Book 23の最近の記事

今年は本を読めない一年でした。

読後を書いたのがたったの23件。えっ?という少なさです。大不作。理由はたぶん他のことでバタバタしすぎた。パソコンで騒ぎまくったり、銀行システム変更で腹を立てたり、スマホの藪の中に舞い込んだり。あーあ、忙しかった。

で、せっかく本を借り出してもずーっとテーブルの上に置きっぱなし。期限がきて延長する。その延長期限もきて、読みきれずに返却。そんなんばっかりでした。

 

「論争 関ケ原合戦」笠谷和比古

ronsosekigahara.jpg比較的まじめな本です。でも良かったですね。要旨をいうと、家康の勝利は「絶対」ではなかったし「自信」があったわけでも、たぶんない。通俗の説とはかなり違っていて、その点では面白かったです。なにしろ徳川軍の「実質的な本軍」は秀忠がひきいていた。家康の手元にはほんの少し残してあっただけ。ひぇー。ちろん愛妻が「戦争のない世を」とかも言ってもいません。

小説ではないので、読者サービスの要素はほとんどなしです。

 

「岩倉具視」永井路子

iwakuratomomi.jpg永井路子は炎環とか、鎌倉あたりが有名ですが、幕末ものは初読。しかも対象が渋くて、なにしろ岩倉具視です。いい本でした。

副題が「言葉の皮を剥きながら」。要するに手垢のついた便利な言葉や形容詞を捨ててみよう。そうすると真実の姿らしいものが見えてくるかもしれない。

そうそう。岩倉具視の天敵は中川宮だっそうです。例の長州追い落とし(八月十八日の政変)の立役者ですね。このへんはまったく知らなかった。ついでに岩倉のアダナの「ヤモリ」ってのは色黒のせいかと思っていましたが、違った。日中戸袋かなんかに潜んでいて、夜になるとコソコソッと出てくる。それでヤモリ。あはは。

 

ryuutonobuto.jpg早川書房★★★

図書館で3冊そろっているのを発見。もちろん前に読んでいます。ここここ

読んだのが9年前ですか。すっかり忘れてます。読んだことすら記憶がおぼろだった。

(それとは別ですが、右の表紙。あらためて見るとひどいなあ。こういうテイストの本じゃないのに。持ち歩くのが恥ずかしい)

覚えていること。

ドーンから乗り込んだ冴えない花婿候補は、たしか竜に対面して焼死
たしか銀の女王デナーリスは竜に乗ったけど、草原で遭難してボロボロ
賢い小人はたしかライオンに喰われかかったけど、たしか助かった
サーセイは窮地。裸でさらし者になって街を歩く
死んだプリンスの忘れ形見一行はウェスタロスに上陸したはず。しかし・・・
全体に手詰まり感

そんな程度かな。

必死に三冊読みました。そこそこ面白いけど、なかなか時間がかかりました。うん、上記の記憶はほぼ正しい。あっちでもこっちでも、やたら暗い雰囲気。あまり楽しいエピソードはありません。主なキャラクターはみんな大変です。

この巻の続き、いちおうは刊行されることになっているけど、現実にはどうですかね。マーティンは太りすぎだし)、テレビにかかわるほうが面白いし、続編をほんとうに出せるかどうか。

タテマエでは「第7巻」まで続くことになっているそうですが()、たぶん世界中で信用している読者は一人もいないでしょう。そもそも大風呂敷を拡げすぎです。

 

マーティンは75歳、体重は130キロくらいありそうです。死ぬぞ。節制しろ!

この「竜との舞踏」はまだ第5巻。次のNo6は仮題が The Winds of Winter。No7もタイトルだけは決まっていて A Dream of Spring。

 

kairanjikki1.jpg慶應義塾大学出版会★★★

明治初期、例の岩倉使節団の見聞報告録です。書いたのは久米邦武という人。たぶん全5巻くらいあって、その第1巻。アメリカ編ですね。次はイギリス編。

原文はカタカりまじりの漢字らしく。たぶん読めない。いや、読めるかもしれないけどな非常な難物でしょう。それで現代語にしてくれたのが本書。ありがたいことです。

という次第でとりかかったんですが、現代語でも大変。いや、面白いんです。でも軽く読み過ごすわけにはいかない気配。手間取りました。手間取ったあげく、3分の1も行かないで期限が来てしまった。

ほんの取っかかりだけの印象ですが、これ、いつ刊行されたものなのか気になりました。調べてみると、えーと、使節団が明治4年から6年。帰国して整理して、刊行が明治11年。明治11年というと、西南戦争が終ってすぐですね。そんな時代に、この久米邦武という佐賀出身の随行員はこれだけの知識と取材力、判断材料を持っていた。すごい。

当時の知識階級の優秀さが驚異です。まるで明治20年とか25年ぐらいの材料知識で書いた本といっても不思議ではない。維新からさほど過ぎてもいない時代、もうこれほど世界を勉強していたんだ。すごい。

・・という前置きをしてからですが、わかりやすい現代文へ置き換えたことで消えてしまった部分も多いような感じです。とくに距離とかサイズとか計量単位、あるいは風俗とか。明治初年の知識人がどういうふうに実際に筆記したのか、それを知りたい気もする。

それなら原文を読めよ!はなし。読めるわけがない。

 

iwakuratomomi.jpg文藝春秋★★★★

これは掘り出し物。非常に面白い本でした。

副題が「言葉の皮を剥きながら」。なんのこっちゃ・・と怪訝でしたが、要するに手垢のついた「尊王攘夷」とか「佐幕」なんぞという便利な「言葉の衣」を剥がしましょうよということ。

誰だったか、この幕末のころの「尊王」は現代の「民主主義」みたいなもので、ま、多少の教育を受けた人間にとっては常識だったとか書いてました。したがって桂小五郎でも近藤勇でも清河八郎でも、言うことは同じ。みんな賛成はする。ただその「尊王」が意味するものはみんな微妙に違うでしょう。

現代、たとえば政治家も財界人もサラリーマン、右も左も「日本を愛する」とか言います。でもその言葉が意味するものは、たぶん違う。そういうことです。

したがって、便利な言葉を使って岩倉具視を説明することはやめよう。彼は「ヤモリ」なのか()。「ずるい」のか。「権力」を欲していたのか。「毒」を盛ったのか。

幕末。飾らない言葉で表現すれば、みーんな自分の欲得で活動していた。島津も毛利も水戸も幕閣も、みーんな必死になって権力拡充を画していた。それを後になって「天下国家のため」とか奇麗事にしているだけです。

下級公家の岩倉具視が必死になってもがく。献策やら提案やら、書きまくる。話しまくる。策動する。和宮降嫁で一度浮き上がって、それから命の危険を感じて逼塞。ながい閑居の末にようやくまた表舞台へ。

岩倉具視の天敵は中川宮だったそうです。例の長州追い落とし(八月十八日の政変)の花形。その中川宮が常に岩倉の前に立ちはだかっていた()。で、これを(岩倉村の蟄居先から遠隔で)ついに追い落として復権。薩摩と組んで維新の立役者となる。

正直、維新までは人形遣いの立場だったけど、明治になってからは人形になってしまったのかもしれない。本人は遣い手のつもりで踊っていた。しかし実際には大久保あたりが操作していたのかも。

 

単に色黒な容貌からついた名かと思っていましたが、ヤモリってのは日中は戸袋かなんかに潜んでいる。夜になるとコソコソッと出てくる。それで具視=ヤモリ。

中川宮は幕府加担とかいわれて失脚。ただの「朝彦」になる。新政府(特に長州)からすると仇敵です。やがてそのうち復権させてもらって久邇宮朝彦親王。そうか、昭和天皇に嫁いだのが久邇宮家の孫姫君。香淳皇后ですね。山縣有朋が結婚に反対したという宮中某大事件なんかも、けっこう深い理由があったのかもしれない。(根拠ないけど)

 

oujanotuma.jpg中央公論社★★

同じ永井路子歴史小説全集の第14巻。主人公は豊臣秀吉の正室おねね、北政所です。

そうですね。これも妙に女くさい解釈が多い。秀吉の愛撫で陶酔し、京極竜子は対抗心でキャンキャンわめく。淀殿も高ピーで狭量。賢くて節度を知っているのは北政所だけ。あんまり感心しませんでした。

ただ、戦国の妻はほとんど何も知らされない・・という点はいいですね()。亭主が「さあ、戦じゃ」とか言ってバタバタ出かけてしまうと、後はなーんにもない。城を守ってはいても、情報はほとんど入ってこない。10日、30日、3カ月、何が起きているのか。あてにならない噂だけ。

だから「本能寺にて上様ご生害・・」とか急に知らされても、はて、どうしたものか。自分で考える。判断力の勝負。どれだけ素早く逃げることができるかがカギになる。

それにしてもどうして★が二つなのかなあ。自分で付けておいて、うーんと考えると、たぶん男どもに魅力がない。男が描けてないんでしょうか。それを言うなら、女どもにも魅力がない

 

最近の大河、大事な会議の席にやたら奥方が同席していますね。あれはいけない。表と奥は厳密に区別する。女性は戦に関与しない。大昔の独眼竜政宗なんか、怖い奥方(岩下志麻)は会議が終ってから(出席した家来を)自室に呼んで内容を聞いていました。もし言いたいことがあったらやはり間接的に伝える。
そうそう。思い出した。やはり大河の軍師官兵衛、侍女の私室だったか台所だったかで、殿様がマッサージ治療やってました。あれは酷い。奥方に知れたら大騒ぎになります。どんなに偉くても奥方のテリトリーを侵してはいけない。だから明治になってからですが、徳川慶喜がカメレオンのエサ(蠅)を探しに気軽に台所に出入りするのを見て女中たちは驚愕した。

(蛇足ですが、たとえば出陣の際の鎧着用。けっして女性は触らなかったそうです。禁忌。手伝うのは男どもだけ)

 

houjoumasa_nagai.jpg中央公論社★★

単行本ではなく「永井路子歴史小説全集」です。第9巻。

前に読んだ直木賞受賞の「炎環」などに比べると、ぐっと通俗小説ふうです。現代的で読みやすい。軽い。あんまり必要なさそうなのに性愛の部分が強調されたり。読者サービスなんですかね()。

ま、それでも読んで損する本ではありません。あんまり覚えていませんが、毛利元就の妻を描いた「山霧」なんかと少し似た感じかな。あれもそこそこ面白かった。

えーと、この本の北条時政は赤鼻の陽気な武将です。騒がしいけれど、実はけっこう曲者。で、政子が信頼するのは兄の三郎(大河ドラマでは愛之助)。弟の義時は背が高くて無口で無愛想。でもけっこう思慮深いのかも。

妹(大河=宮沢エマ)は単純なおしゃべり娘。亭主の全成は目立たない人間。長男(頼家)はわがまま坊ちゃんで、つまりは比企の連中が悪い。母子関係は最悪。この頼家はかなり悪役設定なので、結果的に政子は「悪」ではなくなる。そうそう、頼家の妻(比企一族)とも政子はバキバキ心理戦です。あの女がいけないのよ。

ま、要するにわりあい平凡な妻であり、母であったという設定でしょうか。平凡な女なんですが、ときどきは大胆に行動する。なんせ板東の女です()。そうそう、頼朝寵愛・亀の前へのうわなり打ちですが、この本ではほんの少し。義経(菅田将暉)は絡まないし、柱を一本叩き折った程度。あんまり派手ではないです。

 

藤沢周平でもそうですね。乾いた質のいい感じで読み続けていると、最後のほうで急にラブシーンがあったりチャンバラが挿入される。編集部からの注文だったのかな。作家もなかなか大変です。

頼家が部下の女をかっさらった事件を素早く解決のあたりから、政子は存在感を増す。尼御前は怖いぞ、あなどれんぞ・・という評判になる。

 

渡辺一史 著。発行 北海道新聞kitanomujineki.jpg

昔読んだ本ですが、ふと気になって再借り出し。

やはりいいですね。厚い本の初めのほうの3章だけ。室蘭本線小幌駅、釧網線茅沼駅、札沼線新十津川駅を再読。

小幌は両脚切断してもやたら元気印で勝手な漁師が楽しいし、茅沼は丹頂鶴の保護というか、自然や野生と人間生活について考えさせる。新十津川は北海道産の米の話です。たぶん今でも北海道の米生産量は日本トップなんじゃないかな()。それなのに・・という話。

どれもこれも一筋縄ではいきません。読みやすくて、しかも深い。期限がきてしまったんで返却ですが、うーん、古本を探して買ってしまおうかな。ちょっと迷います。いい本です

いまは2位でした。トップは新潟県。それでも意外感はある。

 

shinsengumiibun.jpg中公文庫★★★

前作にあたる「新選組始末記」のほうが有名かな。これもたぶん読んでるとは思うけど、細かい部分なんかまったく忘れてる。ん? 「まったく」の後に肯定語が付くのは変か。ま、いいや。

原田左之助とか永倉新八とか、芹沢鴨とか、沖田総司とか。おなじみ隊士について、たぶん昭和の初めごろですかね、まだ生きていた古老からの聞き書きが多いので、なんというか実感がせまります。

聞き書きだからすべて真実とは言い切れない。言い切れないけど、ま、いいじゃないですか・・とも言いたくなります。たとえば下帯もつけずに殺された芹沢、暗いところで逃げまどって、最後は八木家の寝所にとびこんだとか。そこへ隊士連中が追いかけて切りまくるもんだから、寝ていた八木の子供まで足に怪我をした。

巻き添えくったお梅の死にざまは無残だったとか。実は他にも隊士のところに来ていた女たちが何人かいたとか。あんまり書かれないような詳細が多いです(馴染み隊士の帰りを待って、勝手に子供たちの部屋で寝ていた)。そんなことを八木の跡取りだった子供が記憶をたどって話をする。

そうそう。子母澤さんは圧倒的に近藤勇の側に立ちます。近藤斬首のシーンだって、土佐の谷干城が悪者になるし、もっとひどいのは近藤憎しの小者あつかいにされた香川敬三という人。「香川なんてのは東山道軍総督府のしょせんは旗持ち程度」と有馬藤太の証言でこきおろされてます。でもWikiによると本当に総督府の大軍監だったらしい()。

なにが本当か。真実か。わからないことが多いです。

そうそう。近藤が流山で降伏の際に名乗った「大久保大和」ですが、官軍側には当初から近藤だと気がつかれていたようです。そもそも「大久保大和」は誤魔化しなんかじゃなく本名だともいうし、このへんも難しい。そうそう、随所に当時の手紙が掲載されています。面白いけど、読むのが大変です。

 

香川敬三。後に伯爵。戦は下手だったけど一応は出世した。日露戦争前夜、皇后の夢枕に坂本龍馬があらわれ・・・は香川の言い出した話とも

 

nigemizu.jpg徳間文庫 ★★★

上下巻といってもたかが文庫。それなのに読み切るまでけっこう日時を要した。子母澤寛だからなあ。平易そうで、実は難しい言葉がたくさん出てくる。子母澤さんの当時の読者だったら常識だったのかもしれない。

ふと思い出したのでは、たとえば「ぶっさき羽織」が出てくる。ほぼ見当はつくものの、あれ? ぶっさきはお尻だけだったっけ。まさかサイドベンツじゃなかったよな、とか。じゃ義経袴はどんなだっけ。切米二百俵って、多いのか少ないのか。調べてみると「二俵=一石」らしい。でも百石取りといったって実質は半分くらいのはずなんで、百俵とあまり違わないとか。ん? そもそも切米だったか扶持米だったか。これも違う。なかなか難しいです。

最初からずれてしまいましたが、幕末の三舟、高橋泥舟が主人公です。はて、本当に主人公かな。真ん中あたりからはむしろ新選組や近藤の話が多いかもしれません。

高橋泥舟は幕末の旗本山岡家の次男です。請われて高橋家に養子に入った。ところが山岡を継ぐはずの兄が若くして死んでしまって、しかたない、いまさら戻るわけにもいかない。で、実の妹の婿養子として来てもらったのが小野鉄太郎(鉄舟)。つまり高橋泥舟の義理の弟が山岡鉄舟です。

死んだ兄も自分も槍の名手。やたら強かったようです。いろいろ道場のエピソードが出てくるけど、正直、よくわからない。いまの常識からしたら狂気の稽古をした。2貫以上もある稽古槍を1000回とか2000回とか突いた。7キロとか8キロの重さです。ひぇー。

ま、そうやって名を高め、新設講武所の槍術教授方。なんか好かれる人格者だったようで、どんどんどんどん出世する。とどのつまりは「従五位下伊勢守」まで行った。これはすごいです。

弟の鉄舟が清河八郎と親しかった。八郎、当時はかなり有名人だったようですね。ただ泥舟は清河をあまり評価していなかった。ケレン味を嫌ったのかな。それとも「しょせんは庄内の郷士」と思っていたのか。このへんも不明です。

成り行きというもので、例の浪士隊結成の際は取締役として京に登った。で、あとは御存じ、一部を残して浪士隊は江戸へ引き上げ。このへんの経緯、司馬さんなんかとは少し違って、なかなか面白いです。(司馬さんは司馬さんなり、ストーリーを省略したりピックアップしたりがけっこう多い)

で、徳川慶喜が逃げ帰ってからは恭順を説き、上野に謹慎したときは身近で警護した。有名な西郷への使者は山岡鉄舟ですが、最初は高橋泥舟の予定だった。ただ泥舟を出してしまうと慶喜の近辺に信頼できる人間がいなくなる。主戦派をおさえることのできるのは泥舟しかいない雰囲気だったんですね。うーんと悩んでいたので泥舟が「代わりに義弟の山岡鉄太郎」を推薦した。

このへんも複雑です。そもそも山岡は「慶喜の使者」だったのか。解説の中には「勝海舟の使者」と書いているものもある。いろいろです。ただ山岡が気をきかせて勝のところに事前相談に行ったのは事実らしい()。後年も泥舟はあまりしゃべらない。海舟はやたらしゃべりまくる。真偽はなんともかとも。

それは別として、主役の高橋泥舟という人が、よくわからないです。ヤクザも老中も、なんでみんなが信頼したのか。また、旗本といっても高橋は幕末に生きた都会っ子です。子母澤さんがしゃべらせている高橋のセリフなんか調子が軽い江戸弁。ベランメエで粋な感じはあるけど、あんまり「人格者」という重々しい雰囲気になりません()。

ともかく終始一貫、芯は「勤皇攘夷」の人ではあったようです。でもその信条と実際の行動がどう合致しているのか。慶喜ともスレ違いがあったようだし。ま、少なくとも「自分は徳川家の家人である()」という根本スタンスは変えなかった人なんでしょうね。だから新政府に仕えるなんて気は毛頭なかった。

 

指名を受けて山岡鉄舟、欣喜雀躍。すぐさま帰宅して一升飯を炊かせ、たべ終わるとすぐさま出立・・・ではないようです。勝のところにも行っているし、友人から刀を借りてもいるし、薩摩の益満休之助も連れているし、いろいろ準備がある。なんせ幕末です、テキパキとそんなにスピーディだったとは思えない。

有名な話らしいですが、後年、義弟鉄舟の死後、莫大な借金を肩代わりする際「この顔が担保でござる」と見栄をきった。みるからに江戸っ子の言葉ですよね。「従五位下伊勢守」の言葉ではない。

「トクガワケ」ではなく「トクセンケ」と読んでください。雰囲気がかなり違う。

 

kagenoou.jpg早川書房★★

ムッソリーニがエチオピア侵攻。第二次大戦の少し前ですね。皇帝ハイレ・セラシエは頼りにしていた親衛隊(多少は近代装備だった)を毒ガス攻撃で全滅させられて英国へ亡命()。しかし抵抗戦を継続する一部の貴族たちは影武者の皇帝をしたてあげて国民を鼓舞、勇敢なアビシニアの女たちは古い銃をとって偽皇帝の護衛となった・・・・

いかにも面白そうなんです。しかし、面白くない。

なんなんですかね。メンギステはエチオピアの作家で、家族でも曾祖母だったかな、実際に銃を持って戦ったりした。男たちだけでなく、埋もれがちな女たちの戦いを描きたい・・と思い続けてきたらしい。

よく言えば詩的、おぼろなパステル画のような描写。登場人物の数は節約されたのかえらく少ないです。抵抗戦の先頭にたった貴族。誇り高いその妻。父からもらった古い銃に執着する少女。なに考えてるのかわからない料理女。19世紀の中隊みたいな規模のイタリア軍。ホラー映画の主役みたいな変質大佐。やけに豪華なアビシニア人の愛人(ただし隠れインテリでスパイ)、おどおどしたユダヤ人の私設カメラマン。

で、インディアン映画みたいな展開の戦いがあり、伏兵に戦車が壊され、いきなりジブリみたいなイタリア戦闘機が襲う。忍者みたいな集団が司令部(というか、大佐の宿舎)を襲う。わけわからんです。

はい。わからん小説でした。詩の心を持った愛国女流作家が妙にこだわって書いた小説ですね。デキの悪い少女マンガ。ストーリーや具体性を求めて読んではいけません。

ちなみに皇帝は国連(連盟です)などで理不尽を訴えたらしい。英仏は完全に無視した。エチオピア=蛮国という扱いだったんでしょうね。文明国イタリアが占領して何が悪い。

結果的にエチオピアは、アフリカでは例外的に独立を保った。ただこの皇帝、優秀だったようですが頭が古く、政治的には旧弊そのもの。日本をまねた憲法を制定したけれども中身がともなわなかった。エチオピアはいまでも最貧国です。

 

akisamemono.jpg角川書店★★★

貴志祐介は「新世界より」「悪の教典」の作家。秋雨物語じゃ、どうしても雨月物語を連想する。ま、それを狙ったんだと思います。

中編が4つ。餓鬼の田 / フーグ / 白鳥の歌 / こっくりさん。餓鬼は「子供」ではなく、仏教でいういつも飢えた鬼です。フーグは「解離性遁走」。白鳥の歌は最後に歌う絶唱ですね。こっくりさんは裏バージョンのこっくりさん召還。

みんな怖~い話です。ホラーというのかな。登場する主人公(?)はみんな美しくない。汚れていて、汚い。

たとえば二作目の小説家は遅筆でデブで(たぶん)性格が悪くてガンコで臆病で、無残に死ぬ。編集者からは「だいたい小説家なんて連中は・・・」とクソミソに罵られています。でも若い女性に好かれていたりする。意外性。

ま、面白い本でした。そうそう。貴志センセイ、「新世界より」で日本SF大賞、「悪の教典」では山田風太郎賞だそうです。多彩、多才。

実はこのところ、「新世界より」を読み直してみようかという気になっています。人類絶滅とボノボ文化とエスパーを合体させたような長編ですね。少年雑誌ふうSFが嫌いでなかったらオススメ。

 

sabakunokitune2.jpg新潮文庫★★★

なんか気になって、また借り出し。作者は「炎の門」の人です。

「炎の門」は全滅したスパルタ兵300のストーリー。非常に面白い本でした。なぜスパルタは強かったのか。ファランクス(方陣)とはどういう性格のものだったのか。これほどキッチリ書いた小説を知りません。

この作家、他にもギリシャものを何編か書いているようで期待なのですが、なぜか翻訳なし。その代わり訳のわからないハウツウ本みたいなのが邦訳されている。やはり変なゴルフものもあって映画化されているらしい。不思議な扱われ方です。

で、「砂漠の狐を狩れ」。アフリカ戦線での長距離砂漠挺身隊の話ですね。車は砂漠仕様のデザートシボレー。狐はもちろんロンメル将軍。そんなに派手なストーリーじゃないですが、その代わり世界的にも不思議な人種である英国のパブリックスクール出身、エリート士官の生態がよく理解できる。何回読んでも不思議な連中です。

まずいポリッジ食べて紅茶飲んで満足している。たまにラム飲んだりご馳走はローストビーフかな。キューリのサンドイッチも好きなようです。(話は違って南極越冬なんかでも、他の国が最新のチタン機器なのに英国だけ古い木製器具を使っていたりしたらしい。これでいいんだよ、と恥じない。そういう人種)。

地味で、しぶとい。我慢強い。たぶん鼻持ちならない。結果的に強い。

ま、そんなふうな(わけわからんですね)小説です。そうそう。ここに登場するアフリカ戦線の戦車はたぶん初期の20トンから30トンクラスの中戦車かな。3型とか4型とかいう名称。ガソリンは食うし故障するし手間はかかるし装甲は破れるし、なかなか大変です。そんな戦車を中心に据えた当時の機甲師団の地味な戦いが実感できます。

読み通しはできず、半分ほどで返却しました。それで十分。

 

bunjoumugen.jpg中央公論社★★★

わりあい伝統的なつくりの小説です。清末から民国の初頭あたりが舞台ですね。場所も黄河の北に位置する町と長江の南の町。主題となっている「文城」は、ま、存在するようなしないような。だから「夢幻」ということなんでしょう。

北の町の背の高い男・林さんは、遠い南からきた女・小美と知り合います。南の出身なので、たぶん小柄なんでしょうね。ところがやがて女は失踪する。何カ月かして戻ってくると「子供が生まれる」と言う。自分が去るだけならともかく、生まれる子供は家(林家)のものです。お腹の跡継ぎまで連れ去ってはあまりに申し訳ない。だから戻った。

というわけで、出産。しかし一歳の誕生日の後、子供を置いてまた女はいなくなる。

男は嬰児をふところに抱いて南へ旅します。妻の出身と聞いた「文城」を探しての旅です。途中、民家から赤ん坊の鳴き声がすると扉を叩く。ビタ銭を握りしめて「乳を飲ませてほしい・・」と懇願します。こうして「百の家で乳を飲ませてもらった娘」林百家が育つ。

まるでメロドラマですが、ここに政情がからむ。北洋軍と民国軍の戦闘。はびこる軍閥、暴れまわる匪賊。匪賊っていったって生半可なものじゃないです。凶悪強盗団。なんせ警察も軍もあてにならない(というか、むしろ迷惑。匪賊と結託している)。斧や剣、銃や大砲で武装した大規模殺戮団ですね。住民はバッタバッタと死ぬ。無意味に手腕を切られ、拷問され、ひたすら無意味に死ぬ

そうした暴力と貧しさの中で、けんめいに生きた人々がいた。まだ「侠気」みたいなものが尊重された時代のようです。いいかげんに生きた男ももちろんいたし、惨めに死んだ住民もいた。ま、そういう時代だった・・ということでしょうか。

構想20年とか。余華のものでは読みやすい部類と思います。

 

tokyouyojigen.jpgイーストプレス★★★

先日亡くなった小田島隆小説を書いていた。去年の6月刊のようです。

こうした小説には珍しく序文と後書きがついています。けっこう恥ずかしそうではあるものの、けっこう楽しかったらしい。自分に課していた「『本当のことを書く』という縛り」を解除している、とも書いています。

内容はショートストーリーとでもいうんでしょうか。東京23区をタイトルとした短い短編(変な言葉だけど)が連鎖しているような、いないようなあいまいな形で続く。

たとえば最初の「新宿区」で登場した少し可愛げのありそうなチンピラは、次の「江戸川区」で、同棲している女を正拳突きする。どこかの区では、たぶん野垂れ死にする。女もどこかの区で何かをする(何だったかは忘れた)。

関連しあってどんどん続くのかな・・と思っていると、いきなり切れます。違うストーリーになる。また、違う話になる。

基本的に小田島感覚の少年たち、男たちの話ですね。やる気が欠如していたり、どこか欠けていたり。人が嫌いだったり。登場の女はたいてい少し強気で独善で、こういう女性の話は今まで読んだことなかったかな。でもどこかで小田島が抱いていた女性像なんでしょうね、きっと。

乾いているけど叙情の世界です。後味が残る。ちょっと気のきいた掌編集。そうそう、東京に育った人間の郷土意識は半径五キロに限られるんだそうです。北区に生まれたなら板橋、豊島、文京の一部まで。いかにも小田島らしい分析です。事実、多摩地区の人間は隅田川の東のことはまったく知らない。葛飾区や江戸川区の住民は、三鷹や吉祥寺を山梨の近隣と思っている。

そうそう、23区だけでは足りなくなって、あとは適当に追加の数編が続きます。念のため。

 

ronsosekigahara.jpg新潮社★★★

やたらある関ケ原本ですが、わりあい専門書ふうの内容です。そんなに読みやすくもない。ザッとですが原文資料も掲載している。

では従来の関ケ原解釈とどこが違っているのか。以下、読み終えてからの記憶なのでかなり不確かですが

小山会議で「石田三成と戦う」ことに賛同してくれた豊臣恩顧の大名たち。しかし秀頼さまに逆らう気は毛頭なかった。この時点ではあくまで三成と家康の戦いと認識。

やがて大坂の奉行たちが秀頼の名で家康打倒を発令。つまり大名たちが清洲城に集結の時点では、小山会議の時とは状況がまったく違ってしまった。

ゆえに家康は清洲城の豊臣恩顧の連中を信用できない。危なくて江戸から発進なんてできない。江戸城にいれば比較的安心と考える。

しかし清洲連中への牽制使者が効きすぎて、福島たちが激昂。予想外の強さを発揮して岐阜城をあっさり攻略(城主は元の三法師=織田秀信)。「家康なんて不要」の雰囲気になってしまった。これは最悪。

仕方なく、予定外ながら家康は西へ進軍。それもコソコソと出立した。(察知されると対応して、大坂城から秀頼帯同で毛利が出てくる可能性あり)。もし秀頼が出てきたら清洲城の連中は一挙に裏切りの可能性。

東海道の家康、中山道の秀忠。どちらも軍勢は三万程度だが、中身はまったく違う。万石以上の「独立して戦える戦闘集団」はほとんどが中山道にまわされており、こちらが主力。家康麾下は雑魚集団だった。(本多忠勝などの名もあるが、立場は軍監であり、手勢はほとんどいなかった)

秀忠軍の当初の目的は上田(真田昌幸)の制圧。それが終ってからゆっくり西上の予定だった。急ぐ理由はない。

しかし家康が予定外に西へ進軍したため、当初の予定を変更。しかしもうまにあわない。

以上を総合すると、家康は非常に危なかった。濃霧もあり小早川がなかなか動かない。諸説あるが、秀秋へ鉄砲打ち掛け(裏切り催促)もあったとみる。ただし、かなり遠慮がちな催促だったようだ(誤射だった・・などと一応は謝罪の体裁をとっている)。

したがって関ケ原合戦の主役は豊臣恩顧の諸大名たちである。家康の貢献は実はあまりなかった。

そのため戦後処理でも、豊臣恩顧の諸大名たちは西国でたっぷり加増。けっして「西に追いやった」のではなく、日本の中心付近に置いたのである。西に・・は江戸中心の偏った観点。(

また家康の名前で加増したわけでもない。ほとんどは書状のない口頭での伝達。異例。つまり「秀頼さまの命令」というふくみをもっている。まだ家康がおおっぴらに専断できる状況ではなかったのだ。

などなど。面白かったですが、かなり自信をもって断定のめだつ一冊でした。(

 

著者の経歴みたら京大でした。やっぱり。
 

アーカイブ

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれた記事のうちBook 23カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリはBook 24です。

次のカテゴリはBook.22です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。