2019年3月アーカイブ

東京創元社 ★★
tokinikakeruhashi.jpg
本棚に転がっていたのを引っ張りだし。思ったより面白くて読み続けました。自分で買った記憶ありません。2000年の刊行だし、子供かな。

タイムトラベルもののSFだけど、設定が古いわりにはあんがい味がある。東京創元社の本って、そういうのが多いですよね。やけに(とくに昔は)誤植が多くてひどい訳が目立つけど、内容としてはけっこう良質だったり。

今回は、田舎の一軒家が実は時間旅行の中継点だったという設定。これってシマックあたりに同じのがなかったかな。ま、シマックがどんなストーリーだったかもう覚えていませんが、なんとなく同じような匂いがします。


だいぶ昔に「FlashAirカード・・・まだ実用レベルではないみたい」と書きました。ちなみにFlashAirカードとは、カメラなどに内蔵するメモリカードの一種で、PCやスマホと無線通信できるのが特徴です。
 
しかし現実には、ブラウザからルータ経由でカード挿入のカメラ (ここにいるよ!と電波をせっせと発信中のはず) を探しても、なかなか発見できない。けっこうな頻度で「そんなサイトはありません!」と叱られます。どうやら勘違いして、外界を探査しているらしい。しかもいったん「ない」と刷り込みがかかると、もう金輪際他の意見を受け付けない。キャッシュをクリアするまでダメ。困ったもんです。

それもこれも、本来なら無線LANの小さな親機として動作するはずのFlashAirカードを、むりやり子機として扱っているのが原因ですね。カードの動作設定コード部分(config)を書き換えることで実現でき、こっちのほうが圧倒的に便利なんですが、なぜか不安定。うまくつながらない。

SD-WC008G.jpg使っているカードは「W-02 SD-WC008G」という容量8GBの代物です。それが最近は第2世代(W-02)から第4世代(W-04)に進化している。使いやすくなったんだろう、そろそろ新しいメモリカードに換えるかな・・・・とチェックしてみましたが、まだ高いんですね。容量は増えてるものの4000円とか5000円とか。うーん。おまけに使用中のカード、もう目いっぱいかと思ったら、意外なことにまだ余裕がある。あまり撮影しない素人が8GBのカードを使い切るのはなかなか大変なんです。

・・・という状況だったんですが、今回、ルータをNEC Atermに替えたら、当然のことながら通信ができなくなった。ま、通信相手が変わったんだからコードを書き換えないとダメですわな、ふつう。最近はカードを子機として扱う(Station Mode)ノウハウの解説ページがあちこちに上がっているんですが、見るとなんかconfigの内容が自分の記憶と少しちがう。よくわからないけど、真似してみるか・・・と参考にして書き直してみました。何行かありますが重要な部分は下記かな。

APPMODE=5
APPNAME=myflashair
APPSSID=************
APPNETWORKKEY=************


ちなみにAPPMODEを5にすることで、親機モードから子機モードに変化します。APPSSIDは無線LANのSSID、APPNETWORKKEYはネットワークパスワードですね。そんなに特別な情報ではありません。

ところがこれでガラリと安定化した。いままでがウソのようにスムーズに繋がります。最初はAtermだからかな・・とも思いましたが、今まで自分がミスしていた可能性もある。具体的にはSSID、いままで正しく入れていたかどうか。なんかサボっていたような気がしないでもない。SSIDを入れないでも繋がるのかどうか、よくわかりませんが。自信なし。

結論。「まだ実用レベルではない」などどエラそうに言っていましたが、東芝さんは無実だったかもしれない。確信はないですが、とりあえず 陳謝。

自分の場合、1画像3MB程度の大きさで撮影しています。紙に印刷するわけでもないんで、この程度で十分。すると100枚撮っても300MB。1000枚でも3GB程度。カードの中身を調べてみると2000枚までは入ってないようです。大目にみても5GB程度ですか。これならまだまだ新しいカードを買う必要はないですね。(そもそも、撮影画像はPCとか円盤メディアに保存しておくのが本筋ですわな)  

文藝春秋★★★
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それにしてもひどいタイトルだなあ。表紙デザインも不可思議。文春の担当は何を考えてたのか。かなり責められていいです。こんな外見の本、想定読者のほとんどは手にとろうとも思わないでしょう。大損している。おまけに解説してもらった船橋洋一の名前に比重をかけていたり。なんかセンスが違う。

中身はかなりまっとうな「法的観点からみた戦争論」です。要するに「なぜ戦争では人を殺しても罰せられないのか」「なぜ宣戦布告が必要なのか」「なぜ国連は武力を行使できるのか」・・・といったような内容ですね。したがって著者二人も法律が専門の人らしい。

そもそもは17世紀初頭のグロティウスです。天才的なオランダの法学者ですが、実はこの人、オランダ東インド会社の弁護士でもあった。で、そのころマラッカ海峡あたりでオランダ商船が(真の動機はともかく)ポルトガルの商船を拿捕。膨大な財宝を確保した。オランダにとっても船長にとっても嬉しい出来事だったんですが、でもその行為が「正義である」と対外的に証明する必要にせまられた。なんせオランダはスペインとゴタゴタやってはいたけど、ポルトガルと正式に戦争していたわけでもないし。下手すると海賊行為です。

でまあいろいろあった末、結果的にグロティウスは「戦争中に敵国の船を沈めても殺しても、奪っても罪にはならない」という大論文を作成した。かなり無理筋ですが、オランダ船はそのとき「戦争」をしていたのだという理屈です。

しかしこれが論理的に「戦争に殺人罪や強盗罪は適用されない」というコンセンサスのバックボーンになった。ついでですが、当時の認識として、戦争中なら兵士以外の非戦闘員を殺すことも問題なし。強奪強姦も問題なし。領土を奪うのも当然です。戦争という言葉さえあればなんでもOKだったんですね。それをグロティウスが堂々と立証した。

面白いのは、なんでもありの「戦争」なんですが、たとえば経済封鎖とか、非戦闘の意地悪や仲間外れは違法。やっちゃいけない。堂々と物理的に戦争しろ! いまと逆です。

これが「旧世界秩序」です。当事国は両方とも「自分が正義」と主張する。正義の戦いなら、何をしてもいい。また下っぱ兵士は自分が正義の側かどうか判断する方法がないので、ま、とりあえず正義という立場で戦う。そうした兵士を罰するのはおかしいから、やはり兵士は何をしても無罪。で、勝ったほうは賠償金をとる。領土をもらう。当然です。戦後になってから「あの土地、返して!」はない。負けたのが悪い。

ペリーに脅されて、この「旧世界秩序」の仲間入りした日本です。勉強して、先輩の真似してせっせと頑張る。日清日露。しかし日本(ドイツ、イタリア) がせっせと頑張っているとき、世界の主流は変化していた。つまり悲惨な欧州大戦の反省として生まれた1928年のパリ不戦条約です。

180度の大変化。ルールがかわっていた。戦争は犯罪だ。物理力の行使はいけない。そのかわり経済封鎖するとか、みんなで仲間外れにするとかならOK。完全に逆ですね。ちなみに新規の侵略はいけないけど、過去の侵略は大目にみる。大国の植民地なんかはもちろんそのまま。ずるいけど獲ったもの勝ち。

そんなバカな・・・とタカをくくって従来路線をゴリゴリ突っ走ったのが満州事変とか国連脱退なんですが、予想外に世間の空気は冷たくて、ま、いろいろあって日本は孤立する。(ほんとは世界列強も日本の処置に困っていた。「新世界秩序」も一枚岩ではないし、さほど自信もなかったらしい)

・・・と、このあたりまで読んだところで返却期限がきた。うーん、読むのが遅くなったなあ。なかなか面白い本でしたが半分くらいしか読めなかった。また機会があったら借り出します。

面白い実例。第7騎兵隊がスー族を殺しまくったウンデット・ニー虐殺の直後、仲介におもむいた士官がスー族の若者に後ろから射殺された事件。殺人罪として裁判になったが「当時は戦争中だった」との認識から無罪になった。平和時なら殺人だが、戦争中なら単なる戦闘とみなされる。もしこれが「殺人」ということになると、直前のウンデット・ニー虐殺の指揮官もまた殺人の罪に問われなければならない。というわけで公式には「虐殺」ではなく「ウンデット・ニー戦争」の呼称。


原書房 ★★★
otatinosaigo.jpg
同じ原書房から「王妃たちの最期の日々」とか「独裁者たちの最期の日々」という本があったらしく、ただし著者はそれぞれ別らしい。ま、いかにも食いつきそうなタイトルです。

この本で最初に出てくるのはシャルルマーニュ(カール大帝)。そこからズラズラと列挙して、最後はナポレオン3世。みんなフランスの王たちです。馴染みのあるのはやっぱしフランスの王で、英国ならまだしもですが、ジグムントとかヤン(ポーランドか)とか並べられてもイメージがわかない。

ということで通読。なるほど。ほとんど知らないことばっかりでした。シャルルマーニュの名前は多少知っていても、最後にどんな状況で死んだのかなんて、まったく知らない。槍試合で死んだアンリ2世のことは知っていても、槍先が刺さってからどんなふうに経過したのかは読んだ記憶がない。

あっ、関係ないけどアンリ2世ってのはカトリーヌ・ド・メディシスの亭主です。ついでにその愛妾が有名な魔美女ディアーヌ・ド・ポワチエ。シュノンソーの城主です。ずいぶん前に家内とロワール渓谷をふらふらしたとき、この城も見物しましたが、白くてきれいな城でしたね。たしか亭主が死んだあとディアーヌはカトリーヌに城を追されたんだったかな。

総じて言えるのは、王様の最後はたいてい惨めな雰囲気になる。死んだらすぐに解剖されてバラバラとか、心臓や骨が奪い合いになるとか。そして愛する者のために必死に書いた遺言書は、たいてい紛失してしまう。現代の某国政府に限らず、宮廷や役所の大事な書類はなぜか行方不明になるんです。

おまけに名医を集めたはずの侍医団はたいてい役にたたない。医者だって責任もつのが怖いから、危険な手術とか薬は投与したくないんです。よせばいいのに余計な浣腸とか瀉血とかやりすぎて体力なくして、苦しんで死ぬ。なかなか大変です。

そうそう。どうでもいい話ですが、ルイ18世(ルイ16世の弟。プロヴァンス伯です)は牡蠣のルイといわれたそうです。えらい大食漢で、亡命してベルギーだったかに着いた日に牡蠣を100コ、ぺろりと食った。その後も体重はべらぼうに増えて、晩年は数人ががりで運ぶのも大変だったらしい。体重が倍になった逸ノ城みたいなものかなと想像しています。

すべからく、あんまりスマートに亡くなった人はいません。ん? いたのかもしれないけど、そういうケースは後世に伝わらない。だいたい真面目に国家に尽くした王様ほど、国民には評判がよくない。地味はダメです。だから英国でいちばん国民に好かれた王様はたしかヘンリー8世。奥さんの首を斬りまくったけど、なんせ押し出しが立派で派手だったから好かれた。不公平なものですね。


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