「莫言」と一致するもの

★★★★ 文藝春秋
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太平洋戦争の真の責任者は誰だったのだろうというテーマです。ただし軍人をリストアップすると(当然のことながら)候補が多すぎるのであえて民間人に限定。さらにグググッと絞って広田弘毅、近衛文麿、松岡洋右、木戸幸一の4人とオマケで天皇。はて、彼らは有罪か情状酌量の余地ありか。

半藤一利がいわば検事の役割でまず難詰します。それを加藤陽子がなるべく弁護する。加藤陽子という人、文藝春秋なんかでよく活躍している歴史学者だそうです。日本の近現代史が専門。

で、内容ですが、想像していたとおりですね。まず広田弘毅は決して無実とはいえないようで、戦争突入の責任がかなりありますね。半藤ジイさんは「広田って気分的には軍人だったんじゃないかな」。要するに城山三郎さんが「落日燃ゆ」でちょっと持ち上げすぎ。それほど見識ある人物じゃなかった。

次に近衛文麿は、まあ想像通り。天皇の前で足を組みかねないほどの格で、頭も切れるし実行力もあるはず。なのに、肝心な場面では何もしない。本人なりには構想があるらしいんですが、なぜか間違ったことばっかりやる。そしてすぐ逃げ出す。要するにお公家さんです。徳川慶喜みたいな部分もある。一見すごいのに結果が伴わない。信念と覚悟がない

定番の松岡洋右。みんなが非難するほど悪いやつではなかったかもしれない。悪名高い国連脱退も三国同盟も、すべての責任を松岡にかぶせるのはすこし酷。性格が性格なんで誤解されるのも仕方ないし、実際天皇にも嫌われた。ま、だからといって同情すべきタマでもないようですが。

そして木戸幸一。私、この木戸についてはほとんどイメージがありませんでした。なんか静かな老人という雰囲気でしたが、写真をみたらだいぶ違いますね。ひそかに「野武士」と豪語していたらしい。木戸孝允の孫で役人出身で背が低くて天皇の側近で、たぶん非常な策謀家。で、ゴルフばっかりしていた。


読み終えて感じたのは、当然のことながら人物も動きもグタグタ錯綜して、時代は複雑怪奇だったんだなあということ。軍部が独走して政治家が小心で、だから戦争になった・・・なんて簡単な話にはならない。

たとえば外務省の主流は対米強硬派で、日米交渉にあたった野村吉三郎を邪魔し続けた。周囲や部下が妨害して交渉がうまく運ぶわけがない。一時期ですが、陸軍よりも海軍よりも外務省が強硬だったこともある。また新聞も雑誌もいい気になって行け行けドンドン囃したてて、軍も政府も迷惑するほどだった。ただし末期になると、逆転して締めつけの対象になったけど、身から出た錆。だからこの連中が「過ちは二度と繰り返しません」なんて言っても、けっして信じないほうがいい。

陸軍は皇道派と統制派が争い、政府にとって実は「陸軍の対ソ強硬派がムチャするんじゃないか」がいちばん心配だったらしい。もしソ連がシベリアから軍を西に移動させる動きになったらすぐドンパチ始まったかもしれない状況だった。ということで陸軍の強硬な北進論を中和させるために、政府は南進論を許容した。結果的に両論併記。もちろん最悪です。

そうそう。日本の方向を決めてしまった感のある三国同盟ですが、あれの本質はドイツと組むというより「英国が負けてからの戦後処理」にあった。太平洋、東南アジアから英国が撤退したあと、ドイツと権益を争うのはまずい。そこをスンナリさせるための同盟だった。ま、そういうタヌキの胸算用が三国同盟。要するに「カネメでしょ」が本筋。

開戦までの間、実は中国から手をひいてゴタゴタをおさめる機会は何回かあったようですが、常に問題になったのは「英霊に申し訳ない」。要するに賠償金なりなんなりのお土産が得られるかどうかです。お土産ナシじゃ引っ込みがつかない。近衛や天皇までそういう気分で、少し景気のいい状況にしてから和平を提案しようという構想。みんなそういう考えなので、ズルズルズルズル続いてしまった。それでも昭和16年の11月初めまではまだ戦争を避ける道筋がかろうじてあったらしい。

軍人、政治家、役人、みんなが勝手な構想を描いて、勝手に動く。けっこう情報も握っていたんだけど、いろいろ思惑があるため握りつぶして共有しない。みんな少しずつ度胸がなかったり、少しズルかったり、意志が弱かったり、勘違いしていたり。そうした「スベテ」の結果が12月8日開戦であり、4年後の敗戦につながった。

それはそれとして、読み終えて「こいつが一番悪い」と感じたのは木戸幸一ですね。目立たないけど、暗躍している。

木戸幸一。天皇といういちばん肝心な部分の情報ルートの玄関番をやって、情報栓を恣意的に調節していた。本人的には「すべてお上のため」なんでしょうが、なんか動きが常に怪しい。で、そうした情報操作や組織・人事は後になってものすごく効いてくる。東條英機なんてのを引っ張りだしたのもやはり木戸幸一。キーマンでした。ちなみに東條英機は単なる生真面目で融通のきかない人間のようです。重要な時期に重要な地位につけてはいけない官僚軍人の典型。

長くはないけどなかなか面白い本でした。

これと一緒に莫言の「酒国」、賈平凹の「廃都」も借り出してたんだけど読みきれず。暑さでボーッとしているうちに期限がきてしまった。またの機会を待つか。


「莫言の思想と文学」莫言

★★ 東方書店
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東方書店という版元、名前だけは知っていたし神保町店舗の前を通ったこともあるはずですが、発刊の本を実際に読むのはたぶん初めてです。

内容は世界各地でおこなった莫言の講演集。語られているのは例によって例のごとく、貧しく飢えていた少年時代とか、作家になって三食ギョウザを食べたいと思ったとか。金が入ったら腕時計と革靴買って、故郷の街で女の子にみせびらかしたいと思ったとか。

そうそう。新しいことといえば、本人が「酒国」を最高傑作と自負しているらしいこと。たしか初期の本ですよね。へぇーと驚いたので、さっそく図書館で閉架の酒国を予約しました。なぜかこれを読み残していた。

「父を想う」閻連科

★★★★ 河出書房新社
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閻連科は「愉楽」の人です。マジック・リアリズムとか称されて、たぶん悪くはない小説なんでしょうが、個人的にはあまり合わなかった。

で、この「父を想う」はタイトル通りで亡き父や伯父、叔父たちについて書いたもの。回想といってもいいかもしれません。前書きによると、叔父の葬式で帰ったとき姪から「連科兄さんはいっぱい本を書いてるけど、私たちのことを書いたことはないわよね。みんな亡くなって迷惑かけることもないし、書いてみたら」と言われた。

確かにそうだ。父は早くに亡くなった。伯父は不自由な体にはなったが長生きした。そして叔父もまた亡くなった。父の兄弟はみんないなくなってしまった。はてしない忍耐の人生。生きること、労働、尊厳、死。いろいろ考えます。気負わず、書き残しておくことも必要なのではないか・・。


飾ることなく、生き抜く農民の暮しを描いた、いい本です。とくにドラマチックなことは起きませんが、余韻が深く残ります。

考えてみると、これ、農民の人生なんですよね。いままで読んだ賈平凹(老生)とか余華(血を売る男兄弟)などなどの場合、舞台は農村のようですが、実は違う。農民たちが集まるような小さな町の話でした。だから登場人物も町工場に勤めていたり、小売り店だったり食堂だったりしている。純粋な農民とは、やはり少し違う。つい似たようなものと思ってしまいますが、実際にはかなり違う。

地面に這いつくばった惨めな農民の生活を描いたのは、この閻連科と莫言くらいでしょうか。

新生中国、農民は貧しいです。飢餓の3年をなんとか生き延び、朝から夜まで身を粉にして暮らしている農民にとって、中央のことなんてまったく関係ない。生きることだけで精一杯。ある日とつぜんお役所から「大学入試ができるようになった」とか「張、姚、江、王の四人組が・・」と知らされても、何のことか見当もつかない。

家が貧しいため著者は高校中退ですが、ある日突然受験できる知らせを受けた。入試といっても毛沢東を褒めたたえる作文を延々と書くんですが、うっかり志望を「北京大学」にしてしまいます。さすがに北京大学は難関。あえなく失敗。しかし他の大学の名前なんてまったく知らないので仕方ない。

父も伯父も子供たちが結婚できるようにするため、必死に働きます。娘には嫁入り支度を整えてやる。息子には新居として住める瓦屋根の家を建てる。それをなし遂げることが男としての誇りです。その義務を果たしたら、もう終わり。ようやくホッとして余生を過ごす。

そうそう。文革期の下放についても書いています。都会から知識人たちが農村へやってくる。やることもなく(まともな仕事ができるわけがない)プラプラしてタバコを吸っている。お達しであちこちの農家で食事をとることになっていて、夕食を分担した家では貴重な小麦粉を使った食事をふるまう。ふだんはサツマイモの麺を食べているような農家にとって小麦粉は貴重品。全員が食べる量なんてあるわけないので、食事時になると子供たちは追い払われる。お腹をすかし、たぶん食い入るような目で母親の作る小麦粉のセンベイとか麺とかのご馳走を見つめていたんでしょう。

この食事、一応は少額のお金を払ってもらえたようです。ただし、まったく足りない額。たまりかねて農民たちはクレームをつけたらしい。これ以上続くとみんな飢え死にする。

著者は高校へ進学します。しかし一軒の家からは一人だけしか行けない規則。一人だけと知らされて顔を見合せ凍りつく自分と姉。このへんの描写は泣けます。姉は辞退を決断します。

しかしせっかく行けた高校も、中途退学するしかない。少しでも現金収入を得るために肉体労働を始めます。16時間労働で、家にも帰らず現場で8時間休む。涙が出るほどきつい。苦しい。ああ、村から出ていきたい。都会へ行きたい。もっと人間らしい生活がしたい。こちら側の世界からあちら側へ。そして著者は人民軍へ志願することを決断。これは惨めな田舎からの脱走です。

貧しさから逃げ出して軍に入り、それからどうやって成功したかは描かれていません。やがて結婚した奥さんは都会の人だったようです。死の近づいた伯父は自分の葬儀をことこまかに指示します。そして「お前には一つだけお願いがある。葬式には必ず帰ってきてほしい。しかし奥さんは都会の人だし・・」と言うと「嫌がるようなら離婚します」と断言。それを聞いた病人は嬉しそうに笑います。

そうやって、老人たちは一生を終えた。著者は「尊厳ある死」と考えます。



2016年に読んだ本

今年は雑読エントリー数が75。少ないです。★★★★評価なんてあったかな?と検索かけてみると、それでも一応はありました。えーと8冊ですか。ま、そんなもんでしょう。


「三四郎」 夏目漱石

sanshiro2016.jpgなんで読もうと思ったのやら。田舎青年が東京に出てきてマゴマゴする姿が楽しい。気負いやら気後れやら狼狽やら。青春小説ですね。そうそう、なぜか人気らしい「坊ちゃん」、こっちを青春小説と称するのは奇妙な気がします。ついでには言えば「心」もあまり感心しません。漱石らしくない。

ただ若い頃の読み方と年取ってからでは変わりますね。子供の頃は美禰子さんが神々しく映った気がします。落ち着きはらって胆がすわって、若い女とは思えない。小説なんだから当然、三四郎と美禰子は恋愛関係になるんだろうと思っていたら、あれれ、なんか変だなあ。

人生経験経てから読むと、なーんだ、若い三四郎はからかわれているんだ。からかうという言い方は少し違うかな。要するに美禰子に振り回されている。ただし美禰子が自覚して男どもを振り回しているとは限らない。天然自然、それが「女」なのかもしれない。三四郎がグイッと迫ったら、ひょっとしたらの可能性があったかもしれないし、ダメだったかもしれない。

野々宮さんの妹でしたっけ、頭の鉢の開いたよし子。どこにも美人と書かれていないし、よし子が三四郎に好意を持っているとも書かれていない。でも読んでいるほうとしては、勝手にそう受け取ってしまう。面白いものですね。こういう小説はやはり★★★★にするしかないです。



「醒めた炎 木戸孝允」村松 剛

sametahonoo2016.jpg久しぶりに全巻通して読みました。とにかくマメで気がついて親分肌で忙しい人だった。充実しているともいえるし、生き急ぎすぎたともいえる。享年45。イライラして胃を悪くして、たぶん怒り狂いながら死んだ。

何回も書いてますが、明治の最初の10年間、よくまあ国家の形を保てたものです。薩長の政治家・首脳はみんな若僧で思いつきで自分勝手に動き回って、よくまあ国が潰れなかった。酷税に苦しんだ国民、よくまあ我慢した。もちろん暴動や蜂起もあったようですが、組織だったものに発展しなかったのが不思議なくらいです。明治維新とこの明治初期、ものすごいラッキーに恵まれたんでしょう。

話は違いますが、最近は関ヶ原の勝敗も、どうも「運」の固まりだったような気がしてきました。事後評価としては西軍の戦意のなさとかグズグズぶりが強調されますが、双方の陣構え図をみると、どう考えたって家康が突出しすぎている。本陣のあった桃配山ってのは、常識外れに西に寄った場所なんです。わざわざ自分から袋のネズミになっている。ずーっと東の南宮山にいた毛利とか長宗我部なんかが、もし気を変えて(可能性は十分ある)その気になれば完全な包囲・殲滅戦になっていた。

ただ、実際にはそうならなかった。吉川広家は動かなかったし、広家が動かないので毛利秀元も山の上に留まっていた(宰相殿の空弁当)。気の利かない長宗我部もボーッとしていた。そして決断を伸ばしていた小早川も最終的には動いた。ま、そういうことです。結果的には「さすが神君」と家康は祭り上げられますが、本当はかなりヤケだったんじゃないか。イチかバチかの賭が当たった。

大きな戦とか国家運営とか、たまたまの偶然とかラッキーがあんがい大きな要素になるのかもしれないです。ユゴーのワーテルロー戦評価に通じますね。前日からの雨で砲車が動けなかった。援軍として駆けつけるべきグルーシー元帥が気の利かない男だった。気圧の具合でお腹の疥癬が悪化したウンヌン。


「大聖堂」レイモンド・カーヴァー


daiseido2016.jpg村上春樹がよくひきあいに出すレイモンド・カーヴァーの短編集です。

どういう筋でどういう内容・・と詳細を書いても仕方ないような作家ですね。ひたすら雰囲気だけで読ませる。これといってオチがあるわけでもないし、特に叙情的というものでもない。ほんと、説明しにくいです。そうそう、表題作の「大聖堂」は、あんまり好きになれませんでした。

ちなみに書かれている題材はほとんどがアル中、離婚、失業などなど。日常が少しずつ壊れていく。読後感は悪くないけど暗いです。4評価は甘くて、実質的には3と4の中間くらいかな。




「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」矢部宏治

nazekichito.jpg故ハマコーが喝破したように「アメリカ様に逆らえない」はなんとなくの常識ですが、では日本は米国の植民地なのか。そこまでではないにしても「準属国」なのか。

実際には、ことあるごとに米国や米軍が口出ししてくるわけではないようです。そこまでは露骨ではない。しかし「安保法体系」なるものが戦後の日本を支配してきたのは事実。具体的には日米安保とか地位協定とか密約とか、細かなことなら日米合同委員会とか、複雑に糸が張りめぐらされている。事実上、こうした「体系」に逆らうような動きは不可能なんだそうです。すべてが米国の強制ではなく、日本側からの追従・迎合も多い。

仮に政府の専断に怒った民間団体が訴訟を起こしても、政府は絶対に負けない。負けないような形が整っている。だから役人は強気で行動する。役人は負ける側には決して立ちません。おまけに司法は最終的に必ず味方をしてくれる(高度に政治的な事柄に司法は関与しないという最高裁判決がありますね)。そういう形を戦後数十年、しっかり作り上げてきた。なるほど、という説明でした。

ちなみに意外だったのは日本上空の管制権。けっこうなパーセンテージのルートが米軍専用で、日本の旅客機は立ち入り禁止(だから羽田発の航空機は海側に出て行く)。これは知っていましたが、本当は「米軍機は日本上空すべての飛行権をもつ」のだそうです。

ついでですが、米国が日本を守っていると考えるのもかなり甘い。どっちかというと「日本が敵対しないように監視している」というのが近いんじゃないだろうか。ちなみに国連には「敵対国条項」がいまだに残っているんだそうです。日本とドイツは敵対国。これがまた戦争を起こさないように監視するのが国連本来の役目でした。

「連合軍」はUnited Nations、「国連」もUnited Nations。つまり国際連合などど綺麗な言い方ではなく本当は「連合国連盟」とでも称したほうが実情に合っている。それなのに敵対国の尻尾を引きずっている日本が常任理事国になろうと運動しているらしい。奇妙な状況なんでしょうね。



「お言葉ですが別巻6 司馬さんの見た中国」高島俊男


okotobadesuga_b6.jpgこの人のはたいてい面白いですが、すぐ漢字やら言語の話になるのが困る。それが専門なんだから仕方ないですが、やはり漢字絡みの話になると内容がなかなかに難しい。その点、この別巻6は比較的読みやすいです。

高島俊男という人。とにかく「やりすぎでしょ」と心配になるぐらい権威を切りまくる御老人です。作家や評論家を叩く程度ならわかりますが、飯のタネである大手出版社まで攻撃する。そりゃ敬遠されるでしょうね。ただその切り方が痛快無比で遠慮がなく、ついニヤリと笑ってしまう。

この一冊もいろいろなテーマが盛り込まれていますが、たとえば日本で歴史を贋作というか、強い影響力、勝手なイメージを作り上げてしまった元凶は3つあり、日本外史、司馬遼太郎、NHK大河ドラマなんだそうです。これは非常に納得でした。

ついでですが、日本の「儒学」はいちおう幕府から公認厚遇されていたようですが、実際にはクソの役にもたたない。その代わり害毒ももたらさなかった。それに対して国学は一見マイナーふうなのに浸透力があった。困ったことになまじ影響力をもったために非常に害をなした。本居宣長とか平田篤胤一派でしょうね。これも非常に納得しました。



「戦争と平和」トルストイ

sensotoheiwa.jpgうーん、これを★★★以下にするわけにはいかないよなあ・・という理由で★4です。そこが「名作・古典」というもの。

それにしてもこの歳でよくまあ再読しようなんて考えた。同じような「名作」でも、たとえばば罪と罰をまた読もうという気にはならない。同じトルストイでもアンナ・カレーニナや復活なんかは手をつける気にならない。大昔、つい懐かしくてジャン・クリストフを買ったけど、いまだにページを開いていない。その代わりモンテ・クリスト伯は何回も読んでいるしレ・ミゼラブルもけっこうな回数読んだ。どこが違うんでしょうかね。

で「戦争と平和」、久しぶりに読んで、やはりナターシャはあんまり好きになれなかった。ついでにピーターってのも、昔からあまり好感持っていません。アホくさい。ま、そんなことは作者が百も承知のわけで、それでも読ませるのが名作の所以なんでしょう、きっと。

だんだん好きになるのは強欲なワシーリー公爵とかヤクザなドーロホフ。ボリスという青年もけっこう好きです。そうそう、ナターシャの姉さんと結婚したケチな男もいいですね。名前は忘れましたが実に似合いの夫婦。

それはそれとして、なかなかに面白い本でした。読んでよかった。最初に読んだのが大学受験後の春休みで、ようやく読めるぞォーという解放感。何日かかったのか。コタツに座りっぱなしでずっしり重い筑摩の細かい活字にとりつきました。読み終えてしばらくボーッとしていた記憶がある。

大昔の大学の一般教養(般教)でとった国文学概論、当時人気だった助教授が「名作ってのは、読み終えると1週間くらいはボーッとするもんです。世界が変わる」とか言うていました。納得です。



「マオ 誰も知らなかった毛沢東」ユン・チアン


mao2016.jpg例の「ワイルド・スワン」のユン・チアンです。意外な事実が多かった。というより自分が何も知らなかったというべきかな。

例の長征、単なる逃亡だろうとは思っていましたが、なぜその結果として共産党が大きな力を得たのか。そこのところが分からなかった。不思議です。

この本で理解した限りでごく大胆に言うと、まず国民党が自壊した。失望を買ったんですね。それに代わるものは何か?というと、可能性として共産党しかない。

そんな中、地方組織から権謀術数の限りを尽くして毛沢東がのし上がってきた。方法はシンプルで、とにかくハッタリと嘘。思い切って大胆にやります。そして反対派を徹底的に殺した。もちろん文句をいう農民も無慈悲に粛清。権力を握った。独裁ですね。そして田舎に籠もったため、都会の若者たちには実態が伝わらず、まるでマルクス主義の理想郷のように喧伝された。

ちょうどオーム教団です。腐敗した国民党に絶望し、熱に浮かされた都会の青年たちが延安に吸い込まれていく。そこから(生きて)出てくる連中はいない。神話だけが先行して中身が見えない。実際には逃げようとした連中はたくさんいたけど、みんな殺された。不思議な熱気があったようです。

毛沢東という人、やはり天才なんでしょうね。嘘を言うことに躊躇がない。邪魔になる連中を抹殺することにもためらいがない。いかにも恨みをかって暗殺されそうですが、見事なくらいに臆病で保身に走る。そしてひたすら宣伝々々。宣伝し続ければ嘘も真実になる。

例の大躍進。農民がどんどん餓死した理由の一つは、失政でただでさえ乏しい食料を海外輸出し続けたからのようです。ソ連から高価な武器を買いたいけど、貧しい中国にはほかに輸出するものがなかったから食料を売った。その結果人々が死ぬことにまったく関心がなかった。1億死のうが2億死のうが、それがどうした。(悪い意味で)傑出した人間です。

そうした毛沢東に抵抗する者はいなかった。いたことはいたようですが、みんな途中で(周恩来のように)くじけた。くじけなかった者は抹殺された。



「老生」賈平凹

rousei.jpg中国にも素晴らしい作家はたくさんいる。ひょんなことから莫言を読み始めたのがキッカケで、高島俊男さんの紹介する作家リストなどを参考に、図書館で発見するたびに少しずつ読んでいます。この賈平凹もいい作家でした。

「老生」は年齢不詳の弔い師(弔い唄をうたうのが仕事)を狂言回しに、国共内戦、土地改革と人民公社、文化大革命、そして開放期。一つの村に住む人々の愛や欲望や憎しみ、殺し合いをずーっと追ったものです。現代中国ではこういう大河スタイルの小説が非常に多いですね。他に書きようがないのかもしれない。党を直接批判せず、しかし婉曲にでも抵抗の姿勢を見せるのは非常に難しいのだと思います。

そうそう。記述の背景として、山海経(せんがいきょう)の読解があります。意図がわからないし成功しているとも思えないのですが、たしかに奇妙な本らしい。まさに怪書。ひたすら天下の山や海、そこに住む怪物や産する鉱物を延々と記述している。こういう内容の本だったのか・・と知っただけでも凄い。ほんと、中国にはなんでもある。



「群雲、関ヶ原へ」岳宏一郎

murakumo2016.jpg関ヶ原ものの定番ですね。登場人物がいったい何人いるのか。それぞれの武将がそれぞれの思惑で必死に生き残りをかける。卑怯な奴もいるし、バカ正直もいる。うまく成功した武将もいるし、なぜか失敗してしまったものいる。文字通り「命をかけて」の駆け引きであり、どっちが勝つかの読み勝負。そうした大小の「群雲」たちが関ヶ原の一点へ向けて収斂していく。司馬遼太郎とはまた違った味で、傑作と思います。

登場する人物みんなが必死に生きているからか、読後感は爽やかですね。家康は不器用で愛嬌があるし、三成はもっと不器用で傲岸不遜だけど、可愛いところもある。完全なヒーローなんていないし、悪人も敵役もいない。唯一、上杉景勝だけがちょっと綺麗に描かれすぎで、これは作者のエコヒイキでしょう。

さすがに何回も読みすぎて、どこかの章を読み出すと「ああ、こういう話だったな」とすぐ思い出す。すぐ思い出してしまうのは詰まらないですが、それでも時折は読み返す本です。




「老生」賈平凹

★★★★ 中央公論新社
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賈平凹という人、中国では莫言とならぶ有名作家らしいです。ただしまったく読んだことがなかった。

もうかなりの年配らしく、後書きではちょっと歩くとすぐ息があがるとか書いています。やれやれと道端に腰を下ろして、妻子が文句いうのも気にせずタバコを吸う。で、紫煙を漂わせながら来し方を思う。そんな心境が「老生」というタイトルになっているのでしょう。

本の内容は国共内戦期、土地改革と人民公社、文化大革命、そして開放期を描いた4つのストーリーです。舞台は西北部の陝西省。かなりの僻地らしいです。その地域の小さな村々がどんな具合に翻弄されたか。村人がどんな具合に欲望に身をまかせ、罵りあい、足を引っ張りあい、泣き、殺し合ったか。

雰囲気はかなり莫言のそれに似ていますね。賈平凹は陝西省、莫言は山東省。ひたすら土俗的。暴力的。同じようにユーモラスでもありますが、もう少し毒っ気がある

語り部は百歳を超えたかもしれない放浪の弔い師。死者が出たとき弔いの唄をうたう慣習があるらしいです。そしてもう一つ、死に瀕した老弔い師の住む洞窟の外では、謹厳な教師が少年に山海経を教え込んでいる。山海経(せんがいきょう)、書名だけはぼんやり聞いた気もしますが、ひたすら中国というか世界の山々や海、産物と奇獣神獣について延々と解説した奇想天外な書物のようです。初めて知りました。

訳者は吉田富夫。現在刊行されている莫言の小説は、大部分がこの人の訳です。登場人物はみんな訛りのきつい田舎言葉でしゃべり、独特の雰囲気をかもしている。そうした雰囲気が原書の訳としてふさわしいのかどうかは不明で、半分くらいは作者と訳者の共著のような印象になっています。

なんか説明になっていないようですが、なかなか面白い本です。そんなに厚くないですが、読了するのにけっこう時間がかかる。機会があったら他も読んでみたい。

そういえば、莫言の「転生夢現」「白檀の刑」を読んだときも、つい★4つを付けてました。こういうスタイルの小説、好みなんだろうか。


「愉楽」閻連科

★★河出書房新社
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閻連科(エン レンカ /イエン リエンコー)は中国の作家で、けっこう微妙な内容なので出版するたびに中央に叱られているらしい。でもこの小説でフランツ・カフカ賞受賞。日本でもけっこう売れたとか何かに書いてありました。版元も河出だし。ふーん。

マジック・リアリズムということになっています。ノーベル文学賞とった莫言なんかと同じ系統の作家ですね。こうした手法がいちばん安全なのかもしれない。

お話は河南省の僻村。どうでもいい山の中の集落なので、周囲の県から相手にしてもらえない。住民のほとんどは障害者。というより、付近の障害者がみんなこの村に流れ着いた。ここなら支えあって安心して生きていける。忘れられた村です。

で、野心に燃える県長がレーニンの遺体(最近粗末に扱われているという噂)を招来して町おこししようと思い立つ。特殊技能をもった村の住民を使って絶技団公演を企画、莫大な資金集めをもくろむ。要するに巡回サーカスです。それに対抗する村のカリスマ指導者は(少女時代に)延安長征にも加わったことのある老婆。ドタドタバタバタとストーリーが展開します。

ちなみに中国の「県」は行政的には日本の郡のようなものです。でもさすが中国、81万県民とか野心県長は豪語していました。日本の小さな県にも匹敵する。

うーん、いまいち乗れませんでした。ほんと、莫言と似たような小説なんですが、莫言のねちっこさがない。自然がうまく描写されていない感じがする。人物の描き方もうーん・・・・・。描写の「根っこ」が生硬なのかな。

素晴らしい!と感動する読者がいても不思議はないですが、ワタシ的にはダメでした。


★★★ 文藝春秋
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上下二冊。前から図書館の本棚に並んでいるのは知っていましたが、高島俊男さんが「お言葉ですが...別巻6」で評価していたのでふと読んで見る気になりました。

前半は文革篇。地方都市の血のつながらない兄弟が主人公です。県の中心となる程度の大きな町なんでしょうね。中国の県は日本の郡くらいと思います。その町も文革の狂騒にまきこまれ、父親は三角帽子をかぶせられて撲殺死。このへんのドタバタは莫言のそれに類似しています。というより、悲惨な文革期を描こうとしたら、こうした喜劇調にするしかないんでしょう。

莫言の小説と非常に似ているんですが、やはり違う。何が違うのだろうと考えてみると、まず「兄弟」では自然が登場しない。莫言の場合、自然描写が濃密で、ほとんどひとつのテーマのような印象を与えます。湿気と寒さと熱暑。べらぼうな存在感をもつ樹木や家屋や動物。自然がねっとりとまつわりつく。しかし余華の場合はあくまで主役は人間で、自然にはあまり興味がない

もうひとつは登場する人物たちがごく普通の村人だということ。例外として「福利工場14人の従業員」という連中も登場しますが、これは白雪姫の7人の小人のような脇役で、あくまで喜劇効果を盛り上げるための合唱隊的です。こういう表現、差し障りがあるのかもしれませんが、莫言の小説では青痣、足萎え、狂人、盲目・・・これでもかというくらい重要な登場人物で、これを身体障害者という言葉で簡単にくくるのはどうもピンときません。もっともっと差別的。でも村民たちは馬鹿にしたり苛めたりしながらも、ある程度折り合いをつけて共同体として生活している。60年前くらいの日本の田舎の感覚でしょうか。綺麗に言えば人間たちもまた「バリエーション豊かな自然」の一部です。

ちなみに莫言は11歳で文革を迎えています。もちろん学校にも行けない片田舎の貧農の息子(ただし出自は中農かな)。余華は医師の家だったようですね。たぶん杭州市で育って、文革時は6歳ですか。この本の主人公である兄弟と同じ年代です。

莫言と余華。同じようなトーンの小説に見えて決定的に違うのは、この年代と育ちの差にあるかもしれません。片方は嵐の中を必死に生きのび這い上がろうとする。片方は異様な光景を見聞きし、たぶん境遇も急変したでしょうが、まだ子供なので状況が完全には理解できていない。


で、小説の後半は開放経済篇です。実直な兄は町一番の美人と結婚し、野放図な弟は失恋して金儲けを目指す。兄は金属工場で働きますが、その工場が倒産。仕方なく肉体労働を始めたものの頑張りすぎて腰を痛め、あとは要領悪く転落の一途。最後は詐欺セールスマンとして国内を放浪します。

徹底的に楽天家の弟は廃品回収から身を起こし、日本製古着の輸入販売で一気にのし上がり、巨大なコングロマリットを築きあげます。美処女コンテストを開催したり、世話になった仲間を引き上げたり、独り暮らしをしている弟の女房に手をだしたり(ま、初恋の相手だったわけで)、好き放題。

しかし巨万の富を手にし、純金の洋式便所に座って糞をひりだしながら、もう果たすべき夢もない。虚しい。そして最後に思いついたのは大金はたいてソ連の宇宙船ソユーズに乗せてもらい、青い地球を眺めること。そのためにロシア語を勉強し、肉体を鍛える日々。それしかない。

開放経済篇は非常にテンポよく、すらすらすらすら読み進みます。ま、笑劇ですからね。じっくり立ち止まって熟読するような内容ではありません。すたすら馬鹿馬鹿しく進行します。作者に言わせると「喜劇だけど悲劇を内蔵している」展開。対称的に前半の文革篇は「悲劇的展開ではあるが内部トーンは喜劇」だそうです。そんな趣旨のことを後書きで書いています。

まったく蛇足ですが、読みながら兄は鈴木亮平(たまに見る花子とアンの真面目な亭主役)、弟はキャスターのミヤネ屋をイメージしてしまいました。ごめんなさい。なんか似ている気がしたもんで。


「莫言神髄」吉田富夫

bakugenshinzui.jpg★★★ 中央公論新社会

吉田富夫は莫言の著書をたくさん訳している人です。初期のものはまた別の訳者で、えーと、藤井省三という人が多いかな。

ま、最近刊行のものはたいてい吉田富夫訳だし、親交もあるらしい。ノーベル章をもらったんで中央公論が喜んで、こうした本になったんでしょう。

前半の半分以上は、莫言がどんな人物でどんな本を書いているかという紹介。後半は日本各地やストックホルムでの莫言の講演録です。それぞれ面白い。ま、このところ莫言にはまっているせいもあるんですが。

「豊乳肥臀」で当局の逆鱗にふれ、かなり苛められた。投獄も覚悟したらしい。しかしその後もスレスレのきわどい内容を書き続け、ノーベル賞をもらったので、ま、今後は安泰。

でも単に安泰というわけではなく、いろいろゴマ擦りもしているらしい。なんか毛沢東の言葉を集めて一冊の本にする(いいかげんな言い方ですみません。詳細は忘れた)というイベントでは、何も文句言わずに一部執筆を担当したようです。要するに当局による踏み絵ですね。こんなときには決して逆らわない。

たしか文芸協会の副会長かなんかやってたはずですが、これも想像とは違って十数人いる副会長の一人。しかもほとんど実権のない名誉職らしい。でも「辞退する!」なんて言わないで唯々諾々と従うのが莫言です。長いものには巻かれろ。

徹底的にしぶとい農民スタンス。青臭くない。まず飯を食う。安らかに暮らす。しかし積極的に迎合はせず、可能な限り小説の形で体制批判を続ける。正義に燃える文芸家たちからは「体制側だ」と文句言われているようですが、党にとっても実は扱いにくい作家でしょうね。

そうそう。ノーベル賞の授賞式というのが1週間も続く大変なスケジュールだったとは知らなかった。かなりハードなものらしいです。式典の途中、隣に座っていた山中教授が莫言の膝をそっと叩いて「今だよ」と起立のタイミングを知らせてくれたらしい。よかったです。(もちろん莫言、小学校中退なんで外国語はダメです。式典進行、何を言ってるかぜんぜん理解不能だったでしょうね)

★★★ 日本経済新聞出版社

toshohei2014.jpg著者は大昔のベストセラー「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を書いた人らしい。なんせ読んでないので詳しくは知りません。

で、ヴォーゲルが退職して暇になってから調べだしたのが鄧小平です。良くも悪しくも現代中国の方向を決めてしまった政治家ですね。ちょっとレベルは違うものの、日本の吉田茂とか田中角栄にも似ている。

鄧小平。要するに毛沢東の有能忠実な部下。一時期は不遇だったが、毛沢東の復権と共に返り咲きして権力中枢へ駆け上がる。しかし毛沢東の意向に逆らうことも多く、だんだん機嫌をそこねることが増える。

走資派として文化大革命でも攻撃の対象となったけど、依然として「使える奴ではある」という毛沢東の評価はあったらしい。なんとか殺されずに生き延びる。周恩来のヒキもあり、やがて復権。

しかし頼みの周恩来の死後は、第一次天安門事件(周恩来追悼)の責任を問われてまたまた失脚。今度は江青一派に叩き落とされた。尽くしたはずの毛沢東は知らん顔。

そして毛沢東の死後、四人組が逮捕されてから再々度の復権を果たして、以後は第一人者として社会主義下の市場経済を導入。いろいろ批判はあるものの中国を経済的に豊かな国家に導いた・・・。。

べらぼうに厚い上下巻です。知ってることも多いですが、こうして通読するとやはり感慨がありますね。中国の政治ってのはひたすら権謀術数。大きく右派・左派という流れはあるものの、鍵となるのは首脳部の人間関係。根回しをどうするか、どう流れを作るか。指弾されないためにはどう保身をはかるか

絶対権力者の下で生き残り、自分の考えを少しずつ通し、最終的に権力を握るってのはものすごい能力が必要なんだと実感します。高く評価して育てたはずなのに、政治的に必要とあれば胡耀邦趙紫陽も情け容赦なく潰す。14億(だったか)の中国が豊かになることは必要だが、あくまで国家が第一。党あっての中国。趣旨が一貫していたんでしょうね。だからロシアやルーマニアの轍を踏まずにすんだ

大昔、機会があって(遠くからですが)趙紫陽を見たことがあります。たまたま見ただけなんですが、それだけでちょっと親近感がある。政治家が選挙でひたすら握手戦術をとるのは理解できますね。一回握手しただけで、かなりの好感を得られる。そうそう、ほんの数時間ですが(近い空間で)田中角栄の近くにいたこともあります。良い悪いは別として非常に魅力のある人でした。

そういうわけで第二次天安門事件の後、趙紫陽の左遷・軟禁ニュースは個人的に失望でした。これで民主化の流れは途絶えたのか・・・。ただ、あのときの鄧小平の冷徹な決断が中国という一党独裁国家にとって正しかったか間違っていたか、それは永遠にわからない。

ぼんやり考えたのは、この本は莫言の「転生夢現」とか「蛙鳴」あたりと平行して読むべきだということでしょうか。「現代中国の父 鄧小平」は党政府中央部の政争や生き残りを描いたいわばマクロのお話です。そうした雲の上の中央の動きが地方の末端まで少しずつ波紋をひろげたときに「転生夢現」とか「蛙鳴」の世界になる。

党中央のナントカ局長が「集団農業の見直しには理がある」とかいう論文を発表すると、そのうち山東省高密県東北郷の村役場の陳さんが外国タバコを自慢げに吸い始める。「適正な人口政策展開を学習しよう」とか誰か高官が新聞に書くとと、そのうち真面目な田舎の女医さんが懸命に二人目の胎児を堕胎し始める。子供のいる父親を脅してパイプカットして回る。

ま、そうやって中国はエネルギッシュかつユラユラ揺れながら歩み続けてきた。そして沿岸地域を先頭に欲と野心と欲求不満にあふれた豊かな大混乱の時期を迎えている。ようするに国土が広すぎる、人口が多すぎる、それが最大問題。そんな気もしてきます。今まではうまくやっきてたと党政府は自負しているようですが、あふれる14億人。コントロールするにはちょっと多すぎます。

chugoku_shinnoelite.jpg★★★ 新潮社

著者は元サンケイ新聞記者。北京の大学で勉強したとかで、中国語は達者らしいです。

中国でサンケイ記者といったら蛇蝎のように嫌われそうですが、この人は典型的な現場主義というか、とにかく取材対象に食らいつく。軍や党の要人たちにうまく接近して、いろいろ情報を得ている。もちろん何十回となく飯を喰ったり酒を飲んだり。会うときは必ず贈り物を欠かさない。そんなタイプ、確かにいるだろうなあという記者です。

なんかスパイ小説みたいです。変装をする。携帯をいくつも使い分ける。クルマを乗り継ぐ。とにかく周囲は密告者や手先だらけと覚悟する。自宅のベッドにも盗聴器がしかけられているのは当然。ちょっと危ない現場では、官憲にカメラの画像を消される前に素早くSDカードをダミーと差し替える。連行されたり恫喝されるなんてのは日常茶飯。

中国にいる多くの日本人記者や企業人、外交官たちが、諜報分野ではいかに素人まるだしで騙されやすいか。中国は海千山千の鉄火場。そもそも日本人には騙しあいとか交渉とかのセンスが欠けているのかもしれません。他社のナイーブな記者に対しての苛立ちもけっこう書かれています。

要人と会う場合は、すぐに取材しようとはしません。とにかく自慢話を聞いてやったり日本の考えを説明してやったりカラオケやって仲良くなる。最初は他人行儀な「野口先生」だったのが、そのうち「オマエ」になる。こうなればチャンスです。もちろん要人だって、簡単にうかつなことは話しませんが、あいまいながらけっこう本音情報を吐露してくれる。

ということで、真の権力構造がわかりにくい中国の、本当の仕組みや人的な絡みをいろいろ知ることのできる面白い一冊でした。。

現代中国を理解する手引きとしては、スーザン・L・シャークの「中国 危うい超大国」が既読の中では一番と思いますが、それに次ぐかもしれません。そうそう、小説ではあるものの、ノーベル賞作家 莫言の一連の物語も非常にわかりやすいです。

この三つ、要するに概観として評論家的に解説するか、そのパーツである官僚や軍人たちについての体験事実を書くか、あるいはもっと下層の農民・村レベルの感覚で著述するか。その違いでしかないですね。

たぶん有能かつ臭そうなこの記者(おそらくブンヤ仲間では異端者)、その後はサンケイを辞職して政治家を目指してるみたいです。維新だったかな。

中国13億人、腐敗や理不尽は多いものの、これはある程度歴史的な「文化」です。不合理だからといってトップにいる官僚や軍人が単なるアホなわけはありません。超有能。日本についても深く調べ、合法不合法に関係なくあらゆる手段で情報を得、真剣に将来の戦略を練っている。けっして軽んじちゃいけないですね。

hyakunennokodoku.jpg★★ 新潮社

前々から気にかかっていた本ですが、意外に入手しにくい。文庫もないようです。で、ついに図書館の本棚で発見しました。

内容はなんというか、非常に説明しにくい。南米のとある開拓村というか集落のリーダーである一家一族の歴史。歴史というのも変ですね。年代記。とにかく同じような名前の男たち、女たちが次から次へと生まれては生きて死に、また生まれる

熱帯の風土と一族の破天荒な生き方が一体となっています。ちょっと気を抜くとアリやらシロアリやらサソリやらが進入してくる。家がボロボロに風化します。奇妙な病気が蔓延したり、幽霊が彷徨したり、美女が昇天したり、だらしのない革命が起きたり、飲んだり恨んだり愛欲にまみれたり。ファンタジーともいえるし、土俗小説ともいえる。

で、傑作か?と問われると少し困ります。ページがどんどん進んだかと問われても困る。けっこう飽きるし、うんざりもする。でも一回くらいは読んでおいて決して損はないような印象。

このところ読んでいるノーベル賞の莫言(もう胃炎 モウイエン)と確かに似てます。同じようなテーストの作家なんですが、莫言には東アジアふう、白髪三千丈的悪ふざけと寒さがあるのに対し、マルシア=ガルケスは底抜け暴力的かつ蒸し暑い。ジャングルの猛威。(なんか意味ない言葉の羅列ですね) 
うーん、莫言の暴力シーンは非常に痛そうです。マルシア=ガルケスの暴力シーンはひたすら笑えて、共感の余地がない。

マルシア=ガルケスの他の本も読むかと言われると、ちょと躊躇しそうです。莫言のほうが合ってるみたい。

「転生夢現」 莫言

tensei2013.jpg★★★ 中央公論新社

再読です。

うーん、やっぱりいいですね。半世紀にわたる激動の時代。ひたすら翻弄される、あるいは波を利用しようと策動する中国山東省高密県の農民たちと一族の物語です。

村人たちに散弾銃で頭をふっ飛ばされた地主が恨みをもって転生を繰り返す壮大ドタバタ・ストーリーはもちろん覚えていましたが、最後のほうの破滅的な悲恋ストーリー部分はすっかり忘れていました。そうだったか。

この最終部分、語り手が大ぼら吹きの「莫言」になってからはトーンが変わりますね。あんまりこの著者っぽくない。一途な愛とそれによって引き起こされる悲劇。放浪の猿まわしのカップルが登場して、若くタフな警察副所長の心がかき乱され・・・・もの悲しい大団円へ。

莫言の本ではこの「転生夢現」と「白檀の刑」がいちばん好きです。

「四十一炮」 莫言

★★ 中央公論新社

41pou.jpg日時の制約もあって以前に一度挫折した本です。読み直し。

「四十一炮」とは、41の砲撃でもあり、41の大ボラでもあるとか。いまは僧侶志望となった肉フェチのクソガキがひたすらホラというか誇大妄想というか、事実と虚構の境目のあいまいな41の告白を繰り返します。

この告白されるストーリーの筋とは別に、クソガキの周囲ではこれもまた事実か幻影かさだかではない食欲と肉欲のお芝居が展開され、正直、事実なんてどうでもいいわ。ストーリーは無意味ですね。

ちなみに41発の砲撃は、旧日本軍の捨て去った迫撃砲を使ったものです。迫撃砲とは、おそろしく仰角の高い小型砲ですね。子供の頃のニュース映画で見た朝鮮動乱の人民解放軍はこれをポンポン楽しそうに撃っていました。いまは「朝鮮戦争」というのかな。時代とともに名称が変化するんで自信ありませんが。

舞台となる村は、村をあげて「水注入肉」で繁栄しています。誰ももう農作なんて儲からないことはしない。ひたすら牛 馬 犬 ロバ ダチョウ ラクダなどなど屠殺精肉で商売している。ただし注入も水だけでは腐りやすいので賢い奴はホルマリンも入れるし、色素もたっぷり使って誤魔化す。

肉だけじゃありません。村の廃品回収の貧乏オバはんまで破れダンボールに水をぶっかけては重量を水増し(言葉の通り)して稼いでる。ほんま、何もかも水増し。小説のどこかに「水を注入できないのは水だけ」というセリフもありました。ま、そういう村です。ただしこれが本の主題の一部なのかどうか、そのへんは判然としません。

とかなんとか。★★か★★★か迷うところですが、莫言にしてはあんまり楽しめなかったかな・・・という本でした。

「豊乳肥臀」 莫言

★★★ 平凡社

honyuhiden.jpg近くの図書館ではなく離れた分館に置いてあることは知っていましたが、だからといって分館まで行くのも面倒だし。それでしばらく放棄。

そのうち前にネット利用登録したことを思い出しました。うん、たしかネットでも予約ができたような気がする。ただし大昔のことなのでパスワードなんか覚えてもいない。

某日、思い立ってカウンターでパスワード再申請。もらった仮PWを本PWに変更して、さっそく予約してみると、もう翌日には「届いてますよ」と連絡がありました。メール連絡にしておくと便利ですね。

「豊乳肥臀」は盧溝橋での衝突から始まります。おなじみ山東省高密県の村では抗日団が(いいかげんに)結成され、血気さかんな若い衆が立ち上がります。本格的に日中の戦争。しばらく英雄的、あるいは不細工なドンパチがあって、なんやかんやでそのうち日本は降伏。しかしその後は国共の内戦です。そして共産中国が誕生し、これもなんだかんだゴタゴタ愚行と悲惨があって、ようやく鄧小平による大変更。そして現在。

村の鍛冶屋の若嫁には7人の娘と末の双子(待望の男児+余計な女児)がいます。娘たちの名前がすごい。上から来弟、招弟、領弟、想弟・・・と延々と続く。いかに男児の誕生が待たれていたか。

ただし子供たちはみーんな夫の種ではない。はい、亭主は種なしなんです。でも鬼の姑は跡継ぎを産め!とひたすら嫁を苛めるもんで、仕方なくあちこちの男衆から種をもらう。ま、半分は復讐の気持ちもありますが。

で、育った姉妹は年頃になるとそれぞれ男をつかまえる。長姉は匪賊の頭目と、次姉は対日戦線の現地指導者と、つぎは共産軍の現地リーダー・・・。見事にバラバラ。

という具合に時代は流れ、次から次へと戦火と暴力で家は焼かれ、村人は死に、母親は子供たちのために必死で生きのびる。頼りになるべき末の男児はあいにく乳房フェチの変態で、長じるまで母乳以外の食物を拒否するという困ったやつ。

最後の3分の1くらいは正直、読むのがけっこう辛いです。姉妹の中には救いようのない不幸せな子もいます。努力と誠意は報われない。ロシア人に貰われた子、みんなのために芸者に身売りした子、迷惑かけないようにひっそり川に身を沈める盲目の子。

全体としてかなり歴史に沿ったリアルな内容です。発刊と同時に禁書になったのもよくわかりますね。よく著者が無事にいられた。莫言も一時はちょっと逮捕の覚悟をしたらしいですが。

経済解放で豊かになったはずなのに、実は誰もたいして幸せにはなっていない。あちこちで娘たちが産みっぱなしにした孫連中もたくさんいて、ブツクサ文句言いながら老いた母親(孫から見たら祖母)が苦労して育てたんですが、その孫連中、豊かになった新生中国でハッピーかというと、もちろん違う。誰も幸せにはなりません。カタルシスはほぼ皆無。


莫言、このところけっこう読みましたが、自分としては転生夢現がいちばん後味がよかったですね。その次は白檀の刑かな。

「転生夢現」は入れ代わり立ち代わりの動物主役エピソードでかなり笑えたし、「白檀の刑」はやはり能天気な民間歌謡劇の猫腔が効果的で犬肉屋の若女房が明るくていい。もちろん単純に明るい小説なんて、莫言が書くわけないですけど。残酷で笑えてホロリとさせる。良質の浪花節、名人上手の語る人情噺です。

「変」莫言

★★★ 明石書店

change-bkg.jpg「変」はChageの意。今年になっての刊行ですね。受賞効果でいろいろ本がでるのが嬉しいです。

小説ではなく、一種の自伝。汚いガキの頃から今に至るまの半生です。書かれたことを事実そのままと受け止める必要はないでしょうが、かなり近いんじゃないか。少なくともその時々の心情は忠実のような気がします。薄くて大きな活字の本なので、ゆっくりじっくり読みました。

山東省の田舎の小学校時代、卓球の上手なちょっと可愛い女の子がいました。シズカちゃんです。ひそかにシズカちゃんに憧れているのがジャイアンです。ジャイアンは貧民の家庭で出自もいいし、勇気(蛮勇)もある。思い切りがいい。

それを見ている莫言は中農の出自という最悪のみっともない子。貧乏なスネオですね。先生に嫌われて学校を追い出されます。でも教室にこっそり舞い戻る。殴られても蹴られても教室にもぐりこむ。一方、乱暴なジャイアンはふとしたことで教室から出奔します。出奔する際には教科書を破り捨てる。勇気があるなあ・・とスネオは驚嘆します。

で、学歴のないスネオ莫言はあの手この手を使って、なんとか這い上がろうとする。ツテをたどって解放軍に入れてもらいます。暗い将来にデスペレートになりかかりながらも、結果的に小説を書いて名声とお金を得る。

ジャイアンはスネオ莫言から10元を脅し取って、その金を懐にして内モンゴルへ一旗あげに行きました。荒っぽいこともやり、先を読む小知恵と大胆で金をもうけます。

ジャイアンはお金持ちになりました。でももう奥さんがいたので子供時代の憧れの人、シズカちゃんとは結婚できません。「愛人になるか」と聞いたら、さすがにシズカちゃんに拒否されました。

スネオに対しても昔の友情を謝していろいろ奢ってやりました。でもスネオはあんまり感動してはいないようです。

シズカちゃんも最初の結婚で酷い目にあい、再婚でなんとか平凡な家庭をつくります。そしてある日、中年になった三段腹のシズカちゃんはあまり好きではないスネオ莫言のもとへお願いに来ます。なにしろ仕方ない、コネ社会。可愛い子供の将来のためです。そして世話になったお礼に1万元を出します

その1万元を・・・どうしたかは内緒。このへんがいかにも莫言です。

「天堂狂想歌」莫言

★★★ 中央公論新社

tendow.jpg莫言の最新刊です、たぶん。ノーベル賞受賞で、あわてて刊行でしょうか。ただし執筆はかなり初期で、「赤い高粱」なんかの後にあたるらしい。

テーマは山東省のニンニク芽農民の暴動。鄧小平による改革のすこし後の出来事らしく、高値傾向のニンニク芽の生産を奨励した県が、いざ出荷の段階で買い入れを渋った。上手にやれば大問題にならなかったんでしょうが、役人連中も旧態依然で慣れていないし、当然のことながら私利私欲に走る。結果的に膨大なニンニク芽の売れ残りを抱えた農民たちが「買い入れろ!」と自然発生的に県庁を襲った。当時の中国にとってはショッキングな事件だったようです。

莫言にしては非常にストレートに描かれています。もちろん莫言らしく濃密な自然とか原初的な暴力とか愛とか、あっけなく訪れる無残な死が描かれますが、ちょっと遊びの要素が少ない。現実をなぞったため諧謔の出番が減ったということでしょうか。

「白檀の刑」の猫腔に似た歌うたいはいますが、こっちは盲目の民謡師で、当局に抵抗しつづけて抹殺されます。農村の因習的な暴力親爺、その妻、妊娠した娘、それを嫁にもらおうと必死の勇敢な若者、みーんな極度に貧しくて、みーんな死にます。

ちょっと悲しい小説ですね。腐ったニンニクの芽の悪臭が読後も漂います。胃の弱い人は読まない方がいいかもしれません。

別件ですがニンニクの芽、小さな中国料理店で食べたことがあります。汚い店でしたが店主が中国人で、初めて食べたのが「ニンニクの芽」の炒めもの、非常に美味しかったです。ただし食べたあとの臭いがすごい。会社に戻ったら同僚達が「どこかでガス漏れしてるぞ」と本気で騒ぎだしたくらい。

ラッシュアワーの電車の中ではひたすら口を閉じて、下を向いて帰りました。周囲の乗客の顔を見る勇気がなかった。

「透明な人参」 莫言

★★★朝日出版社

bakugen2013.jpg「おっ、新刊か!」と借り出しましたが、もちろん違います。初期の頃の短編を集めたものらしく、副題に「莫言珠玉集」と謳っています。

表題にも使われている「透明な人参」。短編というより、中編に近いでしょうか。若いころのもの、たぶんデビュー作らしく、ストーリーとしては特に何もありませんが、キラキラと感性が光っています。ほとんど最初から最後までキラキラばっかり。黒ん子と呼ばれる自閉的な少年、田舎娘と石工の健康的な若いカップル、嫉妬に狂う片目の鍛冶屋らが織りなす一種のファンタジーです。

こういう文章はじっくり読むといいんだろうなあ・・と思いつつ、実際にはベッドサイドに置きっぱなしで就寝前に少しずつ読みました。頭がボケーっとしている状態で読むようなものではなかったですね。けっこうページをめくるのが大変だった。

小編ですが「お下げ髪」も、けっこう楽しめました。何といって不足のないはずの夫婦の生活が何故かうまくいかない。奥さんが不満をつのらせる。うるさい妻を黙らせようして、つい台所にあった茄子を奥さんの口につっこんでしまう。そしたら・・・ま、笑ってしまいます。


ちみなみにストックホルムでのノーベル賞受賞講演記録も掲載されています。これはよかった。莫言の創作の秘密がほとんどすべて語られています。

莫言 、もう言えん


ノーベル文学賞の莫言ですが、英語圏では「Mo Yan」の表記なんですね。そのまま読むと「モ・ヤン」。Wikiでは「モー イェン」となっていました。

あはは。もう言えんですか。あんまりピッタリなんでちょっと笑ってしまいました。

莫言のノーベル賞

莫言がノーベル文学賞をとりましたね。何年も前から候補と言われていたらしいことは知ってましたが、まさか本当に受賞するとは。少し意外でした。

bakugenlist.jpg何冊読んだかなあ・・と検索かけてみたら転生夢現」「白檀の刑」「赤い高粱」「蛙鳴」。「四十一炮」も途中まで読みました。図書館には「豊乳肥臀」もあったはずですが、ずーっと借り出し中らしく、このところ見かけたことがないです。

ノーベル賞に値するかどうかは人それぞれの評価があるでしょうけど、あらためて世界中に知られるようになったことは良かったですね。

ぎりぎり中国政府の政策の枠内ではありますが、でもけっこう批判すべきところは批判している。一人っ子政策批判なんかは、これ、大丈夫なのかな?と心配になるほど。ただし、それ以上は発言しない。つまり『これ以上は言う莫れ』ですか。

農民文学ともいえるし、土俗ユーモア小説ともいえる。幻想小説の要素も非常に濃いですね。そして前衛小説。登場する若いヒロインはみんな前向きで色っぽくてたくましいです。そうそう、欠かせない登場人物である犬もロバも牛も魅力的です。ヘンコテリンでおかしい本が嫌いでないなら、一読をお薦めします。

「蛙鳴」 莫 言

★★★ 中央公論新社

amei.jpg比較的新しい本です。舞台はもちろん高密県東北郷。語り手は「オタマジャクシ」という劇作家希望の男ですが、ストーリーは新生中国の女医である伯母さん(万心)を中心に繰り広げられます。

「伯母」は共産国家に忠実な、芯まで赤い地方医です。賢く、行動力があり、そして悩みながらも冷酷である。情熱に燃えて1万人ちかくの嬰児を無事出産させ、そして一人っ子政策が開始されると数千人の胎児を情け容赦なく中絶させます。もちろん嫌がる男たちを問答無用で次々とパイプカット。

男の子を生みたい女、跡継ぎを欲しがる家族。それを取り締まる政府と医師たち。当然のことながら大騒ぎが始まり、血が流れ、悲劇が生まれます

莫言という人、こんなに正面きって一人っ子政策という問題と向き合ったんですね。もちろん莫言ふうにシッチャカメッチャカな展開ですが、でも中身はかなり真面目です。

でも「伯母さん」がかなり魅力ある人間に描かれているので、スイスイ読めます。

ところで本筋とは関係なく、個人的に意外だったのは文革中のエピソード。前から紅衛兵の吊るし上げで、蹴ったり殴ったり(その結果として死亡したり、自殺したり)は日常茶飯だったようですが、なぜか直接的に銃や刃物が使われたという記述を目にしたことがないし、強姦についても読んだことがない。

「結果的に死ぬのはしかたないが、積極的に殺してはいけない」というような雰囲気があったんでしょうか。殴るのはいいが、強姦はいけないとか。

ところがこの小説の中では、ドサクサに紛れて吊るし上げ相手を強姦する男の話が出てきます。やはりね、と納得。ただしその男(王脚だったかな)も、相手を妊娠させちゃいろいろマズイらしい。さいわい「伯母さん」の手でパイプカットされてたんで、安心して悪いことができた。

ここまではやってもいいが、ここから先はいけない。ナントカにも三分の理。

中国でこんな本が出版できるようになったんだ。
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