「ながい坂」 山本周五郎

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★★★ 新潮文庫
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もう何回目の再読になるのか。山本周五郎は読み込んでいると人生訓と人情話が鼻について飽き、しばらく離れているとまたふと手にとりたくなる作家です。

この「ながい坂」、おそらく周五郎の代表作の一つなんでしょうが、主人公の阿部小三郎(三浦主水正)に感情移入できるかどうかで評価がたぶん分かれる。

主人公は小禄の徒士組の子供として育ち、ある屈辱をキッカケにして子供ではなくなる。猛烈な向上意欲を持って必死に学問に励み、剣道にも入れ込む。要するに階級脱出、子供ながらもステップアップをはかるんですね。

非常に冷静かつ我慢強い性格です。自分を律する。若い主君に引き上げられて小姓組に入れられ、さまざまな部署で研鑽する。頭角をあらわし、荒蕪地の開拓を計画し、やがては藩政改革をめざす若い勢力の中心人物となる。最終的には城代家老。

だらしない肉親に対しては冷たい。子供の頃から「あれは自分の両親ではない」という思いを抱き続けてきた。けっして情が冷えているわけではないのですが、理で動こうとする。冷徹。切り捨てが容赦ない。

今回の再読では「老い」に興味が移りました。子供時代の小三郎は学問所の師である小出方正という人に親切にしてもらっています。更には江戸から下ってきた高名な谷宗岳先生の薫陶も受けます。豪農の隠居である米村青淵老にもいろいろ教えを乞うています。

こうした人生の師、みんな素晴らしい人なのですが、しかし小三郎が三浦主水正になり、壮年にさしかかる頃にはみんな老人になっている。

たとえば小出方正。いかにも田舎の町にいそうな温和で謙虚な学究肌。人の噂話など決してしないはずのその人が、だんだん抑制のきかない饒舌になる。死に際には「言い残したいことがある。来てほしい」と言伝てをよこす。未練。見苦しい。主水正はあえて臨終の言葉を聞きに行こうとはしません。

谷宗岳という学者も傲岸不遜、江戸では林家をのっとるくらいの大志を抱いていたはずの俊才なのに、老いてはひたすら酒に溺れ、だらしなくなる。弱さを抑制できない。見るにたえない。老残。

米村青淵という豪農の隠居も魅力的なキャラクターですが、やはり歳をとるにつれて欠点が見えてくる。三百年の歴史を持つはずの自家を「米村家の延々七百年」などと言い出す。豪気な人柄だったのに保身が見え隠れするようになる。

そういうものだ。ということなんでしょうね。ずっーと一つの像を期待し続けてはいけない。若いころと年取ってからと、同じ人間と思う必要もない。違う人間になる。それが当たり前。

城下町を経済的に支配する悪徳商人、五人衆。なかなかこれも悪辣で魅力的な連中なんですが、彼らとて歳には勝てない。オヤジは考えが古いなあと後を継いだ子供に馬鹿にされるようになる。時代が変わったんだよ。

いろんな読み方ができるんですね。また何年かたって再読の機会があったら、きっとまた違う視点から読むことができると思います。そういう意味でも素晴らしい一冊です。