Book.21の最近の記事

不作でした。★★★★はたったの4冊。

というか、振り返ってみると読んだ本がぜんぶで41冊です。こりゃ、無理だ。目が悪くなったせいもあって、根気が続かない。読んでいると目がパシパし出して、腰が痛くて、嫌気がさして、だんだん眠くなる。10分ほど目をつむっていると回復するんですが、典型的なトシヨリ症候群ですね。

図書館から借り出したものの読みきれないというパターンも多いです。1週間の延長かけて、それでもまだ読めなくて渋々返却する。困ったもんです。


「一笑両断 まんがで斬る政治」佐藤正明

satomasaaki2021.jpg


そういうわけで、ササッと読めて楽しかったのがこの佐藤正明の政治マンガ。なんせ中日新聞(東京新聞)の連載なんで、知りようがない。それが大きなマンカ賞をとって、ようく全日本レベルで知れ渡った。

本人に言わせると、これは風刺漫画ではないそうです。たまたま政治に題材をとったマンガ。政治まんが。たしかにアベに対してもトランプに対しても、ちょっと視線がなま温かいです。ン? 違うかな。


「背教者ユリアヌス」辻邦生

julianus.jpg


再々々読か再々々々読か。楽しめるのはわかってるんで、ニコニコしながらページを繰りました。何回読んでも、まだ未読感のある部分が残っています。辻さんの文章は端正ですが、それでもいつも飛ばし読みしているからですかね

ストーリーはキリスト教がローマ帝国で影響力を日に日に増し、ほとんど国教になりかかる頃。コンスタンティヌス大帝()の甥である詩人肌の青年が死の不安におびえ、おどおどしながら成長し、やがて副帝(カイザル)に取り立てられる。しかし意外なことに軍事面の才能があって、荒れるガリアを統治安定させてしまう。

ただこの人、かたくなな新興キリスト教にあんまり馴染まないんですね。昔ながらの神々のほうが好き。で、危機感をもった教会勢力は副帝の追落としをはかる。ハラハラドキドキ・・・。しかし意外ななりゆきで、ガリアで蜂起、反乱。進軍して全ローマの皇帝(アウグストゥス)に。

要するにこの皇帝ユリアヌスは、教会勢力からするととんでもない男だったわけです。異教徒の味方。それで後世の人々からは「背教者」と呼ばれます。クソミソ。

キリスト教を保護したので「大帝」です。


「お言葉ですが... 」高島俊男

okotoba-01.jpg


高島さん、4月になくなりました。もう少し長く書いてほしかった。

中国文学者というか漢字研究家というか。もちろん会ったことはないですが、わがままな人だったんでしょうね。世間的な欲望は薄いけど、我慢できないことはできない。塩鮭と少しのご飯の食事に満足しながら、やせた体で世の中の権威という権威とぶつかっては戦う。

このシリーズ、毎回すばらしいウンチクだらけなんですが、今回の本で記憶に残ったのは「婚」の由来。右側の旁の「氏」は本来は「民」だったそうですが、いまでも昏(くら)い、昏冥とかいいますね。要するに「ほの暗い」という意味。で、それに「女」偏をつけると、「暗くなってから女をかっさらってくる」という意になるんだそうです。なるほど、と感嘆しました。乱暴な大昔はそんなふうだったのか。

その乱暴なのを少しとりつくろい、儀礼的にしたのが現代の「結婚」ですね。このへんの推移には孔子あたりが絡んでいるかもしれません。ものごとの表面についた(内容に無関係な)飾り、ピラピラのことを「文」という。つまり実質的なものをきれいに包んで儀礼化するのが「文化」なんだそうです。ゆえに「結婚」は文化。


「漱石漫談」いとうせいこう 奥泉光

sousekimandan.jpg


意外や意外で,楽しかったです。

要するに漱石ファンの対談です。漱石の作品をひとつひとつ取り上げて朗読したり、あーだこーだと論じる。言いたい放題をいう。観客を集めて舞台でやったというのがすごいです。わざわざ聞きにいく人がいるんだ。

で、知ったのは自分がいかに漱石を読んでいなかったか。また読んだものが初期のものなのか晩年の作なのかもまったく無知だった。それを知らなきゃいけない理由もないんですけど。

で、同感したのは漱石作品のヘンテコリンな特徴です。文章とか描写とかはすばらしい(当然です)けど、ストーリーは非常に不自然。典型的なのは「心」ですか。なんで先生が悩むのか、なんで死ぬのか、そもそも奥さんに対しての責任はどうなるのか。本人だけが勝手に「死なねばならぬ」と決め込んでいる。かなり変なんです。日本の役人連中はわざわざそんな本を課題図書かなんかにしてしまう。死ぬほどセンスが悪い。

読んだことないけど「門」というのは、主人公が勝手に悩んで禅の修行にいくんだそうですね。「門」は禅寺の門か。で、その参禅はややこしい事態解決に何の意味があったのか、とか。そうか、そんな内容の話だったのか。

「連合艦隊・戦艦12隻を探偵する」半藤一利 秦郁彦 戸髙一成

rengokantai.jpgのサムネール画像

なんというか、オタクが集まって軍艦話。けっこう楽しそうです。12隻とは金剛、比叡、榛名、霧島、山城、扶桑、伊勢、日向、長門、陸奥、大和、武蔵。(このうち4艦ぐらいは聞いたこともなかったです)

で、それぞれの戦艦のたどった運命を語ってるんですが、うーん、どれもこれも、一部をのぞいて不本意な生涯ですね。巨費を費やして建造されたのに能力を生かすことなく、結局は無駄に沈む。

このオタクたちにとっては、たとえばレイテ湾謎Uターンの栗田提督の行動も決して不思議ではない。「そういう人だから」と了解している雰囲気。常識なんですかね。ミッドウェーの南雲提督についてもそもそも山本長官と肌があわない人だったとか。艦隊派と航空機派、まったく考えが違う。(ついでに言えば艦隊派はどうしても艦隊温存を考えるんじゃないだろうか。戦艦はただ存在するだけで力を持つ)

このへん、3人は山本五十六に対してもいろいろ言いたいことがあるようでした。要するに、海軍の実態は(いまの政府、官僚と同じで)かなり硬直、機能不全だったということでしょうね。


「天皇と軍隊の近代史」加藤陽子

tennonogun.jpg


加藤陽子というのは、例の学術会議騒ぎで忌避された人の一人です。なんでですかね。そんなに嫌われるような人ではないと思うんですが。官邸の連中、まじめに著作を読んでなんかいない、たぶん。

いわゆる「軍靴の足音」とか「横暴な陸軍、軟弱な政府」という画一的な思考では違ってくるよ・・と教えてくれます。現実はもっと複雑であり、微妙です。

面白かったのは、たとえば満州・北支とズルズル侵攻。事変と称して宣戦なしで本格化。軍部が汚いということになっていますが、実は事情があった。細かいことは省きますすが、要するにまともに「宣戦」すると、各国から制裁を受ける可能性があった。これは米国が勝手に変更した「中立法」によります。改定中立法では、中立国が完全中立であり続ける必要はなく、「悪」の国にたいしては制裁を加えることができる。つまり日本が戦争開始すると、米国が制裁発動。実はこれが怖くて、ずーっと「事変」で通した。なるほど。

そうそう。敗戦の後、はしっこい兵士たちは軍物資をトラックで勝手に持ち出した。皇軍の腐敗というニュアンスで語られますが、あれも実は軍上層部の指示があったんだとか。進駐軍に押収されるよりは自主的に配布して国土再建に役立たせるという理屈。これも、なるほど・・でした。いろいろ、あるんですね。


「ラマレラ 最後のクジラの民」ダグ・ボック・クラーク

ramarera.jpg


ここからは★★★。なんかテレビで見たこともあるようですが、ラマレラというのはインドネシアの東部レンバタ島の村です。レンバタそのものが辺鄙なんですが、唯一の町から山越えでたどりつく島の反対側のラマレラは輪をかけて貧乏で、村人は長い手銛でマンタやクジラを突いて生きている。とくにクジラですね。総出で(先祖の霊に守られた)粗末な舟にのってクジラをとる。

手銛といっても、追っかけるボロ舟の舳先に立った銛打ちが、タイミングをはかってヒラリとジャンプ。その勢いで物干し竿みたいな長い銛を海面のクジラに突き刺す。突き刺したら手を離してそのまま海にドボンと落ちる。とったマンタの肉を食べたり、クジラなんかだと盛大に肉を干して売る。売ったお金で小麦粉とか芋とか野菜を買う。だからとりわけ大事なのはクジラですね。一頭クジラがとれれば村中がしばらくうるおう。数頭とれればお祭りだ。

ただこうした村にも文明開化は訪れます。電気もほしい。若者はスマホでテキストメールも使いたい。伝統的な木製の舟だけでなく、船外機もほしくなる。マグロは自分たちで食べるなんて論外で、上手に売るとすごいらしい。ニホン人が信じられないような値で買うそうだ。情報化です。

若者が都会に出る。夢やぶれて帰ってくる。伝統が失われる。シャーマンが怒って「山羊の呪い」をかける。教会の神父たちの権威もだんだん落ちてくる。そうそう。村人たちはたいていフランシスとかマリアとか、フランスふうの名前です。かつては仏領インドネシナ。

onnakenshi.jpgのサムネール画像


「女剣士」坂口安吾

3冊本で出ていた安吾ものの一冊。

うーん、なんというか、要するに講談ですね。「桜の森の満開の下」とか「夜長姫と耳男」とか、代表作もおさめられています。久しぶり読んだ安吾ですが、やはり良いです。
「女剣士」は初読。ちっとも色っぽくないマッチョ女が山奥で爺さんと修行の日々です。なにがなんだか。


「三国志きらめく群像」高島俊男

sangokusi-kirameku.jpg


高島さんの代表作の一つ・・・らしい。ようするに講談本の三国志演技ではなく、正史の三国志の話です。

こっちのほうでは、悪人のはずの曹操も魅力的だし、劉備はだらしない。関羽は傲慢。例の赤壁だって、ほんとうはどこにあるのか。いまだに戦いの場所の特定はできていならしいですね。凡庸ということになってる荊州の劉表は、実はかなり優秀だったというし。

ま、そういう本です。三国志好きのための入門書ですが、けっこう意外なことが多く、楽しく読めました。

光文社★★★

tenmei.jpg


岩井三四二は「異国合戦 蒙古襲来異聞」とか「三成の不思議なる条々」とは、ま、かなり読める作家です。かなり読めるけど傑作とまでは言えない、たぶん。

で、今度の「天命」。図書館でパラパラめくってみたら毛利元就のようだったので、興味をもって借り出し。毛利ってたしか永井路子だったか「山霧」というタイトルで書いています。元就の妻の視点で、上下巻。そこそこ面白かったですが、正直いって毛利って基本的に地味なんです。

そもそも安芸の山の中の小さな領主、国人っていうんですか。それも当主の叔父かなんかの立場で、そこから一歩一歩はいあがる。周囲は敵と縁戚と怪しい連中だらけだし、そうした雑魚をなんとか凌いでも西に大内、東北に尼子。やたら大きなのが控えている。

ミドルクラスのモンスターを片づけてホッとしていると、また次のが来ます。西を攻めてると東が不穏になる。いろいろ辛気臭くてたいへんです。大転機となった厳島の戦い(陶晴賢の大軍を撃破)が、たぶん58歳くらいかな()。実際には長寿で74、75まで生きたんですが当時の感覚としてはもう晩年ですね。で、なんとか防長をとって、岩見を攻め上がり、出雲の尼子と戦う。ふと気がつくと、たぶん中国地方のすべてが自分のものになっていた。ここで終了()。

この本ではひたすら「隠居したい・・」と願いながら、なかなかできない。ほとんど晩年まで仕事をし続けた。戦い、準備し、陰謀をめぐらし。周囲の評判は、たぶん非常に悪いでしょう。ま、悪人ですね。ただし本人だけは地道に生きてきたと思っている。

べらぼうに強大だった大内氏をのっとったのが陶晴賢です。
信長なんかは当主になった時点ですでに尾張半国で、そこから開始した。安芸の田舎領主の叔父とは出発点が違うんですね。
ネイチュアエンタープライズ★★★
nairugawawo.jpg
久しぶりの野田カヌーもの。てっきりナイル川くだりかと思ったら、さすがに違っていた。要するに「ナイル川を下ってみないかね」というケシカケですね。ま、敢行した男は、たいてい死ぬだろうけど、多少の意味はある。距離はべらぼうに長いし、ワニはウジャウジャいるし。ん? カバはどうかな。たぶんいると思う。

で、この本の内容は、国内あちこちの川の話。川ガキスクールの話。遊びの話。例によって建設省(国交省)や役所の河川管理の悪口などなど。

日本人が川で遊ばなくなった・・・とさかんになげいています。遊ばない。泳げない。川を恐れる、嫌う。もう日本の川は99セーセント終わってしまった。そうなんですね。

自分は田舎育ちなので、川ガキというほどではないですが、子供のころは川で泳ぎました。小学生の夏休み、8月初旬ごろまではせっせと通う()。バスでたしか30分くらいかかったかな。帰りのバス代を節約するとアイスキャンデーを買えた。悩ましかったです。キャンデーを食べるか、炎天下の一本道をひたすら歩いて帰るか。上級生になると自転車でしたが、これもけっこうつらかったです。

草をにじった汁で水中メガネをこすって曇りを止める。河原で火をおこしてジャガイモを焼く。安物のヤスで魚を突く。ただしめったに突けません。魚はすばしっこい。耳に入った水は乾いた石を当てるとジーンと吸い取られる。書いていると、暑くけだるい夏の日がよみがえります()。


いつもお盆ごろになると上流の集落で赤痢が発生して、下流も遊泳禁止になる。そもそもお盆は冥界の扉が開くんで、「子供は誘われる」と祖母が脅かして止める。あれやこれや、楽しい夏は短かった。

思い出した。子供は安い「水褌」というのを付けた。三角形の小さな黒布を頼りないヒモでとりつけた簡易フンドシです。このヒモがすぐ切れた。まともな水泳パンツなんて、いつごろから穿いたんだろ。



sousekimandan.jpg河出書房新社★★★★

いとうせいこうは、よく知らないけど、あちこちで活躍している(たぶん)マルチな人。で、奥泉光は先日「雪の階」というのを読んだばかり。ちょっと風変わりで、悪くはない小説でした。

で、その二人が客を集めたステージで漱石を語る。ま、勝手きままな漫談です。一回に一冊をとりあげて、グダグダあれこれ語る。奥泉はかなり漱石ファンみたいです。

へーぇ・・・と考えてみると、自分はあまり読んでないなあ。なんとなく「漱石は好き」と思っていたけど、実は読んでないことに気がついた。

えーと、最初に手にとったのが確か「三四郎」で、それから「吾輩は猫である」かな。そしておそらく「虞美人草」「坊っちゃん」「倫敦塔」。「草枕」は途中で挫折したかどうか。あっ、どこかで「心」も読んでる。それだけです。

実際にはたくさんあります。「門」とか「行人」とか「明暗」とか。きっと数ページは読んだんでしょうが、辛気臭そうでやめた。たぶん。

奥泉はとりわけ「猫」が大好きらしい。数十回か数百回かは読んだといっていました。うんうん、納得です。自分も猫は大好きです。また「心」の構成はかなり変だという()。先生も変。行動もおかしい。理屈にあわない。はい、納得です。こんなムチャな本をどうして生徒に読ませて感想文を書かせるのか。文科省はなぜか「心」と「坊っちゃん」が好きらしい。読んでないな。

ついでに、いとうせいこうは「三四郎」の美禰子が大嫌い。だいたい引っ越しにエプロンつけて来るところが心根が透けて汚いという()。つい笑ってしまいました。ちなみに奥泉は美禰子がそんなに嫌いではない。

そうそう、なるほどと思ったこと。漱石が朝日新聞に入ったことは、いまならアメブロを選んだような仰天レベルだそうです。ちなみに「アメブロ」とは、アメーバ(Ameba)のブログのことです。末は博士か大臣のはずが、しがない(と思われていた)ネットの活躍を選択した。すごい。

変というなら、ほとんどの小説が変ですね。主人公の行動がまったく理屈にあわない。ちなみに「坊っちゃん」、最初から最後まで、実はほとんど言葉を発していないそうですね。コミュ症。心が通うのは女中の清だけという男。こんな寡黙な主役はいない。

たしか昼食用にサンドイッチも作ってきましたね。当時はどんなパンだったのか。ちょっと興味あり。


山川出版社★

moukoshuurai.jpg


面白そうだったんですが、ほとんど読めず。ま、従来の「神風がふいて一夜で退散」を否定。文永の役はたぶん一週間くらいあったようで、日本の武士団は善戦した。

弘安の役もそうです。たぶん大風はあったんだろうけど、それだけで蒙古の軍船が全滅したわけではない。ま、そんなふうな内容・・・だと想像しています。

というわけで内容の想像はつくけど、なんとも読みにくい叙述でした。山川出版だし、小説じゃないから。とうてい付いて行けず、尻尾まいて撤退しました。
ただそれだけでは悔しいので、またぞろ「異国合戦 蒙古襲来異聞」を借り出した。岩井三四二の作で、かなり良かった記憶あり。とりあえずこっちで蒙古襲来のおさらいです。
筑摩書房 ★★
suikodennosekai.jpg
同じ著者の「三国志きらめく群像」の兄弟本ですね。趣旨は同じ。ただし三国志にくらべて水滸伝は少し地味です。

地味といっちゃいけないか。ようするに知名度はともかく、水滸伝を最後まで読み通した人ってどれだけいるんだろうかということです。私はダメでした。導入付近の悪高官、蹴鞠の高キューあたりとか、あるいは宋江がなんとかとか、ま、その程度です。具体的な内容はほとんど知らない。あるいは、読んだけど覚えていないのかも。

ま、そういうわけで少し遠慮気味に読み進んだんですが、うーん、覚えてなくて当然だったとは。

要するに水滸伝という代物、ストーリーはあってないようなもの。英雄たちの性格付けもハチャメチャで、とくに後半になると酷さ加減がどんどん増す。そもそもがあまり深く考えちゃいけない小説のようです。

その時々、英雄(つまりはタチの悪い乱暴者)の乱闘やら殺戮やら泥棒やら、それを単純に面白がってればいい。つまりは太平記ですね。誇張がどうとか深く考えるな

知りませんでしたが、そもそも頭領の宋江が魅力的ではないらしい。英雄たちも残忍だったり人食いだったり、なんで英雄として讃えられるのかわからない。おまけに話はつながらないし、最後はいい子ぶったり欲たかって、全員が死んだり隠遁したりで、お話は終わり。

余分な話ですが、途中の挿話として武松(だったかな)の兄が毒殺される。殺したのは美貌の妻・潘金蓮で、これが金持ちの薬屋・西門慶と密通。邪魔になって殺した。なんか見覚えのある名前ですが、この挿話を拡大したのが「金瓶梅」。つまり色男・西門慶のストーリーだった。なるほど、と感心。


筑摩書房★★★
sangokusi-kirameku.jpg
子供のころはもちろん『三国志』を読む。真田十勇士とか西遊記の同レベルですね。そうだ、思い出した。子供たちは「講談」を貸本屋から借りて読んだんです。小さな町だったけど、商店街の外れにたしか貸本屋が二軒あった。

漫画やSF本をすべて制覇して石坂洋次郎あたりまでいって、ついに読む本がなくなって困っていたらオバさんが「子鹿物語」をすすめてくれた。源氏鶏太を借りようとしたら「まだ早い」と叱られた記憶もある。

ま、そういうのが普通でした。劉備にはあまり感心しないし張飛もどうかな・・でしたが、もちろん関羽は好き。諸葛亮孔明は憧れ。万能だからなあ。死せる孔明生ける仲達を走らす。

大人になってだいぶたってから、張飛はすぐ部下を殴り殺す関羽ってのはあんがい傲慢な男だなと知る。とくに関羽の最後のころはなんか意外で、違和感ありまくり。そして曹操の詩、短歌行とか千里の馬が老いてなんとかかんとか。感動する。こんなに魅力的なのに、『三国志』では悪者あつかいなんだよなあ。

この本、単行本になって高島さんはすごく嬉しかったそうです。最初はあんまり売れなかったけど、その後に筑摩の文庫に入れてもらってからはヒットした。年取って読み返してみても、うん、いいこと書いてる‥と自画自賛できる。

内容は、ようするに「三国志演義」ではなく正史の「三国志」がモトです。もちろん「演義」がフィクションなのは当然として、実は正史だって信用しちゃいけない。単なる「公式の歴史書」でしかないので、現王朝にとってまずいことは決して書かれない。

だいだい「三国」というけど、実際にはけっして等分じゃない。日本にたとえると、本州のほとんどが「魏」。九州と四国が「呉」かな。「蜀」はそうですね、青森・秋田・岩手。東北三県程度か。たぶんそんな程度の勢力比だろうと思います。

で、正史にそって、なおかつ嘘は嘘ときめつけ、実際はたぶんこうだろう‥というような内容のお話。たとえば凡庸ということになってる荊州の劉表は、実はかなり優秀だったし、有名な赤壁はどこにあったのか、いまだに論争の焦点。

「たぶんこれが真実に近いんだろうな」という意味では面白い本です。いわば中国における「歴史」とか「史書」を読むための常識。高島さんが自由奔放に筆を走らせています。


新潮社★★★
muromatiburai.jpg
初見の作家ですが、山本周五郎賞とか推理作家協会賞を受賞。直木賞の候補にも何回かなってる人らしいです。かなり多作。

新潮社の刊なので(ある程度の信用 )借り出しましたが、読み始めてすぐに「これは本屋大賞の範疇だな」と納得。本屋大賞本って、独特の疾走感とかバイオレンス感とか、なんか特徴がありますね。エンタメプロレスみたい(たいして読んでないので、かなり独断です)。

ようするに、そこそこ楽しめる本です。ストーリーもそこそこ。題材を荒廃の室町時代にとったというのもすごい。舞台は京で、三条とか九条とかナントカ大路を東に曲がってとか、やたら出てきます。新鮮。

あっ、本筋はなんというか、少年が棒術の荒っぽい修行をする話です。修行して、やたら闘う。殺す。一揆。好漢とか悪漢が登場。もちろん美女も。

ま、そういう小説。「光秀の定理」というのが評判よさそうなので、機会があったら読んでみるつもり。


たちばな出版★★★
touchousaibou.jpg
どこかに「歴史エッセイ」と記してありました。なるほど。世界の歴史を総括的に、坦々と概観する。「歴史書」ではないですね。歴史を題材にした雑感です。

そういう意味で特に目新しい記述はないのですが、陳さんの人柄なんでしょうか、読後感がいいです。たのしいものを読んだという感じ。

強いていうと、通常のギリシャ・ローマ史観の流れにインドや中国などアジアを混ぜ合わせる。アジア史のほうが大きな影響力をもつ時代が長かった。世界の中心はアジア。ついでに、世界の中心はサマルカンド

たとえばスペインやボルトガル。従来の史書ではともすると国土復興=レコンキスタ以降の歴史しか強調されていませんが、実際にはむしろイスラム国家としての時代が長かったはずです。

もちろん個人的には、ウマイヤ朝イベリアの歴史を特に知ろうとは思いません。しかしグラナダの陥落は、ガスの溜まっていたラムネのフタをあけたようなもんでしょう。サラセンのフタがふっとんで、その噴出の勢いが大航海時代のエネルギーになった。そういう構図。なるほど。

そうそう。細かいこと。インドのムガール帝国ですが、ムガール=モンゴルだそうです。モンゴル帝国。いわれてみればたしかに。いままで思いつきもしなかった。


河出書房新社★★★
kenji-atusi.jpg
例の池澤夏樹個人編集・日本文学全集です。巻16は宮沢賢治と中島敦。ちょっと不思議なとりあわせですが、ま、それが池澤夏樹なんでしょう。で、その中のほんの一部。

中島敦は山月記や名人伝なんかがやけに有名で、次は悟浄ものでしょうか。「環礁-ミクロネシア巡島記抄」は初めて読みます。予想通り、いいですね

たしか役人になって南洋のナントカ係になった。学校教育関係かな。それで大きくない船に乗って、南洋諸島を視察してあるく。

まだ若い中島が満足していたのか、嫌だったのかは不明。でも暑い中をノロノロ航行して小さな島に着き、土地の警官とか役人とかに会い、村民を視察する。視察というより、ただたんに見てあるくのか。そしてまた次の島へいく。

夾竹桃の家の女」では、ちょっと内地の血のはいったような女が上半身裸で乳児を抱いている。色っぽいような色っぽくないような。ふと心が動くような動かないような。

ナポレオン」はそう命名されてしまった非行少年。札付きのワルで、他の小さな島に追いやられる。そこでも素行がおさまらなくて、もっと孤島に流される。少年がふてぶてしそうで、孤独そうで、なんとも形容しがたい。だからどう・・という結論はなし。中島敦ってのは、そういう書き方をする人だったのかな。

悟浄出世 / 悟浄歎異は、まあ有名すぎますね。自意識過剰なインテリ河童怪物が悟りを求める。単純生物・孫悟空に感嘆する。官能動物・猪八戒に感動する。久しぶりに読みかえしました。

ページはまだたっぷり残っているし、中島敦が終わったら宮沢賢治もあるし、ま、返却期限までたらたら楽しみましょう。


講談社★★
doubutuhogo.jpg
講談社といっても『講談社選書メチエ』のシリーズです。固い。『シートン動物記』から『ザ・コーヴ』へ というサブに釣られて借りたけど、けっこう手こずった。

子供のころ、ファーブルよりシートンのほうが好きでした。フンコロガシよりはオオカミですね。読んだ「シートン動物記」、版元は忘れたけど、固い表紙の。青か緑の表紙だったような気がする。内山賢治の訳文がやわらかくて、大好きだった。

後年になって「動物記」という本は存在しないことを知りました。シートンの短編を適当に集めて訳したらしい。で、平岩米吉という人がいて、詳細は不明ですが日本の動物文学普及の創始者みたいな存在らしい。で、平岩+内山のコンビでシートン本が爆発的に売れた。

ということでシートンの動物文学について。もちろん初耳ながらセオドア・ルーズベルトと大論争があったんだとか。「しらんくせに動物を適当に擬人化するな」という趣旨。ルーズベルトの攻撃の的先はロングという牧師だったけど、その仲間としてシートンも叩かれた。ついでにジャック・ロンドンもケンカに加わった。ルーズベルトってのは狩猟大好き大統領ですね。自分では「動物のプロ」と思っていたんでしょう。

つまりは「スポーツハンティングを趣味とする高貴な人」と「動物を殺したり食ったりウソ書いたりして稼ぐ野蛮な連中」の対決です。当時はルーズベルト派のほうが大勢で「ネイチャーフェイカーズ」を叩いていた。つまりウソツキ自然派。

シートンの次のテーマは星野道夫。よく知りませんがアラスカに魅せられて、いい写真を撮ったり書いたりした人のようです。

で、ここでもアラスカにやってきて「カリブーの大移動」なんかに感動する観光客と、現地エスキモーの対比。エスキモーはカリブーを見ると唾液がわいてくる。エスキモーでなくても、子供のころからアラスカに住んでる白人も、やはり無意識に銃をとってしまう。反射的に撃とうと思う。カリブーは食い物なんです。「美しい・・」が先にくるわけではない。

そして最後はイルカとかクジラ。グジラやイルカにまったく関心なかったはずの白人連中が、なぜか大騒ぎする奇妙な風潮、いったいどこから始まったのか不審に思ってはいましたが、ようやく解決です。

その前からいろいろあったんですが()、決定的なのは1960年代の脳科学者ジョン・C・リリーという人。天才肌の怪しい人だったらしいけど、なんかイルカに魅せられた。でイルカの脳とサルの脳を比べたりして、イルカがいかに優れているか主張しまくった。ただし、サルというのが小さな猿なのか大きなオランウータンなのか、判然としない。怪しいクスリをやるかたわら、とにかく「サルの脳のほうが小さい。大きいほうが賢い」と喧伝した。

あっ、自費でイルカ研究所みたいなのを作って、いろいろ実験。イルカと人間の会話実験なんかもした。ただしイルカと接してビデオに映るのはみんな若い美人です。自分は顔を出さなかったらしい。賢い。

ま、そんなこんな。動物(とくにイルカ)は愛して保護すべきものということに決まった。で「ザ・コーヴ」という映画は、その明確なプロバガンダですね。非常に上手に作った。べらぼうに影響があった。優しく賢いイルカを撲殺する日本の野蛮で陰湿な連中・・という構図は大成功です。

動物を可愛がる高貴な(白い)人々、動物を殺す(黄色や黒い)野蛮人。この対決構図が大好きな人々、いまでも圧倒的に多いんでしょう。歴史的には優生思想なんかも絡んでいるみたいです。

ちなみにこの本は著者が博士論文をもとに大幅加筆したもので、どうりで難しい。意地悪くいうと(概観と説明だけで) 論旨主張ははっきりしない。けっこう疲れる本でした。

 クジラが異星からの使節だったら意志疎通できるか?・・とか。けっこう流行したらしい。そういうふうなSFもありますね。


文藝春秋★★★★
okotoba-01.jpg
たぶん、このシリーズの最初の刊行。週刊文春の連載「お言葉シリーズ」ぜんぶで何巻になるのかは知りませんが、10巻までは文芸春秋が出した。それ以降は連合出版です。

例によって本とか言葉をテーマにしたウンチク、雑談で、時々は実名だしての叱責もあります。なんとなく、岩波とか広辞苑とか、とりわけ権威筋に対して厳しい印象ですね。国語学の泰斗なんかにも容赦ない。

権威に遠慮しないから世の中が狭くなる。それが悪いか!と開き直って、本に囲まれて塩鮭と(たぶん)漬け物食べながらケンカを売っている。本が好き、悪口いうのはもっと好き。

おさめられたテーマは多岐にわたっていますが、えーと、記憶に残ったのが「結婚」の「婚」の字の話かな。右側の旁の部分、「氏」本来は「民」だったらしい。民+日=ほの暗いという意味です。ただ、なんとか帝の名前に絡んで()、恐れ多いんで「民」の代わりに「氏」を使うようになって、それっきり戻らなかった。昏(くら)い、昏冥とかいいますね。

だからそこに「女」偏をつけると「暗くなってから女をかっさらってくる」という意になる。です。あはは。

あと、意外だったのが「」ですね。「止」に「少」をつけてるようにみえますが、本当は「止」が二つ。点がひとつない。また、下の「止」をひっくりかえして、横棒をまとめた。

したがって「歩」の意味は「止」+「」つまり「2ステップ」です。では足を片方だけ出すのをどう書くかというと。ホコをかついだ人が片足を踏み出した形で、ちゃんと「止」がひとつついてる。30センチに相当するらしい。

・・・というように、どんどん話が流れていく。泉の底から水がわき出るようで面白いです。ただ読み手の問題だけど、それを記憶しておくのが難しい。
 
ご馳走は不要。塩鮭と少しのご飯さえあれば十分と何かで書いていた。この4月に死去。晩年は目が不自由になって、ずーっと口述筆記だったらしい。

  李世民。唐王朝の二代目皇帝ですね。恐れ多いので「民」の字は使えなくなり、みんな「氏」に置き換えられた。

中央公論新社★★★★

julianus.jpg


上・中、下巻。ずいぶん昔に買った本なので、表紙は汚くなっています。たぶん読み直しは4回目くらいかな。()

えーと、ユリアヌスってのは4世紀初め、ローマ帝国の皇帝。キリスト教を抑止しようとしたんで後世に嫌われて「背教者」なんていわれた。分裂ローマを統一したコンスタンティヌス帝(4世紀初め)の甥ですね。ただこの頃の皇帝というのは、血筋じゃないです。たいてい軍人あがり。実力で皇帝になった。

で、コンスタンティヌス帝は(キリスト教を優遇したこともあってか)大帝と称されました。息子が3人いて、それぞれ正帝として西・中・東ローマを領有。しかし死後は例によって戦いが始まり、結局は次男(つまりユリアヌスの従兄弟)のコンスタンティウス(名が似ている)が統一ローマの皇帝になります。

猜疑心が強かったといわれていますね。だから将来目障りになりそうな叔父のユリウスを早めに殺した。これは単に(潜在的な)敵対勢力を消したというだけでなく、反キリスト教勢力を叩いたという一面もある。つまり父コンスタンティヌスは初めてキリスト教を優遇した皇帝でした。これが国内統一になかなか効果的だったらしく、見習って次のコンスタンティウスもキリスト教を大切にする。もちろん古いタイプの反対派もいて、その伝統派代表がユリウスとみなされていた。

で、ユリウス一族を抹殺したはずなのに、たまたま生き残ったのが二人の子供たち。幼いガルスとユリアヌスの兄弟です。生き残ってしまうといまさらおおっぴらに殺すわけにもいかず、以後はひっそり保護・監視の対象とした。

で、ずーっと逼塞していましたが、そのうち流れが変わってガルスは副帝にしてもらう。なぜならコンスタンティウスにはもう血族がいないわけです。他の部下連中が信頼できなくなると、仕方ない、せめて血の繋がっているあいつを使うか・・ということになり、東方担当として派遣。でもすぐまた信用できなくなる。で、殺す。しかしまた必要にせまられる。残りは一人しかいないので仕方なく(現世欲のなさそうな)ユリアヌスを副帝にする。今度は西のガリアに派遣

ちなみに副帝とは「カイザル」ですね。取締役で支社長。正帝は「アウグストゥス」です。社長。

ということでストーリーが始まるんですが、この本、きっちり読もうとするとなかなか大変。辻邦生さんの端正な文章がえんえんと続いて、ああ気持ちいいなあ・・・とは思うけど、実は非常に疲れる()。なんせ哲学大好き思索皇帝が「ローマの正義とは何か」なんてテーマで2ページくらい演説します。面白いんですけどね、そのうち飛ばし読みになってしまう。

今回はなるべく文字飛ばしをしないようにと思っていましたが、やっぱり飛ばしてしまった。この地味な部分に味があるんだけど

昭和50年の刷りでした。1975年。ほぼ半世紀近いか。
大岡昇平のレイテ戦記なんかもそうですね。魅力あるんだけど、読み通すのが辛い。

中日新聞社(東京新聞) ★★★★
satomasaaki2021.jpg
東京新聞というか中日新聞というか、ま、その新聞に連載の政治マンガをまとめたものです。佐藤正明という人。たぶん、該当紙の読者以外にはあんまり知られていないんだろうなあ。

私も数カ月前まで知らない漫画家でした。去年、中央の大きなマンガ賞を受賞した。えーと、日本漫画家協会賞大賞(カーツーン部門)です。で、ネットでいろいろ紹介されて、これが面白い。少なくとも私にははまった。

で、何冊目かの本を出したということがわかって(7月20日発売だったか)、アマゾンに注文を出しました。その時点の状況では売り切れで、在庫が入ったら送付するよということでしたが、実際には3日ほどで届きました。

一読。なーんだ、ごく最近分を収録かと思ったら、けっこう古いのも採録されていました。アベのモリカケ・サクラとか、トランプの米朝会談とか。もちろんスガとコロナなんかも入ってはいます。

そうしたマンガに東京新聞の元政治部長がいろいろ解説をつけている。悪くはないし親切ともいえるけど、そのぶんマンガ点数を増やしてもよかったかな。

satomasaaki2021b.jpg
なかなか良かったです。自分の好みとしては特に「新学期」シリーズかな。世界のリーダーたちが一同に会したとある不良高校の教室風景()。

たとえばやっかいものの金正恩が紙飛行機ロケットを飛ばし散らしている。ボスの座を争ってかトランプと習近平が対決している。だらけた感じで足を机にのせているのはドテルテ。窓のあたりではプーチンが子分のアサドとこそこそ悪巧みしている。前の席ではセーラー服のメイとメルケルが揉めているのかどうか()。えーと、アベはたしか最前列で見えない・聞こえないふりしていたかな。

いいセンスです。一枚の絵で10分か15分は楽しめる。

あとがきでは、自分のは単なる「政治を題材にしたマンガ」であり、とくに風刺とかいうもんじゃないとか書いてありました。たしかに「鋭い!」とかいう感じではなく、あんがい温かいです。巧いけど、たとえば朝日の山田紳さんなんかとは、似ているようで少し違う。

うーん、同じ政治家たちに対して、山田紳がうんざりしているとすれば、佐藤正明さんは笑っている。同じようなもんでしょうけど、ほんの少し違うんでしょうかね。

たぶんアマゾンの担当者が想定したより実際の注文が多かったんでしょうね。
たんなる新学期ではなく、トランプが新しい学級委員になったらしい。それで不平顔の習近平と話をしているのか。
メイが愚痴たれてるのかもしれない。うそつきボリスの悪口。

春陽堂書店★★★
onnakenshi.jpg
坂口安吾エンタメコレクションなるシリーズが刊行されていたようです。春陽堂書店。

春陽堂って、ひょっとして子供のころに見た全集の版元かな。古い蔵の片隅に日本文学全集のようなものがあった。夏休みの午後、こっそり玄関先の壁から鍵(木製の柄。カギ型の鉄製)を外して、ひそひそ通った記憶あり。ひんやりする蔵の二階、高いところの小さな窓から西日がさしていた。

調べてみたら春陽堂には「明治大正文学全集」というシリーズがあったようです。これだろうか。たぶん30巻か40巻くらい。

ま、それはともかく。エンタメコレクションは「現代忍術伝」「盗まれた手紙の話」「女剣士」の3巻構成。で、今回借り出したのは「女剣士 坂口安吾エンタメコレクション<伝奇篇>」。

中身は「桜の森の満開の下」とか「夜長姫と耳男」とか。安吾の代表作でしょうね。何十年ぶりかに再読できました。表題の「女剣士」は初読ですが、ま、現代の山の中に暮らす父親と娘。剣術版巨人の星です。徹底的に激しく鍛える父、応える娘。そこにケチなコソドロが下僕として入り、その三人はやがて・・・・。

なんというか、これぞ坂口安吾としか言いようがない。ただ「エンタメ」と形容するのはちょっと違うような。

そうそう。説話ふうな短編も多いのですが、これらと太宰の「お伽草紙」、どっちが先立ったのかな。非常に似通っています。


アーカイブ

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれた記事のうちBook.21カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリはBook.22です。

次のカテゴリはBook.20です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。