2016年2月アーカイブ

★★★ 新潮社
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マタギ小説「邂逅の森」の作家です。この人、上手なのか下手なのか判断に困る部分がある。

「烈風のレクイエム」の主人公は岩手種市生まれ(朝ドラあまちゃんで南部潜りが紹介されてましたね)の潜水夫。函館で潜水作業船の親方していたんですが、昭和9年、函館大火に出会う。死者2000を越える大災害だったようです。妻子を探して潮風と猛火のなかを動き回るシーンは迫力あります。

熊谷達也の書くものって、読んでるだけで肌に痛みが感じられたり寒かったり煙かったり、迫真ということですか。描写は独特です。(「邂逅の森」では熊に足をガリガリ齧られる。あれは痛そうだった)

で、女房子供を失って、また新しい妻子を得、平穏と思ったらこんどは昭和20年の空襲。グラマンにやられてしまう。踏んだり蹴ったり。そしてまたまた、今度は昭和29年の洞爺丸。要するに函館ってのは大きな災害戦火に3回も出会っている。それが理由で小説の舞台にしたんでしょう。

主人公は例によってちょっと職人肌で半分スーパーマンでストイックで、これも定番。しかし完全無欠ではなく、イライラして女房に当たったりする。これもお馴染み。雨風冷たい北国でじーっと耐えながら歳をとり、子供が成長していく。ま、それだけといえばそれだけのストーリーです。


★★★ 早川書房
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副題は「人口大爆発とわれわれの未来」。前に読んでなかなか良かった「人類が消えた世界」の著者です。「人類が消えた世界」は、なぜか人類がいっせいに消えてしまったら、世界はどう変化するかのを刻々と描写したものでした。たとえば数日後、家はどうなっていくか。数年後に家畜や野生動物はどうなるか。

ちなみに家は思ったより早く崩れます。人の住んでいない住居ってのはダメなんですね。もちろんビルも崩れます。ガラスが破れ、植物がはびこり、コンクリートは腐食する。プラスチックやステンレスはかなり残ります。プラスチックだらけの地表や海にどんな生物が生き残り、繁栄するか。

で、その著者が「滅亡へのカウントダウン」ではもっとストレートに人類の未来に警鐘を鳴らしたのがこの本です。「未来」というほど先ではないようで、ほんの数十年。一世代か二世代で人類は悲惨なことになるかもしれない。原因は温暖化、水資源、環境汚染、食料不足・・・しかし根本的な原因は、要するに人間が多すぎることです。

計算によると地球に負担をかけないですむような人類の最適値は甘めにみて20億人程度らしい。ほんとうはマルサス理論でもっと早めに限界に達するはずだったのに、科学肥料をつかった例の緑の革命でちょっと余裕ができた。余裕ができたといったって、せいぜい数十年です。

リベットの譬えは面白かったです。巨大な飛行機が飛んでいる。乗客が窓の外を見ると、翼の上に人が乗っかっていて、機体からリベットを抜いている。このリベット、高く売れるんですよ。設計に余裕があるからリベットを少しくらい抜いても大丈夫。実際、抜いても抜いても飛行機はまだ壊れません。安心して乗客はまた昼寝をする。森林を伐採してもまだ大丈夫。どんどん水を汲みあげてもまだ大丈夫。農地を増やし続けてもまだ大丈夫。石から原油を絞り上げてもまだ大丈夫。

でも、リベットを抜いていると、いつか「最後のリベット」が来ます。いきなりエンジンが壊れる。こうなると、もう終わりです。墜落しかない。

いますぐ全世界の住民が子供を1人か2人しか作らなくなっても、惰性でしばらくは人口が増え続けます。たぶん90億とか100億とか。しかしこのまま産めよ増やせよを続けていると、あっというまに120億になる。もっと行くかもしれない。その先は、たぶんないでしょう。全員に行き渡るほどの食料はない。

教育を受けた女性が多い先進国では、子供の数が減ります。しかし貧しい途上国ほど子供たくさん作る。幼児死亡率が高いから保険のためにたくさん産むし、労働力の確保でもある。ニジェールのように7人を越える国もあります。

イスラエルのように意図的に出産数をあげている国家もあります(現在は3人程度)。子供の数=兵士の数という考え方です。人口が少ないと周囲の敵対国にのみこまれてしまうという恐怖。みんないろいろ事情がある。

総論としては、人口は増えすぎないほうがいい。しかしそこに宗教が絡み、政治家の思惑や経済学者の成長理論、男たちのプライドが絡んでくると話がややこしい。たんなる家族計画推進でさえ反感をかったりする。米国政府の家族計画援助金は民主党政権時に成立し、共和党政権になると途絶え、また民主党になると復活する。

人口が減る、減らす。なんかイヤなんですよね。人間の自然な感覚に反する。だから中国の一人っ子政策は全世界から嫌悪された。じゃどうすればいいのかというと、実は答えがない。

どんどん人口が増えて、結果的に強制的な人口減少(戦争、食料不足、疫病) になるのか。それとも気分は悪いけど理性的に子供の数を抑えることでそれを避けるのか。みんな現実を見ないようにして生きている。

ちなみに現在の人口(70億だったかな)でも、全員が先進国レベルの生活スタイルをかちとることは不可能だそうです。どうしてもというなら、人口を20億くらいに減らすしかない。昔から言われてましたよね。中国人民がすべて新聞を読むようになったら、世界の木材パルプは品切れになる。ま、幸いなことにネット社会になったんで、この部分だけは避けられましたが。その代わり、みんなが肉を食べたがる。中国だけでなくインドもそうでしょう。みんな美味しいものを食べて安全に豊かに暮らしたい。でも地球にはそんな資源がもうなくなっている。厳然たる事実のようです。


久しぶりにPCパーツ関係情報を見てまわっていたら、意外なことを発見。最新のインテルCPU(第6世代 Skylake)がWindows10専用みたいなことになったらしい。
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たいていの人はさして関心ないでしょうが、パソコンエンジンであるCPUの進化は実は停滞しています。

現状は第6世代と称されるCPUです。しかしその前の第5世代、第4世代と性能の目安である周波数はほとんど違いがない。周波数は1秒間にこなせる仕事の量の目安になりますが、それがもう物理的な 限界にさしかかっているんですね。

仕方がないから内蔵エンジンの数を増やして「i3」「i5」「i7」なんて名称にしている。ちなみに内蔵エンジン数が倍になれば性能も倍になる・・・わけではありません。クルマだったらAのエンジンで車輪をまわし、Bのエンジンがエアコン担当、Cのエンジンがカーナビ・・・というような具合です。それぞれの仕事分担の整合性もとらなければならないし、エンジン1つですべてをまかなうのに比べたら負担は減るでしょうが、たいしたことじゃない。

ま、正直なことを言ってたら商売にならないんで、インテルも少しずつ改良して、新しいCPUを売り出す。それはそれで文句はないです。

ところがここにソフトウェアであるOSが絡んでくる。マイクロソフトはWindows8が芳しくなくて、さっさと次のWindows10を発売した。悪くないOSだという評判もありますが、しかし2世代前のWindows7の出来が非常によかったもんで、せっかくの新Windows10があまり売れていない。「Windows7とかWindows8を使っている人は無料でWindows10に変更できますよ」なんて大サービスやってますが、そんなに乗り換える人が多くないんでしょうね。

で、禁断の作戦に出た。「最新の第6世代CPUパソコンで古いWindows7を使っている人は、2017年までしかサポートしない」と発表。サポートしないというのは「Windows7になにかセキュリティ問題が起きても解決用のソフトは作りません」ということです。ここで問題なのは「古いCPUのパソコンでWindows7を使っている場合は2020年までサポート」と約束していることです。

古いパソコンなら2020年まで解決ソフトを提供する。新しいパソコンなら2017年(来年です)までしか提供しない。意味不明の逆転現象。Windows10を売りたい気持ちはわかるけど、ちょっと無理筋じゃないんですか。

結果として発生したのは、Windows7を気に入っていて、これを使い続けたいと思っているユーザー層の困惑です。CPUってのはハードウェアですから、たぶんそのうち壊れる。壊れたら新しいCPU(それにともなって新しいマザーボード、新しいメモリユニット)を買うことになりますが、その時点で「Windows7を使っていますね。サポートしません。当社は安全を保障しません」という事態になる。

2020年までは大丈夫と思っていたユーザが、あれれ!ということになります。保障期間を3年も縮められてしまった。

「古いOSなんて使うんじゃないよ。さっさとWindows10にしろ!」という、マイクロソフトの強引な方針です。昔からさして好きな会社ではなかったけど、それにしてもアコギだなあ。Windows10、まだ出たばっかりなので互換性とか、いろいろ問題が残っているし、使い勝手もいままでとはかなり違うし。

困った事態ですが、こんな無理筋がすんなり通るんだろうか。猛烈なクレーム(特に業務導入していた会社などから)が予想されます。ほとんどの会社にとって、とりあえず問題なく稼働しているシステムを大幅変更するなんて断固反対でしょう。OSを変更するってのは、大変なんです。

私が現状使用しているのは古いプロセッサで、第2世代であるSandy Bridgeかな。えーと、購入は2012年。ちなみに現在は第6世代まで進化していますが、でも性能そのものに大差はないと思っています。ただ通常、壊れるのはCPUではなくマザーボードです。もしマザーボードが壊れると、非常に困る。迷うでしょうね。


大河ドラマ「真田丸」、見ています。

日曜夜に見て、時間があえば土曜の再放送も見る。こまかい台詞とか場面がけっこう重要なドラマなので、2回見ても飽きない。真田親子もいいし、なんといっても脇役が豪華でしっかりキャラが作られているので安心できます。

一部では不評らしいですがワヤワヤ騒ぐ女性陣もけっこう悪くない。はすっぱな現代語使ったっていいいじゃないか。脚本三谷の意図であるウザい台詞が成功しているかどうかはともかく、けっこう可愛いと思っています。
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ただ、戦国末期の歴史推移をまったく知らない視聴者にとってはストーリーが少し難解かもしれませんが、ま、しかたない。全員が満足できるドラマなんてありえません。ま、おかげさまで面白いドラマを毎週見られる。感謝です。


sr-m6000.jpgふと用があって置きっぱなしの電子辞書を手にとったら、もちろんバッテリーが切れていた。ま、そうだろうな。

セイコーのSR-M6000という電子辞書です。これを買うときは機種選びにけっこう悩んだんですが、良質な辞書を精選していて作りがしっかりしている。

しかし当時でもカシオの電子辞書のほうが辞書数や機能盛りだくさんで、派手さでは劣る印象でした。案の定でその後、セイコーは電子辞書から撤退したようです。そういう時代なんだよな。いいものが売れるってわけじゃない。

で、購入は2003年。定価42,000円のところを25,000円くらいで買いましたが、選んで正解の機種でした。決め手はリーダーズとジーニアスが入っていて目玉がコウビルド英英というところ。コウビルドってのは面白い辞書で、通常辞書のように「定義」をしません。

たとえば「horse」なら、普通の辞書では「ウマ科の動物。四つ足で体は大きく顔が長く・・・」というふうに説明します。しかしコウビルドの場合「horseは人が乗れる大きな動物。一部のhorseは荷物や荷車を運ぶために使われる・・」とか、逆から説明する。周囲から攻めていくわけです。試しに「love」をひくと「もしあなたが誰かをloveすると、ロマンチックにあるいは性的に魅惑される。それはとても重要なことである」。

要するに読んで楽しいんですね。暇つぶしに最適です。買った当時は喜んで適当に見ていたんですが、そのころ熱中していた「A Song of Ice and Fire」シリーズを読む気力が急になくなった。えーと、第5部のA Dance with Dragonsの途中で挫折したのかな。Tyrionが大陸で川下りをしているあたり。どうして読めなくなったのかは解明不能。分厚いやつをいまだに枕元に積んであります。そのうちまた再開するかもしれない。

で、気がついてしまったんで、しかたなく電池を入れ換え。なるほど単4でした。電池を入れてリセットして、これで単4の買い置きがなくなってしまった。3.11の計画停電で懲りて、乾電池は必ずストックしておくようにしているんですが、日時がたつと少しずつ減る。またまとめて補給しておかないといけません。特にLEDランタン用、ラジオ用。ICレコーダーにも使うし、ストックがあると安心感があります。そうそう。ティッシュペーパーなんかも必ず余計にストックしておくようにしています。3.11ってのは、何によらず考え方に大きな影響を与えていますね。

★★★ 中央公論新社
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再読。

なんか良質なものを読みたくなったんですかね。良質というと、思い浮かぶのはこの本とか、そうですね、えーと、堀田善衛の「ラ・ロシュフーコー公爵傳説」、あとはポール・セローの「ダーク・スター・サファリ」ですか。ポール・セローってのは、マーセル・セローの親父です。

そうそう。ヒラリー・マンテルの「ウルフ・ホール」もよかった。

で、「極北」。時間をおいたせいでけっこうストーリーの細かい部分を忘れていました。いい具合。ただし叙述の雰囲気はしっかり記憶に残っています。

人々の死に絶えた極北の開拓村。一人だけ生き延びて、用もないのに警官として周囲を巡邏するタフな主人公メイクピース。もちろん拳銃やライフルを装備して、馬に乗って見回ります。銃弾は自分で作る。1発使ったら、5発補充するのをモットーにしている。なかなか良いシーンなんですが、はて、火薬はどうしていたんだろう。

銃弾とか薬莢なんかは器用な人が時間をかければ自作可能とも思うんですが、パウダー自製は難しいだろうなあ。どっかで大量の火薬樽でも探しあてたんだろうか。ま、そのへんは言いっこなし。

マイナス50度の過酷な環境で人は簡単に死にます。しかし意外にしぶとく生き延びている人もいる。死ぬ人間と生き延びる人間の境目がどこにあるのか。そんなことも考えさせられます。

たまらなく肉が食べたくなると、自家製のウィスキーをソリに積み、数週かけて付近のツングース(ヤクートだったかな)との交易に出ます。仕入れたいのはカリブーの肉など。夏に肉を仕入れてもすぐ腐るので、購入の時期は厳寒期に限る。極北で人々が歩き回るのは厳寒期だけです。蚊もいないし川も渡れるしソリも使える。夏に動きまわるのはバカだけ。夏は必死に作物を育てなければならない短くて貴重なシーズンです。

極北には極北のルールがあります。殺されるのは愚か者。生き延びたければ徹底的に用心し、人を疑う。相手が自分を殺そうとするなら、躊躇なく相手を殺す。神経のピリピリするような日々ですが、それだけに清々しくもある。

作中、主人公は3人ほど、短い期間ながら心を許せる対象を得る。最初はピングと名付けた中国系の逃亡者(子供でしょう、たぶん)。もちろん言葉はまったく通じない。ピングは毎朝太極拳をしたり、怪我を治すために縫い針を耳や鼻に刺したりする。それでも相手は人間です。感情はある。

森の中で出会ったヤクートの少年ともかすかに交流ができますが、ここでも言葉はいっさい通じない。というか、お互い会話をしようともしないし、少年は気持ちをまったくあらわない。ずーっと無表情。ただ、なんらかの感情のつながりがあったような印象は残る。

後半、もう一人の友人(らしきもの)も生まれます。ただし、これも本当に心を許せるかどうかはわからない。おまけに英語圏の人間ではなくイスラムで、科学知識があり何カ国語もマスターしている教養人。彼は苛立ってメイクピースを「野蛮人」と罵ります。たしかにメイクピースは野蛮人です。街を知らない。文化にも縁がない。本もほとんど読まない。ただ知っているのは厳しい土地で生き延びるためのノウハウとタフな生命力だけ。

こういう主人公を据えた本って、読んだことがないような気がします。メイクピースは非常にシンプルです。時折、深く考えることもあるけど、それ以上は追求しない。まず生きること。少なくとも無様な形で死ぬのはいやだ。父親はインテリで一国の大使とも議論できそうな人でしたが、実生活においては釘一本まっすぐ打ち込むこともできない。メイクピースは逆です。教育はほとんどゼロ。しかし釘は打てる。銃も使えるし馬にも乗れる。厳寒の極北を何週間も一人で旅することもできる。

文明とか教養って何なんだろうか。知識はもったほうが幸せになるのか、むしろ無知のほうがいいのか。いろいろ考えさせられます。いずにれしてもこの小説、感傷はゼロなんですね。清々しい。


★★★ 文藝春秋
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世の中には「パレオダイエット」なるものがあるそうです。知りませんでしたが「Paleo」は「原始的な」です。「Paleolithic Era」で旧石器時代。要するに旧石器時代の人間のような生活をすることで健康になれる。Caveman Diet(穴居人ダイエット)。

根拠としては、文化の急激な変化にたいして、人間の体は対応することができていない。特に農耕文化に突入してからの小麦や米、糖質の過剰カロリーに人類のDNAは対処できない。だから肥満したり、不健康になったり精神を病む。

それなりに説得力がありますが、この「パレオダイエット」にも穏健・過激いろいろあって、たとえば牛乳を許すかどうか、果物はどうだ。バターやタマゴをどうする。極端な提唱者になると、マラソンは禁止。原始人はそんなに長距離走り続けることはなかったから。もし走るなら、数百メートル全力疾走して、プラプラ歩く。また急に走る。休む。獲物を見つけた狩猟民のパターンですね。

また「殺したマンモスの肉片を想定して、数十キロの重いものを持ち上げるトレーニングもいい。しっかり食ったら寝る。常食はもちろん肉です。あとは野草や根菜とかナッツ類とか。

つい笑ってしまいそうですが、提唱者は原始人が槍もって走りまわっていつもマンモスや鹿を狩っていたと想像しているらしいです。ずいぶん単純化している。トボトボ歩いて腐肉をあさったり、虫ををつかまえて食っていたとは考えない。

で、そうしたパレオ主義者に対してずいぶんお怒りの様子なのがこの本の著者。本当に人類は変化してこなかったのか。いやいや、生物はけっこう短期間で進化するものなんだ。ま、そういう趣旨です。

実例としてあがったハワイの雄コオロギは、ほんの5年くらいで進化(変化)した。メスの気をひくためにせっせと鳴く行動を停止した群れがいて、なぜならこの地域では鳴くと恐いハエに発見されてタマゴを産みつけられてしまう。鳴かないという選択は求愛行動として非常に不利になりますが、それでも生き延びるためには鳴かない道を選んだ。

そうそう。一部の人種の瞳が青いのも、ほんの数千年の進化らしいです。昔はみんな色が濃かった。人間の進化が止まったと考えるのは、まったくの勘違いなんだそうですね。

なかなか面白い本でした。


兵馬俑をみてきました。

たまたま日曜だったこともあってか、上野公園のあちこちで雑技団とかダンスとか演奏とか、やっています。まだ寒いけど春の気配ですね。「風があって難しい・・」とか弁解しているジャグリング青年もいたけど、本音なのかわざとなのか不明。雑技団の連中なんて、たぶん稼ぎ目的と思うのですが、採算あうんだろうか。

会場もけっこう混雑。資料展示のコーナーと兵馬俑コーナーの2室に別れていましたが、資料展示のほうは人ごみの隙間からチラチラ見える程度。けっこう面白そうだったんですけどね。装飾品とか青銅器など、精巧なものがたくさんあった。これが紀元前のレベルだったのか。

heibayo.jpg中程にきれいな短剣も陳列されていて、ただし青銅ではなく玉製。中国って「玉文化」なんですね。金の産出もあったと思うし、特に西域では金細工に人気があったと思うのですが、中国で珍重されたのはあくまで玉だった。玉には何か魂でも感じられたんでしょうか。

日本に運ばれてきた本物の像は10体ほどのようです。派手な銅車なんかはレプリカ。その他にも数十体の兵士のレプリカもありましたが、こっちは作りがけっこうザツで、その他大勢の背景扱いかな。このザツな群像の背景が発掘現場の写真になっていて、ま、遠くから見ると立体的に見える・・はず。

像そのものはなかなかでした。弩を構えていたらしい立射俑とか跪射俑とか軍馬とか、かなりリアルです。こんなふうに写実的な感覚が当時からあったんですね。そうそう、弩(ど)のサンプル品もありました。かなり大きくて強そうな弓です。こんなのを構えた兵士が肩をならべてドスドス進軍してきたら、かなり恐い。兵士たちの顔もいろいろで、多民族編成だったようです。

始皇帝が没したのは紀元前210年頃です。しかし秦帝国は二代目が後をついで数年で滅びたはずなので、始皇帝の生前から用意していたんでしょうか。ちょっと調べてみると造成に何十年もかかったはずという意見と、いや一気に数年で作ったという説、両方あるようです。真実はまだ不明。

陳列品は色が完全に落ちたものですが、実際には極彩色だったらしい。色があったら印象はまたガラリと違ったでしょうね。というより、かなり不気味です、たぶん。

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