2014年6月アーカイブ

★★★ 角川文庫

chiwohauuo.jpg本棚からなんとなく抜き出して再読・・・再々読くらいでしょうか。

吾妻ひでおが迷いながらアシスタント修行、少しずつ商業誌にものせてもらえるようになりかけたころの自伝というか、風景というか。吾妻ひでお流のマンガ道。きっちり描かれた絵です。

最初にアルバイトしていたのは大きな印刷工場(たぶん大日本か凸版)。班長に尻を叩かれながら「奴々の型抜き」とか「ぐずり梱包」の作業をする。奴々は噛みつくし、ぐずりはぐずる。吾妻クンは仕事の要領が悪くて、ま、逃げ出します。そしてマンガ立志の連中と共同生活しながら、馬のいててどう太郎(板井れんたろう)のアシスタントに採用してもらう。採用されたけど給与が安すぎて喰えない。

いてて先生、とくにケチというわけじゃないんです。でも仲間に聞いたら「相場は3万円」と言われたんで、オレ、払いすぎてたんだとさっそく採用。ただしこれは泊まり込み飯付きの給与相場です。そのへんをいてて先生もよく知らない。吾妻くんも若いんで「安すぎます」という勇気はない。

途中でアポロ11号の月面着陸の話が出てきます。とすると昭和44年ですか。だいだい同じ時代、こっちも留年したりバイトしたりでゴロゴロしていました。だから描かれている貧しさとか汚さとか空腹とかは共有している。青春は腹が減って貧しくて汚くて、でも希望があった・・・とかあちこちで定番セリフになっていますが、あのころの青年たちに希望なんてあったのかなあ。そんなもの、なかったような気がします。

ま、吾妻ひでおのマンガが好きな人ならお勧めです。最初から最後まで擬動物化というか、自分と女の子以外のキャラはみーんな動物、あるいはロボット。常に空には巨大なサカナが泳ぎまわり、電柱には爬虫類がしがみついています。妖怪変化の心象世界。

★★ 新潮文庫

kochonoyume.jpg司馬遼太郎作作品、たいていは読んでいると思うんですが。これだけはなぜか読む機会がなかった。図書館に文庫4冊揃っていたので借り出し。

松本良順が一応は主役です。そのほかに関寛斎とか島倉伊之助(司馬凌海)が準主役でしょうか。本当のテーマは幕末の日本の医療というこになるんでしょうか。

松本良順という人、いろんな本にいろいろ出てきますが正直、あまり知識がなかった。なんとなく細身の闘士タイプのインテリかと想像していました。実際には「海坊主」とか「海賊の親分」みたいなタイプだったみたいですね。意外。

幕末の漢方医や蘭医の関係がよくわかります。ただしその蘭医も初期のシーボルト派、そのあとのポンペ派、さらにそのあとのウィリス(英国人)。それぞれ知識には年代による格差がある。まだコッホが細菌を発見する前の段階です。で、明治に入ってから英国派もドイツ派にひっくりかえされてしまう。なんせ科学の世界なんで、そこに政治的要素も加わってゴロゴロ急激に変化するわけです。

サブ主役の島倉伊之助という人、けっこう面白いですね。驚異の暗記力、語学力があったけれども人間関係を構築できない。人情の機微がわからない。会う人すべてに嫌われる。そのせいかどうか知りませんが、稼いだ金はすべて酒と女に使い果たす。最後はアホみたいな行動をとってあっけなく死ぬ。困った天才。

関寛斎という人の人生も興味深いです。とにかく名誉とか金になりそうな方向から必ず身を遠ざける。単に潔癖純粋というわけでもなく、財政関係の才能もあったらしい。けっこう人間臭さもあったはずなのに、順天堂から徳島へ行って藩医。戊辰戦役でも官軍サイドで活躍して、それからまた徳島に引っ込んで町医者。最後は北海道へ行って開墾する。そして最後はなぜか自死。悠々と死んだんじゃなく、なんか身内の金銭トラブルが原因だったらしい。かなりの高齢になってから死を選んだ。

人間の一生って、こうして上から眺めると不思議というか感慨のあるものです。上空から俯瞰できるのが時代小説の面白いところだと、たしか司馬遼太郎も言っていました。その時々、その人物が本当は何を思っていたのかは誰にもわからない。ただ文書に残った行動記録があり、あまり信憑性はないですが本人の書き記した意見とか他人が評したメモによって判断するしかない。

誰が幸せだったか不幸だったか、それも曖昧模糊。後世の人間が勝手に判断しているだけです。

タイトルの通り、伊達輝宗が殺されます。

脚本がいいですねぇ。畠山義継が泣きついて伊達に降参してくるんですが、どっちかというと若い政宗が無茶を言っている。義継にすれば「謝ったら許してくれるのが常識でしょ」ということ。降伏条件として領地の半分は差し出すんだし、もちろん子供も証人にする。どうしてもと言うなら自分が腹かっさばいて責任とってもいい。そのくらいの自覚はある。

許してもらえるのが普通なんです、たぶん。あっちの味方、こっちに味方と変節を繰り返してきたのは中小領主の宿命。でも新感覚世代領主の政宗はそれを認めようとしない。頑なに拒否する。

ということで義継は追い詰められ、窮鼠猫。旧世代の常識人輝宗は無様な人質となり、二本松の手勢に囲まれて阿武隈川までひったてられる。このまま城まで連れていかれたら万事休す。

この場面、なんとなく火縄銃の一斉射撃で死んだのと思い込んでいましたが、このドラマでは義継が刺し殺しました。何回も何回も刺すのが、うーん、時代です。憎しみがあらわれている。殺された輝宗も急に静まり返ったBGMの中で遺言を残したりはしないで、あっさり死にます。

輝宗、享年42とか言っていました。そうか、北大路輝宗は妙にツクリが若いなあと思ってたけど、だいたい年齢に合っていたんだ。政宗は19ですか。こっちは少しふけてるけど、ま、そういう19歳もいる。

で、今回の敵役となった畠山(二本松)義継は享年34だそうです。こっちも実年齢は若い。どっちかというとまだ青年武将ですね。残された正室(市毛良枝)がキリッと若く見えるわけです。長男が12歳としたら、まだ奥さんも30前くらいなんでしょうね。

どうなんだろ?と少しは疑問でしたが、渡辺謙という役者さん、若いころから上手だったんだと知りました。あらためて認識しました。父が人質になったときの壊れかかった激怒の表情。噴出するエネルギー。ぼろぼろ溢れる涙とよだれ。最後のほうの寂しそうに肩を落とした横顔。やるせなさがたっぷり出ていました。

dokuganryu2014.jpg仮通夜かな、若い新世代の家来たちが気を張って起きているのに対して、いかりや長介・神山繁のお決まり老将コンビはもう体力が続かなくなっている。不本意だけど大きな火鉢にもたれて居眠り。立ち上がるのも難儀で、手を貸そうとするのをいったん払った老左月が、ちょっと思いなおしてまた友人の手を借りる。世代交代を予感させ、細かいけど、いいお芝居だったと思います。

★★★ 講談社文庫
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上下2冊。下巻の途中までは荒木村重のお話。後半は明智光秀。どちらも織田信長に仕え、我慢しきれず、たまらず反逆。失敗。そうした武将の心の葛藤や推移なんぞを描いたものです。

史実うんぬんは知りませんが、さすがに遠藤周作の筆にかかると、二人の反逆までの心の動きが納得できます。というより、秀吉だって家康だって、機会があったら謀叛をおこした可能性が高い。ただ「まだ機は熟さず」と我慢しながら機会をうかがっていたにすぎない。

たしかに信長という難しい主君に奉公し続けるのは大変だったでしょうね。利用できる間は利用して、力を付けすぎたり増長の気配が見えたら潰す。佐久間信盛の追放なんかがいい例ですが、信頼されていたように見える柴田勝家だってそのうち「昔、弟に味方してオレに逆らったな」とか始末されていた可能性もある。

つまり、ちょっと先の見える武将ならみんなちょっぴりは謀叛の心を抱いていたはず。

いかにも面白そうな通俗エピソードはとりません。たとえば家康歓迎会で光秀用意のサカナが生臭くて蹴飛ばされた・・・なんて話はなし。光秀ほどの人がそんな不用意な料理を準備するわけがない。

また村重が大刀串刺しの饅頭をパクリと食べた・・もなし。覚悟して大口あけたところで刀をひっこめたということになっています。ま、そのほうが自然ですわな。食べたら口を切ってしまう。ただ、刀を突きつけられた村重は非常に屈辱感を味わった。

信長が主役ではないようですが、ここで描かれた信長の性格や行動はスッキリわかりやすいです。自分は神。他の連中はすべてゴミアクタ。けっして短慮ではないので、必要があれば、ご機嫌もとる。本人なりには気遣いしているわけです。すべて計算のうえで部下をこき使っているつもり。そして自分の「計算」が絶対に正しいと信じきっている。

その計算が、最後でちょっと狂ってしまった。それほど自分を恨んでいるとは思わなかった。あるいは、謀叛するほどの勇気があるとは思わなかった。是非に及ばず。

野球部の暴力監督が「あついは見どころがある。鍛えてやる」とか勝手に思って部員をしごく。しごき続けていたら、予想外、いきなり血相変えたその部員にバットでぶん殴られた。オレの心がわからないのか! わからないですわな。

そうそう。村重籠城の途中で、ちょっと小寺官兵衛が登場します。ほんのちょっとです。たいして親しくもない男(策士という評判)が、何をとち狂ったか城に乗り込んできたので、村重は会いもしないで土牢にぶちこむ。

牢の後ろはため池で、善助という部下が池をわたってきたとか、牢番かなんかの女房が洗い物とか官兵衛の世話をやいてくれたと遠藤さんは書いています。なるほど。こっらのほうが、なんとなく納得できます。

※ 牢番の女房ではなかったみたいです。ただ牢番にはいろいろ便宜をはかってもらった。

★★★ 文藝春秋
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父親と少年。いわゆる成長物語のジャンルでしょう。

父親は資本主義的な商業経済の風潮に強い反感をもっている。なんでも自分の手で作り上げたい。実際、なんでもやれる万能大工、発明家、技術者。現代版のロビンソー・クルーソー。強い意志をち、奥さんと子供4人を引き連れてホンジュラスの奥地へ移住を決意します。

ホンジュラスとかコスタリカとかって、メキシコの南の方の小国です。湿気があって貧しくて、ものすごい熱帯ジャングルのイメージがありますね。逆にいうと、文明に汚染されていない。考えようによっては天国。

ただし、その父親は間に合わせの粗末な小屋で、地面に寝っころがる原住民のような生活はしたくない。現地人みたいに木の実を採取したり、栄養価の偏ったキャッサバを食べたりすることは拒否する。そんなものを食べるくらいなら飢えたほうがいい。で、手際よく住居をつくり、水洗式トイレのシステムを構築し、畑をつくって用意した新品種の野菜や穀物を植える。大規模な製氷機もつくって熱帯の商品流通を改善しようと試みる。

要するに、自分の理想にかなった文明的な生活を志しているわけです。

非常に強い意志とリーダーシップの持ち主です。他の人間がすべてアホに見える。アメリカは破綻して滅びる(いや、すでに滅びた)と信じ込んでいる。ついでですが、のべつまくなしに大声で自分の見解をしゃべりまくる。けっして他人の意見を聞かない。そうした強権的な父親にずーっと盲従してきた少年は何を考えるか。どうやって自分自身を取り戻そうとするか。

題名のように、ひたすら蚊と泥濘とジャングルのお話。この小説の映画化はあまり成功しなかったそうですが、ま、当然でしょうね。暑苦しい。汚い。父親の饒舌がうるさい。

ま、そういう小説でした。ポール・セローの小説はだいたいそうですがが、あまり爽快感のない展開と結末です(旅行ものはまた別)。強いていえば子供たちの会話や、やりとりに味がある。このへんはいかにもセロー。


ホンジュラスからニカラグアのカリブ海側を「モスキート海岸」というんですね。知らなかった。湿気の多い沼地の連続、いわゆる熱帯雨林みたいです。



なるほど、政宗というのはニュータイプの武将だったわけですね。それまでの戦国常識の通じない飢狼のような新世代領主。800人なで切りも断行するし、なあなあの和睦交渉なんて受け付けない。温情や妥協で奥州統一なんて不可能。ミニ信長です。

ただ、こういう断行路線はスムーズに進行すれば破竹の勢いですが、ちょっとでも躓くとガクっと失勢する。老臣たちや父親が心配するのももっともです。周囲の領主からすると非常に危険な人物。機会があったら寄ってたかって潰しにかかる。

dokuganryu2014.jpg今回は落城した小浜の城主、大内定綱の芝居が見応えありました。寺田農。こういう脇役というか敵役をいい役者さんが上手に演技すると、ドラマがずーんと深みを増します。どっちが悪いとか良いとかいう話ではない。それぞれの事情があって、それぞれに考えてそれぞれの人生を生きている。

で、19歳の政宗は小浜に続いて二本松攻撃も決意。いまさらゴメンと言ったって絶対許さないぞ。忙しいです。かなり前のめりに焦ってもいます。若いですから。

★★★ 新潮文庫
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もう何回目の再読になるのか。山本周五郎は読み込んでいると人生訓と人情話が鼻について飽き、しばらく離れているとまたふと手にとりたくなる作家です。

この「ながい坂」、おそらく周五郎の代表作の一つなんでしょうが、主人公の阿部小三郎(三浦主水正)に感情移入できるかどうかで評価がたぶん分かれる。

主人公は小禄の徒士組の子供として育ち、ある屈辱をキッカケにして子供ではなくなる。猛烈な向上意欲を持って必死に学問に励み、剣道にも入れ込む。要するに階級脱出、子供ながらもステップアップをはかるんですね。

非常に冷静かつ我慢強い性格です。自分を律する。若い主君に引き上げられて小姓組に入れられ、さまざまな部署で研鑽する。頭角をあらわし、荒蕪地の開拓を計画し、やがては藩政改革をめざす若い勢力の中心人物となる。最終的には城代家老。

だらしない肉親に対しては冷たい。子供の頃から「あれは自分の両親ではない」という思いを抱き続けてきた。けっして情が冷えているわけではないのですが、理で動こうとする。冷徹。切り捨てが容赦ない。

今回の再読では「老い」に興味が移りました。子供時代の小三郎は学問所の師である小出方正という人に親切にしてもらっています。更には江戸から下ってきた高名な谷宗岳先生の薫陶も受けます。豪農の隠居である米村青淵老にもいろいろ教えを乞うています。

こうした人生の師、みんな素晴らしい人なのですが、しかし小三郎が三浦主水正になり、壮年にさしかかる頃にはみんな老人になっている。

たとえば小出方正。いかにも田舎の町にいそうな温和で謙虚な学究肌。人の噂話など決してしないはずのその人が、だんだん抑制のきかない饒舌になる。死に際には「言い残したいことがある。来てほしい」と言伝てをよこす。未練。見苦しい。主水正はあえて臨終の言葉を聞きに行こうとはしません。

谷宗岳という学者も傲岸不遜、江戸では林家をのっとるくらいの大志を抱いていたはずの俊才なのに、老いてはひたすら酒に溺れ、だらしなくなる。弱さを抑制できない。見るにたえない。老残。

米村青淵という豪農の隠居も魅力的なキャラクターですが、やはり歳をとるにつれて欠点が見えてくる。三百年の歴史を持つはずの自家を「米村家の延々七百年」などと言い出す。豪気な人柄だったのに保身が見え隠れするようになる。

そういうものだ。ということなんでしょうね。ずっーと一つの像を期待し続けてはいけない。若いころと年取ってからと、同じ人間と思う必要もない。違う人間になる。それが当たり前。

城下町を経済的に支配する悪徳商人、五人衆。なかなかこれも悪辣で魅力的な連中なんですが、彼らとて歳には勝てない。オヤジは考えが古いなあと後を継いだ子供に馬鹿にされるようになる。時代が変わったんだよ。

いろんな読み方ができるんですね。また何年かたって再読の機会があったら、きっとまた違う視点から読むことができると思います。そういう意味でも素晴らしい一冊です。


若くて気負った政宗はさっそく芦名攻めを計画。解説によると当時の芦名は伊達よりも大きな勢力を持った領主だったらしいですね。で、たいして深く考えない突貫作戦はあえなく挫折。

えーい総攻めじゃ!と破れかぶれになるのを止めたのはもちろん知恵の片倉小十郎輝彦です。匹夫の勇にあらざらんやとか、べからざらんやとか、難しい言葉を使って立ちはだかります。

冷静な西郷輝彦、勇猛果敢な伊達成実友和。うまく役割分担しています。伊達成実の言葉づかいがけっこう政宗と対等感覚なので気になって調べてみたら、要するに政宗の従兄弟なんですね。父の縁、母の縁、いろいろあってかなり濃い縁戚関係。その点で小十郎とは少し違う。なるほど。

伊達当主といっても絶対君主ではなくて、いわば盟主というか、組合長とでもいうか。戦に負け続けたりして信頼を失ったら本当に追い出される危険性がある。政宗が焦るわけです。

関白になった勝新秀吉は例によって御殿で一人で大騒ぎ。今回のオモチャは金平糖でした。前回はオルゴールでしたね。金平糖、当時から赤やら黄色やら色のバリエーションがあったんでしょうか。ま、このへんはご愛嬌です。興にのって女中たちにも金平糖を分けてやったりしてるのが自然です。

また、当たり前の話ですが、政宗も他の武将も、日本を統一して民百姓の苦しみを・・・・とか言わないのが嬉しい。敵をバッサバッサとなぎ倒して領地を拡げるのが男の器量。野望がスッキリ単純でいいです。

dokuganryu2014.jpg芦名本体が強敵で難しいなら今度は弱そうな小浜の大内だ!と決めたみたいですが、ま、どの方向見ても敵といえば敵。攻める理由には事欠かない。戦国の世です。大内って寺田農かな。

メインストーリーではないですが、桜田淳子の愛姫も、けっこういいですね。ちょっと自信なさそうで、薄幸そうで。

★★ 新潮社
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新潮から山本周五郎の長編小説全集なんてのが刊行になっているんですね。びっくりしました。借り出したのは第10巻、2014年とできたてホヤホヤです。

山本周五郎のものはたいてい読んでると思ってましたが、たまたま目についたこの「風流太平記」というのは知らない。借り出してみました。

「風流太平記」はいわゆる痛快大衆小説のジャンルでしょう。大藩の陰謀に立ち向かう青年武士たち。そこに絡む女。手助けする子供たち。べらぼうに甘いストーリー仕立てです。

登場人物たちは、いろんな小説に出てくるキャラクターがそのまま類似で出没します。というか、こっちのほうが原型なのかな。

確か「末っ子」というう短編に出てくる兄弟関係そのまま、ちょっと抜けた末っ子とそれを厳しく見る兄。あるいは凜とした武士の娘と、その正反対に色っぽい女。気の強い孤児の少女と男の子。武士もの、忠義もの、下町もの、岡場所もの、山本周五郎のテクニックが総登場。

これをすべて入念に書き描いたら、代表作になるのかもしれません。ただしボリュームが5倍から10倍は必要。

それなりに楽しめる一冊でした。

若い読者を意識しているのか、すべてのページに脚注がついています。こんな言葉にも注が必要なのか?と思えるものが大部分ですが、ま、親切であるに越したことはない。ただこうした場合の注記ってのは、けっこうな作業ですよね。どうしても辞書引きまくりみたいな役に立たない変な注もありました。

実は最初のほうの脚注。
三尺 = 三尺帯。長さが鯨尺で三尺の木綿の帯。・・一尺は約38センチ。

これにひっかかりました。現代では「三尺帯」というと、柔らかな生地の、いわゆる兵児帯のことですよね。そもそも長さ三尺で腰に巻けるのか。

調べてみたら本当に三尺だったらしい。当然のことながら二重は無理で一重だけです。職人さんなんかが簡易に三尺手拭いを帯に使ったという説もあるらしい。それが後年、たぶん明治になってから長いものも三尺と称するようになった。

へぇーと驚き。てっきり「バイトの注釈係を使ったのか」と疑ってしまった。


goya1.jpg堀田善衛の「ゴヤ 2 マドリード・砂漠と緑」、最後まで読みきれずに返却しました。

何故なんだろう。文章は明晰で、当時のマドリード事情(ちょうどフランス革命のあおりを受けている頃)の解説も平明。背景は非常に面白いです。手にとってページを開けばスルスルと数十ページは進みます。でもなかなか「手にとる」こと自体が少ない。

読みたい・・・という強い気持ちが薄いんでしょうね。

何故だろうと考えてみると、まだ主人公のゴヤが魅力を持たないのが理由のような気がします。成り上がってマドリードの上流社会にある程度は受け入れられ、宮廷画家(だったかな)にもなった。お金はザクザク入っていて「金貨に黴が生える」ような状況。

ただ描かれている絵は、正直いってまだ上手じゃありません。粗野。いいかげんな絵が多い。おまけに本人は自己顕示欲の固まりで、謙虚さのカケラもない。成り金趣味。苦労をかけた女房には冷たいし、世話になった恩人とは喧嘩ばっかり。

要するに、この段階のゴヤには魅力がない。たぶんこの後で病気になって聴力を失い、いろいろ苦労したり考えたりして厚みも増すんだろうと思います。もっと読み進めばまた違うのかも知れませんが、いまの段階のゴヤはつまらない。単なる俗っぽい小物。

また気分が変わったら再読してみますか。

★★ 六興出版
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この本は未読だったことに気がついて借り出し。閉架から出してもらった本なので、けっこう汚れていました。古くて、ページを繰った後は手を洗いたくなる。

サッと一読。海音寺さんのものとしては、あまり出来が良くないです。武田勝頼が重臣の離反でどんどんボロボロになっていく頃からストーリーが始まり、当時の幸村は17歳程度。お決まりパターンですが、通りすがりの武田の姫君に心ときめかせます。

で、シラミたかりの汚い異能の少年と邂逅。猿飛佐助を連想させる男の子です。三好清海入道、伊佐入道、穴山小助らしい連中も登場します。

才能はあるけど若くてまだ理想主義的な幸村、リアリストの兄信之、出来すぎの感もある重厚な策士昌幸。武田滅亡、信長支配下での生き残り、本能寺の変の後の対処、徳川・北条・上杉という三大勢力の狭間での身の処し方などなどがメインです。

で、徳川と北条が手打ちとなり、上杉が越後に引き上げていくあたりで上下巻はオシマイ。期間も短いし、佐助は活躍しすぎだし、昌幸は凄すぎるし。貧しい時代らしく、でかいオニギリを貪り食べるシーンはたくさん描かれます。美味そう。

海音寺さん、この続きを書く気はあったんだろうか。仮に書いても、たぶんあまり面白い小説にはならなかったと思います。

ついでですが、真田昌幸はやはり岳宏一郎「群雲、関ヶ原へ」での描き方が好きです。愛嬌もある喰えない田舎オヤジ。理性ではわかっちゃいるのに、この昌幸に馬鹿にされると若い秀忠なんかはカーッと頭に血がのぼる。おまけに、昌幸は天下制覇とか関東一円の盟主なんていう大それたことはまったく考えていない。せいぜいで信濃一国の領主程度。その程度が田舎領主の夢想の限界。

上田の饅頭店のオヤジが「オレの夢は長野県一の饅頭屋になることなんだ」と言うようなものですか。東京進出とか総合菓子製造なんて想像だにできない。

そうそう。海音寺もので食べ物がなんとも美味しそうだったのは、「天と地と」の冒頭あたり、謙信のオヤジの為景が縁側でイワシの糠干しをオカズに何杯も飯をワシワシと食うシーン。イワシも数本だけ食べて残りをネコに投げ与える。あのイワシはいかにも塩がきつそうで、美味そうでした。ん? イワシだっただろうな。まさかメザシではないような。

長浜から美濃まで駕籠にも乗らず杖ついてワラジ履きで訪問の城主夫人。
朝から晩まで狭い庭で木剣ふるって剣術の練習しかしていない松寿丸。
いつでも不明瞭な大声でわめく男たち。静かにしゃべるマナーを知らない。
戦時でも陣小屋でもないのに、どこでもいつでも武将は一つ覚えの小具足着用。
戦の真っ最中なのに軍団長クラスがいつも信長の御前に雁首揃えている不思議。
取り次ぎや使者は必ず廊下をバタバタ走ってきて大声で主君に言上する。
重い鎧姿のまま座り込んで高価な茶器の目利きをする荒木村重。割れるぞ。
籠城中の殺気立った城内なのに、奥方が一人でフラフラ暗い土牢までお握り運搬。
死に瀕した半兵衛は一人で仰臥。医師やお世話係の姿はどこにも見えない。

総じて言えるのは侍女や家来など「その他大勢」の存在をバッサリ省いているということでしょうか。なるべく登場人物を絞ったほうが芝居はシンプルになり、分かりやすいのですが、その代わり「場の空気」「時代の空気」が消えます。

「空気」を大切にしないから、バタバタ走り込んできたヒラ社員が、重要会議中のワンマン社長に「大変です。有岡工業の社長が国外逃亡です!」と叫ぶ。現代ドラマなら、このへんは報告を受けた専務あたりが会長の耳元でコソコソ話すとか、それから会長が激怒するとか、きっちり脚本があるはずなんですが。

多くは望みません。ちょっとでいいから「らしさ」を演出してくれると、ずっと見やすくなると思うんですけどね。

この回から渡辺謙がフル登場。三浦友和も出てきましたが、予想外に硬派なお芝居をしています。もう少し柔らかい雰囲気かと思い込んでいたので意外。向こうっ気の強い青年武将が似合ってます。

相続の祝賀に訪れた大内なんとかという近隣の小領主、なんか見た記憶あり。こずるそうで、かといって卑屈でもなく、はて誰だろう?と調べたら寺田農でした。なるほど。

でもやっぱり原田芳雄の最上義光ですね。仮病を使って見舞いにきたのを謀殺したあと、寝間着のまま縁側で、血刀を肩に便所座りにしゃがみこんでニヤリと笑う。あの演技は絶対に原田芳雄のアイディアでしょう。いかにも悪どい。呪われている。

dokuganryu2014.jpg総じて感じるのは、それぞれの俳優さんが、微妙な演技をすることが許されていること。いまなら説明口調のセリフを必ず言わされるんですが、そうしたセリフなしでも、不満に思っているとか動転しているとかを表現できる。ま、当然ではあるんですが。

視聴者に要求されるレベルが高かったんでしょうかね。それとも今が視聴者をアホ扱いしすぎるんでしょうか。

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