「千世と与一郎の関ヶ原」 佐藤雅美

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chiyoto.jpg★★ 講談社

千世は前田利家の娘、与一郎は細川忠興の長男 、つまりガラシャの子供であり幽斎の孫。似合いの若夫婦だったはずなんですが、あいにく前田利家が死に、手のひらかえして家康の前田いじめが始まります。利家の跡をついだ利長はいちおうは大老です。家康にとってはかなり目障りな存在なんで、こいつをなんとか口実つけて屈伏させたい。

家康は「前田との縁を切れ」と忠興に要求します。賢い忠興は、はいはいと承諾。ま、当時の政治情勢からしたら当然の処世術ですわな。とくに忠興は家康サイドに立とうとしていたようですから、どんな無理難題でも承諾する。

しかし、です。忠興の総領与一郎は政治感覚に乏しい人間だった。というか、ごく普通の人間。忠興みたいに政界を上手に立ち回る才覚なんてないです。可愛い女房を実家に返せと言われたって困る。グズグズいってそのまま千世を家においておきます。

で、関ケ原。みんなが上杉征伐で留守してる間に三成が立ち上がって、まっさきに在阪の女子供を人質に取り込もうと計画。で、意地っ張りのガラシャが自害。そこまではいいんですが、では細川家の若い嫁である千世はどうしたらいいのか。好きでもない(たぶん)姑といっしょに死ぬ覚悟も義理もないわ・・ってんで、隣家の姉ちゃん(宇喜多に嫁いだ豪)のところに逃げ出します。評判ガタ落ち。

おそらくですが亭主の与一郎も千世に「万一のときは死んでくれ」とは言い残していなかったらしい。そもそも、そんな事態になるとは予想もしていなかったんでしょうね。あるいは予想はあっても、女房に「死ね」なんて残酷なことは言えなかった。

で、結局 薬局 郵便局、バカ息子めが!ってんで、与一郎は廃嫡。千世はやさしい亭主に感謝感激かというと、そうでもなかったようで、そのうち(たぶん)肩身の狭い貧乏暮らしがいやになって離縁。金沢に帰ってからは重臣と再婚もしたようです。与一郎は茶の湯なんかの素質はあったらしく(なんせ幽斎の孫です)、ま、たっぷり捨て扶持もらって悠々文化人としての余生をおくります。

そんなようなお話です。戦国の世、英雄豪傑ばっかりじゃなくて(むしろ希少)、ごく平凡な人間がどう決断して、あるいは決断できなくて、どう生きたか 。佐藤雅美ですから、とびきり上手ではないですが、そこそこは読める本でした。そうそう。あんまり「千世と与一郎」中心っていう感じでもなかったですね。あくまで「関ケ原」の解説に「細川の若夫婦」のエピも追加という構成です。