2015年11月アーカイブ

大昔、たしか床屋でテネシーワルツを聞いたことを書いたはずです。江里チエミではなく、パティ・ペイジ。

そのことを夢の中で思い出した。へんな状況ですが、なんせ夢。わけの分からないことを(夢うつつで)考える。♪Dancing to the Tennessee Waltz・・・のあたりは出てきたけど、その前の歌詞は何だったんだろ。うーん・・・と夢の中で記憶をたどろうとしている。ややこしい。

昼間、そのことを思い出して、検索してみました。もちろんすぐヒットします。

I was dancing with my darling to the Tennessee Waltz
When an old friend I happened to see
(・・以下略。大丈夫と思うけど著作権が切れているかどうか不明なので・・)

なるほど。

old friendなんて使い方するんだ。まだ若い女性が「古い友達」(親友の意味もあるのか)なんて表現をする。というわけで、なるほどと納得はしたけれども、明後日あたりにはもう忘れている。多分。

そうそう。話は違いますが懸案の「デスクカレンダー オジサン柄 2016」をアマゾンで買いました。今年は1728円。去年より300円ほど高い価格です。ま、安倍も値上げ値上げ!とわめいてることだし、この程度は仕方ないか。

ただ念のためネット価格確認に再度アマゾンへ行ってみたら、なんということか、たった1日違いで1382円に下がっている。ガガーン! 失敗だったか。ちょっと気分悪くしましたが、でもアマゾン直販ではなく出展商品。その場合は配送料が加わるから、そんなに変わらないかな・・・と(よせばいいのに)詳細を見たら「関東配送料は無料」だった。あらら。1日早まってやっぱり損をしたらしい。

calendar2016.jpgま、たいした差ではないけどね。うん。

このところ見続けているNHK朝ドラ「あさが来た」ですが、数話前から「ファースト・ペンギン」という言葉が登場しています。主人公である広岡浅子(ドラマでは白岡あさ)に対して、五代友厚が「あなたはファースト・ペンギンだ」と言う。

五代友厚ってのは例の薩英戦争でドンパチが始まったとき、運悪く英軍艦に乗っていたため松木洪庵なんかといっしょに捕虜になってしまった人です。事情として仕方なかったんですが、場合によっては「薩摩武士の名折れじゃ!」とか言われて仲間に詰め腹切らされる危険もあった。少なくとも本人はそれを危惧してしばらく身を隠していたらしい。

要するにちょっとインテリ臭のある人だったんでしょうか。チェスト!とかわめいて自刃するような野蛮なタイプではなかった。その後、なんかの使節団でちょっと英国にも行ったはずです。

その五代、このドラマではハイカラ優男でやたら英語が達者。で、なぜかヒロインの広岡浅子にいれあげてる。ま、それはドラマだから仕方ない。

で、問題は「ファースト・ペンギン」。未知の環境に勇気をもって真っ先に飛び込む人、という意味で使われている。南極の海に群れているペンギンにとって、天敵はシャチやオットセイです。海中で楽しそうにペンギンが魚を獲っていると、そこへ「食ってやる!」とシャチが襲ってくる。ペンギン連中、あわてて氷の上に避難します。まるでロケットみたいにシューッと海から氷の上に飛びあがります。
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で、氷の上に退避していれば安全なんですが、はて、いつ海に戻るか。10分待てばいいのか、それとも1時間待てばいいのか。早く海に戻りたいけれども、シャチが待ち受けているかもしれない。真っ先に飛び込んで食われるのはバカです。

こんなとき「お前、行けよ」「そっちこそ先に飛び込めよ」とペンギン連中は押し合いへし合いします。ゴチャゴチャやっているうちに、なんせ連中は氷上では不器用なので、そのうち一匹がボチャンと海に落ちてしまいます。落ちたぞ・・・・・・とペンギンはいっせいに哀れな仲間に注目。あいつ、食われるかな・・・・。
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海が血に染まればシャチがいる証拠なので、もうしばらく辛抱が必要。しばらく待つことにして、そのうち我慢できずまた押し合いへし合いをする。ただしもし何事もなくファースト・ペンギンが魚を追いかけているようなら・・・・・・安全です、もう大丈夫。群れとしての犠牲を最小限にして、しかも余計な避難時間(捕食タイムのロス)をなくすためには賢い戦術ですね。一匹を犠牲にしてみんなが生き延びる。群れをなして生きる草食動物なんかにはよくあるパターンらしいです。

これが「ファースト・ペンギン」。勇気あるペンギンではなく、そこつで可哀相なペンギン。ただし結果的には「気高い挑戦者!」と称されるかもしれませんが。

以上、なんかの本で読みました。こっちのほうが「勇者!」より納得できます。



★★★ 草思社文庫
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副題は「滅亡と存続の命運を分けるもの」。タイトルの「文明崩壊」は大げさで実際には「社会の崩壊」。ある程度繁栄した国・社会やコミュニティがどうして崩壊したのか、程度の内容です。

冒頭、著者がよく避暑にいくモンタナの話がでてきます。米国モンタナ州。北はカナダ国境、西がアイダホでもう少し西にいくとワシントンとかオレゴン。南はワイオミングです。州の半分はロッキー山系にかかり、寒いけれども風光明媚な場所らしい。山があり、谷があり、森があり、川ではマスが釣れる。鹿なんかもいるんでしょう。

いかにも良さそうなリゾート地なんですが、実際にはいろいろな問題をかかえている。まず、人口が少ない。鉱山が多かったんだけど、最近は寂れている。その鉱山が原因の汚染も大きな問題になっている。林業も盛んだったけれども、やはり伐採しすぎが問題になっている。

基本的には貧しい州です。しかし近年リゾート地ということで州外の金持ちが別荘をどんどん建てる。しかし別荘族はしょせんよそ者です。地域の農場とか森林を維持するためには地道な努力や育成が必要なんですが、よそ者はそんなことにまったく関心がない。とにかくいい景色があって、とりあえずマスが釣れて鹿撃ちができればいい。景観が悪くなれば出て行くだけのことです。

結果的に地価だけ不釣り合いに急上昇しました。地元農家にとっては困ったことになる。農業を継続していくには地価が高くなりすぎて、採算が合わない。儲からない農地が減って、どんどん別荘区画が誕生する。オヤジが死ぬと子供たちは土地を売り払って州外に出て行く。オヤジがまだ元気でも、高校を卒業したら子供たちはやはり州外へ出て行く。不動産と観光業だけ盛んでも、地場産業が衰退しているんで州の中には希望がないわけです。

けっこう陰々滅々な話なんですが、そんなことより「へぇ、モンタナにも問題があったんだ」と驚いたのが実情です。美しい山と空気のきれいな森の中で、みんな幸せに暮らしているのかと思い込んでいた。大間違いだったらしい。

で、浅ましいことに、まっさきに考えたのが「ではどこの州がいいんだ」ということ。本質的にミーハー。そんなことはありませんが、もし米国に住むのならどこの州がいい?

こういうアホらしいことを考えるのはけっこう楽しいです。うーん。ただし、非常に難しい。暑すぎず、寒すぎず、地震やハリケーンや竜巻の危険もなく、空気もきれいで便利でもある。東北部は雪が深いしアリゾナやテキサスなんかは乾燥して暑そう。シアトルは良さそうだけど天気が悪い。カリフォルニア南部のラホイヤなんてのが人気らしいですが、はて。

とかなんとか。

肝心の本書の内容ですが、要するに人類社会の未来は明るくない。環境被害の問題、気候変動、政治や社会の対応。みんな大きな問題だらけです。おまけに人口問題。ごくシンプルに考えても、第三世界の人々がみんな西欧社会並みの生活をしようとしたら(彼らとしては当然の希求)、この世界は対応できるだけの資源を持っているのか。おまけに貧しい国ほど人口はどんどん増える。

真面目に考えるとかなり暗い気持ちになります。しかも遠い未来の話ではなく、半世紀もたたないうちにパンクするかもしれない。みんな必死に(自分のことだけ考えて)頑張っているけど、それは要するに「最後に飢える権利」程度かもしれない。みんな飢えて死ぬ。その集団の最後の一人になることに大きな意味はあるのか。

イースター島。権威の象徴であるモアイを造るためには、運搬用のコロに使う丸太が必要。樹皮でつくったロープも必要。どんどん木を伐り、どんどん緑がなくなり、そして最後に残ったたった一本の木を切った人間は何を考えたのか

ちょっと印象深いシーンですが、たぶんその男は何も考えていなかった。これを切ったって、何か他の手段はあるさ。どっかに他の木もあるさ、きっと、たぶん。そうやってイースター島は滅びた。グリーンランドやヴィンランドのノルウェー社会も滅びたし、マヤ文明も滅びた。他にもたくさんの例証があげられています。

そうそう。日本の徳川幕府による森林対策の話も出てきます。ちょっと事実誤認があるような気もしますが、ま、許容範囲かな。他にもあちこち強引な部分が感じられますが、大筋とはして納得できる内容です。未来は暗い。


前に読んだ本で、いわゆる卓越風の話がありました。ある季節、特定の風が吹きやすいこと。季節風ですね。これを利用してアラビア人とかラピタ人とかは広い海を航海したらしい。

で、これとは別に「恒常風」というのがある。貿易風とか偏西風。しかしこの貿易風、偏西風の風向きが(文系頭には)なかなか理解できません。

老残の豆腐頭にいちばん理解しやすいのは「地球が自転しているから」という理屈です。ある地点にあるもの(空気)は静止しようとしても、地球は東に回転しているので地面が右(東)に移動する。置き去りにされるわけです。したがって見かけとして、風は西に吹く。うん、これは非常にわかりやすい。直感的。貿易風もこれで説明できるかもしれない。

では偏西風はどうして吹くのか。たしか高緯度で西から東に吹いている風です。空気が地球の自転と同じ方向に流れる。というより、自転の動きより早く動いてるわけですね。そうしないと風にならない。なぜだ。

ネットで調べてみました。いろんな解説がありましたが、みんな難しい。要するに地球のコリオリらしいですが、それがすんなり頭には入りません。うーん。

赤道近くで空気は温められて上昇する。上昇した空気は北(もちろん南半球なら南)に流れて、そのまま北極までいけば簡単なんですが、そこまでのパワーはない。中緯度付近の上空で冷やされて下に降りて来る。降りてくる段階で、コリオリによって南西方向へ吹く。うん。なんとなくわかる。

では偏西風はどうなんだ。多くの説明ではやはり「コリオリ力によって東に吹く」んだそうです。??? フィギュアで回転しているときに、手を遠くへ差し出すと回転と反対方向へひっぱられる。手を胸元に縮めると回転方向にひっぱられる。そんな解説もありましたが、イマイチ理解できない。

いろいろ読んで、自分なりに理解したのは下記の理屈でした。

要するに中緯度で空気は下に下降してくるわけです。そのとき(いろんな理屈があるようですが)南に向かって吹き込む動きと、北に向かって吹き込む動きがあるらしい。で、南(赤道方向)に吹き込む風は地球の自転に置いていかれるだろうから、結果的に「南西」への流れになる。うん、これは納得。

しかし北向きに吹き込む場合はどうなのか。こんな場合、風は北向きの力と同時に地球の自転と同じ速度で東にも移動している。その東への速い動きを内蔵したまま、自転速度の遅い北へ動くと、結果的に東へそれていく理屈にもなる。

クルマが2台平行して走っているとして、南のクルマは早い。北のクルマは遅い。平行したとき、南のクルマの窓から北のクルマの窓にまっすぐボールを投げたとしても、そのボールは北のクルマの窓には届かない。たぶん運転席の前方あたりを通過してしまうはずです。うん、けっこういい説明だな。

bouekifu.jpg貿易風に関しても「自転に置いていかれる」なんて説明ではなく、こっちの理屈のほうがもっともらしい気がします。たぶん、こうした理屈が「コリオリ」なんじゃないかな。







ということで、高緯度の偏西風は南西の風。赤道の北の貿易風は北東の風。航行する舟から見てひらったく表現すれば、西風と東風です。偏西風が蛇行する理屈とか、難しい話もありましたが、それは今回は無視。

だから、帆船で長い渡海をするような場合、わざわざ特定の緯度まで上がって(あるいは下がって)から出航したりするんだろうな、きっと。昔の船乗りは経験的にそのへんを知っていた。

上記、知ってる人からすれば「なんて奇妙な理解なんだ・・」と噴飯ものでしょうが、ご容赦。とにかく自分なりには納得できました。ついでに「偏西風は高緯度の西風、貿易風は低緯度の東風」、きちんと覚えることもできたし。(実は貿易風の風向、いまいち自信がなかった)

久しぶりに駅前の大型スーパーへ行ったら、文房具売り場のフロアが変更になっていました。開店当時は広大だったスペースがだんだん縮小され、ちょっと危惧していたんだけど、フロア変更で更に小さくなっていました。ようするに閑散フロアに追い出されたんでしょうね。

で、案の定、カレンダー売り場も小さくて、めざす商品は置いてなかったです。壁掛け可能なタイプのデスクカレンダーで「ミドリ デスクカレンダー A4 オジサン柄」というやつ。布貼りでちょっと高価なせいか、よほど大きなカレンダー売り場でないと扱っていない。定価で1700円程度。ま、十分高いか。

アマゾンを調べたら置いてありました。ただし定価。うーん、去年は確か1400円弱で購入したような。ちょっと迷って、まだ注文かけていません。まだ11月だし、まさか在庫がなくなりはしないと思うけど。

calendar2015.jpg※ 去年のエントリーを参照したら、「本体定価が1300円とけっこう高価で、税込みは1404円」と書いている。するとミドリカンパニーさん、値上げしたな。

これは2015年版

画像ファイルを開いたら、PhotoshopCS6のウィンドウ背景色が真っ黒になっていました。なにか特別なデータが埋め込まれたファイルなのかな。しかし調べてみるとごく通常のJPEGです。

ツールのアイコンも判別しづらいし、よく見ると設定がすべて初期化されてしまったような雰囲気です。再度立ち上げてみても同じ状態。いったい何故だ。まさか勝手にバージョンアップされたなんてことはないだろうな。

cs6-1119a.jpgま、背景色やアイコンなんかはまた設定しなおせばいいんですが、問題は開いたファイルが枠いっぱいのスペースをとってしまうこと。

画像そのものは200px とか300px程度であっても、背景(ドキュメントウィンドウというらしい)が目一杯に大きくなっている。複数の画像を開いても、みんな背後に隠れてしまって見えない。

理由は不明。しかし何らかの原因で、設定がすべて初期化されたと思うしかないです。

仕方なくネットで調べてみると、[ウィンドウ] メニューの [アレンジ] サブメニューで並びかたなんかを設定できるらしい。ところが[ウィンドウ] メニューで肝心の [アレンジ] という部分がグレーアウトして消えている。壊れてるんだろうか。うーん。

cs6-1119b.jpg再インストールしようかとも思いましたが、アドビのソフトはうかつなことができません。

うっかり消して再インストールしようとするとライセンスがどうたら文句を言われる事例もあるらしい。こういう部分、アドビは好かんです。企業としては正しいのかもしれませんが、ユーザからすると使い勝手が非常に悪い。

また時間をかけて調べました。ようやく発見。よくわからん説明ですが、下記。

初期設定では、[ウィンドウ] メニューの [アレンジ] サブメニューがグレーアウトして使用することができません。以下の方法で、ウィンドウをタブから分離して表示することができます。

ようわからんが、そうですか。で、以下の方法 というのは

[編集] メニューから [環境設定] - [一般] を選択。画像の赤マークの部分のチェックを変更する。
-----ということのようです。

これで元通りになりました。やれやれ。

★★★ 早川書房
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これも村上春樹訳。他の訳がどうだったか、完全に忘れてしまいました。ついでに言えばこの「高い窓」も読んだことがあるかどうか記憶になし。チャンドラーの小説は、雰囲気だけ記憶に残っていてもストーリーは忘れがちです。

で、読了。うん、なかなか良かったです。完全にチャンドラーの世界。もちろん例によって展開に「?」な部分は多々ありますが、比較的少ないほうかな。ちなみに今回のマーロウ、一回も殴られません。眉根にシワよせて飲んでばかりいます。
(マウロウの生活習慣の問題点。いつも酒の飲み過ぎ。健康によさそうな食事をしたことがない。おまけにしょっちゅう殴られる)

たいしたことじゃないですが、小説の冒頭はパサディナの屋敷から始まります。パサディナ? 一瞬、フロリダあたりを想像してしまったけど、そんなわけはない。念のため調べてみたらロサンゼルス北東部の高級住宅街だそうです。

ついでに、ヘンテコリンな女性秘書の実家はウィチタ。雰囲気としてはテキサスとかあっち方面かと思いましたが、調べてみるともう少し北のカンザス州でした。中西部中央。米国のヘソみたいな位置で竜巻の名所、オズに飛ばされたドロシーの家があったところですね。そうそう。大草原の小さな家のローラもここでした。

そういう草原の土地で育った神経質な若い女が富と頽廃のロサンゼルスに来て働いていた。ま、そういうことのようです。


先日読んだ「聖書の絵師」。小説の中でとある貴婦人が可愛がっていたユダヤ少女の遺骸を清拭するシーンがあります。ユダヤ女の体には印があり、性器の形が常人とは違う。本当だろうか・・というあたり。無知な農民ではなく、当時としてはいちおう教養ををもった階級です。それでも半信半疑ながら、こうした偏見を持っていた。

ま、中世を舞台にした小説なんかではこの種の偏見は常識です。でも,それにしても何故ユダヤ人は偏見と迫害の対象となっていたのか

ま、迫害の対象となっていたから各地に分散ししてゲットーを作り、まともな商売ができないから金融なんかに特化した。特化したから更に嫌われて、いっそう迫害される。迫害されるから貝のようにかたくなに身構える。その姿勢が気に食わない・・・こうした悪循環は理解できます。

でも、そもそも何故なのか。よく聞くのは「キリストを十字にかけたのはユダヤ人」という話。「私は手を洗うぞ」と総督ピラトが宣言して責任転嫁したことになってますが、実際に命令を下して処刑したのはローマ人だし、イエス本人はユダヤ人です。マリアだって使徒たちだってユダヤ人。それにペテロなんかがあちこちで布教していた時代には、こうした偏見や迫害はとくになかったはずです。なんか理屈がスッキリ賦に落ちません。

なんでだろ。

自分なりに考えてみました。もちろん知識がないのでネットでも検索。で、直接の原因となったのは紀元1世紀のユダヤ戦争でしょうかね。とかくローマに従順ではなかったユダヤ(だからローマ総督も多少は遠慮していた) がついに大反乱をおこし、徹底的に弾圧される。エレサレムは陥落。しかもその後、ハドリアヌス帝の時代(2世紀)にもう一度あって、この時にハドリアヌスは「ユダヤ文化」に原因があると結論をくだした。ユダヤ根絶。

ローマには神様がたくさんいます。ユダヤの神様が一人くらい増えてもかまわないんですが、ユダヤ人たちは納得しない。過酷な沙漠でうまれた一神教民族は頑固なんです。というより、これを心の支えにして生きるしかないというべきなのかな。可哀相だから首都を再建してやろうと考えた(本人的には親切な)ハドリアヌスだったんですが、邪教のユビテル神殿を造るとかいう計画が漏れてユダヤ人が激昂する。親切が仇になった。

で、怒った(たぶん)ハドリアヌスはユダヤ教とその文化を完全かつ徹底的に弾圧。この時点で多くのユダヤ人は各地に離散したんだと思います。

こうして離散した場合、ほとんどの民族は歴史のなかに吸収され、やがて消滅します。それが、ま、常識。しかし何故かユダヤ人だけはアイデンティティを失わなかった。「神の選民」意識ですか。聖書(もちろん旧約)の存在というのが大きかったんでしょうね。書物だけなら焼けたり虫が食ったり消えたりするはずですが、彼らには「暗記」という特技があった。最初から最後まで頭を振り振り丸暗記してしまう。金品や書物を奪うことはできても、頭の中の知識に手をつけることはできない。

こうして周囲と馴染まず頑固に一人の神を信仰する独自文化の民族が誕生。馴染まない連中はふつう嫌われます。嫌われたから教会が蔑視する金融業にいったのか、金融業で成功したから嫌われたのか、そのへんは不明。で、キリスト教がローマの国教になると「キリストの敵だから苛めてもいいんだ」という風潮が生まれたし、苛められるからどんどん孤立してもっと頑固になる。

(そもそもを言えば、神殿の両替商の出店を壊してしまうイエスが乱暴だった。ま、洋の東西をとわず清廉な人は「金なんて汚らわしい」とか言うことが多いですね。イスラムも利子をとる金貸しを禁じています。言い分はわかるけど、いったん貨幣経済が誕生してしまうともう後戻りはできない)

それはともかく。各地に分散したユダヤ人は孤立せず、おたがいに助け合います。強力なユダヤ人ネットワーク。手形取引です。金銀財宝は強奪される危険があるけど、手形なら比較的安全。信用商売ですね。保険制度もあったらしい。これが大成功の秘訣で「商売上手のユダヤ人」となった。

この後の推移は、ま、たいていの人が知っていると思います。

ユダヤ人問題の原因
(1) バビロン捕囚の後、民族の拠り所として「聖書」を編纂。これで強固な民族アイディンティティが確立。別に悪くはないんだけど、すべての遠因はここに発するような気がする
(2) 何回もローマに無謀な反乱をくわだてた当時のユダヤ人過激派と民衆
(3) ハドリアヌスが善意を無視されて怒り狂い、ユダヤ国家を抹殺したこと
(4) お金や金融を蔑視したイエスと、その教えを(タテマエ上は)踏襲した教会
(5) ついでに。民衆を無知なままに置こうとした教会の大方針
(6) 格好のスケープゴートとしてユダヤ人を迫害させた教会、王権、政府
(7) 煽動に乗せられ、ユダヤ人苛めの憂さばらしに走った無知な民衆・国民たち
(8) 本人は悪くないけど、どんどん金持ちになって力をたくわえた各国のユダヤ人

要するに非常に堅固な独自文化を守旧してきた民族が、不幸なことに自分の国家を持てなかった。逆にいえば、国家をもたないのに信仰と文化を守り続けてきた民族がいた。レアなケースなんでしょうね、きっと。ということで以下・・・。

(9) 嘘八百こいてイスラエル建国を約束した英国とフランスの二枚舌
(10) 強引な建国によって、アラブ(イスラム)とイスラエルに対立が発生
(11) 実力も考えず能天気に新生イスラエルを攻めたアラブ諸国。もちろん敗退
(12) 安全保障のためヤマアラシのように針を逆立てるイスラエル。米国からは強力なサポート。これでパレスチナとの平和共存が不可能になった

こうして現在もなおパレスチナ問題は継続中。根がべらぼうに深い。違いはありますが、クルド人も同じようなものかな。強固な民族なのに国家を持てない。たしかトルコは公式見解として「クルド人問題というものは存在しない」というタテマエです。トルコ国内にクルド人なんていない。みんなトルコ国民。

★★★ 新潮社
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14世紀英国を舞台にした、ま、ラブロマンスです。タイトルから想像できるような、修道院の地味な挿絵職人の話ではありません。

英国の14世紀末というのは、百年戦争のまっただ中、バラ戦争が始まる少し前の時代です。ポワティエの戦いでフランスをやっつけた黒太子は王位を継ぐことなく死に、一代スキップして即位した息子のリチャード2世はまだ幼少。で、よくあるパターンですが叔父のジョン・オブ・ゴーントが権力をふるう。ジョン・オブ・ゴーントってのはランカスター公で、彼の子供がクーデタをおこしてランカスター朝の始祖となる。それがキッカケでやがてバラ戦争。

百年戦争がだらだら続いている時代なので、リチャード2世(実権者はジョン・オブ・ゴーント)は戦費の調達に苦しみます。仕方ないから税金を重くする。これじゃ食えない・・てんで農民は反乱をおこす。ワット・タイラーの乱です。

当時のカトリック教会は腐敗しきっていて、「アダムが耕しイブが紡いでいた時、だれがジェントリーだったか」などど平等思想を歌にして歩く説教師が人気をえる。おまけに法王庁はローマとアビニヨンに分裂している。

こうした教会の弱体化につけこんだ(?)ジョン・オブ・ゴーントは、聖書の英語訳をやってるジョン・ウィクリフを応援する。英語訳されると、庶民が聖書を読むことができて、聖職者の権威に疑問を持つ可能性がある。困ったことです。敵の敵は味方。ウィクリフは教会の敵なんで、これを応援することは間接的に教会の権威を弱めることになる。

ややこしい時代です。

無知な農民たちを教会が支配している中世ってのは、悲惨ですね。王権貴族の支配だけでも大変なのに、さらに教会が権威をふるう。十分の一税を収奪する。文句をいえばもちろん首吊るしに火あぶり。ついでに王権と教会はいがみあって、いがみあっているけど上層部では結託している。司教区を持てるのはたいてい有力貴族の子弟ですね。日本だったら親王がいきなり天台座主になるとか。

教会にとって、庶民はなるべく無知なほうがいい。庶民農民に知恵がついたら大問題です。伝統的にカトリック教会が信徒の「無知」をよしとするのは、そうした戦略があったんでしょうか。統率しやすいのは無知にして純な羊の群れ。ただ困ったことに庶民だけでなく、司祭連中もたいていは無知だった。ラテン語のお祈りを少し暗記していればそれで十分。資質的にも疑問符な連中が大部分だったらしい。

この小説に登場する悪役にノリッジ司教ヘンリー・ディスペンサーという男がいます。たまたま僧職についているけど、性格的には武人。小説の終わり頃、反乱勢力鎮圧のためこの司教が剣を帯びて出陣するシーンがあります。史実らしい。戦う司教。

こういう時代、亭主が死んでしまった小さな館の寡婦(女領主)はどんな立場か。ささやかながら領地があるので、周囲の貴族連中はなんとか自分のものにしようとあの手この手。教会の坊主どもも口実をみつけて喜捨をむしりとろうとする。女領主は頭が痛いです。おまけに土地を管理させている差配人がまったく信用できない。戦争中なんで、まともな男手がたりないんです。そうそう、王にはこうした寡婦の領地を召し上げる権利があったらしい。

そんな状況に、平民ながら男前の絵師とその愛娘が馬に乗ってやってくる。ロマンスの始まり始まり。

ロマンスそのものはたいして興味をひきませんが、時代背景は面白いです。かなり忠実。登場人物もその時代にふさわしい発想で行動し、次々と、実にあっさり死にます。


※ 寡婦の領地を召し上げる

えーと、確証はありませんが、貴族の結婚は王の許可が必要です。勝手に閨閥を作って連携されるのは恐いですから。あえて言えば、王は臣下の結婚を勝手に決めることもできる。しかしこれを恣意的にやられては困るので、貴族たちは許可料を払ったり、宮廷で王のご機嫌をとったりしてある程度自由な結婚をします。

貴族の寡婦といっても、単なる奥方というケースと、その土地付きの女性(相続人) というケースがあります。相続権をもった女性なら、女伯爵ですね。たいていは息子が成人すると後を継がせますが、たまには子供がいないこともある。あるいは娘がその相続権を継ぐとか。そうなると、求婚者がむらがります。

タテマエとしては、貴族は王に対して武力で奉仕する義務があります。しかし寡婦にはそうした力がない。そういう理屈で、王は寡婦に対して「修道院に入って亭主の菩提をとむらったらどうだ」と勧告することもできる。ま、実際には王に一族の領地をとられたら困るんで、死んだ亭主や寡婦の親戚とか友人とかがナントカして妨害するでしょう。

王があんまり強引にやりすぎると、たいてい貴族連中は結束してクレームをつけます。明日は我が身。勝手は許さないぞ。しかしたまたま友人も親戚もいない寡婦だったらどうなるか。狼だらけの森に迷いこんだ赤ずきんですね。ということで、この小説の寡婦は、意に染まない近所の強欲な有力貴族(ガーター騎士)の求婚に対して苦労するわけです。

少し違っているかもしれませんが、だいたいは合っているでしょう、きっと。

★★ 新潮社
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この作家は初読。香港とか台湾を舞台に活動しているようです。現在は北京在住らしい。ただし著書は大陸で発禁処分

要するに近未来小説ですね。西欧圏が大不況になり、大混乱。体制の違う中国だけが生き残って一種のモンロー主義で内需拡大。つまりは「盛世」の御世です。

景気はいいし国民は幸せだし、ま、党中央はあいかわらず強権だけど、でもいいじゃないか。100人のうち95人が幸せと思っているなら、その社会は大成功でしょう。それ以上、何をのぞむ。最大多数の最大幸福。

でも残りの数パーセントにとっては、合点がいきません。なんかおかしい。どうしてみんな幸せなんだ。オレは(ワタシは)幸せではないぞ。ということで、数人の不満分子が連携し、真相を探ろうと試みる。

ちょっと冗漫な部分もありますが、現代中国の実情を知るには格好の小説です。六四天安門事件のあつかいとかネット監視、中央宣伝部の位置づけ、締めつけとして時折発動される「厳打」キャンペーン。(「厳打」という言葉、この小説ではじめて知りました。一斉取締り。常に行き過ぎとなり、点数を稼ぐため即決裁判でどんどん有罪にされる。)

ま、発禁処分は当然ですね。むしろこんな作家が北京に住んでいられることのほうが興味深い。みなさん、獅子の尻尾の周囲でダンスをしているようなものなのかな。注意深く踊っている限り大丈夫。ステップを間違えると致命傷だけど。


★★★ 文春文庫
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電車の中で読もうと、本棚から適当に抜き出した文庫本。超速球の投手がチベットかブータンから大リーグにやってくる話だったような。副題は「シド・フィンチの奇妙な事件」。

大筋は合ってましたが、雰囲気はかなり違ってました。野球ファンの書いた痛快野球小説のような設定なんですが、実際にはベトナム帰りで後遺症に苦しむライターと、実生活になじめない女の子、求道者として精神生活に生きようとする不器用な英国人青年。3人が凸凹おりあって奇妙で居心地のいい共同生活をする。ま、そんな小説です。

チベットの僧院にたどり着いた青年は、敷地に侵入してくる雪豹を追い払うために小石を投げる術を学びます。精神を統一することでなんと時速270キロ。もちろん針の穴を通すようなコントロール。で、野球場のデザインが曼陀羅を連想させることから、青年修行僧は投手という存在にちょっと興味を持つ。なんなら大リーグに入ってもいいですよ。

時速270キロの速球投手が加わったら、野球というゲームはどうなるか。投げる必要のあるのは9イニング27球。もちろん完全試合です。バッターはボールの軌跡さえ見えません。投げた。ほとんど同時にミットの衝撃音。後方にふっとんだキャッチャーは痛みに苦しみもだえている。審判は確信もないままストライクを宣言するしかない。なにしろ見えないんだから

凄いといえば凄いですが、しらけるでしょうね。興奮する要素がまったくない。ピッチャーはただマウンドに歩いていって、ウォームアップもなしでいきなり投げる。スドーン。また投げる。ズドーン。坦々とそれの連続。

ま、そういう具合で新星シド・フィンチは球界に衝撃を与え、そして去ります。修行僧フィンチは人間生活へ復帰しそうだし、女の子も自分の場所を発見できそうだし、中年ライターはようやくタイプライターで文字を打てるようになる。たぶん。

けっこう楽しい読後感でした。ちなみに腰巻きの「野茂・・・」はほとんど内容と無縁です。そういう小説ではありません。


最近あまりパッとしない印象の棋士・渡辺明ですが、今期、ようやく竜王戦の挑戦者になりました。念のため、「パッとしない」と言っても棋王というタイトルを3期保持しています。でもこの程度ではダメです。

なにしろ中学生でプロ入りを決め(超エリートの証拠)、20歳で「竜王」という高額賞金のタイトルをとって、そのまま9年間キープした。「竜王」というのは読売グループが無理やり(主観です)「棋界最高位」にするため賞金額をドーンと積んだタイトルで、たしか5000万近かったと思います。このため棋戦の「ランク1位は竜王」というのがタテマエ。ただし「そうはいっても名人のほうが格式あるだろ」という声は根強いですが。

そんなことはともかく。その渡辺明もさすがにここ数年は陰りが出てきて、ザコのようなタイトルは複数とっても肝心の名人にはなれない。竜王に復位もできない。

それが今年はようやく竜王戦挑戦リーグに勝ち残った。こうなりゃタイトル回復は当然だろうという声しきりで、ま、それくらい棋界の信用はあるんです。ところが挑戦を決めた後が乱調で、次から次へと無残な7連敗。ありゃ、大不調だ。大丈夫かな・・というムードの中で竜王戦7番勝負となりました。そして緒戦はいきなり敗退。次は勝った。問題は3戦目・・・。

これも勝ちました。けっこう面白い対局だった(渡辺明の対局は大胆でたいてい面白い)。でも、なんか危ういんですよね。いつもの感動的なキレと安心感がないみたい。現在のタイトル保持者は糸谷哲郎という若い棋士で、奇妙な感覚の差し回しをする人です。太っていて阪大に在学中で、時間をかけず間髪いれずに指したり、指すとすぐ離席してトイレに行ったり、庭をウロウロしたり。たぶん几帳面な棋士だとイライラします。

watanabekun.jpgおそらく最終的に渡辺は竜王に復位すると思います。まだ衰えるには早い。しかしそれからファン待望の名人戦挑戦(羽生・渡辺のゴールデンカードなら申し分なし)への道です。ということで、また将棋のネット観戦が少し楽しみになってきました。

渡辺くん、あきらめたらそこで試合終了だよ
(「妻の小言」より)

★★ 河出書房新社
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副題は「名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか」。たまにこういう本も読みたくなります。

要するに古代の人々はどのようにして海を渡ったのか。なぜ未知の水平線の彼方へ漕ぎだそうとしたのか。視認できる島なら納得できますが、そうとは限らない。何百キロという航海もしています。

大昔、たぶんミッチェナーの「ハワイ」を原作とした映画を見た記憶があります。ポリネシアの連中が遠大な旅をしようと決める。北へ北へ、茫漠たる大洋を航海していると、やがて神の使いの神聖な鮫があらわれて彼らを導いてくれる。こうして人々は常春のハワイにたどりついた・・・。この冒頭のシーン、けっこう感動的でした。

たぶん実際には、まず東南アジアに住み着いた人々がニューギニアとかオセアニア北部へ航海したらしい。大昔は海が低くて、渡るべき距離が少なかったらしいので、ま、一応は納得できます。船出にはいろいろ事情があったんでしょう。食えないとか、ケンカしたとか、女にフラれたとか

しかしある時点から、単なる冒険旅行ではなく、本格的なポリネシアへの計画移住が始まる。ラピタ人という連中。たぶんアウトリガーのけっこう大きな舟に女も子供も豚も乗せ、有用植物の苗も乗せて完全に引越しです。すごい冒険と思いがちですが、著者によるとあんがい危険は少ないんだそうです。モンスーン地帯では、だいたい定期的に風向きが逆転する。とりあえず東に延々と航海しても、数カ月待てば逆風を利用して帰還することも可能。もちろん星や太陽を見て、一定の航路を維持する必要はあるけど。航海に必要なのは知識と我慢、自制、忍耐。けっしてギャンブル心ではない。

著者は子供の頃から沿岸で小舟に乗ってウロウロした経験があるらしい。幼いころから海に暮らした人間にとって、島影を見分けたり潮の流れを測ったり鳥の飛び方を見たり星を見ることは決して至難の技ではない。猟師が森の中で迷わないのと同じレベルなんでしょうね。

ということで、動機があって頑丈な舟を作る技術があれば、海に乗り出すことはできる。その海域によって必要な舟の作り方は異なりますが、少しずつ改良をくわえて立派な船になった。

メラネシアからポリネシア、東地中海、北海、インド洋、アリューシャン。世界の海について記述していきます。エッセイのようでもあり、各地の舟の構造紹介でもあり、古代人のお話でもあり、なんともジャンルの明確ではない一冊です。

題名から想像するようなロマンチックな内容じゃないです。学術書ではないけどわりあい単調で退屈。でも読んでよかったと感じられる本と思います。


久しぶりにNHK朝の連続ドラマを見ています。あさが来た。明治期に広岡財閥(そんなに有名ではないけど一応は財閥)を築いた広岡久右衛門(9代目)の兄嫁。維新で傾きかかった大阪の両替商・加島屋を建て直した女傑のお話です。

この朝ドラ、珍しく脚本がしっかり練られています。やれば出来るんじゃないか。展開がきちんと計算され、何気なく蒔かれた小ネタを上手に回収していく。ヒロイン役の女優(波瑠)も、最初はちょっと心配でしたがどんどん見やすくなっていく。道楽者の阿呆ぼん亭主は玉木宏、当主が近藤正臣。維新で没落して苦労する姉夫婦に宮崎あおいと柄本佑。柄本佑ってのは柄本明の長男らしいですが、なかなか良い俳優。脇役の番頭たちも達者です。

しっかり作られたドラマを見るってのは、楽しいことですね。肝心の大河ドラマが今年は(今年も)最悪なので、その代わりのような感じで、なるべく見逃さないようにしています。(ついでに言えば、今年の長州を舞台にした大河はうかつに見ると腹がたつくらい酷いです。脚本が破綻して駄作の極み)

★★★ 文藝春秋
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とくに読むつもりもなかったのですが、たまたま図書館の書棚にあったので借出し。1カ月ほど前によんだ上巻の続きです。

要するに時間旅行した主人公がなんとかケネディ暗殺を阻止しようとする。しかし時間旅行の設定として「特定の日時、特定の場所にしか戻れない」という制約があるため、63年11月22日がくるまでの長い時間を現地で暮らさないといけない。することもないので、ダラス近くのとある高校で教職につきます。もちろん経歴は詐称。

で、背が高くて不器用な女性(すぐ躓いて転ぶ)と知り合う。ずーっとリー・オズワルドの監視をしながら、ついでにこの女性とも愛し合う。だんだんどっちが本筋かわからなくなるんですが、ま、そうした手法でスティーヴン・キングは長い長い話をなんとか繋いでいく。

どうして会うなりオズワルドを無力化しないのか。そこがこの小説のミソで、要するにオズワルド単独犯という確証がないわけですね。もし共犯者がいるとすれば、オズワルドだけ殺しても意味がない。人を一人殺して(とうぜん、警察に追われる可能性が高い)それでも結果的にケネディが死ぬんじゃあんまりです。

結末はもちろん書けませんが、けっこうハラハラドキドキのストーリーでした。ついでに言えば、全体のトーンは、ちょっと叙情的かつ暗いです。



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