2017年1月アーカイブ

今年の大河ドラマからは早々に退散したので、今のところ「けっこう楽しみ」と感じるテレビはTBSの連ドラ「カルテット」だけです。たまたまチャンネルを選んだら松たか子・満島ひかり・高橋一生・松田龍平と達者な役者が揃っていて、何より脚本が素晴らしい。坂元裕二という人らしいです。

この4人がたまたま出会い、冬の軽井沢の別荘に泊り込んで合奏練習をする。どうしてそうなったかは、いろいろ複雑そうです。まだ詳細は明かされていません。

セリフのやり取りもかなり感覚的なんですが、実は理詰め。ちょっとよそ見すると大きな部分を逃がしてしまうようなつくり方です。面白いけど、実はかなり疲れる。大人のドラマという感じですね。案の定で、視聴率は10%に届いていません。
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ま、しばらくは楽しめるものができた。けっこう喜んでいます。


★★★★ 河出書房新社
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閻連科は「愉楽」の人です。マジック・リアリズムとか称されて、たぶん悪くはない小説なんでしょうが、個人的にはあまり合わなかった。

で、この「父を想う」はタイトル通りで亡き父や伯父、叔父たちについて書いたもの。回想といってもいいかもしれません。前書きによると、叔父の葬式で帰ったとき姪から「連科兄さんはいっぱい本を書いてるけど、私たちのことを書いたことはないわよね。みんな亡くなって迷惑かけることもないし、書いてみたら」と言われた。

確かにそうだ。父は早くに亡くなった。伯父は不自由な体にはなったが長生きした。そして叔父もまた亡くなった。父の兄弟はみんないなくなってしまった。はてしない忍耐の人生。生きること、労働、尊厳、死。いろいろ考えます。気負わず、書き残しておくことも必要なのではないか・・。


飾ることなく、生き抜く農民の暮しを描いた、いい本です。とくにドラマチックなことは起きませんが、余韻が深く残ります。

考えてみると、これ、農民の人生なんですよね。いままで読んだ賈平凹(老生)とか余華(血を売る男兄弟)などなどの場合、舞台は農村のようですが、実は違う。農民たちが集まるような小さな町の話でした。だから登場人物も町工場に勤めていたり、小売り店だったり食堂だったりしている。純粋な農民とは、やはり少し違う。つい似たようなものと思ってしまいますが、実際にはかなり違う。

地面に這いつくばった惨めな農民の生活を描いたのは、この閻連科と莫言くらいでしょうか。

新生中国、農民は貧しいです。飢餓の3年をなんとか生き延び、朝から夜まで身を粉にして暮らしている農民にとって、中央のことなんてまったく関係ない。生きることだけで精一杯。ある日とつぜんお役所から「大学入試ができるようになった」とか「張、姚、江、王の四人組が・・」と知らされても、何のことか見当もつかない。

家が貧しいため著者は高校中退ですが、ある日突然受験できる知らせを受けた。入試といっても毛沢東を褒めたたえる作文を延々と書くんですが、うっかり志望を「北京大学」にしてしまいます。さすがに北京大学は難関。あえなく失敗。しかし他の大学の名前なんてまったく知らないので仕方ない。

父も伯父も子供たちが結婚できるようにするため、必死に働きます。娘には嫁入り支度を整えてやる。息子には新居として住める瓦屋根の家を建てる。それをなし遂げることが男としての誇りです。その義務を果たしたら、もう終わり。ようやくホッとして余生を過ごす。

そうそう。文革期の下放についても書いています。都会から知識人たちが農村へやってくる。やることもなく(まともな仕事ができるわけがない)プラプラしてタバコを吸っている。お達しであちこちの農家で食事をとることになっていて、夕食を分担した家では貴重な小麦粉を使った食事をふるまう。ふだんはサツマイモの麺を食べているような農家にとって小麦粉は貴重品。全員が食べる量なんてあるわけないので、食事時になると子供たちは追い払われる。お腹をすかし、たぶん食い入るような目で母親の作る小麦粉のセンベイとか麺とかのご馳走を見つめていたんでしょう。

この食事、一応は少額のお金を払ってもらえたようです。ただし、まったく足りない額。たまりかねて農民たちはクレームをつけたらしい。これ以上続くとみんな飢え死にする。

著者は高校へ進学します。しかし一軒の家からは一人だけしか行けない規則。一人だけと知らされて顔を見合せ凍りつく自分と姉。このへんの描写は泣けます。姉は辞退を決断します。

しかしせっかく行けた高校も、中途退学するしかない。少しでも現金収入を得るために肉体労働を始めます。16時間労働で、家にも帰らず現場で8時間休む。涙が出るほどきつい。苦しい。ああ、村から出ていきたい。都会へ行きたい。もっと人間らしい生活がしたい。こちら側の世界からあちら側へ。そして著者は人民軍へ志願することを決断。これは惨めな田舎からの脱走です。

貧しさから逃げ出して軍に入り、それからどうやって成功したかは描かれていません。やがて結婚した奥さんは都会の人だったようです。死の近づいた伯父は自分の葬儀をことこまかに指示します。そして「お前には一つだけお願いがある。葬式には必ず帰ってきてほしい。しかし奥さんは都会の人だし・・」と言うと「嫌がるようなら離婚します」と断言。それを聞いた病人は嬉しそうに笑います。

そうやって、老人たちは一生を終えた。著者は「尊厳ある死」と考えます。



★★★ 新潮社
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ローマ、十字軍、地中海、フリードリッヒ二世・・と来て、これから何を書くのかと思っていた塩野七生、案の定というか、ギリシャシリーズになりました。ま、順当でしょうね。

全3巻の予定だそうです。で、巻1は「民主政のはじまり」。

えーと、古代ギリシャについて何を知っているかというと・・・たいして知らないなあ。アテネとスパルタのこと。議論が大好きで集団行動が苦手なこと。妙に人間臭い神話体系を持っていたこと。アテネとスパルタがぞれぞれ栄えて同盟を作ったこと。で、マケドニアのフィリッポスに負けて覇権を握られたこと。

教科書みたいに「北からドーリア人が南下し、イオニア人たちが・・」なんて記述がなくてホッとしました。そもそもギャシャ人とは「ギリシャの神々を信仰し、ギャシャ語を話す人々」なんだそうで、どうして住む地域も違うドーリア人とかイオニア人とかが同じ文化を共有したのか、そのへんからして疑問です。単に「東北人」「九州人」程度の違いだったんだろうか。

そんな昔のことはナシにして、まずスパルタの話から始まります。少数のドーリア人が多数の先住民を押さえつけなければならなかったため、社会制度を思い切って厳格にした。リュクルゴスという人がみーんな決めてルールを作ってしまった。そのルールが非常に厳格かつ硬直な形で守られてきたのがスパルタ。ほとんどマゾで重装歩兵である市民といえどもべらぼうに貧しかった。連中が日常的に食べていた肉と野菜のスープがいかに酷い味であったか。ほんと、不味そうです。

そうそう。戦争にでかける際、多くのポリスでは戦士1人に対して従者も1人というのが一般的だったそうです。しかしスパルタだけは従者(および奴隷) が7人もいた。戦士(市民)がいかにエリートだったか。いまのオリンピック選手みたいですね。べらぼうに強かったけど、その代わり数は少なかった。

しかし、このへんのスパルタのことはスティーヴン・ブレスフィールド「炎の門」 を読んだほうがわかりやすいです。ストーリーはどうでもいいですが、スパルタ人の思考回路とか生活ぶりを知るのには最適。いかにしてスパルタ人は戦士になるのか。

で、対照的なアテナイは前6世紀初頭のソロンから話が始まります。ややこしかったですが、簡単にいうと貴族階級と平民階級の間の垣根をとっぱい、対立を緩和した。かなり強引な政策ですが、巧妙にガラガラポン改革を進め、それぞれの資産に応じて、ある程度公平な参政権を保障したようです。結果的に「市民」「中産階級」が増えたんでしょうか。

で、ペルシャのダレイオス一世(が派遣した将軍)が攻めてくるわけですが、アテナイが中心になってマラトンでこれをくい止める。スパルタはどうしたんだと思いますが、例によってゴタゴタして、戦場に遅刻した

スパルタってのは伝統的に「戦うぞ」と決まると電光石火、しかしその前段階、とにかく物事を決めるのに時間がかかることで有名だったそうです。おまけにポリスを出て外で戦うことにはあまり関心がなかった。スパルタ・モンロー主義ですね。急に「全ギャシャのために戦え」と言われたって、あまりピンとこない。

だからなんでしょうね、次回のペルシャ戦役、例のテルモピュライでも300の戦士しか派遣しなかった。「炎の門」なんかの解釈では、この300人が全滅することも予測していたようです。だから既婚者でかつ後継者のいる男しか選ばれなかった。それなのになんで300人を派遣したかというと、たぶんメンツの問題でしょう。またスパルタがサボった、と言われないように、あえて少数に死んでもらった。

塩野さんはスパルタの政治体制にえらくお怒りのようです。王が二人いるんですが、これは特殊な家系出身でエリート教育をほどこされている。軍事行動の際に指揮するのが仕事で、通常はなにも権威を持っていません。では誰が国政を握っているかというと、市民(つまり軍人)から選ばれた5人会議。子供の頃から戦士として集団生活している連中なんで、政治的な観点なんか持てるはずがない。みんなコチコチのリュクルゴス信徒。超保守派。いってみれば「政治素人」です。これがスパルタの問題点だった。

で、アテナイですが、ソロンが平民層・中産階級を保護したあと、クレイステネスが民主制の基盤をつくりあげ、ついでに陶片追放なんてものも考え出した。そしてその後に登場したのがテミストクレス。非常に有能。そして専制をふるった。愚民の意見なんか無視する。有力な政敵は陰謀をめぐらして陶片追放させる。もちろん自分は上手にたちまわって追放にあわないように策動する(それでも最終的には追放された)。

本人としてはアホの言うことなんかに耳を傾けていたらペルシャに征服されてしまう。なにがなんでも強権ふるって自分の思うようにするんだ、ということでしょう。海軍を強化したり、海港を作ったり。要するにテミストクレスってのは、実質的に独裁者です。アテナイは民主的だったから戦争に勝てたわけではなく、民主的な基盤でポリスを豊かにし、それを有能な独裁者が指揮することでペルシャを退けた

そうそう。サラミス海戦の後の陸上決戦でペリシャ軍を撃破したスパルタの王も、自己顕示の傾向があるというので(スパルタの伝統に反する)保守的な5人内閣に嫌われて逃げる。この騒ぎに巻き込まれたテミストクレスもついにギリシャを捨ててペルシャへ亡命。厚遇されたようです。けっして愛国一点張りの人間ではなく、かなりしっかりもの。

ま、そういうことのようです。巻IIはペリクレスのようです。


★★★ 東洋経済新報社
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2030年、世界がどうなっているかという内容です。著者はなんか有名なシンクタンクのお偉いさんだったらしい。よく知りませんけど。

で「地政学」という言葉が入っているように、世界の国々をまず地理的・地勢的にながめる。すると発展すべき国家、発展の難しい国家というものは最初から決まっているんだそうです。

たとえば古くはエジプト。これはナイル川の賜物です。定期的に洪水が発生して豊かな土壌が蓄積する。乾季の水の手当てさえできれば豊かになれる保障付き。しかし東西南北、自然の障壁に囲まれている。南は山、西は砂漠、東はシナイの乾燥地、北は海。どこからも侵攻されない。したがってこの範囲の中でやっていく分には楽園になりうる。

もう一つ、交通というインフラがあるのが大きい。流れのゆったりしたナイル川ですね。背中に荷物かついでエンヤコラ運ぶことに比べると、水上の運輸は信じられないくらい効率がいい。流通は至便だし、民衆を管理するにも便利。ま、エジプトはそういう立地だから文明を開花されることができた。その他の「文明発祥地」も多かれ少なかれ、そうした立地に恵まれていた。

しかし、情勢が変わる。侵攻されないのがメリットだったのに、ラクダを使った兵士とか船に乗った軍勢が登場すると、もうダメです。シナイ半島を通過することのできた外国軍にとって、エジプトはほんと、無防備。あっさり独立を失ってしまう。

スペインやポルトガル、英国が世界中を占領したのも同じような理由です。なまじ辺境で、外洋に面していたため、大型の帆船が発明されると一気に力をつけた。大洋そのものが巨大な河川、交通ルートです。それまでのガレー船の地中海勢を無視して外に羽ばたいた。

以上をあっさりまとめると一国が発展するためには
(1)効率のいい交通手段
(2)拡大しやすく侵攻されにくい地形
(3)豊かな食料や資源
が必須ということになるでしょうか。

で、なんやかんや。実はアメリカほど恵まれた土地はないそうです。ほとんど無限に広大な土地。豊かな資源。航行可能な無数の川が水上交通の便利を保障してくれる(こんなに好条件な配置で川が流れている国はないらしい)。ついでに外から流入してくる膨大な労働人口。特に若年人口が多いのがアメリカの特徴です。

つまり発展の条件はもう一つ
(4) 十分な労働人口、健全な人口ピラミッド。
です。

というわけで、世界中でいちばん恵まれた国がアメリカ。食料にしても資源にしても、たいていは国内でまかなえる。それどころか輸出も可能。なんとなく原油の輸入国というイメージがありますが、実は中東に頼っている部分なんてたいして多くはなかった。おまけにシェールガスというものが登場して状況は逆転。これでアメリカはほぼ完璧になった。そして国境も北はカナダで南はメキシコ。カリブ海は自分の海のようなものなので、攻めてくる国なんてない。

その完璧なアメリカはなぜ世界の警察の役目を果たしているのか。実はここがいちばんの疑問点で、著者によると「必要もないのにしゃしゃり出た」。ブレトンウッズ体制というのは金融が基本ですが、広い意味では「米国が世界中の平和を維持。船舶の安全航行と輸出入を保障」というもの。第二次大戦の後、それまでの常識では米国が圧政を敷いて世界帝国として君臨しても不思議はなかったのに、なぜか「オレ、領土は欲しくない。金、貸してあげる。みんなの安全を守ってやるぜ」と宣言した。

アメリカが世界の警察として巡邏してくれたので、多くの国は自前の軍隊に大きな予算を割く必要がなくなり、経済活動に専念でき、おかげである程度は繁栄できた。非常に珍しいケースの平和の時代だった。アメリカさまのおかげです。

しかしそんなお人好しのアメリカも、そのうち内向きになる。他の国のことなんか放置しておこうぜ。世界と貿易する必要もあまりないし、自分の国のことだけ考えたほうが賢明だよな。もう世界中を守る義務はない。軍事予算は縮小するけど(たまに)気が向くと出動する権利だけは留保しておこう。

ま、ちょうど今のトランプですね。内向き政治。アメリカファーストが始まる。

するとどうなるか。ほとんどの国が一気に貧しくなり、混乱します。行き来する船舶の安全は誰も保障しないので、自前で守るしかない。小さな紛争や戦争も発生するでしょう。しかしアメリカは原則として介入しない。結果的にアメリカだけが栄え、中国もロシアもヨーロッパ諸国もみーんな低迷する。世界中がすべて貧しくなる。場合によっては分裂する。

主要な国、それぞれの個別ケースも分析していますが、
・中国はそもそも統一国家であることが難しい地勢。分裂する
・ロシアは長大な国境を守りきれず、たぶんボロボロになる
・ドイツも位置的に繁栄し続けるのが難しい
・欧州では唯一フランスだけが少しは希望がある
・スウェーデンはやり方しだいではバルト海の盟主として生き残る
・サウジアラビアは問題外
・トルコはひょっとしたら頑張れるかもしれない(ロシア次第)
・カナダは分裂する。メキシコは衰退

日本は基本的に好戦的な海洋国家であり、強大な海軍を持っている。しかし東南アジアへの進出は難しいのでたぶんカラフト、旧満州に進出する可能性が高いそうです。

けっこう独断と決めつけが多い本とは思いますが、けっこう正鵠を射ているような気もします。

繰り返すと繁栄の条件は4つ。
(1)効率のいい交通手段
(2)拡大しやすく侵攻されにくい地形
(3)豊かな食料や資源
(4)十分な労働人口、健全な人口ピラミッド。


日本は(1)と(2)に当てはまるものの、(3)と(4)では落第生。アメリカが完全に内向きになった場合、どうしたら生き延びることができるのか。なんか「とにかくアメリカに擦り寄っておいたほうがいいよ」というのが、著者の結論みたいですが、はて。


数週前から気になっていたのですが、ついに決心して散髪。よりによって寒波到来の雪模様。髪を切ると襟元がスースーして寒いんだけどな。

そもそもは駅前の(比較的)上手な店に行く予定が、諸般の事情で最寄りの(比較的)下手な理髪店へ行ってしまった。しかし下手だろうが上手だろうが、散髪は散髪。髪が短くなればそれで十分。時間がかからず、あまり饒舌ではないのが望ましい。へんなマッサージもしないのが希望。大きな弁当箱みたいなマッサージ機でガーガーブルブルやられるのはあまり好かんのです。腰痛気味でもあるし。

ついうっかりして「深剃りしないで」と念を押すのを忘れてしまった。はい。ほとんどの床屋は執念かけてゴリゴリ深剃りします。親の仇みたい。わずかでもザラつきが残っていると気に入らないらしい。案の定で、家に帰ってからヒリヒリする。おまけに翌日になると、傷に雑菌でも入ったらしく鼻のあたりが少し腫れている。

おまけに眉下のあたりも丹念に剃った気配で、鏡をみたら見たこともない変なシワが目尻に刻まれていて、別人のようです。なんだろう、このシワは。翌日また鏡をみたら、消えていました。刺激をうけて目尻の皮膚が過敏反射したのかな。

一晩寝ると、もちろん苦心の整形の髪形はぺったりして、あまり見栄えは良くない。数日たてば慣れるんだけど。どこの床屋さんも、客の髪を完全にセットした状態で帰したいようです。クリスマスケーキみたいに、数ミリを気にして丹念に整える。なーに、店を出て風でも吹けば出て数秒で崩れるんだけど。

以上、床屋の悪口。どうでもいいようなことで、申し訳ない。子供の頃から理髪はあまり好きじゃないんです。(美容院はもっと好かん)

★★★★ 勉誠出版
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1969年というと文化大革命から3年目、激し少し鎮静化に向かいつつある頃でしょう。若者たちがどんどん地方へ「下放」させられた時期です。

こんなタイミングで日本へ北京日報記者という肩書で派遣されたのが筆者の王泰平。実際には記者というより非公式の外交官、工作員と言うべきです。その「記者」が数年にわたり政治家や財界人、文化人、新聞記者、地方の農民や運動家たちと精力的に会い、詳細なメモを残した。そのメモを原則として加筆訂正せずに公開したのがこの本です。

頭のいい人だなあというのが実感。もちろん中共の教条的なタテマエ論から抜け出てはいませんが、それでも非常に冷静に日本を観察・分析している。緻密な日記です。そして、当時の日本はまだまだ問題も多く(いまも多いけど)、地方は貧しいです。外国人の目から見たものだけに、かえって客観的。

彼が会った政治家や新聞記者たちは、もちろん彼の素性を知っています。中国外交部のエリートであり、周恩来の直接指示を受けている外交官。それにしては信じられないくらい日本の政財界人は本音を話している。あるいは「都合のいい事実だけ」話して「なんとか利用しようとしている」のかもしれません。

たとえば日中の卓球交流とか文化交流とか、何かやりたいことがあれば王泰平に打診する。政府中央へ直結する唯一のルートだった感じです。

そうそう。彼の分析によると、日本の文化人や記者たちはみんな政治的なバックグラウンドを持っている。彼は日共系、あいつは日和見、こいつは親台。いろいろ手助けしている日中友好協会の内部にしても、思惑はみんなさまざまで、誰が主導権を握るか、誰と誰は協力できるか、そんな分析に苦労しているようです。友好的とされる朝日新聞にしても、社長は親中、論説委員の誰は親米・・・などなど。

そうそう。どうでもいいことですが前進座の河原崎長十郎が熱心に「屈原」の公演に努力したとか、松山バレー団がどうだったとか、すべて実名なので面白いです。みんな共産主義に理想を持っていた。差し障りは多いですが、実名のもつ強さがありますね。三角大福の政権闘争の実情なんかも、周囲の政治家たちがかなりペラペラしゃべっている。

ま、王泰平にとってはなんとかして日中国交へ持っていきたい。そのためには台湾を捨ててほしい。いろいろ策動しているようすが生々しいです。日中国交回復のあとは外交官に復職したようです。

まったく無関係ですが、頻繁に名前の出てくる郭沫若(屈原作者)、かなり偉そうです。しかし文化大革命では苦労したんだなあ、きっと。


「虚構新聞」というけっこう有名な嘘ニュースサイトがあるのですが、そこで面白い記事を発見。その筋では知られたパラドックスのようです。

で、この数式のどこが間違っているのか。うーん・・・と考えてしまいました。
両辺にaを乗じ、両辺からbの二乗を減じ・・・とやっていって、とくに不自然な部分はない。数学オンチの自分には解決できませんでした。

答えがすぐわかる人はえらい!
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ulysscs1-12.jpg河出書房新社

柳瀬尚紀の訳。たぶんまだ誰もページを開いていない新刊。気分のいいものです。

というわけで分厚いのを読み始めて、うーん。うーんー。うーん・・・。降参。ギブアップ。名作なのか駄作なのかも不明。これならプルーストのほうがまだしも楽しく読める。無理でした。

★★★ 作品社
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けっこう有名な古典らしい。李朝中期から末期にかけての説話集というか、噂話や言い伝えなど300点以上を集めたもののようです。

それぞれのお話のレベルはさほど高くありません。因果応報の教訓に満ちているかといえば、それほどでもない。なぜか急に神通力を持った人が登場したり、なぜか平凡な奴僕が忠義を尽くしたり、妓生(キーセン)が妙に貞女烈女みたいなふるまいをしたり。

ちなみに目標は「仇を討つ」あるいは「科挙に受かって出世する」です。したがって典型的なパターンは「夫を殺されて窮乏した妻」が「若い義理の長男を勉強させて」「科挙に成功させて官につける」「仇を討った後、はじめて立派に葬式を行って、満足して自殺する」

なんか日本人的な感覚からすると、ちょっとおかしい。仇討ちするにしても直接武器をふるうことはあまりない。出世して力のある官吏になって、そこで悪人を糾弾して死刑にする。ま、そんなふうです。そうそう、中国式で、棒で殴ったりのオシオキも多いです。清末の西太后なんかでも、不味い飯を調理したコックを杖刑に処したりしているし(日本でも律令の頃は杖刑があったらしい)。

意外なのは、けっこうな頻度で文禄・慶長の役が出てくる。ま、大事件ですから、当然でしょうか。朝鮮の英雄が日本の剣士と戦ったり、平秀吉のスパイが侵入したり。あるいは倭軍の侵攻を予感した賢人がどこかの山奥に逃げて平穏に暮らすとか。

そうそう。李如松なんかも出てきます。明の武将なんで、尊敬しているのか嫌っているのか、そのへんのニュアンスがかなり微妙。また李如松ではなかったと思いますが、明の官吏がたしか朝鮮の官吏に食事をふるまう。餅とウドン、酒、肉や魚。麺とか饅頭とかのご馳走。ところが後で「飯を食べたか」と聞くと「食べていない」という返事。変だなあ・・とよく聞くと、朝鮮官吏にとって「飯」というのは一碗の飯とワカメのスープのことであり、餅とか魚肉が食事とは思っていなかった。「さすが大明国の実力、食事内容も豊かだった」と評がついています。なるほど。

巻末の解説を読むと、朝鮮はなかなか大変だったんですね。そもそもの建国に功績のあった勲旧派と官僚である士林派の対立。その士林派も東西に別れ、別れた東派がやがて南人と北人に分裂する。南人もまた清南と濁南に別れ・・・・。ひたすら党派抗争です。皇后の喪を1年にするか3年にするかで激しく抗争する。そのたびに大量の血が流れ、主流勢力が入れ替わる。だから登場人物の注釈では、みんな出世したと思うと追われ、復活してまた失墜し・・・菅原道真が何百人もいるような雰囲気です。大変だ。

あとよくわからないのが「ソンビ」という言葉です。科挙によって立身出世をすることが使命の階級である「両班」はまだ理解できます(ほぼ「読書階級」に近いか)が、ソンビはどう訳したらいいのか。君子、立派な人でもいいような気もしますが、貧乏なソンビもいる。ソンビと両班はかならずしも同じではない。立身出世から身を引いた両班みたいな雰囲気でしょうか。

貧乏といえば、説話の中にはやたら貧乏な両班も出てきます。両班がみんな豊かなわけではない。ずーっと試験に落ち続けていると、たとえ両班といっても落ちぶれる。下手すると両班階級ではなくなる(どこかに商売を始めると両班ではなくなる、とあったような気もする。貴族階級は商売なんかしない)。ちなみに現代の韓国では、半数以上の国民が「先祖は両班だった」と称しているようです。

というわけで、それなりには面白い本でしたが、同じパターンが続くのでけっこう飽きます。

あるサイトに「当時の地方長官は無給だった」とありました。しかも強大な権力を握っていた。それじゃグチャグチャになるわけです。この本の中でも地方官がなにかあるごとに収奪したり裁いたり執行を命じたりしている。庶民は絶対に逆らえない。両班にあらざれば人にあらず。


そういえば、大昔に朝鮮の有名な烈女の小説を読んだことがあったような。印象としては、尻軽娘が金持ちのボンボンに誘われてイチャイチャし、権力者に誘惑されたけど拒否し、酷い目にあうけど復讐する・・・というようなストーリー。金瓶梅みたいな好色小説の扱いだったような気もする。タイトルは思い出せず。こういうパターンが朝鮮文化では好まれるんでしょうね、きっと。

「春香伝」かもしれない。もしそうなら主人公は妓生。自信なし。

珍しくInternet Explorerを使ってとあるページを開いたら、タイトル回りが崩れてグチャグチャになっている。変だなあと常用のFirefoxで見ると問題なし。ついでにChromeでも問題なし。不思議です。(IEあまり好きじゃないけど、いまだにIEでないと不具合の出るページがあるんで、仕方ない)

気になって、表示できない画像を調べると「***.svg」とかいう名称です。こんな拡張子、見たことない。何だろ。

なるほど。svgってのはイラストレータみたいに線画(ベクトル)の画像なんですね。最近登場した規格のようで、便利なため新進の(たぶん)デザイナーさんがよく使うらしい。デザイナーってのは、新しいもの新しいものと貪欲に追いかけます。綺麗に表現すれば「新しいデザインの可能性を追求する」。悪く言えば、きれい第一で古いユーザのことを気にしない。建築デザイナーが住む人の居心地とか使い勝手を無視するようなもんです。

時代が変わったんでしょうか。いつのまにかIEの8とか9とか10とか、マイクロソフトが「もうサポートしないよ」になっていた。1月13日(だったかな)で打ち切り。最新版はIE11で「これを使え!」ということらしい。正確には「最新版だけを使え」です。新しいのを出したら、そっちに切り替えろ。

ie11.jpg困ったもんだ。ずーっと問題なく使っていたソフトが、いきなり使用不可になる。

しぶしぶ、IE11にアップデートしました。したくなかったんだけどな。

インストールすると例のパターンで何々しろ、何をしろといろいろ出てきますが、もちろんすべて無視。とんでもない。可能な限りマイクロソフトさんに依存しないで暮らしたいと願っている次第です。

大昔から(かれこれ30年か・・)MSにはお世話になっていますが、実はあんまり信用していない。とりわけ「最新版」はかなり信頼しない。年季が入って、枯れてきてからようやく「そろそろ使うか」という姿勢でやってきました。

ま、愚痴言っても仕方ないですね。ということで、使用IEは11になりました。それにしても強制されたようでなんか気分が悪い。

※注) svgをサポートするのはIE9以降らしい。ふーん。


よく知りませんが「野狐囲碁」という囲碁の対戦サイトがあるんだそうです。で、今年になって「Master」と名乗るアカウントの棋士が登場。これがべらぼうに強い。

この野狐、日本のトッププロたちも(もちろん匿名アカンウトで)参加して遊んでいるらしい。そのトップ連中がMasterと対戦して、次々と敗退。中韓の棋士たちも参加して、やはりあっさり敗退。30連敗とか60連敗とか。話題になっている。日本の誇る井山六冠も挑戦して、やはり負けた

まるで昔の囲碁マンガですね。ヒカルの碁のSai。面白いことになった。

と思っていたら、これは「AlphaGo」の改良版だったということで、Googleがそう発表してしまった。AIソフト改良版の実戦テストだったらしい。そんなことだろうとは思っていましたが、やはりそうだった。

もう少し謎のままなら面白かったのに。

新年

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元日午後、近所の神社へ。玄関を出てみると風もなく意外に暖かい。

正面の鳥居から道路にはみ出した参詣待ちが、カギの手に曲がって50mくらい並んでいるのは普通なんだけど、今年はそれが更に伸びている。たぶん100m近い。結局小一時間並んで、ようやく参拝。一礼か二礼か、二拍手か三拍手かよく知らないし、どうでもいいと思っているので適当に頭を下げ、適当に掌を叩く。

正月ってのはひたすらテレビの前でボーッとしていることが多い。飽きると(飽きることが多い)ちょっと本を読む。しばらく読むとこれも飽きる。早く三が日があけないかなと考え、でもこれって間違っていますね。時間が早く過ぎることを願うような時間の過ごし方はおかしい

3日は妻の実家へ。意外なことに義妹の息子二人も顔をそろえていて、生まれて1歳半の幼児も初御目見得。これは義母にとって曾孫になる。大学出てまもない弟息子のほうも「嫁です」と称して娘さんと一緒。挙式はまだだけどもう籍は入っているらしい。こういう形、最近は珍しくないようです。まずは、めでたい。

めでたいけど狭い部屋に実家の一族勢ぞろいになり、コタツは暑いしなかなかに窮屈です。セーブしながらビールと日本酒を飲んで、早めに退散。恒例の行事が今年も無事終了。

kenbishi2015.jpgそうそう。これも恒例でK**のチキンを土産に持参したのだけれど、今年は妙にサイズが貧弱だった。すべてが小振りで特にモモの部位なんて、ほとんど皮だけ。いままでこんな記憶はなかったので、ひょっとして今年は上部からサイズ縮小指令でもあったのか。あるいは仕入れが変わったとか。日本の景気、ひょっとしたら危ういのかもしれない。

例によって剣菱を1本頂戴。ふだんの安酒に慣れた舌にはピリッと辛くて強い。正直、とりわけ美味しいとも感じないのが辛い。サッサと空けてしまう予定。

今年も平穏な年でありますように。

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