「日中国交回復日記」王泰平

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★★★★ 勉誠出版
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1969年というと文化大革命から3年目、激し少し鎮静化に向かいつつある頃でしょう。若者たちがどんどん地方へ「下放」させられた時期です。

こんなタイミングで日本へ北京日報記者という肩書で派遣されたのが筆者の王泰平。実際には記者というより非公式の外交官、工作員と言うべきです。その「記者」が数年にわたり政治家や財界人、文化人、新聞記者、地方の農民や運動家たちと精力的に会い、詳細なメモを残した。そのメモを原則として加筆訂正せずに公開したのがこの本です。

頭のいい人だなあというのが実感。もちろん中共の教条的なタテマエ論から抜け出てはいませんが、それでも非常に冷静に日本を観察・分析している。緻密な日記です。そして、当時の日本はまだまだ問題も多く(いまも多いけど)、地方は貧しいです。外国人の目から見たものだけに、かえって客観的。

彼が会った政治家や新聞記者たちは、もちろん彼の素性を知っています。中国外交部のエリートであり、周恩来の直接指示を受けている外交官。それにしては信じられないくらい日本の政財界人は本音を話している。あるいは「都合のいい事実だけ」話して「なんとか利用しようとしている」のかもしれません。

たとえば日中の卓球交流とか文化交流とか、何かやりたいことがあれば王泰平に打診する。政府中央へ直結する唯一のルートだった感じです。

そうそう。彼の分析によると、日本の文化人や記者たちはみんな政治的なバックグラウンドを持っている。彼は日共系、あいつは日和見、こいつは親台。いろいろ手助けしている日中友好協会の内部にしても、思惑はみんなさまざまで、誰が主導権を握るか、誰と誰は協力できるか、そんな分析に苦労しているようです。友好的とされる朝日新聞にしても、社長は親中、論説委員の誰は親米・・・などなど。

そうそう。どうでもいいことですが前進座の河原崎長十郎が熱心に「屈原」の公演に努力したとか、松山バレー団がどうだったとか、すべて実名なので面白いです。みんな共産主義に理想を持っていた。差し障りは多いですが、実名のもつ強さがありますね。三角大福の政権闘争の実情なんかも、周囲の政治家たちがかなりペラペラしゃべっている。

ま、王泰平にとってはなんとかして日中国交へ持っていきたい。そのためには台湾を捨ててほしい。いろいろ策動しているようすが生々しいです。日中国交回復のあとは外交官に復職したようです。

まったく無関係ですが、頻繁に名前の出てくる郭沫若(屈原作者)、かなり偉そうです。しかし文化大革命では苦労したんだなあ、きっと。