「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」上下 塩野七生

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★★ 新潮社
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塩野おばはんが何かまた出してるというので借り出し。フリードリッヒ2世か。いかにも塩野さんの好きそうな人物です。

とはいえ、フリードリッヒ2世のことなんて、実はほとんど知りません。神聖ローマ皇帝であり、エルサレムで休戦平和条約を結び、ローマ法王に破門された。その程度。ヒゲが赤かったかな。


・・・なるほど。塩野さんが好きな人物であることは理解できました。惜しむらくあまりいい資料が残ってないんでしょうね。さんざんローマ法王に敵対し、カトリック側から言えばとんでもない反逆者。同時代の諸公から見ても常識外れの施政をひく理解不能の皇帝。ちょっと時代に先行しすぎた。でも彼が生きているうちはドイツ周辺やシチリア、南イタリアは安定していた。ただしロンバルディアの都市連合だけは皇帝に抵抗したらしいです。なんせイタリア人だから。

神のものは神に、王のものは王に。南伊をふくむシチリア王国でフリードリッヒは官僚が運営する中央集権国家をつくろうと考え、そのためにまず官僚の育成から始める。そりゃ大変でしょう。ドイツでは有力な封建領主たちを官僚として取り込む作業をすすめた。ただ完全には成功しなかったようです。

どっちにしても神聖ローマ帝国やシチリア王国が安定を保てたのは、あくまでフリードリッヒというカリスマ権威の裏付けがあったから。で、彼が死んだ後はボロボロになってしまう。子供は父親ほど有能ではないし、まだ若いし。そしてなんといっても中世真っ只中、ルネサンスのはるか前ですからね。法王とカトリックの力はまだ強い。貴族たちは権利を主張する。国民は無知蒙昧。

というわけで、フリードリッヒという突然変異の先進改革は数十年の輝きをもって終焉。ここから本物の中央集権国家の成立まではまだまだ年月が必要です。この人の存在がどういう意義をもっていたかは不明。