涼しい。たぶん外気は24~25度程度かな。朝刊を取りに外へ出るとさわやかな風がとおる。
生き返った気分。嬉しいです。
この数カ月、やらなければ・・と溜め込んだ雑事がいろいろあって、もう少し秋になったらとりかかる予定で、でも頭も体も動かない。死んでいました。マイナカード、銀行アプリ、スマホカードの導入、接種をどうするか etc....。
このままずーっと秋でいてほしい。
涼しい。たぶん外気は24~25度程度かな。朝刊を取りに外へ出るとさわやかな風がとおる。
生き返った気分。嬉しいです。
この数カ月、やらなければ・・と溜め込んだ雑事がいろいろあって、もう少し秋になったらとりかかる予定で、でも頭も体も動かない。死んでいました。マイナカード、銀行アプリ、スマホカードの導入、接種をどうするか etc....。
このままずーっと秋でいてほしい。
慶應義塾大学出版会★★★
明治初期、例の岩倉使節団の見聞報告録です。書いたのは久米邦武という人。たぶん全5巻くらいあって、その第1巻。アメリカ編ですね。次はイギリス編。
原文はカタカりまじりの漢字らしく。たぶん読めない。いや、読めるかもしれないけどな非常な難物でしょう。それで現代語にしてくれたのが本書。ありがたいことです。
という次第でとりかかったんですが、現代語でも大変。いや、面白いんです。でも軽く読み過ごすわけにはいかない気配。手間取りました。手間取ったあげく、3分の1も行かないで期限が来てしまった。
ほんの取っかかりだけの印象ですが、これ、いつ刊行されたものなのか気になりました。調べてみると、えーと、使節団が明治4年から6年。帰国して整理して、刊行が明治11年。明治11年というと、西南戦争が終ってすぐですね。そんな時代に、この久米邦武という佐賀出身の随行員はこれだけの知識と取材力、判断材料を持っていた。すごい。
当時の知識階級の優秀さが驚異です。まるで明治20年とか25年ぐらいの材料知識で書いた本といっても不思議ではない。維新からさほど過ぎてもいない時代、もうこれほど世界を勉強していたんだ。すごい。
・・という前置きをしてからですが、わかりやすい現代文へ置き換えたことで消えてしまった部分も多いような感じです。とくに距離とかサイズとか計量単位、あるいは風俗とか。明治初年の知識人がどういうふうに実際に筆記したのか、それを知りたい気もする。
それなら原文を読めよ!はなし。読めるわけがない。
朝起きたらネットが繋がらない。え? 昨夜まではまったく問題なかったのに。兆候はゼロでした。
光電話ルーターの不調かなあ、そこに接続したWi-Fiルーターのトラブルかなあ・・とか悩んで、いろいろゴソゴソしていたら、なぜかデスクトップPCの電源が入らなくなった。これもネジの甘いスイッチ装置を先日しっかり矯正して、まったく問題なくなったはずなのに。でも何回ボタンを押しても反応しない。
しかたないです。パソコンの横蓋をあけて針の先みたいなスイッチ端子を、マイナスドライバでダイレクトにショートさせる。あれれ、これも効かない。CMOSクリアもダメ。何回やってもうまくいかない。
ネットが繋がらない。おまけにパソコンの電源が入らない。どうするんだ。完全に呪われてるみたいです。
必死に考えました。切り分けて考えよう。まずパソコン。なんとなく電源セットに原因があるような気配。なにしろ何をしてもマザーボードが反応しない。ふつう、通電していれば小さなLEDくらいは灯っているもんです。それがない。たぶん電源が死亡している。まだ使い始めて半年なんだけどなあ。Antecの550W電源です。
まだ暑い夕刻、吉祥寺のヨドバシまで出かけました。カギ付きガラス棚の中に鎮座している中から適当に選んで、クロシコの650W。えーと、名前はKRPW-AK650W/88+です。一応は80Plus Silver規格。ま、問題ないでしょう。
玄人志向、本当はあんまり好きじゃないけど発売からもう長いブランドだし、たぶん信頼も得ている。店員の口ぶりではオールテックの安物よりはマシ・・・みたいな雰囲気だったし(※)。あ、もちろん店員はハッキリ断言なんてしません。顔でそう言ってる。
もうあわてない。夕食はゆっくりビールを飲んで、ゆっくり寝て(本当はなかなか寝つけなかったけど。なんか頭の中が冴え)、気分を入れ換える。翌日は朝から電源交換。
はい。当たりました。電源交換でPCは無事復旧。そうか、やはり壊れていたんだ。
で、次はネット。これも冷静に考えるとハードウェアの問題でしょう。まず外界と接する最初の機器であるVDSLモデムですね。正面のランプの点灯をネットで(つまりスマホで)調べてみると、どうも異常があるような雰囲気らしい。黄緑のLINKボタンがチカチカ点滅しています。外界とリンクできていない。
電話です。まずぷららに電話をしてみて、ん?違ったか。途中で思いなおしてNTTへ。いろいろやってなんとか音声応答まで行ったんですが「担当が違う。NTTドコモに問い合わせしろ」と柔らかく叱られる。
で、教えてもらってたNTTドコモ、こっちはあんがいスムーズに辿れて、ようやく故障担当とお話。やはりVDSLモデム故障の可能性が高い。あるいは、外部から部屋につながる途中の配線機器が原因かもしれない。ま、その場合は住宅の管理事務所に相談しかないでしょうね。
ということで、すぐにもモデム交換か・・と思ったらそうはいかない(※)。土日もあるし修理が混み合っているので、明日もダメ、明後日もダメ。その次の日ですね。お伺いする前に電話を入れますので。
仕方ないです。あすは日曜、月曜、そして火曜の午前。なーんにしないで待つしかない(※)。そうそう。迫った野暮用もあるんで、奥さんのノートPCを貸してもらって、どこかWi-Fiの使えるカフェを探しておく必要がある。トシとると、こういう「新規の体験」にけっこう胸がドキドキします。
※後記
あらら、結論は意外や意外。原因は「光ケーブル」→「住宅内配線」の設備部分だった!
19年もののVDSLモデム、つい疑って悪かった。悪いのはお前ではなかった・・・
※たぶんオールテックの高級路線はSeasonic製品のはずで、これは高いです。とうてい手が出ない。
※NTT系の貸与モデム。自分で購入はできません。無料で貸してくれるけど、故障しない限り新品に交換できない。つまり(どこかの時点では必ず)数日の「通信不能時間」が発生してしまう理屈です。変なルールです。有料で販売もしてくれればいいのに。
※ネットが使えない数日間はすごく違和感、ストレスでした。PCを使っていると、つい反射的にブラウザをクリックしてしまう。慣れきってしまったんだなあ。
子供の休暇にあわせて夏の小旅行。うーん、どこへ行くか。島嶼はいいけど船や航空便の運休が恐ろしい。台風が多いしね。西日本や九州はどうしても遠い。北海道は行ったばかりだしけっこう費用がかかる。
などなど。で、どういう吹き回しか青森になりました。三内丸山を見たことがない・・とか、誰かが言ったらしい。ま、いいでしょう。
新幹線開通で東北も近くなりました。ちょっと走って仙台。あくびをすると盛岡。次は新青森です。実は従来線の青森駅と新幹線の新青森駅、位置関係を知りませんでした。青森の西側に新青森があるんですね。そして三内丸山遺跡は新青森の近く。
たしか野球場かなんかを造ろうとして地面を掘ったら遺跡が出てきた。こっそり埋めたりしないでよかったです。野球場つくるよりはるかに稼げるものがあらわれた。
それでも看板の解説読んだら、すぐに計画中止になったわけではないらしい。もちろんとりあえずは計画中止で、その後も次々と凄いのが出てきたので、ついに計画は完全に変更。ついでにサッカー場の計画も消えたようです。怒った市議とかいたかもしれません。大規模なスポーツエリアにするつもりだったんでしょうね。
ただ、暑かったです。非常に暑かった。日差しを遮る立木もない広いエリアにポツンポツンと建物がある。ところどころにエアコンの効いた保存エリア(貴重な堀り跡なんかを覆っている)があって、そこに逃げ込むとホッとします。ただあんまり長くはいられない。例の6本柱の物見台は、そう大きくは感じられませんでした。なにしろ周囲が広すぎる。暑すぎる。
夕方になってから八甲田へ。山の中、有名な酸ヶ湯の近くに実は良いホテルがあります。ボロタクシーに乗り込んで山の中を走っていたら中腹の雲の中に突っ込んだようで、すごい大雨になりました。激しい雨の中、曲がりくねった山道をガタガタつっ走る。1時間ほどかかったかな。(翌々日、帰路はホテルのバスでしたが40分ほどでした。ほんとは近かった)
翌日は歩いたりロープウェーに乗ったり(これも午前中は強風で運休)、日焼けしながらウロウロ。帰宅してから顔を見たら見事に黒くなっていました。女衆は日傘を開いたり閉じたりで大忙しだったようです。
暗くなってから東京駅について、駅弁を買い込んで帰宅。真っ先に部屋を冷やして、シャワーしてビールを飲んで、ま、無事に帰れてよかったよかった。翌朝は9時過ぎまで目が覚めませんでした。
※そうそう。青森で寿司屋。目的の店は定休で、ちょっと?の店に入ったら、うーん、失敗だったようです。愛想がない。言葉がない。お茶係のバアさんも必要最小限しか言葉を発しない。ネタは最悪とまではいえない(アワビはかみ砕くのに苦労)ようだけど、とにかく包丁が下手。おまけに手がべらぼうに遅い。そして安くはない。中心街で、あんなんでよく営業できるなあ。
※食事に時間がかかりすぎて、予定していた近くの観光物産館アスパムを回るのはあきらめました。
文藝春秋★★★★
これは掘り出し物。非常に面白い本でした。
副題が「言葉の皮を剥きながら」。なんのこっちゃ・・と怪訝でしたが、要するに手垢のついた「尊王攘夷」とか「佐幕」なんぞという便利な「言葉の衣」を剥がしましょうよということ。
誰だったか、この幕末のころの「尊王」は現代の「民主主義」みたいなもので、ま、多少の教育を受けた人間にとっては常識だったとか書いてました。したがって桂小五郎でも近藤勇でも清河八郎でも、言うことは同じ。みんな賛成はする。ただその「尊王」が意味するものはみんな微妙に違うでしょう。
現代、たとえば政治家も財界人もサラリーマン、右も左も「日本を愛する」とか言います。でもその言葉が意味するものは、たぶん違う。そういうことです。
したがって、便利な言葉を使って岩倉具視を説明することはやめよう。彼は「ヤモリ」なのか(※)。「ずるい」のか。「権力」を欲していたのか。「毒」を盛ったのか。
幕末。飾らない言葉で表現すれば、みーんな自分の欲得で活動していた。島津も毛利も水戸も幕閣も、みーんな必死になって権力拡充を画していた。それを後になって「天下国家のため」とか奇麗事にしているだけです。
下級公家の岩倉具視が必死になってもがく。献策やら提案やら、書きまくる。話しまくる。策動する。和宮降嫁で一度浮き上がって、それから命の危険を感じて逼塞。ながい閑居の末にようやくまた表舞台へ。
岩倉具視の天敵は中川宮だったそうです。例の長州追い落とし(八月十八日の政変)の花形。その中川宮が常に岩倉の前に立ちはだかっていた(※)。で、これを(岩倉村の蟄居先から遠隔で)ついに追い落として復権。薩摩と組んで維新の立役者となる。
正直、維新までは人形遣いの立場だったけど、明治になってからは人形になってしまったのかもしれない。本人は遣い手のつもりで踊っていた。しかし実際には大久保あたりが操作していたのかも。
※単に色黒な容貌からついた名かと思っていましたが、ヤモリってのは日中は戸袋かなんかに潜んでいる。夜になるとコソコソッと出てくる。それで具視=ヤモリ。
※中川宮は幕府加担とかいわれて失脚。ただの「朝彦」になる。新政府(特に長州)からすると仇敵です。やがてそのうち復権させてもらって久邇宮朝彦親王。そうか、昭和天皇に嫁いだのが久邇宮家の孫姫君。香淳皇后ですね。山縣有朋が結婚に反対したという宮中某大事件なんかも、けっこう深い理由があったのかもしれない。(根拠ないけど)
就寝中、足に違和感。ん、膝が痛いなあ。寝返りうって、動かそうとすると痛む。かなり痛い。
朝、ベッドからおりるのが大変でした。なんせ右足に力が入らない。棒ですね。デクの棒。自力では伸ばせない。曲げられない。なんとか床に立つことはできても、歩くのが大変。うーん、困った。まったく曲げない状態でなら、痛いけれども少しは体重を支えられる。
どこが原因なのか、骨か腱か。膝のあちこち触ってみるけど判然としない。膝小僧より少し上のあたりかな。静かにしているとすごく痛いわけでもない。少し熱をもっているようです。
お盆の真ん中です。あちこちクリニックをチェックしてみたけど、夏休みというところが多いし、うーん、どうしようか。結局、近くの整形外科へ行きました。ヨタヨタとしか歩けない(なんせ時速1キロですね)のを心配して妻が付きそってくれました。たしか10年ほど前にも同じ整形外科へ行ったなあ。そのときはギックリ腰。やはり妻が付きそってくれた。ありがたい話です。
レントゲンは異常なし。で、診断は「蜂窩織炎」。よくお相撲さんなんかがこれで休場しますね。ほうかしきえん。なんかの理由で(明瞭なキズとは限らない)皮膚の下に細菌が入る。通常のありきたり菌らしいです。で、運が悪いと腫れ上がったり、高熱が出たり、大変なことになる(※)。
薬を塗ってネット包帯をかけて、鎮痛剤と抗菌薬を5日分。で、翌日には、嘘のように改善です。すごいなあ。ほとんど痛くもないし、スムーズに歩ける。もう一度、消毒のためクリニックへ行きました。少し赤みが残っているとかで、1週間分のパップ剤を処方してもらって、とりあえず放免。処方の内服薬は最後まで呑みきりなさい。
やれやれ。
※自分の症状とは少し違う気がするけど、ま、治ったんだから問題なし。
中央公論社★★
同じ永井路子歴史小説全集の第14巻。主人公は豊臣秀吉の正室おねね、北政所です。
そうですね。これも妙に女くさい解釈が多い。秀吉の愛撫で陶酔し、京極竜子は対抗心でキャンキャンわめく。淀殿も高ピーで狭量。賢くて節度を知っているのは北政所だけ。あんまり感心しませんでした。
ただ、戦国の妻はほとんど何も知らされない・・という点はいいですね(※)。亭主が「さあ、戦じゃ」とか言ってバタバタ出かけてしまうと、後はなーんにもない。城を守ってはいても、情報はほとんど入ってこない。10日、30日、3カ月、何が起きているのか。あてにならない噂だけ。
だから「本能寺にて上様ご生害・・」とか急に知らされても、はて、どうしたものか。自分で考える。判断力の勝負。どれだけ素早く逃げることができるかがカギになる。
それにしてもどうして★が二つなのかなあ。自分で付けておいて、うーんと考えると、たぶん男どもに魅力がない。男が描けてないんでしょうか。それを言うなら、女どもにも魅力がない。
※最近の大河、大事な会議の席にやたら奥方が同席していますね。あれはいけない。表と奥は厳密に区別する。女性は戦に関与しない。大昔の独眼竜政宗なんか、怖い奥方(岩下志麻)は会議が終ってから(出席した家来を)自室に呼んで内容を聞いていました。もし言いたいことがあったらやはり間接的に伝える。
そうそう。思い出した。やはり大河の軍師官兵衛、侍女の私室だったか台所だったかで、殿様がマッサージ治療やってました。あれは酷い。奥方に知れたら大騒ぎになります。どんなに偉くても奥方のテリトリーを侵してはいけない。だから明治になってからですが、徳川慶喜がカメレオンのエサ(蠅)を探しに気軽に台所に出入りするのを見て女中たちは驚愕した。
(蛇足ですが、たとえば出陣の際の鎧着用。けっして女性は触らなかったそうです。禁忌。手伝うのは男どもだけ)
中央公論社★★
単行本ではなく「永井路子歴史小説全集」です。第9巻。
前に読んだ直木賞受賞の「炎環」などに比べると、ぐっと通俗小説ふうです。現代的で読みやすい。軽い。あんまり必要なさそうなのに性愛の部分が強調されたり。読者サービスなんですかね(※)。
ま、それでも読んで損する本ではありません。あんまり覚えていませんが、毛利元就の妻を描いた「山霧」なんかと少し似た感じかな。あれもそこそこ面白かった。
えーと、この本の北条時政は赤鼻の陽気な武将です。騒がしいけれど、実はけっこう曲者。で、政子が信頼するのは兄の三郎(大河ドラマでは愛之助)。弟の義時は背が高くて無口で無愛想。でもけっこう思慮深いのかも。
妹(大河=宮沢エマ)は単純なおしゃべり娘。亭主の全成は目立たない人間。長男(頼家)はわがまま坊ちゃんで、つまりは比企の連中が悪い。母子関係は最悪。この頼家はかなり悪役設定なので、結果的に政子は「悪」ではなくなる。そうそう、頼家の妻(比企一族)とも政子はバキバキ心理戦です。あの女がいけないのよ。
ま、要するにわりあい平凡な妻であり、母であったという設定でしょうか。平凡な女なんですが、ときどきは大胆に行動する。なんせ板東の女です(※)。そうそう、頼朝寵愛・亀の前へのうわなり打ちですが、この本ではほんの少し。義経(菅田将暉)は絡まないし、柱を一本叩き折った程度。あんまり派手ではないです。
※藤沢周平でもそうですね。乾いた質のいい感じで読み続けていると、最後のほうで急にラブシーンがあったりチャンバラが挿入される。編集部からの注文だったのかな。作家もなかなか大変です。
※頼家が部下の女をかっさらった事件を素早く解決のあたりから、政子は存在感を増す。尼御前は怖いぞ、あなどれんぞ・・という評判になる。
渡辺一史 著。発行 北海道新聞
昔読んだ本ですが、ふと気になって再借り出し。
やはりいいですね。厚い本の初めのほうの3章だけ。室蘭本線小幌駅、釧網線茅沼駅、札沼線新十津川駅を再読。
小幌は両脚切断してもやたら元気印で勝手な漁師が楽しいし、茅沼は丹頂鶴の保護というか、自然や野生と人間生活について考えさせる。新十津川は北海道産の米の話です。たぶん今でも北海道の米生産量は日本トップなんじゃないかな(※)。それなのに・・という話。
どれもこれも一筋縄ではいきません。読みやすくて、しかも深い。期限がきてしまったんで返却ですが、うーん、古本を探して買ってしまおうかな。ちょっと迷います。いい本です。
※いまは2位でした。トップは新潟県。それでも意外感はある。
先日から使用のパソコンケース。どうも電源スイッチの作動が安定していない。
そもそも買って最初の起動からして、なんかモタモタしてたんですよね。スイッチ押しても反応しない。焦って数回押したらようやく電源が入った。
しばらくはスムーズだったんですが、そのうちまたスイッチが入らなくなる。何回も何回もトライすると、そのうち電源が入る。天板をたたくと反応することもある(※)。
いっぺん横板を開いて調べたこともあります。なるほど、スイッチパーツは天板にネジで留めてあるんだ。ネジをちょっと緩めて確認して、また絞めました。ケーブルが細いから断線の可能性もあるし。
またしばらく問題なし。問題ないと思っていたら、またスイッチが入らなくなった。アマゾンで替えのスイッチ(※)を買っておくかなあ。筐体からケーブルをひっぱりだして、手元で操作することにするとか。
面倒だけど、ま、しかたない。覚悟して本格的に分解しました。天板にはりついたスイッチパーツのネジを外して詳細チェック。
判明したこと。天板にある小さな四角いスイッチボタンを押すと、その下に設置したスイッチパーツの小さな突起を押し下げる。この押し下げでパーツ内部で2本のラインが接触してショート。回路に電流が流れると、パソコンのマザーボードが起動する。
要するにボタンスイッチのプラスチック突起が細くて小さい。1ミリ程度の遊び間隔で下から受けるスイッチパーツの突起も小さい。小さい同士なので、ちょっとしたズレでかみ合わなくなる。
ま、そういうことでした。そういえば天板のスイッチが少し沈んでいたような気もする。ズレていたんだろうな。天板のスイッチをきちんと穴に入れ直し、しっかりネジ留め。とりあえずは解決です。
※おぬし、アップルか? 大昔のアップル、そういう噂がありました。叩くと直る。どうしようもなくなったら確か30cm上から水平に落とす。浮いたプラグがシステムボードに刺さる、ことがある。ほんとか。
※ainexのPA-045Bとか。いろいろあります。
ずーっと気にかけていた内視鏡検査をついに受診。いやー時間がかかりました。受け付けしてからざっと4時間です。まずいムーベン液を2リットル飲みきった。
おまけにポリープがたくさんあったようで、今日は固形物禁止。油ギトギトなんて、とんでもハップン歩いて5分。あはは、明日も明後日もアルコールは禁止です。このくそ暑いのに、ビールが飲めない。
中公文庫★★★
前作にあたる「新選組始末記」のほうが有名かな。これもたぶん読んでるとは思うけど、細かい部分なんかまったく忘れてる。ん? 「まったく」の後に肯定語が付くのは変か。ま、いいや。
原田左之助とか永倉新八とか、芹沢鴨とか、沖田総司とか。おなじみ隊士について、たぶん昭和の初めごろですかね、まだ生きていた古老からの聞き書きが多いので、なんというか実感がせまります。
聞き書きだからすべて真実とは言い切れない。言い切れないけど、ま、いいじゃないですか・・とも言いたくなります。たとえば下帯もつけずに殺された芹沢、暗いところで逃げまどって、最後は八木家の寝所にとびこんだとか。そこへ隊士連中が追いかけて切りまくるもんだから、寝ていた八木の子供まで足に怪我をした。
巻き添えくったお梅の死にざまは無残だったとか。実は他にも隊士のところに来ていた女たちが何人かいたとか。あんまり書かれないような詳細が多いです(馴染み隊士の帰りを待って、勝手に子供たちの部屋で寝ていた)。そんなことを八木の跡取りだった子供が記憶をたどって話をする。
そうそう。子母澤さんは圧倒的に近藤勇の側に立ちます。近藤斬首のシーンだって、土佐の谷干城が悪者になるし、もっとひどいのは近藤憎しの小者あつかいにされた香川敬三という人。「香川なんてのは東山道軍総督府のしょせんは旗持ち程度」と有馬藤太の証言でこきおろされてます。でもWikiによると本当に総督府の大軍監だったらしい(※)。
なにが本当か。真実か。わからないことが多いです。
そうそう。近藤が流山で降伏の際に名乗った「大久保大和」ですが、官軍側には当初から近藤だと気がつかれていたようです。そもそも「大久保大和」は誤魔化しなんかじゃなく本名だともいうし、このへんも難しい。そうそう、随所に当時の手紙が掲載されています。面白いけど、読むのが大変です。
※香川敬三。後に伯爵。戦は下手だったけど一応は出世した。日露戦争前夜、皇后の夢枕に坂本龍馬があらわれ・・・は香川の言い出した話とも
最高気温が32度くらいになると、けっこう凌ぎやすい。ついでに曇天ならラッキー! 慣れるもんですね。朝起きて、南向きリビングの室温も30度に達していないし。
ただ夏にはもう秋田飽きた。すでに8月終わりぐらいの厭戦的な気分です。
個人情報保護委員会がデジタル庁に立ち入り検査をしたとか。以前に予告報道がありましたね。通常の立ち入りはたいてい抜き打ちなので、不思議でした。ま、予告があったからって、ふつうは何ができるものでもないでしょうけど。ちなみに保護委員会の担当大臣も河野太郎デジ大臣だそうです。両方を兼ねている。そりゃ忙しい。
20年近く前かな。某社に出向いたら、そこの総務が「来週は消防が来るから」と課員に伝えている。非常階段付近に積んであるダンボールなんかを片づけるんだそうです。へーぇ。
実際のシーンは見ませんでしたが、その日が過ぎるとまたダンボール類が元通り雑多に積まれていたので、無事終ったんだな。こうやって日本の会社は過ぎていく。消防も無駄な心配をしないですむ。
非常階段といえば、某消防署の訓練を外から見たことがあります。5~6建のビルでしたが、外壁伝いの非常階段を使って上り下りの猛トレーニングをしていた。オレンジの救助服姿がタッタッタッと階段を元気に走り上がる。一気に最上階まで上がるとドアに飛び込んで、屋上までは屋内階段。屋上からはロープを使って外壁を猿のように滑り下り、下りたらまた階段へ走る。勇ましいです。
で、見ているうち、外階段から中に飛び込み、そこから屋上へ顔を出すまで妙に遅いことに気がつきました。勇ましく屋内に飛び込んだら、息を整えつつゆっくり階段を上る。たぶん屋上ドアの前で深呼吸して、一気にまた外へ。屋上へ出てからは衆人監視の元気トレーニング再開ですね。たぶん指導官が見ている。一階分の貴重な休憩タイムです。
なにをするにも大変なものです。
徳間文庫 ★★★
上下巻といってもたかが文庫。それなのに読み切るまでけっこう日時を要した。子母澤寛だからなあ。平易そうで、実は難しい言葉がたくさん出てくる。子母澤さんの当時の読者だったら常識だったのかもしれない。
ふと思い出したのでは、たとえば「ぶっさき羽織」が出てくる。ほぼ見当はつくものの、あれ? ぶっさきはお尻だけだったっけ。まさかサイドベンツじゃなかったよな、とか。じゃ義経袴はどんなだっけ。切米二百俵って、多いのか少ないのか。調べてみると「二俵=一石」らしい。でも百石取りといったって実質は半分くらいのはずなんで、百俵とあまり違わないとか。ん? そもそも切米だったか扶持米だったか。これも違う。なかなか難しいです。
最初からずれてしまいましたが、幕末の三舟、高橋泥舟が主人公です。はて、本当に主人公かな。真ん中あたりからはむしろ新選組や近藤の話が多いかもしれません。
高橋泥舟は幕末の旗本山岡家の次男です。請われて高橋家に養子に入った。ところが山岡を継ぐはずの兄が若くして死んでしまって、しかたない、いまさら戻るわけにもいかない。で、実の妹の婿養子として来てもらったのが小野鉄太郎(鉄舟)。つまり高橋泥舟の義理の弟が山岡鉄舟です。
死んだ兄も自分も槍の名手。やたら強かったようです。いろいろ道場のエピソードが出てくるけど、正直、よくわからない。いまの常識からしたら狂気の稽古をした。2貫以上もある稽古槍を1000回とか2000回とか突いた。7キロとか8キロの重さです。ひぇー。
ま、そうやって名を高め、新設講武所の槍術教授方。なんか好かれる人格者だったようで、どんどんどんどん出世する。とどのつまりは「従五位下伊勢守」まで行った。これはすごいです。
弟の鉄舟が清河八郎と親しかった。八郎、当時はかなり有名人だったようですね。ただ泥舟は清河をあまり評価していなかった。ケレン味を嫌ったのかな。それとも「しょせんは庄内の郷士」と思っていたのか。このへんも不明です。
成り行きというもので、例の浪士隊結成の際は取締役として京に登った。で、あとは御存じ、一部を残して浪士隊は江戸へ引き上げ。このへんの経緯、司馬さんなんかとは少し違って、なかなか面白いです。(司馬さんは司馬さんなり、ストーリーを省略したりピックアップしたりがけっこう多い)
で、徳川慶喜が逃げ帰ってからは恭順を説き、上野に謹慎したときは身近で警護した。有名な西郷への使者は山岡鉄舟ですが、最初は高橋泥舟の予定だった。ただ泥舟を出してしまうと慶喜の近辺に信頼できる人間がいなくなる。主戦派をおさえることのできるのは泥舟しかいない雰囲気だったんですね。うーんと悩んでいたので泥舟が「代わりに義弟の山岡鉄太郎」を推薦した。
このへんも複雑です。そもそも山岡は「慶喜の使者」だったのか。解説の中には「勝海舟の使者」と書いているものもある。いろいろです。ただ山岡が気をきかせて勝のところに事前相談に行ったのは事実らしい(※)。後年も泥舟はあまりしゃべらない。海舟はやたらしゃべりまくる。真偽はなんともかとも。
それは別として、主役の高橋泥舟という人が、よくわからないです。ヤクザも老中も、なんでみんなが信頼したのか。また、旗本といっても高橋は幕末に生きた都会っ子です。子母澤さんがしゃべらせている高橋のセリフなんか調子が軽い江戸弁。ベランメエで粋な感じはあるけど、あんまり「人格者」という重々しい雰囲気になりません(※)。
ともかく終始一貫、芯は「勤皇攘夷」の人ではあったようです。でもその信条と実際の行動がどう合致しているのか。慶喜ともスレ違いがあったようだし。ま、少なくとも「自分は徳川家の家人である(※)」という根本スタンスは変えなかった人なんでしょうね。だから新政府に仕えるなんて気は毛頭なかった。
※指名を受けて山岡鉄舟、欣喜雀躍。すぐさま帰宅して一升飯を炊かせ、たべ終わるとすぐさま出立・・・ではないようです。勝のところにも行っているし、友人から刀を借りてもいるし、薩摩の益満休之助も連れているし、いろいろ準備がある。なんせ幕末です、テキパキとそんなにスピーディだったとは思えない。
※有名な話らしいですが、後年、義弟鉄舟の死後、莫大な借金を肩代わりする際「この顔が担保でござる」と見栄をきった。みるからに江戸っ子の言葉ですよね。「従五位下伊勢守」の言葉ではない。
※「トクガワケ」ではなく「トクセンケ」と読んでください。雰囲気がかなり違う。
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