Book.12の最近の記事

★★ 平凡社

chuugokunorekishi2.jpgひどいなあ。図書館の本なのに口絵の十数ページ分が千切られている。表紙にも「口絵なし」と注意ラベルが貼ってありました。こんな本を借り出したんだから(たぶん)年配者だろうけど、マナーが悪いとかいうレベルじゃないですね。信じられない。

さて。

明代になっても、北のモンゴル系は興亡を繰り返しながら何回も何回も国境を侵します。ただし連中の言い分はだいたい「朝貢を認めろ」というもの。草原で育てた大量の馬を貢ぎ物にして、もちろん何倍ものお返しを期待する。明としては、朝貢は負担なんで、あんまり拡大したくない。すると「拡大しろ!」といって攻め込んでくる。実力交渉。乱暴な。

で、南方では例の倭寇です。倭寇って海岸っぺりだけかと思ったら、長江なんかをけっこう遡って荒らしまわってたんですね。だから被害が甚大だった。国家までは作らないけど、ちょっとしたバイキング来襲みたいです。で、たまに中央から有能な軍司令官が派遣されて効果をあげそうになると、すぐライバルから嫉妬されて讒言、罷免ですわな。こういう国家がよくまあ300年近くも続いた。

そうそう。明末のころは日本の公式使節団(朝貢団)も、交渉がうまくいかないと居直って荒し回ったこともあるらしい。足利室町のころの西国大名が派遣したような使節団ですが、ま、かなり怪しげな連中ではあります。要するにニッポンもおとなしい連中ばっかりではなかった。

でも明に限らないんですが、中国史をずーっと眺めていると、日本とは根本的に違うなあと感じます。欲望の深さが違う。規模が違う。思想と行動が直截に結びついていて、それがものすごく過激に突出する。それを許容する文化がある。

清盛の福原遷都とか重衡の南都焼き討ちとか、信長が叡山をどうしたとか、なんぼのもんじゃ、ヘッ、という印象。小さいです。たまにこういう果敢な行動をする人が日本史にも登場しますが、すぐ消されてしまう。足利将軍が豪華(!)な別荘つくったといってもあの程度です。国土が貧しかったこともありますが、すべてが矮小です。出る杭を神経質に叩き、なんとなくモヤモヤと穏やかに、平衡に持っていくのが日本の文化の本質みたいな気がします。

そうそう。明治の頃だったかな、ベルサイユ宮殿を見物した日本人が「この柱一本でも日本に持っていったら百万円はするだろうな。革命が起きるわけだ」と語ったという挿話を何かで読みました。要するに収奪の規模が違うということ。収奪する側もされる側も徹底している。日本にはずーっと絶対政権が誕生しなかったし、一揆による革命=政権交代が発生しなかったのも当然という話。

たとえば明治の高官貴顕。伊藤博文でしたっけか「高楼を作った。ぜいたく!」とさんざん新聞で批判されましたが、その高楼ってのが要するに単なる二階建てだったらしい。伊藤なんて、収賄もしただろうし女癖も悪くて贅沢もあったでしょうけど、たかが総二階の建築で批判される。その点では、ほんと悲しいほどのものです。

皇帝に重用されて権力を握った宦官が、ほんの数年で国家予算を超えるような財宝を溜め込んでしまう。そしてすぐ失脚して一族もろとも殺される。皇帝は気まぐれで一気に数万人を死刑にする。

あるいは宦官連中が権力を握るために、わざわざ皇太子を殺して遺書を書き換える。まともな皇太子には恩を売れません。「まさかという皇子」だからこそ恩をきせることができる。それもなるべく無能で気の弱い皇子がいい。こんなパターンが何代も続く。

擁立された幼帝も情況は知ってるんで、そのうち成人すると恩人である偉そうな高官を殺す。逆に高官は、殺されそうな気配を察して、また皇帝の首をすげかえる。命をかけた権力ゲームです。

庶民だってボーッとしていられない。いきなり労役に駆り出されたり、残された女房子供が飢え死にしたり、富豪でさえも払いきれない重税を課せられたり。流民、略奪、反乱、当然ですね。

そんな底のしれない白髪三千丈的な大陸文化と、島国のつましい文化をそもそも比較しようと考えるのが間違いなんでしょうね。

11巻から先は清朝・現代史になるのでいったんオシマイ。また漢あたりに戻ってみたいと思っています。

明末、万暦年代だったかな、民窯が盛んになってどんどこ輸出し始めたが良質の土が払底。日本では「万暦赤絵」は非常に人気があるけど、要するにデザインを簡略化した量産品ともいえるわけで、中国ではあまり評価されていないとか。・・・という陳さんの指摘は面白かったです。

★★ 平凡社

第9巻は「草原からの疾風」 第10巻は「復興と明暗」

副題から想像できるように8巻は金の滅亡と元、南宋の消滅。第9巻は元末期から明の初期にかけてです。
chuugokunorekishi.jpg
ちょっと面白かったのは、チンギスハン系統には「酒色に溺れる」「兄弟の仲が悪い」というDNAが強かったのではないかという指摘でした。たしかに子供も孫も何かというとケンカばっかりしていたような印象だし、チンギンスハンはひたすら征服した王女や王妃をオルドに入れるのを楽しみにしていたような印象がある。

というより、敵を征服したらそうしないと収まりがつかない感じ。殺して奪うのが家業みたいなもんですから。たしか有名な言葉がありましたね。「敵を殺しつくし、財宝を奪いつくし、泣いている美女を褥に入れる。これに勝る喜びがあるだろうか」というような趣旨だったか。

ただ帝国後継者争いが常にモメたのは仕方ない部分があります。そもそも、彼らにはまともな後継ルールがなかった。

なんとなく「末子相続」というのが暗黙の了解ですが、これは長子から順に家畜をもらって独立していくというスタイル。最後に残った末子は父親の家畜を相続してオシマイ。でも小さな部族ならともかく、広大すぎる大モンゴル帝国の後継者決定にもこのルールを適用するのは無理があった。だから現実にはそれぞれが勝手にクリルタイを開いては自分を後継者に決める。あっちでも、こっちでも擁立しているから、モメ続ける。

元末、明軍が北上して攻めてきている間も元の上層部では内輪もめが収束しませんでした。ケンカしてちゃまずいと知ってはいるんだけど、そうはいっても政敵を放置するわけにはいかない。グチャグチャけんかしてる間に明が迫ってくる。ただし最終的には北京城を死守なんかしないで、あっさり全員騎乗して逃げたらしい。さすが騎馬民族。形勢が悪ければ一夜にして逃げる。非常にスッキリした態度です。

それでなんとなく北京から長駆モンゴルまで逃げたように思い込んでましたが、完全撤回でもなかったようで、北部でまた再編成。北元です。以後それなりに勢力を維持してたみたいです。

で、明の創始者である朱元璋(洪武帝)ってのも面白いというか気味悪い人物です。貧民から身を起こしたという点で漢の劉邦と似てるんですが、なんか意識的に劉邦をなぞった形跡がある。だいたい劉邦と同じようなことをします。でも、もともとの性格が違うんで、かなり陰惨な形になってしまった。

徹底的な農本主義とでもいいますか。農民や貧民には基本的にやさしい姿勢。その代わり文人や商人は大嫌い。理屈じゃなくて、根っから嫌いだったんでしょうね。若いころにさんざん苛められたとか。

ついでに、徹底的に心配性で猜疑心の固まりだったから、いやー殺した殺した。ちょっとでも気に食わない官僚、文人、その親族。何万人も殺し続けた。才能のありそうなやつ、目立つやつ、将来問題を起こすかもしれないと思ったやつ、可愛い子供の邪魔になりそうなやつ、みーんな殺した。ポルポト的ですね。殺しすぎて、人材が皆無になったような気配もあります。

殺される側からすると、保身のためおとなしく民間に引っ込もうと思っても、ちょっと才能が目立つと出仕を求められる。断ったらもちろん「死」です。仕方なく出仕しても、たいてい難癖つけられて「死」です。有能なら「死」。無能ならもちろん「死」。逃げ場がない。これなら南の漢人が下層民として完全無視されてた元の頃がまだマシだった。

とかなんとか。完全に皇帝親政・独裁の王朝だったんで、明はまともな皇帝がいる間はなんとか政治がまわるけど、無能な皇帝の治世になるとメチャクチャになる。補佐すべき有能な宰相も閣僚もまったくいないんですから。また代替わりするたびに国家の大方針がコロコロ変わる。例の鄭和の大航海なんかがそうですね。

要するに、明はなんとなく暗い雰囲気の王朝だったみたいです。ただし庶民にはとっては、それほど悪い時代ではなかった。いまのニッポンみたいですか。政治はメチャメチャだし景気は悪い。外交はゴタゴタしている。でもま、税金は高いけど餓死するやつ滅多にいないし、けっこう平和じゃないの?というレベル。

鄭和の大航海
国内重視方針の皇帝が死んでまた海外拡張派が勢いを伸ばしそうになった折り、再度の「船団編成」を恐れた官僚が、大航海の膨大な記録資料をぜんぶ焼いてしまったんだそうです。参考記録がなーんもなくなったんで、結果的に船団再編成は取りやめ。「官僚は必ず記録を残す」のが習性と思ってましたが、そんな果敢な(というか無責任な)官僚もいるんですね。

ニッポンでも時々ありますね。「記録を間違って破棄しました」とか。これ、ぜったいに残っていると思います。お役人意識からすると、プライドからいっても保身の面からも、必ず記録は残しておきたい。最悪のケースでも、自宅の押し入れにこっそりコピーを残していると思います。

chuugokunorekishi.jpg★★ 平凡社

唐末から五代十国の混乱。宋の誕生と金の侵攻、南宋。

昔から中国通史を読むといつも感じることなんですが、毎回々々皇帝、皇后一派、宰相、武将、官吏と宦官・・・それぞれが疑りあい、讒言があり、で、すぐ殺す。殺し続けているうちに弱体化して、北方から攻められる。亡国の混乱があって、蜂起があって、つぶし合いのうちに誰かがリーダーシップをとる。

ひたすらこの繰り返しですね。頭の芯が痛くなってきます。人間、こうも同じことを繰り返すのか。

唐の滅びの原因は節度使が力を持ちすぎたことのようです。ほとんど独立政権のような性格をもった強大な「軍閥」ですね。もちろん朝廷はいろいろ対策をこうじたんですが、軍事力を握った連中に言うことをきかせようとしても難しい。あんまり強いことを言うと反撃してくる。

この反省から宋ではシビリアンコントロールを基盤にすえる。科挙に受かった秀才たち、貴族階級ではなく、多くはアッパーミドル階級の師弟だと思いますが、これが政治も軍事も仕切る。国の経済力は向上します。唐の長安は夜になると木戸が閉まって真っ暗でしたが、宋の都は夜でも灯がともっていた。たぶん庶民が酒くらって騒いでいたんでしょう。そういうことができる時代になった。

経済力がついて文化が栄えてたいへんけっこうな話のようですが、頭でっかちの官僚が増えすぎるし、反面として軍事力の弱体化ですね。戦えばたいてい負けるんで、興隆してきた北方の新国家・遼に対しては多量の貢ぎ物を約束して頭を下げるしかない。

で、質実剛健の遊牧民国家に大量のマネーが流れこむとどうなるのか。貧しかった遼もぜいたくにすぐ慣れてしまいます。何もしないで金が入るんなら、戦争するより効率がいいじゃないか・・・と弛緩をまねいて結果的には衰退。ですから、見方によっては決して悪い外交ではないんですが、かなりみっともないことは事実です。

遼の後に台頭してきた東北の金に対してもまったく同じです。低姿勢に徹してなんとか許してもらうのが基本外交。ただし宋朝廷にも「軟弱外交反対!」という国粋派がいる。「胸を張れる国家にしましょう」という声が大きくなると、ついその気になって軍事行動。もちろんすぐ叩かれる。

新法・旧法の抗争なんてのも同じパターンです。国家が貧乏になったんで現実的になって農民に比較的低金利の金を貸し出して、中間層(みたいなもんでしょう)を作り出そうという政策と、貧乏人相手に国家が金貸しをするなんて恥辱だという政策。現実論と理想論。対農民政策だけでなくいろいろあり、どっちも一応の理屈はあるんですが、抗争が激しくなると泥仕合になる。泥仕合やってるうちに低レベルの戦いになり、皇帝が代替わりをして片方が権力を握ると徹底的に政敵を追放する。また振り子が揺れるとオセロゲームのようにひっくり返る。その繰り返し。

ま、困ったもんです。そんなこんなでガタガタ大騒ぎしてるうちに「正義は勝つ!」という主戦派主導になって、金に敵対しようとチョッカイ出してもちろん失敗。怒った金が本気になって南下。朝廷はあたふた遁走です。こうして亡命政権・南宋の誕生。漢文化の南方拡散。

かなり大雑把ですが、こんな感じでしょうか。

ただし、北半分を占有した金も、文化に対して免疫がなかったんであっというまに漢化してしまい、ようするに軟弱国家になったらしい。国内には漢人のほうが多かったはずだし、そういう意味では「金」も立派な中原の国家といっていいんでしょうね。ただ漢民族至上の観点からは、あくまで正統は南宋。金はあくまで一時的な「占領国家」という扱いのほうが抵抗がないようですが。

そもそもを言いだすと、漢民族って何だ?という大きなテーマにもぶちあたります。おそらく大昔の殷とか周のあたりの連中が「漢民族」の核なんでしょう。それが周辺に広がり、あるいは周辺が求心して、三国志のあたりになると範囲がかなり広くなる。唐代には更に拡大する。

結局「中国語」を話すのが漢民族ってことでいいんでしょうか。でも北京語と広東語じゃほとんど別言語ともいいます。そうすると「漢字」の通じるのが漢民族か。でも金には女真文字があったはずなので、はて・・・。誰かの言葉に「とっさに自分は漢民族だと思うのが漢民族」という趣旨がありました。このへんが落とし所かな。


※ 宋の方針として特筆すべきものに創始者の「遺訓」があります。その内容は「言論を理由として臣を殺すな」 (石刻遺訓:不得殺士大夫及上書言事人)というものだったとか。すごいです。自由に発言できる。首を切られない。ただ、これがあったんで宋の士大夫たちは安心して勝手なことを言いまくったきらいもある。その結果が政治の混乱。難しいもんですね。

★★ 平凡社

chuugokunorekishi.jpgこのシリーズを手にとるのは初めてです。他の版は知りませんが、平凡社版は口絵がついていて、建築物やら仏像やらの写真がたくさんあります。あまり綺麗な写真ではないですが、でも親切な構成ですね。

内容はもちろん中国史の初心者でも読めるし、かなりのめり込んだ人でも楽しめるカッチリした内容の通史です。上質な歴史教科書とでもいうべきでしょうか。

15巻くらいはあるので、とりあえず最近興味のある隋あたりから始めました。考えてみると隋とか唐とか、なーんにも知らんです。

・隋には煬帝というのがいたはず。たしか運河を造った。短い王朝だった気がする。

・隋を滅ぼして成立したのが唐。たしか貞観の治とかいう言葉もあった。若い頃の玄宗の治世だったか。

・楊貴妃のあたりはいろいろ小説にもなってるんで、多少は知ってる。でも安禄山の最後のあたりはモヤモヤして詳細不明。

・唐代は強国で、西域なんかに大幅出兵して版図を広げたはず。

この程度ですかね。なんとも貧しい知識だ。

えーと、まず貞観の治は玄宗じゃないです。玄宗の前半は「開元の治」。貞観は唐の二代目である李世民の世でした。李世民ってのが親父の代を次いで唐の基盤を造ったらしい。

ただし李世民、優秀かつ冷徹な人間だったらしく、しっかり皇太子である兄貴を殺したんですね。で、死にかけの親父に無理強いして皇位をついだ。後の歴史書はもちろん全面的に李世民ヨイショですが、陳さんによると兄貴ってのも実はけっこう能力はあったんじゃないか。でもま、殺されてしまったらオシマイです。

そうそう。ついつい無視されがちだけど、長い混乱の世を統一した隋。もっと歴史的に評価されてもいい。いわば現在の統一中国の大本を造ったのが隋ですから。混乱をまとめて、大きな構想を描いた段階でつぶれたのが隋。その基盤の上にカッチリした帝国を築いたのが唐。

でまた唐に戻りますが、特筆すべきは武則天。二代目太宗(李世民)の後宮にいた女性ですが、芽が出なかったのが結果的に三代目に好かれて皇后。漢代の美女はみんな触れなば壊れんみたいな繊細な女性ですが、唐代の美女はみんなグラマー。ただし武則天はキリッとした、江角マキコみたいな女だったようで、二代目太宗の好みじゃなかったらしい。女の好みばっかりはどうしようもないですね。

武則天、後世からは徹底的に悪女ということになってます。でも本当にそうだろうか。都合の悪い肉親や逆らった子供、孫などあっさり殺したのは事実みたいだけど、国家ぜんたいとしては意外に平穏かつ隆盛。しかも身分にかかわらず新しい人材をどんどん使いこなして政治をリフレッシュした。

宮廷の上層部では超評判が悪かったけど、もし庶民に聞いたら「え? 立派な女皇帝じゃないか。不満はないよ」ということです。稀代の悪女かもしれないけど、非常に政治的な感覚のある積極的な女性。アホな男どもにまかしておけるもんですか。いまだに評価には賛否両論あるようです。

で、この武則天に見いだされて、そうそうたる人材が育ちます。武則天、自分に逆らう子や孫は簡単に殺しますが、あえて諫言する有能な部下には案外甘いところもあったらしい。こうした人材が結果的に玄宗(武則天の孫)の時代を盛り上げた。玄宗が偉いというより、お婆様の残した財産を使い果たしたのが玄宗だったともいえる。

ふーん、ですね。

こういう新しい観点、非常に面白いです。次は巻8「宋とその周辺」にとりかかる予定。


★★★ 中公文庫 上中下3巻。

nisshin_chen.jpgなんとなく本棚から引っ張りだして読みました。

買ったときに読んでるはずですが、何も記憶にない。で、読み出したら、いいですねえ。一応「小説」と銘打ってはいるものの、フィクションの要素はほぼ皆無。ひたすら詳細かつ精密に調べ抜いた日清戦争史です。

従来の日本視点の日清戦争と違うのは、中国や朝鮮の内情・事情が細かいことでしょうか。印象としては中国5、朝鮮3、日本2といった比率です。したがって登場人物も李鴻章、袁世凱、陸奥宗光なんかが主要。朝鮮では宮廷クーデタに失敗して日本に亡命した金玉均あたりの描写が多いです。(金玉均は頼りにした日本政府に余計者扱いされ、結果的に上海で暗殺されます)

読み終わって思うのは、李鴻章ってのはすごい人物だったんだなということ。清濁併せ呑んで、能天気な西太后のご機嫌とりながら政敵と戦い、北洋軍閥を組織して経営し、もちろん保身感覚にもたけ、最後までしたたかに政治生命を保った。保ったというのは言い過ぎにしても、とにかく殺されずにすんだ。

司馬さんの本の印象では180cmくらいある巨人の雰囲気でしたが、どこかに「170cm以上」ということぐらいが事実だったと書いてありました。それでも当時としては大男ではあります。ネズミ公使の小村寿太郎が公称「五尺一寸」だったそうですから、ま、それに比べれば堂々たるかっぷくですね。

日清戦争前夜の朝鮮でのゴタゴタ(大院王、閔氏一族、親日派、親清派)。ごく簡単にいえば気弱な国王の「父親」と「女房の実家」が対立し続け、そこにメンツを気にする親分気取りの「清国」と生意気盛りの乱暴な「日本」が絡む。
おまけに国家にはお金がないし、旧弊な国民はブーブー文句をいう。気鋭の連中もグチャグチャ言う。周囲には小姑みたいなイギリスやらロシアやらドイツやらがいてなにかと口をはさむ。気が狂いそうです。このあたりの事情を詳しく書いた本はあまりないので、非常に面白かったです。

あっ、戦争シーンはごくごくわずかです。こっちを期待して読むと失望すると思います。

そうそう。北洋艦隊自慢の「定遠」「鎮遠」ですが、開戦前夜に保有していた砲弾数が「3発」と書いてありました。3発ずつではなく、両方あわせて3発。要するに北洋艦隊に予算がなくて、補充できなかった。ほんと?という話ですが。

艦隊予算は西太后が別荘造りに流用していたというのは常識ですが、もちろん単に西太后のワガママ・認識不足だけではなく、この際「漢人である李鴻章の力をひきずり落とそう」という宮廷派(満族)の思惑もあったらしい。たとえ国防に問題が生じてもいい、李鴻章の力の源泉である北洋艦隊を弱めておくのが上策・・・。政治は難しいです。

このところ挫折が多いなあ。

読めそうで読めなかった本。

EdgarSawtelle-s.jpg「エドガー・ソーテル物語」 デイヴィッド・ロブレスキー(NHK出版)

米中西部の田舎。広い敷地で犬のブリーダーをやっている家があり、生まれた子供は声を発することができない。しかしその家には賢い犬がいて、友ともなり、保護者ともなり・・・。

そしてある日、父親の弟が帰ってきて同居を始める。監獄帰りかな。少しずつ空気が乱れ始め、いかにも何か起きそうな予感。・・・・というあたりで挫折。

いい雰囲気の本なんですけどね。生々しくなくて、なんというか追憶調というか、影絵のような淡さというか。機会があったらまた挑戦します。


「冬の薔薇」「夏至の森」 パトリシア・A・マキリップ (創元推理文庫)

huyunobara-s.jpgマキリップは大昔「妖女サイベルの呼び声」で知った作家です。「サイベル」は山の中の古城で暮らす、怖いほど美しい魔女のお話。この美女魔女、各地に隠れている伝説の生き物たちに呼びかけて強制召還する趣味がある。深夜、心を統一し、ム・・・・・・・ンと遠隔テレパシーを投げかけるんです。

伝説の野獣ってのは、たしか謎々好きのイノシシ、なんかとかライオン、かんとか鷹、あと何がいたかな。忘れました。この生き物たち、ほんとうは独立独歩、一人で好き勝手に暮らしていたいんですが、強力な召還呪文にひっぱられて、しかたなくサイベルに従っている。

で、もうひとつ、召還したいのがライラレンとかいう大白鳥。ところがこの白鳥がなかなか召還呪文にひっかかってこない。実はその理由は・・・・てな話でした。ファンタジーとしての設定や雰囲気は実に魅力的なんですが、そこに子供や恋がからんでくると、どうも没入しにくくなる部分もある。でも、ま、代表作でしょうね。

というのがマキリップ。興味をもって借り出したんですが、うーん、「冬の薔薇」の半分ほどで力尽きました。こっちは中世の田舎の野生少女が、不思議な男と知り合う。妖精? この男、なんか怪しげに森の泉の中から出現して・・・・。

そこそこ面白いんですが、ちょっとメルヘンチックすぎて、だんだんエネルギーダウン。オヂサンはメルヘンに抗体ができてるんですかね。したがって続編ふうの「夏至の森」も同時挫折です。

登場の獣たち。竜ギルド、黒猫モライア、隼ター、 猪サイリン、獅子ギュールス。非常に魅力ある魔獣たちです。このほかに黒鳥もいたような気がする。そして謎の白鳥がライラレン。

★ 早川書房

micro.jpgまだクライトンの遺作があったとは。

ただしハードディスクの片隅に残っていたのは4分の1程度で、あとはリチャード・プレストンという人が追加したもののようです。

うーん。そこそこ上手に補填してるんですが、やっぱ、クライトンとは違う。細部がないんですよね。ストーリーを追うのに必死で大雑把すぎる

ま、内容は「7人の院生がだまされて2センチサイズに縮小される。小人たちは濃密な生命にみちあふれ生存競争激しいハワイの森で生き延びる・・・ことができるか」というもの。

ミクロの決死圏の密林版。想像どおり、周囲には恐ろしい兵隊アリやらムカデやら、狩人蜂、コウモリ。怖いですね。そんな環境にポイっと放り込まれたらどうなんだろうという興味はあるていど満たしてくれます。でもまあ、それだけという感じ。

クライトンにこだわりのある読者は読まなくていいと思います。

★★★ 新潮社

kaminodairinin.jpg比較的早い時期に書かれた本のようです。ルネッサンス期の4人の法王のお話。

時代後れの十字軍再編を夢見て王や諸公にそっぽを向かれたピオ二世(ピウスII)。サヴォナローラを追い詰めて抹殺したアレッサンドロ六世(アレクサンデルVI)。自ら軍を率いて戦い続けたジュリオ二世(ユリウスII)。そして陽気でお祭り好きで法王庁の予算を使い果たしたレオーネ十世(レオX)。

歴代の法王と対するのはフランス王であり、スペイン王であり、神聖ローマ皇帝であり、あるいは塩野さん大好きのヴェネッツイアであり。

面白かったのはフランス王ですね。常にローマ法王を圧迫し、時々イタリアに攻め込んでくるんですが、フランス文化なのか最後の最後の詰めがいつも甘い。どうも「法王=神聖」という固定観念から逃れられないみたい。それがしたたかなイタリア人連中から見ると不思議でしょうがない。法王だって子供もつくりクソもするただの(あるいはとりわけ欲深な)人間なのに。

フランソワ1世だったかな。法王を追い詰めたはずの和平会談でコロっと懐柔されてしまう。法王が連れてきた(接待役)レオナルド・ダ・ヴィンチに会えて、もう感動々々。たしかダ・ヴィンチはその後で招かれてフランスに行くんですよね。招かれてというより、食い詰めてというのが正しいかも。

何年か前にいったロワール川沿いのアンボワーズ城だったか、広い庭の隅にダ・ヴィンチの小さな礼拝室がありました。寂しい雰囲気でしたね。ガラーンとしていて空虚な雰囲気。

あんまり関係ないですが、ビル・ゲイツがダ・ヴィンチの鏡文字のメモを落札してホクホクしていたことを思い出しました。価値を認める人にとってダ・ヴィンチはもう「神様」なんだろうなあ。でも法王は「たかが職人」としか思っていなかった。たぶん。

★★ たちばな出版

tochosaibo.jpg歴史エッセイとでもいうべきなんでしょうね。アジアを中心として古今の歴史を概観。きちんと首尾の整ったものではなく、わりあいランダムに思いついたこと、気がついたことの断片、覚書といった趣です。深く考えずサーッと読むのにふさわしい。ベッドサイドに置いて拾い読みしました。

当たり前の話ですが、よく読み深く知っている人です。陳舜臣のような作家をわざわざ褒めるほうがヘンか。

面白かったのは中国各王朝の性格付け。たとえば殷は厳しい強圧政権であり、その後の周は庶民にとって暮らしやすかったはず。唐は強大な版図を誇ったけれども内実は貧しく、むしろ戦争に負け続けの宋のほうが経済は豊かだったとか。もし過去に戻って暮らすのなら絶対に宋がおすすめ。

こうしたあたりの指摘は目からウロコの欠片が落ちる感じです。経済の観点から中国王朝を見たことはなかったもんなあ。

blackout.jpg

★★★ 早川書房

オックスフォード歴研シリーズ3作目。主人公は史学生のメロピー、ポリー、マイクルのようです。今回は1940年から1945年にかけて、戦時下のロンドンが主な舞台です。ただし人名や場所、時代が錯綜しているので、ちょっと整理しておかないといけない。続編(というより、ぶった切った後半部)は来年4月まで出ないそうです。絶対に忘れてしまう。

メロピーアイリーンという時代名で中部イングランドのお屋敷の女中になり、手のかかる疎開児童の世話をしている。例によってイライラ・ゴタゴタ・バタバタがあって現代へ戻ることができず、結局ロンドンまでたどり着く。

ポリーはロンドンでデパートの店員。これも空襲やら何やらで疲労困憊。おまけにデパートの制服規定は清く正しく「白ブラウスと黒スカート」なのに中世史科装備係の怠慢で濃紺スカートしか持ってこなかったので主任に睨まれてるし、おまけに現代に戻る「回収地点」に問題が生じていて帰還できない。

マイクルは米国人記者マイクになってダンケルク撤退を(安全な)ドーバー側から見物するはずが、なぜか撤退作戦まっただなかにまきこまれ、意に反して英雄になってしまう。ひょっとしたら過去を書き換えてしまったんじゃないか・・と不安だらけ。

で、結局3人が3人とも自分の「回収地点」を失ってしまい、それぞれ「回収地点を使わせてもらおう」という意図でロンドンに集合。1940年、ロンドン大空襲のまっただなかです。

主要人物は3人だけのはずなんですが、なぜか不明の人物も出てくる。1944年時点、東南部のケント州でゴム戦車をふくらませているアーネスト。ノルマンディ進攻作戦を隠匿するために偽装をしているんだろうと思います。

同じく1944年時点、応急看護部隊で仕事を始めたメアリ・ケント。まだ誰かは不明のまま。

そして1945年の終戦日(VEデー)、ロンドンにいたダグラス。これはたぶんポリーだと思うんだけど、なんか問題があったような雰囲気。VEデーってのはVictory in Europe Dayだそうです。
(ただアイリーンもVEデーを予定していた。このへんがあとで問題になるかな。)

もっとわからないのが1940年、他の3人がゴタゴタしている時代のセントポール駅に出現した謎の男。最初はちょっと勉強不足ふうなので、みんなに嫌われているフィップスかと思ったけど、たぶん違いますね。可能性としてはポリーを救出しようと密航してきたコリン。

そうなんです。ドゥームズデイ・ブックのガキんちょコリンが17歳の高校生になっている。おまけに年上のポリーに恋している気配。そのポリーがロンドン置き去りとなれば、英雄コリンが救いに行かないわけがない。

そういえば、あの浮浪児みたいな疎開の悪ガキ姉弟。ロンドンの地下鉄でかっぱらいやってるのも同じ姉弟でしょうね、きっと。出番が多いので、あとで何か重要な役割をになうのかしらん。ウィリスの描く悪ガキたち、ほんと心の底から神経逆撫ででイラつきます。

ところでこの新☆ハヤカワ・SF・シリーズという代物。ひどいです。見かけは安っぽいペーパーバックで似合わない天金装丁。ただし手に持つとずっしり重いです。上下2段組ですが紙質がいいのでなんとか読める範囲。うーん、なんかコニー・ウィリス本のイメージとは違うなあ。あえてこんなシリーズに入れる必要があったんだろうか。

おまけに超長いのをわざわざ半分でぶった切ってしまった。米国でも分冊で、おまけに発行日を別にしてたってんですが(ウィリスは怒ってる雰囲気)、なんで日本でもそんな悪例に倣ったのか。翻訳の都合やらなんやらあったのかもしれませんが、困ったもんだ。

いい本だけに読者の欲求不満がたまる。これがせめて1カ月後の発行ならともかく、予定は来年の4月だとか。前半部と後半部が10カ月の中断。もしジラシ作戦としたら大間違いと思います。

最近のハヤカワの傾向ですが、なんか読者想定を読み違えているような気がしますね。あの「氷と炎の歌シリーズ」(単行本)の表紙が変なコミックタッチのファンタジーだったり()、文庫版「ドゥームズデイ・ブック」が夢見る少女マンガ調だったり、本屋のカウンターに置くのが恥ずかしいレベル。本の内容と表紙カバーがあまりにも乖離しています。

ま、太宰の人間失格とか、古い本の装丁を作り直したら急に売れたとかいう話もありました。それと同じ商法なんでしょうかね。表紙に釣られて手にとる若い読者は増えるかもしれませんが、逆に見ただけで敬遠する読者もいる。「そんなトシヨリ読者は見放してます」ということなら仕方ないけど悲しい。

「氷と炎の歌シリーズ」=「A Song of Ice and Fire」では、想を得た世界の意欲的なイラストレーターによる作品がネットに上がっています。すばらしい絵がたくさんありますね。人気のあるものは画集になって販売までされているようです。カレンダーもアマゾンでは売られています。

「氷と炎の歌シリーズ」でもちょっと落ち着いたタッチの文庫版の方はまだ我慢可能。せめてこの程度のイラストならギャーギャー文句いいません。(単行本のイラストレータは多少は本の内容を知ってて書いてるんですかね。たぶん編集者の責任です)

ふんと、トシヨリはなにかと狭量でうるさいことじゃ。買った本でもないのに文句たれて(たぶん買わないけどね)。蒙御免

追記
単行本「氷の炎の歌シリーズ」は買わないで図書館、大騒ぎの末の改訳新版はもちろん読んでません。「A Song of Ice and Fire」は買った。単行本「ドゥームズデイ・ブック」は図書館。文庫版「ドゥームズデイ・ブック」は買った。

honda_alabia.jpg

★★★ 朝日新聞社

外出に持っていく本がなくて、ふと本棚から「アラビア遊牧民」を抜き出し。久しぶりの再読です。思っていたよりボリュームがなかったですね。そのまま流れで「ニューギニア高地人」「カナダ=エスキモー」と続きました。連載順のちょうど逆です。

大昔に感動したほどではなかったですが、それでもやはり名著でしょう。なんといってもあの当時、こうした未開の僻地に飛び込んでいって、しかも可能な限り衣食住を共にする勇気(あるいは蛮勇)はすごい。新聞連載の頃から、たとえばカリブー(トナカイ)の腸をすするとか、腐りかけたような小鳥を口にするとか、すげーことをする人間がいるもんだと感心したものです。

この 本多勝一という人、その後もいろいろ活躍したり物議をかもしたりしたみたいですが、あいにくまったく読んでいません。そうそう他には「日本語の作文技術」があった。これも名著です。

いろんな小説家なんかが腐るほど「文章作法」みたいなものを出していますが、みんな無意味な代物ですね。読むべき本は一冊もない。役にたつのはこの「日本語の作文技術」だけです。もう詳細は覚えていませんが「主語と述語は近づける」「修飾語と被修飾語」を離すな等々、非常にまっとうな技術的解説が面白かったです。情緒や感性ではなくて、あくまで「技術」。

ようするに「悪文を書かない秘訣」ですか。日本国民、全員がこの本を読んでほしいくらい。ただ10年以上前、なんかの拍子で人に貸したらそれっきり戻ってきません。ま、本を貸すときはそうしたリスクは覚悟の上なんで、とくに催促した記憶がないです。惜しい本は決して貸しちゃいけない。貸すときはあげたと思え。

というわけで、現物なし。でもエッセンスは記憶してるから(たぶん)、たいした損失でもないでしょう。

強調しておこうかな。


「日本語の作文技術」。日本国民、全員がこの本を読んでほしい。国語教科書で「詩の心を理解しよう」なんてアホな単元を作るくらいなら、こうした作文技術だけ半年くらい勉強したほうがはるかに有益。

★ 小学館 萩尾望都作品集

po01.jpg「百億の昼と千億の夜(萩尾望都)」「日出処の天子(山岸凉子)」に続いて、なんと「ポーの一族」にもとりかかったのだ。

うーん。うーん・・・。悪くはないけど、なんとも典型的な少女マンガだなあ。少年と少女と、バラの花。淡いタッチの(しかし残酷な)ストーリーが続く。

はい。オヂサンは挫折しました。やはりこのマンガは無理です。こういうものに挑戦しようとしたのが傲慢だった。ま、悔し紛れに言えば、どういうマンガなのか知っただけでも収穫です。そう思って、2巻の途中で諦めました。
★★ 秋田文庫

senoku_comic.jpg子供の本棚にあるのは大昔から知ってましたが、ふと思いついて手にとりました。

光瀬龍の小説はずいぶん大昔に読んでいます。当時はかなりSFに耽溺していた。小説「百億の昼と千億の夜」は序盤の雰囲気最高なんですが、ナザレのイエスが登場したあたりからはだんだん通俗活劇ふうになってしまって、ようするに内容はワケわかめ。

で、マンガ。うーん、けっこういいんですね。でも文字による描写と絵の違いでしょうか、妙に具体的になって、わかりやすい分だけ理解不能の魅力が減衰した感じ。ま、面白かったけど評価としては★★でしょう。

あっ、内容ですか。説明は難しいですが、プラトンとシッタルダとアシュラ(ついでにイエス)が宇宙と人類の歴史の謎を追って時空を走り回る。ま、そんな超壮大かつ深遠、グチャグチャな哲学的スペースオペラです。


「日出処の天子」全7巻 山岸凉子
★★★ 白泉社文庫

hiizurutokoro.jpgついでにこれも読んでみました。これもなかなか面白かったです。途中でなんか「陰陽師」に似ているなと思いましたが、もちろん作者は別人。あっちは岡野玲子ですか。ワトソン役の源博雅蘇我毛人が最初のうちはなんか同じようなウジウジキャラで、それで勘違いしてしまった。

いい歳こいたオヤヂとしては、なかなか完全没入はできませんが、でも舞台とキャラの設定は非常にしっかりしている。続けて7巻、読み通しました。ここ数十年、煌めく才能は小説ではなく完全にマンガやアニメの世界に移行してしまったんだな。あらためてそんな気もしてきます。

主人公は厩戸皇子(うまやどのおうじ うまやどのみこ) 。つまり後の聖徳太子。スーパー天才といわれる人ですが、実際は超能力者、エスパーだった。ついでにいうと蘇我エミシもちょっぴり超能力の片鱗を持っていた(親戚ですから)。ただし本人は無自覚。エミシは有名な蘇我 海豚 入鹿の父親です。

この二人を軸にして、当時の政治情勢が複雑怪奇にからんでくる。おまけに女性マンガ家が大好きなBLも加わってくる。BLって何のこと?という人、グーグルで調べてみればわかります。へんなもんが最近はのしてきてるんです。オジサンにはわからん。

それはともかく、そこそこ楽しんで読みました。ただし少女マンガ特有の10頭身、12頭身ヒーロー(細すぎる。きゃしゃすぎる)と、同じ顔パターン(服装と髪形で見分けるしかない)、動きの感じられない、重心の定まらない動作デッサンだけはどうも好きになれません。

★★★ 新潮社

jujigun3.jpg第3次遠征から、テンプル騎士団の滅亡まで。

塩野さん、そうだろうとは思いましたがリチャード(獅子心王)に惚れてしまったんですね。ま、確かに惚れる要素は多大でしょうが、ここまで手放しで称賛されると、読む方が恥ずかしくなる。でも一応は公平であろうとしてか、最後のあたりでナントカいう歴史家の評も載せています。「子として最悪・夫として最悪・王として最悪・兵士としては優秀」だったかな。そんなふうな趣旨の言葉でした。

実際、リチャードとしては「オレ、ほんとは王なんかじゃなくて騎士の子供で生まれたかったんだ」かと思っていそう。単なる騎士じゃ制約やら不自由がいろいろあったはずですが、そこまでは深く考えないタイプ。とにかく好き勝手やって、とにかく男らしく戦うのが大好きで、みんなに愛されて、大迷惑かけてコロッと死ぬ。母ちゃんのエレアノール(ダキテーヌ)、がっかりしたでしょうね。

確かに魅力はありますわな。困りもののガキんちょ坊主。ロビンフッドの友達。

塩野さんには好かれなかったようですが、むしろフランス王のフィリップ(オーギュスト)が面白かったです。得にもならない十字軍なんてまっぴら。アホな連中をけしかけて聖地に行ってもらい、その隙にせっせっと領地拡大。非常に現実的です。戦争は下手でも、知恵は実にまわる。結局、この人がいまのフランスの版図を確定した。「オーギュスト」の称号を得たのももっともです。

塩野さん、シチリア生まれの神聖ローマ皇帝フリードリッヒIIも好きみたいです。たしかに時代から抜け出した合理性の帝王。教皇の破門なんててんで気にしないで、やりたいことをやり通した。教皇とは最後までケンカを続けたんですね。死んだときは教皇庁が大喜びしたらしい。

で、もう一人、ルイ聖王ですか。内政面でも非常に優秀だったようですが、戦争はおそろしく下手。わけのわからない大がかりな十字軍を2回もやって、2回とも大失敗してアフリカで死ぬ。かなり堅物でコチンコチンの信仰者。これは塩野さん好みとは対極の人物です。でも見方によってはかなり魅力的な王様ですね。

というふうな連中が勝手な思惑で遠征して、中近東をひっかきまわして大量の血を流した。なんとも壮大な愚挙、無駄遣いですね。結果としてイタリア海洋都市の興隆、マムルーク朝エジプト誕生、法王庁の衰退、西欧の中央集権化。そうそう、小さいですがチュートン騎士団の帰国なんてのもあります。その後は強大なドイツ東進の先兵となってくれた。さんざん中世ポーランドを苛めたのも、この騎士団の子孫でしょう、たぶん。

★★★ 集英社

hagunnohoshi.jpg

北方謙三は「道誉なり」に続いてこれが2冊め。ようやく文体の雰囲気がつかめてきました。
感情を抑えたハードボイルドタッチといえば、確かにそうですね。

そもそもは北畠顕家というスター武将、一瞬の輝きで散った青年(ゴトウクミコ似)のプロファイルを知りたいという動機だったんですが、そういう意味では無意味でした。生きた資料がないんでしょうね。顕家に限らず、南北朝のあたりを描いた小説はみーんな苦労しているような気がします。

で、北畠顕家。16歳のお公家さんが陸奥守に任ぜられて東北へ下る。ふつうに考えたらお飾りですよね。でも本物のお飾りはもう一人いて、えーと、義良親王ですか。阿野廉子が生んだ子供。あとで南朝2代目の後村上天皇になる人です。だしか村松剛が「帝王後醍醐」で「阿野廉子の生んだ親王たちはみんな父に忠実だった」とか書いていた記憶があります。()

そんな16歳のお公家さんがどうやってごちゃごちゃの東北を数年でまとめあげ、おまけに記録に残る疾風怒濤の西上をしたのか。わかりません。この「破軍の星」では例によって山の民みたいなのが強力にアシストしてくれる設定になっています。

で、陸奥から京への歴史に残るスーパー強行軍。強行軍というより、戦いながらの連日フルマラソンですわな。馬に乗ってる連中はまだしも、大部分の兵士は自分の足しかないです。食うものもなく、真冬の雪と北風の中をひたすら走り抜けたんでしょう。すごいです。これも詳細は不明で「犠牲は多大だったが、とにかくやったんだ」というスタイル。

で、足利尊氏をコテンパンにやっつける。やれやれ陸奥に帰って、ようやく落ち着いて奥州鎮撫を再開しよう思っていると、すぐさま不死身の尊氏が勢いを取り戻して都に戻ってしまう。あわてて吉野に逃げていた後醍醐は「チョウテイ アブナイ スグカエレ」と矢の催促。催促してればいいんですから、ま、気は楽です。

かなり迷惑な話なんですが、そこは忠臣。仕事もそこそこにまた京へ進軍。こんどは足利方の大軍がしっかり待ち構えてるんでかなり苦戦です。でも天才だから鎌倉はあっというまに破って都のすぐそばまでなんとか迫って、しかしここでついにストップ。ストップすると、勢いは急に止まります。

朝廷連中の身勝手と堕落にあんまり腹が立って、で有名な「諫奏状」を後醍醐に出したりもしたようです。もちろん楠木正成の「尊氏和睦 京都撤退」の進言と同様、歯牙にもかけてもらえなかったでしょうけど。で、いろいろあった末、最後は高師直の大軍に絶望的な突進をして散華。享年21歳。たぶん満年齢なら実質は20歳か19歳。

どんな人物だったのか。なぜ強かったのか。この若さでなぜ政治手腕があったのか。こういう詳細部分はなーんもわかりません。書いてないんだもの。北方謙三の描く顕家は10代にして老成・沈着、果敢にして感受性豊か、合戦の駆け引きは大ベテランで武芸も達者なカリスマ、おまけに胸に矢を3本受けてもすぐ復活する驚異の肉体。完全に突然変異出現、悲劇のスーパーヒーロー。

面白く読みましたが、そういう意味でもの足りませんでした。

勘違い。阿野廉子じゃなくて「二条為子の生んだ親王たち」でした。部屋住の後醍醐が初めてねんごろになった女性らしい。歌人だと書いてありました。

アーカイブ

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれた記事のうちBook.12カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリはBook.13です。

次のカテゴリはBook.11です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。