Book.11の最近の記事

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saishuuteiri.jpgクラークもトシくってからはどうかな・・と心配しながら開始。そもそも共著に面白いものはないですね。でも今回はクラークとフレデリック・ポールだし、ひょっとしたら・・と期待。

場所はもちろんセイロン、今ではスリランカですか、そこの大学に通う数学狂いの学生が主人公。よせばいいのにフェルマーの定理にとりついてしまって。しかも宇宙の果てに生息する超越の意志があり、その連中、地球の将来に危惧をいだいて(ありゃ暴力的な連中だ。みんなが迷惑するぞ)、さっさと始末しようと計画し・・・。

はっきりいって駄作。クラークの良さがなーんにもない。かといってフレデリック・ポールの軽妙さは完全に空回りして田舎芝居になっているし。3分の1ほどガマンしましたが、ついに投げだしました。

教訓。やはり共著に良いものはない。どんな大家でもモーロクしてからの本はダメ。井上靖しかり、丹羽文雄しかり。水上勉は読んでないから知らない。まして風合いのちがう老骨二人がいっしょに書いたものなんて、手にするもんじゃありません。

追記
思い出した。老残劣化の代表格といえば武者小路実篤か、前からそうだったけど晩年の文章特に酷かった。ついでに筒井康隆もよせばいいのに朝日で酷いものを連載していました。これも恥ずかしいくらい。若いころはセンス、悪くない人だったんだけどなあ。

★★ 新潮社

shizumanu.jpgはっきりいって、山崎豊子の本は好きではありません 。文体が乱暴すぎる。登場人物が類型的すぎる。ストーリーが勧善懲悪ベースにしてあって、都合よすぎる。

類型的といっても、それなりの厚みはあり、決して単純なパーソナリティではないんですが、でも「こんな奴、確かにいるよなあ」という類推の範囲内。「狡猾で計算高く、執念深い。でも妻子は愛している」とか「正直すぎてアホだけど頭は切れて、辛抱強いけど時々カーッとなる」とか。なんか、いかにも計算して作ったような人物。キャラクター設計の産物みたいな印象ですね。

というわけでかなり嫌いなんですが、でも読み始めると最後まで必死に読んでしまいます。困ったことじゃ。

ブツブツ言いながら山崎豊子全集の「沈まぬ太陽」を読了。アフリカ篇、御巣鷹山篇、会長室篇の3巻です。 こりゃ、たしかにモデルにされた某会社、思い切って「不快」になるわけです。掲載誌の機内取り扱いを中止したとどこかに書いてありました。

また「不毛地帯」でさんざん持ち上げた元参謀キャラも、こっちではズドーンと落としてますね。落とすという表現は少し違うか。ようするにより実像(らしい)人物になっている。

見てませんが、このヒーローを渡辺謙さんがやったそうで、だいたい想像つきますね。エネルギッシュでヒロイックでカッコよすぎて嘘っぽい。

などなど。文句いいましたが、それなりに面白かったです。ただし★★。

別件ですが「不毛地帯」のライバルでは、鮫島というキャラ がよかったですね。この人だけはすごく存在感と魅力があります。行動力とずるさと厚顔無恥、ついでに愛嬌たっぷり。

そうそう。鮫島の息子もよかったです。生まれた孫も鮫島そっくり( だったような?)
★★★文芸春秋

sakanoue03.jpgふと気が向いて「坂の上の雲」を本棚から抜き出す。さして意味もないが第2巻。正しくは司馬遼太郎全集 第25巻。すでに日清戦争は終わっていて、目次は「旅順口」から。遼陽、旅順と続きます。本、かなり古びてしまいました。

もう何回読んだか覚えてもいませんが、関心は少しずつ変化しています。最初はもちろん松山での秋山兄弟。そして東京での二人。それぞれの成長などなど。正直、子規にはあまり感情移入できませんでした。俳句の改革といっても、具体的に何がどうなのか、どうも漠然としている。

また陸戦はひたすら複雑で、おまけにゴタゴタしている。悲惨でもある。とりわけ旅順、二○三高地など読むのが辛いです。ということでついバルチック艦隊、日本海海戦あたりに関心が集中。要するにカタルシス指向ですね。

何十年の間に何回も読んでいるうちに、だんだん陸戦にも興味が沸いてきました。子規関係も読めるようになってきました。で、今回は遼陽、旅順、奉天が意外に面白いことを発見。はい。第26巻もついでに読んだわけです。

第26巻は黒溝台、奉天会戦、そして日本海海戦です。日本海での艦隊運動、各戦隊の動き、やはり頭が混乱します。どの艦がどの戦隊だったか、どの艦隊だったか、あっというまに分からなくなる。そもそも東郷の第一艦隊が敵と遭遇した時点でどの方向に進んでいたのか。南だったのか、南西だったのか、それすらも混乱です。配置図見たって、やはりわかりません。

司馬さんの解説読んでいても、やはり多少の矛盾があります。文章だけ読んでると、東郷はずんずん南(やや西より)に進んだように受け取られますが、航路図を見るとその寸前に大きく面舵とって西に曲がっている。それから取り舵とって左にターンというイメージ。

結局は薬局で郵便局、艦隊の進路はそんな単純なものではなかった感じですね。しょっちゅう方向を微調整しながら動いていたのかもしれない。ただ、敵艦隊と距離8000メートルでしたか、ギリギリのところでは大きく取り舵をとった。これが丁字戦法。

とかなんとか。数日かけて2冊を読了しました。この次に機会があったら第1巻を読んでみようかと思います。

あと数日でNHKのスペシャルドラマもおしまいですか。名残惜しいです。これもそのうち、暇なときにでも、録画しておいた全13枚のDVD、ゆっくり見直してみたいです。ぶっ続けに見たら、また違うでしょうね。画面も主役たちの動きだけではなく、背景の大道具やエキストラの人たちの動きに注目。1本のドラマで3~4回はたっぷり楽しめる。新しい発見がたくさんあります。

★★★ 文春文庫

tanoshiii.jpg池澤夏樹がたぶん1990年ごろに書いた(連載した)もの。もちろん読み直しです。

池澤夏樹、好きなんですが、小説の場合はどうも読みづらい。素直に読んだのは「マシアス・ギリの失脚」くらいでしょうか。他は何回も借り出しているものの、どうしても最後までたどりつけない。「マシアス・ギリの失脚」、南洋の島の人々のささやきと気ままに走りまわる日本慰霊団バスはよかったです。これはたぶん傑作。

で、楽しい終末。小説じゃないので、素直に面白く読めました。池澤さんの論証というか論述、進め方は非常に論理的かつ明晰ですね。騙しの要素が少ないとでも言うべきか。内容は人類の終末論で、恐竜の絶滅、核問題やらレトロウィルスやら南北問題やら。個々の問題を論ずるだけでなく、17世紀あたりから主流となって誰も疑わない「進歩の概念」についても触れています。

人類は進歩するものなのか進歩すべきものなのか。少なくとも10紀や15紀あたりの人々は、あんまり進歩という感覚を持っていなかったんじゃないのか。むしろ退化したり。末法思想ですね。

なんか高校生の頃、初めて岩波の高級そうな本(えらく高かった記憶あり)で「民主主義はごく最近に出現した新思想」みたいな解説を読んで眼からウロコが落ちたことを思い出しました。ぼんやりと、ギリシャの昔からデモクラシーという概念は西欧で続いていたような錯覚があったんで、田舎の高校生は愕然とした。ちょうど大学受験の頃です。気持ちの忙しい時こそ、こんな用もない本に手を出して、読んでショックを受ける。

ま、楽しい終末、毎日少しずつ読むには最適の本でした。1990年の当時から、原発は危ないなあ・・と言ってたんですね。

そうそう。ここで紹介されていたマリオ バルガス・リョサの「世界終末戦争。新潮・現代世界の文学に入っているようなので、そのうち借り出してみようと思います。知りませんでしたが、去年ノーベル文学賞をもらったようですね。
★★★ 集英社

owarazaru.jpgまたまた浅田次郎。えーと、今度のテーマは終戦直後、ソ連の侵攻を受けた千島列島の占守島 (しゅむしゅとう)のお話です。千島列島は根室から東北に伸びて、最後はカムチャツカ半島に達します。その最東北の島が占守島。すぐ向かいはカムチャツカです。

この占守島、どうもこのへんの島にしては平坦だったらしい。平坦で港もあるので、ある程度の規模の軍を駐屯可能。周辺の兵站基地としても使えるし、なんかごとがあった時はここから出撃する。当時の感覚としては、アリーシャンを伝って西進してくる(と予想された)米軍に対しての最前線ですね。

で、8月18日の早朝、火事場泥棒でいきなりソ連が押し寄せてくる。対する日本軍は中型戦車を40両ちかく持っていた。ぜーんぶガソリン車だったといいます。寒冷地の行動には合ってますが、戦車としてはどうなんだろ。ひょっとしたら燃えやすいかもしれないのですが、ま、それでも新品ピカピカの戦車です。関東軍から引き抜かれてここに引っ越していたらしい。装備もしっかりしていたし、錬度もいい。燃料や弾薬なんかもけっこうあった。当時の日本軍にしては珍しいケースです。

結果的には2万人以上の兵を擁するこの91師団がソ連軍を一応は撃退するんですが、なんせポツダム宣言受諾の後です。あんまり本気で戦うわけにもいかず、いろいろ交渉してみたりして、数日後に武装解除。解除した兵士はその後、みーんなシベリアへ連れていかれます。戦闘で日本軍も大きな犠牲を払いましたが、その代わり、この作戦で時間をとったためにソ連の北海道侵攻が遅れてしまったという見方もある。ソ連に北海道を占領されずにすんだ。

また、真相は不明ですが、この占守島の戦いで多くの兵士を失ったスターリンが、復讐として関東軍兵士も含めてのシベリア抑留を決断したという説もあるそうです。本当かもしれません。

というのが大きな流れ。この本は「あくまで小説」なんで、現地調査とか聞き取り取材はしなかったと浅田さんは言ってますね。歴史書じゃなし、事実に縛られたくない。あくまでもフィクション。

小説だからいいだろ、というわけで、赤軍将校の夢やら幻影やら生霊めいたワープ憑依も出てきます。脇筋として信州の疎開児童の脱走やら、赤紙配達のお話、江戸川アパート(同潤会)のお話も出てきます。このへんはハッキリいってどうでもいいんですが、唯一、ソ連兵士の側から見た占守島上陸作戦のとらえ方はけっこう面白かった。

こっちサイドから言うと、独ソ戦が終わってやれやれと思ったら、帰国が指示された。ヤッホー、家に帰れる!と嬉しがっていると、列車はモスクワもどこも通り過ぎて、どんどんシベリア鉄道を東へ。騙された。最終的に極寒のカムチャツカです。

おまけに「演習だ」とか言われて船にのって海に出る。もちろんこれも騙し。ソ連といえば名にし負うT型戦車ですが、その肝心の戦車は積んでいない。

ちょっと調べたらT-34型で32トンだそうです。ドイツのティーゲル(57トン)には及ばないけど、日本の中型戦車(15トンぐらい)に比べたら雲泥の差で、たぶん日本戦車なんかブリキみたいに破れるでしょうね。でもその戦車はなぜか今回不在。そこまで手がまわらなかったのか、何も考えていなかったのか。そのへんは不明。

ただし、戦車はいないけど、対戦車砲は船に積んでいた。敵戦車がいるということは知ってたんですね。でも味方戦車の援護なし、戦車砲だけで相手の戦車と戦うってのは、こりゃ問題外です。相手は要塞を築き、無傷の戦車連隊で待ち構えていて、海岸上陸すれば襲いかかってくるに決まっている。七人の侍の志村喬みたいですね。こっちは定位置で、襲ってくる騎馬の相手を射る。でも射るより射られるほうが多いでしょうね、たぶん。

で、濃霧の海岸でドンパチやった結果、対戦車砲4門だけは上陸できたそうです。もちろんそこに日本軍の戦車が殺到してくる。付近の高射砲なんかもたぶん水平射撃みたいに撃ってくる。ソ連軍も悲惨だったでしょうね。ほとんど壊滅。

でもなんやかんや。日本の戦車第11連隊は27両を失ったとWikiに記してありました。

また、ドサクサまぎれに日魯漁業の缶詰工場にいた女工など民間人が独行船数十隻で根室まで脱出というエピソードもあります。これだけでも一冊の本になる。浅田さんの小説では函館から行った女子挺身隊ということになっており、全員が無事に帰還。Wikiによると一隻だけが難破して、乗っていた女工たちはソ連に抑留されたと書いてあります。

★★ 化学同人

taberarete.jpgいつの頃からか人類の古い古い祖先は結束して狩りをして暮らしていた・・というイメージが形成されてるようです。オトコは棍棒もって狩りに行く。でっかい肉の固まりをもって女房子供の待つ洞窟へ帰還する。はじめ人間ギャートルズです。

でもなあ・・というのが素朴な疑問。狩りに頼って食料を得るってのはかなり効率の悪い手法です。専門家である大型ネコ族だって、成功率はそう高くないらしい。おまけに獲物が豊富にいるシーズンもあれば、枯れシーズンもある。

ま、マンモスなんかがウジャウジャいる時代ならどうか知りませんけどね。(そんなにたくさんいたのか?) あるいは地平線を埋めつくすようにバッファローの大群が疾走するとか。太古、アジア人がベーリング海をわたって新大陸に行き、どんどん南下していく間に、大型獣のほとんどは消滅したと何かで読んだ記憶もあります。食べやすいからっていい気になって獲ってると、すぐいなくなってしまう。あとは飢えるだけ。

そうそう、アメリカンネイティブっていうと、つい映画の影響で裸馬に乗ってバッファロー狩ってるシーンしか思い浮かばないけど、実際には農耕で暮らしていた連中のほうがはるかに多かったようです。ただ農耕タイプのネイティブってのは大人しいですからね。白人からすると、とくに気にする必要もない。映画にもしずらい。少数の獰猛な狩猟タイプだけが開拓者にとってはトラブルメーカーで、関心も高い。

で、この本の著者はこうした「狩猟で暮らした祖先」という概念に反発します。そりゃ数十万年前とか、わりあい最近になってからは狩猟も流行したかもしれない。でもそれまでの間はどうだったんだ。体も小さい。脳味噌もあんまりたくさんは持っていない。ろくな石器もない。火も使っていたとは思えない。チンパンジーの祖先と枝分かれしたばかりのひ弱なご先祖が、どうやって獰猛なネコ族と対抗したんだろう。

つまりは「Man the Hunter」じゃなくてMan the Huntedだったじゃないか。そういうことですね。1文字の違いでイメージが激変する。

というわけで、ページ数の3分の2くらいは、現代でもいかに人間が食われているか、の実証です。アフリカ、インド、インドネシア・・・トラやライオンやハイエナやオオカミやクマやヒョウ、水辺にはワニが待ちかまえているし、巨大な蛇もいる。え?という数の人々が、いまだに食われている。なんというか、かなり気分の悪い報告がえんえんと続きます。

もちろん身長1メートル(だったっけ)のアウストラロピテクスのルーシーだって、黙って食われるのはいやです。そこでルーシーたちの社会生活が生まれ、情報伝達の価値が生まれ、分業がなりたち、みんなで集まって怖い獣から身を守る。見張り役、追い払い役、かなわぬまでも威嚇する役、最後の最後は食われる犠牲役。そうやって、細々と人類の祖先は生きながらえてきた。おしゃべりに磨きをかけ、脳の体積を増やし、体もなるべく大型化にいそしんだ。

で、昼間は大型ネコの食べ残しを泥棒したりもする。夜は怖いから洞窟で固まって震えてすごす。

ま、そういう本です。洞窟の奥に、頭蓋に穴のあいた人骨とヒョウの骨が発見されたとき、「人間が人間を殴って殺した。たまにはヒョウも殺した」と解釈するか「ヒョウが人間を鋭い牙で刺した。そのヒョウもそのうち歳くって死んだ」と解釈するか。ほんと、どっちが本当なんだ?と聞きたいくらいですね。

★ダイヤモンド社

amazonno.jpg「世界最大のネット書店はいかに日本で成功したか」という副題。読んで損したという本でもありませんが、期待して読むとガッカリします。

著者はアマゾンジャパンの立ち上げ時、数年にわたってかかわった人です。マーケティング方面が専門だったらしい。声がかかった際も「日本進出を計画していることはトップシークレット」で、いっさい口外しないという誓約書を書かされたらしい。

たしかに当時、アマゾンジャパンの発足は唐突な印象でしたね。いきなり!という感じ。あるいは「ついに!」という感じかな。

ただ意外だったのは、秘密にしていた理由が「株価対策」だったということ。てっきり日本国内の出版・流通業者からの反発を警戒しての措置だと思っていた。要するに日本に進出するというニュースが流れると、米国内での株価が大変動する。なんかいつも株価が不安定で、それがアマゾンの弱点だったんだそうです。経営方針もあり、人気の割りにはずーっと赤字が続いていたようですし。

で、肝心の内容。うーん、これといって面白い話もないなあ。創意工夫して実行しようとすると米国本社からストップがすぐかかる。社是に反するとか、予算がかかりすぎるとか。IT化ってなーに?という中小出版との在庫確認のやりとりがネックなんで、これをスムーズにするため、こっそり簡易プログラムを勝手に作成。やったぜ!と喜んだら、これもストップくらったとか。

ま、米国のカンパニーですからね。それでも創業当時は手作り感覚のアットホームな良さがあったけど、今ではダークスーツのMBAが幅をきかせているとか。そんなような雰囲気です。

私、アマゾンにはずいぶんお世話になってます。とくに配送料無料になってからは頻繁に利用しています。もっと安い通販はあるけど、何カ所にもカード登録するのがなんか気分悪いし、とくにアマゾンのセキュリティを信用する理由もないけど、ま、ここが破れたら諦めるかという感覚。

便利さ、スピード、価格。カスタマーレビューもけっこう読みます。ただしお勧めメールはピント外れでかなりうっとうしいです。ときどきヘンテコリンな商品登録もあるけど、ご愛嬌。ウイッシュリストとかいうのは、あやうく騙されそうになった。てっきりメモ機能かと思ったら、とんでもないですね。あわてて逃げました。

ま、いろいろありますが、アマゾンさん、これからも御健闘を。

★★★ 講談社

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なんか浅田次郎の代表作みたいな扱いの本です。図書館に珍しくペロッと置いてあったので(しかも上下そろっている)借り出しました。

たしか田中裕子が西太后に扮してドラマをやっていた記憶があります。もちろん観ていません。ん、どっかで10分くらいは眺めたかな。科挙(会試か)とか役者のとんぼ切りとか、なんかやっていたような・・・。

それはともかく。

清朝末期。型にはまるのが嫌いな秀才・梁文秀と、同じ村の糞拾い少年・李春雲がとりあえず中心人物です。文秀は都での試験(会試)で不思議なことに及第。たんなる合格じゃなくて一等賞です。で、へんこてりんな占い婆さんに騙された春雲は、貧乏脱出のため自分の手で性器切断。自宮とか浄身というらしいです。あとはトントン拍子で、二人は出世していく。

面白かったこと。切った性器は宝貝(パオベイ)といって、壺にいれて大事にしていたらしいです。宝貝って、はるか昔のお話である「封神演義」でもたくさん登場してましたよね。戦う神や仏が「秘密兵器じゃぞぉ!」と取り出す必殺の新兵器。たいてい一人の神様はひとつしか宝貝を持っていない。(私の読んだのは安能務の封神演義。奔放・超訳ですな)

ということで、宦官は自分の宝貝を大切に保管しているものと思ってましたが、そこは経済原理、借金のカタとして取り上げられてたケースもあったらしい。小説では、ちょん切り業者が「手術代を貸してやるから、金ができたら買い戻せ」といって保管金庫に入れておく。これナシで死ぬと来世はメス騾馬なんで、宦官は必死に利子を払ったりします。死ぬ前に買い戻して、棺にいっしょに入れてもらわないといけません。

もうひとつ。小説では李鴻章がほとんど万能のヒーロー(ただし年老いている)となっています。あらためて納得したのは、北洋艦隊にしろ北洋軍(淮軍?)にしろ、形の上では「清の軍隊」であっても、実質は李鴻章が作り上げた李鴻章の私設軍であるということ。こういう表現が正しいかどうか知りませんが、体制内に留まっている強力な軍閥みたいなもんなんでしょうか。

ただし。どんなに力を持っていても李鴻章は文人、進士です。皇帝に逆らい、新政府樹立へ一歩踏み出す気はなかったんでしょう。あくまで扶清興国・文明化。ただし、李鴻章の子分である袁世凱は教養人じゃないので、こんな遠慮はありません。ま、袁世凱の野望実現は、この小説の後のお話になりますが。

てな具合で、清朝末期のゴタゴタやら宦官や官僚の陰謀うずまく大騒ぎ。康有為がツバキ飛ばして若い光緒帝に理想化論を檄したり。西太后がわめいたり、下手な演技の役者を叩かせたり、まずい料理をすすめた宦官を百叩き刑に命じたり。いろいろテンコ盛り。

少し違和感があったのは、この小説での西太后と光緒帝との関係です。なんか西太后は亡くなった実子に面影の似ていてる光緒帝に「政治の苦労をかけたくなかった」という動機で動いている雰囲気。これからの政治は苦労ばっかりだから、あの子に辛い思いをさせたくない・・とか。なるほど、だから田中裕子が西太后をやったのか。ただし、なんか分かったような分からないような設定で。

おまけに光緒帝は西太后に頼りきっていて、すっかり懐いているようでもあり、そこに国家の将来を憂いる改革派の志士やらが活躍して、てんやわんやの政争。暗殺未遂騒ぎも発生し、根は優しい西太后も可愛さ余って憎さ百倍・・。わけワカメです。

などなど、へんな設定も多々ありましたが、最後まで面白うございました。そうそう。いちばん最後のあたりで、やけに計算高い少年が出てきて、逃走中の改革派が名を問うと「毛沢東」と答える。ままま、文句言っちゃいけません。可能性としてはありうるんだから。

★★ 講談社
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二代目とは「上杉景勝」「毛利輝元」そして「宇喜多秀家」です。三人ともとくに大英雄でもなければ、かといって特に愚鈍というわけでもない。ま、まずまずでしょう。たぶん輝元がいちばん年上で、秀家はずーっと年下。

なんでこの三人なんだろと最初は疑問でしたが、要するに秀吉に従い、やがては家康に反抗したという点で共通点がある。おまけに三人とも大老でしたね。そして関ヶ原のあとではひたすら苦労する。

視点としてひとつ面白かったのは、小山会議のあとの家康・反転引き上げで、なぜ景勝が追いかけて江戸へ攻め上らなかったのかの解釈。堺屋さんのはしごくシンプルです。「東西の戦いは一進一退、城の取り合いで1年や2年はかかるだろう」と上杉が読んだから、というもの。だから直江兼続の最上侵攻などなど、じっくりゆっくり動いた。まずば地力を養うという遠大な構想。

なるほどね。我々は関ヶ原がたった1日で終わったことを知っているから先入観が入る。そういう「常識」なしに見たら、東軍・西軍、こんなにはやく決着がつくなんてわかるはずがない。たしか九州の黒田如水も長くかかるだろうと見たから、諸侯の留守に乗じてせっせと九州平定の活動をした。完全に想定外の早期終結。

てな具合でそこそこは面白かったんですが、それにしても女性二人、つまり秀家の母、福。景勝の母、仙桃院。これがなんか千里眼みたいな超能力で、時代の流れを完全に見通している。なんかごとがあると仙桃院は息子の景勝に的確なアドバイスをしているし、お福(宇喜多直家の後妻ですわな)にいたっては息子を売れっ子の子役のように使って秀吉を籠絡する。

あんまり登場人物ができ過ぎだと、逆に面白みが消えますね。そうそう、小説の中では日海(囲碁の本因坊家の開祖。算砂))なんて碁打ち坊主も何故か政局を見事に見透かして動く。ま、信長・秀吉・家康と三代無事に仕えた人なので、実際、立ち回りはすごく上手だったんでしょうが。

もう一つ、。寡聞にして関ヶ原のあと、秀家が薩摩に逃げていたとは知りませんでした。なんかすぐに八丈島に流されたように思い込んでいた。ついでですが、流されてからも前田家から米を隔年に70俵送ってもらっていたそうですね。やはり奥さんだった豪姫の意向でしょうね。

Wikiによると豪は加賀で「化粧料1500石」をもらっていたというから、あまり生活に不自由することもなく夫(や子供)のために尽くすこともできたんでしょう。幸せだったか不幸だったかは知りません。


★★ マガジンハウス

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先日読了した「双調平家物語」と関連して借り出してみました。

なんでも「橋本治自身まるごと大展覧会」だそうです。そのとおり、橋本がなんやかんや、世相やら歴史やら男と女やら、さまざまなことでブツブツと呟いた集成のようです。

けっこう面白いです。でも、橋本の論理展開ってのは、追うのに疲れる。ストレートじゃないんですよね。常に横道に一歩ズレる。堅実な橋から、その横の虹の橋へ一歩踏み出してみるというか・・。

つまらないことですが、学生時代、歌舞伎座の安い席を1カ月だったかな、完全予約したそうです。もちろん安い席ですが、特定の「への88番」とか、そのひとつ右も左も花道が見づらかったり、舞台が見にくかったり、厳密に「への88番」(もちちろん架空の座席。そんな座席番号までもうろくオヤヂが覚えてるもんか)でないといけない。

細かいなあとも思うし、けっこう金があったんだなあとも思う。なんか冬は毛皮を着て大騒ぎ真っ最中の東大へ通ったとか。あの時代の学生ですよ。たしかにヘンコテリンな人です。

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「文人暴食」 嵐山光三郎

口直しの気分もあって、安心の「文人暴食」嵐山光三郎 を読み直し。たしかもう一冊、同じような本がありましたね。えーと「文人悪食」か。こっちのほうが登場人物がメジャーで、もっと笑えます。

こっちの「文人暴食」の登場人物ははどうも困った連中が多くて、困った食生活と困った生活をした奴が多いです。プロレタリア文学の時代にかかっているという理由もあるのかな。

何年も刊行を待っていたGeorge R. R. Martinの A Song of Ice and Fire シリーズ No.5。A Dance with Dragons はこの7月に出たんですが、出たのはハードカバー。ハードカバーで買うと大きくて重くて扱いにくいんですよね。掲示板なんかでも「腕が痛くなる」なんて書き込みもある。

martinbooks.jpgアマゾンの情報では来年の7月か8月ごろにペーパーバック版が出ることになっていたので一応は予約を入れ、でも、はて、どうしようかなあ・・と迷っていました。早く欲しいけど、ハードカバーの売れ行きに影響があるので、たいていペーパーバックの発売予定時期はウソが多いんですよね。少し早くなることが多い。

で、このところバタバタしてたせいか、すっかり忘れていました。今日ふと思いついてアマゾンをチェックしたら、うんうん、「2012/7/2」→「2012/3/29」に変更されていました。
そうか、来年の3月末。ひょっとしたらもう少しくらい早まるかもしれない。履歴をみると7月→5月→3月と書き換えられてるようですし。(追記: 要するにこれってマスマーケット版のことだったのね、きっと)

Martin、歳のわりに太りすぎで、おまけに遊び歩くのが好きな困ったオヤヂ。執筆スピードがこのところ落ちてる気配があります。それとも構想で大風呂敷ひろげすぎて始末に困っているのかな。急逝とか、この A Dance with Dragons がいきなり最後の本になっても不思議じゃない。なんとかしぶとく長生きして完結編(巻7なのか巻8なのか未定)まで書いてほしいんですが。

マゾンで前に予約いれたはずなので探してみたら、まだ7月発売の情報になっていました。混乱するといけないので、念のため予約をキャンセルしました。

追記
あらためてまたアマゾンを見たら、3月の発売は小型のマスマーケット版。より大判のペーパーバック版は7月のままだった。なんか勘違いしてしまったのかなあ。持ち歩くこともなさそうだし目が悪いので、私はペーパーバックのほうが望みです。(英国アマゾンは4月にペーパーバックが出るらしい)

★★★ 角川グループパブリッシング

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牛の涎の長大平家でさすがに疲労したので、口直し。奥田英朗のものは安心して読めます。

内容は昭和39年、オリンピック開催に沸き返るニッポン。学生やらBG(いまのOLですね)、タレント志望のホステス、セクト、やくざなどなど、まだ若い(はず)の奥田センセが、よく調べ抜いて当時の空気を描いています。同時代を生きた人間からすると、ほんのちょっと違和感を感じる部分もあるけど、ま、無理いっちゃいけません。

蕎麦ときしめんの清水義範も、この頃を背景になんか青春ものみたいなのを書いてましたね。ビートルズがどうとかこうとか。なんという本だったか忘れました。そうそう、「リプレイ」という本もありました。ケン・グリムウッド。これも面白い本でした。しがない中年男が理由もなく、記憶も保ったまま、パラレルワールドの青春時代にタイムワープする。

で、本書。ストーリーは比較的単純で、出稼ぎ労働者の兄の死をきっかけに、貧しい地方出身のとある東大生がオリンピック建設の肉体労働者を経験し、たくましくなり、オリンピックを破壊しようと考える。国家権力、捜査一課と公安は必死になって隠密裏にテロを防ごうとする・・・。こんな事件が世間にバレてしまったら、国際的に信用を失ってしまいます。だからこっそり行動。

なかなか面白かったです。生っちろい学生が肉体労働をする。もちろん辛いものですが、この当時はそんなに不思議なことじゃなかった。なんといってもお金になるし、手っとり早い。わたしも多少はやりました。たしか夏場の北洋漁業のアルバイトもあって、これは通常の4~5倍の賃金がもらえる。かなり魅力でしたが、さすがに命が惜しくて乗らなかった。素人が北の海で舟から落ちたら、ま、絶対に死にますわな。

でも「肉体労働のほうがスッキリ単純で、気をつかわなくていいよな」なんて考える奴がいたら大間違いです。間違っちゃいけないよ。いやーな世界です。サラリーマンだって人間関係はややこしいし、無理難題を言う上司はいる。でも単純労働の世界、もっと酷いです。理屈にならない理屈、おまけにいきなり暴力が出てくる。嫌な奴の嫌な度合いもはるかに酷い。劣悪な連中がいっぱいいる。

てな具合で、この東大生、結果的にヤクザまがいの男に脅かされて、殺してしまいます。生殺しに生かしておくと、あとがやっかいなんです。でもたいして罪悪感もない。要するに底辺生活を経験して、すごーく逞しくなってしまったんですね。ヒロポンやったり、車両専門の老スリ(箱師)と仲良くなったり。

まだ悲惨だった地方と繁栄を目指す東京。いまの中国の奥地と海岸地域の対比みたいなもんでしょう。ついでに底辺社会とエリート社会の対比。それに異議申し立てをするために、象徴であるオリンピックをぶっこわす。

当時のニッポン、オリンピック成功にむけて一丸となって邁進してましたね。アジアで初めての開催。三流国がようやく世界に認めてもらえる。高速道路が伸び、新幹線、モノレール、豪華ホテル、巨大な競技場。三波春夫。これに反対する国民なんていなかった。もしいたら非国民。

小説の中でも、左翼セクトの連中が「いまオリンピックを妨害したら、国民の指示を失ってしまう」と言います。暴力団でさえも「オリンピック成功のためだ。しばらくは組員みんな東京を離れる」という方針を打ち出します。国家総動員。

そうやってニッポンは高度成長の道へ踏み出したんですね。中国を笑っちゃいけません。

(注) 嫌な奴の嫌な度合い
このへんは、吾妻ひでおの「失踪日記」なんかが詳しいです。ガス会社の下請け作業。壊れたような作業員がいっぱい登場する。


★★★ 中央公論新社

やれやれ。ようやく全15巻を読了。斜め読みでもずいぶん時間がかかりました。斜め読み、たぶん、全体の2割か3割くらいしか目を通していないと思います。それでも大変だった。

soujou.jpg以前からこの時代に疑問が二つありました。ひとつはなぜ院政が可能だったのか。もうひとつはなぜ頼朝政権は成立したのかです。

なるほどなるほど。外戚として権威をふるってきた摂関家がついゆだんをして、中宮として送り込んでいない(重視してしなかった)親王が東宮になってしまったんですね。東宮になってからも、 適当な女児がいなかったという事情もあったみたいですが、朝廷には義母とか伯母とかいくらでも摂関家の息のかかった女性がいるんだから、わざわざ養女を設定して中宮を入れる必要なんてないだろ、とタカをくくってしまった。

実質的には白河院ということになるんでしょうか。この人が摂関家の影響力の及ばないかたちで威をふってしまった。おまけに長生きしたし。とどめをさしたのが後白河帝で、こんな今様狂いのトンチキにいちゃんが天皇になるとは誰も予想していなかった。

で、それを謀ったのが信西だというんです。信西、すごい智嚢と腕力と意志の持ち主だったらしい。でも最後は地中にもぐって 殺される。あるいは自死する。どっちだったのかは不明。

ついでですが、平安の御世に「死刑」を復活させたのも合理主義者・信西。なまぬるい平安に、首チョッパの暴力を復活させたんですね。結果的にそれが自分のくびを締めた。

また橋本センセの描く後白河院は決して「賢帝」でもないし「政治力にたけた悪某家」でもない。なんとも天然自然、意志が強くてわがままで、自分の好き勝手だけをする人。生意気な貴族には意地悪をする。慕ってくるやつはアホでも可愛がる。とくにアホな男を寵するのが好きだったらしい。困った人なんですが、でも強い。

とくに楽しみにしていた透き見遊び(庶民を眺めるのがすきだった)を妨害した廷臣を、おんみずから成敗に出張したというエピソード、面白いです。院が武士をひきつれて(これが清盛です)、牛車に乗って御所にのりこみ、逮捕して連れ帰った。すごい行動力。

もうひとつ。頼朝について。もちろん頼朝、なーんも背景をもっていません。源氏の棟梁・義朝の息子(三男くらいでしたっけ)で、右兵衛のナントカに叙せられている。一応サラブレッドではあるんですが、だからどうしたの世界。世の中、平氏のものなんですから、おちぶれた源氏の御曹司なんて、なーんの意味もない。たしか隠遁中、近所の有力者の誰かの娘に忍びいって子供を生ませて、その子供、すぐ消されてしまってますよね。娘の父親があわ食った。ま、当然ですわな。

で、なぜ頼朝の蜂起が成功したのか。まず、中央政府の力が衰えていたらしい。平家が実権握ってるんですが、あんまり機能しなかったのか、それとも地方武家の興隆と従来型の中央集権政治の折り合いが悪くなっていたのか。

地方武士にとってなにより大切なのは「自分の土地・利権の保護」「まともな(ある程度納得できる形の)裁判」「何もしてくれない京の政権に税金払いたくない」という気分。

だから本当は誰でもよかっんです。特に頼朝である必要はなかった。なんならイワシの頭でも、猫の尻尾でもいい。かつぐことのできるオミコシなら、なんでもよかった。

ということで、なんとも微妙ないろいろの末、千葉の有力者が頼朝をかつぐ決心をした。有力者がかついだことで、周囲の有力者も仲間に加わった。加わったことで、関東圏があっというまに頼朝の下に参集した。おまけに成敗に下ってきた平家の討伐軍が信じられないほど弱かった。

そもそも、平氏って、本質的には「もののふ」ではないらしいんですね。半分武士で半分公家。源氏ほど乱暴ではない。下手すると「馬に乗って刀も振るえる公家」ですか。ま、それでも瀬戸内の海賊をいじめたり興福寺を焼く程度には強かったんですが。

結果的に関東を制圧した頼朝ですが、家来の豪族たちは京に攻め上って日本を統一しようという気もなかった。せいぜいでたとえば武蔵のなんとか郷、せまい地域を自分の領にできればそれで十分。西国や九州にはなーんも関心なし。一種のモンロー主義ですね。

だから、後白河からすり寄られた義経は、あっというまに頼朝から勘当された。関東御家人たちの共有する感覚が、たぶん奥州育ちの義経にはなかったんでしょう。そもそも、義経にはまともな家来がいなかった。字を書けたのは弁慶だけ? あとは盗賊あがりとか、狐の子供とか。

などなど。読みとばしではありますが、面白い本でした。

★★★ 中央公論新社

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エリザベス本はいくらでもあるけど、これは「まっとうな本」です。というか、基本的に小説ではなく、史伝とか歴史物語とか、ま、そういうテイストですか。

エリザベス一世ものではトム・マグレガーの小説を比較的最近読んだんですが、こっちは可憐な乙女・エリザベス、悪魔のように冷酷有能なウォルシンガムとかなんとか、ハリウッド映画の原作みたいな代物でした。ひどいけど、ま、それもよし。

で、「エリザベス 華麗なる孤独」はヘンリー八世にも光が当たっています。ひたすら暴君という扱いではなく、彼にとってはそれなりの理屈があって、次から次へと奥さんを殺していった。絶倫ふうの彼ですが、なぜか男子が生まれなかったんですね。それがヘンリーの最大の弱みであり、気がかりであり・・・。

で、エリザベス。即位前もマグレガー本のようにひっそり寂しい生活してたわけでもなく、さすが中世で、何十人、なん百人も侍女やら召使やらを使っている。そりゃそうだ。いちおうは王位継承権をもってる女性なんですから、そんなに粗末に扱われてるわけがないですわな。

即位してからの結婚話のもろもろが面白い。スペインもフランスもオーストリアも、なんとかこの女王と結婚したい。結婚したら、もちろん英国も一緒にもらってしまおうという算段。で、若い女王(最初の頃は若かった)は色目つかったり拒否したり、すねたり、文句言ったり、相手が諦めそうになるとニャンニャンとすりよる。作戦だったのか、たんなる優柔不断だっだのか不明。

結果的に各国の求婚者たちは、手玉にとられてしまった形です。そうやって時間かせぎをしながら、なんとか弱っちい英国は生き延びることができた。なんせスコットランドにはメアリー・スチュアートがいるし、アイルランドはやたら反抗するし、新旧の狂信者たちはケンカするし。貧しい英国としてはけっこう大変なんです。

それはそれとして、女王の寵愛した連中、どれもこれもあんまり出来がよくないですね。現王朝のウインザー系も男選び、女選びの趣味が悪い感じだけど、テューダー朝もみーんな趣味が悪い。

最初のロバード・ダドリーは論外にしても、エセックス伯にしても、どうも役にたたない。これも首切られたけどウォルター・ローリーなんてのはマシなほうかもしれません。たしかローリー、マントを敷いただけでなく新大陸でなんかやったよう記憶があります。何したんだっけ。

★★★ 中央公論社

soujou.jpg長い々々本です。全13巻。ずーっと以前に巻1を読み始めて、ななな、なんだ、玄宗・安禄山が延々と続くので呆れかえった記憶があります。


それから十数年(たぶん)。またフッと気が向いた。かったるいけど、読んでみるか。図書館に揃ってるし・・・。

で、巻2から開始しました。巻1を読了したかどうかも記憶にないですが、巻2は蘇我入鹿のようなので、ま、たぶん読めるだろう、きっと。

結局薬局郵便局で、巻11だけ除いて読みおおせました。巻11はなぜか欠本。誰かがこの巻だけ借り出したらしい。不思議な借り方をする人がいます。なんか調べ物でもあったのかな。

はい。面白いです。でも非常に疲れます。人間関係、系図、ごっちゃごちゃで、しかも橋本調で表現がもっちらねっちら粘って、おまけにスパイラルしている。エネルギーの必要な本です。だれそれ中納言の親の兄弟の3番目の娘が大納言の養女になって、それが○○の中将の甥の養女の亭主の二番目の息子と結婚する。これが関白にとってどういう意味をもつか・・・・。知るか。

たぶん橋本治もそうだったと思いますが、平安末期を読むと、なぜ院政という仕組みがなりたったのか、疑問をいだきます。院政という形が成立すると、摂関藤原のパワーの源泉がなくなってします。なんせ天皇に中宮、皇后を差し出して外戚として力をふるうのが摂関家のエネルギー源。いやーだよ、と退位した天皇、つまり上皇や法皇が勝手なことをしたんじゃ「外戚」の意味がなくなってしまう。

関白も摂政も、天皇に対しての地位ですからね。院ではこうした官位役職に関係なく、院に気にいられた男が権力をふるい、院宣なんてのをふりかざす。どういう男が気に入られるかというと、能力もあるだろうけど、院の寵愛するイケメン(ただし太りぎみの中年)だったりする。平安期、男色が蔓延していたようです。

ま、そんな具合で、かったるい部分は飛ばし読みしながら1~2カ月かけて終えました。あー、疲れた。

追記
全13巻ではなく「全15巻」です。13巻は以仁王の令旨まで。まだ清盛が死んでなかった。


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