「生き残った帝国ビザンティン」井上浩一

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講談社★★★
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漱石の「猫」にオタンチン・パレオロガスなる罵倒語が出てきて、これが東ローマ帝国最後の皇帝「コンスタンティン・パレオロガス」からきたものと知ったのはかなり後になってのことでした。(苦沙弥先生の奥さんは、禿頭のことだとばっかり思いこんでいた)

で、この本。ここでは「パレオロガス」ではなく「パライオロゴス」。要するに同じですわな。この皇帝、なんとなくビザンチン風に、つまり無気力だらしなく死んだような気がしていましたが、実際には最後は皇章を破り捨てて単身敵軍に突入した。恥を知る勇敢な人ではあったらしい。

でも、どうして「ビザンチン」イコール「無気力」なのか。そんな困った国家が、なぜ千年も存続することができたのか。考えてみれば不思議です。単なる思い込みだったんでしょうね。

えーと、コンスタンティヌス大帝がキリスト教に改宗し、コンスタンティノポリスをつくったのが330年。ま、ここから東ローマ帝国が始まったと考えていいでしょう、きっと()。それからいろいろあったけど、6世紀のユスティニアヌスのころに帝国は拡大され、実質的にローマ帝国からビザンチン帝国に変貌した。完全な皇帝専制国家になったということです。

どうもビザンチン帝国というのは本来の「共和制ローマ」というタテマエに「キリスト教」を接ぎ木し、それから「共和制」を脱ぎ捨てた。そういう帝国だったらしい。もちろん皇統ひとすじなんてことはなくて、クーデタあり簒奪あり戦争あり、版図も拡大したり縮小したり、でもローマの後継という形でしぶとく生きながらえた。

イメージとしてはちょっとオリエント風、非西欧風の感じがありますね。まるで巨大な中国の帝国をフワリと西に移動させて、アナトリア、バルカンのあたりに置いたようなふんいき。

ただ正確にいうと、なんとなくオリエント風と感じるのは西欧的な偏見です。東方教会(ギリシャ正教、ロシア正教)をなんとなく違うふうに感じるのも、やはり偏見です。むしろカトリック、ブロテスタントのほうが異端なのかもしれないし。そいう意味では西欧人より、我々アジア人のほうがより文化に対して客観的になれるはず。難しいですけどね。

それはともかく。ビザンチン帝国はけっして軟弱国家ではなかった。弱い時期もあったけど、強大な期間もあった。世界史において1000年続く国家って、すごいことです。あっ、東の海の向こうの小さな島国は別ですよ。あれはほんとの例外。周囲から狙われるほどの価値も情報も、とくになかったし。

11世紀には地中海の東の大帝国として君臨しました。13世紀にはいると十字軍に攻められて陥落。ヴェネツィア(塩野さんひいき)の陰謀でもありますが、そもそも借金のカタが払えなかったのが原因だったらしい。ただそれっきりではなく、陥落後は各地の有力貴族たちが亡命政府をつくり、50年後くらいだったかな、また帝国復活。復活するエネルギーがあったということですね()。

で、15世紀になるとどんどん衰退。オスマン帝国メフメト2世の大軍が城壁を包囲した頃は、誰がみても滅亡寸前の小国というか単独都市だった。そう考えると、なぜオスマンがむりやり攻め込んだのかも少し不思議です。攻めてみたかったのかなあ。そういう「価値あるイメージ」の存在だったのかもしれない。

このあたりを舞台にしたのが辻邦生の「背教者ユリアヌス」。また読み直したくなってきた。
唐突ですが、七難八苦、尼子の山中鹿之助とか明の遺臣・鄭成功なんかを思い出してしまった。たいてい覆水盆に返らずで(ちょっと違うか)、復活はならないんですよね。