「二十世紀」橋本治

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★★★ 毎日新聞社

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20世紀のできごとを1年4ページ、均等に使って解説。橋本治流の大胆というか適当というか、でもザックリ非常に分かりやすい歴史解説本です

「20世紀とは、19世紀に始まったものが100年かけて終わった世紀」なんだそうです。進歩革新がやたらあったような気のする20世紀ですが、実はそのほとんどが19世紀に始まっている。そうしたものを拡張発展させたのが20世紀。あるいは19世紀を消化し始末するのに100年かかったもいえる。

で、遅れてきた日本は、この20世紀、必死になって西欧諸国の真似をした。良いことも悪いことも真似した。同じことをしたはずなのに、なぜか日本だけは叱られる。貧乏アジアのくせにオレたちの真似するな!というのが本当のところででしょう。

たとえば日本はなぜ朝鮮半島に進出したのか。植民地経営というのはあたらないです。なんせ日本の場合、まだ貧しくて半島で売るべきものを持っていない。

そもそもは「領地を増やそう」という露骨な行為だった列国の帝国主義も、この時代になると「商品を買わせよう」という、ちょっと洗練された新帝国主義に変化していた。時代の流れが変わってきたわけです。でも日本はそれに気がつかず、19世紀流の帝国主義をそのまま露骨に実行してしまった。だいたい日本が朝鮮半島を併合して、なんかいいことがあったのかどうか。子供みたいに、ただ単に欲しかっただけじゃないのか。

東アジアを「地元の大地主の子供」である中国、「分家の小規模地主の子供」である朝鮮、「貧乏な自営農の子」である日本のタトエで説明しているのが実に合っています。

最近は近所に都会の子供たちがたくさん住みついてるんで、苛められないように日本も少し勉強した。勉強して知恵がつくと、他の田舎の子供たちがアホに見えてくる。おまけに都会の子供はみんな子分を従えている。オレも子分が欲しいな。

うん、中国はともかく、弱い朝鮮ならオレの子分になるかもしれないってんで、李くんに誘いをかけてみたら「オレの子分に手を出すな」と陳くんが文句を言ってくる。仕方ないからケンカしてみたら陳くん、思ったより弱かった。で、これでオレも都会もんの仲間入りだ!と喜んだんですが、これをみて都会もん(ただし二流)のドブロクウイスキーが難癖つけてくる。震えながら思い切ってケンカしてみたら、あらら、こいつにも勝っちゃった。

「もうオレも都会の子供だあ」と有頂天になったのが大間違い。都会の子供たちにも実はAクラスとBクラスがあって、Aクラスの連中は成り上がりの田舎少年なんか仲間に入れる気はない。あいつ、生意気だなあ。ちょっとお灸をすえてやるか・・・。

あっ、そもそもですが、戦争の前に宣戦布告が必要というルールは、Aクラス同士の戦いの場合だそうです。大国が小国を侵攻するとき、宣戦布告なんてありません。要するに19世紀的なAクラスの身内同士の戦いでは紳士的に手袋を投げてから戦争する。そうしないと「紳士」ではない。でもドイツがポーランドを侵攻するさい、宣戦布告したかというともちろんしない。英国はインドに宣戦布告したか。対等じゃないですからね。対等じゃない戦争を「侵略」と称する。

で、日本の場合。問題は「戦争に負けたらどうするか」をいっさい考えていなかったことにある。戦争は勝つもの、と根拠もなく決め込んでいた。戦争を終わらせる=戦争に勝つこと。だから勝つまでやめられない。なのに、何年たっても勝てなかった。想定外。思考停止。

子供といえば、戦後にマッカーサーは「日本は、まだ12歳」と発言しました。ムカッとするのは当然ですが、じっくり考えると確かにニッポンは12歳だった。自分の頭で考えることもなく、大人であるマ将軍の言うことを従順によく聞いて、東京裁判も受け入れて(ただし12歳だから深くは考えていない)、憲法も民主主義も受け入れた。センセイの言うことには従います。

でもマ将軍がいなくなると、自分で深く考える習慣もないんで、どうしたらいいか見当もつかない。ま、いいかってんで、そのまま能天気に生きていく。それが現在の日本の姿。

厳しいけど、そうかもしれないなあ・・と納得の20世紀論でした。