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ザッと検索をかけてみたら、今年は★★★★が4冊もあった。これだけでは少ないので、★★★の中からも一冊抜き出し。今年は記事数41。もちろん他にも読んではいますが、メガネが合わなくなったせいか読書時間が激減した印象です。


父を見送る」 龍應台

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著者は台湾のベストセラー作家らしく、台北市の文化局長なんかにもなっている様子。年齢は違うものの日本だったら曽野綾子みたいな立ち位置かな。

エッセー集です。テーマに共通しているのは「別れ」でしょうか。息子の親離れ、母の老い、父との死別。センチメンタルになりそうな話題ではあるものの、割合サラリとしている。ユーモアもある。ベタベタしていない。しかし情感がある。

父は国共内戦で台湾へ逃げてきて、この地で苦労して暮らしをたてる。子供たちに教育を与え、育った子供たちは医師になり、商人になり、作家になる。すっかり台湾に根をおろしたように見える一家だけど、でも父の心のルーツはまだ本土にあるんですね。故郷につながっている。死後は本土の郷里に戻してもらって田舎の親族たちに回向してもらう。

舞台は台湾だけでなく香港だったりドイツだったり。オシャレだった母もだんだん衰えていく。いつのまにか自分は母をいたわる立場になっている。それどころか、がんぜない子供たちは気がつくと自分の背丈を越え、もう大人。逆に保護される立場になっていることに気付く。

日本人だろうが、台湾人だろうが、ドイツ人だろうが、みーんな同じ。ごく普遍的な一人の女性の身辺雑記です。ごく平凡な気持ちのゆらぎや感動をメモしただけのエッセー。でも、非常にさわやか。読後感のいい本でした。


昭和史裁判」 半藤一利 加藤陽子

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太平洋戦争の真の責任者は誰だったのだろうというテーマで、半藤ジイさんと歴史学者のオバはん(言い過ぎかな。けっこう若い)が適当に座談。槍玉に上がったのは広田弘毅、近衛文麿、松岡洋右、木戸幸一の4人とオマケで天皇。あっ、軍人はいれません。いれたら収拾がつかなくなる。

これが意外や意外で面白い本でした。記憶だけですが、まず広田弘毅は役立たずの印象。城山三郎が小説でちょっと贔屓しすぎた。近衛文麿は定説通りで非常に困った人。松岡洋右は性格悪いので嫌われるけど、それほど責任はない。木戸幸一はヌエみたいで正体不明。ひょっとしたらいちばんの元凶だったかもしれない。

ま、そんなことより、軍人も政治家も役人(とくに外務省)も、みーんな勝手なことを考えてつっ走った。臆病だったり強欲だったり。その結果が12月8日。もちろん新聞も非常に責任があります。無思慮に騒いだ国民庶民も「騙された」なんて口をぬぐうわけにはいかない。

みーんなアホだった。根性がなかった。悪かった。よくあるSFですが、過去に旅行して誰かを消せば歴史が変わるなんていう単純なものじゃないです。しかし、加藤センセに言わせると決定的な場面は3回くらいあった。(非常に困難ですが)そこで違う判断をしていれば、ひょっとしたら歴史は別の局面をたどったかもしれない。

加藤陽子という人、明快でわかりやすくていいですね。収穫です。


それでも日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子

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その加藤陽子の本ということで借出し。今度は中高一貫校の歴史クラブの生徒相手にお話するという趣向です。生徒といっても栄光学園ですけどね。優秀。

やさしい筆致(というか語り)ですが、内容は非常に面白かった。知らんかったことが多いです。
たとえば。

・太平洋戦争が始まる直前の段階。日独の戦力は英米をはるかに凌駕していた。要するに強かった。だから「緒戦は勝てる」という考えには一定の合理性がある。

・パールハーバーの米艦隊が安心していたには理由があり、水深の浅い湾で魚雷を落としても底につきささってしまう。つまり無理。その無理を無理でなくしたのは、月々火水木金々の猛訓練。

・仏印を多少侵攻しても米国が参戦しないだろうという楽観論にも、実はかなりの根拠があった。

リットン調査団の時点では、実はまだ妥協解決の道があった

・日本軍には(資材でも食料でも人材でも)補給という思想がなかった。

・マリアナ、パラオあたり、つまり1944年6月あたりでもう挽回不可能、敗北確定。以後はすべて悪あがきで無意味に国民を殺した。戦争死傷者の大部分は戦争の終盤(悪あがきの期間)に集中している。

・皇道派とは「社会主義革命を目指した隊付将校」のこと。なぜ若い軍人が社会主義を目指したかというと、農民を代弁する政治家も政党もなかったから。そして非皇道派の軍人をなんとなく「統制派」と称した


中国の大盗賊・完全版」 高島俊男

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前々から読みたいと思っていた本です。図書館では発見できず、しかたなく(珍しく)アマゾンで買いました。

著者の高島さんの定義では「盗賊」とは集団で、武力をもって地域を荒らしまわったり占拠した連中です。クロサワの「七人の侍」に出てくる、馬で走り回っている山賊連中を想像するとだいたい正しい。中国の歴史をながめると、どこにでもいたし、いつでもいた。一定の条件下にある農耕社会ならこうしたあぶれ者、ごろつき。どこにでもいます。

(交通網がボロボロ、官憲の力が脆弱で、食い物を容易に奪える農耕社会でないと「盗賊」は無理です。たとえばアフリカのどこかとかフィリピンの山の中とか。いまの日本では絶対に盗賊団は成立したない)

ということで盗賊の代表として漢の劉邦、明の朱元璋、明末の李自成、太平天国の洪秀全。そして最新は中共の毛沢東ですね。毛沢東を「大盗賊」にしてしまったのがこの本のすごいところ。井岡山に潜伏し、延安まで逃避行、そこから反攻して首都奪還。たしかに大盗賊です。そして見事に毛王朝を樹立してしまった。あいにく跡継ぎの皇太子がいなかったんで、王朝としては不完全。鄧小平が実質的に別王朝を立ててしまった)

中国共産党とか毛沢東理論をマルクス主義で理解しようとするとべらぼうに難しい。無理が多すぎるわけです。しかし毛沢東にとって「マルクス主義」は洪秀全のキリスト教と同様、たんなる景気づけのスローガンです。難しく考えずシンプルに「大盗賊が王朝を簒奪した」と解すると非常に明快。これがそもそも「革命」ですわな。

この本の元本(「中国の大盗賊」毛沢東の部分ナシ)が出版されたのがたぶん1989年。天安門事件の年です。この頃だとまだ毛沢東を批判するのは遠慮があったんでしょうね。そうした遠慮がなくなって、割愛部分を追加して2004年に刊行したのが「中国の大盗賊・完全版」です。


クロサワの盗賊は馬に乗って身軽に駆け回っていますが、中国の盗賊団の場合、女や子供、雑役夫などなど引き連れてゾロゾロ移動していた。たとえば3万人の盗賊団という場合、実際の戦闘員はだいたい3000人くらい。あとはみーんな「その他」だったらしい。


紅楼夢」 曹雪芹

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なにを思ったか、とりついてみた。

結論としては、かなり読めます。6巻まで読了。すごーく面白いとまでは言いませんが、けっこう楽しめる。曹雪芹という人、なかなかの書き手とわかります。ユーモア感覚もけっこうある。

しかし全12巻の半分までたどりついて、さすがにエネルギーが途絶えました。しかし最後のほうの巻は曹雪芹じゃないという説もあるし、ま、6巻読んだらヨシとするか。

元気がでたらまた読んでみてもいいな・・・とぼんやりは考えています。でも実際には無理だろうなあ。

注) 第44回、派手な立ち回りの場面。あんまり面白かったので絵にしました。下手ですけど。

高島俊男さんの「中国の大盗賊・完全版」で面白かったこと。

中国語の「文」とは、「飾り」「ひらひら」のことだそうです。要するになくても困らないもの。困るのは「質」です。こっちは肝心の中身。質実剛健とかいいますね。このへんの違いは論語に書かれているんだそうですね。

子曰 質勝文則野 文勝質則史 文質彬彬 然後君子

質が文に勝ってしまうと「野」になる。野暮。といって反対に文が質に勝つと「史」になる。表面だけの人間みたいな意味ですかね。文人、史生。両方がバランスよく備わってようやく「君子」になれる。

で、孔子は「両方のバランスが必要だよ」と言ってるわけですが、実際の儒家というのは、ひたすらこの「文」で商売している。正直、どうでもいい「飾り」で食べている。単に男と女がくっついたり、人が死んだという「質」をぴらぴらで飾って厳粛な結婚とかしめやかな葬式にする。果てしなく重視しては重んじる。

で、こうした「文」の比重がどんどん増えることを「文化」という。文化人とか文化国家とか、そもそもはそういう意味がある。非常に納得しました。

講談社 ★★★★
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前から読みたいと思っていた本。図書館に「完全版」がなかったので、アマゾンで買いました(珍しい)。ま、買っても損はしない本と思います。

「完全版」というのは何か。高島さんの定義では「盗賊」とは集団で、武力をもって地域を荒らしまわったり占拠した連中。日本なら山賊とか海賊。bandit。黒沢の「七人の侍」に出てきますね。それを数千人、数万、数十万に拡大したのが中国の「盗賊」です。で、そうした盗賊集団がついに都を制圧して皇帝を追放してしまうと、これが代替わり。新王朝です。中国の歴史ってのは、だいたいこれの繰り返しだった。

この本で「大盗賊」として描かれたのはたとえば漢の劉邦、あるいは明を建てた朱元璋、明末の李自成、太平天国の洪秀全。そして最新は中共の毛沢東ですね。しかし「中国の大盗賊」の元版はあいにく諸般の事情で毛沢東の分がはいっていなかったらしい。タテマエは新書のページ数の制約ということですが、実際には当時の中国に対する遠慮があったんでしょう。やがて時代とともに雰囲気も変化し、その削除した分を復活させて新しく刊行したのが「完全版」ということです。

非常に面白い本でした。司馬遼太郎なんかが小説で丹念に描いてくれた部分、たとえば劉邦という男が若いころどうたらこうたら。それを高島さんはあっさり「わからない」と切り捨てる。そもそも本当の名前すらよくわからない。何をしていたのか、何歳くらいだったのか、どんな人間だったのか。もてあまし者だったようだけど、ゴロツキ連中に好かれる要素はあった。たぶん。大盗賊たち、だいたいは同じような育ちです。みんな功なり名をとげてから適当に自分を飾った。秀吉の「我が母が御所に仕えていた折り帝のウンヌン・・」ですね。

なぜ中国でこうした輩が登場するのか。要するに国土が広すぎるんです。本来なら5つとか6つとかの国家が分立する広さなんですが、なぜか始皇帝が統一してしまった。統一はしたけど広すぎるんで、地方のことまで手がまわらない。どこかで誰かが流賊になって騒ぎを起こしても、ちょっとした規模なら放置する。足の先にオデキができたようなもんでしょう。

そうやって放置しておくと、時々は騒ぎが大きくなる。主要都市を占領するような事態になると、ようやく朝廷は討伐しようとする。ただし討伐といっても、官兵は弱いです。弱いだけならともかく、非常にタチが悪い。盗賊は殺したり犯したり奪ったりはするければ、完全に奪いつくしはしない。タマゴを産むアヒルを殺さないようなもんで、一定の配慮がある。しかしそれを討伐にきた官兵は地域に根ざしていないのでまったく遠慮がない。盗賊を討伐した後、今度は居すわって同じように殺したり犯したり奪ったりする。それも過度にやる。盗賊のほうがまだマシ。来てくれないほうがいい。

(盗賊の有能な首領が降参すると許してもらえることがあるらしい。で、降参した盗賊は、そのまま官の将軍かなんかに横滑りする。要するに賊も官兵も同じ人種。泥棒が目明かしになるパターンですね。それなら、多少は地元に配慮してくれる「盗賊」のほうがマシです)

ということで、この本の言いたいのは「いまの中国なんて、要するに大盗賊が作った国家だ」ということです。毛王朝。したがってマルクス主義だとか農民のためにウンヌンとか、みーんな嘘です。毛沢東という人物、盗賊の親分にしては多少の学問もあるし、古典からいろいろ学ぶ力量もあった。だから中華人民共和国、建国以来けっこうすんなり栄えてきた。

(毛沢東がどれだけマルクスを読んだか、これはいろんな人が疑問視していますね。せいぜい短いパンフレットくらいだったんではないか。しかし毛沢東は文人なんで、けっこう中国古典や歴史書は勉強しています。高島さんによると毛沢東の詩(詞)はかなりいいらしい)

そう考えれば鄧小平が国家の方針をあっさり変えてしまったのも不思議ではないわけです。明だったら中興の永楽帝。そもそもが共産主義のために革命したわけではないんで、自分たちの王朝維持に役立つという判断があれば何をしても当然。共産主義は単に便利な看板、スローガンにすぎない。

主張のそれぞれ、ほとんどが納得できるものでした。この大盗賊論でながめると、中国史のあやふやな部分がスムーズになる。人間をあまりかいかぶってはいけないし、神格化は論外。中国ってのは、そういう国なんだな・・と思うことで理解も深まります。ただし中国をバカにしたような本ではありません。あくまで真面目です。文体は軽いけど。

名著でした


集英社 ★★★
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最近、どうも本を読めません。読むのに時間がかかるのか、目が悪いのか、根気がなくなっているのか。ということで手軽によめそうなのを選んで借出し。

なるほど。典型的なアサダ節です。冴えないオヤジと古くさいヤクザと、妙に大人びた子供がそれぞれ死んで天国か地獄かへ行こうとする。で、存命中の行動審判を受けたこの3人は「このまま死ぬのは嫌だ・・」と抵抗。いろいろあって、いったんこの世へ帰還。

ま、そういうストーリーです。だいたい期待通り楽しめるんですが、うーん、子供の章だけはダメだなあ。アサダの浪花節が錆び付いてきたのか、子供だけはリアリティが感じられない。面白くない。泣けない。そうはいっても、ま、総じては面白いですけどね。電車の中でも読んで、ほぼ1日半は楽しめました。

老眼鏡があわなくなっているようです。そろそろ眼科へいってみるかな。レンズを作り替えたほうがいいような気がする。ネジもゆるんでいて、数日前には玉がポロっと落ちた。


早川書房 ★★★
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コニー・ウィリスの未読(たぶん)短編集を発見。収録はすべてヒューゴー賞かネビュラ賞の受賞作のようです。ま、彼女にとっては珍しくもない賞でしょうが。

表題の「混沌ホテル」は、なぜかハリウッドのホテルで開催された国際量子物理学会のお話。当然のことながら、ホテル内は大混乱におちいります。量子論の不条理の世界。そこにあるはずのものはないし、予約した部屋はふさがっている。宿泊している客は泊まっていない。会議の部屋へいくと、もちろん真っ暗で誰もいない。

何かしようとしないほうがいいんですよね。レストランへ行ったはずなのに、あれれ?、会議室にいる自分を発見したりして。

まれびとこぞりて」もなかなか良かったです。えーと、クリスマスも間近の頃、宇宙人がやってくる。もちろん宇宙人は美女を狙ってはいないし、地球を征服しようとも思っていない。なぜそんなことをするために、はるばるアルタイル(かな)から飛来しなきゃいけないんだ。

要するに、アルタイル人たちが何をしたいのかまったくわからない。連中、じーっと立ちすくんだまま。不快そうに人間たちを睨んでいるだけ。なんか不機嫌なオバQがたくさん立っている印象です。そして当然コニー・ウィリスお得意のすれ違いと誤解が生じ、ドタバタ騒ぎ、ワケがわからなくなって大混乱のうちに恋がうまれる。


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★★★ 英治出版

また借り出して再読。たぶん3回目かな。ずっしり重くて、バッグに入れても肩にくいこむ。ん、なんか表紙が違っているなあ。前はこんなふうでした。確かに変わった。

一応紹介すると、60過ぎた偏屈爺さんがエジプト → スーダン → エチオピア → ケニア → ウガンダ → タンザニア → マラウイ → モザンピーク → ジンバブエ → 南アフリカ。満員バス(あれば) とボロボロなトラック、時々は汚い列車を使って北から南まで旅した記録です。記録というよりメモか。

見事なくらいに悲惨。たぶん2000年頃のアフリカですが、今でもあまり変わってはいないでしょうね。700ページ近い厚さ、重量もたっぷり。下手に読んでいると肩が痛くなる。

ただこの本、ひたすら悲惨ですが、二度と読みたくない・・・という本ではない。何故でしょうかね。叙情というか、絶望的だけど人恋しい部分があるというか、ひどいことばかり書かれているのに、読んでいて楽しい。現地アフリカ人たちとの交流(という言葉が正しいかどうかも不明)もけっこう感動があったりする。なぜかまた読みたくなる。ポール爺さん、若いころはかなりの二枚目でしたが、歳とってからはどうなんだろ。まだ渋い魅力を保っているんだろうか。

いろいろ考えさせられる好きな一冊です。購入すると3000円。ちょっと高価。思い切って買おうかとも思ったこともあるんですが、本棚はいっぱいだし、ずーっと躊躇中。

★★ 角川書店
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著者は米文学者。翻訳家。食べ物をキーワードにして、古今の文学を遍歴紹介したものです。たとえば白鯨では鯨蝋をつかった揚げパンとか(中身は乾パンなんですけ)。あるいは航海士のスタッブが夜食に特別注文する尻尾のステーキとか。

それで思い出した。クジラの尻尾の部分はかなり美味いらしい。少年時代に読んだ冒険小説だっか、鯨をとったら尻尾の上質な赤身を切り取って食べる。「だからイノシシなんか、わざわざ「山クジラ」と言って珍重してるんだぞ」と年上が新入りに教える。

細かいストーリーは忘れたけど、この部分だけは記憶してます。うん、クジラの尾肉を醤油でこんがり焼いたステーキ、いかにも美味そうです。

それはともかく。いろいろ食べ物と何十の小説を紹介していたはずですが、なぜか記憶に残りません。なんか不味そうなのがいっぱいあったなあ・・という印象。

そににしても「鯨蝋」って何だろう。マッコウクジラの頭部にある脳油だってんだけど、はて。イメージが沸かないです。


★★★ 筑摩書房
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本棚に積んであるのを発見。最初は種村季弘かと思った。よくよく見ると「種」ではなく「穂」ですね。

えーと、よく知らない人なのですが、たぶん歌人でしょうか。エッセーなんかも書いていそう。ただし「総務部の社員だったころ・・」と何箇所かで書いているので、そういう世俗的な部分を気にしない、あるいはウリにしているのかな。

電車の中なんかでふと耳にするような言葉の切れ端を採集し、それを鋭い感覚で料理する。気の利いた雑文というか、コラムのような一冊です。非常にセンスがいい。若い。

たしかに日常的な会話とかコトバって、ヘンテコリンなものが多いですね。ウニが宇宙人だったら怖いとか(うん、怖い)、ウガンダが死んだとか。こういうふうに書いても無意味ですが、読んでいるとかなり笑えます。


★★ 河出書房新社
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図書館が何やら工事に入るらしく、しばらく休館。借りていた本はまだ完読していなかったけど、仕方ない、途中で返却しました。

「ドローンランド」はタイトル通り、いたるところに大小のドローンが飛んでいる未来社会です。こういう設定の常識ですが、小さいドローンはハチドリどころか微小ダニの大きさで、リビングだろうが寝室だろうがひそかに忍びこんでいる。要するに個人がプライバシーとか秘密とかをまったく持てない社会。

で、ドローンと超コンピュータが仕切っている世界で、ちょっと古くさいタイプの刑事(ハードボイルドふう) が捜査にあたる。どういうわけか舞台はベルギーで、EUから英国が離脱するかどうかが問題になっている。この点では、小説のほうが時代に遅れてしまった。

ついでですが、どうもアメリカは衰退しているらしい。おそらくブラジルが隆盛。石油資源が枯渇したのかな。オランダは水没しているし、出回っている安物のほとんどは北朝鮮製で、韓国も力をもっている様子。日本はなぜかアムール川のあたりで紛争をおこして領土拡張しているようです。そういう印象の国家なんでしょうね。


★★ 朝日出版

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進化論の通俗解説書かと思って借り出しましたが、いやいや、まったく毛色が違った。

吉川浩満という人、どういうバックボーンの書き手かは知りませんが、きっと頭がいいんだろうな。頭脳明晰。なんとなくグダグタ混乱している「進化論」の現状を整理し直すというか、定義するというか、A4で4~5枚でもサラッと語れるところを堂々たる一冊にした。

ごくかついまむと、多くの人がいう「進化論」は実はダーウィンの進化論ではない。強いていうと社会ラマルク主義、あるいはスペンサー主義なんだそうです。ラマルクってのは、用不用説。獲得形質が遺伝すると唱えた。スペンサー主義もけっこう難しいですが、ま、乱暴にいうと単純から複雑への変化が進化であるという考え。目的があって、それに向かって進化がすすむ。

人類は進化によってより優秀なものになる。社会もまた進化して理想社会に向かって進む。
優勝劣敗です。適者生存。「良いもの」になるのが進化・・・みんなが大好きなテーマですが、この考えが実は大問題だった。

実は適者生存という言葉を使うからややこしくなる。いかにも生存するに値する資質が何かあるような誤解。そうではなく、実際には「生き残ったものを適者と呼ぶ」のが正しい。適者だからその種が生き延びたのではなく、たまたま生き延びた種が適者。必然ではなく、偶然ですね。そういう意味で「理不尽な進化」です。どの種が滅亡し、どの種が残るかに理由なんてない。

書の後半はグールドとドーキンスの論争について、くどいくらい詳細に語ってくれます。そうか、この二人、ガタガタやってたような雰囲気があったけど、そういう内容だったのか。ただし、どういう内容だったか、今それを説明する力は私にはないです。超賢い二人が派手な綱渡りみたいに論争、大喧嘩した。論点に大きな差はないようにも見えますが、きっと彼らには大問題だったんだろうな。はい、トシのせいもあってどんどん頭が悪くなっています。読むのに疲れた。最後のほうはしんどかったです。

経験則だけど、ウィトゲンシュタインの名前がででくるような本は読み通せた試しがない。

★★★ 集英社
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まだ単行本になっていない小説が残っていたんですね。遺作かな。もう皆無かと思っていた。

短編集です。女主人公ものというか、官能物というか、けっこうあるパターンですね。語り手の女が愛欲ゆえにどんどん崩れていく。転落していく。特有のドロドロした粘っこい描写が特徴です。

そうそう。本寿院を主人公にした短編も収録されていますが「大河篤姫」で高畑淳子が演じた本寿院とは違います。篤姫の本寿院は13代家定の生母。こっちの本寿院は尾張徳川、3代藩主の側室で、第4代の生母。美人だったけど藩政に関与してみんなの憎しみを買った。性淫奔といわれ、さんざん悪口を書かれているらしい。

さらさらっと読み終えました。どれも達者です。

★★★ 光文社
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密林生活をテーマにしたものかな・・と借り出してみたら、意外や実話をミックスさせた奇妙なSFだった。

SFというのも少し違うかな。不老不死というSF部分もあるけど、肝心なのは文明と始原の対比とでもいうか、ま、ちょっと違う部分にあるようです。

後にノーベル医学賞受賞者となる、好かんタイプの高慢ちき若い男がなぜか赤道直下、孤絶した太平洋の島へ行ってフィールドリサーチ。そこには不思議な未開の島があり、深い森の奥には怪しげな連中がくらしている。しかも人間だけでなく、ヒトともサルともつかない不思議な生き物もいて、カメもいて・・・。

ということで、だんだん不老不死の秘密がかいま見えてくる。しかしそれはさして重要なテーマではないらしく、じゃ何が重要なんだ?というとうまく説明できない。少なくともここではない。すまんです。

ま、けっこう面白い本でした。たぶん日系らしいこの作者の処女作。「実話」の部分というのは、実際に南の島でクールー病を発見した学者がいたらしい。ヤコブとか狂牛病と同じで、脳のプリオン体がなんたらという病気らしいです。脳を食べると食べた人間もワヤになる。食人習慣のある島では、そうした病気が発生していた。で、その発見者のその研究者も実際ノーベル賞をもらったし、その後は性的児童虐待で有罪となっています。このへんが小説と同じ。

ちなみに「作者は女性かな」と思ったらピンゴ!大当たり。密林生活の過酷さの描写が妙にきれいなんです。たいていの男性作家ならこのへん、もっともっと汚く惨めにする。


★★ 小学館
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米国の青年。幼いころに両親が離婚して捨てられた形で、元海軍提督である祖父の家で育てられる。この爺ちゃんというのがけっこうユニークな性格。しかもうるさい。太平洋戦争の経験があるので日本人嫌い。魚嫌い。アンガスかなんかの赤身1ポンドのステーキが大好きで、もちろん塩と胡椒だけでしっかりウェルダンに焼く。

やっぱりね。なんかの本で、米国人(特に中西部) ではステーキを靴底みたいにカチカチに焼くと知りました。サッとレアでなんて、東部男みたいに軟弱なことはしない。男は黙ってウェルダン。

ま、ともかく。青年の恋人(ジェニファー)はなぜか日本にいれこんでいて、ぜひとも日本を見てこいと熱心にすすめる。PCやスマホを持たずに体ひとつで日本へ行くこと。ゆっくり見てくること。

ということで気のいい青年はほとんど予備知識なしで来日。いろいろ感動したり感嘆したりの連続です。けっこう笑える。東京から京都へいって、大阪で寄り道して別府へ。途中で嘘みたいな着物の女性と知り合いにもなる。

けっこう笑えてこれからどう始末するのかな・・・と思っていると、なぜか急に北海道。雪の釧路で丹頂鶴のダンスを見る羽目になり、あれれ? あれ? なんか無理に結末つけられて急にオシマイ。完全に尻切れトンボです。

理由は不明ですが、浅田次郎が急に書く気をなくした。困ったもんで、ま、結果的には駄作というしかないです。

ちなみに1ポンドはだいたい450gです。けっこうな量。

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★★★★ 朝日出版社

先日読んだ「昭和史裁判」がなかなか良かったので、名前を覚えた加藤陽子氏の本を借り出し。

非常に優れた本です。歴史学者である著者が機会を得て5日間の授業を行う。相手は神奈川の進学校・栄光学園の中高生。ただしさすがに一般生徒ではなく、みんな歴史研究会のメンバーです。受け皿は超優秀なんですが、語り手もまた優秀。そして非常にわかりやすい。平易。

日清戦争から太平洋戦争まで。どうして日本はこの道をたどってしまったのだろう。戦争をやりたいと思った人はいなかったはずなのに、結果として戦争への道へ突き進んだ。なぜなんだろう。

書かれている内容の多くは既知のものが多いです。しかし所々に新しい観点が挿入される。新しい知識も披露される。また語り手(加藤陽子)は可能な限り中立公正の立場を保とうとしているのがわかります。中高生相手なんですから、あっちの方へ引っ張ることもこっちのほうへ導くことも易いはずですが、それを抑制している。当時の日本の国内にもいろんな立場や考え方があった。世界を俯瞰しても、やはりいろんな国があり、いろんな事情がある。仕方なかったんだ!と弁解するのも違うし、完全に日本だけが悪い!と言い切るのも少し違う。

個人的に「へぇー」と思ったこと。

太平洋戦争の開戦前、日独のもっている戦力は英米をはるかに凌駕していた。要するに強かった。だから「緒戦は勝てる」という考えには一定の合理性がある

パールハーバーの米艦隊が安心しているのには理由があった。湾の水深は12メートルと非常に浅くて、雷撃機から落とした魚雷はみんな底に突き刺さってしまうはず。こんな浅い海に魚雷を落とせる雷撃機は存在しない!(しかし海軍は月々火水木金々の猛特訓。不可能を可能にした)

米国が参戦しないだろうという楽観論にも、実はかなりの根拠があった。仏印に攻め込んだくらいなら、米国は黙っていてくれるだろう、たぶん。それが国内の意見の大勢だった。

リットン調査団の時点ではまだ妥協解決の道があった。うまくしたら満州に権利を確保したまま平和になれる可能性もあった。(それをブチ壊したのは陸軍が開始した熱河省侵攻作戦。これが理由で国連脱退に至る)

松岡洋右は「欲張るな、腹八分がいい」と進言している。欲張る=連盟と対立してまで満州の利権にこだわること。連盟脱退の立役者=松岡洋右というのはかなり可哀相な誤解である。

日本軍には補給の思想がなかった。派遣した軍隊に飯を食わせ続けるということを真面目に考えていなかった。また戦争中、日本の生産力は激減したが、ドイツなどはむしろ増えている(それでも足りなかったが)。日本軍は必要な人材だろうがなんだろうが、どんどん兵隊にして無駄に消耗させた。戦争も終盤になってようやく反省が出てきたが遅すぎた。

日本の死傷者の大部分は戦争の終盤に集中している。実はマリアナ、パラオあたりの海戦で徹底的に負けた時点でもう戦争は挽回不可能。敗北が確定していた。1944年の6月です。以後はすべて無駄な悪あがき。無意味に国民を殺してしまった

そうそう。本筋ではないですが当時の「皇道派」を「社会主義革命を目指した隊付将校」と断言しているのが新鮮でした。モヤモヤがスッキリした。目標は天皇親政による社会主義です。で、そうではない「ふつう」「中央エリート」がなんとなく統制派と言われた。

なんで若い軍人が社会主義を目指したかというと、農民を代弁する政治家も政党もなかったからです。みーんな自分たちだけの儲けに走って、疲弊農民について考える人がいなかった。それで軍人が(本筋ではないにせよ)その役目をになった。になうべきと考えた。なるほどです。


★★★ 幻冬舎

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ちょっと前、映画になってましたね。たしか主演は役所広司に大泉洋、小日向文世などなど達者な連中でそれなりに面白かった記憶がありますが、三谷ドラマの特徴でしょうか、常に「やりすぎ感」がある。

柴田権六が庭の七輪でパタパタ海産物を焼く、武将たちが難波歩きでレースする。訳のわからないクノイチが跳躍する。困ったもんだ。そうそう、剛力彩芽の白塗り引眉姫も新鮮でした。

ま、そんな映画の原作というか、数年前に書いた(かなりまっとうな)小説がこの「清須会議」です。

意外や、読後感は悪くないです。それぞれの武将たちのモノローグ形式で進行するんですが、うん、映画ほどのズレた悪ノリ感はない。内容というかエピソードも少しずつ違っていて、たとえば砂浜でのレースはなくてその代わりにイノシシ狩り。信雄はもちろんアホですが、技術オタクというわけではなくて、手回し扇風機を発明してはいない。秀吉はもっと悪党だし、奥さんの寧はかなり素直な性格(寧が語る章はけっこういいです)。

こうした原作を材料にして、監督・三谷が更に悪ノリしたのが映画なんでしょうね。悪ノリしなければよかったのに。

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