新潮社★★★
たしか「移動祝祭日」と思うのですが、パリでヘミングウェイは妻のハドリーと遊び暮らしています。このハドリー、印象としては若い女の子みたいな感じなんですが、実際には年上だった。というより、当時のヘミングウェイはまだ20歳とか21歳だったんですね。老成した雰囲気で自分を描いてますが、実際にはまだガキじゃん。生意気。ハドリーはたぶん30歳近く、家は豊かだった。ヘミングウェイは実はかなり助けもらったんじゃないかと思います。言わないけど。
それから別れた。別れてからヘミングウェイが何回結婚したかは知りません。たぶん、たくさんしたんでしょう。
で、あまり知られていない若き日のヘミングウェイを、妻の立場から書いた。書いたのはずーっと後世の作家です。ハドリーになりきって書いたんでしょうね。
なかなか面白い本でした。雰囲気も悪くない。悪くないのに、30ページくらいで止まってしまった。続きを読みたいのに、諸般の事情で読めない。うーん、返却日。残念。
そうそう。ガートルード・スタインが「あんたらロスト・ジェネレーションね」と言ったのは有名ですが、なんとなくカッコいい表現かと思いこんでいた(※)。実際は「だらしない、無思想、ろくでなし」という意が強いらしい。けっして褒めてはいない。意外でした。
今月はとにかく読めず「橋本治と内田樹」(筑摩書房)もダメでした。橋本も内田も悪くはないんだけど、二人あわさると意外につまらなくなる。橋本治が意味不なことをのたまわって、内田樹がひたすら感動する。金と銀が溶け合ったら鉛になった。
残念。
※ せいぜい、理想を持つこともできない不幸せな人たちね・・てな印象、でした
オーケーストアに行っていつもの酒「黒松白鹿純米」を買おうと思ったら、ない。またラインナップ変更かな・・。いいディスカウント店なんですが、ときどき商品をガラリと変更する。たぶん卸値の交渉がうまくいかないとかの理由でしょうね。気に入ってる商品なのに棚から消える。
迷ったあげく、少しフンパツして高清水の辛口パックというのを買いました。高清水、けっこう有名な秋田の酒ですが、でも何故知ってるんだろ。大昔に飲んでみて「最高!」というほどではなかった記憶だけど、うーん、大学で秋田のやつがいたなあ。でも彼と高清水は。とくに関係ないような。
まだ飲んでいませんが、たぶん麹の香りがあって、昔風のお酒でしょうね。昔タイプの酒は「冷やはもちろん、ぬる燗、あつ燗、すべてよし!」というのが多いですね。清酒って、そもそもそういうものだったと思うんですが。
学生時代にバイトした飲み屋。変人店主の趣味で常備の二級酒は「越の寒梅」でした。暇なときは板さんと二人で燗つけて飲んだもんです。まだ寒梅がマスコミにもてはやされる前の時代ですね(※)。
そうそう、露店で甘エビ買って新聞紙に包んでもらって、それをエサにしてフグ釣りをする。甘エビ(南蛮海老)もまだブームになっておらず、安かったもんです。殻をむいてはチュッと口に放り込む。合間にフグを釣る。5センチくらいの小さなやつで、食べられはしません。岸壁に叩きつけて、無意味に破裂させて遊ぶ。野蛮だなあ。
古いことを思い出してしまった。
※審査してもらえばもちろん「特級」です。でも酒造会社の社長が高値になるのを嫌ったのか審査にださなかった。それで自動的に安い「二級」ランク。かなり産出量が少ない酒蔵だったと思います。
※※高清水のサイトをみたら、今年は「全国新酒鑑評会 20回連続金賞受賞記念酒」「御所野蔵杜氏加藤が黄綬褒章を受章しました」とありました。よかったよかった。
なんか変なメーセージが消えない・・と妻が言う。なんの話じゃとTVを見ると「受信機設置のご連絡のお願い」とかなんかと、訳のわからない画面が出現している。契約はきちんとしているんで、こんなものが出る理屈もない。いっかな消えないので念のため電源(元電源)を切って再立ち上げしてみたり、いろいろ。徒労でした。
仕方ないです。指示にしたがって電話。繋がったのは「メッセージ消去なんとか・・」という係でした。え?専用の係なんだ。
で、氏名 郵便番号 住所 電話 etc・・を名のらされて、指示にしたがって操作してBCAS番号を表示、それを伝える。すると先方がなんか信号を送ってきて、画面からメッセージは消える。オシマイ。
かなりアタマにきていたので「こんなこと、視聴者全員にやってるんですか」と聞くと、そうだという。新しく受像機を設置した連中ぜんいんだそうです。ふーん。そりゃ春ごろにビデオの買い換えはしているけど、BS視聴はもうずいぶん前からだし。
あとで調べてみたら「すでに衛星契約をしていただいている方にもお願いしています」だそうな。ふーん。なんでだろ。契約逃れを摘発するための措置であることは想像できるけど、なんか釈然としません。一瞬、タチバナの味方になりそうになって怖い。もちろん一瞬だけです(※)。
※坊主憎けりゃで、だいたい「引越しの際は受信料のお手続きを・・・」というテレビ広告、あれも好かんですね。時折ならともかく、毎日々々。しつこい。くどい。なんか、やることのセンスが悪いです。
※※アホなこと書いてしまった。削除、訂正。
洗面所が暗いなあ・・と思ってはいたが、ふと見上げるとライトが一つ切れていた。物置から40Wのレフ電球を出して交換しようとすると、入らない。ん? そうか、口金のサイズが違う。
通常の電球の口金サイズが26ミリだったか。E26という表記です。で、今回のは小型でE17でないとはまらない。ひっかきまわして調べたけど在庫なし。しかたない、ネット注文ですね。するとアマゾンにあることはあったけど、10コで2000円とか、業務用かな。数が多すぎます。
ヨドバシに1コ200円強でありました。E17のパナ製のミニレフ球。よかったよかった。ヨドバシは無料で送ってくれるんですが、これだけでは少し気が咎めます。
で、ついでに「WZ EDITOR 10」のCD-ROM版も購入。ダウンロード版のほうが安いんですが、たいして違わないんならやはりCD-ROMがいい。昭和のオヤジの感覚ですね。あるいは「一家に一台 見栄はって耕運機」ですか。無駄でも現物を手元におくことの安心感。損なんだけど。
ずーっと気になっていたテキストエディタです。なにしろいま使っているのはバージョン3で、発売はいつだったですかね。調べてみたら2003年が「WZ EDITOR 5」だったみたいなので、バージョン3は1990年代の後半あたりか。ビレッジセンター時代です。その古いのを騙し騙し使ってきた。使い勝手はいいけど、OSの変遷に追従できず、おまけに3B→3C→3D...の微差アップデートでもアホなバグがあったり(※)。決してクリックしてはいけない文字化けメニュー項目もあったりして。はい。下手にクリックすると落ちる(※)。
ま、そういうことで、まともに使えるテキストエディタをついに買った次第です。設定バリエーションは膨大にあるようで、まだよくわからない。しばらく勉強です。
※たしかBをCに上げようとする時だったかな、エラーになる。理由は「タイムスタンプが違う!」から。システム全体をいったんアリューシャン時間がなんかに変更して誤魔化しインストール。終ったらまた東京時間に戻す。そんないい加減が通用していた時代です。
※ テキストエディタは古くなると文字コードの対応で苦しくなりますね。しかたなく新しいテキストを扱うときはサクラエディタとか。サクラ、フリーですが、よくできています。できてはいるけど、やはりWZ EDITORとは勝手が違う・・。
※※ 古いメモを発見。バージョン3の購入は1997年でした。そしてトラブったのは3Cから3Dのアップデート。3Dのパッチは海外で組んだんじゃないかな。だからタイムスタンプのズレが生じてハネられた。大きな問題にもならなかったというのが、時代ですね。
恒例、新巻きを注文。鮭、基本的にサイズの大きい方が美味です。ただし高価。その間のバランスで、今年は3キロほどのものを頼みました。ついでに小物もいろいろ。
で、例年だと「ご注文、承りました」という電話ががくる。女性の声だったり、ご主人ふうの声だったり。手紙のこともあったかな。ていねいなことですが、この店の特徴ですね。塩加減なんかもけっこう細かく聞いてくれる。工場のオバサン(若いかも)が手のひらで粗塩をウロコの逆目に擦りこむんでしょう。
美味しい。けれども値が高い。思ったより(少しではなく、けっこう)高価。もう何十年にもなります。たまに贅沢して一口筋子なんかも頼んで、これは食べるのが勿体ないくらい。
というふうだったのですが、今年はいっかな「承りました」がない。不安になってきます。最近の郵便事情がナンなんで、もしや届いていないとか。次からはネット注文オンリーに切り替えたほうがいいのかなあ(実はネットで頼んだこともある)。
しばらくガマンして、ついに電話してみました。ザッと話してこっちの電話番号を告げるとすぐ了解。はい、承っています。ありがとうございます。今年からご連絡はさしあげないことになったんですよ。
あらら。ようするに経費節減か。残念だなあ。
そういえば何年か前には、愛用の廉価な袋詰めライン商品が廃盤になったっけ。手がかかるわりには利益が薄かったんだろうな。会社規模は大きくなっているみたいで、遊びが消えてシビアに合理的になっていく。
大昔、初めて新巻きを頼んだときかな、この店流の切り身のつくり方を紹介した図がはいっていました。どこの店でにもある短冊切りではなく、いわばブロック切り(※)。図みたいなイメージです。こうやってザックリ切って、それぞれをラップして冷凍。で、ブロックひとつづつ解凍して、半身にして分厚いのを焼く。
ふつうの短冊切りにくらべると身が厚いので、しっとり焼けます。やたらはやった昔風にいうと「ジューシー!」。なんか豪華。もちろん一人で一切れは無理なので、もっと小さく切り分けて焼いていいです。どっちにしても「薄い短冊」ではなく「ゴロっとしたブロック」なのが特徴ですね。美味しいですよ。
※ズドンと輪切りにして冷凍して(背と腹を分けておいたかな)、後々で半身だった気がする。ちょとオボロ。奥さんに聞けばいいんだけど。
※追記: 切り方を訂正。推奨は下記でした。家庭むけの簡単な切り方。
(1)輪切りにする (2)骨にそって左右に分ける (3)適当な大きさにカット
原宿の美術館で「広重ブルー」展。ベロ藍がテーマのようで、なんとなく面白そうだなーと。奥さんに話したら行くという。その美術館も前にいったことがあるらしい。
なんせ原宿です。平日とはいえ、ごった返しているんだろな。今風のしゃれたランチを食べる気もないので、事前にそば屋を検索。うん、想像通り、あんまりない。それでも2軒ほどチェックして、だいたいの場所を確認。行く気はないけど洋風そば屋なんてのもあった。
で、肝心の展覧会。うーん、悪くはないんですが、とにかく混んでいました。ゆっくり眺めるというふうにはいかない。一階、二階、ザーッと眺めて退散です。空いてればまた雰囲気が違ったんだろうけど。
で、そば屋。なんせ表参道。20年ぶりくらいかなぁ。人が多すぎる。若い人であふれているし、ガイジンさんもやけに多い。人込みを縫いながら、このへんにあるはず・・と歩いても、発見できない。そもそも目も悪いしね。表示の店名がすぐには読めない。区画を一周して諦めました。
降参です。調べるんなら完全きっちり、ビルの名前まで調べておかないと無意味。なんとかなるだろ・・がもう通じない。反省点だなあ。仕方なく適当にランチに入った店でも、帰りのレジでごたごた手間取ったし。レジで現金渡したら、実は手前に現金投入口があるセルフ方式で二重手間。おまけに1枚のつもりで2枚わたした。(※)。ちょっと落ち込みです。ほんと、しっかり反省しろよ。
(別件ですが、先日はスーパーで初めてPayPayを使いました。初体験。ちょっとドキドキだったけど)
※トシのせいで指が乾燥して滑る。1枚のつもりで財布から2枚抜いてた。恥ずかしいなあ。
河出書房新社★★★
タイトルからすると一時期氾濫した「小説作法」の類かと想像しそうですが、ま、思い切ってスカしたなかにし礼の半生紀(※)、あるいは成功物語、あるいは本当に「作詩のノウハウ」。
キャッチは「天才作詩家が初めて説き明かす、作詩術の奥義と秘儀」です。
・・・などどは書きましたが、なかなか面白い。で、たしかに天才ではあっただろうけど、天才は天才なりに苦労していた。曲テーマを与えられてから実際に書くまで苦悶、頭の中のいろいろ、グチャグチャ、推移、自問自答、推敲。具体的でいいです。そうか、そういうふうに考えて詩になるのか(※)。
ただし、その「流れ」が本当かどうかはわからない。なにしろ天才なかにし礼、たぶん見栄もはったりも存分にあるはず。それを割り引いてもけっこう楽しめます。書き出された数多い自作歌詞を眺めるだけでも、嬉しい。
※半生どころか、これ、新聞連載だったようでまだ若い。たぶん40歳前後じゃなかったのかな。
※本人は「作詩家」。詩と詞。どうして芸能マスコミは「作詞家」などど軽視するんだろうとご不満です。
筑摩書房★★
永井荷風のこと、なーんにも知らないです。四畳半襖の下張り騒動とか、浅草のロック座の踊り子たちを愛したこととか。ベレーかぶってコウモリ傘持った写真もたぶん見たことかある。その程度。
といわけでよく知らない荷風のことを、半藤一利が例の講談座談ふうに解説。ま、サーッと読んで納得するような本です。
読了。なるほど。荷風がいつも肌身離さなかった手提げ袋、やはり通帳やらなんやら、全財産がはいっていたんですね。それを置き忘れたことがあったらしい。拾ったやつが中を見たら現金はほとんどないんで、チェッと舌打ちして捨てた。捨てたのを若い米兵がひろった。
落とし主は有名な小説家で、通帳の額も二千万円だったかな。米兵は、たっぷり謝礼がもらえるだろうと期待していたらしい。で、荷風さんは失くすとすぐ銀行に届けを出していた。まったく心配していなかった。そういう人らしいです。かなり合理主義者。
それなのに(大嫌いな)警察から呼び出しをくらい、立ち会った米兵から手提げ袋を手渡され、謝礼(五千円)も払う羽目になった。たぶん、あんまり気分はよくなかったんでしょうが、でもそうしたセレモニーをいちおう尊重するのも荷風だった。
いろいろエピソードがあります。総じてつきあいにくい人ですね。ヘンクツ。わがまま。戦後すぐ市川で従兄弟の杵屋五叟の家に住むんですが、あいにくラジオの音と三味線が大嫌いだった。うるさくて書けないぞ・・と怒る(※)。向こうの部屋で三味線が始まると火箸を木魚みたいにカンカン叩いて無言(有音)の抗議をする。先方さんも閉口する。ときどきは靴はいたまま家の中を歩く。同居している夫婦の寝室の障子には、いつも小さく穴があいている。ふさいでも、また穴ができている。
そうそう。関西のどこか、知人宅に疎開していたときは、入浴するにも全財産の入った袋を風呂場にもちこむのが常だった。「この家の人間も信用しないんだ・・」と呆れられた。
ま、そいう人だったらしい。
意外だったこと。顔が長くて、若いころはそこそこ美男子だったのかな、とは思っていましたが、実は身長180センチ。足は27センチだったか。大男。合う靴がなかなか買えないのでゲタを履いていた。人間、こうした身長とか体重とかで、あるていどイメージがつくれます。そうか、良家に育って渡仏して、江戸文学を愛して高名作家で女が大好き。で、戦後も人気があって全集も出版。金はザクザクはいってきたが、屈託して生きて、毎日浅草に通った。
権威が嫌い。しかし抵抗はしない。文化勲章も文句いわず嬉しそうな挨拶もする。でももらった勲章はたぶんそのへに放り投げてある。浅草のストリッパーたちとよく遊んだしご馳走もしてやった。でも自分から誘った踊り子以外の払いは拒否する(※)。不動の一線があったんでしょうね。うるさい、ガンコなケチ爺。文化勲章のあとも「へぇー、センセ、天皇陛下にあったのぉ」などと踊り子に言われると不機嫌になる。なんにも予備知識のないストリッパーが好き。
当然ながら、同時代の作家からの評判もいろいろ。ま、荷風のほうだってたとえば初めて会った小林秀雄を「小林愛雄」と間違って(たぶん故意)記していたり。
いろいろ、めんどうな人だった。
※実はこの当時、ほとんど書いてなんかいない。気がおきなかったんでしょうね。杵屋に居候して三味線嫌いは通らない。
※そっちから押しかけて来たんだから、自分の分は自分で払いなさい。
録画してあった「ゴジラ」を視聴。第一作のゴジラです。主演は宝田明。恥ずかしいような美男子ですね。お嬢様役の人はなかなかわからなかったけど、クレジットみたら河内桃子でした。当時の女優さんらしくワンピース姿のウェストが細い。
なんとなく見たことあるはずと思いこんでいましたが、実際には初見。なにしろ昭和29 (1954年)の公開。うん、自分はまだ小学校の低学年だ。映画館なんかに行けるはずがない。
で、最後は酸素のナントカを応用した新兵器オキシなんとかかんとかでゴジラは絶命する。ん? なんか火口に落ちて死んだんじゃなかったっけ。はて、とこれも調べてみたら昭和59年 (1984年)でした、第16作。通称が「ゴジラ84」。三原山にゴジラを誘導して火口に落とす。主演はたぶん田中健。ヒロインは沢口靖子。はあ、そういう時代か。
で昭和29年から59年の間はどうだったかというと、たぶん次々と制作・公開した。第2作から15作まで。だんだんゴジラがいいやつになって、つまりは面白くなくなって、その間にモスラとかアンギラスもいたんでしょうね。ザピーナッツが「モスラーやモスラー」と唄う(※)。
ついでですが、この初代ゴジラ、戦後9年だけど自衛隊が出てきます。ちっぽけな戦車も登場するし、オモチャみたいな戦闘機も飛ぶ(※)。ちょっと不思議で年表調べたら、下記のようでした。
経緯、忘れてるなあ。
■昭和24 (1949) 湯川秀樹、ノーベル賞
■昭和25 (1950) 朝鮮戦争(※)。マ元帥の指令で警察予備隊。黒沢明、羅生門
■昭和29 (1954) 第5福竜丸、被災。 自衛隊発足。初代ゴジラ公開
■昭和32 (1957) 南極一次観測。宗谷、オビ号に救出さる
■昭和35 (1960) 全学連国会へ突入。東大生死亡
■昭和39 (1964) 東京オリンピック
■昭和59 (1984) 第16作 通称「ゴジラ84」公開
※ピーナッツがなぜか映画ではきれいに見えたので子供心にびっくりした。
※戦闘機が頭のまわりをぶんぶん飛ぶと、ゴジラはうるさそうで海に退散します。
※子供のころは「朝鮮動乱」でした。マーカーサー、新聞ではいつも「マ元帥」。新聞見出しに記憶があります。日本でいちばん偉かった。
中央公論社★★★
このところ永井路子の奈良ものを続けて読んで、いささか疲労というか飽きた感かあります。 藤原仲麻呂・鑑真の『氷輪』。その前が藤原不比等と蘇我系女帝の元明・元正の抗争『美貌の女帝』。ま、どちらも知らないことばかりで、その意味では面白かったんですが、でも地味です。
それは別として、もっと分厚いのが第5巻『この世をば』です。もちろん道長ですね。舞台は平安だし資料も多くて、エピソードもてんこ盛り。本のボリウムもすごいです。800ページはある。当然、読み終えてはいるんですが、不思議なことに記憶がない。ない。
あ、もちろん少しは覚えています。最初のほうの50ページくらいかな、左大臣家の長女・倫子のところにボーッとした右大臣家の三男坊道長が恋の歌を贈る。うーん、あんなやつはダメだ!と父親の左大臣がいやがる。ま、そのへんだけ。
しかしそのほかの部分、なぜか記憶がスッポリない。不思議です。ほんの半年前に読んだはずなのに・・・。
アホらしいとは承知ながら、また読みなおしてみました。800ページは重いです。膝の上においてもズッシリ。手が疲れてくる。自分で呆れながら、でもなんとか読破しました。初めて読むような気分です。
内容についてもここの感想と同じですね。違いがあるわけがない。で、再読したことを後悔はしていません。面白かったです。
あらためて納得したのは一条天皇と道長の間をせっせと往復した蔵人頭(くろうどのとう)藤原行成のこと(※)。この人の業績というか貢献度はすごかった。平安の政治はこうした優秀な秘書官役や皇太后クラスの女性の権威に負うところが多かったんだ、と永井さんは書いています。従来の研究書ではあまり重要視されてないけど、非常に重要。潤滑油。こうした急所の位置に有能な人がいないと、その政権はふるわない。すぐダメになる。
※蔵人頭。夜中だろうが朝だろうが「伝えよ」と指示あがればすぐ往復する。天皇だって、必要なら寝ないで待機している。平安のエリートたち、遊びも仕事も夜を苦にせずせっせとこなしていたんですね。周辺の女房たちも同様。夜更かしは平気だった。
この前読んだ田辺聖子の『むかしあけぼの』でも、やたら大殿油(おほとなぶら)という言葉が出てきました。灯台。明るかった。みんなせっせと活動していたということなんでしょうね。