「中国の歴史 第4巻 第5巻」 陳舜臣

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★★ 平凡社


chuugokunorekishi4.jpg「中国の歴史 第3巻 大統一時代」

第3巻は戦国、秦の興隆、統一。始皇帝など。

戦国ってのは諸子縦横家があちこちでナニしたり、カニしたり。縦横無尽に売り込み合戦でゴタゴタしている時代です。で、ここも有名なところですが人質に出されていた秦の皇子が急に皇太子に、貰ったばかりの愛妾が誰の子か明瞭でない子供を産む。それが後の始皇帝。その奥さん(皇太后)は身持ちが悪くて、巨根の宦官との間に子供を二人つくった。これじゃ偽の宦官ですね。

始皇帝が父の後というか祖父の後を継いだ時点で、すでに大国秦の基盤は完成しています。そこに乗っかって、さらに伸ばしたのが始皇帝。ついに強力な中央集権、統一国家の誕生。

で、神のごとき始皇帝が没したとたん、それまでの無理と圧政が破綻して、あっというまに大戦乱。群雄蜂起から項羽と劉邦の対立ですね。割合ポピュラーな挿話が多い時代なので、特記すべき感想もありません。

そうそう。劉邦の漢は、秦が築いた統一国家のおいしい所を継承したともいえるらしい。これは「なるほど」という視点でした。隋の後の唐と似た感じです。初代が苦労して道を拓き、次の代が楽して果実を収穫する。そういうことのようです。


「中国の歴史 第4巻 漢王朝の光と影」

chuugokunorekishi4.jpgで、漢の成立です。

劉邦という人、非常にガラの悪い男で人望はなかった。なかったけれども可愛げがあるというか、わがままも言うけどすぐ反省して人の言うことも聞く。自分が偉くないことを自覚していた。そこが項羽や始皇帝と大きく違う点だった。

ですから初期の漢は、何といって独自政策を打ち出してはいません。秦の制度を基本的に踏襲して、ちょっと具合の悪い部分だけ軌道修正した。匈奴に対しても懐柔策が根本で、なるべく戦争はしないようにしていた。陳さんに言わせると劉邦は「運のいい人」だそうです。この時期の匈奴は内部がゴタゴタしていて、南進する元気がなかったらしい。

しかし「基本的にいい人」の劉邦ですが、奥さんが激しかった。中国史三悪女の一角である呂氏ですね。貧乏時代の劉邦と結婚した糟糠の妻ですが、ちょっとした地方の侠家の娘。実際には劉邦が呂家に婿入りしたような形だったんじゃないか。したがって奥さんはしょっちゅう亭主の尻を叩く。

ですから劉邦の戦友たちも、あんまり力をつけすぎると呂后ににらまれて (たぶん亭主を強圧して) 処分させる。韓信なんかもそのクチです。ずーっと尽くしてきた蕭何でさえ、最後は欲ボケしたふりをして、なんとか処分をまぬがれたらしい。ま、呂后としては、息子のデキが悪いのを知ってたんで、力のある老臣・巧臣を生かしておいては心配だったんでしょうね。もちろん有力な親戚連中も要警戒。世の中みーんな、ボクちゃんの敵ばっかりよ。こうして殺しすぎて、外姓だけでなく劉一族としてのトータル力も大幅ダウン。

ただし、呂后は一族や有力家臣を派手に処分したりライバル女性を残酷に殺したりはしたけれど、漢の一般庶民にとっては平穏な時代だったとか。「偉い人たちがなんか闘争してるなあ」というだけで、庶民を特にいじめたり大戦争をしたりはしなかった。

後世の唐の武則天なんかについても陳さんは同じことを言ってましたね。ライバルや身内を殺しまくるのと、悪政とはあまり関係がない。

ただし更に後世、清末の西太后になるとどうでしょう。西太后の場合は彼女の無思慮な行動がそのまま国家の滅亡と結びついてしまってます。

「なにもしない」ことが結果的に有効な施策にもなりうるのは、国家の興隆期だけかもしれません。そういえばイングランドのエリザベス一世も、なるべく決断しない政治方針だったようです。しかし国家の衰亡期になると話は逆で、何もしないことは致命傷になりうる。あるいは、過去なら問題でもなかったような「ちょっとした贅沢」で艦隊費用を流用、頤和園を造成というような行動が日清戦争の敗因にもなる。

ということで、先祖の何もしない休養期間に溜めた資力をぜーんぶ使い果たしたのが中興の祖・武帝。強かったし果敢だったし、カリスマだった。しかし隆盛を誇った武帝の時代から、漢は長い右肩下がりの時代に移ります。そして最後の最後、たいした能力もなかった外戚の王氏がゴタゴタに紛れて皇位を簒奪。新の誕生です。やれやれ。

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これで3巻(戦国末期)から11巻(明の滅亡)まで読了。長かったです。

中国史を概観して思ったのは、つまんない感想ですが、皇帝や王の下で宰相、大将軍であることは難儀だなあということ。失敗すればもちろん首チョンパだし、大成功しても妬まれて讒言されて頭と胴体が離れる。自分だけじゃなくて、親子兄弟、三族もろともです。下手すると数千人が連座。

おまけに共通パターンですが、謀叛する気はないのに「謀叛する気だろ?」と疑われて、切羽つまって仕方なく蜂起。静かにしていても殺されるし、立ち上がっても殺される。同じことなら謀叛せにゃ損々です。

おまけにいつの時代でしたっけ、出仕してもいいことないぜ!と悟って静かに暮らそうとしても、なまじ能力があると「都に来い!」と強制される。出仕すると、その結果は成功しても殺されるし、失敗すればもちろん死を賜わる。能ある鷹で、稀に上手にツメを隠すことに成功した人間だけが、なんとか長生きできる。

困ったもんです。もっとも皇帝だって安心していられなくて、大臣や宦官に殺される。皇太子も皇太子であるが故に殺される。三男、四男の皇子で安心していると、いきなり皇太子に祭り上げられて、その結果として殺される。どうやっても殺されます。

讒言を信じて殺してしまってから後悔して、死後の名誉回復もあったりするんですが、こんどは糾弾した側を粛清する。結果として両方の人材が払底してしまう。

とにかく、中国ン千年の悠々の歴史、みーんなすぐ殺すんですね。もちろん、農民はもっと死んだり殺されたりします。なんせ戦乱になると国の人口が一気に3分の1とか4分の1レベルになってしまうくらい。激しいなあ。

でもこうした危険と裏腹に、みんな権力を得るとアホみたいに贅沢してるようです。危険があるからせめてもと贅沢するのか。それとも常軌を逸した贅沢するから引きずり下ろされるのか。ニワトリとタマゴですか。

時代は少し違いますがわが国の平安時代、原則として貴族の死罪はなかったわけで、それだけでも激しい大陸性気候と、なまぬるい島国の気候は違う。もちろん室町後期とか、けっこう戦乱はあったわけですが、京都周辺をのぞいた地方はどうだったんだろう。中国ほど悲惨ではなかったような気がしてなりません。