Book.22の最近の記事

読んだ本はたった39冊か。平均すると10日に1冊。これじゃ「本が好きです」なんて言えないですね。したがって中身も不作で★★★★が2冊しかないです。
 
「炎環」永井路子

nagaimichiko.jpg鎌倉時代のこと、何も知らないことに気がついて、おそまきながら安易に永井路子。

読後にも書いていますが、これで少年時代に読んだ岡本綺堂の「修善寺物語」の背景がわかりました。なぜ頼家が伊豆に蟄居していたのか。そういう経緯だったのか。

常盤御前が雪の中、3人連れていた子の長男今若が阿野全成。これが鎌倉に馳せ参じたのか。知らんかった。まん中の乙若が範頼になったことも、なるほど!でした。たしか絵本では常盤に手を引かれていた小さいほうの子です。牛若はまだ懐の中。知識と知識が合理的にリンクしていないんですね。。

ちなみに通常の義経本では、範頼ってのは存在感のない無能武将で、いつのまにか消えます。子供たちにとっては梶原景時とならんで好かれないキャラです。
 
「鏡と光」ヒラリー・マンテル

kagamitohikari.jpgのサムネール画像ヒラリー・マンテル作、★★★★です。トマス・クロムウェルを主人公にしたシリーズの3冊目。トマス・クロムウェルというのは護国卿オリバー・クロムウェルの2~3代前で、ヘンリー八世の寵臣です。卑賤の身から這い上がり権勢を誇ったけど、不細工な王妃を世話したんで首を切られたという定説になっています。友人の画家のせい。

ま、そうした俗説はともかく。このクロムウェル3部作はいいですよ。大部、壮大。この頃の英国史に興味があるんならオススメです。登場人物にみんな血が通っています。類型的な悪人や善人はいません。ただし度し難いアホや脳タリンはいくらでもいます。多少の知識がないと前後が混乱するかもしれません。
 
「櫛挽道守」木内昇
 
kushibikimichi.jpgなにも知識なく読んだ本ですが、意外に読後感が良かった。その後、この作家のものは何冊か読みましたが、妙に気分を残す書き手です。

中山道薮原宿。「お六櫛」という超細かい櫛作りを生業にしている貧乏職人の話です。「夜明け前」の明るさをなくして、思い切って田舎臭く貧しくしたような本です。

で、年頃になっても嫁にもいかず、ひたすら櫛を作っている娘のところに隣の宿のいい男が婿に入って・・・というストーリー。ただ、あんまりストーリーに意味はないと思います。
 
「夢熊野」紀和鏡

yumekumano2.jpg源平時代の熊野。大昔には争っていた熊野三山が協力して「熊野繁栄!」の共通目標をかかげ、上皇や平氏との微妙な関係を模索展開する。中心にいるのは源為義の娘。怪しい丹鶴伝説のモトとなった女性です。

ファンタジーみたいな外見ですが、中身はけっこうハードと思います。なぜか味があって、たぶん4回目の読了でした。
 
「犬が星見た-ロシア旅行」武田百合子
 
inugahoshimita.jpg部分的には読んだ記憶もあったんですが、まともに読み切ったのは今回が初めてです。★★★評価。

武田百合子が亭主の泰淳、泰淳の友人で中国文学の竹内好といっしょにロシア旅行。1969年ですからブレジネフの時代ですね。さすがに簡単に逮捕はされないだろうけど、だからといって安心もできない。異国の乾いた空気を百合子が独自の感覚でとらえています。この人、ほんと独特です。

なんか自分自身、開放直後あたりの中国(香港から広東)へ行ったときの気分を思い出しました。農民はまだ貧しそうだったけど、みんな必死に上を向いている。ただし役人、警官は怖い。無事に出国できたときは、正直ホッとしました。帰りの飛行機、ガバガバ飲んでしまった。
 
「騎士団長殺し」村上春樹

kishidanchou12.jpgたまたま見かけたので読んだけど、たぶん駄作です。ま、春樹ファンならまったく文句は言わないと思うけど。

読後感想でも書きましたが、独身暮らしの主人公が広い家でご飯をつくって、ブリの粕漬け、漬物、胡瓜とワカメの酢の物、大根と油揚げの味噌汁。これは驚きました。

パスタでもサンドイッチでもない。ハルキで和食ってのは非常に珍しいです。びっくり。その借家に米の買い置きや漬物や炊飯器があったとは。

 

kamakura-josei.jpg教育評論社★★★

北条氏にからんだ十数人()の女性の概説。良書だったと思います。

ただ、感想を書くのが難しい。乏しい資料から読み取れるのは、この時代の女性たちも懸命に生きていたんだなあということ。親の命で結婚し、たくさん産み、両家の都合によっては離婚する。そしてまた結婚して子供を生む。

どういう感情があったかはわかりません。でも推し量れるのは、そんな環境の中にあってもアクティブに生きていたらしいこと。当然ですね。場合によっては一族のゴッドマザーとして君臨することも多々あったようです。政子だけじゃないんですね

政子、時子(時政の娘)、阿波局(全成の妻)、重忠の妻、宇都宮頼綱の妻、大姫、牧の方、姫の前、泰時の妻、頼家の娘、時氏の妻、時氏の娘、時頼の妻、時宗の妻、貞時の妻、赤橋登子(尊氏の妻)

上記、みんな誰それの娘であり誰それの妻・・・なわけで、細かく書くと大変。かなり省略しています。

 

aeteyokaata.jpg朝日新聞出版★★★

時々思い出しては数ページずつ読んでいます。

内容を書いても意味ないかな。安野光雅が出会ったりすれ違ったりした人たち(たいていは有名人)のことを、例のとぼけた調子で綴っている。へぇーというエピソードもあるし、どうでもいいこともある。どうでもいいことのほうが多いかな。

たいていの場合、挿絵とか表紙絵の仕事で会った人たちです。そうでないケースもあって、そうそう、関係ないですが安野光雅はNHK FMの「日曜喫茶室」の常連だったんですね。はかま満緒のコーナーで、何回かは聞いた記憶がある。他は轡田隆史、池内紀、荻野アンナなんか。

轡田でまた思い出したけど、アメリカ史の猿谷要。ちなみに「轡田」「猿谷」、まったく字は違うのになんか同じ匂いがして、たぶん自分の脳内では繋がっているんだと思う。で、安野さんはいつだったか訪米した折り、アメリカインディアンの哀しいエピソードを知って大感動。それを隣にいた猿谷に熱弁した。ひとしきりしゃべってから、ふと猿谷さんがアメリカ史の専門家であることに気がついて愕然、赤面。

ま、たしかそんなシーンです。文字に書いても面白くないですね。それをなんか面白く感じさせるのが安野光雅です。始めて見た「ABCの本」。ショックだったなあ。調べてみたら1974年の刊でした。キラキラ輝いていた。すごい人が出てきたと思ったもんです。

ふしぎなえ」もあった。たぶんデビュー作で、こっちは1971年。

 

crosstalk.jpgコニー・ウィリスの「クロストーク」を借り出しています。読めません。

たぶん4年くらい前の刊行です。もろん早川書房。図書館で発見してすぐパクッと借りました。700ページくらいはありますが、ま、コニー・ウィリスはいつだって超長編なので驚きはしません。

ところが、読めない。50ページくらいは頑張ったのかな。脳手術が終わって、繋がりたかったカレではなく、困ったオタクと心が接続されてしまった。なんでだ! というあたりです。

好きな作家なんですけどね。

ドゥームズデイ・ブック」は大傑作。「犬は勘定に入れません」 も好編。「ブラックアウト」と続編「オール・クリア 」も傑作の部類でしょうね。みんな何回も読み直している。(ただし「航路」は駄作と思っています。ファンから猛烈にクレーム付きそうだけど)

ジャンルとしては時空SFなんだけど、ストーリーではなく細部で読ませる作家です。コメディといっていいのかな。必ず超うざい邪魔が入って落ち着いて考えられない。思考が混乱する。ドタバタしながら話が進んで、でも最後は泣かせる。初読ではイライラ。再読、再々読ではそのイライラ・ドタバタに味が出てくる。

ま、そういう人の本なのに、なぜ読めないのか。読み進められないのか。3週間の期限がすぎて、1週間の延長をつけて、だめでした。明後日に返却予定。不思議だなあ。

 

みすず書房★★★

hankokumotu.jpg面白い本だったのに、なかなか読めない。なんでだろ。翻訳もそんなには悪くはないのに、なぜか頭にすんなり入ってこない印象。こういう場合、相性という言葉を使って誤魔化すしかないか。

えーと、要するに農業の開始と国家形成についての疑問提起です、たぶん。ちょっと前から


「脱・狩猟採集」→「農業の開始」→「定住」→「国家の形成」 = 文明!


という図式には疑問が投げかけられていました。

狩猟採集はそんなに効率が悪かったんだろうか()。小麦や大麦、米なんかの栽培はほんとうに文明(幸せ)の始まりだったんだろうか。こうした農耕の始まりから、大がかりな灌漑などの必要性が生まれ、自然に国家が誕生したんだろうか。

どうも違うらしい、というのが最近の学説というか、常識です。大がかりな定住農業の始まりと同時に出生数は増えたが、なぜか忙しくなり、人類の体格は貧弱になった。家畜と暮らすようになって疫病も流行した。国家の誕生は奴隷の誕生でもあった。どこが幸せだったんだろ。

そんなに厚くない本の、まだ半分しか読んでないので断定はできませんが、どうも人類は喜びとともに定住農耕を開始してはいなかったらしい。狩猟採集の暮らしは食べ物も(おおむねは)豊かだったし、余暇も多かった。だから農業が開始されたからといって、みんなが諸手をあげて大歓迎したわけではない。

少なくとも数千年、狩猟をやめて畑をつくってみたり、麦をつくるのを止めてまた猟を始めたり、そういう移行期、あるいは逆行期が非常に長かった。簡単にいうと、農業はあんまり人気がなかったんじゃないか()。

たぶんですが、この本の趣旨は「国家が定住農業を強いた」ということなのかな。きままに作物を育てて暮らしてんじゃ意味がないし、都合がわるい。国家が管理して帳簿をつけて、税として徴収できるような作物が必須だった。収穫時期が一定で短いこと。倉庫に保管できること。管理できること。つまりは何種類かの穀物。また人々が密集し、定住していること。人間が動物を家畜化したように、国家が人間を家畜化する。言葉を変えると「穀物栽培」という環境が人類を家畜化した。

ちなみに「家畜化」とは、かならずしも迫害じゃないです。ある意味、手厚い保護ですね。だから犬、猫、羊、豚。みーんなものすごく繁栄している()。そりゃ豚なんか最終的には食べられるかもしれないけど、種として大成功、とも言えるわけです。人類も「家畜化」して、その結果として地球上に大繁栄している()。

従来の常識では、ユーフラテス中流あたりの乾燥地で文明が育ったことになってますが、これもなんか変で、もっと農耕に適した地域があったんじゃないだろうか。著者によるとユーフラテス川の下流地域。昔は海がせまって広大な湿地帯だったらしい。パラパラっと種をまくとすぐ収穫できる。もし育てにくくなったら、フラっと移住する。どこだってたいして変わらないし、なんなら狩猟に切り替えたっていい。

管理する側はそれじゃ困るわけです。だから国家が成立したのはそうした農業適地ではなくて、上流の乾燥地。つまり人類が自然に国家をつくったのではなく、国家が都合のいい場所に人々を集めて畑をつくり、集中労働させ、強制する。税金を集める。それが国家というもの。奴隷化、

なんか感想がまとまってませんが、大筋、たぶんそんなストーリーのようで、だから本の副題も「国家誕生のディープヒストリー」。読んでる途中で期限がきたので返却になってしまった。あらら。

 

三内丸山の遺跡なんかの例。かなり成功していたし、計画性もあり集団化もしていたらしい。それでもまだ「採集生活」です。

それなのになぜ、人気のない集団生活、農業国家を人間は選択してしまったのか。そのへんは必ずしも明確じゃないみたいです。いろんな説はあるようですが。

ネズミとかカラス、ゴギブリ。これも広い意味で家畜です。適応して、いわば共生。けっして歓迎はされてないけど、仲間。農業と定住の産物です。ちなみに動物は家畜化することで形態が変わります。牙が小さくなったり小柄になったり愛想がよくなったり。

実は人間も「家畜化」で変形しているはずだけど,まだ本格的に農業始めてから160世代だったか240世代だった。ちょっと立証するには短かすぎるらしい。

 

kishidanchou12.jpg新潮社★★★

これ、いつの刊行だっけ。えーと、2017年ですか。第1部「顕れるイデア編」第2部「遷ろうメタファー編」。これまで何人が手にとったのか、少し綴じのゆるみかかった上下が図書館にあったので借り出し。

ストーリーそのものを紹介しちゃいけないし、じゃ、何を書けばいいんだということになりますね。でもハルキの小説って、そもそも粗筋に意味があるのか

ということで、この本。うーん、ハルキを読むのが久しぶりのせいか、よくまあ好き勝手・・・という印象です。はい。小説なんだから好き勝手で何が悪い。書きたいことを野放図に書きまくり。耳の印象的な少女に、完璧なセックス。長い小便。もちろん謎めいた井戸。ローストビーフのサンドイッチとサラダとブラックコーヒー。

そうそう。クルマの話って前からあったっけか。ジャガーにプリウスにボルボになんたらとか。ただし今回の音楽はジャズではなくクラシック。で、そもそも小説の重要テーマがモーツァルトのドン・ジョヴァンニです。つまり騎士団長ってのは、ドン・ジョヴァンニに夕食の招待をうけた石像ですわな。お礼にジョヴァンニを地獄に連れて行く。

しかし疑問。「騎士団長」といえば、ふつうはテンプル騎士団とかヨハネ騎士団なんかの団長でしょう()。いわば武闘派の修道会のトップ。では、なぜ貞節を誓った騎士に娘がいるんだろ。子供の頃に読んだウォルター・スコットのアイヴァンホー、その重要な筋のひとつが、騎士団の幹部の恋でした。よりによってユダヤの美女に恋してしまう。女を選ぶか、信仰を守るか。両方を適当に・・とはいかないらしい。真剣なんです。

ま、そんなことはともかく。今回の小説では独身暮らしの主人公が家でご飯をつくったりします。ブリの粕漬け、漬物、胡瓜とワカメの酢の物、大根と油揚げの味噌汁。和食って非常に珍しいですね。びっくりです。そもそも家に米の買い置きや漬物や炊飯器があったとは。炊飯器はタイガーだったのか象印だったのか。

 

モーツァルトのは一般に「騎士長」とかいう表記が多いですね。これなら俗世の騎士の感じが少しするし、娘がいて当然か。でもやっぱ小説としては「騎士団長」のほうが、響きがいいんでしょう。

 

jiburibungaku.jpg岩波書店★★

鈴木敏夫ってのはスタジオジブリのプロデューサーですね。いまは代表取締役らしい。かなりの有名人です。そのエッセイ集。雑文集。

でまあ、彼の主な仕事は宮崎駿とか高畑勲をなだめたりスカしたり、けしかけたり。そんなふうにしてアニメを作ってきた。ライオンと虎を飼ってるようなもんです、たぶん()。仲間でもあり、飼育係でもあり、調教師でもある。そういえば「おとうさん」という表現が書中にありました。

売れているプロダクションといっても、実はけっこう苦しい。一発失敗したら後がないかもしれない。どこかで書いてます。魔女の宅急便かな。それまでけっこういいのでこの調子・・と思っていたら関係社に「全国のヤマト運輸さん、前売りを買ってくれないんですか?」と難詰された。業界の常識ですわな。とうぜんそうすると思われてたわけです。ボーッとしていた鈴木がプロデューサとして素人だった。あわてて手をまわしたそうです。

で、以後は本気モード。順調に進んでいるとつい楽観がはびこる。千と千尋。「ほっといても、もののけの半分は売れるでしょ」とか周囲に言われて逆に火がついた。猛烈に売り込んで、結果的に記録的な数字を叩き出したそうです。

などなど。ま、全300ページの3分の1くらいはけっこう面白いです()。それはともかく。ジブリと関係できる前、徳間書店にいたとは知らなかった。「週刊アサ芸」。そうか。それで最初は徳間康快がジブリの社長だったんだ・・。

 

先輩から教えられた「ミヤさんとのつきあい方」の秘訣 = 大人と思えば腹もたつ。子供と思えば腹がたたない
作家やアニメ作者なんかとの鼎談がけっこう入ったりもしている。
表紙の絵は鈴木敏夫です。題字もそう。宮崎とか高畑がいるから静かにしているけど、ほんとうは絵にもかなり自信がある。

 

ippatuyafuhoni.jpg朝日新聞出版★★

山田ルイ・・・はお笑いコンビ『髭男爵』の太っている方、右側に立っている芸人の名前です。通常、ボケとかツッコミという言い方をするようですが、実はこれがわからない。ボケが何をする役割か、ツッコミは何をするのか、知らんです。

ネットで山田ルイがいい原稿を書くということを知り、ためしに読んでみようと思った次第です。図書館で検索すると「一発屋芸人列伝」「一発屋芸人の不本意な日常」の2冊がすぐ予約できました。列伝のほうが年度が古い模様。

「・・・列伝」は文字通り、一発屋といわれる芸人たちのあれこれです。レーザーラモンとかテツandトモとか残念サムライとか安村とか。ま、10人ほどかな。これが新潮45の連載だったというのが面白いですが、中身はだいたい想像通り。登場芸人がみんな山田ルイと親しいというわけでもないし、みんながみんな魅力的ということでもない。まったく聞いたことない芸人も何人かいました。

そうそう。この連中が過日、会を作ったんだそうです。一発会。集まってそれぞれ、お前は何発に相当するかなどど笑いあった。小島よしおは売れたから1.5発か2発だろう。髭男爵は0.8発か、などなど。楽しい会なのかほろ苦い会なのかは不明。ただ、誰も終わってから「次、行こう!」とは言わなかった。タクシーで帰ったやつもいなかった。そう「・・不本意な日常」で書いていました。

たしかによく書いていますね。読ませます。それでも、2017年に連載の「・・列伝」はちょっと面白さを狙っているかな。この本は評価されて、なんか賞をもらったようです。

ippatuyaretuden.jpg「・・日常」は2年後の2019年刊で、テーストはちょっと苦い。一発屋として生きることの中身を正直につづっている感じです。淡々として、少し辛い。

「・・列伝」は少し笑える。「・・日常」は少し本音、真剣。読後感はどっちも悪くないです。

 

「一発屋芸人列伝」
新潮社★★

 

inugahoshimita.jpg中央公論社★★★★

たぶん読んだことがあると思うのですが、ぜんぜん覚えていない。武田百合子が夫の泰淳、友人の竹内好、3人で1969年にロシア旅行「白夜祭とシルクロードの旅」に参加した記録です。

1969年は昭和44年。ソ連はブレジネフです。プラハの春の介入の後くらいかな。まだまだ厳しかった時代だし、日本もオリンピックから5年、ようやく発展しはじめたという頃合いですね。

横浜からソ連船でナホトカ、列車でハバロフスク、ハバロフスクからは空路でイルクーツク、そしてノボシビリスク。そこからアルマ・アタへ。

イルクーツクはバイカル湖畔のけっこう大都市ですよね。大昔、東京へ夜行で出てきて「イルクーツク物語」という芝居を見たことがある。奈良岡朋子だったかな。民芸。最初は平凡なオバハンだったのに、演じているうちにどどんキレイになった。

ノボシビリスクってどこだ? 調べてみたらモンゴルの北西あたりです。としか言いようがない。で、そこからアルマ・アタなんだけど、これも現在は「アルマトゥ」という名前で、ま、カザフスタンにある都市です。それ以上は無理。

で、あとはタシケントとか暑いところをウロウロ。グルジアから最後はレニングラードに飛んでモスクワに南下して、いよいよストックホルム、コペンハーゲン。

まあ、考えるだに大変な行程です。よく行く気になったなあ。食べてるものはたいてい「パン、チーズ、ヨーグルト、タマゴ、シャシリク」。シャシリクってのは、ま、肉の串焼きですね。あのへんの定番らしい。

暑いからひたすらティを飲み、ナントカ水を飲み、ビール(みたいなの。まがい)を飲む。機会があるとブランディとかワイン買い込む。竹内好は早朝に起きてしまうと、明るくなるまでひたすら部屋で飲む)。歯のない武田はシャシリクが出てくると情けない顔をする。百合子は強い酒を買いに行くと子供あつかいされて「こっちのレディス用にしろ」と、アルコール度の弱いのばっかり勧められる。

百合子の日記はいいです。特記すべきことはなにも書かれていないのに、面白い。竹内と武田の仲がいいような悪いようなやりとり()。同行のひときわ高齢、銭高老人の行動とつぶやきの数々。

本筋とは関係ないけど、最後の方で出てくる「コペンハーゲンからヘルシンキが見える」の件。え? まさか・・・。ちょっと自信を失いかけたけど、やはり勘違いで、ヘルシンキではなく、スェーデン海岸のヘルシンボルグ(ヘルシンボリ)でした。

 

そうそう。竹内夫人からは「あまり酒をのまさないように」と頼まれていたんだった。もちろん、竹内好はひたすら飲む。泰淳も飲む。百合子もガンガン飲む。

竹内も武田も、もう体力がなくなっています。残り少ない日々をこの旅につかった。「つれて行ってやるんだからな。日記をつけるのだぞ」と指示されて、百合子はせっせとメモをとった。たしか富士日記も同じような指示で書くことになったはずです。

版元である中公の書誌データに「天真爛漫な目で綴った旅行記・・」とあった。うーん、かなり違いますね。出版社の中の人が無神経に『天真爛漫』なんて言葉を使っちゃいけないです。そういえば山田風太郎だったか、どこかの本の帯に「老残の食日記・・」とかいうキャッチを発見してあきれていました。ほめたつもりで『老残』と書いていたらしい。

 

hoheinohonnryo.jpg講談社文庫★★★

浅田次郎の自衛隊もの。短編の連作で登場人物は共通。浅田の旧軍ものでは占守島()の話とかありますが、自衛隊ものってありそうでなかったような。

浅田が属していたのは市ヶ谷の普通科連隊です。たぶん1970年台の話でしょうか。ちなみに三島が市ヶ谷で演説したのがちょうど1970年(昭和45年)、その後に入隊したらしい。

浅田の小説ですから手慣れた面白さですが、そうか、当時の自衛隊ってそんな感じだったんだ。新兵の質もひどいですが、ま、当時のことですからね。不良だろうがヤクザだろうが、なんでもいいんで募集係がかき集めた。全国の中学にさかんに募集のビラなんかが貼られていた時代です。

隊員の日常も旧軍の内務班さながらで、毎日しょっちゅう誰かがぶん殴られてます。ま、それでも旧日本軍ほど凄惨じゃないですが、でも殴る程度は日常茶飯。殴る理由もかなり理不尽で、メンコの数かさねた古参兵(8年兵!)が虫の居所が悪いという理由だけで殴るとか。

先日最終回があったらしいイケメンだらけの自衛隊青春ドラマ(たしかフジ。「テッパチ」だったっけ )なんかとはまったく異質です。ニューギニア生還とか予科練とか、当時はまだ旧軍の生き残りが自衛隊に残っていたらしい。

そうそう。この小説でやっと自衛隊の階級を覚えました。二等兵は2士、一等兵は1士、上等兵が士長。兵長は3曹で、軍曹は1曹。准尉という階級もまだ存在したんですね。(

 

千島列島の北端の島。もう終戦と思っていたのにソ連軍が上陸してきて、戸惑いながらも守備隊は善戦。手間取ったため、簡単に北海道の半分占領という計画が崩れてスターリン激怒。生き残りの兵はシベリアに送られた。

運動部ノリの隊員たちはドラマだからまあ仕方ないけど、防大卒バリバリ指導教官(2尉=中尉)が小柄色白のヒヨヒヨ女優というのはいけない。せめて日焼けドーランを塗ってほしかった。

たしか野間宏の真空地帯で知った階級です。少尉と曹長の間。ノンキャリのいちばん上ですか。

 

mahouwomeshiagare.jpg講談社★

途中で挫折。考えてみると瀬名秀明の本、最後まで読んだことがあっただろうか。たとえば「パラサイト・イヴ」あるいは「あしたのロボット」。うーん・・・。

レストランで客の待ち時間にマジックを披露する若者の話です。いろんなマジックの話。なぜか同行する人間そっくりの少年型自立ロボット。なんか高校時代に悲劇があったらしい気配。 ただ、妙に明るい雰囲気。

で、挫折。相性が悪いんだろうなあ

 

思い出した。池澤夏樹もそうで相性がわるい。最近なんとか最後まで読めたのは「ワカタケル」ぐらいかな。最初に出会った「マシアス・ギリの失脚」は楽しかったんですけどね。ただしダメなのは小説だけ。エッセイの類はかなり好きです。

 

yumekumano2.jpg集英社★★★

紀和鏡は中上健次の奥さん。「気は狂」と命名したのは亭主らしい。伝奇小説を多く書いているもよう。和歌山生まれかと思ったら、東京っ子でした。

この小説、たぶん4回目です。ずっしり分厚くて、決して寝ころがっては読めない。それにしても「夢熊野」というホワホワした題名はあんまり合わないなあ。カバーもピンク系がつかわれていて、装丁が違うと思う。

主人公は賢くて美女で活動的で源為義の娘。つまり義朝の妹、八郎為朝の姉、頼朝や義経の叔母。それどころか熊野ふきんに残る強力な巫女の血筋で、伝承のヤタガラスなんかとも関係がある。妖女。60すぎても20歳くらいには見える。

そうそう。今年の大河ドラマでも熊野牛王の誓紙が出てきましたね。書かれた誓約に反すると全身から血をふいて死ぬこと間違いなし。たぶんヤタガラスが全国をまわって、違反者には毒でも飲ませるんだろうな、きっと。こうして熊野権現の権威が保たれる。

ま、その程度に思っていましたが、「誓約が破られると、熊野のカラスが一羽、枝からボトリと落ち、そして違反者が死ぬ」という趣旨の話をどこかで読みました。単に罰するだけではなく、代償として一羽が犠牲になる()。面白い発想だなあ。

ま、それはともかく。ヒロインが完璧すぎて大昔の少女マンガみたいなんですが、でもしっかり読ませます。村の住人には愛され、ヤタガラスの少年にはひそかに慕われ、海賊の跡継ぎにも惚れられ、なにかと助けられ、野心に満ちた熊野の別当たちは婿として通ってくる。おまけにトシをとらない。

つまり熊野三山の次期別当になろうとするならこの主人公、たずひめ=鶴姫のバックアップがぜったいに必要なんですね。それどころか鬼か天狗か、不可思議な異族まで登場して子供を孕まされてしまう。生まれるのはもちろん鬼の子供です。

そうか。ナウシカなのか。風の谷の住民も他の部族も、みーんなヒメさまにあこがれる。オウムの群までが心を通わせる。こうして八百比丘尼さながらの「丹鶴姫」「たつたはらの女房」伝承が生まれる。そうそう。ヒロイン設定はともかく、中身の大部分は平安末期から鎌倉初期、熊野三山の政治史、権力史みたいなものです。熊野伝承の民俗的な語りもけっこうあります。

 

熊野にはいまも丹鶴伝説というのが残っているらしいです。平安装束の怪しい女が出てきて悪さをする。子供をさらう。あな恐ろしや。

一羽ではなく三羽死ぬともいうらしい。真偽は不明。

 

tennoutaii.jpg中央公論新社★★★

御厨という名前、ときどき目にします。たぶん政治学者でしょう。立ち位置も不明だけど、少し保守寄りなのかな。令和改元が5月1日になった件で「改元の日はメーデーですよ」とか感想を述べていたらしい。着眼点がユークだなあ。

それはともかく。平成天皇がいきなり辞意をもらした件。意志のないはずの「象徴」が重大な政治的な生身の話をしたわけで、けっこう騒ぎになりました。

さすがに放置しておくこともできず()、政府は有識者会議を招集。その座長代理をつとめたのが御厨氏です。で、あとになって、天皇発言についての記事やら談話やら論説やらをいっぱい集めて本にした。いちおう中立な立場で、ざっと400ページです。

日時をかけてそれをずーっと読みました。面白い意見もあったし、つまらないのも多かったけど、それでも350ページくらいは読破したかな。いわば九合目。で、ついに挫折。頂上まで行くことがなにか意味あるわけじゃないので、これでヨシとします。

それぞれの記事の細かい感想とは別に、通して読むと徒労感がありました。なぜか・・・と考えると、要するにそもそも天皇制そのものが不自然でおかしいからですね。戦後のバタバタ騒ぎ。ゆっくり新憲法を練っていた松本委員会に対してGHQから指示が下り、進駐軍の若い理想主義者たちが急ごしらえ。また政治情勢から天皇退位・天皇定義のつきつめを避けた。つまりは理想主義と現実、妥協の産物なんでしょうけど、しかしできあがったものをまじめに読むと、こんなヘンテコリンな憲法というか「法」はないです。

中学校で、天皇は「象徴」と教えられました。なんとなく納得していたけど、後年、これを英語にすると「symbol」と知ったときはかなり愕然とした。シンボルですか。象徴とシンボルではかなり雰囲気が違う。漢字とカタカナの差。ありがたみが消える。で、生身の人間がシンボルになってしまうというのははて・・・。

平成天皇(上皇) が日本各地へ出向いたり、避難民に寄りそったり、それどころか膝を折ったり。こうした行動が国民の共感を呼んだことは事実ですが、でも法としての「憲法」からすると違反行為です。あきらかにシンボル逸脱。でも、それが悪いか!と平成天皇はたぶん考えた。

だから海外、サイパンやベリリュー島にも行った。海上保安庁の巡視船にも泊まった。宮内庁はかなり反対したようですね。でも天皇は強行した。それこそが象徴としての責務であるという強い意志があった。

で、これからどうするんでしょう。そもそも政府は皇室典範にさわりたくないらしい()。女性宮家、女系天皇の是非も論じたくない。ひょっとしてここにも統一教会の影響があったのかなかったのかは知りませんが、結果的に面倒なことはすべて先送り

そうそう。「天皇は何もするな。几帳の中にこもってひたすら祈っていればいい」という類の論もけっこうあったようですね。確かにそういう理屈も可能で、天皇をお祈りロボットかつ決済印ロボットにする論。極度の理想主義で、さすがに無理がある。すべては戦後に天皇問題をきちんと総括しておかなかったツケでしょうね。日本政府も政党も企業も、みーんな総括が嫌い。ややこしい問題をすべて先送りにした。()

 

この騒ぎでアベの改憲発議の機運がそがれてしまったという説もあるらしい。

戦後の学者の中には「典範」という特別な呼称はおかしい。単なる法なんだから「皇室法」にすべきという意見もあったとか。なるほど。卓見。鋭いひとがいたんだなあ。

少子化問題とか、議員定数是正とか。国債発行とか。原発のゴミ処理とか。みーんな先送り。ツケは後世に。それが楽です。

 

souseki-okuizumi.jpg河出書房新社★★★

杉浦日向子 増補新版」と同じで、文藝別冊のムック本。中身は「夏目漱石」です。ちなみに作家の奥泉光という人は、かなり重度の漱石オタクで、このムックにはパスティーシュ「『吾輩は猫である』殺人事件」の一部も掲載されています。

うーん、という程度しか説明できないですね。

巻頭が奥泉光、斎藤美奈子、高橋源一郎の鼎談。みんな勝手なことしゃべって面白いです。

そうそう。水村美苗という人が、違いすぎる漱石と谷崎を比べていろいろ書いてるのも悪くない。あの特定の時代に漱石があらわれ、この時代にはたまたま谷崎だった。もし逆だったらどうなったことやら。両人にも不幸、読者にも日本にとっても大不幸。

定番といわれる作品の一部だけを抜粋一覧した企画もよかったです。あまり読んでない人への手ほどき。そうでもないと、まったくイメージのわかない小説も多い。

・・・という具合にずーっと最後まで読んで、結局のところ自分は前期三部作では「三四郎」だけ、後期三部作からは「」しか読んでいないけど、でもこれで十分だったという気がします。

要するに漱石を軽んじるのはナンだけど、かといってあんまり崇めすぎるのもナニ。「草枕」の理屈展開と描写にワケわからなくなったり「虞美人草」の藤尾の結末で困惑したのは当然だったんだな、と一安心した次第です。

はい。やはり漱石は猫と三四郎だけでもいいんだ。けっして悪くない洗濯 選択。

 

tenkanokisha.jpg文藝春秋★★★

たとえば夏目漱石の若い頃、どこであれほどの学力を身につけたのか‥と調べてみると、たちまち迷路に迷い込みます。次から次へと有象無象、いろんな学校というか塾というか、出たり入ったりしていて、そのうち天下の学士様になってロンドンへ行っている。いつ英語を身につけたんだろ。

ま、そういう時代であり、そこをくぐり抜けてきた人間の才能・努力が桁外れだったわけでしょう。

漱石より少し前()の万延元年に生まれて、明治9年に東京開成学校()に入学。入学時は数十人だったもののその後の変遷6年を支障なく通過し、明治15年に東京大学)を文学士として卒業できたのは27人しかいなかったそうです。全国でたった27人。この中に山田一郎という奇人がいた。

この連中、もちろん全国から選り抜かれたピカイチの秀才です。日本には学ぶに値するものがないから基本的にずーっと英語で勉強した。英語で聞き、英語で読み、英語で考え、英語で書く)。もちろんピカイチだから、ふつうの教養である漢文もスラスラ書けるし読めるが、それでも日本語は英語ほど上手じゃないという人が多かったらしい。

どんな連中だったか。このへんの事情は坪内逍遥の「当世書生気質」を読むとわかる。逍遥の卒業は、この万延元年組よりちょっと遅かったらしいです。だから山田一郎とは直接かかわりません、たぶん。

大隈重信のフトコロ刀といわれた小野梓という人がいて、この小野梓のまたさらに子分が同級にいたため、万延元年組の学生は大隈となにかとつきあいが生まれた。ところが明治14年の政変で大隈が官を追われ、その後の国会開設運動とか改進党の結成、専門学校設立(早稲田大学です)とか、いろいろあって、要するに政府が官吏養成のつもりで送り出した卒業生が、かなりの比率で反政府運動(ま、ですわな)に身を投じた。

で、この新規誕生の文学士たち、当座は政府のいうこともきかず好き勝手やってましたが、なにしろみんなピカイチだから諸分野で頭角をあらわす。頭角というより、その分野のリーダーになってしまう。たいてい20代の後半あたりで才能がキラメキだす。

ところが一人だけ、あんまりキラメかなかったオトコがいた。これが山田一郎。だいたいクセのある人だったらしく、素直じゃない。やけに韜晦する。おそらく几帳面な人なのに、思い切って豪傑ぶる。たとえば衆院選に出馬したのに、妙にイジイジして自分を宣伝しない。出馬しているのかどうかさえ明確にしない。「ぜひ一票を!」と言えない人なんでしょうね。結果はなんと97票。

よせばいいに東京を離れて、地方に逃げてしまった。天下の秀才、学士様。地方でももちろんチヤホヤされるけど、ただそれだけで未来がない。ボヤボヤしていて機会を失ってしまった。

こうして、天下の文学士なのに何にもなれないオトコが誕生した。地方新聞社に入ったりもしたけど、長くは続かない。地の才能はあるんで、その後はやたら記事を書きなぐっては地方に送って生活。元祖フリージャーナリストです。大酒のんで大貧乏みたいなことを言ってたけど、たぶん金はそこそこ持っていた。ほんとは潔癖で、朝起きると洗面うがいナニナニ‥と、たっぷり2時間かけたとか。風呂にはいると指を一本々々ていねいに洗いはじめるんで周囲が迷惑したとか。

ボロをみかねてプレゼントされた高級着物は何枚もあったのに、なぜかいつも汚い格好ですごす。1日1食、ただし時間かけてゆっくり酒を飲んでからやたら食う。高価でうまいものをたっぷり食う。演説始めると何時間でもしゃべる。グチグチイジイジしゃべる。原稿もダラダラダラダラ、いくらでも書ける。不器用だったのか、不器用を気取っていたのか。

友人たちは「天下之記者」と呼んだそうです。他に言いようがなかったのかもしれない。そんなオトコが大昔にいた。

 

漱石は慶応三年ですから、万延元年というと5~6年前ですね。 

東京開成学校 → 明治初期、こういう名称の学校があったわけです。もちろん開成高校とはまったく無関係

東京大学 → 帝国大学とか東京帝国大学とも違います。このころは「東京大学」という名称だった。コロコロ変わった

英語 →だから英語が得意ではない正岡子規は「劣等生」だった

早稲田大学 →早稲田創設に貢献した三傑とか四傑とか称した場合、山田もいちおう数人の中の一人に勘定されるらしい

 

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