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今年のエントリーの数は88。実際には再読やら何やらで、だいたい100冊くらいでしょうか。読む量はかなり減っています。

★★★★★評価はもちろん無し。★★★★もほとんどなかったはずで、ゼロかと思っていましたが、検索かけてみると2冊4冊もあった。当たり年だったというべきでしょうか。


江戸城の宮廷政治

edojounokyuuteu.jpg山本博文。江戸時代初期、細川忠興と息子忠利の間にかわされた膨大な書簡の紹介です。

忠興は例のガラシャの亭主で、知恵も働くけど荒々しい戦国武将。しかし息子の忠利は人質として江戸城が長かったので(それが理由で兄たちを差し置いて跡継ぎになった)幕閣や有力旗本とのパイプが太い。父親も将軍家にやたら気をつかったけど、息子はそれに輪をかけて従順だった。他の大名連中から見れば阿諛追従の細川という印象でしょうね。

でも、そうした態度のおかげで細川という有力外様の家を存続することができた。ほんと、ここまで・・というほど卑屈に身をかがめています。天寿をまっとうして死んだ忠興は、臨終のまぎわに「戦国の頃はよかった・・」と述懐したらしい。鑓一筋の武張った時代は終わり、人間関係と宮廷工作の時代。なんかつまらんなぁと思ってたんでしょうね。


邂逅の森

kaikonomori.jpg熊谷達也という作家は発見でした。まったく知らなかった。ただし現代もの小説はちょっと落ちる印象で、やはり真骨頂はマタギものです。

で、代表作といわれるのがこの「邂逅の森」。秋田の貧しいマタギ村の若者が有力者の娘を孕ませて追放され、近くの鉱山で働き、やがてまたまた猟師に戻る。そして狙うことが禁忌になっている山の主、巨大熊と対決。あっさり言うとそんなストーリーです。銃の名手ではあるものの、けっして万能の英雄ではない。ごく普通の若者。女も好きだし酒も飲む。そしてマタギの暮しも楽ではありません。

そうそう。数年間いることになる鉱山。今年の朝ドラにも出てきましたが、鉱山ではたんなる労働者ではなく親分子分の関係で働きます。ヤクザとか香具師なんかと同じ全国ネットワーク。友子制度と称するもので、職能伝授・互助組織です。そのへんのお話はなかなか面白かったです。


砂漠の狐を狩れ

sabakunokituneooe.jpgスティーヴン・プレスフィールドは「炎の門」を書いた人です。したがってこの本もタイトルイメージとは違って、単なる冒険小説ではありません。どっちかというと地味です。

中身はもちろんアフリカ戦線、ロンメル将軍をなんかとして殺せないか・・と劣勢の英軍が知恵をしぼる。砂漠を大きく迂回してロンメル司令部に奇襲をかけることはできないか。ということで砂漠仕様のシボレートラックが用意され、長距離砂漠挺身隊はしょっちゅう故障しながら延々と走り続けます。ひたすら過酷な環境の連続、故障の連続。エンジンはガタつくしサスペンションは折れるしタイヤはパンクするし

砂漠の戦車戦についてのイメージが大きく変わりますね。お互いが堂々と対峙して戦車砲が吠え・・なんて派手なことはまずない。遠くからひたすら叩かれる。どんどん壊れる。相手の戦車隊が見えた頃は、こっちはもう壊滅状態。面白い本でした。

ところでスティーヴン・プレスフィールドという人、絶対に英国人と思っていましたが、どうも違うらしい。意外でした。米国人がこんなスタイルの(要するに辛気臭い)本を書けるんだ。


ほんとうの中国の話をしよう

hontounochugoku.jpg余華という作家もしっかり名前を覚えました。「兄弟「血を売る男」などなど、良質の小説を書いています。

で、「ほんとうの中国の話をしよう」は小説ではなく、一種の半生記です。文革時代に育ち、紅衛兵に憧れて街を走り回った少年時代。修正主義の悪人たちを絞りあげたり、食料切符を換金しようとする不埒な農民を殴ったり、家族会議を開いて自己批判して壁新聞を書いたり。当時の庶民の正直な感覚のようなものが伝わります。

この人の英訳本は「ヘミングウェイみたい」と称されるそうです。でも本人曰く「それは使っている言葉が難しくないから」とか。勉強する機会のなかった世代なので、知っている言葉だけ使って書くしかなかった。だから簡潔。キビキビしている。平易。

ちなみに若いころは「歯科医」ということになっていますが、実態は「虫歯抜き職人」です。給与は他の労働者とまったく同じ。朝から晩まで農民たちの臭い虫歯をペンチで抜き続ける。耐えがたい日々だったらしい。


美しき日本の残像

utukushikinihonnozanzo.jpgアレックス・カー。40年以上も前に日本の美術品や古民家が好きになり、まだ学生のうちに借金して徳島の山奥で古屋を購入、修築。それをしっかり商売にも結びつけた。以後も日本の古いものを愛し続けながら、みんながなんとなく思いこんでいる「日本の自然は美しい」という錯覚に一撃くらわした人です。

要するにニッポンの「美」はどんどん失われている。もう絶望的な状況。歴史の観光都市・京都だなんて威張ってる場合じゃない。まがい物。パチンコ店のネオンがギラギラ輝き、青空を電柱と架線が汚している。日本に清流なんて残ってますか。道という道をアスファルトで敷きつめる。無機質なコンクリート建築があふれる。事実を見つめてみましょう。ま、そういう本ですね。

ガイジンにそう言われてみれば、確かにそうだなあ・・・と心が少し痛みます。少なくとも「日本は
素晴らしい」と意味なく威張るのはよしたほうがいい


本人はだいぶ前に日本にアイソをつかし、たしかタイだったかに逃げてしまったはずです。あっちはまだ「美」が残っているらしい。


悪い奴ほど合理的

waruiyatuhodo2015.jpgレイモンド・フィスマン。けっこう面白い本でした。一応は「低開発経済学」の本ですね。発展途上国はなぜいつまでたっても発展途上国なのか。たとえば1960年頃、韓国とケニアはほぼ同レベルでした。ではその後なぜ韓国は抜け出し、ケニアはケニアのままなのか。キーワードは腐敗と暴力。

貧しいから腐敗と暴力がはびこっているのか。あるいは腐敗しているから貧しいのか。どっちが先なんだろう。貧しいから警官や役人はワイロを要求するのか、それとも役人や警官が堕落しているから非効率で貧しいのか。

一応は「低開発経済学」の本なので、いろんなリサーチの結果が紹介されます。けっこう楽しいです。

とくに面白いのが国連に勤務する各国の外交官たちの「道義心」あるいは「腐敗度」。国連ビルの周辺は駐車場所がほとんどありません。どうしても違法駐車してしまう。しかし外交官は違法駐車しても罰金を払う義務がありません。違反ステッカーを無視してもまったく問題なし。

そんな状況で、一日に何回も駐車違反する外交官もいるし、まったくしない外交官もいる。罰金を払う人もいるし、払わない人もいる。そうした外交官の行動と、その母国の腐敗度ははたして比例するのか。どう思います?


アルグン川の右岸

arugungawano.jpg著者は遅子建。アムール川の上流、ロシアと内モンゴルの国境を流れるのがアルグン川。その中国側に住む狩猟民エヴェンキ族のお話です。ガルシアマルケス「百年の孤独」のような匂い。

簡単にいってしまえば、バイカル湖の付近から延々ロシアに追い立てられ、満州国の時代は日本軍の指示にしたがい、それが終わると今度は中国政府の少数民族定住化政策。狩猟で暮らしていたエヴェンキ族は麓に下りて定住しろと指示されます。

厳しい自然の中、シャーマンに従いトナカイとともに生活してきた狩猟民ですが、もし里に下りたらもはや誇り高き狩猟民ではありません。ネイティブインディアンやエスキモーと同じで、アイデンティティを失い農耕文化に吸収され、やがては消える運命でしょうね。集落のみんなが山を下りる中、語り手であった老女は孫と2人で残ります。孫の役目は老女が死んだ後、4本の大きな立ち木の間に遺体を風葬すること。仕事が終わったら、たぶん孫も里に下りるんでしょうね。


北の無人駅から

kitanomujineki.jpg渡辺一史著。この本で紹介されている「無人駅」は室蘭本線小幌駅、釧網本線茅沼駅、札沼線新十津川駅、釧網本線北浜駅、留萌本線増毛駅、石北本線奥白滝信号場。当然とはいえ、知らない駅ばっかりです。

本筋と関係ないですが、何人か伝説的な豪快痛快人物が紹介されます。一人は全国的にも有名な脱獄囚で五寸釘寅吉という男。五寸釘を踏み抜いてそ、板を引きずりながら何キロも逃走した。異常な体力の持ち主で、生涯に5回だったか6回だったか脱獄したはずです。すごい。そして知られていなかったのが第一章の小幌駅で登場する漁師・文太郎。

この人、とにかく豪快だったらしい。両親ともアイヌだったともいうんですが、運動能力がべらぼうで怪力で、おまけに大酒飲み。金が入ると小幌から隣の集落まで暗いトンネル歩いて飲みに行き(なんせめったに汽車は通らない)、たっぷり飲んじゃご機嫌でトンネル通って帰る。ある日飲みすぎて、ついトンネルの中で寝てしまった。それもレールに片脚をのっけたまま。レールに乗せると気持ちいいですかね。列車が来て片足轢断です。

ふつうはこれで死亡なんですが、なにしろ凄い人なんで、とりあえず止血して外まで這い出した。しかも懲りずにもう一度やった。やはり酔っぱらってたんでしょう、今度は踏み切りで轢かれて、残った脚を切断。病院へ運ばれる際も威張っていた(なんせ酔ってる)とか。それでも生き延びた。

非常に腕のいい漁師で、やがて釣宿だったか民宿を経営するようになり、大勢の子供を養った(たしか大半は連れ子)。舟に乗るにも何をするにも松葉杖と2本の腕だけで器用にこなしたそうです。腕の太さがふつうの人の脚くらいあった。たぶん相変わらず大酒飲みで、けっこう乱暴な人だったらしい。今でも家のあったあたりは「文太郎浜」という地名で残っている。北国の英雄伝説ですね。

追記

文太郎のこと、本を返す前にちょっと読みなおしたら、まだ存命だった息子の評もあった。義理の父親を称して「要するに清水の次郎長だわ。親分といえば親分。侠客といえば侠客。クダラナイといえばクダラナイ」。笑ってしまった。野獣のような体力、漁の天才、計算も早くて民宿経営、優しさもあるが大酒飲みで乱暴で博打が大好きで、7人の子供(2人は実子)は毎朝薪集めにこきつかわれる。文太郎は浜に陣取って一斗缶をガンガン叩いて遠くから指令を飛ばしていたそうだ。「寝る時間なかった。3時間も寝ればすぐ叩き起こされて漁に連れていかれる。地獄だった」と息子は少年時代を呪詛する。実感あります。


「忘れられた日本人」

ひとつ、忘れてた。★★★★つけてました。宮本常一。
wasureraretanihon.jpgのサムネール画像
いわゆる民俗学の本ですね。戦後すぐあたり。ただし柳田なんかと違って、あんまり偉そうではない。ひたす足を使って爺さん婆さんにあってゆっくり話を聞く。文章は品があって読後感もいいです。

最初の方で紹介される村の「寄り合い」は面白かったです。なにか決めるべきことが発生すると、集会所にみんな集まる。ただし「8時集合。2時間の予定」なんな堅苦しいことはいわず、なんとなく集まって、なんとなく雑談する。テーマが飛ぶのは当然。ひたすらダラダラと話し続け、2日でも3日でもやる。用がある奴は中座するし、用がすむとまた顔を出す。

ずーっとダラダラやっていると、なんとなく方向性が見えてくる。「じゃ、そうすべか」と誰かが言って「そうだべな」とみんなが頷いたらそれで決着。こうやって決まったことには誰も逆らわない。誰かの指示や命令ではなく、自分たちで決めたことだから。

楽しい本でした。家内が「宮本常一、いいよ」と言っていたのも納得。



★★★★ 北海道新聞
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拾い物みたいな本でした。タイトルだけ見たら、いかにも鉄道オタクの本ですわな。しかし中身はズシッと重いです。しかもどんどん読める。あんまりベストセラーになるような本でもないです。

要するに北海道の無人駅をキーワードに、北海道の歴史と現実を見つめてみよう。なぜ無人駅になってしまったのか。漁業、自然保護、観光、流氷、農業・・・。

「北海道の自然は雄大」とか「美しい丹頂を保護」とか「農民たちは意欲に燃えて笑顔がすばらしい」とか「農産物はみんな美味しい」とか。そんな観光パンフレットみたいな言葉で北海道を理解するのはやめよう。手つかずの自然とは貧しいということでもあります。丹頂鶴は田んぼを荒らします。農民がみんな正直で働き者だなんて何いってんですか。

といって、こうした「勘違い」を高所から批判する本でもないです。どちらの側に立とうということではなく、事実を知ろう。少なくとも語る際に決して奇麗事のウソをつかない(すごく難しいことです)。

農業をテーマにするんなら、農民の話も聞き、悪者になりがちな農協役員の話も聞く。農業技術指導員(だったかな)にも教えてもらおう。いろんな立場の人から話を聞くと、話はどんどん複雑になります。誰が悪くて誰が良いなんてシンプルなもんじゃない。まったくスッキリしない。でもそれが現実です。

ま、少なくとも「都会の善男善女」のご意見だけは聞く必要なし。マスコミの影響もあるけど、みーんな大きく勘違いしてるんだから。知床へ家族旅行して、可愛いヒグマの子にパンを投げてあげるような善意の人たちのことです。


★★★ 角川書店
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副題は「なぜヒトは人間になれたのか」。何年か前のNHKスペシャルを書籍化したもののようです。テレビ畑の人ってのは、あんまり文章がうまくないなあ。ワンパターン。品がない。また映像で説明したものを文字にしているので、どうしてもわかりにくい。そうした欠点は多いんですが、ま、いい本だったと思います。


要するに、人類が出アフリカしてから世界中に拡散し、増殖をし続けた結果としてどうなったのか。脳になにか変化があったのた。あるいは発展には「なにか人間らしさ」がかかわっていたのか。そういう面倒なテーマです。「心」の解明。

ごく大雑把に言うと、いまでも古い形で生存している狩猟民族たちは「ケチ」と「自慢こき」を極端に嫌う。場合によっては集団で制裁を加えるし、たびかさなると集落追放とか死刑にもする。制裁を加える場合、構成員みんながやることが重要らしい。個人対個人の関係にしないためです。

ケチと自慢こきがなぜいけないのか。その理由は明白で、狩りの獲物を誰かが余計にとるようでは集団生活が崩壊してしまう。とった肉は男も女も完全平等に切り分ける。分けてもらう人は絶対に礼なんか言わない。獲物をとってきた男も偉そうにはしない。「オレが殺した鹿だぜ」と自慢するような奴は(潜在的に獲物の取り分を主張している)やはり平等の精神に反している。

ま、狩猟で得た食料ってのは、溜め込むことができません。すぐ腐ります。自分だけ余計に溜め込んでもたいしたメリットはない。ちょっと余計に取り分を得るより「あの人は公正なやつだ」と思われたほうが得策。

つまり人間は周囲の「目」を意識して生きてきた。「コインを入れて飲んでね」と紙を置いた無人のコーヒーコーナー。もちろん金を払わない横着がけっこういます。でもそこに「目」の絵を飾ると、不思議なことに金を払う率が一気にあがる。現代人でも、見られているという意識があると、勝手なことができなくなるらしい。

どうして公平が必要なのか。それは助け合いの文化によるんだそうです。石器時代、果実を拾えた女もいれば、拾えなかった女もいる。どこかの地域の獲物が不作になっても、隣の地域では獲物がすこし多いこともある。完全独立採算で生活する連中と、可能なら援助しあう連中を比較すると、助け合い文化のほうが生き延びる確率が高くなるんだそうです。

ちなみにチンパンジーは時として「要求されれば相手を助ける」行動もとります。しかし自分から「気をきかせて援助する」ことはしません。この点でチンパンジーと人間はあきらかに違う。「明確な要求がなくても援助してあげる」のが人間です。

石器時代にもみんなが珍重した貝や石のネックレス、これも単なるファッショではなく「これだけプレゼントが多いんだぞ」という証拠だったとか。ネックレスは自分で作って自分で飾るものではなく、誰かにプレゼントされるもの。したがって何本ものネックレスをしている人間は交際範囲が広い。交際が深い。困ったときにも頼れるような親戚や友人の数です。

そういうわけで、そもそもの人間は助け合って暮らしていた。高邁な心なんかじゃなく、そうでないと生き延びることができなかった。助け合うことのできるDNAだけが成功したんでしょうね。

そうそう。アフリカ地溝地帯で樹上から草原に下りた原初の人類。けっこう上手にやってきたような印象もありますがとんでもない。ほんんどは上手にやれませんでした。どんどん食われてしまったり飢えたり。

そういえば昔「ヒトは食べられて進化した」という本を読んだことがあった。人類の歴史とは、食われる歴史であった。納得できる主張でした。猛獣に食われ続けた人類、それで言語能力を発達させたのかもしれない。あっちの山には豹がいるぞ。こっちの山には食い物があるぞ。この棒を使うと強くなれるぞ。一人じゃ無理だけど三人ならシカを狩れるかもしれない。

こうして人類は進化してきた。集団定住がすすんで、やがて農耕が普及してようやく「食料をためこむ」ことができるようになった。つまりは貧富の差がうまれ、身分が分けられ、平等の精神はそれほど重要視されなくなった。現代社会です。

そうそう、思い出した。飛び道具の話もあったな。初期なら投擲具の普及。やがては弓。獲物を狩るにも画期的だったし、戦争にも役立つ。棍棒で敵を殺すのと飛び道具で殺すのでは心理的な負担がまったく違うらしい。おまけに原初の部族社会というのは「身内には親切「「隣の部族は敵」というもので、人間の心のなかにはずーっと「親切にしたい」という心と「やっつけてやりたい」という心が共存している。どっちがどう発露されるかはケースバイケース。

ま、そんなふうな本でした。もっといろいろ書いてあったんですが、ほとんど忘れた。歳をとっての読書ってのは目の粗いザルで水をすくっているようなもんです。ガバッとすくって滴が残る。その滴が、ま、知識というか、わずかな記憶になってくれる。


★★ 講談社
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厚い上下巻です。返却期限が迫って、後半は駆け足速読。というより単なる飛ばし読みか。身もフタもない言い方すると、飛ばし読みでもさしたる問題はない本と思います。それなりに面白い本ではあるんですけどね。

えーと、文革で内モンゴルへ下放された知識青年たちが、そこで初めて本物の遊牧文化にぶつかる。羊や馬を養育し、ろくな睡眠もとれずに狼と戦い、冬は厳しい寒さ、夏は酷暑と蚊の襲来に苦しむ。

なんとなくモンゴルはずーっと貧しい草原と思っていましたが、もちろん草が生い茂る地域もあり、湖もある。ただし地表が浅いので、ちょっといじめるとすぐ不毛の沙漠になってしまい、なかなか回復しない。多数の馬がうろうろするだけでもヒズメに掘られて草が枯れてしまうらしい。

テーマは二つ。まず狼の子を掘り出して(メスは深い穴の中で子を育てる)、そいつを育てるというお話。野生狼が犬みたいになついてくれたら楽しいですね。大きくなったらモンゴル犬とかけあわせて新種のシェパードが生まれるかもしれない。

しかし狼の子はいつまでたっても狼です。餌をくれる主人にだけは多少気を許すけれども、それだって場合によっては牙をむく。噛みつく。鎖につながれて気が狂ったように騒ぎ、荷車でひっぱろうとしても死ぬまで抵抗する。絶対に服従しない。

夜、他の狼たちが呼びかける遠吠えを聞いて「ここにいるぞ」と自分もなんとか答えようとします。不器用に遠吠えを試みる。でもたぶん、目のあかないうちに親から引き離された子狼は「狼語」がわかりません。仲間として認めてもらえない。失意のうちに子狼は死にます。

モンゴルの高原では、狼は生態系のトップです。狼が黄羊(モウコガゼル)を食べ、タルバガン(シベリアマーモット)を殺し、野兎を狩る。住民たちにとって狼は天敵です。しかしだからといって狼を殺しすぎると、黄羊や野兎があっというまにはびこる。草原に穴を掘りかえし、草を食い荒らし、そうなると羊や牛、馬の放牧も不可能になる。しかし黄羊や野兎を殺しすぎると狼が飢えて、こんどは馬や羊を襲う。ようするに、バランス。何千年もの間、モンゴルの民たちはその微妙なバランスを崩さないように生活してきた。

しかし南からきた役人や兵士や農耕民たちにその理屈は通じません。草原は広大じゃないか。もっともっと羊を飼え、野兎を殺しつくせ、狼を全滅させろ。農地にしよう。食料増産は国家の大方針だ。指令に抵抗するのは階級の敵だ。そうやって、緑ゆたかだった内モンゴルの高原は沙漠になる。

ま、そういうことですね。かつての知識青年たちは今は都会で暮らしていますが、何十年ぶりに内モンゴルに戻ってみると、もうそこに草原はない。国境線の向こう、外モンゴルにはまだ緑が残っているようですが。

もう一つ。長い小説の最後のほうでは延々と中国史と「狼に学んだ遊牧民族」との関係考察がなされます。中国の歴史は常に「遊牧民族」と「農耕民族」の戦いだった。北の(狼の血をもった)遊牧民族が南に攻め込んで国家を建てる。しかし膨大な農耕文化の漢民族はその猛々しさをすぐに薄めてしまう。狼でなくなった国家は、やがて滅びる。そうやって折々に狼の血をまぜこむことでリフレッシュされ、中国ウン千年はなりたってきた。ま、そういうことです。

たしかに中国史をながめると、中原の北にもたくさんの国家が誕生しています。それが南に攻め込んだり、南から北伐したり。そうやって血や文化がミックスされる。たとえば始皇帝の秦なんてのは、どうみても遊牧民族系ですよね。三国志の曹操の魏だって、なんとなく北方系。元はもちろんそうだし、清もそう。唐もそれっぽい。「歴史をみると、つねに北の国家は南の国家より強い」だそうです。なるほど。

本筋と関係ないですが、大帝国をつくりあげたモンゴルはもちろんモンゴル民族。オスマントルコは突厥。民族大移動の引き金をひいたフン族はたぶん匈奴系だし、そのゲルマンの連中もたぶん遊牧系。さらにいえばローマ帝国も狼の乳によって始まった。帝国はすべて遊牧民族によっておこされた、らしい。


★★★ 中央公論新社
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たぶん幕末ごろの伊勢松坂。商家の内儀と女郎の因縁話です。

ストーリーの背景音としてお蔭参りの人々の群れ。松坂は伊勢参りの道筋です。通りがザワザワする中で商家の内儀は旦那の浮気が気になるし、女郎はなんとか陰の女から「表の妻」になりたいと願う。つまりは天の邪鬼がなんとか瓜子姫になり代わろうとするわけです。

瓜子姫のお話、子供の頃によく聞きましたが、唄が入るんですよね。♪瓜子姫の乗り駕籠に天の邪鬼が・・という唄。私の聞いた昔話では、瓜子姫は裏の柿の木に裸で縛りつけられました。いろんなバージョンがあるようで、殺されたり食べられたり、顔の皮をはがされてその皮を天の邪鬼がかぶる。

無事、皮をかぶり続け、騙しおおせて天の邪鬼が幸せに暮らすバージョンもあるようです。

で、この「瓜子姫の艶文」も、天の邪鬼の女郎がひかされて商家の内儀におさまったような感じでもあるんですが、ここで作者は時空変換をする。ほんとうにそんな出来事が起きたのか、それとも違う世界の話なのか、後を継いだのか入れ代わったのか、モヤモヤしている。謎。

そして最後はおどろおどろしい因縁話の決着。表通りでは最後までお蔭参りの狂奔、雑踏と唄。そうそう、最初から最後まで魔羅と奥の院と淫水と・・・えんえんと描写も続きます。なんせ女郎屋がメインの舞台なんで。坂東眞砂子らしい小説です。


そうか、知らない人もいるんだな、きっと。

瓜子姫のお話(いい加減バージョン)

瓜から生まれた瓜子姫。可愛い子に育ちました。
爺さんと婆さんが外出することになり、しっかり戸を閉めておきなさい。アマンジャクが来ても決して戸を開けてはなんね、と言い聞かす。

瓜子姫がトッカラピンカラと機を織っていると(いい子はたいてい機を織る)、もちろんアマンジャクがやってきます。「開けてくれや瓜子姫」「いーや、開けん。ダメと爺ちゃが言うてたで」「ほんなら開けんでもいいから、ほんの一寸、隙間をつくるだけでもいいから」「うーん、ほんの少しならいいか、ほれ、ほんの少し」

細い隙間にグイッと黒い爪を差し込んだアマンジャク、えーいガラガラッと戸を開けて、あっというまに瓜子姫をまる裸にして縛りあげます(食べてしまいます) 。

そこへ瓜子姫の評判を聞きつけた殿様(長者)から迎えの駕籠が到着。瓜子姫のきれいな着物を着たアマンジャクは、いそいそと駕籠に乗り込みます。しかし家から駕籠が進み始めると、木の上のカラス(スズメ)が唄を歌います。♪あれま、不思議、瓜子姫の乗り駕籠に乗っとるはアマンジャク・・・。ここで正体暴露とあいなります。

お話の締めは決まり文句。私の田舎では「イチがぶらーんとさがった」でした。どういう意味だろ。


★★★文芸春秋
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姜戎という作家の「神なるオオカミ」をボチボチ読んでいます。悪くはないけど読み出したらやめられない・・という本ではないので、なかなか進まない。ジュブナイルふうの翻訳があまり好かん。期限までに読了できるかどうか怪しい。

この本、文革でモンゴルに下放された知識青年が遊牧民の暮しにだんだん馴染み、やがてオオカミの子を飼う話です。そして都会育ちの下放青年はやたら「かつてのモンゴル兵の戦い方は賢いオオカミの戦術そのものだ」とか感動します。そうかな・・・と読み進むうちに「蒼き狼」を読みたくなった。井上靖です。

はい、ありました。本棚に埃をかぶっている。抜き出すとしっかりカバーがかかっていて、これを剥がすのも面倒なので写真は箱だけにしますか。えーと、昭和55年の第19刷、1100円

最初のほうはテムジン少年がいろいろ苦労する部分ですが、そこは省略して80ページあたりから読みました。敵対するメルキト部に新婚の女房をさらわれて、でもジーッと我慢。ついに30人ほどの手勢をまとめて殴り込みかけようと決心したところからでした。兵士も少ないしろくな武器もない。しかたなく付き合いのあったケレイト部のトオリルカン親分のところへ武器を借りにいく。すると意外や意外、兵1万を動かしてやろうと言われる。

もちろんトオリルカンにとっては渡りに舟、他部族を攻める絶好の口実をもらったわけです。「正義の味方」を標榜するため、さらに有力武将であるジャムカにも声をかける。1万+1万+30人が、メルキトの1万(程度だったかな)を攻め滅ぼして略奪する。ほんと、弱肉強食。

そして戦いが終わって略奪品や女を山分けしても、両軍は牽制しあってなかなか立ち去らない。若いテムジンは当初理解できなかったんですが、ようするに両軍とも相手をまったく信用していないわけです。退却するところを後ろから襲われたら危ない。だから動くに動けない。

なるほどね・・・とテムジンも賢くなる。そういう世界なんだ。礼儀は正しく、でも絶対に他人を信用しない。信用して殺されるのはバカだ。

それからテムジンのボルジギン氏族は急速に成長していく。たぶん苦労はあったんでしょうが、なんとかジャムカ親分を滅ぼし、トオリルカン親分もやっつけ、他のもろもろもぜーんぶ潰してモンゴル高原を制圧。西のナイマンを征服してからだったか、ついにクリルタイで「ジンギス汗(チンギスハン)」に推挙される。40代だったか50代だったか実際には不明ですが、けっこう歳はとってたようです

その後のことは、ま、周知の事実ですが、小説では長子ジュチへの愛憎、愛妾忽蘭(クラン)との緊迫感のある関係が面白いところです。もうひとつ、「矢のように突き進め」と指令された弟や将軍たちが、ほんとうに矢のように突き進む。なんせ、どこで止まれという命令がないわけです。アナトリアだろうがロシアだろうがブルガリアだろうがポーランドだろうが、やたらめったら突き進む。

いまさら「集合!」と命令かけても、戻ってくる武将もいれば戻らない連中もいる。ま、実際問題、戻れないんだろうな。老いたチンギスハンはいつになっても「自分の故郷はモンゴル」と思っているけど、他の連中からするとモンゴル高原ははるかに遠い。それぞれの派遣先では実質的に広大な王国を支配しているようなものだし、その土地々々の様式の邸に住み、華やかな服を着て珍しい食べ物に馴染んでいる。モンゴルでもチンギスハンの糟糠の妻は肥え太って歩くことさえままならない。

チンギスハンだけはあいかわらずモンゴル式のゲルに住み、モンゴル式の服を着て(たぶん)羊肉と馬乳酒を飲んでいたんでしょうね。自問自答します。若いころ、自分は貧しいモンゴルの女たちに豪奢な暮しをさせ、輝く宝石をつけさせると誓った。そのためもあって蒼き狼となって戦い続けた。いまの狼の子供たちの豊かな暮しを非難すべきではない。不本意ではある。しかし口には出さない・・・。

ちょっと哀しいお話でもありますが。井上靖の小説、みんなストイシズムの香気があるんですよね。

別件ですが、この単行本は文芸春秋刊。しかし文庫は新潮社です(そもそもの連載は文藝春秋だったらしい)。発行年度を考えると文藝春秋→新潮社→文芸春秋、かな。こういう不思議なこと、けっこうありますね。不思議。


★★ 文芸春秋
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何かでこんな本があると知り、図書館で探してみたらありました。借出して一読。

岡田茉莉子がとくに好きというわけではありません。ちょっとバタくさいというか、きつそうというか、あの頃だったら(何十年前か)どちらかというと若尾文子のほうが好きだった。今となってはどっちもどっちですが。気になって調べてみたら、岡田茉莉子は東宝、若尾文子は大映のニューフェースとしてデビュー。同時期です。1951年。昭和26年か。

ちなみにこの自伝、いろんな監督や俳優の話が出てきますが、共演したこともある若尾文子についての言及はあまりありません。関心がなかったのか嫌いだったのか、それは不明。

えーと、何か感想を書こうと思ったんですが、何もなし。比較的坦々とした、しかし詳細な自伝です。たぶん、出た映画をほとんど網羅している。個性があって、意志が強くて、強烈なプライドをもった女優。

自分で数年かけて書いた」と本人は言ってるようで、本当かもしれません。プロのゴーストが書いたらもう少し面白く盛り上げている。残念ながら高峰秀子とか岸惠子のような才気あるものではないです。資料本のような雰囲気もありました。


★★★ 草思社文庫
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副題は「滅亡と存続の命運を分けるもの」。タイトルの「文明崩壊」は大げさで実際には「社会の崩壊」。ある程度繁栄した国・社会やコミュニティがどうして崩壊したのか、程度の内容です。

冒頭、著者がよく避暑にいくモンタナの話がでてきます。米国モンタナ州。北はカナダ国境、西がアイダホでもう少し西にいくとワシントンとかオレゴン。南はワイオミングです。州の半分はロッキー山系にかかり、寒いけれども風光明媚な場所らしい。山があり、谷があり、森があり、川ではマスが釣れる。鹿なんかもいるんでしょう。

いかにも良さそうなリゾート地なんですが、実際にはいろいろな問題をかかえている。まず、人口が少ない。鉱山が多かったんだけど、最近は寂れている。その鉱山が原因の汚染も大きな問題になっている。林業も盛んだったけれども、やはり伐採しすぎが問題になっている。

基本的には貧しい州です。しかし近年リゾート地ということで州外の金持ちが別荘をどんどん建てる。しかし別荘族はしょせんよそ者です。地域の農場とか森林を維持するためには地道な努力や育成が必要なんですが、よそ者はそんなことにまったく関心がない。とにかくいい景色があって、とりあえずマスが釣れて鹿撃ちができればいい。景観が悪くなれば出て行くだけのことです。

結果的に地価だけ不釣り合いに急上昇しました。地元農家にとっては困ったことになる。農業を継続していくには地価が高くなりすぎて、採算が合わない。儲からない農地が減って、どんどん別荘区画が誕生する。オヤジが死ぬと子供たちは土地を売り払って州外に出て行く。オヤジがまだ元気でも、高校を卒業したら子供たちはやはり州外へ出て行く。不動産と観光業だけ盛んでも、地場産業が衰退しているんで州の中には希望がないわけです。

けっこう陰々滅々な話なんですが、そんなことより「へぇ、モンタナにも問題があったんだ」と驚いたのが実情です。美しい山と空気のきれいな森の中で、みんな幸せに暮らしているのかと思い込んでいた。大間違いだったらしい。

で、浅ましいことに、まっさきに考えたのが「ではどこの州がいいんだ」ということ。本質的にミーハー。そんなことはありませんが、もし米国に住むのならどこの州がいい?

こういうアホらしいことを考えるのはけっこう楽しいです。うーん。ただし、非常に難しい。暑すぎず、寒すぎず、地震やハリケーンや竜巻の危険もなく、空気もきれいで便利でもある。東北部は雪が深いしアリゾナやテキサスなんかは乾燥して暑そう。シアトルは良さそうだけど天気が悪い。カリフォルニア南部のラホイヤなんてのが人気らしいですが、はて。

とかなんとか。

肝心の本書の内容ですが、要するに人類社会の未来は明るくない。環境被害の問題、気候変動、政治や社会の対応。みんな大きな問題だらけです。おまけに人口問題。ごくシンプルに考えても、第三世界の人々がみんな西欧社会並みの生活をしようとしたら(彼らとしては当然の希求)、この世界は対応できるだけの資源を持っているのか。おまけに貧しい国ほど人口はどんどん増える。

真面目に考えるとかなり暗い気持ちになります。しかも遠い未来の話ではなく、半世紀もたたないうちにパンクするかもしれない。みんな必死に(自分のことだけ考えて)頑張っているけど、それは要するに「最後に飢える権利」程度かもしれない。みんな飢えて死ぬ。その集団の最後の一人になることに大きな意味はあるのか。

イースター島。権威の象徴であるモアイを造るためには、運搬用のコロに使う丸太が必要。樹皮でつくったロープも必要。どんどん木を伐り、どんどん緑がなくなり、そして最後に残ったたった一本の木を切った人間は何を考えたのか

ちょっと印象深いシーンですが、たぶんその男は何も考えていなかった。これを切ったって、何か他の手段はあるさ。どっかに他の木もあるさ、きっと、たぶん。そうやってイースター島は滅びた。グリーンランドやヴィンランドのノルウェー社会も滅びたし、マヤ文明も滅びた。他にもたくさんの例証があげられています。

そうそう。日本の徳川幕府による森林対策の話も出てきます。ちょっと事実誤認があるような気もしますが、ま、許容範囲かな。他にもあちこち強引な部分が感じられますが、大筋とはして納得できる内容です。未来は暗い。


★★★ 早川書房
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これも村上春樹訳。他の訳がどうだったか、完全に忘れてしまいました。ついでに言えばこの「高い窓」も読んだことがあるかどうか記憶になし。チャンドラーの小説は、雰囲気だけ記憶に残っていてもストーリーは忘れがちです。

で、読了。うん、なかなか良かったです。完全にチャンドラーの世界。もちろん例によって展開に「?」な部分は多々ありますが、比較的少ないほうかな。ちなみに今回のマーロウ、一回も殴られません。眉根にシワよせて飲んでばかりいます。
(マウロウの生活習慣の問題点。いつも酒の飲み過ぎ。健康によさそうな食事をしたことがない。おまけにしょっちゅう殴られる)

たいしたことじゃないですが、小説の冒頭はパサディナの屋敷から始まります。パサディナ? 一瞬、フロリダあたりを想像してしまったけど、そんなわけはない。念のため調べてみたらロサンゼルス北東部の高級住宅街だそうです。

ついでに、ヘンテコリンな女性秘書の実家はウィチタ。雰囲気としてはテキサスとかあっち方面かと思いましたが、調べてみるともう少し北のカンザス州でした。中西部中央。米国のヘソみたいな位置で竜巻の名所、オズに飛ばされたドロシーの家があったところですね。そうそう。大草原の小さな家のローラもここでした。

そういう草原の土地で育った神経質な若い女が富と頽廃のロサンゼルスに来て働いていた。ま、そういうことのようです。


★★★ 新潮社
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14世紀英国を舞台にした、ま、ラブロマンスです。タイトルから想像できるような、修道院の地味な挿絵職人の話ではありません。

英国の14世紀末というのは、百年戦争のまっただ中、バラ戦争が始まる少し前の時代です。ポワティエの戦いでフランスをやっつけた黒太子は王位を継ぐことなく死に、一代スキップして即位した息子のリチャード2世はまだ幼少。で、よくあるパターンですが叔父のジョン・オブ・ゴーントが権力をふるう。ジョン・オブ・ゴーントってのはランカスター公で、彼の子供がクーデタをおこしてランカスター朝の始祖となる。それがキッカケでやがてバラ戦争。

百年戦争がだらだら続いている時代なので、リチャード2世(実権者はジョン・オブ・ゴーント)は戦費の調達に苦しみます。仕方ないから税金を重くする。これじゃ食えない・・てんで農民は反乱をおこす。ワット・タイラーの乱です。

当時のカトリック教会は腐敗しきっていて、「アダムが耕しイブが紡いでいた時、だれがジェントリーだったか」などど平等思想を歌にして歩く説教師が人気をえる。おまけに法王庁はローマとアビニヨンに分裂している。

こうした教会の弱体化につけこんだ(?)ジョン・オブ・ゴーントは、聖書の英語訳をやってるジョン・ウィクリフを応援する。英語訳されると、庶民が聖書を読むことができて、聖職者の権威に疑問を持つ可能性がある。困ったことです。敵の敵は味方。ウィクリフは教会の敵なんで、これを応援することは間接的に教会の権威を弱めることになる。

ややこしい時代です。

無知な農民たちを教会が支配している中世ってのは、悲惨ですね。王権貴族の支配だけでも大変なのに、さらに教会が権威をふるう。十分の一税を収奪する。文句をいえばもちろん首吊るしに火あぶり。ついでに王権と教会はいがみあって、いがみあっているけど上層部では結託している。司教区を持てるのはたいてい有力貴族の子弟ですね。日本だったら親王がいきなり天台座主になるとか。

教会にとって、庶民はなるべく無知なほうがいい。庶民農民に知恵がついたら大問題です。伝統的にカトリック教会が信徒の「無知」をよしとするのは、そうした戦略があったんでしょうか。統率しやすいのは無知にして純な羊の群れ。ただ困ったことに庶民だけでなく、司祭連中もたいていは無知だった。ラテン語のお祈りを少し暗記していればそれで十分。資質的にも疑問符な連中が大部分だったらしい。

この小説に登場する悪役にノリッジ司教ヘンリー・ディスペンサーという男がいます。たまたま僧職についているけど、性格的には武人。小説の終わり頃、反乱勢力鎮圧のためこの司教が剣を帯びて出陣するシーンがあります。史実らしい。戦う司教。

こういう時代、亭主が死んでしまった小さな館の寡婦(女領主)はどんな立場か。ささやかながら領地があるので、周囲の貴族連中はなんとか自分のものにしようとあの手この手。教会の坊主どもも口実をみつけて喜捨をむしりとろうとする。女領主は頭が痛いです。おまけに土地を管理させている差配人がまったく信用できない。戦争中なんで、まともな男手がたりないんです。そうそう、王にはこうした寡婦の領地を召し上げる権利があったらしい。

そんな状況に、平民ながら男前の絵師とその愛娘が馬に乗ってやってくる。ロマンスの始まり始まり。

ロマンスそのものはたいして興味をひきませんが、時代背景は面白いです。かなり忠実。登場人物もその時代にふさわしい発想で行動し、次々と、実にあっさり死にます。


※ 寡婦の領地を召し上げる

えーと、確証はありませんが、貴族の結婚は王の許可が必要です。勝手に閨閥を作って連携されるのは恐いですから。あえて言えば、王は臣下の結婚を勝手に決めることもできる。しかしこれを恣意的にやられては困るので、貴族たちは許可料を払ったり、宮廷で王のご機嫌をとったりしてある程度自由な結婚をします。

貴族の寡婦といっても、単なる奥方というケースと、その土地付きの女性(相続人) というケースがあります。相続権をもった女性なら、女伯爵ですね。たいていは息子が成人すると後を継がせますが、たまには子供がいないこともある。あるいは娘がその相続権を継ぐとか。そうなると、求婚者がむらがります。

タテマエとしては、貴族は王に対して武力で奉仕する義務があります。しかし寡婦にはそうした力がない。そういう理屈で、王は寡婦に対して「修道院に入って亭主の菩提をとむらったらどうだ」と勧告することもできる。ま、実際には王に一族の領地をとられたら困るんで、死んだ亭主や寡婦の親戚とか友人とかがナントカして妨害するでしょう。

王があんまり強引にやりすぎると、たいてい貴族連中は結束してクレームをつけます。明日は我が身。勝手は許さないぞ。しかしたまたま友人も親戚もいない寡婦だったらどうなるか。狼だらけの森に迷いこんだ赤ずきんですね。ということで、この小説の寡婦は、意に染まない近所の強欲な有力貴族(ガーター騎士)の求婚に対して苦労するわけです。

少し違っているかもしれませんが、だいたいは合っているでしょう、きっと。

★★ 新潮社
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この作家は初読。香港とか台湾を舞台に活動しているようです。現在は北京在住らしい。ただし著書は大陸で発禁処分

要するに近未来小説ですね。西欧圏が大不況になり、大混乱。体制の違う中国だけが生き残って一種のモンロー主義で内需拡大。つまりは「盛世」の御世です。

景気はいいし国民は幸せだし、ま、党中央はあいかわらず強権だけど、でもいいじゃないか。100人のうち95人が幸せと思っているなら、その社会は大成功でしょう。それ以上、何をのぞむ。最大多数の最大幸福。

でも残りの数パーセントにとっては、合点がいきません。なんかおかしい。どうしてみんな幸せなんだ。オレは(ワタシは)幸せではないぞ。ということで、数人の不満分子が連携し、真相を探ろうと試みる。

ちょっと冗漫な部分もありますが、現代中国の実情を知るには格好の小説です。六四天安門事件のあつかいとかネット監視、中央宣伝部の位置づけ、締めつけとして時折発動される「厳打」キャンペーン。(「厳打」という言葉、この小説ではじめて知りました。一斉取締り。常に行き過ぎとなり、点数を稼ぐため即決裁判でどんどん有罪にされる。)

ま、発禁処分は当然ですね。むしろこんな作家が北京に住んでいられることのほうが興味深い。みなさん、獅子の尻尾の周囲でダンスをしているようなものなのかな。注意深く踊っている限り大丈夫。ステップを間違えると致命傷だけど。


★★★ 文春文庫
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電車の中で読もうと、本棚から適当に抜き出した文庫本。超速球の投手がチベットかブータンから大リーグにやってくる話だったような。副題は「シド・フィンチの奇妙な事件」。

大筋は合ってましたが、雰囲気はかなり違ってました。野球ファンの書いた痛快野球小説のような設定なんですが、実際にはベトナム帰りで後遺症に苦しむライターと、実生活になじめない女の子、求道者として精神生活に生きようとする不器用な英国人青年。3人が凸凹おりあって奇妙で居心地のいい共同生活をする。ま、そんな小説です。

チベットの僧院にたどり着いた青年は、敷地に侵入してくる雪豹を追い払うために小石を投げる術を学びます。精神を統一することでなんと時速270キロ。もちろん針の穴を通すようなコントロール。で、野球場のデザインが曼陀羅を連想させることから、青年修行僧は投手という存在にちょっと興味を持つ。なんなら大リーグに入ってもいいですよ。

時速270キロの速球投手が加わったら、野球というゲームはどうなるか。投げる必要のあるのは9イニング27球。もちろん完全試合です。バッターはボールの軌跡さえ見えません。投げた。ほとんど同時にミットの衝撃音。後方にふっとんだキャッチャーは痛みに苦しみもだえている。審判は確信もないままストライクを宣言するしかない。なにしろ見えないんだから

凄いといえば凄いですが、しらけるでしょうね。興奮する要素がまったくない。ピッチャーはただマウンドに歩いていって、ウォームアップもなしでいきなり投げる。スドーン。また投げる。ズドーン。坦々とそれの連続。

ま、そういう具合で新星シド・フィンチは球界に衝撃を与え、そして去ります。修行僧フィンチは人間生活へ復帰しそうだし、女の子も自分の場所を発見できそうだし、中年ライターはようやくタイプライターで文字を打てるようになる。たぶん。

けっこう楽しい読後感でした。ちなみに腰巻きの「野茂・・・」はほとんど内容と無縁です。そういう小説ではありません。


★★ 河出書房新社
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副題は「名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか」。たまにこういう本も読みたくなります。

要するに古代の人々はどのようにして海を渡ったのか。なぜ未知の水平線の彼方へ漕ぎだそうとしたのか。視認できる島なら納得できますが、そうとは限らない。何百キロという航海もしています。

大昔、たぶんミッチェナーの「ハワイ」を原作とした映画を見た記憶があります。ポリネシアの連中が遠大な旅をしようと決める。北へ北へ、茫漠たる大洋を航海していると、やがて神の使いの神聖な鮫があらわれて彼らを導いてくれる。こうして人々は常春のハワイにたどりついた・・・。この冒頭のシーン、けっこう感動的でした。

たぶん実際には、まず東南アジアに住み着いた人々がニューギニアとかオセアニア北部へ航海したらしい。大昔は海が低くて、渡るべき距離が少なかったらしいので、ま、一応は納得できます。船出にはいろいろ事情があったんでしょう。食えないとか、ケンカしたとか、女にフラれたとか

しかしある時点から、単なる冒険旅行ではなく、本格的なポリネシアへの計画移住が始まる。ラピタ人という連中。たぶんアウトリガーのけっこう大きな舟に女も子供も豚も乗せ、有用植物の苗も乗せて完全に引越しです。すごい冒険と思いがちですが、著者によるとあんがい危険は少ないんだそうです。モンスーン地帯では、だいたい定期的に風向きが逆転する。とりあえず東に延々と航海しても、数カ月待てば逆風を利用して帰還することも可能。もちろん星や太陽を見て、一定の航路を維持する必要はあるけど。航海に必要なのは知識と我慢、自制、忍耐。けっしてギャンブル心ではない。

著者は子供の頃から沿岸で小舟に乗ってウロウロした経験があるらしい。幼いころから海に暮らした人間にとって、島影を見分けたり潮の流れを測ったり鳥の飛び方を見たり星を見ることは決して至難の技ではない。猟師が森の中で迷わないのと同じレベルなんでしょうね。

ということで、動機があって頑丈な舟を作る技術があれば、海に乗り出すことはできる。その海域によって必要な舟の作り方は異なりますが、少しずつ改良をくわえて立派な船になった。

メラネシアからポリネシア、東地中海、北海、インド洋、アリューシャン。世界の海について記述していきます。エッセイのようでもあり、各地の舟の構造紹介でもあり、古代人のお話でもあり、なんともジャンルの明確ではない一冊です。

題名から想像するようなロマンチックな内容じゃないです。学術書ではないけどわりあい単調で退屈。でも読んでよかったと感じられる本と思います。


★★★ 文藝春秋
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とくに読むつもりもなかったのですが、たまたま図書館の書棚にあったので借出し。1カ月ほど前によんだ上巻の続きです。

要するに時間旅行した主人公がなんとかケネディ暗殺を阻止しようとする。しかし時間旅行の設定として「特定の日時、特定の場所にしか戻れない」という制約があるため、63年11月22日がくるまでの長い時間を現地で暮らさないといけない。することもないので、ダラス近くのとある高校で教職につきます。もちろん経歴は詐称。

で、背が高くて不器用な女性(すぐ躓いて転ぶ)と知り合う。ずーっとリー・オズワルドの監視をしながら、ついでにこの女性とも愛し合う。だんだんどっちが本筋かわからなくなるんですが、ま、そうした手法でスティーヴン・キングは長い長い話をなんとか繋いでいく。

どうして会うなりオズワルドを無力化しないのか。そこがこの小説のミソで、要するにオズワルド単独犯という確証がないわけですね。もし共犯者がいるとすれば、オズワルドだけ殺しても意味がない。人を一人殺して(とうぜん、警察に追われる可能性が高い)それでも結果的にケネディが死ぬんじゃあんまりです。

結末はもちろん書けませんが、けっこうハラハラドキドキのストーリーでした。ついでに言えば、全体のトーンは、ちょっと叙情的かつ暗いです。



★★★ 新潮社
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「おーい、クルマ、こっち入れこっち入れ」
え?誰だ?とエビが振り返ると、シャコだった


落語の一節なんでしょうね。笑ってしまった。たしか「海老」についてのエッセイで紹介されていました。

阿川弘之の本、何を読んだことあるかなあ。うーんと考えても出てきません。たぶん連合艦隊とか山本五十六、井上成美の本は読んだと思う。それ以外に何があったけ。

ということは別にして、この人のエッセイは楽しいです。勝手なことばっかり書いてますが、たくまざるユーモアというか、ま、味がある。品がある。忘れてましたが、この8月に亡くなったんですね。えーと、94歳か。大往生というべき。病院でも最後までローストビーフやステーキを食べて(こっそり)酒やビールも飲んでいたらしい。いい死に方です。


★★ NHK出版
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マタギものの熊谷達也ですが、現代小説。どんな具合に書いてるんだろうと借り出してみました。

テーマはちょっと重い。3.11です。そういえば熊谷達也ってのは仙台かなんか在住だったような。実際に体験した作家が正面から向き合って書いた本なんでしょう。

で、小説の前半は仙台の予備校に勤務する若者が遭遇した地震と津波。臨場感があります。うん、そんな感じだったんだろうな。災害の中心にいる人間は、いちばん情報から遠い。海から離れていれば、津波のことなんて想像もできないし、知ることもできない。日常の市街をクルマで走っていくと、突然、周囲は狂気の様相に変貌する。

しかしドキュメンタリーじゃないので、実体験だけを書くわけにもいかないです。後半は50年後(たぶん)の海辺の町に移動します。その近未来都市に住む利発な少年が主人公。海の景色をへだてる高い高い防潮堤の上で謎の爺さんと出会い、いろいろ話をする。この町の過去について学んでいく。

なんか似ているなあ・・と感じたのは池澤夏樹でした。この人も、ちょっとユートピア調というか童話のようなタッチで書くことがあります。少年がいろいろ勉強したり、疑問を持ったり。ナマの形で主張することを避けるために、そうした設定を作る。ただし登場するオトナたちに血が通っていない。情報を提供するだけの役目をもったキャラクター。テレビの子供番組に出てくる「物知りロボット」ですね。

そういうわけで、これもちょっと分裂した小説になってしまった。要するに、オブラートに包んでいるけど作者の「言いたいこと」がナマすぎるんでしょうね。小説としてはあまり成功していないような気がします。


★★★ 幻戯書房
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昔、なんかの文章を読んで池部良ってのは上手だなあと思った記憶あり。たくさん書いてるようですが、本書はたぶん最晩年の頃のエッセイ集です。冒頭、卒寿の話があるので、89歳くらいからかな

あいかわらず軽妙で味があります。ただお歳のせいかな、所々に意味不明瞭の部分もあり。冗長を削って削っていったら、ちょっと削りすぎた。でも本人としては「これでも通じるだろ」と思ってるような雰囲気です。よくいえば、それも味のうち。

戦前に俳優デビューしてるんですね。立教を出て助監督になるつもりが、見込まれてちょっと俳優をやった。すぐ出征で、兵隊として短期に除隊する予定だったのに(もちろん散々殴られた)幹候試験を受けさせられた。将校になると任期が長くなるので嫌だったようにも書いてありますが、ま、受けろと言われたら従うしかないでしょうね。

で、見習士官として北支から輸送船に乗せられ、フィリピンの港を出たところで潜水艦にやられて海上を漂い、救われたと思ったらそのまま南方へ。赴任の島はいいところだったようですが、事情があって小隊をひきいる羽目になる。そのうち米軍の爆撃が激しくなりジャングルに逃げ込む。喰えるものはなんでも食ってヒョロヒョロになって生き延びていたら終戦。終戦ったって、すぐには帰れません。復員が昭和21年かな。

たいへんな人生です。もちろん大森の家は焼けているし、仕事もない。おまけに病気で2カ月ほど倒れた。そこへ市川崑と高峰秀子が「俳優として戻れ」と誘いにくる。あてもないんで「はい、やります」と返事。こうして日本人離れしたスタイルの二枚目俳優が誕生。いまどきなら珍しくないですが、なんせ大正生まれですからね。べらぼうにモテたらしい。

この本に収録のエッセイの中身はバラバラ。江戸っ子である父の話。子供時代のこと。売れっ子俳優時代。食べ物の話。いろいろです。


★★★★文藝春秋
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熊谷達也のマタギもの代表作(たぶん)。大盤振る舞いで星4としましたが、本当は星3.6とか3.7くらいかな。今年は4つ星が払底しているので、エイ!とオマケです。

この本は力が入っています。破綻が非常に少ない。直木賞と山本周五郎賞の両方をとったのも納得です。秋田阿仁の若いマタギがだんだん猟を覚え、知り合った地主の娘に夜這いをかけ、妊娠させたのが原因で村を追い出される。行った先は鉱山。当時の鉱夫たちの生態は面白かったですね。単なる労働者ではなく親分子分の関係です。江戸時代からの古い風習が残っていたらしい。ヤクザとか香具師なんかと雰囲気が似ている。 (「友子」制度というらしい。一種の職能伝授・互助組織)

で、景気のよかった炭鉱も火が消え、主人公はまたマタギに戻ります。いろいろあった末に女房ももらって、年を少しとって、いよいよ山の主と最後の対決。マタギの間では決して獲ってはいけない熊がいたんだそうです。月の輪のない黒熊(ミナグロ)、白い熊(ミナシロ)、山の主である巨熊(コブグマ)。これらは禁忌です。うっかりミナグロを獲ったマタギは廃業しなければらない。コブグマに立ち向かえば殺されてしまう。そのコブグマを相手にしてしまう。

主人公は射撃の名手でさっそうとしているけど完璧な男ではなく、気負いもあるし女も好き。理性では損と思ってもつい走ってしまうところもある。わりあい常人に描かれているのが好感です。


★★河出書房新社
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閻連科(エン レンカ /イエン リエンコー)は中国の作家で、けっこう微妙な内容なので出版するたびに中央に叱られているらしい。でもこの小説でフランツ・カフカ賞受賞。日本でもけっこう売れたとか何かに書いてありました。版元も河出だし。ふーん。

マジック・リアリズムということになっています。ノーベル文学賞とった莫言なんかと同じ系統の作家ですね。こうした手法がいちばん安全なのかもしれない。

お話は河南省の僻村。どうでもいい山の中の集落なので、周囲の県から相手にしてもらえない。住民のほとんどは障害者。というより、付近の障害者がみんなこの村に流れ着いた。ここなら支えあって安心して生きていける。忘れられた村です。

で、野心に燃える県長がレーニンの遺体(最近粗末に扱われているという噂)を招来して町おこししようと思い立つ。特殊技能をもった村の住民を使って絶技団公演を企画、莫大な資金集めをもくろむ。要するに巡回サーカスです。それに対抗する村のカリスマ指導者は(少女時代に)延安長征にも加わったことのある老婆。ドタドタバタバタとストーリーが展開します。

ちなみに中国の「県」は行政的には日本の郡のようなものです。でもさすが中国、81万県民とか野心県長は豪語していました。日本の小さな県にも匹敵する。

うーん、いまいち乗れませんでした。ほんと、莫言と似たような小説なんですが、莫言のねちっこさがない。自然がうまく描写されていない感じがする。人物の描き方もうーん・・・・・。描写の「根っこ」が生硬なのかな。

素晴らしい!と感動する読者がいても不思議はないですが、ワタシ的にはダメでした。


★★★ 新潮社
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荻原浩の小説はたいてい楽しめます。思いつくだけで「四度目の氷河期」「愛しの座敷わらし」「オイアウエ漂流記」「ひまわり事件」「砂の王国」「二千七百の夏と冬」・・・。どれも再読に耐えるものばかり。(「さよならバースディ」は駄作だった。)

「冷蔵庫を抱きしめて」 は短編集でした。比較的軽くて気がきいている。主人公はみんな自信がなく、世間に迎合して生きている。亭主はいつも自分勝手で暴力的なダメ男。自分がそういう男を好きなのか、それともその種の男を引きつける何かを持っているのか。

で、そのままズルズル奈落に落ちていく女もいるし、エイ!と開き直って自分の道を選ぶ女もいる。所詮は小説なんですが、やはり「エイ!」のほうがカタルシスありますね。暴力男と別れるためにボクシングジムに通うお話はなかなか楽しかったです。モリモリ筋肉がついて、パンチに威力がついて、最後は「別れないでくれ・・」と言いながらも卑劣に殴り掛かる男を叩きのめす。スッキリします。

ま、それだけのことですけど。


★★★ 文藝春秋
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たまたま上下巻がそろっていたので借出し。うんざりするくらいの長編です。ただしスティーヴン・キングなので、冗長な部分は多少飛ばし読みしても問題なし。良く言えば詳細、悪く言えばどうでもいいジョークの言い合いの多いのがキングの特徴です。それにしても、登場キャラクターたち、切迫した場面でも忘れずに冗談を言う。

で、舞台は例によってメイン州の片田舎、ある日とつぜん巨大な透明ドームが出現する。高さ1万メートル以上、小さな町がすっぽり覆われてしまいます。

完全に透明なので、飛行機も鳥も車も衝突してしまいます。銃弾もミサイルもこの壁に穴を開けることは不可能。たまたま境界にいた人間も犬も鹿も、バッサリ切断。川の流れも止まります。このドームを通すのはほんの少しの空気と水という設定です。声や電波は通過します。したがってドームの内と外で情報の伝達はいちおう可能。

こうした閉鎖空間の中で人間はどう振る舞い、どう考えるか。それが作者の狙いですね。閉鎖空間なので、外界から食料も医薬品も運べない。風がほとんど通らないので気温は上昇。それどころか権力も司法も無力。そもそもこのドームはなぜ置かれたのか、最後の方でいちおう種明かしはありますが、多分あんまり重要な部分ではありません。

同じ作者の「ミスト」も同じような設定でした。「ミスト」は片田舎のスーパーマーケットが舞台でしたね。外は深い霧。魑魅魍魎が徘徊していて、ドアから出ることはできない。そんな環境で、閉じ込められた町民たちがどうなるか。何をするか。その拡大版が「アンダー・ザ・ドーム」です。

これも定番の悪役は町の町政委員で、ナンバー2。中古車販売会社の社長です。こすっからい悪人だけど敬虔な信徒。No1は気の弱い薬屋の店主。町民から選ばれたこうした代表が実質的な町長、助役を勤めている。で、まともそうな警察署長は早々に死んでしまって、副署長は無能。警官もほとんどが役立たずで、新しい補助警官たちはみんな頭のカラッポな筋肉マッチョで粗暴な若者連中。なにかというと発砲したり殴ったり強姦したり。こういう連中を描くとキングは筆が冴える。

はい。最初から最後までひたすら暴力の連続。どんどん死にます。面白いですが、かなり疲れます。


★★ 文藝春秋
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わりあい最近の刊行のようです。タイムトンネルもので、タイトルの数字は「63年11月22日」。ケネディ暗殺。

読み終えてからまだ下巻があることに気付きました。失敗した。分冊の片方だけ借りるってこと、まずしないんですけど。

で、上巻では主人公がトンネルを潜って過去へ行き、そこで5年ほど暮らしたあたりでおわり。設定として「タイムトンネルは過去の特定の日時にだけ通じている」「過去で何年過ごしても、現在に戻ると2分しか経過していない」「過去には意志があり、変更の行為に対して抵抗する」などなど。

随所にスティーヴン・キングらしさがあって悪くはないですが、それにしても米国人にとってケネディ暗殺ってのは大きな事件なんだなあ。ケネディが殺されなかったら世界が良くなったかどうか疑問なものの、それでもベトナム戦争とか、冷戦の推移、その後の9.11とか、アホの息子ブッシュとか、いろいろ違った世界になった可能性はある。

そういえば好きな作家であるコニー・ウィリスもタイタニックものを書いています。タイタニックの沈没は英米にとってそんなに大事件だったのか。そこがアヤがわからないので、この本(航路)もイマイチ共感できなかった。

ふと、もし日本だったら何か歴史上の重大な「IF」になるんだろうとも考えました。うーん、なんですかね。やはり本能寺だろうか。他にもいろいろありそうですが、さしたるインパクトはない。もし信長が生き延びていたら、かなり日本は変わる可能性があります。天皇制をひっくりかえしたか。あるいはフィリピン、インドシナあたりまで攻め込んだか。なんなとく朝鮮中国へは行かなかった気がする。どっちにしても秀吉の晩年ほどメチャクチャにはならなかったでしょう、たぶん。

いちはやく産業革命にすすんでアジアの強大国になり、結果的に大戦争して日本が滅びたかもしれませんね。そんな可能性もある。少なくとも保守ではなく革新。農本主義ではなく商業貿易。後の徳川時代とはかなり性格の異なる国家にはなったでしょう。それが日本にとって幸福か不幸かはわかりません。


★★★ 光文社
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どこかのサイトで褒めている人がいたので、気になって借出し。

なるほど、紀伊半島東南の端っこ近く、太地の鯨漁のお話ですね。それまではごく小さなクジラしか上げることができなかったんですが、江戸時代に巨大なクジラも獲れる網漁を考え出した。発明した網元はもちろん大金持ちになった。江戸時代初期の頃、大きな鯨の平均価格が75両とありました。太地で多い年は70頭以上もとれたらしい。すごい額です。小さな藩なんかモノともしない。ほぼ独立領。

もちろん何十メートルもあるクジラを上げるには、少しくらいの人数では無理です。高台で見張り専門にあたる人、見つかったら舟を押し出して、網を張る舟、群がって銛を打つ舟、弱ったところで鼻先に穴をあけて曳航する舟。浜にあがったらすぐ処理しなければらない。なんやかんやで、千人以上の人手が必要になる。完全分業流れ作業ですね。したがって各部門の作業ルールも非常に厳密で、小規模な軍隊のような組織になる。

銛を打つにしても、ただ打ったんじゃいけない。最初は小さな銛で弱らせて、それからだんだん大きな銛にする。いきなりガツンとやるとクジラが必死に暴れるらしい。またザトウクジラは太っていて脂が多いとか、ナガスクジラは大きくて強いのでなるべく避けるとか、うんちくはけっこう楽しいです。

で、時代は江戸時代から明治にかけて、その太地に暮らす漁師たちをテーマにした短編集です。だんだんクジラが来なくなって(たぶん「白鯨」で描かれるアメリカ捕鯨船の影響)、資本力を誇った網元もついに倒産。太地の沿岸捕鯨は終了します。

このテーマ、たしか宇能鴻一郎も書いていました。えーと、「鯨神」だったか。ストーリーはまったく覚えていませんが、かなり良質の小説だったはずです。これで芥川賞か直木賞をとったんじゃなかったっけ。その後、なんで宇能鴻一郎は官能小説しか書かなくなったのか。不思議。

今回の伊東潤「巨鯨の海」も面白いですが、うーん、傑作とまでは言えない印象。ストーリーはそれぞれ違うものの同じようなテーストの短編が続くんで、後半になると少し飽きてきます。


★★ 河出書房新社
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三田誠広の本、図書館には何冊か並んでいて、みんなタイトルはかなり面白そうなものばかりです。で、実際に借り出してみると、うーん、どうも合わない。そんなことの連続。

今回は珍しく読了しました。えらいえらい。ただし、やはり面白くはなかった。

一応は菅原道真の生涯です。ただし冒頭、なぜか在原業平が登場する。これは??なんですが、なるほど、業平の惚れた女ってのが宮中に入って、結果的に皇太后になる。女のほうも実は色男の在五中将を忘れられない。その相思相愛に他の女が嫉妬して、おまけに藤原北家の陰謀がかかわって、そこに菅原道真も巻き込まれる。ま、そういう形なんだそうです。

すべての原動力は恋と野心と嫉妬。ちょっと不思議な切り口ではあります。

正直、読みづらいですね。なんせ平安貴族のお話なので、次から次へと新しい名前が登場して、出世したり脱落したり。たかが儒者の家ながら右大臣にまで上り詰めた菅原道真です。もちろん周囲は敵だらけ。不器用ながら本人なりに(天下国家のため)立身出世をもくろんだ道真も、最後はスッ転んで太宰府に流されます。

これ、なんとなく単なる左遷人事と思い込んでいましたが、実質的には囚人扱いだったんだそうです。よせばいいのに可愛い末の子供をわざわざ太宰府に連れていって、劣悪環境で死なせてしまう。ほんとうに賢い人だったんだろうか。

そうそう。応天門の炎上事件なんかもこの頃の話です。左大臣源信と大納言・伴善男を蹴落とすための陰謀。黒幕は太政大臣・藤原良房です。あんまり明確には書かれていませんが、菅原道真もコソコソと良房を手助けしたのかもしれません。そう考えるとその後の出世も理解できる。


★★★ 講談社
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前にも読んでいました。でもすっかり忘れていたので問題なく再読。何本かの幕末エピソードをまとめたものですが、今回あらためて感じたことを。

えーと、タイトル忘れましたが(すぐ忘れる)、写真術の章。手に入れた蘭書を読んで写真乾板(湿板かもしれない)の作成になんとか成功。そしたら薩摩の殿様が教えろというので伝授。あとで撮影したものをみると「額の丸い太った女」が写っていたそうです。

殿様というのはもちろん島津成彬ですね。太った女は当然のことながら「篤姫」です。後の将軍家御台所。そっけなく「太った女」と言い切るところがおかしい。笑ってしまいました。

もしひとつ。鳥羽伏見の戦いの指揮をとった竹中重固という旗本。有名な竹中半兵衛の子孫だし主戦派の大身だったのでとんとん出世して、なぜか若年寄並陸軍奉行。ま、この人が責任者になって伏見へ進軍したわけです。で伏見の奉行所に陣取って(たぶん幔幕張って)偉そうにふんぞりかえっていた。

野口武彦の書くところによると、お奉行様は薩軍が砲撃するなんて予想だにしていなかった。こっちは圧倒的な大軍です。すぐ降伏するだろうと思っていたんでしょう。すぐ近くで薩軍が大砲を向けているのも承知だけど、まさかね。それでも夕方になってしびれをきらし、仕方ない、押し通るか。どれ、地図を持て・・・と命令したあたりでいきなりドカンドカンと打ち込まれた。

たぶん自軍の正確な配置も把握していなかったし、部隊との連絡方法の打ち合わせもなかった。そもそも抵抗されるなんて思ってなかったから。そのうち混乱の中で後方へ撤退。幕府軍、数だけは多かったけどみんな状況がわからないし指示命令もない。負けるべくして負けた。で、敗戦責任で更迭。

その後もいろいろあって、最後は函館まで行ったようです。結果的には降伏して生きながらえた。まったく力のない人でもなかっただろうけど、アタマが固くて客観的に事態をみる能力に欠けていた。進軍の儀礼とか床几の置きかたとか、格好にはうるさい人だったようです。運の悪い人が運の悪い場所にいた。歴史のアヤです。


★★ 中央公論新社
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副題は「昭和天皇までの二千年を追う」。要するに天皇はなぜこんなにも長い間、君臨し続けることができたのか、というテーマですね。

平安の藤原氏は権力の源泉を天皇から得ているので天皇にとってかわろうとはしなかった。それは納得。しかし頼朝はどうだったのだろうか。足利義満は? そして誰より信長です。自分が日本の最高権力者になろうとすれば簡単になれた。それなのに何故か天皇制を維持し続けたわけです。もう数年生きていたら違ったかな。家康だって、とくに天皇が必要ではなかったはず。不思議ではあります。

という具合に、日本ではずーっと「革命」が成立していない。つまり王朝が変わることがなかった。天皇が権威と実権の両方を握っていたのはおそらく大化の改新から、ほんの少しの間でしょう。その後は実権を失い、ひたすら権威だけ。つねに飾り物として機能してきた。

結局この本では「なぜ?」に十分には答えていません。権威として存続させたほうが何かと好都合だったから天皇制が継続してきた。それが結論かな。田原総一郎ふうに料理した「平易な日本史」で、二千年をざっと俯瞰したような一冊になってしまいました。

直近ではGHQが天皇制を廃止する可能性もあったわけですが、でもやはり「残しておいたほうがスムーズだろう」という政治判断になった。当時は近衛あたりも「譲位もやむなし」とか進言したりもしたらしい。しか実際には天皇責任はもちろん、改元もなし。そもそも8月15日も「敗戦」ではなく「終戦」です。ウヤムヤにしてしまうのが日本は得意なんでしょう。そういえば巣鴨の収監者も犯罪者だったのか犠牲者だったのか英雄だったのかの総括は結局なし。オボカタさんの話も責任がどうとかいう話にはなっていません。ウヤムヤ。

敗戦の天皇責任については田原も言いたいことはあるらしくて、しつこくモゴモゴ書いてます。でも明確には言い切らずウヤムヤでお茶を濁した。歯切れが悪い。逃げたな。田原総一郎もニッポン人。


★★ 集英社
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森(マタギ)シリーズの最終作ということになってるらしいです。ただし中身は地味な熊猟ではなく秋田の「元マタギ」がカラフトとロシア本土を股にかけて大活躍というもの。半分ハードボイルド、半分は冒険活劇ですね。

心に痛みをかかえた主人公がカラフトの浜でニシン漁の下働きとして稼いでいる導入部はなかなか迫力があります。流れ流れてカラフトくんだり。大正初期が時代設定ですから、一稼ぎできるというんで荒くれ男どもがたくさん行ってたんでしょうね。

子供の頃、戸棚の隅からたしか「雪の夜語り」という本を発見して読みました。冬の北海道を舞台にした小説を集めたものだったんでしょうか。いつ発行で書き手は誰だったのか、まったく不明。中身もほとんど覚えていませんが、ニシン漁とか出稼ぎ労働者の話が多かった気がする。ヤン衆とか群来(くき)とかアツシ(厚手の上着です)とか、この本で知りました。ぜんたいに暗いトーンの内容でしたが、子供ながら雪国の叙情を感じた。しばらく愛読した気がします。

それはともかく。「氷結の森」の主人公は超優秀な兵士あがり(日露戦争では伍長)です。もともとマタギなんで、射撃は神業。体格もよくて腕力もある。おまけにいい男で、やたらモテるけど(お約束で)依怙地にストイック。カラフトに流れてきた飯炊き女に惚れられ、北カラフト原住民ニヴフ(ギリヤーク族のことらしい)の美少女からも慕われる。好きな食べ物はカレーライスにコロッケを乗せたやつ。なんのこっちゃ。

女を救うために氷結の間宮海峡を犬橇でわたり、アムール河口のニコラエフスクへ。ここで発生したのが有名な尼港事件というやつです。要するに駐屯の日本軍・在留邦人がパルチザン部隊に襲われ、おまけに中国艦に砲撃され、ニコラエフスクが廃墟になった。ただし主人公は不死身なんでドンパチ大活躍。可憐なニヴフ少女をつれてまた間宮海峡を・・・・。

ま、そういうお話です。けっこう面白くはあったけど、傑作とはいえません。はやいとこ第一作の「邂逅の森」を探さなくっちゃ。こっちは正統なマタギものらしいです。

本筋とは無関係ですが、この尼港事件の補償として日本は北カラフトを占領したんだそうですね。


★★★ 集英社
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熊谷達也という作家、まったく知りませんでした。直木賞と山本周五郎賞の同時受賞だったらしい。だけど本は売れない。たまたまネットで評判を知り、読んでみようかと思った次第です。

森三部作(マタギ三部作)とかいうらしく、その二作目。一作目の「邂逅の森」から読んだほうがいいんでしょうけど、あいにく貸し出し中だった。ま、続き物ではないようなので、こちらから。

マタギのお話です。新潟・山形の県境あたりは(あんまり有名ではないけど)日本有数の山地です。飯豊・朝日連峰。その山の麓にへばりついている小さなマタギ村。ただしこのご時世、専業なんて無理なのでこじんまりと農業やったり土木事務所に勤めたり。ときどき集まって山に入る。

今では勝手に熊を撃つわけにはいきません。冬の間だけは撃てるけど、その時期の熊は穴に籠もっているんで、めったに殺せない。夏になると里に降りてきて住民から害獣駆除要請がきますが、これもしっかり行政の許可が必要です。そもそも夏熊は肉がなくて胆嚢も小さい。マタギ連中としては気が乗らない

行政にとっても熊は困る。住民が襲われれば大問題だし、かといってどんどん殺すと保護団体からクレームが殺到する。可哀相な熊をなんで殺すの。担当者(役場の課長あたり)は胃が痛いです。

小説では捕獲した熊にチップを埋めこんで、ついでに強烈スプレーで「お仕置き」をして森に帰す運動をしているNPOも登場します。この運動の方向が正しいかどうかについては、作者も口を濁しています。やらないよりはマシだろうけど、効果はどうだろう。おまけに費用もけっこうかかるし。

ま、なんやかんやで正義感に燃えた都会の女性ライター(もちろん美人)が動物カメラマン(もちろんカッコいい)や若いマタギ棟梁とかかわり、冬の熊狩りに参加。てんやわんやの末に一頭しとめて熊鍋を食します。美味しいんだそうです。純粋に肉が美味というより、いろいろなプラスアルファがあって味が濃い。嫌われ者のマタギたちにちょっと共感したあたりでジ・エンド。

なかなか面白い本でした。さして理由はないですが、実はマタギもの、けっこう好きです。都会暮らしの人間の憧れですね。もちろん自分が実際に冬山に分け入るだなんてとんでもない。本で読んでひそかに共感するだけ。


★★ 講談社文庫

電話機の液晶が薄れてしまって不便でしょうがない。誰からの電話なのかがわからないです。しばらく我慢していましたが、ついに諦めて新しく買いました。またおたっくすのファクス電話です。ファクスなんて年に一度くらいしか利用しないのですが、完全にナシとなるとそれはそれで不便。アマゾンで1万1000円程度。こういう製品、安くなりましたね。

最近の電話はうるさいです。登録してある番号だと「ダレソレさんからデンワです」としゃべりまくる。イントネーションも絶妙に奇妙で、かなり気分悪し。消音決定にすりゃいいんですが、取説読むのが面倒でまだやっていません。

前置きが長くなりました。で、受話器交換のため、PCデスクの陰になっている電話線や電源コードを抜く必要が生じた。ところがそのためには重たいデスクを移動させないといけない。これが大仕事でした。デスクの下には古い機材やらパーツ類、ついでに本なんかも放り込んであって、これをゴソゴソ整理していたら、まだ読めそうな本も数冊見つかりました

yousetsu_taikouki.jpgそういうややこしい事情で再読したのがこの「妖説太閤記」です。山田風太郎の色ものかと思ったんですが、あんがい正当派でした。ようするに秀吉の行動の原動力は「女」だった。

若いときからモテたことがないコンプレックス。美女にもてたい一心で陰謀策謀をめぐらし出世に励む。前田犬千代が信長の勘気をこうむったのも秀吉のせいだし、もちろん光秀が苛められたり本能寺に至るのも秀吉の陰謀。最初のうちは竹中半兵衛が猿回しの役を演じますが、そのうち猿がかしこくなって逆に猿回しになる。邪魔な半兵衛を始末して(理由は女に手を出すことを禁じられたから)、次は黒田勘兵衛が参謀になる。

上巻は清洲会議まで。そこそこ楽しめました。ここまで読むとあとはだいたい想像つくので、たぶん下巻は読みません。

★★★ 白水社
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ガルシアマルケス「百年の孤独」のような匂いの小説です。ただ「百年の孤独」が暑く湿った南米の風土の能天気とすれば、「アルグン川の右岸」の場合は極寒の森が生み出した諦念の世界です。うーん、あんまり良いタトエではないなあ。ちょっと違う。

アルグン川というのはロシアと内モンゴルの国境を流れる川です。下流はアムール川になる。その右岸、つまり中国側に暮らす狩猟民エヴェンキ族のお話。エヴェンキはもともとはバイカル湖のあたりが故郷という伝承らしいですが、その一部が(たぶんロシアに追い立てられて)右岸に住み着くようになった。

生活の必須はトナカイです。モンゴルの羊と同じで、エヴェンキはトナカイの乳を飲み、トナカイの肉を食べ、もちろん乗用としても使う。川で魚も獲るし、チャンスがあればヘラジカを撃ったりもする。小さなキタリスの皮も大切な交易商品です。冬は零下数十度に冷える山間なので、うっかり馬やトナカイの背中で居眠りするとそのまま凍死してしまう

小麦粉や弾薬、塩など、最初はソ連の交易商人がコロニーに出入りします。やがて満州国が誕生すると男たちは関東軍の指示で「軍事訓練」に駆り出されます。しかし日本人たちはすぐにいなくなり、その後は中国人。

中国政府の少数民族定住化政策で、山のエヴェンキは麓の町へ移動。しかしみんなが山を降りてからも、一人の老女は居残ります。この何十年、次々と生まれた子供たち。次々と死んでいく住民たち。熊に襲われたり、蜂に刺されたり、自殺したり。好きになり、喧嘩をし、いがみあい、泣く。でも結局、自分たちは山にしか生きられない。トナカイのいない生活なんて考えられない。

平地に定住化したエヴェンキは決して幸せには生きられません。米国のネイティブインディアンとかアラスカのエスキモーたちと同じ。自分の居場所を発見することができず、酒に走ったり暴力沙汰をまきおこしたり。たぶんこの物語を終えたあと、この名前を明かさない老女も死ぬんでしょう。この老女とともに留まってくれた(ちょっと知恵遅れの)孫の手で、遺体は4本の大きな立ち木の間にかかげられて風葬されるはずです。そうやって、自然に帰る。

最初のうちは登場人物の名前が覚えられなくて苦労です。でもだんだんわかってきますね。そうそう。通奏低音みたいな感じで、ずーっと主要テーマになっているのがシャーマンの存在です。ある日、誰かがシャーマンになる。シャーマンは依頼されたら断れない。そして誰かの命を救うことは、ほかの誰か(何か)の命を奪うことになる。他人を助けたために自分の子供を失い続ける女性シャーマンのエピソードはけっこう哀しいです。

この小説のエヴェンキの人々は、よく自傷、自殺します。怒って死んだり、悲しんで死んだり。温和そうだけど、心が激しいんでしょうね。


★★★ 集英社
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北関東の中規模都市の学校で、2年生の死体が発見される。いじめの痕跡があり、携帯にはタカリ、ユスリのメールが多数残っている。で、問題は自殺なのか、それとも仲間からの強要による事故死なのか。

生徒たち、その親、警察、検事、教師、新聞記者。さまざまな視点でストーリーが進みます。非常に自然で、いかにもあるだろうな・・と思わせるようなことばかり。子供たちは子供なりの理由で嘘もつくし、大人に詰問されれば沈黙する。親は錯乱し、悲しみ、相手を責め、自分の子を信頼し、時にはこれを利用して儲けようとする親戚もいる。

点を稼ぎたい署長。捜査にあたる平凡な刑事。対応に苦慮する校長、それに批判的な学年主任、まだ若い検事、新米の新聞記者。ところどころ「?」というような展開もありますが、ま、だいだいは妥当です。通常の人間なら、ま、こんなふうに考え、こんなふうに行動するでしょう。イジメた子供が悪とも言いきれない。イジメられた子供が可哀相とばっかりも言えない。場合によっては女子生徒だって、多少のことはやる。恐いよ。

救いのない小説とも言えるでしょう。でも、たぶん現実はこんなふうなもの。

したがって劇的な展開なんてありません。平凡です。ヒーローが派手にやってメデタシメデタシなんてことはありえない。カタルシス皆無。いちおう真相は判明するものの、何といって解決もなく小説は結末をむかえます

奥田英朗って、子供の世界を描くと上手ですね。高校生を描いた小説なら他にたくさんありますが、中学生というのはあまり例がないような気がします。



★★★ 集英社
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ちょっと前、連続ドラマでやっていました。主人公は菅田将暉で、ちょっとカッコよすぎるのが難ですが、そこそこ面白かったです。

小説のほうは、ほぼテレビドラマ通り。ただしエピソードの受け持ちは分散していて、登場人物が多い。中学から大学までのお話しなんで、そりゃ登場人物は多くなります。たとえば殴られて路上に転がってるいたのを高校時代にちょっと好きだった女の子が偶然みかけて助けるなんてハプニングは発生しません。現実の交流なんて、あっさりしているのが普通です。別れたら、もうそれっきり。

というわけで次から次へと友人ができ、ちょっとしたエピソードがあって別れ、また新しい出会いがあり、昼も夜もアルバイトしすぎて肝臓悪くして倒れる。長崎へ戻って宮崎康平に曲を聴いてもらって、長崎新聞と長崎放送に紹介してもらう。ここで小説は終わります。実際の経緯は、みんな知ってることですから。

けっこう楽しんで読めました。才能あって、自慢こきで、挫折の連続。肩の凝らない青春記でした。


★★★ 彩流社
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応為葛飾北斎の娘です。お栄。北斎が「おーい」といつも呼んでたんで「応為」この二人のことは杉浦日向子が漫画にしてるはずですが、あいにく未見。

で、キャサリン・ゴヴィエというカナダの作家は応為に深い関心を持ってしまった。後書きで書いてますが、北斎の落款が押してあっても実は応為の手になったものが多いのではないか。いや、それどころか晩年の作品は大部分が応為なんではないだろうか。何回も中風の発作をおこした北斎が、ずーっと元気に描き続けたと考えるほうがおかしい。

ただし、多くの画商や専門家は深く詮索したがりません。所蔵の絵が北斎ではないということになると、いろいろ都合が悪いでしょうね、きっと。

ということで、お栄を主人公にした上下巻の小説です。ただし訳は非常に自由に江戸言葉に訳しているので、日本語版の場合、英語版とはまったく別の小説になっています、たぶん。

内容はファンタジーふうというか、幻想的。事実と虚構が入り交じっている。歴史的事実もかなり自由改変されていて(たとえば松平定信がふらふらと長屋に出向いたり)、ま、いろいろ変なんですがこれもご愛嬌ですか。

というわけで、けっこう不思議小説ですが、悪くはなかったです。


★★ 集英社
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日本を脱出した(つもりの)女が南洋の島バヌアツで暮らしている。遠い日本で発生した大津波は半日かけて太平洋を渡りこの島に押し寄せる。やがて原発事故のニュースも伝わってくる。

そして福島に近い実家から父の訃報がとどく。久しぶりの帰郷。女は残留放射線に怯えるが、周囲の人たちはみんな能天気だ。だれも気にしていない。感覚の段差。すぐにもバヌアツへ帰る予定だった女だが、口内炎の治療で訪れた歯科医に県立病院を紹介され、病院の医師は舌癌を宣告する。

このへんまでは私小説の匂いで進んでいるんですが、いかにも坂東眞砂子ふうに「アオイロコ」なる奇病の噂が登場する。皮膚が青いウロコのようになって、体の細胞が壊れ、精気がなくなって死ぬ。そんな奇病がほんとうやらどうやら、少しずつ伝奇的な雰囲気になってきます。


この小説が坂東眞砂子の絶筆だったんですね。読むまで知りませんでした。小説の主人公が舌癌で入院したところで途切れていますが、坂東眞砂子自身、舌癌だったらしい。手術後の転移で郷里の高知に帰り、そこで亡くなった。限りなく自分自身を投影した作品だったんだ。

猫のことなんかどうでもいいんで、もう少し長生きして書いてもらいたかった作家です。彼女の小説はほとんど読んでいると思います。


★★ 講談社
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長い。厚い。重い。長大な真田太平記の19巻、20巻。中巻と下巻に相当します。

正直、もう最後まで読まなくてもいいかなと思っていました。ストーリーの中心となっている忍びの者たちの活躍に、さほど興味を持てなかったからです。忍びと忍びが探索しあって、なぜか偶然道中ですれ違って、尾行して飛び道具で殺し合う。こればっかり。ほとんどスーパーマン集団の戦い。なるほどとは感じるものの、あまり感情移入できなかった。

辛い修練に耐えて、集団生活で己を抑え、そしてたいていは路傍に死す。彼らの行動の動機の部分がいまいちわからない。あんまり待遇や給与がいい感じもありません。

たしか海音寺さんの「天と地と」で、たしか呑牛飛び加藤だったか、ま、忍びの者が登場します。彼らの動機はシンプルで、認められたい。金が欲しい。豊かに暮らしたい。だから年老いた忍者はやがて故郷に帰り、溜め込んだ金でのんびりした隠退生活を夢見る。そのためにもう一仕事。これが終わったら田舎に畑でも買って、小娘にでも世話させて穏やかに暮らそう。そうした小さな夢は残念なことに果たせない。有名武将に術を見破られ、あっさり撃ち殺されます。

子供の頃、立川文庫かな、真田十勇士は定番の人気でした。猿飛佐助とか霧隠才蔵はほとんど超人でした(三好清海入道や伊三入道はアホです)。で、九度山に幸村が隠遁してから、たしか猿飛佐助が駿府城に忍び込む。天井裏の節穴から真下に寝ている家康を眺め「殺すのは簡単だが、いまは助けてやろう」とかなんかと呟きます。

「いますぐ殺せ!」と子供ながらに思いましたね。このあとどうなるかは当時の少年にとって常識です。ここで余裕こいて殺さないから大坂城で負けるんじゃないか。アホ! ま、講談作者としては史実に反するので殺させるけにはいかない。

それはともかく。

そういうわけで、忍びの部分は飛ばし飛ばしで、真田一族の動向だけ主として読みました。うーん、そうすると、たいして面白い小説ではないんですね。いろいろ武将のエピソードは詳しいんですが、どうも味がないというか美味しさに乏しいというか。なぜか冷静なはずの真田信之が急に美女に執心したり、信繁(幸村)が女忍者と同衾したり。必然性があるのかどうか・・・・。単なる読者サービスかな。池波正太郎とは波長が合わない。

藤沢周平にもこうしたサービス、多いです。坦々とした叙情が続いた後、なぜか唐突にチャンバラが始まる。なくてもいいのに女が出てきて一夜を共にする。サービスなしではダメだったのかなと、いつも思います。

時代小説の宿命ですか。司馬遼太郎なんかも若いころの作品には濡れ場が多いです。編集者から要求されるんでしょうね、きっと。あっ、本の画像は18巻の流用です。同じですから。


★★ 草思社
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この手の本、けっこう好きです。好きだけど、読んでも理解できない。最初は「うんうん」と頷きながら読み進むんですが、そのうち混乱してくる。前に戻ればいいんでしょうけど、面倒なのでそのまま読み進み、結局ワケワカメで読了。

ま、それでもいいんだと開き直っています。ほとんど理解できなくても、ボウルの底にほんの少し、澱のようなものが残る。ぼんやりしたイメージですね。ま、それでもいい。

で、この本のテーマは要するにプレートテクトニクスというか、古代の超大陸がどんなふうに移動してどうなったか、あちこち実例をあげて(けっこう平易に)解説しています。具体的な例をあげて分かりやすく説明しているので、ぼんやりイメージはつかめます。

ひとつ、覚えました。「ナップ」という言葉。アルプスなんかがどうして出来たか。南からアフリカプレートが押し寄せて、衝突すると盛り上がって、北の地殻におおいかぶさる。テーブルクロスを押しやる例で説明していましたが、どんどん押すことでシワができて、新しい地殻の上に古い地殻がケーキの層のようにかぶさる。結果的に上ほど古い地層、下ほど新しい地層というヘンテコリンな形ができあがった。で、その後を風や水がせっせと削って、アルプスのできあがり。

大昔。大学の一般教養で、地学をとったことがあります。精悍な雰囲気の若い助教授でした。なんせ新進気鋭で現地を飛びまわっているから休講がやたら多い。たぶん年間で5回くらいしか講義はなかったんじゃないかな。いつも長靴に作業着姿でダダダダッと教室に入ってくる。20分遅れで講義が始まって15分前には終わる。もちろん受講した学生は全員単位がもらえます。

古地磁気かなんかが専門らしくって、本州が反時計回りに折れ曲がっていく仕組みを説明してくれました。詳しいことは理解できないけど、面白い講義だったなあ。ついでにウェゲナーの大陸移動説も話してくれました。ウェゲナー、当時はまだ確定という説でもなかったようです。

かつては大陸移動説、いまではプレートテクトニクス理論ですか。完全に定説なんですね。ときどきネットなんかでパンゲアがどうしてローラシアがどうとかいう移動図を目にしますが、いまだに覚えきれない。複雑怪奇です。興味はあるんですけど。


★★★ 講談社
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皆川博子ってのは、あんまり知らんのですが、ま、肉食系の強い女が大好きな作家という印象です。「海賊女王」もそうでした。「二人阿国」もそれに近いですね。

どれも隠微で激しくて、なかなか良いんですが、読み終えるとドッと疲れる。今回の「冬の旅人」も同様。激しく疲労します。

えーと、日露戦争前、悪魔的な絵に魅せられた日本の若い娘がロシアに渡って、極寒のペテルブルグでイコン作成の修行をする。イコンは聖画ですから、勉強するのは修道院です。で、女子修道院ってのはベルバラふうの隠微と残酷が共棲していて、いろいろあってそこから逃げ出す。

逃げたあとは画学生と一緒に暮らしたり、その画学生がシベリア送りになると付いていったり、怪しい少年を知ったり、才能を認められてまた絵を描いたり、そのうちロシア革命です。

小説なので、当然のことながら主人公は皇帝の家族とも知り合い、やがてシベリアへ護送されるロイヤルファミリーに従う。ニコライたちはご存じのとおり、密かに惨殺されます。

こうした荒波の年月、主人公は芸術と悪魔的な耽美と暴力の中を生き抜いていく。それがどういう主題になるのかというと、難しすぎて書けません。正直、よくわからん。

わからんけど、強烈な小説ですね。その強烈さで★★★。


★★★ 早川書房
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副題は「黒船、敗戦、そして3・11」。要するに主として戦後の日本解説ですが、かなりバランスはいいと思いました。日本を持ち上げすぎもしない。極端なマイナス評価もしない。バブル後の失われた20年についても、こきおろしてはいますが、だだこのままオシマイというような日本経済でもない。

著者はフィナンシャル・タイムズ東京支局長だった人のようです。そのツテで有名政治家や財対人にもインタビューしているし、作家の話も聞く。庶民の取材もしているし、東條英機の孫娘とも話している。ま、お孫さんは著者にかなり気分を悪くしたようですが。

なんか外してる・・・という描写がないわけでもないですが、非常に少ないです。その代わり、とくに斬新な解釈や発見があるわけでもない。

版元が早川書房ですしね。読みやすい日本入門書という位置づけでしょうか。


★★★★ 読売新聞社
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戦国大名細川忠興と息子忠利の間の書簡研究です。

当時としては普通でしょうが筆まめだったんですね。おまけにしっか保存されていた。数千通とか記してありました。

まだ秀忠の時代で、参勤交代も明確な制度にはなっていません。しかし幕府のご機嫌をとるためは、身を低くして阿諛も必要。昔の感覚で「これでいいんだ!」と言ってたら福島正則とか肥後の加藤のように無理難題で潰される。他の大名が何かご機嫌とりをしたら、馬鹿馬鹿しくても真似しないわけにはいきません。鑓一筋の時代から、そういう交際と情報の時代になってきた。

つまり「宮廷政治」の時代です。

細川忠興は荒くれ大名ではあるものの、けっこう時代を見る目があって、幕閣の中枢に近い有力旗本との交際を大事にする。そこから情報を得る。幕府が何か言うのを待っていたら危ないんです。先取りしてご機嫌をとる必要もあるわけです。

しかし忠興が「この程度でいいだろう」と考えるよりも、息子の忠利はさらに細かく気をつかって幕閣とつきあいます。ちょっと卑屈すぎるんじゃないのと思われるほど。後半、忠利は細かすぎたというような批判もあったと記されています。気をつかいすぎて、そのせいではないだろうけど早死にした。

忠興は80歳すぎて大往生。死ぬまぎわに「戦国はよかった・・・」と述懐していたとか。生きにくい世の中になったなあ・・と思ったんでしょうね。こんな腐ったような平和は嫌いじゃ。

そうそう、黒田藩とは仲が悪かったらしく、いっぱい悪口書いてます。おべっか使いすぎだとか、ずるいとか、いろいろ。晩年の伊達政宗の悪酔いエピソードなんかも笑えます。

主要テーマではありませんが、島原の乱での攻城戦の模様は面白かったです。武将たちがどんなふうに原城を包囲して、どんなふうに陣を築いたか。竹束とか櫓、帆柱なんかつかった「仕寄」で少しずつ城に近づいていく。このへん、はじめて具体的な城攻めのイメージがつかめました。ほとんどの小説、このへんの詳細を書いたものって、ないんですよね。


★★★ 講談社
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こんな立派な全集が出てたんですね。厚さは5cm近く、ページ数は900越え。ひぇー。巻18から巻20までの3冊が「真田太平記」らしい。

なんでこんな本を借り出したかというと、要するに未読なんです。だいたい池波正太郎は特に好きな作家というわけでもないんで、読んでないシリーズはたくさんある。ましてこんな長大なものはずーっと敬遠。ただ来年の大河ドラマが真田ものらしく、あちこちで「真田太平記」の言及がある。ん、そういえば読んでなかったなあ・・・という成り行きです。

とりあえず巻18だけ読了。

なるほど。ちょうど吉川英治の宮本武蔵とか白井喬二の富士に立つ影とか、中里介山の大菩薩峠とか。要するにひたすらひたすら長く延々と続く時代小説です、たぶん。こうした長大小説の特徴は、メインストーリーから外れた枝葉の部分をたっぷり盛り上げる。宮本武蔵だったらお通とか本位田ナントカとか、ま、そうした人物が歩いたり泣いたり誘拐されたり悲しんだり。悪く言えばページを稼ぐ。もちろんそれが悪いってわけじゃないですが、ずーっと根つめて読んでるとアタマがボーッとしてきます。あいにく酷暑だったし。

で、「真田太平記」。冒頭、高遠の城にいた若い鑓足軽が女に誘惑されるところから始まる。なんだろ?と思っていたら、この青年がやがて真田信繁(幸村)に仕えるらしい。で、女はもちろん甲賀の分派である真田忍者。真田といったら忍者ですわな。

ということでストーリーは甲賀忍者と真田忍者の死闘に繋がります。それとは別の枝葉として、真田昌幸の奥方の妹の子供ってのがなぜかグレて、なんかガタガタ反抗する。また沼田のあたりには城主の軟弱な息子がいて、これもいろいろあって柳生ナントカ兵衛の弟子になる。

もちろん時代は流れています。武田は滅亡し、信長は死に、秀吉は朝鮮出兵。真田父子は激流の中、なんとか生き延びようと知謀の限りを尽くします。さささ、これからどうなるか。

てなところかな。それなりに読めるので続巻が手に入ったらたぶん読みます。でも何がなんでも読まずにいられるか・・・というほどでもない。


★★ 講談社
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読むのが億劫だなあ・・と放置していましたが、借出し期限も迫ってきたので、ササッと読了。

うん。やっぱり気分の悪い本です。ただし書いてあることは真実。真実であっても、嫌なことをビシビシ指摘されると、うーん、気ぶっせい。

細かく書いても仕方ないか。要するに日本は日本の良さをどんどん抹殺する方向に進んでいる。とくに60年代あたりから顕著。日本中をコンクリート漬けにして、海岸をテトラポットで埋めつくし、河川にダムを作りまくる。

日本の役人、世界レベルからすると比較的清廉なほうだとは思うのですが、そうはいっても所詮はお役人です。利権構造はあるし、天下りは楽しみだし、予算は使わないといけないし、縄張り意識は強いし。

そうそう。完全に破綻したはずの全国植林行政ですが、結果的にいたるところにスギ人工林ができあがって、しかも採算があわないから手入れが悪い。スギ花粉をまきちらす陰鬱な山ばかりできあがっています。でも植林作業は継続している。官公庁の仕事ってのは、いったん決まると止められない。意味があろうとなかろうと、巨大タンカーのように直進し続ける

「犬と鬼」というタイトルですが、狗を描くは難く魑魅を描くは易し。想像上の「鬼」や「幽霊」の絵を描くのはとても簡単だけど、誰でも知っている「犬」を描くのは意外に難しい。みんなおどろおどしい「鬼」を描くのが大好きで、地味で堅実な「犬」には興味を持たない。

だから地方自治体は、ちょっと予算があると役にたたない「派手な市民センター」など箱モノを作りたがる。これは「鬼」です。でも電線を地下に埋設するとか、下水道網の完備という地味な仕事には興味をもたない。そうやって、日本はどんどん進んでいる。これからどうなるんだろう。

どうなるんでしょう。

京都なんかに関しても、褒めてるのは日本贔屓で目の曇ったガイジンだけ。古い町並みを残すどころかどんどん悪趣味な建物を作り続けている。一般家屋もそうで、狭くてコンクリートと合板とプラスチックの家ばっかり。「狭いのは平野が少ないから」というのが言い訳ですが、それならイタリアなんかはどうする。みんな山地に工夫して家をつくっているぞ。古い家が不便で新しいのが便利は承知だけど、でもなぜ極端に走る。周囲と調和をとった建物がつくれないのか。

口うるさい叔父さんに正論で叱られているようで、読後感は最悪。でも時々はこうした本を読まないといけませんね。いい気になりすぎちゃ、いかん


★★★ 毎日新聞社
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20世紀のできごとを1年4ページ、均等に使って解説。橋本治流の大胆というか適当というか、でもザックリ非常に分かりやすい歴史解説本です

「20世紀とは、19世紀に始まったものが100年かけて終わった世紀」なんだそうです。進歩革新がやたらあったような気のする20世紀ですが、実はそのほとんどが19世紀に始まっている。そうしたものを拡張発展させたのが20世紀。あるいは19世紀を消化し始末するのに100年かかったもいえる。

で、遅れてきた日本は、この20世紀、必死になって西欧諸国の真似をした。良いことも悪いことも真似した。同じことをしたはずなのに、なぜか日本だけは叱られる。貧乏アジアのくせにオレたちの真似するな!というのが本当のところででしょう。

たとえば日本はなぜ朝鮮半島に進出したのか。植民地経営というのはあたらないです。なんせ日本の場合、まだ貧しくて半島で売るべきものを持っていない。

そもそもは「領地を増やそう」という露骨な行為だった列国の帝国主義も、この時代になると「商品を買わせよう」という、ちょっと洗練された新帝国主義に変化していた。時代の流れが変わってきたわけです。でも日本はそれに気がつかず、19世紀流の帝国主義をそのまま露骨に実行してしまった。だいたい日本が朝鮮半島を併合して、なんかいいことがあったのかどうか。子供みたいに、ただ単に欲しかっただけじゃないのか。

東アジアを「地元の大地主の子供」である中国、「分家の小規模地主の子供」である朝鮮、「貧乏な自営農の子」である日本のタトエで説明しているのが実に合っています。

最近は近所に都会の子供たちがたくさん住みついてるんで、苛められないように日本も少し勉強した。勉強して知恵がつくと、他の田舎の子供たちがアホに見えてくる。おまけに都会の子供はみんな子分を従えている。オレも子分が欲しいな。

うん、中国はともかく、弱い朝鮮ならオレの子分になるかもしれないってんで、李くんに誘いをかけてみたら「オレの子分に手を出すな」と陳くんが文句を言ってくる。仕方ないからケンカしてみたら陳くん、思ったり弱かった。で、これがオレも都会もんの仲間入りだ!と喜んだんですが、これをみて都会もん(ただし二流)のドブロクウイスキーが難癖つけてくる。震えながら思い切ってケンカしてみたら、あらら、こいつにも勝っちゃった。

「もうオレも都会の子供だあ」と有頂天になったのが大間違い。都会の子供たちにも実はAクラスとBクラスがあって、Aクラスの連中は成り上がりの田舎少年なんか仲間に入れる気はない。あいつ、生意気だなあ。ちょっとお灸をすえてやるか・・・。

あっ、そもそもですが、戦争の前に宣戦布告が必要というルールは、Aクラス同士の戦いの場合だそうです。大国が小国を侵攻するとき、宣戦布告なんてありません。要するに19世紀的なAクラスの身内同士の戦いでは紳士的に手袋を投げてから戦争する。そうしないと「紳士」ではない。でもドイツがポーランドを侵攻するさい、宣戦布告したかというともちろんしない。英国はインドに宣戦布告したか。対等じゃないですからね。対等じゃない戦争を「侵略」と称する。

で、日本の場合。問題は「戦争に負けたらどうするか」をいっさい考えていなかったことにある。戦争は勝つもの、と根拠もなく決め込んでいた。戦争を終わらせる=戦争に勝つこと。だから勝つまでやめられない。なのに、何年たっても勝てなかった。想定外。思考停止。

子供といえば、戦後にマッカーサーは「日本は、まだ12歳」と発言しました。ムカッとするのは当然ですが、じっくり考えると確かにニッポンは12歳だった。自分の頭で考えることもなく、大人であるマ将軍の言うことを従順によく聞いて、東京裁判も受け入れて(ただし12歳だから深くは考えていない)、憲法も民主主義も受け入れた。センセイの言うことには従います。

でもマ将軍がいなくなると、自分で深く考える習慣もないんで、どうしたらいいか見当もつかない。ま、いいかってんで、そのまま能天気に生きていく。それが現在の日本の姿。

厳しいけど、そうかもしれないなあ・・と納得の20世紀論でした。


★★★ NTT出版
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タイトルはキワモノふうですが、実際の中身は正統な低開発経済学(そんな言葉があるんか)の入門書です。

たとえば1960年頃、韓国とケニアはほぼ同程度の貧困国でした。これから何十年、どちらがより発展するか、それを推測することは不可能だったようです。ケニアがどんどん発展してアフリカの先進国になっても不思議はなかったし、韓国があいかわらず最貧国であり続けてもおかしくはなかった。

しかし結果はご存じの通り。何故なのか。それを調べようというのがこの本のテーマです。

キーワードは腐敗と暴力。典型例はアフリカのサハラ以南、いわゆるサブサハラですが、内戦が日常化し、政府は腐敗し、産業は壊滅状態。展望はまったくありません。ではその原因となっているのは腐敗なのか、それとも暴力なのか。

経済学者の意見としては大きな流れが二つあるんだそうです。一つは「貧しいから腐敗している。腐敗しているから豊かになれず、暴力が支配する」という意見。解決策としては、思い切っていまの5倍くらいの援助をしてみたらどうだろう。豊かになれば腐敗は減少する。まともな給与をもらっていれば役人は、汚職しようという動機が薄くなるし、罪が発覚した場合の「免職」は致命的な損失になる。

つまり人間、ある程度豊かになれば悪いことは考えない、という説ですね。

もう一つは「腐った文化システムに生きる連中は、援助が増えればいっそう収奪に励む。なまじ援助を増やすよりも、社会システムの健全化を最初に考えるべき」という考え方。

つまり穴のあいた桶に水をどんなにいれても無駄。まず桶を修理しようということです。どうやって桶を修理するかは難しいですが、教育で啓蒙するとか強制するとか罰則をきつくするとか方法はたぶんある。

どっちが正しいのか、判断は非常に難しいです。難しいけど放置しておいたって解決しない。なんとか調査する方法はないか。

いろんな研究方法とその概略がのべられています。たとえば降雨量の少ない地域で水不足がおきると、その翌年あたりから内戦が勃発するパーセンテージが高くなる。内戦がおきると生活資源は破壊され、いっそう貧しくなり、さらにいっそう暴力がはびこる。こういう悪循環におちいってしまった国家を救うのは非常に困難です。

だったら「長期天気予報で水不足が予想されたら、不作になる前に援助を提供したらどうか」という策が考えられます。その援助で食いつないでもらう。食いつないでいるうちに、また雨が降って、豊作になるかもしれない。少なくとも致命的なバッドスパイラルからは逃れることができる・・・かもしれない。なるほど。

そうそう。その国家の貧困の度合いと腐敗的文化の相関について面白い調査もしていました。国連です。各国から国連に詰めている世界中の外交官たちは、みんな狭いマンハッタンへ通勤しています。ところがマンハッタンは絶望的なくらい駐車スペースがない。必然的に駐車違反が増えるんですが、幸いなことに外交官たちは特権があるので駐車違反に問われることはない。

つまり、好き放題に駐車違反できる。いちおうステッカーは貼られるみたいですが、知らん顔して無視しても問題なし。

こういうペナルティ・ゼロの状況で、各国の外交官たちはどれくらい駐車違反するのか。年間に数百回の駐車違反をしている奴もいるし、ゼロという人もいる。そうした個人の違反回数とその国の腐敗指数は関係があるのかどうか。

他にも密輸入の経済学とか、経済マフィアによる社会の安定化とか、なかなか面白かったです。

以前に読んだ「ダーク・スター・サファリ」のポール・セロー、彼は「アフリカに援助する連中が悪い」という持論です。むしろ安易に援助し続けるからアフリカが堕落する。しかも援助している連中は心の底からアフリカ人のためになる援助をしようとは思っていない。気分がいいだけの偽善。乞食に1ドルを与えることは本当に乞食のためになるのか

ただし、「ダーク・スター・サファリ」で列車の窓にすがる貧しい少女を拒んだセローは、憎しみに満ちた目の少女に石を投げつけらます。与えても解決にはならない。しかし与えないことも辛い。貧困国と真面目にかかわるということは、そうしたジレンマと痛みを感じることです。辛いです。


★★★ 新潮社
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以前、司馬遼太郎の対談集に出てきたんでアレックス・カーという名前を知りました。日本の田舎に惚れこんで、徳島の祖谷(いや)の家を買って移り住んだ人です。祖谷は奥山も奥山、なんせ平家落人が暮らしたという秘境です。アレックス・カーにいわせると、日本にはここにしか住みたい場所は残されていなかった。

いい本でした。なんとなく気分よく「美しい日本」なんて言ってるけど、どこが美しいんだ。川という川はダム。海岸はテトラポット。どんな田舎にも立派な林道ができて空には電線、道路傍には毒々しいパチンコ屋がたちならぶ。

アレックス・カーにとって電線とパチンコ屋は天敵です。わずかに残された自然を浸食する害毒。京都が伝統ニッポンだなんてとんでもない。もうダムのない自然の川なんて、日本に数本しかない。そういえばカヌーの野田さんも河川工事を親の仇のように憎んでました。

なんとなく「日本の自然は美しい」という欺瞞の中にひたっている我々に冷や水を浴びせかけるような一冊です。「犬と鬼」も一緒に借り出しているけど、こっちはもっと厳しそうなので、読むのを後回し。


★★ 角川文庫
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たぶん、未読。図書館の閉架にあることがわかったのでリクエストしました。

海音寺潮五郎としては、ほさどの小説ではないようです。お決まりのクグツが登場して、そこにペルシャから逃げ込んだ美姫がからむ。忠実な異国の戦士(ほとんど超人)とか、賢い猛犬とか、すばしこく走り回る少年とか、オールスターです。

期待した執権時宗の登場シーンは非常に少ない。時宗という人、偉人なのか凡人なのか、そのへんが疑問だったのですか、あまり解答らしいものはなかったです。相模太郎胆甕の如しと頼山陽は持ち上げていますが、はて、何をして豪胆といったのか。元の使者を斬ったから胆があるということなんでしょうか。

ということで、九州から訴訟で上った若い武士が最初の主役で、悪役として西園寺ナニガシという公家が登場する。この公家にはお決まり、妹の美しい姫がいて、もちろん武士と妹は惹かれあう。

京から鎌倉に舞台が移って顔を出すのは伊予の御家人河野通有。これは史実でもけっこう有名な武士らしいです。中世ふうの気骨と生きざま貫こうとする武将。四国に河野水軍ってのがありましたね。

そしてここでも悪役がいて、これは北条一族赤橋家の弟のナニガシ。海音寺さんらしいのは、西園寺ナニガシにしても赤橋ナニガシにしても、悪いやつだけど知恵はあるし弱虫ではない。西園寺ナニガシは楽器を手にすれば名手だし、赤橋ナニガシも一応の武将ではある。そういえば「平将門」でも仇役の平貞盛とか俵藤太秀郷、魅力的でした。

ただ、彼らは往々にして心根が清々しくない。汚いのは海音寺さん、大嫌いらしいです。

蛇足ながら、池波正太郎がなかなか直木賞をとれなかったのは海音寺潮五郎が猛反対したからということになっています。たしか「卑しいところがある」と言ったような気がしていましたが、ネットで探してもその言葉は発見できず。そこまできついことは言っていなかったのかな。


★★ 集英社文庫
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本棚で発見。子供が買ったんだろうな、きっと。

軽いタッチのファンタジーです。そこそこ楽しめます。

これ、「鹿男あをによし」の作者なんですね。本は読んでませんが、ドラマはけっこう笑えた。初めて多部未華子という若い女優さんを見て、美人なのか不細工なのか不明だけど目が強くて印象に残る女の子だなあと思っていたら、あっというまに売れっ子になった。当時からもう売れていたのかな。

で、しゅららぼん。しゅららぼんとは何か・・・というのがテーマなので、これを種明かしするわけにはいきません。ま、琵琶湖の東岸に異能をもつ一族がいて、富と権力をきづいている。なにしろ相手の心を支配して、言うこときかせる力があるんだから、金持ちになって当然です。

しかし超能力にはそれなりのマイナス面もあり、新米の少年がいろいろ苦労する。そうそう、この一族のキャラクターがみんな素晴らしいです。美人はいない。冷酷無比な男もいない。みんな、ちょっとドジで、ちょっと笑える。

ま、そういう本でした。

★★★ 河出文庫
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これも中村文則。わりあい新しい本のようです。

けっこう楽しめる本です。ハードボイルドふうのタッチで、孤独なスリ稼業の男を描く。信条として金持ちからしか盗らない。人差指と中指の芸術。しょっちゅう指を湿らせるために専用のハンカチも持っている。このへんは深いです。

ハードボイルドの宿命として、よせばいいのに近所の惨めな母子に注目してしまう。母はクスリに漬かった売春婦。子供はまだ幼い。典型的なパターンで、子供は放置されて汚くてしょっちゅう殴られている。母親に指令されてスーパーで稚拙な万引をしている。豚肉300gとタマネギとか、万引きリストを持ってスーパーをうろうしている。これじゃすぐつかまるのは目に見えている。

で、きまぐれな交流。子供はスリ男の手練をみて、英雄のように憧れる。自分もそういう男になりたい。このへんはちょっと泣ける部分です。

このままスリ男が美学つらぬいてかっこよく暮らしていければそれもまた悪くないんですが、ま、小説ですからお決まりで、破滅に向かう。ん、本当に破滅なのかな。それともまだ希望は残っているのか。そのへんを微妙に結末となっていきます。

いい本でした。

★★ 河出文庫
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本棚から発見。

新人賞(新潮だったか)の受賞作だそうです。納得。いかにも新人賞ふうの小説です。

ある学生が拳銃を手に入れる。もうそこからストーリーは想像できます。で、展開も想像通り。主人公がちょっと異邦人のムルソーふうですね。なにか人格に欠落したものがある。

その欠落は、彼が付き合った女たちの反応から類推できます。おそらく外見はノーマルで、けっこうイケメンで、でも一夜をともにすると、なんか異常さがある。欠けたものがある。ただ、どうして女たちがそうした反応をするのか、主人公にはわからない。わかろうともしない。

けっこう達者な小説でした。

★★ 講談社
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本棚の奥から発見。やけに分厚い文庫で、これ、読んだ記憶がないです。でも半村良なんて家内も娘も買うわけがないので、やっぱり自分が購入したんでしょうか

ということで通読してみました。

謎の僧が謎の理由で赤子を捨てる。まだ幼い娘が通りかかって拾い上げ、自分が育てると主張する。やがて娘は賢く美しく成長。小さな村の長の娘です。長という表現は違うなあ、えーと、ちょっとした豪族というべきかな。やがて娘は周囲の支持を得て、共同体の指導者になる。

で、近隣の国が攻め込んでくる。隣村と同盟を組む。山の民が助けにくる。詳細は違いますが、そんなふうにいろいろあって合同合併、胡桃の国が誕生。大きくなって扇の国になる

そうした女神伝説のストーリーかと思っていました。女神のおかげで戦のない平和な国を目指していく。それにしても甘っちょろくて、半村さんとしてはあまり上出来の小説ではありません。

・・・と思っていたら、後半になって風呂敷が一気に拡がる。いきなり全国区になり、悪鬼やら古代神やらわらわら出てきて大騒ぎ。えーと、産霊山秘録だったか妖星伝だったか、那須野ケ原あたりを戦場にして巨大な諸仏が戦うようなシーンがありました。あれをバカバカしいほど誇大化した感じです。

後書きで弟子(ということになっている)清水義範が、やけに師匠を持ち上げていますが、はて、そうかなあ。どっちかというと駄作。おまけに未刊だし。風呂敷を拡げすぎて収拾がつかなくなった

あ、念のため。半村良はかなり好きです。初期の水商売ものも良かったし、晩年の鰹節商売の話(すべて辛抱)も好著だったと思います。


★★★★ 岩波文庫
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この人の著書は初めてです。なんか民俗学では知られた人らしいですね。知らんかった。

戦前から戦後、主として西日本の農村での聞き書きです。戦後といっても浅くて、たぶん昭和25年あたり。日本が大きく変容する前の時代です。偉い柳田國男とはまた違って、もっと農民に寄り添って話を聞いている。話し手も知識階級ではなく、庶民、常民。たいていは読み書きもできない人たちです。

文章が非常に良質です。たぶんメモなんかしないでひたすら話を聞き、あとで再構成したものなんでしょう。宮本常一という人を濾過して書き出された古い農民の日常の暮らしや生活。

地主とか村役人とか、命令系統によって構成された社会ではない。ある意味、全員が平等。全員に発言権がある。著者は西日本と東日本ではシステムが異なっているのではないかと示唆していますが、うん、それももっともらしい。西日本では大きな地主のいない均質な村民集団が多かったという。

いろいろな老人が登場します。博労として生きて乞食になった老人の語る色遍歴「土佐源氏」はもちろん良かったですが、それよりも最初のほうに出てくる村の寄り合いが面白かった。

何かテーマがあると集まって、2日でも3日でも話しあう。論議するんじゃなくて、ひたすらダラダラと、話も飛び飛びに話すんですね。話しているうちに、効率は悪いようでも時間をかければ、決めるべき大切なことなら自然に結論らしきもの出る。そうやって決まったことには、誰も異議をはさまない。指示されたわけではなくみんな自分たちで決めたことです。

非常に楽しめる本でした。また機会があったら他のものも読んでみようと思います。

★★★ 早川書房
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カズオイシグロは初読。名前だけは知っていましたが、本棚に積んであったのを家人に勧められて手にとってみました。

なるほど。時代は第二次大戦前後、古き良き英国のお話ですね。ただ何が「古き良き」なのかというと、ちょっと難しい。見方を変えれば陳腐で鼻持ちならない貴族趣味というか、大きな貴族館の主人とその忠実な執事のお話です。

訳文に雰囲気あります。まるでビクトリア朝かと思わせるような古くさい言い回しを、そんなに気にならないように訳してくれている。土屋政雄という訳者ですか。ためしに検索してみたら「コールドマウンテン」の訳もこの人でした。記憶はおぼろですが雰囲気ある小説だったような。南北戦争あたりの南部が舞台だったかな。

で、「日の名残り」。主人公はドラマや映画で描かれる「典型的な英国の執事」を体現したような男です。常に執事としての品格を大切にし、主人のために尽くし、それをプライドに生きてきた。しかし自分の人生も残り少なくなってから、ふと微かな疑問をいだき始める。これでよかったのだろうか。そうした思い出の折節に、なんとなく自分に好意を寄せていたような気のする女中頭の記憶が浮かびあがる。女中頭は戦争前、結婚のために退職し、その結婚も決して幸せではないような雰囲気でした。

ということで館の持ち主も変わった戦後のある日、執事はご米国人の主人の車を貸してもらって、その元女中頭が暮らす町へと道をたどります。あくまでタテマエは「彼女に会って、元の仕事に復帰してくれないか頼んでみる」という用件です。ただ明確に言及されていませんが、彼女は執事を暖かく歓迎してくれて、ひょっとしたらもっと密接な関係になるかもしれない。そんなうっすらとした期待感が漂います。

ただ、自分はむしろ逆に読んでいました。女中頭に会えても、非難されるんじゃないか。あの時の私の気持ちを受け入れてくれなかったじゃないの!と難詰される。執事ってのが、仕事一筋、かなり無理して非人間的に生きてきた人ですから。

実際の小説の結末はちょっと意外でした。なるほど、そういう形にしたのか。それはそれで悪くはない。現実の人生はけっしてドラマチックなものではない。ひたすら平凡、なにもない。何も起きない。

数ページずつ読んできたため、読了までずいぶん時間がかかってしまいました。ま、そういうふうに読むのも悪くはない本です。

★★ 集英社
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再読。たぶん、前は★★★にした思います。

日をおいて読み返しても評価の下がらない本もあるし、下がる本もある。「朱鳥の陵」の場合は、初回が仮に85点とすると、次は70点くらいに落ちた感じです。なんとも言えぬドロドロした濃密な霧が晴れて、ストーリーが明確になると、スッキリ分かりやすくなった分だけコクが薄らぐ。ま、そんな感じでしょうか。

主役(でしょうね)の太上天皇(おおきすめらみこと)の思考経路や行動の意味がわかってくる。その代わりに古代のおどろおどろしさが消える。再読して損したとは思いませんが、しいて読まなくても良かったかな。


★★★ 出版芸術
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こんな選集が刊行されていたんですね。知りませんでしたが皆川博子ってのは膨大な数の小説を書いていて、しかも絶版が多いらしい。面白い作家と思うのですが、あんまり売れないと評価されているのか。それとも単に不遇なのか。

で、この選集6。「鶴屋南北冥府巡」と「二人阿国」。他にも数本の短編が選ばれています。

「鶴屋南北冥府巡」はタイトル通り、鶴屋南北が主人公。東海道四谷怪談が南北ですね。名前だけは有名ですが、どういう人物なのかはあまり知られていません。デビューするまでの人生はほとんど未詳らしいです。えーと、立作者になったのは39歳か。遅咲き。

で、野心に燃える若いころの南北と、南北がほれ込んだ初代尾上松助という役者の絡まりが内容です。当時の役者、ほとんどが若い頃は色子だった。色子ってのは陰間です。色を売る若者。色子として身を売りながら贔屓をつかんだり、芸を磨いたり。役者同士、先輩後輩の男色関係も常識だった。

で、この二人、いろいろ世間をしくじって大阪へ逃げる。その大阪での逼塞生活が「冥府巡」です。悲惨というかデガダンの極というか、めちゃくちゃ。このあたりの描写が皆川博子の真骨頂。

「二人阿国」は本物の阿国と、それに対抗する遊女歌舞伎の若い踊り手。出雲の阿国vs佐渡島阿国。出雲の阿国そのものが非常に資料に乏しいらしいです。だから有吉佐和子の「出雲の阿国」もあるし、皆川博子の「二人阿国」も成立する。当時の踊り子と遊女の境遇とか、なかなか雰囲気のある小説でした。


★★ 角川選書
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ちょっとタイトルはナンですね。要するに江戸時代の人の書いた手紙解説です。

一応は原文を掲載して、難しそうな場合は現代文に解く。ま、あんまり難解なのは出てこないので、完全に読めなくても雰囲気はわかるという仕掛けです。

わりあい面白かったのは田安家に奉公した奥女中の手紙ですかね。農家の出らしく、折りにふれて親元へなんやかかんや手紙を書く。たいていは無心です。遠慮しいしい、でも頼むべきところはしっかり頼む。女中奉公も楽ではなかったらしい。

奥女中といえば、大奥から島津家の奥向きへ送った手紙も楽しかったです。天璋院付きの奥女中ですから、ようするに主人の実家へ書いた公式の手紙。先日は贈り物を受け取ったとか、やはり薩摩の赤味噌がいいとか、言われたから空の重箱を送るけどこれに入れるんじゃなくて、もっと良い箱に入れたほうがいいよ(個人的意見だけど)とか。瑣末なことを形式張った書状にして送付。大奥の祐筆担当って、こういう仕事をしてたんですね。


★ 雄山閣
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かなり昔に書かれた本のようです。内容も、ま、在野のアマチュアが調査研究して書いたもののような雰囲気。

中身は江戸時代の「島流し」です。罪科うんぬんではなく、島送りの実情とか、囚人たちの待遇、島での生活などなど。

さほど目新しいものはなかったですが、あらためて江戸時代のお上ってのは、ほんと下に任せッきりなんだあということ。島送りの場合も、ただ囚人を送りつけるだけです。生活費とか仕事の面倒をみるわけじゃない。勝手にせい。ただし責任もてよ。問題おきたら恐いぞ。

島(伊豆七島)としては、非常に迷惑です。囚人にやらせる仕事ったって、たいしてない。島は地味が悪いので米があまり、というより、ほとんど収穫できない。芋も土が合わなくて育たない。周囲は海なんだし漁すりゃよさそうですが、舟があまりない。お役所が舟の数をきびしく制限したらしいです。小さな御蔵島なんて、舟がたった一艘しかなかった

で、食うに困った囚人が悪さをする。囚人の処置は本土(韮山だったか)の代官に届けなけりゃならないんですが、そんなことをしてた日には何カ月かかるか。で、てっとり早く、粗末な牢にとじこめる。とじこめると数日で死んだそうです。そうなれば「残念ながら病気で死にました」とケリがつく。

芋はそのうち風土にあう改良品種が取り入れられたそうです。これでずいぶん楽になった。囚人は粗暴犯だけでなく、インテリもいるし坊主もいる。百姓や職人もいる。いろいろ工夫もする。未開の島はこうした先進囚人たちの手でかなり進歩もしたらしいです。

などなど。

★★★ 新潮文庫
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デイヴィッド・L・ロビンズは「鼠たちの戦争」の作者です。鼠たちの戦争はスターリングラード攻防を舞台に、独ソ狙撃兵の対決を描いたもので、なかなかいい本でした。ちなみにスターリングラードってのはヴォルガ川西岸にある工業都市。大きな都市みたいですが、実際にはたいしたことはなかったらしい。日本だったら川崎とか広島とか、ま、実際の人口は違うでしょうが、そんな印象です。たまたま攻防の鍵となる長期の戦いの舞台になって、有名になった。

で、戦火の果て。こっちは1945年のベルリン戦が舞台です。優勢になったソ連軍はべらぼうな大軍でポーランドを西に侵攻する。米英連合軍も西からライン川を渡る。どっちが先にベルリンを制圧するか。手に汗握るレースです・・・・。

しかし現実は違いました。「パリは燃えているか」でもそうでしたが、こうした巨大都市を制圧するのは非常にリスクがある。市街戦になれば、大量の損失を覚悟しないといけません。そんな膨大な死傷者を出してまで、真っ先にベルリンを制圧する必要があるか。軍事的、合理的に考えるとかなり疑問です。

ということで、フランクリン・ルーズベルトはベルリン後回しを決断する。ベルリン一番乗りすると、スターリンの機嫌をそこねることは間違いないし、終戦の後では国際連合にソ連を協力させないといけない。ルーズベルトは国際連合に過大な夢を持っていたんですね。この点では第一次対戦時のウイルソン大統領に似ています。ある意味、理想主義者。悪くいうとヨーロッパふうの世知辛い政治駆け引きに無縁。甘い。

チャーチルは猛反対です。ぜひともまっすぐベルリンを目指したい。これは軍事的というより政治的な意味合いが大きい。首都陥落ってのは、イメージ的にべらぼうな意味があるんです。おまけに、もしスターリンがベルリン占領なんかしたら、いい気になってドイツの東半分を自分のものにしてしまいそうです。ルーズベルトと違ってチャーチルはスターリンをまったく信用していない。あいつは厚顔無恥の嘘つきだ。

ただし。残念なことに連合軍の主体は米軍です。英軍はモンゴメリーをなんとかヒーローにしようとしているけど、そもそも兵隊の数が足りない。うかつに行動してルーズベルトやアイクの機嫌をそこねると、ややこしいことになる。ジレンマ。そう、政治は妥協です。

もちろんスターリンはベルリン進撃を最優先です。ベルリンに興味ないよと嘘つくことも辞さない。

ということで、語り手はルーズベルト、チャーチル、スターリン、そしてライフ誌の契約カメラマン、赤軍懲罰大隊の兵士。ベルリンフィルでチョロを引いている若い女性。結末は読んでのお楽しみ。ん、あんまり楽しくもない結末かな。


たまたま「太平洋の試練」と同時進行で読んでしまったので、実はイメージがグチャグチャです。「太平洋の試練」は初期の太平洋戦争。「戦火の果て」は末期のヨーロッパ戦線。どっちもルーズベルトとチャーチルが登場して派手に動き回るので、かなり混乱しそうです。


★★★ 文藝春秋
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原題は「太平洋の海戦。1941から42年まで」というような趣旨です。ま、受けを狙ってこういうタイトルになったんでしょうが、仕方ないか。

中身は真珠湾からミッドウェイまで。戦い前半の約6カ月ですね。米国はルーズベルト、ニミッツ、キングなどなどの立役者が何を考え、どう行動したか。日本は山本五十六ですか。みんな聖人でも全知全能でもない。性格もいろいろ。キングがどんなふうに困った男だったか。山本がギャンブル好きで愛人に入れ込んでいたのか。ま、長所も短所もわりあい公平に描いています。

戦記でもないし、小説でもない。分厚い上下本ですが、けっこう読みやすいです。惜しむらく、翻訳はちょっとこなれていないようですが。

子供の頃、当時の少年のたしなみとして多少の戦記ものは読みました。少年雑誌によく連載されてましね。大人になってからも、多少は戦史ものを読みましたが、たいして理解していない。この前、天皇がパラオに行ったけど、はて、パラオってどのへんだっけ。太平洋の島嶼の位置関係、あんまり把握していません。ラバウルは思ったより南だったな、とか、ガダルカナルもオーストラリアに近かったような。

♪赤道直下マーシャル群島、椰子の木陰でテクテク踊る・・・という歌がありましたね。赤道直下だから、ラバウルなんかよりは北か。ま、その程度です。ほとんど知らない。

で、この本。あらためてなるほど・・・という事実が多かったです。以下はへぇー、と思った事実。


戦いの初期、日本は圧倒的に準備が整い、物量を誇っていた。米国は意外なほど準備ができていなかった。そして精密なスケジュール通りに日本は太平洋と東南アジアに展開し、米国はアタフタしていた。ただし日本が甘く見ていたほど米国は腰抜けではなく、ガッツがないわけでもなかった。

で、日本は何をしたかったのか。シンガポールを占領し、南太平洋に拠点をつくり、その後をどうしようと考えていたのか。あんまり厳密に考えていなかった気配もあります。オーストラリアに攻め込むのか。それともハワイを占領したいのか。あるいは米国西海岸まで行きたいのか。当初の計画がスムーズに進みすぎて、困ってしまったような感じです。

著者の分析として、真珠湾に停泊中の艦隊が破壊されたけれど、ラッキーなことに空母だけは無傷で残ってしまった。そこで仕方なく(?)航空戦を主体とした戦法を思案するしかない。ところが日本は艦隊がそっくり残っていたので、昔ながらマハン流の戦艦主砲による決戦主義からなかなか抜け出せなかった。英艦を沈めたマレー沖海戦での航空機評価はあったものの、それでも転換時間がかかった。ひょうたんからコマ。

日本がポートモレスビー(パプアニューギニア)を攻略しようとして発生した珊瑚海海戦。ここで日本は最初の壁にぶつかります。日米の空母がそれぞれ索敵機で相手を発見し、それぞれが遠距離から艦攻を発進させて攻撃。お互いに被害をこうむったんですが、この時の日本の艦隊司令長官が井上成美だった。で、遭遇戦が終わってから井上成美はポートモレスビー攻略を断念する。実際には、この段階のポートモレスビーを攻撃することは十分可能だったらしい。つまり井上提督がちょっと弱気になった。後でさんざん非難されたそうです。ひょっとしたら有名な話なのかな。

井上成美という人、この人を主人公にした伝記ものなんかでは高潔な硬骨漢としてずいぶん持ち上げられています。ただし、実戦は得手じゃなかった。たしか最初に艦長になったときも操船に失敗して岸壁にゴチンとやったらしいし。タイミングの悪いところにタイミングの悪い提督がいた

ま、いずれにしてもこの珊瑚海海戦でオーストラリア侵攻が無理になり、その後の方向がアヤフヤになったのは事実でしょう。貴重な熟練搭乗員もたくさん死んだらしい。死んでしまうと補充がきかない。いかにも日本らしいです。

有名なハワイの暗号解読班。すごい実績をあげた連中なんですが、人間的には?な部分も多々で、中央とはケンカばっかりしていた。またミッドウェイに関する暗号解読も、けっして精密とは言い切れず、けっこう推測が多かった。「同じデータを元にしてまったく違う読み取りも可能だった」そうです。結果的に適中したんだから、ま、称賛されて当然でしょうけど。

そうそう。もう一つ。日米同じように空母が魚雷をくらったり急降下爆撃されても、米艦はなんとか消火に成功して持ちこたえるパターンが多い。ところが日本の空母は火が消せない。あっさり航行不能になったりする。ゼロ戦の設計思想と同じで、防御に関して日本軍は消極的なんでしょうね。積極的に行け。攻撃を重視しろ。防御を用意するくらいなら、砲を一門でもいいから多く搭載しろ。

ま、このミッドウェイは要するに山本の大博打だった。というより当時の海軍は半分神様の山本を誰も制することができなかった。そしてこの作戦の失敗で、以後の日本軍は尻つぼみになる。その後もいろいろやりますが、悪あがきです。ウハウハ言ってられたのは開始からたったの半年だったのか。

日本側を焦らせたドーリットル空襲について。東京を空襲して中国へ渡るというルートについて、とくに深く考えたことがなかったです。日本海を渡るほうが、艦に戻るより飛行距離が短いんだろうと単純に考えていましたが、真面目に考えるとおかしいです。で、読んでみて初めて納得。陸軍の爆撃機である双発のB-25を、無理やり空母から発艦させた。よくまあ実行したもんですが、さすがに着艦までは無理。着艦が無理なので、空母は発艦させたらすぐにスタコラ逃げます。で、B-25ははるばる中国まで飛行して、場合によっては不時着し。なるほど。

そうそう。小さなことですが、海軍中心の視線のせいか、マッカーサーに対してはかなり冷たいです。ルソン、バターン半島なんてクソミソです。というより、マッカーサーを高く評価する戦史ものってあんまり見たことがない。

著者は太平洋戦争もの、あと2巻を出す予定らしいです。どんどん暗くなるからあんまり読みたくないなあ。

★★ 新潮社
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ちょっと前、映画になったものの原作です。たしか堺雅人が主演だったような。

この著者、どうやら海上保安庁の職員らしいです。で、どうも料理の本職ではなくて、巡視艇で料理番をやっているうちに好きになり、上手になったんじゃないかな。したがって料理を作るときにうるさいことは言わない。何をどうしたって美味しければいいじゃないか。これくらいのいい加減さがないと、極地で過酷な集団生活はできません。

実は前にも南極へ行ったことがあり、その時は昭和基地。昔の昭和基地(たしかオングル島でしたね)は大変だったみたいですが、いまでは快適施設に変貌していて、ホテル昭和基地みたいなものらしい。時代が変わった。

子供の頃は流氷に苦しむ宗谷のニュースに聞き入ったもんです。もちろんラジオ。ソ連のオビ号が救援に行ったんでしたね。はい、この頃の日本は貧乏国でした。南極観測の仲間にもなかなか入れてもらえなかった。世界三流。ソ連とか米国の砕氷船はトン数もあって、厚い氷をグングン割って進む。オンボロ宗谷は薄い氷に囲まれただけで立ち往生。悲しかった。

というわけで2回目の南極越冬に選ばれた著者ですが、今度は昭和基地じゃなくて内陸のドーム基地というところで冬を過ごす。標高は富士山より高いらしいです。したがってペンギンもアザラシもいない。ウィルスもいない。零下50度、60度くらいは簡単に下がる。施設もかなりオンボロで、むさ苦しいところに8人(だったかな)で越冬。

こうした密閉空間では人間関係が非常に問題です。どんなに仲良くても、長期間やっていると必ずストレスがつのる。イライラしてくる。下手すると刃傷ざたとかも(外国基地では)あったようです。

内向的な人は大変でしょうね。さいわい著者はかなり外向的かつアバウトで、というようりそうした態度で暮らさないと続かない。本の中でもかなり遠慮なく他人の悪口書いてます。暴力寸前のシーンもあったらしい、たぶん。

物書きとしては素人なんで、文章ははっきりいって下手です。オーバーに面白く書こうとしすぎる。おまけにTPO、いつ、どこで、どんなふうに・・・という部分がいいかげんです。よく理解できない部分も多々ある

ま、そうしたことをヌキにすれば、けっこう楽しめる本でした。


★★★ 中央公論新社
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後漢の光武帝が主人公です。劉秀。若い頃はさして欲もなく「仕官当作執金吾 娶妻当得陰麗華」と呟いたとか。官につくなら執金吾、妻をめとるなら陰麗華。この有名なセリフ、なぜか曹操が言ったとばっかり思っていました。どこで混同したのだろう。

ことほど左様に、光武帝のことを(自分は)ほとんど知りません。あんまり小説もないようですね。安定感のある宮城谷が書いているんならそこそこ読めるだろうと借り出した次第です。

なるほど。いわゆるデキスギ君なんだ。兄は野心タイプだったけれども弟の劉秀は人格円満、英雄型の人間ではなく、かなり地味。その代わり信用はあった。劉家末裔の豪族であることは確かですが、たいして富もなかった。

王莽の時代が長く続かないだろうという雰囲気は広くあったんでしょう。きっと世は乱れるだろう。乱れるだろうといったって、真っ先に反乱を起こすのは危険すぎます。全国各地、野望をもった連中はじっーと様子を見ていた。

で、各地でいろいろあってついに兄が復漢の旗をあげる。そのへん(湖北)の一族もいっしょに立ち上がって、劉秀ももちろん協力する。で、予想外なことに、地味な劉秀はなぜか戦争の天才だったんですね。戦えば勝つ。大軍を相手にした絶望的な戦闘でも寡兵の劉秀は突破する。そしてある程度のテリトリーを占有した時点で、なぜか兄ではなく一族の凡庸な他の劉さんが皇帝として推挙される。えーと、更始帝です。あんまり能力のないほうがシャッポとして頂きやすい。そういう反乱軍有力武将たちの判断らしいです。

で、当然のことながら更始帝一派にとって劉秀の兄は邪魔者です。なんくせつけて殺される。兄を殺されても劉秀は恨んだりする素振りもみせず、ひたすら隠忍。たぶん、たいして害になるような人物ではないと見られたんでしょうね。そのうち将軍とし河北へ派遣されて、いわば虎が野に放たれた形です。あとは(時間はかかったけど)一直線の道のり。有力反乱軍の赤眉が長安にせめこんで、更始帝は殺される。ガタガタしているところへ力を蓄えた劉秀が乗り込む。一族の皇帝を自分の手で弑せずにすんだ。こうして光武帝の全国制覇(まだ多少は未帰属はあったけど)。

そうそう。「妻を娶らば陰麗華」の陰麗華は奥さんになっています。18歳で迎えられたと書いてありました。当時としてはほとんどオールドミスです。信じて待ったんでしょうね。あいにく政治的理由から光武帝の皇后はすでに決まっていたけれど、これもしばらく我慢した後にめでたく立后。産んだ子供も二代目の皇帝になった。

えーと、なるほど。後漢は200年くらい続いたのか。

この小説、なかなか面白かったですが、どうも劉秀というキャラクターは難しそうでした。人格円満すぎて特徴がない。たとえば北では逃避行するとか、北方の有力者のご機嫌をとるため、有力者の姪を皇后にするとか、けっこう政治的な行動も実はとってるんですが、そのへんを宮城谷昌光はあまり詳しく書いてくれない。おまけに戦闘や攻城でも、なぜか劉秀の判断はピタピタ当たる。まるで天才みたいです。ま、天才だったんでしょうけど。

なんかの記事に、後漢の皇帝はみんな若死にしたと書いてありました。血筋でしょうか。皇帝が幼いから外戚が力を持つ。対抗して宦官も力を持って抗争する。後漢の宿痾です。


★★★ 日本経済新聞出版社
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幕府瓦解、江戸城は総退去。ところが西の丸にたった一人、身じろぎもせず座り込んでいる旗本がいた。

そういう珍妙な設定です。

尾張徳川の上屋敷(市ヶ谷)につとめる御徒組頭が、たまたまの成り行きから江戸城に乗り込みます。官軍の「物見の先手」として行けという命令。代々の江戸定府で勝手もわかるだろうから適任だという。

尾張家はさっさと官軍に乗っています。したがって尾張家家臣として文句は言えないんですが、たかが陪臣、江戸城のことなんか知ってるわけもないし知人もいない。仕方ない、慣れないダンブクロにシャグマをかぶって、死ぬ覚悟で江戸城西の丸に乗り込みます。

西の丸、みんな退去してもうほとんど空き屋です。でもまだ大奥には天璋院様や静寛院宮様がいるし、茶坊主たちも健在。で、広い座敷を一つ一つ調べていくと、とある座敷に微動だにせず誰かが端座している。聞けば御書院番の旗本だという。理由は不明だけど、とにかく座り込んでいてまったく口をきかない。要するに幕府が健在であったときと同じよう勤めている。つまり座っている

寄ってたかって追い出せばいいはずなんですが、なぜか実質的総元締めの勝安房は「暴力をふるうな」と言う。ここで頑固な旗本が殺されたということになると、上野の山に籠もっている彰義隊の連中を刺激する。おまけに江戸城にはもうすぐ京都から天皇が遷座する予定なんで、ここで血を流すなんてとんでもない。

なんか理解不能な理由ですが、とにかくそういうシバリがあって、この旗本・的矢六兵衛が自主的に退去してくれるように手をつくすしかないわけです。

座り込みの旗本、なんとなく頑固一徹な爺さんみたいですが、意外や意外で六尺豊かな大男、キリッとしていて肝がすわっていて礼儀作法もきっちりしている。ヤットウも達者。何カ月もの間、ひたすら端座して微動だにしない。夜も横にならない。茶坊主が用意した握り飯と香の物だけは口にする。トイレはササッと近くの廁に行って用をたしているらしい。

おまけにこの御書院番士・的矢六兵衛、最初のうちは玄関近くの虎の間を占拠だったけど、そのうち大広間に移り、やがては帝鑑の間、その次は・・・とだんだん奥へ移動して最後は黒書院に座り込む。黒書院ってのは将軍が使う応接間ですね。最高格式。非常に困る。

これをどうするか。そもそも的矢六兵衛とはどういう人物なのか。なんやかんや、後半はだんだんファンタスティックになってきますが、ま、それも達者な浅田次郎なんで、楽しめます。かなり無理スジなストーリーをなんとなく納得できるように作り上げてしまう。なかなか楽しかったです。


★★ 河北新報社
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震災の後、手書きの壁新聞を出したところがありました。あれ、どこだっけ。なるほど、石巻日日でしたか。さすがに河北新報ではなかった。

河北新報社はいわゆるブロック紙です。けっこう大きな新聞社。例の「白河以北一山百文」に反発しての紙名だったそうですね。これは知りませんでした。

たぶん本社は仙台市の中心(だろう、たぶん)に位置するため、直接の大きな被害はなし。非常用発電機もあったからすぐ電気もついた。さすがです。組版サーバがひっくりかえって、しばらく苦労したけどたけど、ま、それもすぐに復旧。(その日の夕刊は新潟日報で組んでもらい、。あちこち回戦を迂回してデータを送ってもらったらしい)

暫くの間は家から電器釜をもちより、手分けして飯を炊いて女子社員が総出でオニギリを握った。みんな泊まり込みなんで、食事の手配が大変だったようです。もちろん海の近くの販売店もけっこう壊滅状態でした。取材車のガソリンもないし、販売店へ新聞を届けるのも時間がかかる。こういう場合、ロジスティック担当の総務が大変です。

食い物が不足するとみんなイライラする。もちろん取材もままならない。そもそも被災者に上から目線で取材することが正しいのかどうか、だんだん自信もなくなってくる。そもそも自分も被災者であり、報道者であり、恐怖におびえる個人でもある。難しい葛藤です。

とかなんとか、なかなか面白い内容ではあったんですが、うーん、読み物としてもドキュメントとしてもちょっとクォリティが低いというか、惜しい。なんですかね、サラリと書いているようで肩に力が入っている。申し訳ないですが、あんまり「高品質」ではなかったです。その意味で★は2つ。


★★ PHP研究所
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あちこちツマミ食いしながらの歴史エッセイあれこれ。

サラリと読めます。特に目新しいことも少ないのですが、タバコ禁令は面白かった。

徳川時代初期、タバコが禁止されたんだそうです。理由はあれこれ言ってますが、たぶん要するに新しいことを幕府が嫌ったんじゃないか。長いキセルをもってプカリとやる姿がどうも気に入らない。刀の派手な朱鞘もそうだし、長すぎる刀も禁止された。どう考えてもたいした理由はなさそうで、単に「あの態度は気に入らない」だけだったような。

ついでですが、士農工商といいますが、少なくとも江戸初期まで商人はとりわけ差別されていたわけではない。商人を圧迫する姿勢が出てきたのは紀伊國屋文左衛門の頃じゃないだろうか。

で、タバコ。薬として愛用されたらしいですね。先日みた「独眼竜政宗」でも、政宗は朝とか寝る前とか、決まった回数だけ煙管をふかす。嗜好というより体にいいからということなんでしょう。

当然のことながら禁止令はべらぼうに評判が悪い。そのうち河原の乞食までが偉そうにプカーッとやっているのを見た商人が「こんな連中まで喫煙をしているんだから、いまの禁止令もそのうち解除になる」と見抜いて、余っていた煙管を大量に買い集めた。で、解除になってからの煙管需要に乗って大儲けした。これが実は白木屋の始まりだった。

というもっともらしい話ですが、さすがに嘘だそうです。


★★ 文藝春秋
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選集5 アジアの中の日本」に続いて借り出し。とにもかくにも海音寺潮五郎と子母澤寛が対談に登場していると知った以上、読まないわけにはいかないです。はい、どっちも大好きです。

海音寺潮五郎は、司馬遼太郎が駆け出しというかまだ作家のタマゴ段階の頃に激励していたんですね。なんか従来作家とは違う資質をもっていると見抜き、続けなさいよと手紙を送った。自信を失いかけていた司馬遼太郎はその手紙に励まされた。このまま小説を書き続けてもいいのかもしれない・・と自信を得た。

海音寺はなにしろ堂々たる人です。晩年は西郷を書くことに専念したくて他の仕事をすべて断った。理解してほしい、私の財布の中にはもう残りがないんだという。悲痛というか、意志が強いというか。でもたしか西郷、完結はしていなかったような気がします。彰義隊のあたりで終わったのかな。もう少し時間が欲しかった。

子母澤寛の場合は、あまり饒舌ではない印象。でしゃばるのを嫌う江戸っ子気質でしょうか。含羞の人。ちょっと引っ込んでニコッと笑っているようです。結果的にあまり面白い話が少なかったのかな。この巻でも集録ページ数はさして多くないです。

その子母澤寛で印象に残っているのは、土方歳三ら旧幕艦隊の宮古湾襲撃のエピソード。これはどう考えても新政府軍がボロ負けするはずの決戦だった。しかし、旧幕軍はやることなすことツキがない。しかも新政府軍の軍艦が一隻、絶好の位置にいて、しかも日本に3丁しかないガトリング銃のうち1丁が装備されていて幕府艦隊を向いていた。それが春日、東郷平八郎がガトリングの係だった。本当かなという気もしますが、ま、ご愛嬌。

どっちにしても土方歳三はもう運を使い果たしていたということでしょうね。それに比べて若い東郷平八郎はツキまくっていた。不思議なもんです。

そうそう。後半に登場の大江健三郎は「やはり」という印象。論理とか観念の人ではなく、感性の人のような気がしました。司馬が豊富な知識でしゃべりまくって論理の風呂敷を拡げると、大江がボツッと記憶や感覚の話をする。かみ合っているようないないような、ヘンテコリンな対談です。


★★★ 文春文庫
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本棚に転がっていたもの。新田次郎も昔はけっこう読んだ記憶があるが、これはたぶん未読。

なるほど。劔岳=剣岳って、登ってはいけない山だったんですね。いわゆる立山信仰ですか。立山連峰のうち剣岳はとくに険しくて人が登ったという記録がない。立山曼荼羅では地獄の針山としてとらえられていたとか。

そういう山であっても地図作成のためには三角点を置かなくてはなりません。で、日露戦役の終わった頃、これまで空白だった立山周辺も5万分の1地図を作成することになり、参謀本部陸地測量部(当時は陸軍が測量していたんですね)が測量官を派遣。

なんせ陸軍はお役所なんで、こうした三角点設置も年度予算にあわせて1年で終える必要がある。ここは大変だから数年がかりで・・なんてことは陸軍のお偉いさん、絶対に許してくれません。実際に仕事をするほうは大変です。

ということで柴崎芳太郎という測量官がえらい苦労しながらあちこちに三角点を置き、現地の長次郎という案内人の協力を得て最大の難所である剣岳にも登攀。ところが頂上には朽ちた宝剣と錫杖が残されていた。ひょっとすると奈良時代あたり、修験者が残したものかもしれない・・・。

そうそう。「点の記」ってのは、要するに三角点を設置した経緯の記録なんですね。これを書き残し正式文書として提出しなければならない。公文書ですから、非常に坦々とした無味乾燥な代物ですが、たぶん新田次郎はこれを元にいろいろふくらませた。したがって小説に書かれたことは、一部の事実の他はほとんどがフィクションと思います。

そにれしても大変だ。ずーっと厳寒の雪の上でテント暮らしを続ける。ワラジに鉄鋲はめてアイゼン代わり。ストックの代わりに鳶口持って登る。えらいこっちゃ。

★★★ 河出書房新社
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人民、領袖など10のキーワードによるエッセイです。

文革が始まったとき余華は6歳。数歳上の兄を英雄のように眺めながら、子供も子供なりに当時の空気に浸ります。街では男たちが殴り合い、昨日勝ち誇っていた英雄が今日は打倒される。親しい友人の父がいきなり走資派としてさらされる。子供たちも尻馬にのって走り回ります。

ほとんどの男どもが自己批判させられましたが、なぜか余華の父はそれをまぬがれてしまった。偶然でしょうね。しかし、だからといって自己批判しないことは危険です。賢い父は母と相談し、一家で批判集会を開きます

家族が次々と自己批判します。よく理解できていない子供も「なんか言いなさい」と勧められて、必死になって批判する。全員が軽い罪を告白し、批判し、やれやれ。批判内容を壁新聞に書き出します。

これで世間に対して「批判集会を開きました」と胸を張って言えます。よかったよかった。子供たちは新聞を外に貼りだそうと提案しますが、それは少し困る。父母は適当な理由で言いくるめて、新聞を子供の寝室に貼ることにしました

なるほど。なんとなく中国人民は保身のため相互を打倒していたのかと思っていましたが、かならずしもそればかりではない。半分くらいは「これは正しいことだ」と感じていたんじゃないだろうか。半分は保身、半分は正義感

壁新聞、最初のうちはともかく、そのうち嫌いな隣人への誹謗中傷もけっこう出てきたようです。嘘でも本当でも、書かれてしまったらオシマイ。貼りだした新聞を剥がすのは反革命行為なので、あわてて新しい壁新聞をつくって上に貼ったりする人もいた。

打倒というやつ、ぶん殴って結果的に死ぬのは問題ないですが、刃物を使ったという話はあまり聞きません。以前から疑問に思っていましたが、紅衛兵同士の争いでは、銃弾をつかったケースもあったらしいです。やはり。どっかでは敵対する紅衛兵基地を破壊するために砲弾を使用した例もあったとか。

そして領袖毛沢東死去のニュースが高校二年。そうか、小学一年から高校生までの間、ずーっと文革だったのか。余華少年、もちろん勉強なんてほとんどしていません。ひたすら遊び回っては「正義」のために革命していた。少年たちは早朝、食料キップを換金(違法です)しようと町にやってきた貧しい農民をつかまえては叩きのめす。意気揚々です。後年、この思い出は余華の心に深い痛みとなって残ります。

そうそう。余華は歯科医です。当然都会のエリートかと思っていましたが、実際には高卒の「抜歯職人」のようなものだった。給料も工員とまったく同じです。毎日々々ペンチで腐った歯を抜いていることに耐えられなくなって、やがて壁新聞の経験を生かして小説を書き始める。虫歯屋の境遇からの脱出です。文革が終わった当座はとにかくみんな活字に飢えていた。だから投稿原稿でちょっと良ければすぐ採用してもらえた。その短期の好機を生かすことが出来て作家となった。

英訳本を評して、ヘミングウェイの文体を連想させると言われることがあるそうです。余華曰く、要するに使っている言葉が難しくない。平易。「自分は十分に勉強できなかった。だから知っている言葉を使って書くしかなかったのだ」。短所は長所に変じることもある。いい例なんだそうです。

天安門事件についてもしっかり触れています。こんなに書いて大丈夫なのかなというほどですが、やはり国内では刊行禁止処分らしい。ただ台湾では刊行されたそうです。また中国本土でも読もうとすればネットを通じて読めるとか。

他にもいろいろ感じる部分の多い本でした。読んでよかった。


★★ 草思社
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中国系フランス人の作家らしいです。

則天武后という人、唐代初期の有名な「悪女」ですが、その評価は定まっていない。なにしろ中国で初めての女帝です。当然ながら後世の風当たりはべらぼうに強い。できの悪い息子たちを次々と処分して、えーい面倒だってんで自分が皇帝になってしまった。おまけに唐を廃止して新しい王朝まで開いてしまった。ま、本人が死んだ後は、そんなことはなかったことにされたようです。ちなみに武后の孫が玄宗です。

この人、科挙の仕組みを軌道に乗せたことでも知られています。有力貴族に支配されていた官僚制度に新風をふきこんだ。本人がそもそも貴族の娘ではなく、しがない平民というか、地方官の子供だったことも影響したかもしれないです。

とにかく革新的で、有能果敢。新しい政治をガンガン進めた。何かの歴史書では、彼女の政治は非常に有効だったと評価されていました。念願だった高句麗も征伐。常に弊害の多かった外戚制度も押さえたようです。自分の実家の家系ですから、本当は不利になるんですが、たぶん自信があったんでしょう。それだけ強烈な権力を握っていた。

皇后になって最初のうちはだらしない亭主の代わりとして、御簾の陰に座っていたんですが、そのうち面倒になって顔をさらすようになった。もちろん反対勢力も多かったですが、容赦なく弾圧、断行。バッサバッサと斬っていったら、あらら、息子も親戚も、ほとんどいなくなってしまった。寂しいけど、ま、いいか。

小説はちょっとファンタスティックな文体の一人称で叙述されます。幼女時代、後宮での生活、やがてまだ若かった王子(高宗)の目にとまり、のし上がってついには皇后。そして出来の悪い息子たちをしりぞけて女帝。歳をとり、だんだんワンマンになってお気に入りを可愛がりだす。バカなことやってるのは承知だけど、それくらい許してよ。いいじゃないの。最後の最後はまさかの宮中クーデタ。強請されて廃位の書面にサインしますが、本音としてはもうどうでもいい。ワタシ、疲れたの。やれやれ。


★★★ 河出書房新社
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舞台は都会ですね。時代もほぼ現代。主人公は特に特徴のない平凡なサラリーマンです。

で、主人公は食堂の爆発事故で死亡。フラフラと葬儀場へたどり着くものの、ここの待合室もVIP席(豪華ソファー)と庶民席(安っぽいプラスチック椅子)に分かれている。死んでも幹部役人や金持ち優先です。死んだんですが誰も墓を作ってくれないし骨壺も買ってくれないんで、往生できないことがわかる。

こうして行き場のない主人公はあちこち彷徨い、いろんな死者と会います。野心をいだいて別れた奥さん、強引な地上げで殺された住民、ヘアーサロンで働いていた貧しいカップル、キンタマ蹴られたオカマと若い警官、悪徳病院経営者にゴミとして川に流された堕胎嬰児たち。さまざまな社会矛盾が描かれますが、決して告発ではなく、そのトーンは透明感があります。なんせ見ているのが「死者」ですから、超越している。

登場する死者たち、生々しく怒りはしないものの、泣きます。悲しみの感情だけはまだある。ガイコツになった眼窩から涙を落とす。

まるで長い長い詩のような一冊でした。原題は「第七天」。地元中国の評価は賛否両論のようです。


★★★ 河出書房新社
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兄弟」で名前を覚えた中国作家です。

これも良い本でした。タイトルはなんか悲惨な内容のようですが、実はそれほどでもない。貧しい農民が、危機に瀕したタイミングで血を売る。ネガティブな打ち出の小槌。

ま、売血なんて日本でもちょっと前までよくある話でした。貧しい労働者や学生など、あんまり気はのらないが、いざという時は売血。常習者による「黄色い血」とかいって不良血清が社会問題にもなった。いつの頃からか献血運動の高まりによって一掃されてしまいました。

日本以上に、中国文化では親からもらった血を売るという行為はおぞましいもののようです。だから金になると知っていても、通常はやらない。大躍進の前の時代、400cc売ると貧農の収入の半年分になったと、この小説では書かれています。

で、お馴染み、頑固頑迷で健康、典型的な庶民が嫁さんもらって子供を三人つくる。本人は工場の運搬係、奥さんは油条(揚げパンですね)の販売員。ところが長男はどうも違う男の子供らしいというので主人公は悩みます。ん、悩むというよりプライドを傷つけられるという感じでしょうか。このへんの男の反応とか、奥さんの反応(ケンカをするとすぐ戸口に座り込んで、近所隣に大声で訴える。しゃべりちらす。陽性です)がいかにも。

そうそう。血を売る前には川の水を8杯飲む。同じ量を売るなら血を薄くしたほうがトクだからです。売った後は回復のため食堂でレバ炒めを食べて紹興酒を一杯飲む。これが必須。

大躍進とか文革とか、後半、ちょっと悲惨になるかなあ・・・という方向でしたが、そこをうまく交わしてまずまずのパッピーエンド。読後感もまずまずです。

血が減るから水を飲むのではありません。どうせ売る血なら、水で薄めておこうという算段です。
ついでですが、女房が他人の種で産んだ子供に飯を喰わせ続けたから自分は損をした。損をしたマヌケと見られるのはメンツにかかわる。だから怒る。そういう理屈。


★★★ 中公文庫
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出雲の阿国ってのは、ほとんど資料がないようです。元禄年間にクニという女が「ややこおとり」あるいは「かふきおとり」を踊って人気を得た。男装してちょっとエロチックな演出が斬新だった。天下一と称されたとか、当時のファッションリーダーだった名護屋山三(鑓の山三)の愛人だったとか。

踊りって、記録できるものではないので残らないんですよね。一瞬で消えて、観客の記憶にだけ留まる。というふうに乏しい資料をもとに有吉佐和子センセが一代記を創作してしまった。

出雲山中タタラの男女が駆け落ちして、その間に産まれた女が踊り好き。都へ出て名をなし、日本中(といっても京都・伏見、江戸ていどかな)で評判をとった。この阿国に刺激されて遊女歌舞伎が生まれ、若衆歌舞伎となり、やがて野郎歌舞伎に続く。要するに現在の歌舞伎の創始者ですな。

そういう「歌舞伎史」としてもけっこう面白かったです。この阿国、流行し始めた蛇皮線(三味線)には抵抗を示す。鉦と笛が本道よ、やっぱ。創始者だったけど時代に取り残されてしまった。

ま、そういうお話です。有吉佐和子の小説としては代表作とはいえない感もあるけど、ま、読んで損はないですね。秀吉の御伽衆とか、結城秀康とか怪物大久保長安とか、権力者を次々と登場させてからませる。けっこう楽しめる上下本でした。


★★★ 集英社
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若き信長が異国ふうの美女に出会う。心を奪われ、そして・・・・と書くといかにも三流時代小説の匂いがあります。

ただし描き手は清水義範。そんな想像通りの展開にはしません。女がなよなよしていない。明の交易商人の娘です。ちょっと信長と接触していろいろあるけど、すぐ海を渡ってしまう。マカオだったかニンボーだったかで女商人として活躍し、男妾を数人囲って暮らすという女傑。

ま、この女をキッカケにして信長が海外とか世界に目覚めていくというような展開でした。信長は日本を統一したら次は朝鮮、明、ルソン、シャム、あわよくばヨーロッパまで股にかけて交易しようという夢を持った。なんならすべてを版図におさめてもいい。

信長という人、こんなに有名人なのに案外と時代物の主役になっていませんね。残っているようで資料がないんだと思います。せいぜいで信長公記とか、公家さんの日記とか。そのとき何を考えていたのか何をしようとしたのか、具体的に書こうとするとけっこう難しい

そういう意味で、なかなかよく書けている本と思います。清水義範だからもちろん読みやすい。スイスイ読んで、けっこう中身もある。信長はとにかく徹底的な合理主義者かつ商業の力に目覚めた人間。だから頑迷に逆らう叡山を攻めたけれど、べつに全山を燃やし尽くして女子供を皆殺しにしたわけじゃない。もちろんけっこう乱暴して殺戮はしたけど、ちょっと誇大に伝わったんじゃないだろうか。ま、そんなスタンスです。


★★ 朝日新聞社
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定年で退職した新聞記者が世界をバックパック旅。韓国、中国から始まってネパールやらインドやらまではともかく、アフガニスタン、イラン、イラク、イスラエル・・・・となるとかなりハードだ。命懸け。

行った国々とかネタは悪くないのだが、正直、あまり楽しくなかった。何故なんでしょうかね。どうも「ブンヤ」の臭いがプンプンするからかな。ときどき「こりゃスクープだ!」とか興奮されると、引いてしまう。お前さん、旅行者なのかジャーナリストなのか。とくに後半は「そんなに燃えるなよ」と言いたくなります。

折に触れてなんやかんや感動したり、ヒューマニズムに目覚めたり。でも、共感できない。いかにも二流ブンヤさんの文章で、生意気言うようですが、浅い。

それにしても、世界中、どこにでも日本人のバックパッカーはたくさんいるんですね。その点だけは感心しました。


★★★ 文藝春秋
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陳舜臣とか開高健とか金達寿とか、とにかく偉い人、賢い人たちとの対談集です。みんな凄い知識量だなあ。もちろん広いだけでなく、はてしなく深い。内容が深遠すぎでモウロク頭には理解できないこともしばし。

だいたい1970年代の終わりから80年代頃の集録のようです。日中平和友好条約が1978年、天安門事件が1989年。だいたいこの間という感じかな。韓国も急発展していたし、中国はまだ貧しいけれども大変貌していた頃です。日本はアメリカを追い越すとか騒いでいたバブル期へ突進中。

最近のマスコミとかネットを賑わす海外ニュースとかアジア分析とかの生々しさとかからは離れて、グイッと身を引いた地点から日本やアジアを眺めている。その立ち位置がなんかホッとします。冷静にアジアを眺めてみよう。

誰との対談の折りの話か覚えていませんが、日本人には原理原則がない。よく言えば柔軟。悪くいえば無節操。その対局がお隣の国ですね。あっちはたぶん原理原則がんじがらめで、柔軟性がない。よく言えば節を守る。悪く言えば頭が固すぎて周囲が見えない。なるほどなあと感心しました。

そうそう。たいした挿話ではありませんが、後半に出てくる言語学者(かな。井筒俊彦という人)が、若いころタタールの大学者からアラビア語を習った話は面白かった。師とした碩学はイスラムの教典から何から、本という本をすべてを丸暗記している。原典だけでなく注解書まで暗記し、もちろん評価批評もできる。新しい本に接すると数週間(だったかな)のうちに、それも暗記してしまう。だから身の回りに本をおく必要がない。頭のなかにすべての本が入っている。

本に頼っていたら、もし火事にあったらどうする。旅に出るとき、いつも大量の本を持ち歩くのか。自分の頭の中に収納しておけば、すべては解決する。

なるほどね。世の中には凄い人がいる。想像レベルをはるかに越えるような人間が存在する。稗田阿礼が10人くらい一緒になったような才能。


★★★ 文春文庫
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戦前に書いた直木賞作品に手をいれたもの、らしい。中身は千利休です。なぜ利休が秀吉に逆らい、死に至ったか。どこかに書いてありましたが、千利休をこれだけ持ち上げた小説はこれが嚆矢だったとか。一般には「単なる茶坊主あつかい」だったらしい。

ストーリーとしては利休の出戻り娘お吟に秀吉がちょいと気をそそられ、手を出しかけたら意外なことに拒否され、いっそう未練が生じてだんだん意地になる。向こうが執拗になるにしたがって利休も意地を張り通して、最後は覚悟の切腹というものです。そうそう。佐々成政絡みで黒百合取り寄せ騒動なんかも要素になっています。

筋立ては凡庸ですが、ここで描かれる秀吉は単なるモーロク好色爺でもなく、けっこう納得できるものがあります。権力者には権力者の立場があり、守らなければならないものがある。最初はほんの気まぐれだったのに、袖にされることで燃え上がる。メンツの問題ですね。淀殿は天性の娼婦という扱い。ひどい扱いですが、けっこう納得できる部分もあり。石田三成はそれなりに冷静かつ有能な官僚です。北政所も単なるいい人ではなく、けっこう意地悪だったり。

ま、お吟の恋人という若者だけは余計な感じですが、小説なんだから仕方ない。思ったより楽しく読めました。


「覇者の条件」海音寺潮五郎
★★ 文春文庫
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別系統の武将列伝です。平清盛、源頼朝から始まって北条泰時とか毛利元就とか10人以上。地味なものとしては野中兼山、細川重賢、上杉鷹山。兼山とか重賢なんてのは寡聞にして知りませんでした。

筆致は容赦ないです。毛利元就なんてのは、コテンパンにけなしている。悪辣で陰湿で慎重。でもきっとそうだったんだろうなと納得できます。そうでなければ大内・尼子にはさまれた小領主から這い上がってのし上がれるわけがない。他の人物に関しても、同様。後世になると勝手な事を言われてますが、みんな有能であり、なおかつ当時の複雑事情のなかで懸命に行動していた

海音寺は小説では嘘も書いてるらしいですが(たしか本人も認めている)、列伝シリーズはかなり真面目に調べています。かなり真面目なんて書いたら叱られるかな。はい。非常に真面目に調べています。主人公だからヨイショしよういうような操作は少ないんですね。悪い奴は悪い。でも悪人だけど魅力があるだろう、有能だろ?というスタンスでしょうか。

というわけで、海音寺さんの本は読後感が清々しい。品がある。好きな作家です。



★ 朝日新聞出版
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江戸はどんな街だったのか。かすかに残る残滓を探して古地図片手に(たぶん)街歩き。

けっこう面白そうな発想で、ま、確かにある程度は面白かったんですが、期待ほどではなかった。

都心部ではなく、郊外に主眼をおいています。いわゆる朱引きの界隈やその外側。玉川、三鷹あたりまで遠征しています。楽しく読めないのは何でですかね。ちょっとサービスしすぎなのかな。やたら大げさに持ち上げの気配があって、読んでいるうちに飽きてくる。下手なライターが書いた旅行ガイドみたい。

荒俣本に多いパターンです。うまくはまると非常に面白いんだけど、ほんの少しブレるとアラが目立つ。少し残念。


「秀吉はいつ知ったか」山田風太郎
★ 筑摩書房
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ついでにこれも読みました。短いエッセイ集です。

想像どおり、本能寺の変の裏側に秀吉も噛んでいたんじゃないかという説。あの中国大返しがいかにもスピーディすぎて臭い。薄い本で、もちろん楽しく読めますが、山田風太郎は同じネタで何回も書くからなあ。え、そうだった?と本人は気にもしないだろうけど。



★ 文藝春秋
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この作家、初めてかと思ったら「信長の棺」の人だった。たしかマズマズの本だったような記憶があります。

で、「水軍遥かなり」は九鬼守隆が主人公。父親の九鬼嘉隆は巨大な 鉄甲船で毛利水軍を破ったことで有名ですが、息子の守隆は関ヶ原で東軍について戦った。真田親子と同じで、東西に分かれた。けっこう面白い連中です。

結果としては「?」でした。ちょっと守隆少年がデキスギ君。10歳にもならないうちから利発で冷静で、オヤジ顔負け。12歳くらいになると父親が子供の意見を求めたりする。小説としてのデキはあまり評価しにくいし、消化不良。

やはりこの九鬼親子に関しては(またか!)岳宏一郎「群雲、関ヶ原へ」が秀逸すぎました。「群雲」で描かれる九鬼は誇り高く狡猾な海賊大名としっかり者の息子です。キャラクターが非常に鮮明。こういう名作を読んでしまうと、他の本が凡庸な印象になってしまいます。それにつけても次作の「群雲、大坂城へ(仮称)」はまだ出ないのか。著者が死んだという話も聞こえないのて、気長に待っています。

そうそう。唯一よかったというか、新しい視点は、九鬼水軍といってもしょせんは志摩のマイナーな勢力であり、天下争いに翻弄される小大名でしかなかったということ。ま、そうなんでしょうね。石高からいえはせいぜい3万石とか5万石です。

ただ「群雲」の視点では、そんな小大名であるにもかかわらず、水軍の力というものは侮れなかった。どんな大軍であっても、海上から攻められると手も足も出ない。東軍が東海道を西へ進む際にも、街道沿いの集落が次から次へと焼かれる。海賊どもが手薄なところに上陸して、村々を焼いたり強奪したり。ソレッと追いついた頃にはもう船に乗って消えている。住む世界、テリトリーが違う。陸上の武将たちからみると実に怪しげで正体不明の連中です。現実にはけっこう大きな駒として計算せざるをえなかった・・・・ということでしょうか。


★★★ 出版芸術社
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昭和40年、音楽の友がバイロイトへワグナーを聴きにいくツアー募集。それに乗っかって高木彬光が友人山田に「行くか」と聞いたら、あっさり「行くよ」と返事がきた。グダグタ言わないところがいかにも風太郎。

で、団体旅行で行ったわけです。前年に海外旅行自由化になったばっかりで、仕事ならともかく、これまで遊びで海外へ行ける人なんていなかった。

小澤征爾が「音楽武者修行」に出かけたのが5年前の昭和34年、1959年です。日本の青年がスクーター持ってはるばる欧州まで行った。おまけにコンクールに優勝した。そんな時代だったから、本になったときみんなが感動したわけです。

で、昭和40年というとオリンピックも終わって新幹線も開通していました。外貨持ちだし制限が500ドルだったそうです。当時の固定レートで18万円か。もちろんこんな程度で足りるわけもないので、こっそり50万円ほど隠しもっていった。船でソ連のナホトカ、ハバロフスク、そこから飛行機でモスクワ。モスクワからアムステルダム、イギリス、フランス・・・・という大旅行です。ちなみに当時の初任給が2万円とかどっかに書いてありました。いまなら総額で600万か700万円くらいになるのかな。売れっ子作家だったから可能だったんでしょうね。

で、帰国の後、高木彬光は「飛びある記」とかいう旅行記を書いたらしい。そして実は未公表だったけど山田風太郎もけっこう詳細な日記を記していた。その両方を、なるべく同じ時系列にして、ページの上段と下段に置いた。ま、そういう工夫の本です。工夫は面白いけど、正直、かなり読みにくいです。本の装丁、作りもあまり感心しません。

内容はだいたい想像できるような股旅ドジ日記ですが、同じ出来事を二人の作家が違った視点で書いているのが面白い。仲がよかったとはいえ、よくまあ大きなケンカにもならず一月近く過ごせた。高木彬光は大食で行動的で熱い人のようですが、風太郎はご存じのように外界に無頓着で小食で冷めた人です。ただし冷めてるはずの風太郎も同室者のイビキでは怒り狂う。パスポートが紛失すれば、みっともなく狼狽する。このへんの落差が笑えます。

そうそう。なぜか風太郎がホテルの部屋のカギを開けようとすると、いつもなぜか開かない。相性が悪い。早々に諦めてしまって、以後はずーっと人まかせ。人がいなければメイドに開けさせる。誰もいなければ、仕方ない、部屋の前で待っている。横着な人です

ヨーロッパの街角で鉢植えの花をみかけた風太郎は「日本だったら誰かがすぐ持ち去る」と書いています。公園の鳩も人を恐れないのに感心します。日本だったあっというまに喰われてしまう。日本の狭い道路、都心の住宅の貧相さも嘆いています。

最近、日本人はみんなマナーをわきまえて、泥棒がいなくて外国人に親切で・・・・という種のお話が多いですが、ずーっと昔からそうだったわけではない。昭和40年頃はまだ戦後の延長。人心も完全には回復していなかったし、農協ツアーは世界でひんしゅく買っていました。ちょうど今の中国旅行客。過去を忘れて他人を笑ってちゃいけません。

このへん、考えてみると昭和40年から50年頃なんですね、生活が一変したのは。

あの頃、友人と安酒飲んでは「フランスに行きたいなあ」とか話していました。海外へ長期行くなんて夢のまた夢。もし片道チケット代と半年暮らせるくらいの金があったら、後先考えず日本を飛び出したかもしれません。三丁目の夕日の世界なんて、みーんな虚構、嘘です。日本は貧しくて息苦しくて、決して暮らしやすい国ではありませんでした。みんな汚くて腹へって貧乏だったなあ。


★★★ 筑摩書房
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谷根千ブームを作り上げて文京区の地価を上げた森まゆみオバさんが山田風太郎にインタビュー。インタビューというより、家に押しかけて適当に雑談しているという感じでしょうか。

森まゆみは歳の差もあるけど若い娘みたいにコロコロ心弾ませて饒舌だし、風太郎爺さんはいつもの調子で自分の言いたいことだけしゃべっている。ま、そういう軽い本です。ページ数も少なくて薄い。

ま、いちおうは山田風太郎の著作について、順番に聞くという形になってます。でもなんせ風々居士ですからね「忘れた」「そんな本があった。でも読んでない」「どうだったかな」「覚えてない」。で、縦横無尽というか、脈絡なく話題が飛ぶ。別に迷惑に思っているわけでもなく、勝手に勝手してる。

サーッと読んで、楽しい本でした。山田風太郎という人、かなり好きです。


★★岩波書店
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「キーパーソンたちの証言」です。

山口二郎という人、民主党にべったりと思っていましたが、必ずしもそうではなかったようですね。むしろ敬遠されていたのかもしれない。それでも管首相の辞任草稿は自分が書いたとか記されていました。その程度は食い込んでいた。

インタビューの相手は鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦、岡田克也、片山義博、辻本清美などなど多彩。でもインタビュー時間はあまりとれなかった気配だし、話し手もすべてを正直に言ってるわけでもない。言葉の端々からいろいろ想像するしかないです。

で、一読。うーん、要するにグチャグチャだったんだなあ。幹部同士が心を通じ合っていたわけでもなし。十分に方針を練っていたともいえない。気負いだけの素人集団が、いざとなるとやはり未熟さを露呈してしまった。おまけに異分子の小沢一郎という存在もある。でも小沢をフリーハンドにしてしまったのもトロイカ三人組の責任なんですよね。

シャドーキャビネットというものがあって、それぞれ十分に用意ができていたはずなんですが、実際にはうまく転用することもできなかった。いざ鳩山総理が実現すると、なぜか人事は鳩山一任のような雰囲気になってしまったらしい。そこへ鳩山・小沢のトラブルが加わって、バタバタとした政治運営。やりたいこともできない。

で、菅内閣になってからも時流の読み違いで退潮。その落ち目の流れの中で震災ですから、自民への危機大連合の呼びかけも相手にしてもらえなかった。そして最後の野田政権はいったい何をやりたかったのか。男らしく安倍に呼びかけをして一人芝居で辞任して、もちろんコケにされます。

書かれている内容はそれなりに面白かったですが、読後感はあまり良くないです。ぶざまな数年間だったなあ。


★★★ 双葉社
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荻原浩という作家、けっこう達者で面白い。目につくと借りることにしています。これまで読んだのは、「砂の王国」とか「ひまわり事件」とか、楽しませてくれる人です。

で、今回は縄文人がテーマ。紀元前7世紀ころ、列島中央部の集落で暮らす少年が、いろいろあって村を出ることになる。南に向かうと富士山のような山が見え、そこで弥生人の少女に出会う。

ずーっと読み進んで、なんか感じが似ているなあ・・と思い出したのが清水義範。たしか原始集落の話を書いてましたね。交易の始まりとか、戦争とか、ちょっとコミックで、さもありなんと思わせる内容。

清水義範と比較されたら荻原浩は不本意かな。もっと真面目に書いてはいるんですが、「カー」=「鹿」、「イー」=「イノシシ」、「コミイ」=「米」、「鳥の巣に卵」=「あたりまえ」などなど、趣向を凝らして造語している。その雰囲気で、なんとなく清水義範ふうになっている。

それはそれとして、中身は少年の冒険物語、あるいは恋愛物語。縄文人は素朴でだらしなくて、自然を恐れ、共存する。弥生人は働き者で奴隷根性で集団主義。縄文人はケモノを相手に弓を射る。弥生人は米を守るため人間を敵として射る。

縄文人をそれなりに困った連中として描いているのがいいですね。弥生人はなまじ有用な稲を手に入れてしまったため、もっと土地がほしい、財産を守らないといけない、集落の周囲には堀をめぐらし、敵を抹殺しないと安心できない。

自分はどっちの集落が暮らしやすいかなあと考えてみましたが、飢えて寒さに震えながらイノシシ狩りする縄文より、どっちかというと弥生人ですね。権力者の顔色をうかがいながらセコセコ豊かに暮らす。弥生文化は、要するに現在の日本文化です。

それにしても弥生と縄文の境界時代の実態はどうだったのか。ほんと、諸説ありますが、少なくとも昔のように「海をわたって稲作文化をもった騎馬民族が一気に侵攻してきた」という説は少なくなってきたようです。縄文(というより原日本人)の男性系統がけっこう残っていることは、少しずつ混交が進んだ証左となるようですし、弥生系の母系もまた広く分布している、つまり男どもの単身赴任ではなく、家族ぐるみで住み着いたらしい。

稲作によって大きく変化したことは事実ですが、縄文の採集文化はけっこう効率が良かったという説もある。いったん稲作開始したのにその後また採集に戻った実例もあるらしい。単純に縄文は採集移動を繰り返したとも言い切れない。 三内丸山なんかの定住例もあります。わからないことが多いです。


★ 講談社
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神の左手」「悪魔の右手」に続く完結編。前作も前々作も評価は「★」なのに、性懲りなくまた借りてしまった。もちろんこれも評価は★一つです。

変テコリンな本なんですよね。文体はなんというか、骨組みだけのシナリオとか脚本みたいなもの。登場人物たちは怒ったり嫉妬したり悪巧みしたり、いろいろするんですが、ただ「・・・で激怒した」と書かれるだけ。感情移入することが不可能

どうも作者のポール・ホフマンという人、無慈悲な戦争とか作戦、狂信を叙述したいだけなのかもしれない。

えーと、これだけではナンなんで、一応は書きますか。主人公は殺人と戦いの天才少年。彼を殺そうとするのはイエズス会みたいな雰囲気の宗教軍団。舞台は中世ヨーロッパという雰囲気ですね。ここで壮大な作戦が展開され、勝利を得たかにみえたが・・・結末は?

後書きで著者が書いてるところによると、少年時代は実際にカトリック系の寄宿学校で苛められていたらしい。偽善的な教師たちに神への愛と奉仕をたたき込まれ、不味い飯を食べさせられ、ついでにさんざん殴られ、うんざりしていた。大学へ進学できて環境は一変。なんて自由なんだ・・・・と感激。

実はそうした過去の恨みを吐き出したかっただけかもしれない。そう邪推したくなります。

ほんと、評価や感想の難しい本です。ほんの少しだけ奇妙な魅力もあって最後まで読みましたが、再読するかと言われたら、もちろんNO!です。


miturinnoyume.jpg★★★ 早川書房

アン・パチェットは「ベル・カント」で名前を覚えました。たしかペルーかなんかでテロリストによる人質占拠事件が発生。居合わせた男女に混じって世界的なオペラ歌手がいる。だんだんストックホルム症候群のような状況になり、それぞれ仲良くなり、そして・・・・というストーリー。けっこう後味の残る小説だったと思います。

今回の「密林の夢」はブラジルが舞台です。アマゾン川と支流のネグロ川がぶつかるあたりのマナウスという街は、たしかゴムとかコーヒー豆の集散地として栄えたはずです。そしてそのマナウスから、黒い川を少しさかのぼったジャングルの中に奇妙な集落がある。

ミネソタの製薬会社に勤務する女性研究員が、なぜかこのジャングルに出向く羽目になります。ミネソタですか。たしか州都がミネアポリスだったかセントポールだったか。降りる機会はなかったですが、大昔、飛行機の乗り換えで名前だけは記憶しています。空港の外は雪だったような。なんせミネソタですからね。たぶん寒くて清潔な北の州。蒸し暑くて濃密なアマゾンとの対比が面白い。

そうそう。もうひとつ。ミネソタの薬売りってのかあったような。なんか頭の隅に残っている。ん?帽子売りかな。いやちがう。タマゴ売り。なんでミネソタが卵売りなんだか。

で、その女性研究員(インド系。いろいろ過去に傷を負っている)がアマゾンのジャングルで予想通りのいろいろに出会う。黒く濁った川、襲いかかる昆虫、踏みつけると命にかかわる毒蛇、吹き出す汗。毒矢を射かける敵対住民。そしてけっこう可愛くなついてくる現地の少年。ジャングルの中の粗末な研究所ではモウレツに強い意志とリーダーシップをもつ高名な女性医師が老いた女王のように現地民たちを従えています。

とかなんとか。一応はSFふうですがストーリーはあまり重要な意味を持たないような気がします。そんなことより文明社会と対局にあるようなジャングル生物圏の濃密さ、グロテスクさを書きたかったんじゃないかな。

表紙デザインの雰囲気もあるでしょうが、シャーリー・コンランの「悪夢のバカンス」にもけっこう近いです。おなじジャングルものだし、主人公が女性だし。ただし冒険やサバイバルではなく、あくまで「文明と未開」がテーマだと思います。

★★ 中央公論新社
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詠んでいないはずはない・・・と思いつつ、記憶が確かではないので借り出し。

もちろん既読でした。既読ですが、ま、ほとんど忘れていたのでヨシとすべきでしょう。前に書いた感想に追加すべきものも特にないんですが、あらためてエリザベスって人は何もしなかったんだなあ。決断しない、結婚も決めない、可能な限り戦争しない、宗教に関しても決定的な行動はとらない。愛人つくって、楽しくダンスして暮らせればよかった。

本人としては一貫して無為無策であり続けたかったんでしょうが、それでもスペインとは戦争します。戦争したというより、相手が攻めてくるから応じたというのが本当でしょう。で、スペイン艦隊は不運に恵まれて、壊滅する。なんというラッキー。

優柔不断な性格なんで、スコットランドのメアリー女王の処置も、迷いに迷った。処刑命令にいったん署名してからも、それを実行するのを嫌がった。処刑の後も、責任者をロンドン塔に放り込んだり。放り込まれた人間は迷惑ですが、なんとなく「女王は優しい人である」という評判にはなる。そうそう、このメアリー処刑の持つ意味は大きくて、要するに「王といえども議会によって処刑されうる」という前例ができた。後のクロムウェルのチャールズ1世処刑とか、あるいはフランス革命でのルイ16世処刑とかに繋がった。

で、まあこうして可能な限りお金を使わず、じーっと辛抱していたら、結果的に英国はヨーローッバの大国になった。あくまで相対的な大国でしょうね。スペインもフランスも戦争しすぎ、予算を使いすぎ、宗教対立にエネルギーを使いすぎて疲弊した。

基本的な政治をセシルに任せたのも成功だったようです。先代はウィリアム・セシル。そして息子のロバート・セシル。生涯通してイケメン男には甘かったけれども、最後の最後では見捨てて政治的判断を優先した。

たぶん、生きている間はそんなに名女王ではなかったと思いますが、死後はバラ色のエリザベス伝説で語られる。ま、次のジェームス一世が酷すぎたので、その反動でしょうね。あの頃はよかったなあ・・という追憶の時代の象徴です。


★★ 講談社
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安岡章太郎を読んだのはいつの頃だったか。高校生の頃だったろうか。たぶん二等兵ものが中心だったんだろうな。ドジでいつも殴られている初年兵の話。あるいは病棟で、やはり古兵にどやされている話。はい、旧軍では病院入りしたって安心していられないんです。内務班とまったく同じで、あいかわらず殴られ続ける。

そんな軍隊時代のことや、その前の学生時代の話、古くは幕末志士たちの話(たしか祖父の兄弟かなんかがが天誅組メンバーだったような)、敗戦や原爆投下、戦後の学生運動や横井庄一さんの話、などなど。みんな重いテーマなんですが、なにしろ安岡章太郎だから軽い。いや、軽いという表現は正しくないですね。あえて重くしない。権威ありげに大上段に振りかぶって書くのが根っから嫌いなんでしょう、きっと。

こうあるべき!という進め方はしません。ボクはこう思ったんだけどな・・・という個人的なつぶやきだけ。それも難しい言葉は使わないし、世の進歩正義とされる意見にいつも同意しているわけでもない。

そうそう。たいしたことではないですが、明治の土佐自由民権運動。自由じゃ民権じゃ!と悲憤慷慨して騒いでいた論者たちは、冗談みたいですが実は楽しんでいたんじゃないだろうか。集まって激論交わして、飲んだ酒の量が平均すると一升二合(だったかな)。下戸もいるだろうから、一升五合くらいはあけたに違いない。ほとんどヘベレケ祭りです。土佐らしい。

これも本筋ではないですが、もうひとつ。戦争中の戦陣訓とか忠君愛国という合い言葉。戦陣訓は「生きて俘囚の辱めを受けず」が有名で、これによって多くの兵が無駄死にしたという定説になっていますが、安岡章太郎によると、兵隊時代にそんなの聞いたことも読んだこともない。というより、捕虜になったらまずいというのは日本人の常識だった。原隊復帰すれば自決させられても不思議ではないし、家に帰れても非国民。そこにわざわざ「戦陣訓」を引っ張りだす理由がわからない。

「忠君愛国」もそう。戦争末期、こんなことを言う人間はいなかった。使い古された常識的キャッチコピーであり、まったく新鮮味がなかった。

戦前の空気を味わったことのない文化人やジャーリズムが、むりやり理由としてこじつけてるんじゃないだろうか。これこれが原因だなんて、簡単に割りきれるもんじゃない・・ということでしょうね。たぶん、強いていうと時代の空気。そうそう「軍部」という言葉にも違和感があると書いていたような気がします。軍隊とか軍人は知ってるけど、軍部はしらない。軍部っていったい何なんだ。

戦後、野坂参三が帰国して「愛国民主戦線」とか言い出した。これにも違和感があったらしい。庶民の感覚では、延安から乗り込んできた野坂ってのは、GHQやソ連軍と同じで、要するに戦勝側の権威。自分たちの上に睥睨する偉い人なんだろうと受け止めた。そういう男が提唱する「愛国」の意味がわからない。いまさら何で愛国なんだ。日本を離れていたんで、感覚がボケてるんだろう、きっと。

どうでもいいですが野坂参三って、中国から凱旋したんですか。なんとなくソ連にいたと思い込んでいました。もちろん、名前だけで詳しいことは何も知りませんが。


★★ 文藝春秋
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宮城谷昌光の本、何を読んだことがあるのか記憶が定かではないです。大昔、「重耳」が話題になったような気がしますが、これも手にとったことがあったかなあ。うーん。どっちにしても、ちょっと敬遠気味の作家です。

で、どうも大部の三国志が完結して(いつのことじゃ)、刊行されているらしい。興味があるような、ないような。三国志演義ではなく、史書のほうの三国志を元にしているので、当然のことながら主役は曹操。ただ本人の弁によると曹操の祖父の話から書いているようです。かなり遠大です。

曹操、けっこう好きです。詩がいいですねえ。当然のことながら劉備は好かん。関羽もあんまりだし、もちろん張飛は嫌い。

それはともかく、三国志が完結してホッとした著者が経緯をいろいろ解説したり、対談したり。対談相手に吉川晃司や江夏がいたのには驚きました。考えてみれば、こうした人が歴史マニアであっても不思議はないんだけど。

白川静とも対談しています。この人の字書、ちょっと興味があるんですよね。読み物としても楽しめるかもしれない。気になって調べてみたら、字書三部作「字統」「字訓」「字通」は普及版でも6000円から1万円でした。さすがに高価です。買い込んだって、結局は本棚に放置だろうな、きっと。

そうそう、別件ですが、もし中国の歴史に興味があるうよなら「史記」と「春秋左氏伝」から読んだらどうかと提唱しています。ついでにもし可能なら「赤壁賦」くらいは暗唱したい。あははは。

でも「春秋左氏伝」くらいは借り出してみようかな。チラッとも読んだことがないので。


★★★ 新潮文庫
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著者は「炎の門」を書いた人です。「炎の門」はペルシャ戦争がテーマ。古代スパルタの社会体制や文化、ファランクスの原理や運営方法がかなり精密に描かれていて、面白い本でした。

これ一冊かと思っていたら、他にもあった。砂漠の狐は、もちろんロンメルです。原題も「Killing Rommel」。英国の士官がニュージーランド兵たちといっしょになって長距離砂漠挺身隊として活動。任務は砂漠をはるか南に迂回して敵将ロンメルを殺すこと。もちろん実際にはロンメルは死んでいません。したがって任務は失敗。

しかし冒険小説じゃないので、任務そのものの成否はどうでもいいです。当時のボロ車(デザート・シボレーという車らしい。砂漠仕様のシボレートラック)が車列をつくって酷暑極寒のサハラを延々と走る。ちょっと走るとエンジンはガタつくしサスペンションは折れるしタイヤはパンクするし。

叙述は戦記に近いです。坦々と書かれている。血湧き肉踊るような出来事はほとんどない。ドイツ軍に包囲されれば降伏も考えるけど、でも我慢してボロボロになってまた走り続ける。

そうそう。戦車と戦車が雄々しく戦うなんてことはまず皆無らしい。地平線に最初にあらわれるのは敵のオートバイ兵。それがウロウロしてからナントカ車両があらわれて、それから何があって何が来て、ようやく対戦車砲が据えられて、こっちはガンガン叩かれて、それから最後にワーッと戦車隊が出てくる。実感があります。この時点ではもう味方は総崩れになっている。

戦車というのは、非常に壊れやすい車なんですね。走行距離も短いし、ガソリンも食うし、キャタピラ(履帯)はすぐ外れるし。そんなに簡単に先頭きって突進なんかしない。(もっとも初期の西部戦線、ロンメルの機甲師団はかなり突進したらしいけど)

ま、いろいろ楽しい本でした。パブリックスクールで育ったエリートの英国士官というのは、やはりちょっと独特な連中です。決して合理的でも勇敢でもないけど、実にしぶとい。そうそう、このアフリカ戦線あたりでは、まだ英独どちらも騎士道的な雰囲気があったんですね。殺し合うけれども、ほんのちょっとスポーツ感覚が残っている。戦車から脱出しようとする敵兵は撃たないとか。

ストーリーと関係ないですが、最後の方ではアメリカ軍の機甲師団も投入されています。ただし連中はアマチュア軍団あつかい。装備はいいし兵は意気盛んだけど、しょせんは素人。ロンメルにいいように扱われたらしい。なんかおかしいです。



★★★ 筑摩書房
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なぜ西洋が世界を支配しているのか、というのがこの本のテーマです。

で、結論からいうと、メソポタミアあたりを中心として発展した西洋社会、黄河流域から発展した東洋社会、どっちも非常に似通った展開をしている。ただし地理的条件からメソポタミアのほうが早かったんだそうです。

チグリス・ユーフラテスあたりで始まった文明はどんどん拡大して、周辺が発展していく。黄河流域文明もそのうち長江のほうに広がる。ずっーと西洋のほうが先行はしてたけど、でもその道筋は同じだった。

著者はエネルギーの獲得量とか都市化の具合とか戦争能力とか、いろんな数字を総合した「社会発展指数」でこれらの発展度をグラフ化しています。この指数が正しいかどうか、調べた数値に信頼性があるかどうかは非常に怪しいですが、それでもある程度は説得力がある。で、その発展グラフを見ると、上がったり下がったりしながら、それでも大きな傾向としてはなだらかな右肩上がりを描く。西洋グラフを数千年遅れて東洋が追いかける平行グラフです。

しかし6世紀になって、東洋グラフがついに西洋グラフを追い越します。西ではローマ帝国が経営に失敗していた。ゲルマン民族大移動のあおりで西ローマが滅びたり、ゴタゴタしてどんどん落ち目。一方の東洋では混乱期を経て隋唐帝国が成立する頃です。この時代以降、しばらくの間は東洋優位が継続したらしい。

したがって、純粋な可能性としては、たとえば明の鄭和の大艦隊が新大陸を発見したかもしれないし、あるいは後代の清朝の使節がビクトリア女王に朝貢を強いたかもしれない。しかし、現実にはそうならなかった。明が内向き志向になったということもあるでしょうが、やはり地理的・政治的要因が大きかったのではないか・・が著者の意見。

ヨーロッパの西のどん詰まりのポルトガルやスペインがそのまま西へ航行しようと考えるのは理にかなっています。さいわい大西洋はそんなに広くもなかった。しかし、もし明が太平洋を横断しようと考えても、たぶん成功しなかっただろうし、そもそもの動機も薄い。中華帝国はそれだけで充足していたわけです。周辺諸国と必死に生存競争していたわけでもない。

こうして「たまたま」の理由から、18世紀の中頃にまた西洋が東洋を逆転する。そして何よりも産業革命。蒸気機関の発明が猛烈なブレイクスルーになった。一気に社会指標は跳ね上がり、西洋による東洋浸食がはじまる。

西洋の発展コアはやがて旧大陸から新大陸へ移動します。しばらくは米国の時代。そして今、東洋が猛烈に追い上げている。もともとの社会指標がけっこう高かった(潜在能力があった)日本が躍進し、ちょっと遅れて大中国も躍進。このままの推移からすれば、間違いなく東洋の時代が実現するでしょう。

そして更にその後・・・はまた別のお話です。社会指標は今後もスムーズに右肩上がりのグラフを継続できるのか。あるいはかつて何度もあったように天井にぶつかって大停滞に陥るのか。天井要素としては核もあるし、気候変動、食料問題、人口問題、いろいろありそうです。

けっこう面白い本でした。歴史は欲張りや愚か者や怠け者が作る。怠けたいから発明する。愚か者だから無意味に努力する。欲張りだから征服する。なるほど。

しかし仮に彼らがいなかったらどうか。多少の年代の遅速こそあれ、歴史は同じような道筋をたどったに違いない。それにも納得。もしコロンブスが事故死したって、その代わりの馬鹿者が必ずあらわれたはず、という理屈です。大きな潮流は変えることができない。


★★ 光文社
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だいぶ前にテレビで放映していたのを見ました。松田龍平宮崎あおい。脇役もすべて巧くて、完成度の高いいい映画だったと思います。

で、興味をもって原作を借り出し。なんか本屋大賞をとったベストセラーらしいですね。さすが本屋大賞本で、薄い。新書に毛の生えたような軽さでした。

なるほど。映画を先に見たので、かなりバイアスがかかってしまったようです。女板前見習が登場すると、どうしても宮崎あおいのイメージで見てしまう。

映画ではけっこう時間をとった松田龍平と宮崎あおいの求愛シーン、原作ではしごくあっさりしています。なーんだ、あの漢文手紙、ラブレターだったのか・・という軽さで、だったら馬締クンの布団に忍び込んでもいいわよね、という成り行き。こっちの方がリアル感があります。

ま、新書に気のはえたボリュームなので、半日ほどで読了。傑作とはいえないでしょうが、読後感はよかったです。


★★ 岩波書店
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山藤さんは昭和12年の生まれなんですね。「さん」をつけるのは、ずーっと昔、まだ山藤さんが新進気鋭、まだ胃を切る前でけっこう体格よかった頃かな、ちょっと面識を得たこともあったりで、なんとなく呼び捨てがはばかられる。

本の中身は掛け値なしの「自分史」です。自分史っていうと、たいていいろいろ計算して書きます。計算しないで書けるわけがない。ただその「計算」があまり目立たない本です。本当に好き勝手、トシヨリが適当に書いたよう。

そうか、子供の頃から絵が大好きとかいうわけでもなかったのか。高校に入って、部員一人だけの美術部に入部してしまった。芸大志望の先輩に「意匠科」を目指すといいと教えられて自分も芸大を志望した。3回落ちたという話はわりあい有名ですね。

仕方なく進学した武蔵野美大(ムサビ)が当時、そんなにマイナーだったとは知りませんでした。門外漢からするとムサビもタマビも同じような印象ですが、実際にはかなり差があったらしい。まともな教授もいないし、学生もろくなのがいない。躊躇せず「いない」と断言してしまうのが山藤さんです。

まともな就職も期待できない学校だったので、仕方なく自分たちで将来を工夫するしかない。で、在学時代からコンクールに挑戦。才能があったんでしょうね、次々と受賞。本人は「器用」と言っています。たいていの絵は描けた。業界の動きにも敏感で、できたばっかりのナショナル宣伝研に飛びついて入社。ここでも優遇されながら次々と賞を獲得。

デザイナーとしては羨むような順風満帆だったわけですが、ここで退社。指示されてデザインするんじゃなく、人から頼まれて絵を描くような人になりたかった。で、退社してから奥さんと「どんな方向を目指そうか」と相談したら、挿絵がいいんじゃない?と言われた。理由は、挿絵画家は名前を大きく掲載してもらえるから。作家が6とすると挿絵は4。なるほど。新聞連載なんかでも、作家と画家の比率はそれくらいですね。目立つ。賢い。

以後はもうみなさん承知の通りです。

ご本人は、後世に残る自分の仕事として「似顔絵塾」を推していました。ハガキ1枚の大きさで、しかも素人の書いた似顔絵の応募連載。才能の発掘。こんなに続くとは思わなかった。

蛇足ですが、うちの子供も小学1年か2年の頃に応募したことがあります。佳作。名前だけ乗せてもらいました。あはは。


★★ 講談社
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面白いけど、読むのはそう簡単ではない本です。躊躇しながらも、結局下巻を借り出してしまいました。時間がとれず、後半は飛ばし読み。

絶対主義といわれる国家にも区別があるそうです。強い絶対主義、弱い絶対主義、そもそも絶対主義とはいえない王政・・・だったかな。他にもあったようであんまり自信なし。

フランスとかスペインはいかにも典型的な絶対王政だったような気がしますが、実は王権は意外に弱かったらしい。要するに貴族とか第三身分の意向を完全に無視することはできなかったので、仕方なくそれ以外の連中、つまり農民身分から必死になって搾取した。収税システムがハチャメチャだったわけです。フランス革命の主体が農民とは思いませんが、ま、そうやっていじめすぎた反動が1789年になった感がある。

スペインも版図を拡げすぎたわりには、国内の徴税システムがうまく機能していなかった。王様の好き勝手はできなかったようで、つねに財政は火の車。新大陸から膨大な金銀は流入したものの、支出はもっともっと多かった。

ロシアは完全な絶対王政です。いろいろな経緯で貴族連中の力が非常に弱かった。ロシアってのは、確かにヨーロッバではない感じですね。ずーっとモンゴル系の支配者を見てきたせいか、考え方がアジア的。だから専制君主による強烈な体制が成立し、イワン雷帝なんてのは、やたらめったら貴族の首を切った

ちなみに皇帝が弱い貴族連中に与える報酬は「土地+農奴」です。農奴も最初から農奴だったわけじゃないんですが、なにしろ広大なロシア、農民が逃げ出すと困るんで、法律で移動の自由をうばって農奴身分にした。ちょっと逆行です。

で、ハンガリーとかポーランドは、逆に貴族が強すぎて絶対王政とはいえない。王様が何をするにも貴族会議の承認を必要とする。特権階級による民主主義ですね。みんな自分のことしか考えていないから、外敵が攻めてくるとまともな戦争もできない。国家としての力が弱すぎて衰弱。

「国家」「法」「説明責任」のバランスが必要なんだそうです。前にも書きましたが「国家」「法」「説明責任」の自分なり解釈は。
・「国家」とは、たぶん政府の意思がすみずみまで通って実行できること。
・「法」とは、たとえ皇帝や政府であっても、ルールを勝手に破ることはできない。
・「説明責任」とは、政府が問答無用で住民を追い出しての大規模ダム造成はできない。

これがうまくいったのは英国とデンマークです。英国はコモンローが強かった。社会全体で共有するルールのようなものです。ただしコモンローがずーっと王権を制約してきたと考えるのも大間違いで、実はある時点で王権がコモンローを持ち上げてしまった。王様が「みんなコモンローを守れよ」とエリート階級に指示したため、結果として王様自身もその法に縛られる羽目におちいった。ま、ずいぶん乱暴な言い方ですが、それが英国のケースです。

デンマークはたまたまルター派の国でした。プロテスタントといえば聖書です。その聖書を読ませるためせっせと文字教育をした。民衆が賢くなったんですね。おまけに戦争に負け続けて、北欧の大デンマークが削られて(ほぼデンマーク人だけの)小さな国家になってしまった。他にも要因はあったようですが、そんな偶然の経緯でこじんまりバランスのどれた国家になったんだそうです。

そうそう。国家が豊かになってくると民主主義的になってくる。これは趨勢として言えるらしいです。ただし民主主義になると栄えるかというと、それは難しい。民主主義国家なのにまったくグズグズのことろはいっぱいあるし、中国とか、マレーシアとか、ちょっと前の韓国とか、専制的な体制でうまく発展するケースも非常に多い。ただし専制国家の場合「暴君」とか「アホな政府」が出現したときがどうしようもない。致命的な欠陥です。

もうひとつ、なぜ発展途上国はいつまでたっても発展途上なのか。理由は明白で、国家が国家としての役目を果たしていないから。どうして国家がスムーズに動けないかというと、行政が私利私欲、ワイロで動いたり、予算をちょろまかしたりするから。どうして収賄するのかというと、公務員の給料が安すぎて、それだけでは暮らせないからです。システムができていない。

民主的なだけではダメ。強い国家は必要なんですね。しかし放置しておくと勝手なことをするのも国家なので、勝手をさせないためには、国民のほとんどが納得する法の縛りが必要。また国家の施策を民衆を納得させるためには説明も必要。

世界で初めて中央集権システムを作り上げた中国は、ほんの一時期(中華民国)をのぞいて、ずーっと国家だけが強くて法や説明責任のない歴史でした。インドは逆で、強い国家が存在したことがなかった。だから何も決められない。

著者によると、今のアメリカも完全とはいえず、国家が弱体化しているみたいです。だから医療保険とか社会福祉など、政府が推進しようとしても実行できない。やりたくないのに海外派兵を強いられる。ようするにバランスが大事ということでしょうね。

★★ 筑摩選書
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最終巻です。副題は「近代への道」。大英博物館のコレクションから100点を選んでいますが、日本のモノとしては柿右衛門の派手な磁器の象。いかにもインドふう彩色で輸出専用でしょう。長崎出島だけに制限されてはいたものの、日本は海外相手にけっこう積極的に商売していた。お金になるんなら、民間は懸命に励むんです。

もうひとつの日本モノは北斎の富嶽三十六景。なんという絵だったっけ。大波に翻弄される小舟のやつです。うん、神奈川沖浪裏。これもたぶん数千枚は刷られていた。たしか1枚の上限が16文だったとか書いてありました。かけ蕎麦2杯だそうです。完全に庶民用ですね。

などなど世界のコレクションが紹介されてきて、最後のほうでは女性参政権運動を象徴するペニー貨(片側に「女性に投票権を」とか乱暴に彫ったもの)とか、小さなソーラーパネルとか、クレジットカードまで出てきます。なるほど、数百年後にはこうしたプラスチック製品が時代を象徴するコレクションとして珍重される可能性もありますね。

その時代ではありふれた平凡な品物が、後世になって希少な美術品になる。東京の小金井公園に「江戸東京たてもの園」という野外博物館があり、古い建物が移設されています。有名人の家とか高価な家具はわりあい保存してもらえるけど、平凡な庶民の家屋とかありふれた醤油屋、床屋などは誰も気にしない。実はそういう平凡なものがいちばん残らないんだそうです。ハッと気がつくと、痕跡も残らなくなっている。そして後世になると貴重品になる。

著者は大英博物館の館長らしいです。なぜかこの4月からは東京都美術館で「大英博物館展―100のモノが語る世界の歴史」という展示が開始されるらしい。偶然とはいえ、面白い本を読むことができました。


★★ 文藝春秋
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思い出したように出版されるシリーズ本。自分が何部まで読んだのかまったく覚えていません。

ひょっとしたら書いたかな?と過去エントリーを調べたら昨年の2月に「第参部」を上げてました。第四部は去年の11月刊行。ほとんど新品です。図書館なのに手垢のついてない本を借りることができると、かなり嬉しいです。

で、第四部。例によってグダグダしながら劉備はついに蜀を手に入れます。これでようやく天下三分。ただし、実質的には曹操の魏が圧倒的に強いので、魏・呉・蜀の比率はたぶん6対3対1くらい。下手すると7対2対1くらいかな。これを称して天下三分と称するのはかなり無理があると思うんですが、ま、そうしないと面白くないので仕方ない。

この頃になるとハチャメチャ孔明のぶっ飛ばしぶりが鳴りをひそめた感があります。要するに出番が減る。ネタ本の三国志や三国志演義にもたいして書いてないのかもしれません。あるいは酒見賢一が出来事を追うのに必死になったとか。

で、英雄・関羽がついに死にました。

没後、どういう経緯で関羽が神界で出世したのか、つまり関聖帝君に成り上がって、世界各地に関帝廟が建設されるようになった理由も解説があって、これはなかなか面白かったです。ほんと、時代が下るにつれて、だんだん出世するんですよね。いちばん最初はせいぜい閻魔庁の下っぱ武神程度だったらしい。そのうち、算盤を考案したとかいうエピソードのせいか商人たちの支持を得て、だんだん偉くなった。いまでは中国文化圏でいちばん有名な神様になってる。

そして張飛もあっさり寝首をかかれます。これじゃ神格化は無理か。そうそう、曹操も病没。三国志がどんどん寂しくなります。最後には劉備も死亡。さらにどんどん寂しくなって、孔明の活躍の場がなくなる。第五部はあるんでしょうか。


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