土曜。昨夜が早寝だったせいか、朝早く目が覚めてしまった。といっても6時半ですけどね。素足が冷えます。外は快晴。東側のマンションの縁のあたりの空が曙光に染まっています。もうすぐ朝日が部屋の奥まで差し込んでくるでしょう。
インスタントコーヒーをいれて、タバコをふかして、久しぶりにPCに向かっています。では、続きはまた後刻。
他に「退屈な読書」(朝日新聞社)、「タカハシさんの生活と意見」(東京書籍) 。血迷って高橋源一郎を3冊も借りてしまった。
面白いんだけどなー。面白いけど、なかなか読み通せない。3冊ともパラパラ、チラチラという読み方しかできなかった。「こんな日本でよかったら」は比較的読んだけど、それでも多分8割くらい。
この本はASAHI EVENING
NEWSで「日本文化への疑問」に答える形で掲載したコラムの原文(日本語)なんで、巻末には掲載どおりの英文ものっています。さすがにこっち英文は全部あわせても2ページ程度しか目を通してません。じっくり読んだら日本語より笑えるかもしれないんですけど。編集部もあの文体を英語に訳すには苦労しただろうな。
高橋源一郎を図書館から借りるのはこれで2回目。今回もやっぱり挫折してしまいました。相対するためのエネルギーが、私には足りないようです。妻は相性がいいようで、私のいないときにけっこう読んでたみたい。
というわけで、Wizardry8が忙しくって、とんと本を読んでいない。
せいぜい、「高橋留美子のマンガ」を飛ばし読みしたり、また火がついて「ローマ人の物語」をめくったりしている程度。それでも多少はあるので、たぶん、来週あたりには報告します。
主として通勤時間を使って、まだ読んでいる最中。分厚い。比較的新しいエッセーや講演を集めたもののようだ。平成13年の1刷り。
内容そのものは過去の司馬エッセイにさんざん登場している馴染みのテーマで、司馬さんという人はこうしたいくつかの大きなテーマを生涯かかえこんで、それを何回も何回も反芻して話し続けてきた人のような気がしてくる。
今読んでいるのは「浄土--日本的思想の鍵」と題された章で、真宗がテーマ。数十ページにおよんでいて、けっこう読みごたえがある。
関係ないけど、私の特に好きな司馬本は「坂の上の雲」「項羽と劉邦」の2冊です。街道シリーズもいいけど、多数読んでいくとだんだん舌が鈍化して、味がわからなくなるような印象がある。
BNN ★★★★
先月の駄文(些事日乗)で小田島流・貧乏と貧困の定義をおぼろな記憶で書いたが、思いついて本棚から引っ張りだしてみたら、かなり違っていた。いいかげんなもんだなー。
正しく引用すると「貧困とは昼食にボンカレーを食べるような生活の事で、貧乏というのはボンカレーをうまいと思ってしまう感覚のことである。ついでに言えば、中流意識とは、ボンカレーを恥じて、ボンカレーゴールドを買おうとする意志のことだ」(ハッカーの金銭感覚より)
刊行されたのは昭和63年。そんな昔になるのか。この頃の小田島隆という人、活躍の舞台はあくまでマイナー誌ながら、ギラギラ輝くような感覚と才能、鋭い文体が魅力だった。将来どんな書き手になるのか、楽しみだった。その後たしか朝日新聞の「パソ」に連載を持ったはずだが、その鋭角さが急に鈍っていて失望した記憶もある。言葉は悪いが、荒野の狼が牙を隠して座敷に上がったら、ただの室内犬になってしまったような印象。小田島氏の毒のある個性と大朝日では最初から不幸な結婚だったんだと思う。
あらためて読み直しても、文体は相変わらず輝きを失っていない。天才的なものさえ感じる。もちろん書かれている内容自体はさすがに古いし、テーマも陳腐(というか、当時の掲載誌に問題があった)だが、それでもまだピカピカ光っている。東京に等高線を引いた場合の「赤羽崖っぷち論」など、何回読んでも笑える。
念のために調べてみたら、小田島氏のホームページもあった。本もいろいろ出しているらしい。少しホッとした。心ひそかに応援していた人なのです。
多分、3回目くらいの読み直し。要するにイタリアのジャーナリストがかみ砕いて書いた通俗番ローマ史で、終始軽妙な文体でトントントンと進んでいく。しかし一見の印象とは別に、書かれていること自体はかなり真面目だし、分析も鋭い。
多分、いろいろなローマ史本を読み尽くした歴史通にとってはニヤッとできる本なのだろう。あまり歴史を知らない人間にとっても、それなりに楽しめる。ただし、これを読んでしまうと塩野七生さんのローマ史とゴチャゴチャになって、どっちに書かれていたことだったか混乱してくる。
そういいえば、そろそろ寒くなってきたから「ローマ人の物語」の新刊が出る頃合いだなー。いつ本屋に並ぶんだろうか。
日本列島の謎に迫る。たとえば地域による「桜もち」の相違と「道明寺」の存在。赤飯に入れる豆は小豆か甘納豆か。ところてんは甘くするか酸っぱくするか、等々。
例によって朝食前にザッと読み流した。ところどころは笑える。
著者は宮内庁大膳課にいた人らしい。ある日突然、宮内庁からの招待状が舞い込んだとき、庶民であるあなた(および奥さん)はどう対処するか・・。ふつうはあり得ないとこなのだが、なんせ田中耕一さんの例もあるからなー。(今日の朝、文化勲章受賞のため正装した田中ご夫妻の写真を新聞で見た。妻によると、いい御着物だそうだ)
前半は招待状の細かな読み方、用意すべき服装、金額、前夜の過ごし方、交通手段などなど。後半は晩餐会の実際とマナーなど。著者によるとこうした公式行事はすべて「プロトコル」に乗っとって行われるものなのだそうだ。
昔、つきあっていた英国人の友人から「マナー」と「エチケット」の相違についていろいろ(日本語で)レクチャーを受けたことがあり、片方はいわば一般社会常識、片方は外交官などに通用する交際ルールであって、本来はまったく違うものと聞いた。どっちがどっちだったかは、もう忘れた。
こうした「マナー」と「エチケット」の更に上位に「プロトコル」なるものが存在していたとは・・・。「プロトコル」じゃ、通常の生活をしていたら身につくはずもないわな。一読、かなり笑えた。ただし後半の
悪名高い大河ドラマの原作となった著書。本人が原作(?)を書いて脚本もやっているんだから、この竹山さんという人の方向性はこの本ですべて見えるはずだろうと、怖いもの見たさで借りた。
今年の利家とまつについては、大河ドラマサイトなどで徹底分析され、かつクソミソにけなされている。借用になるかもしれないが、私自身も実感しているのは
・どこのお城もすべて出入自由で至便の3LDK構造
・近畿・北陸など各地を結ぶ「どこでもドア」開通済
・少数の主要人物はどこでも、何にでもすぐ集合する
・登場人物の性格と意見は毎週コロコロ変わる
・季節はその場に応じて自由自在に変化
・腰元・小姓・家来などは原則として存在しない。
見たことのない人には意味不明かもしれないな。たとえば清洲時代は重臣・柴田勝家が、部下・利家の留守宅に上がりこんでまつとダベっていたり、淀の方は生まれてまもない捨松を抱いて、前触れもなく金沢城の一室に出現したり(絶対にワープ!だ)、利家夫人が急に一人で城を抜け出して敵方の富山へむけて(吹雪の中!)歩きだしたり。それを亭主が一人で追いかけてきたり。佐々の奥方がなぜか厳冬の立山で遭難して助かったのに、夫には無意味に秘密にして会わなかったり。ま、しっちゃかめっちゃか。
で、文句ぶーぶー言いながら、でも毎週見ています。だって今度はなにをやってくれるか、ワクワクしてしまうんだもの。
そうそう、肝心の本の方ですが、こりゃ小説ではありませんな。テレビ見てるよりは登場人物の心理説明らしきものがある程度で、基本的に肉付けゼロの単なる脚本です(それもセリフの重みがまったく感じられない脚本)。それにしては厚い本で上下2巻もある。寝る前に寝っころがって下巻の半分までは我慢したけど、もう終わり。NHK出版もよくこんな本を出版したなー。倉本聡さんなんかんだと、テレビもいいけど脚本読む方が楽しい部分もあるんですけどね。
上巻を借りてる人が待ってるといけないんで、なるべく早く図書館に返却します。
そうそう、「アメリカの歴史
第3巻」も駆け足で読了。予想通り、ケネディは徹頭徹尾クソミソに叩かれていた。P.ジョンソンって、決して読みやすくはないのだが、こうした頑固オヤジふうのところがあって、つい手にしてしまう。