2016年12月アーカイブ

なにをトチ狂ったのか、ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を借り出してしまった。図書館入り口正面の「新刊本」の棚に入っていたのでついパクッと手を出してしまった。

例の柳瀬尚紀の訳です。予備知識なしに読み始めると「こりゃ何だ?」の感しきり。まだ数ページしか読んでいませんが、何がなにやら訳ワカメの雰囲気です。最初の章題は「テレマコス」なんで、これってオデュッセウスの息子ですよね。いつ出てくるのかな?と思っていますが、それらしいのが出るやら出ないやら。

ulysscs1-12.jpgせっかくの正月だし、しばらく辛抱してみるか。ちなみにジョイスは一冊も読んだことがありません。蛇足ですがプルーストも大昔に手を出して3分の1くらいで挫折。有名どころではトーマス・マンも機会がなかった。縁のなかった作家はたくさんいます。

もうすぐ2016年も暮れます。

この回顧記事、もう何年続いたか。たいした意味もない代物ですが、後になるとけっこう役にたちます。そうか、あの年はあんなことがあったのか・・。減退する記憶の補助メモですね。

今年はよく言えば平穏無事、これといった出来事もない1年だった気がします。沈香も焚かず屁もひらず。 確実に歳をとり、体力が衰え、何かしようとする気力もなくなる。エントリーを振り返ってみますか。


2月の上野

heibayo.jpgまだ風寒い2月、上野で始皇帝兵馬俑を見てきました。展示そのものも悪くはなかったのですが、月日がたつと、あまり覚えていない。それより公園の入り口付近で見かけたペラペラ服の寒々しい雑技団のほうの印象が強かったりして。

展示スペースには、たぶんレプリカでしょうが弩弓の展示もあって、思いの外に威力がありそうでしたね。かなりゴツくて大きい。こんなんでズバッと射られたらそりゃ恐いでしょ。下手な鎧を着ていても簡単に突き抜けそうでした。こういう弩級を持った兵士が肩をならべて何千何万もドスドス進軍してきたら、かなり迫力がある。

兵士たちの顔もいろいろで、かなり西域の血が入っている印象でした。秦という国、中華文明の中心から遠く、かなり外域にあった新興地域だったんでしょうね。

たしか帰りにウナギを食べたような気がします。浅田次郎「黒書院の六兵衛」に出てくる池之端の伊豆栄。ん?違ったかな。別の日だったかも。するとこの日はどこで何を食べたんだったか。忘却。


ガラケー P-01Hに機種変更

p-01h.jpg10年以上使ったケータイ(n700i)を機種変更しました。古いガラケーで不自由はなかったんですが、バッテリーが劣化したらしく、ちょっと長く話すとすぐ切れるようになった。充電用のACアダプタも被覆コードがボロボロになって、おまけに調べてみると、どうも各社ガラケー生産が終わりにさしかかっているらしい。ガラケーは終了、みんなスマホに買い換えてね!という時代になった。

本当はスマホにしてもいいんですけどね。ネックは料金体系です。老眼でせっせとネット見ようとも思っていないし、小さな画面のゲームにも興味はない。ゲームするんなら大画面、高画質のPCに限る。普段は通話とメール程度で十分というユーザにとって、スマホ料金は論外ですね。おまけにバッテリーは持たないらしいし。

ということで、延命のためあわててガラケーを買いました。パナのP-01Hという機種。いまのところ満足しています。いちばん安い「シンプルバリュー」で契約したため、先日確認してみたところ月額500円程度。大正解です。壊れるなよ。一生持たせる予定なんだから。最近何か買うと、いつも「一生もの」と思ってしまう。


ノートをSSD換装

sandisc2016.jpg家人が使っている2010年もののVaioノート。CPUはCeleron P4500で、かなり遅い。たまに使ってみると反応が重くてウンザリします。

思い立って、内蔵HDDをSSDに交換しました。SanDisk SSD PLUSという代物で容量は120GB。5000円弱。安くなったものです。他人のPCなんで、さして思い悩むとことなく、さっさと購入。ついでにTeamのPC3-8500 SO-DIMMメモリ(奮発して4GBの2枚セットで4980円)も入れました。

これは大正解でしたね。かなり軽く、速くなった。快速!とまではいきませんが、少なくとも使っていて苦痛ではない。すっかり気をよくしてその後もネットを調べてみると、500GクラスのSSDが1万円台で買えるようになっているんですね。うんうん。そのうち、自分のデスクトップも大容量SSD化するか。現状128GのSSDでも問題ないんですが、いつかそのうち。きっと。



Windows Updateは大仕事

PCのハードを交換するのは難しくないんですが、いちばんの難関はOSの再イントスール。いえ、実はインストールもたいして手間はかかりません。その後の追加アップデートがえらく大変になるのが困る。
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サービスパック(SP1だったか。保存してある)も無事入れ終えた段階で、更にアップデートしなければならないプログラム数は膨大。で、ご存じの方はご存じでしょうが、これが遅々として進みません。ほんと、進まない。1日バックグラウンドで動かしても1本か2本入るだけ。マイクロソフトが完全に手抜きしている。ふんとに。

ネットをいろいろ調べて、その時点で最新のインストーラだけをまず先に更新という方法を発見しました。。インストーラを最新にしてから「更新プログラムの確認」すると172本だったかな。これを数回に分けてダウンロード&インストール。なかなかに難作業でした。もう二度としたくない。これに懲りて、アップデートしたシステムはしっかり「イメージバックアップ」とることにしています。Windows7はこれからマイクロソフトがあまり面倒見てくれないはずなので、今後はすべて自力自助。時代が変わったんですね。

それにしてもこれからのOSはどうなるんだろ。たぶん「OSがどうのこうの」と文句たれるようなユーザは見捨てられる。なーんも考えず「Windows10を入れてMSが好き勝手にアップデートするのが当然でしょ」という環境になるんでしょうね。
 


多摩湖まで歩きました


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連休。家人(と娘)の発案で、なぜか健康的に歩きました。花小金井から多摩湖まで。ひたすら直線道路で、多摩湖自転車道というらしい。たいした距離ではないんですが、ふだん体を使わない生活なのでかなり疲れました。

途中の線路沿い、狭い帯状の土地を近所の人が勝手に自家菜園にしているらしい。土地が空いてるんだから当然ですね。国か都か市の「禁止!」の立派な看板がズラズラ設置されていますが、もちろん誰も気にしない。看板の設置費用だけでけっこうな予算だっただろうな。いかにもお役所仕事。

考えてみると多摩湖(村山貯水池)、見るのは初めてです。志村けんの「東村山音頭」だったか。ひがし村山 庭先っきゃ多摩湖。東村山ってのも、どのへんか、実はよく知らない。たぶん来る途中で通過はしていたんだと思うけど。

たまに歩くのもいいものでした。



北陸新幹線で金沢・北陸へ

eiheiji2016.jpg新幹線で金沢・北陸へ。山中温泉で「新幹線開通から日もたったし観光客も落ち着いてきたでしょ」と聞いたら、とんでもないと一蹴。日本人客も多いけど、某国から大挙して来ているらしい。宿屋の浴槽で会ったオヤジ(金沢在住)も「行儀が悪いんで困る」と大きな声で文句たれてました。なんせ店先に並べてあるバナナの皮を勝手に剥いたりするとか。そりゃ腹もたつ。

泊まったのは「蝴蝶」という宿屋。ちょっと古びたこじんまりした宿ですが、落ち着いていて食事が良かったです。スキヤキもシャヤシャブも出ない。もちろんトンカツもない。はて、肉を使った料理なんて、あったかなあ。

送迎バスの運ちゃんから「ドイツからきた家族客が、食べるものがない!と逃げ出した」という話も聞きました。そうだろうな。肉食い人種だったら「野菜だけじゃないか!と悲鳴をあげる。器に凝った田舎懐石みたいなメニューで、地味ですが美味しかったです。(加賀懐石と称しているらしい)


今年も恒例、昼食会


毎年のことですが、この秋にも兄弟の昼食会。出席者のうち半分以上が80代になりました。みんな元気だなあ。

いつも会場にしている都心のホテルバイキング、正直いってコストパフォーマンスはかなり劣化しています。最初の頃はさすがのサービスで、ちゃんとフロアマネジャーのような黒服がいて周囲に目をくばっていた。そのうちスタッフの数が減り、料理がなんとなく美味しくなくなり(もちろん不味くはない)、料金だけは少しずつ高くなっている気がする。

いつの頃からかワインリストを要求すると「え?」という顔をされたりするようになっている。昼食バイキングでワインリスト?という反応。客層も変化していて、あまりいないのかな。

今回なんかは、フロアの担当の女性が必死に動いているのがわかるけど、どうにも間に合わないです。客の数に対してスタッフが少なすぎるんでしょうね。コーヒーが遅れたりいつまでたっても来なかったり。ま、ベテランがどんどん引き抜かれているんでしょう。時代の流れ。仕方ない。

でも長老たちからすると、それでも有名ホテルには価値がある。いまさら他のホテルに変更もできないでしょう。年に一回、あのホテルでみんなの顔を見て話をして食事する。それが価値です。あと何年続けられるか。

そうそう。姉から聞いた話では、孫娘の一人が高知で地域おこし協力隊のような仕事をしているらしい。もちろん収入は超安いんでしょうが、田舎だからなんとかなる。へぇーと興味を持ってネットで探したら、わな猟とか銃猟免許とか取得して、えらく元気にやっている様子。オッサンたちに連れられて山に入り、イノシシ獲ったり食ったり

いろんな子や孫がうまれる。いいことですね。拍手。



定期検診

きちんと健康診断を受けています。たいてい「要再検」とか「精密検査」の項目がありますが、あまり気にしていません。よほど悪い部分があれば強く言ってくるでしょう、きっと。

今回も前日に節制したせいか、中性脂肪値も控えめな数値でした。後日、行きつけの医院へ数値を持っていくと「少し下がってますね。お酒、ひかえているんですか」と言うんで「はい、前よりは減っています」。ま、嘘ではありません。だんだん飲めなくなっている。それで無罪放免。年があけたらまた採血するとか言うんで、直前になったら1日か2日はまた禁酒の予定。姑息。何やってんだか。

来年は思い切って、アレ、長年の悪習をやめるかなあ。まだ決心がついていないので公言はしません。うーん、と考えています。



真田丸が終わった

sanadamaru2.jpg終わりましたね。今回の大河はけっこう気に入って毎週みていました。下手すると土曜日にも再放送をまた見る。

三谷脚本なんで、ちょっとフザケが過ぎることがあるけど、ま、我慢の範囲です。少なくともストーリーがはっきりしていて、登場人物のキャラがしっかりしている。それだけでも得難いです。ほんと、ここ5年10年の大河ドラマ、脚本がどんどん劣化している。脚本家が育たないんでしょうか。民放でちょっと気の利いたトレンディドラマを書いた人が、いきなり大河を担当して大失敗する。歴史ものは難しいし、知識と愛情がないといけない。小手先のテクニックじゃ無理です。

ところで数週前からダウントンアビーがまた始まったので録画開始。たまに見ると人間関係がわからなくなるけど、貴族も下僕も顔つきが同じだからかな。下手すると下男のほうが堂々として上流階級の顔をしています。20世紀初頭という舞台設定なら、たぶんまだ階級によって体格や顔つき、話し方もかなり違っていたような気がするんですが。

大河も来年は柴咲コウで「おんな城主 直虎」だそうで、かなり期待薄。それでも最初の回くらいは見てみるつもりです。どうかな。


将棋のこと

今年も将棋竜王戦は渡辺明の防衛となりました。これで11期目かな。よかったね。また金が貯まる。

特に将棋が大好きというわけではないのですが、竜王戦はビッグタイトルだし、特に渡辺の竜王戦はヘボが見ていても面白いことが多いので、たいていは追っています。公開の特設サイト(それに対して名人戦は登録しないと見られない)で棋譜進行を眺めながら写真ブログをチェックし、手がなかなか進まないとき(1時間くらい進まないのはふつう)某大手掲示板でファンの書き込みを眺めて時間をつぶす。

ところが今年はダメでした。掲示板がちっとも楽しめない。だいたい渡辺ファンの書き込み、アンチ渡辺の書き込み、手筋予想やら批判やらの書き込み、渾然ゴチャゴチャになってスレが進むんですが、今年はひたすら例のスマホ問題の罵り合いばっかり。問題が発生してからもう2カ月近く経過しているのに、まだエネルギーが尽きないようで、ひたすら荒れまくっている。ほんと、うんざりしています。

と思っていたら暮れも押し迫って調査報告が出たようです。ザックリ言えば証拠不十分でシロ。ある程度予想された決着ですが、しかし外野はまだまだ大騒ぎ。今度は文句つけた側を処分しろとか何とか。ふんとにまあ。


最近のこと

来年は大台に乗ります。数えの古希はもう過ぎていますが、今は満年齢の時代なんで、ま、来年が一応の切り目ですか。

すべからく「欲望」が減少していますね。美味しいものを食べる、酒を飲む、そうした「何かしたい・・」というエネルギーのレベルが低下してきたような気がします。本来なら哀しいことのはずですが、それすらさほど感じない。枯れてきた、とでも言うんでしょうか。

何といってしたいこともないので、時間があくとひたすら本ばっかり読んでいますが、そもそもメガネが合わなくなってきた。10ページも活字を追うと疲労する。度の合ったのを新調しないといけないけど、うーん、面倒だ。ベランダの鉢植えも元気がなくなってきたのでそろそろ土を換えなきゃいけないんですが(数年前から気にかかっている)、それも決心がつかない。作業のために腰をかがめるとギクッと行きそうだし。

困ったもんだ。

こういう状態が「トシをとる」ということなんですね。来年も平穏な1年でありますように。

 

今年は雑読エントリー数が75。少ないです。★★★★評価なんてあったかな?と検索かけてみると、それでも一応はありました。えーと8冊ですか。ま、そんなもんでしょう。


「三四郎」 夏目漱石

sanshiro2016.jpgなんで読もうと思ったのやら。田舎青年が東京に出てきてマゴマゴする姿が楽しい。気負いやら気後れやら狼狽やら。青春小説ですね。そうそう、なぜか人気らしい「坊ちゃん」、こっちを青春小説と称するのは奇妙な気がします。ついでには言えば「心」もあまり感心しません。漱石らしくない。

ただ若い頃の読み方と年取ってからでは変わりますね。子供の頃は美禰子さんが神々しく映った気がします。落ち着きはらって胆がすわって、若い女とは思えない。小説なんだから当然、三四郎と美禰子は恋愛関係になるんだろうと思っていたら、あれれ、なんか変だなあ。

人生経験経てから読むと、なーんだ、若い三四郎はからかわれているんだ。からかうという言い方は少し違うかな。要するに美禰子に振り回されている。ただし美禰子が自覚して男どもを振り回しているとは限らない。天然自然、それが「女」なのかもしれない。三四郎がグイッと迫ったら、ひょっとしたらの可能性があったかもしれないし、ダメだったかもしれない。

野々宮さんの妹でしたっけ、頭の鉢の開いたよし子。どこにも美人と書かれていないし、よし子が三四郎に好意を持っているとも書かれていない。でも読んでいるほうとしては、勝手にそう受け取ってしまう。面白いものですね。こういう小説はやはり★★★★にするしかないです。



「醒めた炎 木戸孝允」村松 剛

sametahonoo2016.jpg久しぶりに全巻通して読みました。とにかくマメで気がついて親分肌で忙しい人だった。充実しているともいえるし、生き急ぎすぎたともいえる。享年45。イライラして胃を悪くして、たぶん怒り狂いながら死んだ。

何回も書いてますが、明治の最初の10年間、よくまあ国家の形を保てたものです。薩長の政治家・首脳はみんな若僧で思いつきで自分勝手に動き回って、よくまあ国が潰れなかった。酷税に苦しんだ国民、よくまあ我慢した。もちろん暴動や蜂起もあったようですが、組織だったものに発展しなかったのが不思議なくらいです。明治維新とこの明治初期、ものすごいラッキーに恵まれたんでしょう。

話は違いますが、最近は関ヶ原の勝敗も、どうも「運」の固まりだったような気がしてきました。事後評価としては西軍の戦意のなさとかグズグズぶりが強調されますが、双方の陣構え図をみると、どう考えたって家康が突出しすぎている。本陣のあった桃配山ってのは、常識外れに西に寄った場所なんです。わざわざ自分から袋のネズミになっている。ずーっと東の南宮山にいた毛利とか長宗我部なんかが、もし気を変えて(可能性は十分ある)その気になれば完全な包囲・殲滅戦になっていた。

ただ、実際にはそうならなかった。吉川広家は動かなかったし、広家が動かないので毛利秀元も山の上に留まっていた(宰相殿の空弁当)。気の利かない長宗我部もボーッとしていた。そして決断を伸ばしていた小早川も最終的には動いた。ま、そういうことです。結果的には「さすが神君」と家康は祭り上げられますが、本当はかなりヤケだったんじゃないか。イチかバチかの賭が当たった。

大きな戦とか国家運営とか、たまたまの偶然とかラッキーがあんがい大きな要素になるのかもしれないです。ユゴーのワーテルロー戦評価に通じますね。前日からの雨で砲車が動けなかった。援軍として駆けつけるべきグルーシー元帥が気の利かない男だった。気圧の具合でお腹の疥癬が悪化したウンヌン。


「大聖堂」レイモンド・カーヴァー


daiseido2016.jpg村上春樹がよくひきあいに出すレイモンド・カーヴァーの短編集です。

どういう筋でどういう内容・・と詳細を書いても仕方ないような作家ですね。ひたすら雰囲気だけで読ませる。これといってオチがあるわけでもないし、特に叙情的というものでもない。ほんと、説明しにくいです。そうそう、表題作の「大聖堂」は、あんまり好きになれませんでした。

ちなみに書かれている題材はほとんどがアル中、離婚、失業などなど。日常が少しずつ壊れていく。読後感は悪くないけど暗いです。4評価は甘くて、実質的には3と4の中間くらいかな。




「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」矢部宏治

nazekichito.jpg故ハマコーが喝破したように「アメリカ様に逆らえない」はなんとなくの常識ですが、では日本は米国の植民地なのか。そこまでではないにしても「準属国」なのか。

実際には、ことあるごとに米国や米軍が口出ししてくるわけではないようです。そこまでは露骨ではない。しかし「安保法体系」なるものが戦後の日本を支配してきたのは事実。具体的には日米安保とか地位協定とか密約とか、細かなことなら日米合同委員会とか、複雑に糸が張りめぐらされている。事実上、こうした「体系」に逆らうような動きは不可能なんだそうです。すべてが米国の強制ではなく、日本側からの追従・迎合も多い。

仮に政府の専断に怒った民間団体が訴訟を起こしても、政府は絶対に負けない。負けないような形が整っている。だから役人は強気で行動する。役人は負ける側には決して立ちません。おまけに司法は最終的に必ず味方をしてくれる(高度に政治的な事柄に司法は関与しないという最高裁判決がありますね)。そういう形を戦後数十年、しっかり作り上げてきた。なるほど、という説明でした。

ちなみに意外だったのは日本上空の管制権。けっこうなパーセンテージのルートが米軍専用で、日本の旅客機は立ち入り禁止(だから羽田発の航空機は海側に出て行く)。これは知っていましたが、本当は「米軍機は日本上空すべての飛行権をもつ」のだそうです。

ついでですが、米国が日本を守っていると考えるのもかなり甘い。どっちかというと「日本が敵対しないように監視している」というのが近いんじゃないだろうか。ちなみに国連には「敵対国条項」がいまだに残っているんだそうです。日本とドイツは敵対国。これがまた戦争を起こさないように監視するのが国連本来の役目でした。

「連合軍」はUnited Nations、「国連」もUnited Nations。つまり国際連合などど綺麗な言い方ではなく本当は「連合国連盟」とでも称したほうが実情に合っている。それなのに敵対国の尻尾を引きずっている日本が常任理事国になろうと運動しているらしい。奇妙な状況なんでしょうね。



「お言葉ですが別巻6 司馬さんの見た中国」高島俊男


okotobadesuga_b6.jpgこの人のはたいてい面白いですが、すぐ漢字やら言語の話になるのが困る。それが専門なんだから仕方ないですが、やはり漢字絡みの話になると内容がなかなかに難しい。その点、この別巻6は比較的読みやすいです。

高島俊男という人。とにかく「やりすぎでしょ」と心配になるぐらい権威を切りまくる御老人です。作家や評論家を叩く程度ならわかりますが、飯のタネである大手出版社まで攻撃する。そりゃ敬遠されるでしょうね。ただその切り方が痛快無比で遠慮がなく、ついニヤリと笑ってしまう。

この一冊もいろいろなテーマが盛り込まれていますが、たとえば日本で歴史を贋作というか、強い影響力、勝手なイメージを作り上げてしまった元凶は3つあり、日本外史、司馬遼太郎、NHK大河ドラマなんだそうです。これは非常に納得でした。

ついでですが、日本の「儒学」はいちおう幕府から公認厚遇されていたようですが、実際にはクソの役にもたたない。その代わり害毒ももたらさなかった。それに対して国学は一見マイナーふうなのに浸透力があった。困ったことになまじ影響力をもったために非常に害をなした。本居宣長とか平田篤胤一派でしょうね。これも非常に納得しました。



「戦争と平和」トルストイ

sensotoheiwa.jpgうーん、これを★★★以下にするわけにはいかないよなあ・・という理由で★4です。そこが「名作・古典」というもの。

それにしてもこの歳でよくまあ再読しようなんて考えた。同じような「名作」でも、たとえばば罪と罰をまた読もうという気にはならない。同じトルストイでもアンナ・カレーニナや復活なんかは手をつける気にならない。大昔、つい懐かしくてジャン・クリストフを買ったけど、いまだにページを開いていない。その代わりモンテ・クリスト伯は何回も読んでいるしレ・ミゼラブルもけっこうな回数読んだ。どこが違うんでしょうかね。

で「戦争と平和」、久しぶりに読んで、やはりナターシャはあんまり好きになれなかった。ついでにピーターってのも、昔からあまり好感持っていません。アホくさい。ま、そんなことは作者が百も承知のわけで、それでも読ませるのが名作の所以なんでしょう、きっと。

だんだん好きになるのは強欲なワシーリー公爵とかヤクザなドーロホフ。ボリスという青年もけっこう好きです。そうそう、ナターシャの姉さんと結婚したケチな男もいいですね。名前は忘れましたが実に似合いの夫婦。

それはそれとして、なかなかに面白い本でした。読んでよかった。最初に読んだのが大学受験後の春休みで、ようやく読めるぞォーという解放感。何日かかったのか。コタツに座りっぱなしでずっしり重い筑摩の細かい活字にとりつきました。読み終えてしばらくボーッとしていた記憶がある。

大昔の大学の一般教養(般教)でとった国文学概論、当時人気だった助教授が「名作ってのは、読み終えると1週間くらいはボーッとするもんです。世界が変わる」とか言うていました。納得です。



「マオ 誰も知らなかった毛沢東」ユン・チアン


mao2016.jpg例の「ワイルド・スワン」のユン・チアンです。意外な事実が多かった。というより自分が何も知らなかったというべきかな。

例の長征、単なる逃亡だろうとは思っていましたが、なぜその結果として共産党が大きな力を得たのか。そこのところが分からなかった。不思議です。

この本で理解した限りでごく大胆に言うと、まず国民党が自壊した。失望を買ったんですね。それに代わるものは何か?というと、可能性として共産党しかない。

そんな中、地方組織から権謀術数の限りを尽くして毛沢東がのし上がってきた。方法はシンプルで、とにかくハッタリと嘘。思い切って大胆にやります。そして反対派を徹底的に殺した。もちろん文句をいう農民も無慈悲に粛清。権力を握った。独裁ですね。そして田舎に籠もったため、都会の若者たちには実態が伝わらず、まるでマルクス主義の理想郷のように喧伝された。

ちょうどオーム教団です。腐敗した国民党に絶望し、熱に浮かされた都会の青年たちが延安に吸い込まれていく。そこから(生きて)出てくる連中はいない。神話だけが先行して中身が見えない。実際には逃げようとした連中はたくさんいたけど、みんな殺された。不思議な熱気があったようです。

毛沢東という人、やはり天才なんでしょうね。嘘を言うことに躊躇がない。邪魔になる連中を抹殺することにもためらいがない。いかにも恨みをかって暗殺されそうですが、見事なくらいに臆病で保身に走る。そしてひたすら宣伝々々。宣伝し続ければ嘘も真実になる。

例の大躍進。農民がどんどん餓死した理由の一つは、失政でただでさえ乏しい食料を海外輸出し続けたからのようです。ソ連から高価な武器を買いたいけど、貧しい中国にはほかに輸出するものがなかったから食料を売った。その結果人々が死ぬことにまったく関心がなかった。1億死のうが2億死のうが、それがどうした。(悪い意味で)傑出した人間です。

そうした毛沢東に抵抗する者はいなかった。いたことはいたようですが、みんな途中で(周恩来のように)くじけた。くじけなかった者は抹殺された。



「老生」賈平凹

rousei.jpg中国にも素晴らしい作家はたくさんいる。ひょんなことから莫言を読み始めたのがキッカケで、高島俊男さんの紹介する作家リストなどを参考に、図書館で発見するたびに少しずつ読んでいます。この賈平凹もいい作家でした。

「老生」は年齢不詳の弔い師(弔い唄をうたうのが仕事)を狂言回しに、国共内戦、土地改革と人民公社、文化大革命、そして開放期。一つの村に住む人々の愛や欲望や憎しみ、殺し合いをずーっと追ったものです。現代中国ではこういう大河スタイルの小説が非常に多いですね。他に書きようがないのかもしれない。党を直接批判せず、しかし婉曲にでも抵抗の姿勢を見せるのは非常に難しいのだと思います。

そうそう。記述の背景として、山海経(せんがいきょう)の読解があります。意図がわからないし成功しているとも思えないのですが、たしかに奇妙な本らしい。まさに怪書。ひたすら天下の山や海、そこに住む怪物や産する鉱物を延々と記述している。こういう内容の本だったのか・・と知っただけでも凄い。ほんと、中国にはなんでもある。



「群雲、関ヶ原へ」岳宏一郎

murakumo2016.jpg関ヶ原ものの定番ですね。登場人物がいったい何人いるのか。それぞれの武将がそれぞれの思惑で必死に生き残りをかける。卑怯な奴もいるし、バカ正直もいる。うまく成功した武将もいるし、なぜか失敗してしまったものいる。文字通り「命をかけて」の駆け引きであり、どっちが勝つかの読み勝負。そうした大小の「群雲」たちが関ヶ原の一点へ向けて収斂していく。司馬遼太郎とはまた違った味で、傑作と思います。

登場する人物みんなが必死に生きているからか、読後感は爽やかですね。家康は不器用で愛嬌があるし、三成はもっと不器用で傲岸不遜だけど、可愛いところもある。完全なヒーローなんていないし、悪人も敵役もいない。唯一、上杉景勝だけがちょっと綺麗に描かれすぎで、これは作者のエコヒイキでしょう。

さすがに何回も読みすぎて、どこかの章を読み出すと「ああ、こういう話だったな」とすぐ思い出す。すぐ思い出してしまうのは詰まらないですが、それでも時折は読み返す本です。




★★ 日経文芸文庫
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裏切り者といえばふつう小早川秀秋ですが、それじゃヒネリがなさすぎる。ひょっとして吉川広家かな?とも思って借り出しましたが、ちょっと違った。

主人公は小早川秀秋と増田長盛です。長盛ってのは奉行衆の一人ですね。たぶん近江派の実務官僚で、大和のあたりに所領があったはずです。で、三成なんかとは仲が良かったとみなされる。秀吉の没後というと三成ばっかりがクローズアップされますが、この増田長盛とか長束正家前田玄以とか、どういう人物だったのか。何をしたのか。けっこう勢力もあったはずです。

岳宏一郎の「群雲、関ヶ原へ」では増田長盛、かなり要領よくたちまわり、会津成敗のタイミングにもせっせと家康に情報提供しています。珍しいことではないですが二股膏薬。西軍の後方支援事務をとりながら東軍にも便宜をはかる。しかし結果的にうまくいかなかったような・・・と思ったら、やはりそうでした。

敗戦処理では予想に反してかなり危ない状況になる。領地も城も失い、かろうじて命だけは助けられて蟄居。うんざりして最後は自分から死を選ぶことになっていますが、これは初見でした。官僚ではあったけど、根っこの部分はやはり戦国武将だった。

もう一人の裏切り者、小早川秀秋の場合は「返り忠」じゃなく、最初から東軍に味方していたという設定。たしかにそういう見方も可能でしょうね。家康の味方をする予定だったのに、あいつが悪い、あいつが邪魔する。結果的に不本意ながら西軍になってしまった。だからグレて松尾山に陣どった。

それにしては勝敗を決することのできる1万5千の大軍、山を駆け下るのがあんなに遅れたのか。そのへんは読み終えてもまだ釈然としません。やはり日和見といわれても仕方ない。

近衛龍春、ちょっと多作になりすぎた感もあります。


★★★ 早川書房
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楽観論による人類未来展望です。

人類発祥以来、なぜ特定のグループだけがこんなに繁栄できたのか。それは脳細胞が急に増えたからではないし、農耕を知ったからでもない。ひとえに「交換」によるものだと主張します。

なるほど、という説得力はありますね。小さな集団がどんなに頑張っても、食べるだけで精一杯。たとえば石器をつくるにしても、そんなにエネルギーを割くわけにはいかない。なにしろ忙しいですから。ササッと割って叩いて、ある程度使えるものができればそれで十分。もう少し工夫してみたいなあ・・と思っても「おい、狩りにいくぞ」と言われればそそくさと出かけるしかない。

しかしグループの構成員が多くなると、専門家の生じる余地が生まれます。あいつは狩りは下手だけどナイフを作るのは上手だからなあと許してもらえる。そうやって効率のよい石器を作ることができるようになる。結果的にグループ全体の獲物も増える。ただし環境が変化して獲物が少なくなれば、「専門家」に只飯を与える余裕はなくなり、すべてもとの木阿弥。発明・新技能は消え去り、それが共通の「文化」になることはない。

理由は不明ですが、そのうち「交換」という概念が生まれる。あるグループは狩りに専念する。あるグループは漁が得意。あるグループはケモノの皮をつかって暖かい衣服を作れる。自分たちだけですべてをまかなう自給自足にくらべて、はるかに効率がよくなる。しかも専門技術はどんどん進化し、伝承される

交換とは、いわば他人の労働時間を買うことです。同時に、自分もまた他人に時間を売る。分業制。ふつうの人間がいわば何人もの「奴隷」を使い、同時に自分もまた他人の「奴隷」になる。そして多くの学者たちが主張するよりはるか早期に「交換」は成立していたのではないか。交換という文化が一般化すると、そこに「都市」が誕生する。交換の中核となる場所があると、非常に効率がよくなります。

著者の主張では、「農耕がひろまって都市が誕生」ではなく「農耕普及以前の段階ですでに都市が誕生していた」ということのようです。栗林を育ててから三内丸山が成立したのではなく、交易拠点として三内丸山が誕生し、その後で栗林を造成した。

というわけで、人類はひたすら「交換・交易・分業」によって繁栄してきた。ただしそれを邪魔する存在もあり、たとえば強権国家、商業の規制、詳細なルール作り・・などなど。大きな国家が誕生して国内が平和になると交易がさかんになり、栄えます。しかし必ず過度の王権や官僚や宗教、重税、支配者の強欲によって規制・阻害される。規制されて自由な発明・商業が力を失うとやがて国家も滅亡する。

国家は大きくなりすぎないほうがいい。ただしあまりに小さく分割されるとそれはそれで関税障壁が多くなりすぎて衰退する。だから中国史でみると強大な「明」は衰退した。むしろ三国時代のほうが発展していた。つまり最低限、自由な交易を保障する程度のドングリ国家がたくさんある状態が望ましい。

インターネットで世界中がむすばれた現在、いわば世界中の人間たちが交易可能な状況です。どんな発明でもアイディアでも、あっというまに伝播する。すべてはどんどん改良され、世界中の人間の欲望は果てしない発展へと猛進する。

要するに、国家は民主主義的環境と最低限の安全を保障してくれるだけでいい。政治家や官僚はそれ以上余計な干渉をするな。レッセフェール。欲望というエンジンで世界は無限に発展している。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。

ま、そんな主旨の本でした。これから人類や地球がどうなるのか、いろいろ悲観論は多いですが、著者はすべてを一蹴します。人類には知恵がある。欲望がある。たとえば豊かになると人口膨張はおさまります。石炭、石油。どんどん使えばいい。農作物から燃料を作るなんて本末転倒で食料高騰と森林破壊をまねくだけ。コストが合わなくなれば必ず他のアイディアで出てくるはず。そもそもいつの時代でも悲観論者は大きな顔をしてきた。そうした評論家・学者・政治家の言葉が正しければこの世界は何十回も破滅していたはず。

そういうわけで、ちょっと乱暴な感じもありますが、なかなかに面白い一冊でした。少なくとも論旨は明快。人間=交換する動物、ということですね。


★★★ 新潮社
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本棚にあったのを発見して、ふと一読。

都会の(麻布・肉体派)中学生が松本高校へ入り、山に感動し、前から知り合っていた女学生(東洋英和)と結ばれ、そして空襲で彼女を失う・・・というお話。現代版、ダフニスとクロエーです。ただし背景は戦争末期であり、空襲であり、空腹であり、バンカラな旧制高校の寮です。

北杜夫がごく若い頃に書いたもののようです。「幽霊」が処女作ということになっていますが、それよりも前。本人も「若書き」と記していますが、確かにかなり粗い。恥ずかしくなるような粗さです。

ただ数十年後、北杜夫はその原稿を読み直して、捨てるに忍びなくて後半を書き足した。したがって前半と後半、微妙にタッチが違うものの、ま、「若書き」の雰囲気を可能な限り残したという感じです。

なかなかに読後感のいい本でした。そもそも北杜夫ってのは、こういう小説を書く人なんですよね。


★★★ 講談社
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書き下ろしのようです。「最後の戦い」ですから、主人公は長宗我部盛親。大坂城にこもった武将です。

長宗我部と島津はよく似ていますね。それぞれ四国、九州を併呑する寸前に秀吉のストップがかかった。片方は南海の僻地、片方は九州南端。よく言えば勇猛果敢であり、悪く言えば視野が狭くて遅れている。誤解を恐れない言葉で表現するなら、野蛮人。

長宗我部といえば元親ですが、島津戦役で期待の長男をなくしてからボケたというのが定説です。それから例によって跡目を決めるのにグズグズして、結果的に三男(だったかな)の盛親と孫娘(長男の娘)を結婚させることにした。叔父と姪の結婚です。ちょっと近すぎるので、反対も多かったんですが、たぶん最愛の長男の血筋を残したかったんじゃないか。

つまり、盛親はたいして期待されていなかった。ま、そういう解釈です。

なんせ土佐の田舎もんなんで、政治的な外交感覚に乏しい。で、関ヶ原での立ち回りに失敗して、心ならずも西軍に属する。なーんもしないうちに敗軍ということになって、土佐へ逃げ帰る。で、かなわぬまでも徹底抗戦・・・の決断もできず、マゴマゴしているうちに改易。

島津にとって、この長宗我部の扱いは非常に参考になったらしい。同じ轍を踏むまいとして島津は粘りに粘る。結果的に島津は温存です。島津が得をした。長宗我部は大損した。こんなことなら関ヶ原で決断して突撃するんだった。もしそれができたら結果は違っていたかもしれない。えーい、悔いが残る。

ま、その後はご存じのとおりで、寺子屋の師匠をしていた盛親は請われて大坂城に入る。冬の陣、夏の陣、それなりに奮戦しますが、最後はどうにもならず脱出して、捕まって、二条城の城門にさらされてから首を刎ねられる

この時代、上手に世の中を渡るってのは難しいですね。不本意な人生を送ってしまった武将のお話でした。近衛龍春、そういう辺境の気の利かない武将を好んで書いています。


★★★ 集英社インターナショナル
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ノンフィクション作家と歴史学者の対談です。読みごたえはないけれども、けっこう面白いヒントがたくさん。

ま、簡単にいうと、室町時代を知ろうとしても古文書があまりない。ないところを必死に研究するのも悪くないですが、むしろ「現代の室町時代」つまり東南アジアの僻地やソマリアなんかを調べると同じような文化が残っている。そっちの方が効率がいいんじゃないか。

たとえば室町時代の「足軽」は、いわば僻地ソマリアのテロリスト連中。要するに略奪しか食う手段を持たない底辺層です。だから応仁の乱が始まると、それまで頻発していた徳政一揆が、ピタリと消えた。足軽連中がみんな戦に駆り出されたからなんでしょうね。「徳政だあ・・」と騒ぐ暇がなくなった。つまり「徳政一揆とは搾取された民衆の怒りが・・」というキレイゴト史観では無理がある。

ついでですが、ソマリアでは「客」が非常に威張る。ホストは無条件にゲストを歓待しないといけない文化らしい。だからイスラム過激派が外国人を襲うんだ、という話になります。政府の面目を失わせるためにはゲスト、つまり外国人を襲うのがいちばん効果的。ゲストを守れないとホストの面目はまるつぶれになる。

独裁者、大麻生産地を管理しているマフィア、それを売りつけている米国のギャング。彼らの支配地域は非常に平和で、概して犯罪も少ないそうです。効率的に大麻を生産させるにはまず平和が肝心。もちろん麻薬なんぞ徹底禁止です。ギャングもそうですね。売人が麻薬に手を吸ったら商売にならないし、ドンパチが多発すると警察に睨まれる。文句を言わせず、効率よく、平和に。ですから「独裁は悪、そんな支配下の住民は不幸」と単純に言い切れるかどうか。

独裁者(マフィア)とは、いわば室町戦国の領主でもあります。やっていることの正否はともかく、彼らにとって領内の平和は絶対に必要だった。特に書かれてはいないですが、かつてのフセインのイラクが不幸だったかどうかという問題ですね。かなり難しい。少なくともたった一つの価値観ですべてを判断してはならない。

ちなみにタイでは、農民から税をとるのが非常に難しい。重い税を課すと、すぐ一家でいなくなってしまう。室町の「逃散」ですね。国土が広くて農地がたくさんあるから、どこででも米を作れる。税金の重いとこで辛抱して耕作する必要はない。しかし日本の場合は「どこででも・・」が難しくて、耕作に適した土地なんて、そうそうはない。つまり領主にとって非常に管理しやすい条件が整っていた。

しかし領主の決めた「掟」がストレートに通用していたかというと、たぶん違う。表向きの「掟」とは別に、民百姓たちが暗黙のルールとして維持してきたルールもあった。たとえばの話が「鉄火起請」とか「湯起請」とか。そんなバカな・・という裁判ですが、実際にはさほど熱くはしなかった気配もある。要するに「形作り」ですね。起請をすることで、ナアナアの決着がつく。真面目にやったらみんな大怪我してしまいますから。そうした表と裏を上手に按配して暮らしてきたのが室町の人々じゃないだろうか。


そうそう、余計な話ですが、信長が叡山を焼き討ちしなかったら大変なことになっていたという述懐には笑った。焼き討ちがなかったら膨大な資料が残された可能性があるということです。研究者からすると、資料がない(古代)のは困るけど、多すぎる(近世)のもまた困る。多すぎると資料の山の中に埋もれる結果になり、。そういう意味で中世というのは、一生かければ全体を概観することができる程度の資料なので、歴史研究者にとって手頃なんだそうです。なるほど。


★★★★ 新潮社
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ふと気が向いてこの分厚い上下本を。いったい何回読んだのか、カバーがボロボロです。上巻なんかずいぶん前からむき出しになっている。

ご存じの方はご存じでしょうが、関ヶ原の決戦へ向けて右往左往する戦国群像劇です。書き出しは蒲生の移封決定から。そして上杉景勝が越後から会津へ移る。登場人物は何十人いるか数えたこともないですが、主役というか登場回数が多いのは家康、景勝、石田三成など。もちろん前田利家、真田昌幸、黒田官兵衛なども主要メンバーです。

内容はいわゆる通説+独自資料。それを土台にして著者がそれぞれの人間性を自由に解釈して叙述する。武将たちの思考と行動はあくまで戦国ふうであり、しかし決して類型化しない。みーんな自分第一、生き延びるために必死。嘘もつくし裏切りもする。特に悪い奴もいないし、善人もいない。人間臭さが非常に魅力的です。

たとえば家康はけっこう愛嬌があります。ウナギのように胴長で、嘘が下手で不器用で吝嗇で、ずーっと律儀を売り物にして過ごしてきた。臆病なんだけど、追い詰められると意地になって居直る。ヤケになる。関ヶ原で本営をあんなに突出させたのも、たぶん半分はヤケです。死ぬか生きるかの大博打。

三成はだいたい想像通りの正義漢ですが、決して善人なんかじゃない。べらぼうな策士。そして超有能。あんまり嫌われてるんで、逆に家臣たちには妙に愛されている。庇護の対象という感じでしょうか。かなり可愛いです

あまり知られていないマイナー武将たちを描いた章が特にいいですね。たとえば選りすぐりの寵童たちを着飾らせて連れ歩くのが好きだったバブリーな安国寺恵瓊とか、思案のときには唇の薄皮を剥く癖のあった海賊衆の九鬼嘉隆とか。息子たちを犠牲にしてまで、敢えて展望ゼロの大坂城に入った老将(氏家行広)とか。人間ってそういう部分、あるよなあと感じさせる。

奉行職筆頭格だった浅野長政もいいですね。彼の目には太閤の死後、次は家康ということが分かりすぎていた。しかし豊臣と徳川が対決した場合、自分の立場は非常に難しい。なにしろ長政は高台院(北政所)の義理の弟です。というわけで、訳のわからない家康暗殺計画に連座させられたとき、内心喜んで身をひいた。関東に隠遁したんだったかな。政争の表面から姿を消し、家康に従う形になれた。で、豊臣政権で要職にあった人物としては非常に巧みに生き延びて、たしか息子は和歌山城主。

で、著者によると秀吉にとって「木下一族」は信頼できる縁戚でもあり、目障りな集団でもあった。この一族のリーダーは正妻の北政所です。女房の実家関係というのは頼りにもなるけど、あんまり図に乗らせたくない連中でもある。こういう視点はなかなか面白いですね。

同じ木下一族として、伏見城の責任者だった木下勝俊という人も登場。えーと、なかなか面倒ですが、たぶん松の丸殿(京極竜子)の連れ子で、秀吉の指示で木下家へ養子にやられたという解釈。したがって小早川秀秋とは一応兄弟。北政所が義理の叔母。この時代、縁戚関係が非常に複雑です。

で、東西手切れで三成が伏見城を攻めた際には、攻める側が小早川秀秋、守る側が木下勝俊。やってられないです。軟弱な勝俊はさっさと逃亡した。あるいは家康が派遣した守将の鳥居元忠に追い出された。その後はいろいろあって、結果的には叔母さんの庇護のもと、悠々と歌を詠んで過ごした。けっこう有名な文化人らしいです。

この本、何回も読んでいると、著者の解釈がちょっと強引に感じる部分も出てきますが、ま、それでも名著であることに変わりはない。司馬遼太郎の「関ヶ原」あたりを先に読んでおいたほうが楽しめるかもしれません。

それにしても「群雲、大坂城へ(仮題)」はまだか。


★★★ 講談社
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フランス革命を描くとき、どうしてもパリが中心になります。しかし実際には、フランスはパリだけでなく、地方都市もあるし田舎もある。ということでロワール川下流の都市ナントで暮らす貴族やブルジョワ、庶民はどう受け止めたのか。激動をどう生き延びたか。

ま、そういう設定で、しっかり調べ上げた小説です。しかし皆川博子ですから中身はドロドロ、ネチネチした濃厚な文体とストーリーで話は進みます。上巻の舞台はナント、下巻は主としてロンドンかな。

ちなみに「クロコダイル」はワニ。なんというかメタファーとして登場するワニ(実態があるものも、ないもの)はやたら出てくるんだけど、それがいまいち明確ではない。おまけに成功しているような気もしない。訳のわからないワニなんて存在しなくてもいいのに、著者はえらくワニにこだわっている。

そうそう。たぶんロベスピエールの仲間だったらしいジャン=バティスト・カリエという人物、初めて知りました。パリからナントに派遣されて革命委員会を組織、強大な権力を持っていたらしい。不満分子を片っ端から逮捕してさっさと処刑する。とくにナントの周辺は王党派が軍団を組織して激しい戦闘になり(ヴァンデの乱=これも初耳)、大量の捕虜の始末に困ってボロ船に乗せてロワール川に沈めるという案をひねりだしたのがジャン・カリエ。

収容する牢獄もないし、ギロチンはけっこう手間がかかるし、銃殺は弾丸がもったいない。川に沈めるのがいちばん手っとり早い。最初のうちは隠匿していたけど、最後の方はおおっぴらだったらしい。数千人を沈めた。さすがに後日、問題になったようです。「共和国の結婚」とも称され、男女を裸にむいて抱き合わせて縛って放り込んだという説もありますが、さすがにこの真偽は怪しい。

ついでですが、悪名高い秘密警察のジョセフ・フーシェもやはりナントの出身です。フーシェって、高校生のころにたしかツヴァイクの伝記もので読んで、しっかり記憶に残りました。革命期の怪物ですね。激動の時代の生き残りの達人。ナントって、けっこう有名人を生んでいる。だいぶ前に家内といっしょにロワール地方の城を巡ったことはあったけど、せいぜいトゥールまで。ナントまでは行けなかった。

で、上下巻を読み終えての実感。本筋とは無関係ですが、この時代のフランスや英国に生きた貧民でなくてよかった。ほんと、貧しそう。飢えていそう。痛そう。寒そう。凍えそう。比較的最近、18世紀から19世紀の英仏なんですけどね。アジアやアフリカはもっと大変だったんだろうし。人類の歴史、庶民が生きることは常に厳しかった。


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