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ついに終わってしまった。

最終回、特に事件が起きたわけではありません。意地張っていた母親の保春院が、困窮してとうとう最上から仙台へ帰還。前回にも増して岩下志摩(保春院)も鷲尾真知子(おちゃこ)も年取っていました。昔の女優さん(というより演出だろうな)は上手に老けます。

政宗も自然に老けてました。当時の渡辺謙、まだ20代と思うのですが素で60代くらいには見える。演技の力でしょう。

比べると、正直いって子役のレベルは今の方がはるかに上。幼年少年時代の梵天丸も藤次郎も、けっこう下手です。というより、最近の子役が達者すぎるのかな。ただ子役が棒だったといっても、許せる範囲。下手だけど懸命にやってるなあと、我慢できる範囲でした。そもそもこの大河ぜんたいに対して甘い目線になっているのかもしれません。


dokuganryu2014.jpgともあれ、1年にわたって楽しんできた再放送。ありがとうございました。良質の脚本と演出、俳優が揃うとこんな大河ができる。それなのに最近の大河は・・と愚痴を言いたくなるけど、うん、言うてせんないことです。グッと我慢。

政宗がすっかり爺さんになってました。顔から気力が失せている。ちょっとボケ顔。

久しぶりに登場した保春院(お東さま)も、背筋は伸びて端正ではあるけどやはり年寄り顔。顔だけメイクで老けているような役者とはレベルが違います。体ぜんたいが老化するんですね。そうそう、侍女のおちゃこも久しぶりでした。自分のほうが腰が曲がっているのに、それでも形だけは保春院さまの手をとって歩いている(つもり)。可愛いです。

冒頭、仙台城(かな)での政宗の一日が紹介されていました。朝定時に起きてから洗面、朝食は家臣と共にする。献立も指定。書斎が二畳の小さな部屋というのも面白いですね。だだっ広いのが不便はわかるんですが、そんなら四畳半とか六畳でいいじゃないか。なんで二畳なのか。

かなり神経質というか、細かい性格だったらしい。こういう細かい男が、いろいろ頑張って豪気なところを見せたり、頑張ったりする。

幕府に対しても、あいかわらず折りにふれて依怙地なところを見せています。軽んじるではないぞ!と時々は尖っておく必要がある。その代わり腰を低くすべきところは卑屈なくらいに低くする。達者な処世術です。

dokuganryu2014.jpg残りはあと1回ですか。残念。終わるのが惜しい。次は朝ドラ「あまちゃん」らしいですが、たぶん見ません。放映当時は非常に面白かったんですが、時間がたつとどうも・・・。

悪巧みがばれ、せっせと防戦の支度をする伊達に対して、秀忠は怒り狂いますが、でもだからといってすぐ成敗におよんでもいいのかどうか。それが得策なのかどうか。

このドラマでは大活躍の柳生但馬が秀忠に進言して、ムチで叩くよりアメ懐柔したほうが賢明でしょう。どうせ血筋の子供はたくさんいるんだから、姪っ子でも嫁にやればいいじゃん。家康が娘を池田輝政に再婚させて、そこで産まれた姫です。

たぶん政宗、内心はホッとしたと思いますが、だからといって二つ返事で承知は沽券にかかわる。もう一押し、ゴネます。血筋とはいえ姪じゃ嫌だ。将軍の娘というんなら考えてもいいんだけど。ほんと、つけあがります。このへんの押しの加減、駆け引き計算が政宗の真骨頂なんでしょうね。

で、無理を通した後は、借りてきた猫のように大人しくなった。身内には「以後は阿呆になるぞ」と宣言。たしかにあんまり牙をむいていると本気で嫌われます。増長は禁物。引き時が肝心。

福島正則との城中での相撲。実際には酒井忠勝という譜代の小大名が相手だったらしい。えーと、後には老中・大老もつとめてる人です。いきなり相撲をいどまれた忠勝さんは迷惑だったでしょうが、逃げるわけにもいかない。堂々と戦って腰車かなんかで政宗をすっ転ばした。どっちも戦国大名です、組み打ちも芸のうち

なぜ急に城中で相撲をいどんだのか。阿呆をよそおった芝居という見方もありますが、あんがい、本気でイタズラしたくなったのかもしれません。酒井忠勝という人、(たぶん)謹厳な人みたいなので、その真面目面をついからかいたくなった。最初のうちは適当にあしらおうと思っていた酒井忠勝も、周囲の野次馬たちがお祭り騒ぎでけしかけるし、「負けたら譜代の名折れじゃ」」とか言いつのるので、最後は本気になった。本気になれば政宗なんて、もう年寄りです。負けるはずがない。

まだ戦国ですね。なんかの本で、この時代の大名とか旗本連中の気分を記録したものを読んだことがありますが、なんというか、みんな乱暴きわまる。ちょっと前まで馬上槍をふるっていた連中です。戦場の匂いが残っていて、完全体育会。大人しく礼儀作法を守るような雰囲気じゃなかったようです。

そうそう。イスパニアに派遣した支倉常長が帰還しました。途中、マニラあたりで国内事情の急変はいろいろ聞いていたと思うので、あえて派手な洋装で帰還というのも不思議です。この後におよんでまだ「イスパニア艦隊派遣の密約は・・・」と言いつのったら、空気をまったく読めない男ということになりますが、ま、ご愛嬌ですか。

ほんと、酷い目にあったもんです。対面しても、可哀相という顔も見せずスッとぼける政宗、さすがタヌキです。常長は蟄居させられて数年後に死んだそうですが、こっそり毒を盛られた可能性も高いですね。

dokuganryu2014.jpgそれにしても、これだけ「ワル」を主人公にしたドラマ、ないですね。反省なき悪謀ドラマなのに人気があって、絶賛された。最近のドラマも、もっともっと悪辣で魅力的な主人公設定があってもいいと思います。何年か前の新選組!とか天地人とかが好例で、近藤勇、直江兼続、もう少し清濁併せ呑む現実的なキャラ設定にしてくれたら、かなり違ったドラマになったと思うのですが。

タイトルが秀逸。てっきり「副将軍として秀忠を補佐してくれ」という話かと思ったら、もちろんそんな甘い脚本じゃないです。死を間近にむかえた家康が、最後の怪獣じゃなくて懐柔作戦。頼んだよと言っても、人払いしてあるんで、誰も聞いてはいない。まったく公的な要素がないわけです。

政宗が気分よくしてくれればもっけの幸い。仮に後で政宗が「ワシは副将軍だ」と触れ回っても、法的根拠がないので、二代将軍はそれには縛られない。相手にする必要もない。口先だけなら元手ゼロ

それどころか家康が死ぬと、すぐ伊達謀叛の噂が駆けめぐります。この時点で伊達を潰せるものなら潰したかったでしょうね。ただ伊達が本気で戦いの用意を整える姿勢を見せたので、結局は沙汰止み。伊達成敗なんて始めたら、確かに天下は大騒ぎになる。将軍秀忠の威信が磐石だったかというと、それも怪しい。福島正則はまだ元気だったはずだし、加藤清正もまだ生きていたかな。あっ、清正はもう没してましたか。でもまだあちこちに戦国の危うい空気は残っていたと思います。

ジワジワと一つずつ手をつけて潰すならともかく、派手な戦はちょっと困る。ま、そんな雰囲気を上手に利用して、またしても政宗は生き残るわけです。しっかりもんです。

そうそう。パライゾではまた夫婦・・・と誓い合った夫婦ですが、Wikiによると五郎八は仙台で西館殿と呼ばれて67歳で逝去。忠輝はあちこち移転させられながら結局92歳まで生きたそうです。蟄居してから侍妾がいたかどうかなど詳しいことは不明。ま、常識的に考えて身の回りの世話をする人はいたでしょうね、きっと。

dokuganryu2014.jpgちなみにデウスの教えに合っているかどうか知りませんが、五郎八といっしょの頃から側室がいて子も生していた。その子は不遇だったらしく、理由不明ながら若くして自死。

貴人がやんちゃをすると、周囲が迷惑します。


大きな事件は何もなし。片倉小十郎(シニア)が亡くなり、松平忠輝と五郎八が離縁しただけです。

西郷輝彦の片倉景綱 、いい老け芝居でした。時間もかなり長く使いましたね。冥土の土産に笛を吹き、政宗に三つの遺言献策を残し、という内容なんですが、いかにも体力を使い果たした病人らしい迫真の演技です。本職でもないのに、こんなに達者な人だったんだ。

というより、どうして最近の大河の「瀕死のお芝居」は心に訴えるものがないんだろう。そっちのほうが不思議です。病人は決められたセリフをけっこう明瞭にしゃべって、いきなりパタっと息をひきとる。周囲はわざとらしく騒ぎたてる。それどころか、なんかの大河では主君が足音荒くドカドカ枕元へ闖入なんてのもありました。スペースがないもんで、病人の布団を踏んづけたりして

真田広之の松平忠輝も、なかなかでした。悍馬ではあるけど馬鹿ではない。すべて承知している。でも我慢できない・・・という設定。今回でついにすべてを諦めて、五郎八へ離縁状をしたためる。長命だったらしいですね。

五郎八のかぐや姫、えーと、名前はなんだっけ。そうそう、沢口靖子。しかし下手だったんだなあ。最近見かけるドラマではそれなりですが、若い頃はほんとうに棒だった。ま、可愛いけど。

本筋に関係ないですが、佐竹に逐電していた叔父のイッセー尾形、えーと、国分盛重ですか。久しぶりに登場しました。ヨボヨボに年取って、歯も抜けて、でも身のこなしはさすがに軽いし相変わらず喰えない。

dokuganryu2014.jpg石牢は寒いから嫌じゃ、水牢はもっと嫌・・と這いつくばりながらバッタのように逃げ回る。笑ってしまいました。達者だなあ。

このドラマも残りわずか。惜しいです。


秀頼を自害に追い込んだこのは、決して家康の本意ではなかったというストーリー設定のようです。たしかにそういう解釈はできるでしょう。すでに求心力のなくなった豊臣です、ちょっとした所領を与えて大人しくさせたほうが、世間の評判もいい。わざわざ豊臣殺しの汚名を着ることはない。始末したいのなら、ほとぼりが冷めてからゆっくりジワジワのほうが賢いです。難癖ならいくらでもつけられる。

今回の中心は婿の忠輝でした。鬱屈してヤケになっている。蟄居させられてからも見張り役人の視線を感じながら庭で刀を振るってうさばらし。真田広之、鍛えたいい体でした。素振りの動きも力がこもっていて迫力満点。こんないい役者だったんだ。

例によってまた政宗の屋敷に五郎八姫が駆け込んできました。亭主の忠輝も五郎八も、常にいきなり座敷に闖入してきます。ま、余計な舞台セットが不要なので、経済的なシナリオではあります。五郎八姫が涙ながらに亭主の助命を嘆願し、でも離縁は嫌よ。こうなると理屈じゃないですね。なぜか母の愛姫までが娘の味方をします。そうやって感情と理性、両方の主張がぶつかり合うと、適当な音楽が流れて、そのままフェードアウト。視聴者は「きっと泣きながら帰ったんだろうな」などと、勝手に解釈してくれます。

そうそう。柳生但馬が真剣白刃取り。ひぇー。このドラマ、非常に完成度の高い脚本と思いますが、でもときどきこんな遊びイベントを盛り込む。最初から柳生の代わりに本多佐渡あたりが側近役ならもっと良かったんですが、ま、仕方ないか。登場人物が増えると主題が散漫にはなります。

dokuganryu2014.jpgちなみに「ふたりの父」とは、忠輝の実父家康と義父政宗のことのようですね。政宗、ついに野心を捨て、諦めの境地に至ったようです。

予算をずいぶん節約していたことがわかります。燃える大坂城はナシ。戦闘シーンも局所的に集約して、片倉小十郎と大阪方の武将の取っ組み合いで持たせる。大軍勢の突進もなくて、陣幕囲いの中で少人数のお芝居。家康は即席とはいえ板敷きを組み上げて陣取っていましたね。

さて、娘婿の松平忠輝はあいかわらず出番がなくてヤキモキ怒り狂っている。真田広之、好演。それを押さえつける政宗。昔は忠輝そっくりだったんですけどね。政宗もダテに長生きしたわけではない。年の功です。ふと気がゆるんだのか計算づくか、なんかの具合で忠輝三代将軍も可能というブラックな政治展望も示してくれました。そんな可能性、少しはあったんでしょうか。

夏の陣が終わっても、麾下の大名たちに配る恩賞のアテがないのは確かです。この頃の秀頼の所領なんて、関ヶ原敗戦で蔵入地を減らされ、60万石とかその程度だったはず。その半分を徳川が取って残りを配るとしても、まったく雀の涙。不満が渦巻くでしょうね。当然ことながら、つぎに発生するのは目をつけた外様の取りつぶしに決まってます。なんだかんだ、混乱が予想され、うまく生き延びていれば忠輝の世が来るかも・・・・・しれない。

千姫がちょっと学芸会なのは、ま、ご愛嬌です。なにかと柳生がしゃしゃり出るのも奇妙ですが、ま、当時の流行りでしょう。その代わり淀の方が絶妙のお芝居をみせてくれています。この大河の淀、いいですね。へんに役を作らないで、ごく普通の女性、愚かな母親にしている。感情ゆたかに迫ったり脅したり怯えたり。秀頼との最後なんて、まるで浄瑠璃の道行きシーンです。樋口可南子って色っぽい女優さんだなあ。

dokuganryu2014.jpgいろいろ読むと、この夏の陣で、大阪方の死兵突撃に伊達軍はかなりひどい目にあったようですが、ま、そのへんは曖昧に。伊達軍、ひたすら奮戦したという形になっています。そうしないと格好がつかない。

和睦後の大坂城堀埋め作業は政宗担当ということだったんでしょうか。実作業はともかく、埋立責任者は本多とか大久保とかの旗本だろうと思っていました。このドラマでは政宗が矢面に立っていました。

それはともかく。契約違反にクレームの大坂方に対して、恥じることなく堂々とシラをきる政宗。埋めたてに文句があるって、ひょっとしてご謀叛の意図ですか?とか。ああいえばこう言う。イライラしている淀殿がいい芝居をしています。座敷をうろつきながら扇で御簾の房飾りをポンポン叩いたりして。とくに悪女でもなく、ふつうの女性。

長男に宇和島十万石が決まりました。関東東北の領地ならともかく南海道。遠すぎます。嬉しいというべきか悲しいというべきか、かなり微妙です。生母のネコ御前が(たぶん)最後の名演技。この秋吉久美子の側室、出始めからかなり自己主張の強い役柄設定でしたが、でもきちんと身分をわきまえている。正室に対しても無礼にならない程度、ギリギリに抵抗してきました。泣くにしても、座敷の外に出て人に見えないように泣く。節度というものです。

家康がかなり老け化粧でしたね。ワシが嘘を言ったことがあるか?とか、平気でのたまう。さすがの政宗も唖然とする。これが芝居なのかボケているのか、それはわからない。この時点で家康が秀頼を殺す意図があったかどうか、これも歴史の謎です。あんがい、殺したくなかったのかもしれない。あんまり露骨にやると、後世の評判が悪くなるし。

あるいは、秀忠に代わって自分が泥をかぶったという可能性もありますね。悪評は自分が負う。そのために大阪始末を急いだとか。

dokuganryu2014.jpgそうそう。酒のみながら「秀頼って大野治長の子だろ」と言う娘婿に対して、顔を赤くして政宗は怒ります。ちょっと前には自分が同じことを高台院に聞いてたのにね。大人ってのはそういうもんです。ダブルスタンダード。オレが言うのはいいけどお前が言っちゃいけない。政宗、しっかり大人の政治家になりました。

既に43回。あと6~7回ですか。残り少なくなってきました。

夏の陣が始まります。この時点でまだ政宗は迷っていたんでしょうか。大阪に付くか、江戸に付くか。でも最終的に政宗はじめ秀吉恩顧の大名はみーんな将軍家に従う。ま、その程度の政治感覚がないと関ヶ原を生き延びてここまで身上を保つことはできなかったでしょう。

大坂城小座敷でのトップ会議。江戸から帰った片桐且元は和睦を主張します。「人命第一・テロには屈しない」と同様、たんなる美辞であって、実際には降伏です。でもここまで且元をまっとうに描いてくれたドラマは珍しいですね。たいてい卑屈で臆病という演出になってしまう。退席を命じられた且元、もうやってられんわという顔で消えます。

で、冬の陣。いざ戦争が始まると主戦派だった大野治長までが「和睦」を言い出す。和睦は降伏と違うって、前に片桐且元が言ってたのと同じ論理で、ちょっとおかしい。

で、大坂城の天守に国崩しの大筒を打ち込まれる、強気だった淀殿も動揺。こうして滅亡の道をたどる。

dokuganryu2014.jpgそうそう。ついに片倉小十郎が隠居しました。前々回くらいから元気なくなっていたんですが、ついに中風を病んだ小十郎、顔色がどす黒くなって両手がコチコチに緊張して、いかにもの演技。表情はけっこうしっかりしているけど、見るからに病人と分かります。それにしてもどうして最近のドラマの病人はあんまり病人に見えないんだろう。そっちが不思議です。

次回にはもう消えるんでしょうね。寂しい。

大船つくってエスパニアに派遣して、あわよくば艦隊をよびこもうと画策する政宗。うまくいけば最後の大博打がうてる。ま、家康のほうが一枚上手でしたが。

印象に残ったこと。

冒頭のシーン。引いたカメラ。左手の座敷に正室(病後)が座っていて、右手から側室がご機嫌うかがいにくる。いまどきドラマみたいに無遠慮にスタスタ歩いて来たりはしません。ちゃんと女中やら何やらが取り次いで、けっこう時間がかかる。座敷をいくつも通過してくる光景がきれいです。

越後の松平忠輝、真田くん、木刀もっての殺陣がすごい。迫力ありました。相手をさせられる家臣はたいへんだ。江戸から駕籠でやってきて、着くなり廊下をせわしく小走りの五郎八姫ですが、着替えもしないで走ってきたんでしょうか。理屈にはあわないですが、これもきれいなシーンでした。

ついに原田芳雄の最上義光が退場。立派な老け役でした。時間もつかって老残を演技。そばで世話する妹の志摩さんもこの時点で60代の媼嫗です。まだきれいだけれども不自然な若さではない。これも見応えありました。

dokuganryu2014.jpgあんまり知らなかったんですが、松平忠輝はいきなり処分されたわけではなかったんですね。いろいろあってけっこう長命している。同じような印象の松平忠直とかなりゴッチャになってしまった。忠輝は家康の6男、越後少将。忠直は家康の孫(結城秀康の長男)で越前宰相。

そうそう。本筋ではありませんが、家康の平椀。たぶん焼き魚の骨に湯をそそいだものですね。美味しそうに飲んでいました。いかにも食べ物を粗末にしない戦国武将。細部の演出がよかったです。

海外雄飛の壮大な夢を描いた政宗ですが、船はともかく肝心の婿である松平忠輝に逆風が吹き始める。幕閣にすれば油断ならない政宗と言動不穏の忠輝のむすびつきは要注意ですわな。忠輝、そもそもの最初から家康にあんまり好かれていなかったようです。、

で、なんですか、幕府の建造した大船が150トンとかいっていました。で、すぐ座礁。この後で政宗がつくった本物の三本マストの大船がだいたい500トン級だそうで、ケタ外れに大きいです。ちなみに幕末のペリー艦隊の旗艦だったフリゲート艦は2000~3000トンクラス。気になって調べてみましたが、太平洋横断の咸臨丸は600トン程度だったとか。

この回では大久保長安が最初から最後まで大騒ぎしていました。金に取りつかれた男、ついに運が尽きたということらしい。ドラマでは座敷牢で死亡という説をとっていますが、大往生という説もあるようで、どっちが正しいんだろ。どちにしてもこの頃の岡本大八事件とか大久保長安事件とか、謎が多いです。佐渡金山の産出量が減ったため、大久保長安の利用価値がなくなったという話もあります。

おそらく本質は、重臣だった大久保忠隣一派本多正信正純親子の政争だった可能性が大。長安事件で大久保派は斜陽となり(その余波が大久保彦左衛門の鬱屈になる)、勝ったようにみえた本多派も増長を憎まれたのか最終的には没落します(宇都宮吊り天井)。

dokuganryu2014.jpgま、それはともかく。悪賢い政宗も野望は野望として、愛娘と婿の行く末を案じて庭の築地をながめる。詠嘆する政宗に正妻が頭を寄せかけます。このドラマ、愛情表現として顔を埋める・・というパターンがとても多いですね。ま、今ふうに抱き合うわけにもいかないし。

そうそう。血気にはやる猪武者みたいだった伊達成実が、ずいぶん深謀遠慮になっていました。西郷輝彦と見間違えた。トシの功ですかね。

政宗の長女五郎八姫も大きくなりました。うまいぐあいに家康の六男坊(忠輝)との縁談も決まり、伊達は我が世の春です。うまい酒をのんでぐでんぐでんに酔ってる。

しかし要するに天下人の夢を諦めたっていうことなんですよね。徳川政権の飼い犬になるしかない。でも唯々諾々と従うのは悔しいので、秀忠からのお土産要求は断固拒否。意地を張ってます。

この引き出物の話をもちこんだのは徳川の重臣土井利勝ともう一人は誰だったか。たかが刀をよこせやらないの話に、けっこうな時間をかけています。最初はやんわり持ちかけて、だんだん具体的にして、最後は居丈高に要求する。

これを、いきなり「献上つかまつりたし」と言ってしまったら味がない。「ください」「嫌だ」「どうしても献上していほしい」「どうしても嫌だ」で終わってしまいます。このドラマのこうした順を追った手順がなんともいえない。自然な流れ。政宗のほうも最初は上機嫌で、だんだん険悪になってくる。

娘婿の忠輝は真田広之です。若いなあ。野心まんまん、意欲に燃える青年です。でも基本的にお坊ちゃんなんで、かなり危なっかしい。大久保長安と忠輝の大風呂敷に、さすがの政宗もたじろいでいる。要するに紅毛人(エゲレス、オランダ)と南蛮人(ポルトガル、スペイン)の間のバランス外交。隙があったら征服してしまおうという壮大な夢。政宗もそこまでの構想はなかった。

dokuganryu2014.jpg政宗の周囲では次々と功臣が亡くなっている。長塚京三も死んだし寺田農もいなくなった。少しずつ時代が移っていってるんですね。政宗も40歳を過ぎた。

そんな折りに若い連中から新感覚の構想を聞かされて、ドキッ。せっかく大人しくなっていた野心に火がついてしまった。そうか、大船をつくって海に乗り出せばいいんだ・・・。

関ヶ原も終わって徳川の威信はますます増大。というより天下はほとんど徳川ですね。ただ大名連中がどう見ていたのかは面白いところです。

いわばカリスマ先代会長が死んで、息子はまだ子供。先代の奥さんが(役付きではないけど)影響力を持ち続けている。で、実力副社長は取締役会で、叛旗をひるがえした常務一派を馘首。みーんなイエヤスさんが実質社長であることは承知だけど、でも先代の一族をないがしろにするのも気がひけるし・・・。

けっこう微妙なんだと思います。家康としても、あんまり評判悪いことはしたくない。自分に頭を下げてくれれば悪いようにしない気持ちはあるんだけど、肝心の先代の奥さんはプライドばっかり高くて世の中のことがわからない。困ったもんだ。

伊達政宗の立ち位置も微妙です。表立ってケンカはしたくない。でも唯々諾々と従っていたら軽んじられる。ちょいちょい文句をつけて、存在を見せつけておかないといけない。難しい。綱渡り軽業です。綱渡りが根っから好きだったんでしょうね。

そうそう、仙台城は山城だったのか。いわれてみれば、たしかに青葉山の上です。当時、すでに流行は平城で、不便な山城は少なくなっていたと思うんですが、政宗はあえて堅固な城砦にこだわった。本気で関東と戦うことを予想していたのかもしれない。Wikiによると息子の代は不便な山の上を嫌って、平地に二の丸を作ったらしい。したがって江戸時代の仙台城は平山城という分類になるそうです。

この回、政宗は何回も家康に面会しています。家康の傍にいつも柳生宗矩がいるのはちょっと違和感ですが、ま、許容範囲。本来なら本多正信とか正純といった老臣でしょうね。キャストを節約してるのかな。それでもケースバイケースで今井宗薫とか大久保長安とか、使い分けはしている。金田龍之介の大久保長安、タコ坊主みたいで好演。

ということで100万石をフイにした政宗は正室に挨拶して嫡男を抱き上げ、その後は側室の猫御前のご機嫌をとってこっちは江戸へ移す。そのまた後は秘密の愛妾のところへ行って、こっちの子供は国元へこっそり戻す。忙しいですが、タマゴをひとつのカゴに盛らない、自分の血筋を分散するってのは、大切なことです。

dokuganryu2014.jpg新年の挨拶、家康の伏見より先に秀頼の大阪へ行ったというのも、見せつけ要素もあったでしょうが、安全保障の意味があったのかもしれない。二股膏薬。場合によったら自分が盟主になって関東と戦ってもいい。、そんな可能性があったかもしれないです。

今回は「関ヶ原の後、政宗は百万石をもらえませんでした」という内容でした。したたかなはずの政宗なのに、喰えない家康の「百万石のお墨付き」を何故か信用してしまった。いい話ってのは信じたくなるものです。要するに「若いのう」ということなんでしょうね。35歳だったかな。たしかに若い。

考えてみれば政宗、ドサクサまぎれに上杉と和睦したり、南部にちょっかいかけたり、なんやかんやと悪巧みをいっぱいしています。そうそう、史実かどうかは知りませんが、珍しく頭を下げてきた最上の伯父さんをおちょくったり。因果応報、身から出た錆。家康に文句いえる筋合いもないんですが、人間みんな身勝手なもんですから、都合の悪いことはは忘れている。

家康としては、政宗みたいに信用できない奴に奥州百万石も与えたら怖くてしかたない。最初から頭ペコペコの加賀とは話が違います。ま、紙切れ一枚、難癖つけて破棄するのが妥当です。南部侵攻の訴えが起きたのは渡りに船。

そうそう。関ヶ原で東軍勝利の大ニュースも、遠い奥州にはすぐには伝わりません。けっこうな時間差があるわけですね。このタイムラグの感覚がなんともいえないです。神の目で天空から眺めていれば、何をやっとるんじゃということですが、当人たちは欲かいて必死であがいている。去年の八重の桜なんかでもそんな感じがありました。京大阪で大事件が起きていても、その同じ日の会津は平和で笑ったり食事したりしている。なんていったっけ、こづゆを食べたり。

どうも最近の大河は距離も時間も一瞬でワープしてしまう脚本が多いですね。だから現実感が薄れる。実際にはどこへ行くにも何日も何週間もかかるし、伝わってくる情報も半月遅れだっり不正確だったり。そういうあやふやの中で主人公たちは必死で考えたり動いたりしている。ときどきは間違った判断をする。間違った行動もとる。家康への弁解のため、南部侵攻の責任者の首を差し出しますが、実はその犠牲の意味はほぼ皆無だった。でも自害を決めた武将はそれが役にたつと信じて死んだ。

無駄な・・とも思うし、そういう食い違いがドラマなんだよなとも感じます。


そうそう。ちょっと前に「香の前」という側室、家臣の茂庭綱元に払い下げてからも密かに通っていたのかと思いましたが、実際には何人かの子供を生ませてから丸投げにしたという説もある。丸投げされた綱元がどう思ったかは不明。でもこの前後、綱元出奔という事件もあったようなので、そのへんとも絡みがあったのかどうか。はっきりしないようです。

出奔、多いですね。そういう時代でもあったんでしょうが、仕えづらい主君だったのかもしれません。伊達成実が出奔した。茂庭綱元も消えた。一門のイッセー尾形の出奔なんてのも、実は政宗が追い出したんじゃないかと思います。なんせ仙台あたりの城主だったはずなので、邪魔になったとか。


それはともかく。関ヶ原が終わって、伏見にいた正室、側室たちはホッとしていました。百万石もらえるんですってね、とニコニコ話をしていたら、それがダメになったらしい。おまけに 庶出の長男には本家を出てもらって別家を与えるとかなんとか、伏見留守居役の寺田農が急に言いだす。側室ねこ御前が「話が違う」と怒り狂っています。なんで寺田・定綱はそんなことを言ったんでしょ。普通に考えれば主君の内意をうけて、打診絡みで話したと受け止めるのが自然ですが。

dokuganryu2014.jpgこの長男の宇和島伊達と仙台伊達、本藩支藩の関係なのか、独立しているのか、けっこうややこしいみたいです。金の貸し借りの問題であとあとトラブルになって仲が悪かったとWikiにありました。

伏見は出産ラッシュ。次々にポコポコ産まれます。正室の嫡男誕生とか側室の懐妊はともかく、なんで秀吉払い下げの香の前の子供を認知しないのか、その理由はあいかわらず判然としません。というか、茂庭綱元に与えたはずなのに、政宗はまだ通い続けていたっていうことですね。綱元が釈然としないわけです。

そんなことはともかく、家康はついに上杉成敗に出陣します。で、まずは上杉対策として最上と伊達に帰国を命じる。愛娘を殺されてからの最上義光、なんか冴えがなくなって燻っています。可哀相に。

ということで政宗は上杉領に近い城に兵をすすめ、そこを本拠にして上杉侵攻。もちろん上杉は手ごわいです。たしか甘糟ナントカという武将が拠点の白石城を守っていたはず。しかし(単身突っ込む伊達成実の活躍もあって)白石城は落城、かな。

このへんは難しいところです。政宗としては、本気で上杉と戦う気はない。石田と徳川、どっちが勝つか未知数なわけで、微妙な情勢下では静観したい。で、さっさと上杉と暫定和睦。家康からしたら裏切り行為ですが、こっちにも弱みはあるので、とりあえずは不問。敵にまわらず上杉牽制の役目を果たしてくれるのならそれで上等ということでしょう。

たぶん三成の誤算は上杉が江戸に引き上げる家康を追撃しなかったことでしょうね。おまけに横から突進してくれるはずの佐竹もアヤフヤで、結局は動いてくれなかった。

三成は辛いです。このドラマでも当てにしていた淀の方が朱印状を拒否する。明白に三成加担という形にしたくない。どっちが勝っても自分たちに累はおよばないだろうという計算。

小早川秀秋が裏切るかもしれないという雰囲気は当初からあったようです。まったく信用されていなかった。したがって必ずしも小早川の裏切りが直接原因で西軍が負けたとはいえない。原因はもっと他にあったみたいです。

まず毛利も鍋島も、あまり積極的には戦いません。及び腰。なにより誤算は前哨戦で、天下の堅城(であるはずの)岐阜城の織田秀信(例の三法師です)が、なななんと、たった一日で落城してしまった。岳宏一郎の「群雲、関ヶ原へ」によると、殿様の秀信さんが籠城を嫌った。どうも祖父信長のDNA、美意識に反したらしい。無意味に派手に突出して、あっさり負けてしまった。

もうひとつあるか。本当は大垣城を本拠地にして戦う予定だったのに、家康の策略にまけて、自分から城を出てしまった。策略ってのは「大阪を直接攻めるぞ。途中で(三成居城の)佐和山も攻めるぞ」というものです。戦争下手の三成があわてて城から飛び出した。

そういうわけで、当初の意図とまったく違って、なぜか関ヶ原で対決することになってしまった。こんなつもりじゃなかったのに。やることなすこと、すべてがスムーズに運ばない。

ここでも総大将である毛利輝元が大坂城から出撃してくれれば様相はガラリと変わったんでしょうね。でもなぜか輝元は出てこない。城にいたっきりでなーんにもしなかった。たぶん何も考えていなかった

戦場の関ヶ原でも毛利支藩の吉川広家が南宮山の中腹に居すわり、毛利軍本体を下山させない。下山を急かされると「食事時間なんで」と何時間もかけて弁当を食べ続けたそうで「宰相殿の空弁当」とか揶揄されてます。宰相というのは南宮山毛利軍の若き総大将だった毛利秀元のことです。若い秀元はベテラン広家の言うことを聞くしかなかった。

詳細は覚えていませんが、結局西軍で真面目に戦ったのは石田隊と宇喜多隊と大谷隊くらいような印象です。数は多かったけど、真剣に戦ったのはほんの少数。こうして、西軍は敗北。

要するに三成という人、指導者として人望がなかったんでしょうね。これだけの大軍を集めて戦わせる外交政治能力は凄かったけど、イマイチ信用されていない。西軍で日和見きめこんだ連中も、だからといって家康に許してもらえた訳ではないし、ほんとうは積極的に三成の味方をして勝ったほうが良かったんでしょうが、渦中にあるとそうした判断は難しいです。

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東北でずる賢く立ち回ったはずの伊達政宗も、もっと素直に家康に協力したほうが得だったかもしれない。でも、そうやって仮に百万石も貰ったとすると所領が多すぎて、かえって家光の頃に取りつぶしになったかもしれない。「かもしれない」の連続が歴史です。

毛利は残った」という近衛龍春の本がありました。なかなか楽しい本です

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