岬兄悟、水見稜、火浦功、 野阿梓、菊地秀行などはまったく未読。若い頃からSFは大好きで東京創元社やハヤカワ、数百冊は読んでいたはずですが、この1980年付近からだんだん肌合いが合わなくなって遠ざかった。そうした個人的には「合わない」時代の作品集です。

この中で数冊以上読んだことのあるのは大原まり子くらいでしょうか。この人の雰囲気だけはけっこう気に入っていた記憶があります。なんかをタイトルにしたものとか、シノハラ・コンツェルンものとか。新井素子は吾妻ひでおとの合作ものだけ面白く読みました。愛の交換日記か。

それにしても、後書きにも書かれてますが、新井素子処女作(?)の「あたしの中の......」、よくまあこんな作品が賞をとった。星新一が強く押したということですが。時代なんだろうなあ。そうそう、未読だった大原まり子の「銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ」も、あまり感動しませんでした。


マウスを買いに駅前まで出てみましたが、あいにく並べてあるのはエレコムとバッファローだけ。バッファローもマウスを売ってるんだ。

sanwamouse2014.jpgエレコムでも問題ないものの、前に使っていたエレコムの中型マウスはちょっとクリックが重かった。印象は軽そうなんですけどね、実際に使っているとけっこう指先に力が必要で疲れる。買う前に試してみたいと思ったけど、あいにくこの売り場(ヤマダ)は試用マウスの陳列がない。うーん・・。

帰宅してアマゾンで調べたら、いままで使用のSANWA MA-118Hシリーズがありました。価格は1354円。これっぽっちを宅配してもらうことに少し罪悪感がありましたが、色違いを注文しました。さして素晴らしいマウスではありません。でも手に慣れている。それが一番。また太めの被覆コードなので耐久性に安心感がある。はい。これでまた数年は持つでしょう。

常用のFirefox、デスクトップに置いたショートカットをダブルクリックすると、なぜかウィンドウが2枚立ち上がるようになった。クリックの間隔が問題なのかな。設定を変更してみたが改善されず。

他のブラウザはどうだろうと、IEを立ち上げてみても、やはり2回に1回くらいは同じページが2枚開く。うーん。ドライバーがおかしくなったのか。再インストール。

そのうち立ち上げだけでなく、リンクを開いた際にも、異なるページが2枚開いたりする。

さすがにここまで来ると、マウスそのものが故障した可能性に思い当たりました。チャタリングとかいうらしいですね。クリックしたとき接触が誤作動する。で、論より証拠。古いElecomのマウス(写真右)に差し替えてみると、なるほど、直ったようです。うん。なんか最近、こうしたときのカンが働かなくなったような気がする。トシかな。

sanwamouse.jpgSANWA MA-118HBKV (写真左)、ついにダメになった。へんなパープルカラーのごつい代物で、なんというかブサ可愛いというか、けっこう気に入っていたんですが。調べてみたら2011年11月購入。3年弱の使用です。壊れても仕方ないわな。

また駅前の電器店にでもいって、何か買ってきますか。有線マウスならたぶん2000円程度で買えるでしょう。ほんとうは評判のいいロジクールかなんかにしたいのですが、なぜか縁がなくて、ずーっとサンワが多かった。今度はどうしようかな。

PCの近くに扇風機を置いてあります。で、せっせと首を振っている。その首振り機構のアブラが足りないのか、首振り往復のたびに「カシャ」と鳴ることに気がつきました。え、もしや。

鳴っていたのはHDDではなく、扇風機だったのかもしれない。で、その扇風機を止めてみると、なんか「HDDの異音」も止まったよう気がする。うーん、そうであってほしい。

まだ確信は持てませんが、ひょっとしたら大丈夫かな。

まったく別件ですが、扇風機の首振り。たぶん120度くらいの範囲に首を振って風を送ります。これ、我が家の環境からすると幅が広すぎるんですよね。なんとか60度とか90度くらいの狭い範囲にできないかと(実はずーっと以前から)思っているんですが、そういう機能をもった扇風機、これまで見たことなし。角度変更可能になると設計が難しいのかな。

で、念のため、ネットでも調べてみると・・・あら、あらら、あるんだ。最近は自由首振りなんて機種が発売されてる。ようやくそういう時代になったか。ひぇー・・・。ウラシマみたいな心境です。

あいかわらず四方八方に敵を作って戦っている政宗、とりあえず南の芦名連合と相対しているもののかなりの劣勢です。ほんとうは撤退したほうがいいんだけど。

で、なんとか北の最上と和睦ができないかと思案。最上と休戦協定をむすべれば、引き当てていた兵を南に振り向けることもできる。うん、いい考えだ。

で、母親に調停を依頼します。頼まれたお東さま、ホクホクお喜び。息子と実家は仲良くしてもらわないとね。

以後は伊達と最上の和睦交渉ですが、いやー、これもよかった。すんなりは決まりません。両方の思惑があるんで押したり引いたりこじれたり。軍師がのりこんで「天下のためですぞ」とか殺し文句で恫喝するとすぐ納得する最近とは違います。

お東さまと義光、妹と兄の話し合いもなかなかでした。こっちも恫喝したりおだてたり理屈をたてたり泣き落としに出たり。交渉ごとって、そう簡単に決まるもんじゃないですよね。

そうそう。湯浴みの最中の刺客。駆けつけた小姓役の少年(文七郎?)がマゴマゴしてるのがリアルでしたね。刺客を切ろうとしてるんだけど、殿と敵が格闘してるんで体がすぐ入れ代わって決心できない。下手にやると殿を切ってしまいそうで・・。役に立たなくて、よかったです。

dokuganryu2014.jpg最後。捕虜の泉田重光引き渡しのシーンも良質。両軍がきちんと礼儀を守っていて、なおかつしっかり用心を怠らない。最上の使者団が去りぎわに立ち止まって、きちんと立礼したのもよござんした。そもそも礼儀って、こうした(基本的に仲よくない)人や集団の間の安全保障行動プロトコルなんでしょうね。礼を守っている人を侮辱したり殺したりするのは最悪。爪弾きになったんでしょう、きっと。

★★ 筑摩書房
chikuma01.jpg
昔懐かしい筑摩の三段組全集です。けっこう読まれているらしくボロボロ。

うーん。それにしても三段組ってのは活字も小さいし非常に読みにくいです。こんなのを若いころは次から次へと必死に読んでたのか。目が悪くなるはずだ。

この巻はイーリアスオデュッセイアを集録。両方入ってしまうんだ。よく知りませんが訳者は呉茂一という人。もちろん韻文ではなく、散文の形をとっていますが、たぶん語順なんかはかなり元の調子を残しているんじゃないかな。したがって完全な散文のつもりで読むと、けっこう戸惑います。

また訳文がかなりくだけていて俗語感覚ですね。神々や武将の会話にしても、どっちかというと長屋の住人の会話みたいな感じ。重々しくて高尚というものではないです。かといって土井晩翆訳になると急に

 その進言に從ひてアガメムノーン統帥は、
 直ちに音吐朗々の令使に命じ、長髮の
 アカイア族を戰鬪に皆悉く招かしむ。
てな調子になる。これはこれで大変です。

ということで読み始めましたが、なかなか進みません。

で、途中ながらいろいろ感想です。

イーリアスの武将たちの戦いというのは、なんといいますか名誉をかけた部分もあるんでしょうが、どっちかというと財宝の奪い合いでもある。相手を殺したらすかさず鎧をはいで、それを部下にひかせた荷車にほうりこむ。そういう習慣文化だったんでしょう。鎧や金銀青銅の品々を奪う。女を奪う。羊や牛を奪う。そのために敵の男を殺す。集団強盗ですね。

ま、欲の皮のつっぱった王侯貴族がせっせと戦利品を奪うのはまだしも(そもそも戦争の目的の90%くらいは戦利品目当て)、戦いに参加した軍神アレースまでが倒した武将の鎧を必死ではごうとするのには驚きます。モノに不足してない神なのになんでじゃ。殺す=奪う。二つの行動が完全リンクなんでしょうか。高価そうな鎧を着た敵が目の前に倒れているのに、そのまま放置するなんてとんでもない。

まだよく理解できていませんが、当時の主要な武器は何だったのか。トネリコの槍がいちばん出てきますが、これは投げ槍なのか手槍なのか。印象としては両方に使い分けているような感じです。で、槍を投げて相手が倒れると倒れたのに足をかけて槍をグイッとひっこぬいて回収。そりゃ手持ちの槍の本数には限りがありまさな。

あと、剣も出てきますが、どうもこれは切るとか突くというよりぶっ叩くもののような気配がある。頭をゴーンと叩くわけです。青銅の剣だから、当たりどころが悪いと壊れたりもする。弓も使っていますが、これは鎧のすき間を上手に射ないと効果ないのかな。

そうそう。石も出てきますね。でっかい石を敵に投げつける。いったいどの程度の距離感で戦っていたんだろ。せいぜい数メートルという雰囲気です。よいしょ!と石を拾って、えいや!と投げる。のろ臭い戦闘です。

で、英雄たちの戦いだから、主要な武将以外の兵士たちがどんな戦をしたかはまったく不明。なーんもしていないような印象です。


ふー、暑い。

PCも暑さに弱いのか、HDDから異音が聞こえ出しました。クシャン、あるいはコロロンというような音。数分置きに、思いだしたように鳴る。あらら。そろそろ寿命がきたかな。

いま使っているのはSeagateのST3500418AS(500G)。なぜか同モデルを2つ使っていて、片方は2011年の5月、もう片方は2010年の7月。それぞれ3年強、4年強ですか。どっちがおかしくなったんだろ。バックアップ用に使用の古いほうがダメになったのなら分かりやすいですが、そうとは限らない。

しっかりバックアップはしているので、どちらか片方が壊れても大問題ににはなりません。しかしそういう事態なら代わりのHDDをあらかじめ探しておくか。容量は現状の倍なら1Tかな。2Tとか3Tにする理由もなし。なんか最近はWDのほうが評判いいようですが、えーと・・・

seagate_st.jpgなるほど、
ちょっと古い青モデルのWD10EZEX (1TB)が6024円。
比較的新しい黒モデルWD1003FZEX (1TB)が7960円。

けっこう高いなあ。昔はもっと安かったよな・・とメモを調べたら4年前は500Gで4380円、3年前は3680円。ひぇー、倍ちかいじゃないか。

円が安くなっていることもあるんだろうけど、それにしても高い。うーん・・と躊躇黙考しております。CrystalDiskInfoでは、まだ異常は出ていません。

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